天使の絵本

天使の絵本

『どこまでもドア』


「どこでもドア・・・?」
「違うよ、どこまでもドア。」
「どこまでも?」
「うん、そう。去年卒業した先輩がその前の先輩から聞いた話なんだって。」
「それって嘘なんじゃないの?」
「んーん、実際に行方不明者の出たやばい話なんだって。」
「・・・・・。」
「絶対に秘密だって何度も念を押されたんだから。」
「・・・・・・・・・・。」

聞きたい?










『どこまでもドア』











普段は誰も開かない、埃まみれの美術資料室の一角にそれはある。
打ち捨てられた一枚の扉。
誰が何のために作ったのか、どうして置いていったのか。
噂を信じない一部の男子の話によると、あの扉は学校が作られた時の扉のデザイン案の一つだったらしい。
もちろんそれが『普通』の考え方なんだろう。
最初は只の好奇心だったのだ。
疑い半分。
面白半分。
本当にあったら怖いと思う一方、本当にあったら面白いとも思ってる。
結局は自分に危害の及ばない程度に不思議体験がしたかったのだ。
夏も終わりを告げた9月の半ば、文化祭も体育祭も無いうちの学校にとって噂話と人様の恋は十分に一大イベントとしての価値があった。
それを私たちで独り占めしようよ。
そう言った親友の亜子は地元では有名なトラブルメイカーで、傍に居ると話題と刺激には事欠かない。
2人である時点で十分に『独り占め』では無いのだけれど、私はそれを指摘せずに右に倣えで親友に賛同した。
深夜、誰も居ない美術資料室の扉を開ける。
鍵は亜子が職員室から持ってきた。
「今日の宿直は数学の千台だから絶対に気付かれないよ。」
耳が遠くて有名な老教師の名前を出して、差し込んだ鍵を勢い良く引き抜いた。
『ガチョン!』
間抜けな音をたてて開いた美術資料室の扉は壊れてしまった様で、独りでに扉はその口をあけた。
ごくりと一つ、息を呑む。
「いくよ。」
精一杯雰囲気を出しつつ亜子が扉を潜る。
私もすぐにそれに習った。
中は予想以上に埃まみれだった。
本当に何年も開いていなかったのか、地面に残る幾つかの足跡の上にはうっすらと、それ以外の場所にはミルフィーユのように幾つかの層になった埃があちらこちらに降り積もっている。
行方不明になったという先駆者の足跡なのだろう。
「すごい埃っぽいね。」
そのまんまの反応をする私に、亜子が周囲を気にした様子も無く奥へと進んでいく。

問題の扉はすぐに見つかった。
洋風の装飾がされた少し豪華な扉だった。
身の丈の2倍ほどもあるその扉は、確かに美術資料室の扉からは少し出せそうに無い。
もしそうだとすれば、学校ができた頃からここにあったと言う男子の説も無下には出来ない。
「ふ、二人で開けよう?」
私は静かにうなずいて、亜子の手にそっと重ねる。
汗ばんだ手の下に扉の荘厳な重さを感じる。
この先に何があるのか、その答えを私は知らない。
「いくよ。」
「うん。」
少し重めの扉を開けると、鏡が立て掛けてあった。
違う。
鏡じゃない。
その先は美術資料室でもない。
本来ある筈の彫刻の置かれた戸棚ではなく、同じ形をした扉が一つ。
暗闇の中に一つ佇んでいる。
胸が激しく動機する。
そこは既に非日常の世界だった。
手にした扉をいっぱいに広げ、次の扉を開く。
そこにはまた同じ扉があった。
その次の扉を。またその次の扉を。
幾つか開いたその後で、二人佇んでそっと口を開いた。
「ずっと同じ景色じゃん」
亜子が言う。
確かに、期待していた物とは違う展開に少し裏切られた印象が胸の奥に去来する。
これでは下らないギャグか性質の悪い三文小説だ。
開けども開けども同じ扉。
どこまでもドアとはよく言ったものだ。
「帰ろう。」
そう言って背後を振り向いてある事に気がついた。
静かに閉まってゆく重い扉。
どこまでも続く不思議な扉。
自然と、最悪の状況が脳裏に浮かぶ。
背筋を冷たいものが走った。
「亜子!! 走って!」
そう言って無理に手を引く。
「な、何で!?」
引く手に抵抗を試みる亜子。
説明している時間すらもどかしい。
「早く!! 閉じ込められちゃう!!」
その一言で気がついたのか、一瞬驚いた顔をして急いで走り出した。
すぐに私は手を引かれる側に変わってしまう。
1枚、2枚、3枚と、潜れば潜るほど、扉の角度は徐々に狭くなっていく。
一枚一枚がとても重く感じられる。
一体私たちは初めに何枚の扉を潜っただろう。
しがみ付く様に手をかけたその扉に、一瞬祈りを込める。




気がつくと、埃まみれの資料室に二人して座り込んでいた。
心臓の鼓動が太鼓のような音色を奏でている。
これが行方不明の理由か。
気が付くと物凄く単純なのに、直前まで気付かなかった自分が恐ろしい。
あのまま疑問も無く進んでいたらどうなっていたろうか。
もし、初めに扉を閉めていたら?
もし、亜子が扉を勢い良く開けていなかったら?
考えれば考えるほど、恐怖は喉を突いて湧き上って来る。

驚きと恐怖と安堵感で、戻しそうになって口元を押さえる。
良かった。
生きていて良かった。
亜子も私の膝元に頭を預けて息を切らせている。
暫くそうした後で、震えて立てない足腰を奮い立たせて家まで帰りついた。








家に帰るとすぐに部屋の扉を閉めて布団に転がり込んだ。
何度も寝ようと目を閉じたけれど、結局眠りが降りてくることは無かった。
結局外が明るくなるまで扉の事が頭を離れなくて、
軽い頭痛を抱えながらまた学校への道を歩いて教室にたどり着いた。
できるだけ美術資料室には近付かない様に遠回りをして行った。
教室に着くと数人のクラスメイトが既に席に付いていた。
委員長に浅賀さん、その友達の白狩さん。
成績はいつも上位の、いわゆる秀才組が揃って机の上で教科書を広げていた。
いつもよりも30分は早かったから一番乗りだと思ったのだけれど、
上には上が居たようだった。
入り口で少し躊躇した後で、後ろ手で扉を閉めて私も席に着く。
目を閉じると浮かび上がる。
昨日の記憶。
一瞬意識に飲まれそうになって、首を振って額の汗を拭いた。
睡眠を取れていない事が間接的に体にキているのかも知れない。
そんな事を考えていると、教室の扉を押し開けて亜子がやって来た。
勢いよく入ってきた割に、扉だけは妙に念入りに閉めてから私の元にやってくる。
「おはよう、亜子」
精一杯元気な口調でそう言って、少し上になる亜子の顔を見上げる。
昨日の事は早く忘れたい。
思い出にしたいと思った。
だから、
「ビックリしないで聞いてね。」
あんまり不吉なことを言う亜子の言葉を、私は何でもない事のように聞いていた。
「昨日の話には続きがあったの。
 話をしてくれたのがお隣のお兄さんなんだけど、行方不明になった生徒ってそのお兄さんの友達だったらしいのよ。」
「…それで?」
「その友達の人も、一回帰ってきたって言うの。」
一瞬、何かが途切れたように頭の中が真っ白になる。
違う、脳が考えるのをやめたのだ。
これ以上考えてはいけないと、悲鳴を上げたのだ。
それでも、思考は少しづつ気付いてはいけない事実を紡ぎ出してゆく。

それはつまり、行方不明の原因は他にもあったという事で・・・。
「音がする。扉の向こうから音がするんだって、居なくなる前の日までずっと言ってたって。」
「他には、なんて?」
「閉めろって。」
「閉めろ?」
「うん、扉を閉めろって言ったんだって。」
その瞬間の光景がありありと瞳の奥に浮かび上がってくる。
話を聞いていたお兄さんには判らなかっただろう言葉の意味を、何と無く理解してしまう。
それは、教室に飛び込んできた亜子が必要以上に念入りに扉を閉めた理由・・・。
顔色から、すっかり血の気が引いているのが判った。
右手が震えてとまらない。
ふと扉のほうに意識をやると、微かに何かを引きずっているような音が聞こえた。
それは徐々に大きくなって、やがて教室の前までやって来た。
はじめは先生かとも思ったが、窓に映った影でその可能性を否定した。
大きい、決して人間ではないサイズの何かが、扉に付いた小さな小窓。
そのスモークガラスの向こうから笑みを浮かべていた。
明らかな異常事態なのに、誰も外の様子に気がついていないようだった。
そこから先は、どうやって帰ったのかまったく覚えていない。
気がつくと締め切られた自室の部屋の中で眠りについていた。

それからもその音が消える事はなかった。
暫くは学校通いも続けていたが、亜子が来なくなってから私もやがて行かなくなった。
自室の扉には鍵付きの取っ手を取り付けて、心配をしてやって来たお母さんすらも部屋には決して入れなかった。
事情を打ち明けようとは思わなかった。
元より信じてもらえるとも思っていない。
それでも食事とトイレの時だけは部屋から出なければならなくなる。
扉の開け閉めは最小限に抑えて、そのタイミングには細心の注意を払った。
もしも、アレが来ている時に開けたらと思うと肝が冷える。
開け放しにするなどもっての外だった。


そんな日々が1週間ほど続いた頃。
亜子から電話がかかってきた。
擦り切れそうになった神経に急に安心感が去来して、まだ繋がっていない携帯の上に涙が落ちる。
息を整えて、涙を拭いてから電話を繋いだ。
「良かった。まだ繋がった!」
受話器の向こうの亜子は泣き叫んだ跡のような枯れた声をしていた。
大丈夫?
そう言い掛けた所で、受話器の向こうから聞きなれた音が聞こえて全てを理解した。
『ガチャン』
重い扉の閉まる音が、受話器の向こうで木霊する。
絶望的な気分だった。
「聞いて!私見つけたの。行方不明になった先輩の日記。
 繋がってるかもしれない!!
 もしかしたら全部、繋がってるかもしれない!」
亜子の言葉が、理解できない。
頭がうまく回らない。
だけど、
「助かるかもしれないの!」
亜子にそう言われると、不思議な正義感が湧き出てきた。
「待ってて、今行くからね。」





亜子に言われて用意をしたのは、
旅行カバン一杯のドアストッパーと、小さなナイフ。
もしもこのドアの中が、
円のように繰り返し繋がっているのだとしたら、
入り口さえ開いていれば外に出られるかもしれない。
もしもそうだとしたら、助けられるのは私しか居ない。
扉の開け閉めに細心の注意を払って家の外に出る。
目指すは元凶。扉のあった美術資料室。
外はあの日と同じ、人一人見かけない深夜2時。
少し鞄が重かったけれど、それを自覚する余裕はなかった。
足を急がせる。息がせき切れるのも気にならなかった。
学校の裏門から美術準備室へ。
扉の開閉には細心の注意を払った。
緊張の最中に居る筈なのに、一人でいる時よりずっと心強かった。
最後の扉を閉めると、元凶の扉があった。
丁寧な装飾の扉が逆に威圧感を放っている様に感じた。
「ごくり。」
息を呑むと、音がした。
深夜の学校には小さな音も良く響いた。
ゆっくりと扉を開けて、まずは一つ目。
静かに、だけどしっかりとストッパーをはめる。
手を離して様子を見る。
しばらくそのままでいても問題はなさそうだった。
「いける。これなら助けられる!」
2つ目、3つ目、4つ目と扉を開いてゆく。
扉を開くときは右手にナイフを添えて。
何が来てもいい様に右手に力をこめる。
幾つ目の扉だったろうか。
そんな状態が数分続いた頃。
扉の向こうから微かな物音を聞いた気がした。
神経が張り詰める。瞳孔が開く。口腔の感想を感じる。
アレか、亜子か、2つに1つ。
扉を叩いてみても、反応はなかった。
向こうからは聞こえないのか、それともアレなのか。
どれだけ考えても答えは出ない。
「あけるしか・・・。」
ない。
扉に手をかけて、涙が出そうになって、グッと堪えた。
今泣いてしまったら、きっともう立ち上がれない。助けられない。
自らの頬を張って気合を入れる。
勢いよく扉を開けた。



まず目に入ったのは、こちらを凝視する亜子の姿だった。
希望に満ちた表情で、半分開けられた扉の向こうから、半身を出してこちらを覗き込んでいた。
「亜子!」
思わず声が出る。
「走って! 早く!」
その背後に見えたのは、何かの影。
『何か』の影。
シルエットも、目の数も、既に人間ではない『何か』の影。
「早く!!!」
手を伸ばす。
絶望の波の中で。
触れ合うまでの時間が、長い。
背後から伸びる手の数が、多い…。

「いやああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


手をとって、駆け出す。全力で。
背後は見ない。
いや、見れなかった。
その『何か』を確かめるのが、何より恐ろしかった。
アレがヒトだった物だと、形状が物語っていたから。
だから余計に確かめられなかった。
最後の扉を潜り抜けると、亜子がストッパーを蹴り飛ばした。
「引っ張って! 早く!」
亜子にいわれてドアを引く。
重い扉は閉まる時もとても重厚だった。
隙間から目に入る。
『何か』の姿が目に入る。
何本もある異形な手で、幾つもある異常な瞳で。
扉目掛けて駆け抜けてくる。
「しまってぇぇ」

一生分の力を使った気がした。
扉が閉まるのと、その向こうから『何か』のぶつかる音がしたのがほぼ同時だった。
肉の弾ける生々しい音が耳の中に木霊する。






「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・助かった?」
初めに声を出したのは、私の方だった。
ずっと我慢してきた涙が、堰を切って溢れ出す。
もうなんと言っていいのかわからない。
安心のあまり溢れ出した様な、そんな涙だった。
亜子の方は、まだ状況が飲み込めてない様だった。
亜子に抱きついて、座り込んだ膝に頭をうずめる。
しばらくそうした後で、ようやく状況を飲み込み始めた亜子がしきりに
「ごめんね。」といい始めた。
確かに怖かったけれど、助かったならもう全部どうでも良かった。
今はとりあえず、早く帰ってお風呂に入りたい。
随分と長い間入っていなかった気がする。
ひとしきり泣いて叫んだ後は、不思議と笑いがこみ上げてきた。
助かった。助かったのだ。
亜子の手をとって立ち上がる。
もう一度二人で抱き合って、互いの無事を確認した。
その次の瞬間だった。
『ガチャン』
聞きなれた音が木霊して周囲の空気が一変する。
思考が交錯する。
「確かに閉めたのに。」
呟いた声は、資料室の埃にまみれて掻き消えてしまう。
「あ、」
亜子が呟く。
「鍵、壊れてた。」
酷く乾いた、生気のない呟きだった。
僅かに開いた扉の向こう側からは、既にヒトではない『何か』の手が覗き込んでいた。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: