☆猫の南風だより☆

☆猫の南風だより☆

【ネタバレ】『大丈夫であるように』感想




この映画を観る直前まで、私は、
実はなんとなく、もやもやしていた。
楽しみではあったけれども、それ以上に、何か引っかかるものがあった。
でもそれがなんなのかわからなかった。

去年(2007年)に比べて、確実に活動のスピードが落ちていること、
なかなか次の曲がリリースされないこと。
わかりやすい事実として、多分単純に、そのことが気がかりだったのだろう。


以前、『ひめゆり』を観た。
昨年の8月16日のこと。

あの日の、あの会場に広がる空気と、なぜかすごく似ていた。
私は映画館のスクリーンを前に、息を潜めながら開演を待った。

はじめに、沖縄の空気に包まれて、笑顔で子どもと会話するCoccoが映し出された。そのやりとりが、「母」である彼女を感じさせ、とても微笑ましかった。



この先は、細かいシーンごとで「あれはどうだった」「これはこうだった」という感想を持った、というより、
私は、映画が幕を閉じたあとの、
鉛のように重たくなった自分の気持ちに、戸惑いを隠せなかった。

いい衝撃を受けた。
救われた。
気分爽快になった。
生きていこう。

いつも感じる、青空を見上げて深呼吸するような、
あんな気持ちじゃなかった。

単純に、私は、Coccoちゃんのことが不安になった。
ラストで発表された一文を見て、
「えっ?」と思った人は、少なくなかったはず。


「Cocco、拒食症の治療の為、入院」


映画をずっと観ていると、その原因は火を見るより明らか。

誰かの痛みに対して、沖縄の抱える問題に対して、ジュゴンに対して、
これ以上ないくらい、不器用だけど誰よりもまっすぐに、やさしく正しく、立ち向かっていった、その結果だと思う。

こんなに立ち向かっている彼女なのに、

前回のライブツアーの最終日、
「自分の力のなさを思い知った。足りない」
といって、楽屋で泣き崩れた。

号泣する彼女の、声が、いまも耳を離れない。

あの日、
「生きろ」と叫ぶ彼女から、
生きていく勇気をもらった。
それは紛れも無い本物。
いまも心に刻まれている。

なのに、彼女の心の中には、まだまだ晴れない暗雲が立ち込めていて。
あのあと何度も、冷たくて激しい雨が降ったんだろう。

何故?
どうしてなの?
あっちゃん。
いまあなたの心の中で、何が起きているの?

何が足りないというの?

休んでいいよ、あっちゃん。
大丈夫だよ。


どうしてこうも、「痛み」に敏感なのだろう。
どうして、背負ってしまおうとするんだろう。

あんな細い体で。
まだまだ身を削ろうとする。

痛々しかった。
と同時に、ますます彼女が愛おしくなった。

抱きしめてあげたい。
一緒に声をあげて泣いて、泣いて、泣いて。
心が晴れる瞬間まで立ち会ってあげたい。

そんなことが、できたらいいのに。
そんなことが、私にできるはずもないのに。



きらきらライブツアーの中で、成長を遂げた
「バイバイパンプキンパイ」

あの唄は、
私があっちゃんに向けて唄いたい。

「さあ、いこう。」って。
「生きろ」って。


いまにも折れてしまいそうな、あなたの力になれるなら。
終わらない旅に、できることなら、私も付き合うから。


アーティストって、稀有な存在。
アーティストって、たくさん居るだろうけど、
本物はその中の本当に一握り。

彼女は紛れもなく、その本物の一人。
私はそう断言したい。

人に夢を与え、華やかな場面で軽やかに唄い、踊り、メッセージを投げかける。
でもその反動で、自分には跳ね返ってきてしまうのだろう。
いろんなものが。
いいものも、悪いものも。
そしてそれを落とし込んで、自分の力にして、そしてまた前に進んでいく。

大変な、血を吐くような、苦しい作業だと思う。
彼女は感受性が強すぎるくらいの人だから、
尚更そうなのではないだろうか。

弱いからじゃなくて、
彼女は誠実すぎるから、


いま、消化不良が起きているのではないかな。


唄=唄。

そう気付いてからのあっちゃんは、身軽になって、
打ち上げ花火のようにきらきら。
大爆走中。もう止まらない。
やんややんや~~~!!!


だったけれど、きっと、


彼女はまた、次のステージへ行こうとしてる。
身を削りながら。

「どこへ行ったら、楽になれるんだろう?」

そうインタビューで答えていた時期があった。

その場所が見つかったと思った。

「だけど満たされるとまた、自分で足りないところへ行っちゃうのね。」

とも答えていたことを思い出した。


私はついていこうと思う。
あっちゃんが唄い続けるかぎり。


子どもが生まれてから、
『もののけ姫』の見方が180度変わってしまったというエピソード。

私もまったく同じように感じた。
まさしく。

子どもを生む前は、

「全部全部ぶっ壊して、なくなっちゃえばいいのに。ハッピーエンドなんて糞食らえ!」

だったのに、いまは、

「どうか、どうか!綺麗な景色がこの先に広がっていますように」


と願うようになった。

そう、子どものために。
その瞳に、いつも、世界でいちばん美しいものが映っていてほしい。
そんなふうにいつも思っている。


あっちゃんも、お母さんなんだ。
私と同じこと、考えてるんだ。
なんか、嬉しいな。


この映画の中で、いちばんホッとする瞬間だった。


あと、泣いたのはね、

『ひめゆり』に出演されていたおばあたちの横顔が、
凛としてとっても、とっても綺麗だったこと。

ああ・・・あの唄をあっちゃんの声で、聴いたんだ。

ライブ会場であっちゃんの『お菓子と娘』を聴きながら、
おばあたち、嬉しかっただろうな。
心で、何を想っただろう。
笑っていたけれど。

それ考えたら切なくなって、私も泣いた。


いつも誰かのために。
誰かの痛みのためにあなたは唄うんだね。


哀しみはいらない
やさしい唄だけでいい。
って。

あっちゃん。
元気になって、
また唄ってほしい。

自分のこと大切にしてあげてほしい。
もう少しずる賢く、楽な道を選んで生きたって、
あっちゃんならバチあたらないよ。

あっちゃん。



あっちゃんがくれた笑顔の源は、私の宝物です。

ありがとう。

あなたが、大丈夫であるように。

私、ここで祈っています。





















© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: