初日、ローマの夜

 ガシャ、ガックンッ。夜10時7分、先頭にいる電気機関車1両が長ーい客車たちを引っ張った。発車ベルの音もなく、誰かに見送られることもなく、空っぽの列車はまたゆっくりと走り出した。
 途中、車掌以外の顔を見掛けることはなかったが、出発から1時間ほど経つと、オレンジ色の水銀灯で照らされた古都ローマ、テルミニに無事到着した。だけど、駅周辺には評判通りのヤバそうなジプシーたちがウロウロしている。この国で独りでいることにまだ全く慣れていない私は、背負ったリュックのベルトを両手でガッシリ掴み、いまにも走り出しそうな早足でホテルへ向かった。途中、「初日だけは取っていった方がいいですよ」そう言ったHIS(旅行会社)の人の顔を思い出した。「高いでしょ、別にいいですよ」と気のない返事をしていた私も、最終的には、彼の強い勧めで、『D’Este』というホテルを予約していた。「確かにな…」。予定よりも2時間半も遅れてこんな深夜に到着してみると、なるほど納得感があった。そんなことを考えながらコロッセオ方面へ坂を下り、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を左に曲がってしばらく行くと、『D’Este』の看板は現れた。
 チェックインを済ませて案内された部屋へ。フロント脇の階段を数段上るとすぐのその部屋は、こぢんまりしているけど天井がグンッと高くていい部屋だった。バスタブは無いが、ちゃんとお湯の出るシャワーも付いている。ただ、明らかに前傾したタンスの頭の上にポッカリ空間ができているのは、ちょっとひょうきんな感じがした。荷物を下ろしベッドに腰掛けると、安心したのか急に力が抜けてきて、しばらく何も食べていないことに気がついた。そう言えば来る途中のリストランテでは、皆何か旨そうなものを食べていたなぁ…。そんなことを考えながら、どうやらすぐに寝てしまったようだ。
 それからどれくらい経ったのだろうか、のびやかに、そして実に気持ち良さそうに大声で歌い上げる誰かの歌声で目が覚めた。天井近くまで延びた縦長の窓からは、明るい日光が差し込んでいた。昨夜は暗くて気がつかなかったが、窓のすぐ下には白いコットンのパラソルが並んでいて、さらにその下では、初老の夫婦や小さい子供を連れた母親たちが静かに朝食をとっていた。私は日本を立ってから初めて、これまでとは明らかに異なった、緩やかな時間の流れをそこで感じていた。


Deste


『D’Este』 (デステ)
ちなみに私が宿泊した部屋はここで紹介されているものとは全くの別物。


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