今回の旅の目的のひとつに「la Biennale di Venezia」日本では、通称「ベネツィア・ビエンナーレ」と呼ばれている、そのイベントを観に行くということがあった。今回の展示は「建築」に関して。毎回、世界中のクリエイター達が、ベネツィアの端にある、本来の役割を終えた大きな倉庫などを利用した会場で作品を競わせる。(2002年9月8日~2002年11月3日) 私は3年前の夏にもベネツィアを訪れた時、当時「アート」に関して行われていた、このイベントに初めて触れ、五感に向けて強烈な印象を訴えかけてくる、そのクリエイティビティに圧倒された。そして今回、テーマは違うが、再びその会場にやって来た。日本からも、安藤忠夫氏や磯崎新氏らが参加していたが、今回ここで取り上げようと思うのは、期間中、昨年のテロから1年目を迎えたアメリカのブースで展示されていた「A New World Trade Center: Design Proposals」についてだ。 あのワールドトレードセンター跡地「グランドゼロ」に何を建てるかという提案を、世界に名だたる建築家たちに依頼したら、どんなアイデアや設計を見せてくれるのだろう?今年の初め、そんな夢のような企画を実現してしまったギャラリーがあった。マックス・プロテッチというところである。しかも、これは招待の設計コンペではない。短期間の上、費用は作家持ちであったにも関わらず、依頼した120人中、60近くの作品がが集まった。それだけ「グラウンド・ゼロ」復興への関心、もしくは突如現れた世界の一等地への関心が強いということだろうか。 アメリカのブースで観ることができたのは、まさにその作品群だったわけだが、イラストから実際の写真にCGを合成したものや模型など、設計条件がなかっただけに、表現手法は実に様々だった。一方、その内容はメモリアル的な意味合いとして、ビルを再建するのではなく、光のモニュメントを提案しているものから、さらなる力と技術の粋を集結したような、奇抜なシンボルまで、こちらも実に様々だった。 これらを眺めながら、一刻も早い復興を願う人は多かっただろう。しかし、私は、奇抜な方のそれらを観ているうちに、だんだん冷めていく自分の気持ちに、ふと気が付いた。「こんなものを建てたら、また突っ込まれるだけだ…。」奇抜なかたちをして誇示している姿が、実に寒々しく亡霊のように見えた瞬間だった。(2002年5月1日に発表された、FEMA/アメリカ連邦緊急事態管理庁と米国土木学会の構造部会が組織した調査チームによって取りまとめられた報告書では、「最大規模の航空機衝突に耐えうるような、信頼性の高い建物を設計することは不可能だ」と既に指摘している。) 最後に、後日ミラノの公園で出会った老婆が言っていたことを追記しておきたい。「昨年アメリカで起こった同時多発テロでは多くの市民が犠牲となった。しかし、その後ブッシュはアフガニスタンで多くの市民を殺した。かつて、あなたの日本でも広島や長崎の原爆でたくさんの市民が死んだだろう?」
※参考 ニューハンプシャー大学経済学部のマーク・へロルド教授の集計「A Dossier on Civilian Victims of United States’ Aerial Bombing of Afghanistan」によると、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの死亡者数の3,234 人に対して、2001年10月7日~2001年12月10日までのアメリカのアフガン攻撃で、アルカイーダでもタリバンでもないアフガニスタンの一般市民が殺された数は、アメリカを上回る3,767人。但し、これはあくまでも様々な反論や非難を考慮に入れて意識的に過小評価された見積もりであることを、マーク・へロルド教授自身が認めている。実際に、空爆で負傷した後に亡くなった人、空爆によって援助が途絶え飢えや凍えで死んだ人、戦闘行為で死んだ兵士、捕虜はこれに含まれていない。 また、かつての原爆での死亡者数については、広島市、長崎市の各ホームページで確認できる。広島:約140,000人、長崎:約74,000人。(~1945年)