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2004年08月14日
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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: カテゴリ未分類
敢えて他の方の日記に便乗したようなことを書かせて頂きたい。
(修正の繰り返しで申し訳ありません。本当に。何度もバンバン上に上がって行っちゃって、他の投稿者の皆さんに不快な思いをさせてしまっていたら本当にお詫びの申し上げようもありません・・・

一部の人間が「戦争反対」というテーマにふさわしくない日記を書いている、と言わんばかりの事を仰って居る方が居るようで、またそれに関して反論している方も何人かいらっしゃる。

誰が書いて誰が反論したかなどと具体的にリンクを貼ることまではしないが(しても良いならするけど)要するにこういうことだ。

   一部の人間は
   「戦争反対」のテーマなのに
   平和を愛する素人の
   言葉のつまらない断片を取り上げて
   自分たちの知識をひけらかし

   冷酷で常識はずれな神経でもって
   揚げ足を取る


というような感じだ。
それに対して


   自分たちと違う意見を
   ”荒らし”のように扱い
   ”戦争賛成”、”戦争が好き”
   などというレッテルを貼り
   意見を削除、閉め出すような
   一方的な言い方はいかがなものか

というわけだ。




あ~なんだか覚えがちらほらあるようなないような。と思いながら双方の主張を読ませて頂いたりしたのですが、

私の考え方としては

・この世でおそらく一番愚かなものは”思考停止”である。
・疑うことと、考える事を否定するのはカルト宗教とほぼ同じ。
・”戦争反対”という目的に至る方法が違う人間をなにも”悪者”扱いする必要はないのではないか

・知らない、を理由にするならともかく盾にして正当化するのは卑怯ではないか?知ることを拒否してるようにしか見えない。

「平和」とはそもそも何?
「戦争」とはそもそも何?

それさえ相対的であって当然ではないか?


私たち、日本の”平和”で”豊か”な暮らしというのだって多くの貧しい国を踏みつけ、その足の指を舐めさせて、時に直接間接、踏み殺すことによって成り立っているのもまた一つの事実。それを見つめるのが嫌であれば、今日から(搾取の賜物であるはずの)安い安い輸入食材を買うのは止めて、果ては電気を使うことさえも止めるか、それを受け入れて暮らすか。では皆がそうすれば南北問題と数々の紛争が解決するかというとさにあらず。

方法も結果も一つではない。様々な意見があって良いではないか。



一般に言われる、暴力は暴力の連鎖を産み、憎しみは憎しみを呼ぶ、というのだって、全く正しいだろう。

しかし、士郎正宗の漫画にもあったが

目の前で行われようとしているレイプに対しては説教ではなく力が必要なのもまた事実。人間、自分は犠牲になろうとも、自分の愛する人間を守るのに手段は選ばない。それはもう彼女が父親に犯されたり、母親が金の為に男に犯させたりした日にゃ私も”あ~俺も絶対、人殺せる・・・”と遠い目で思ったものだ。もういつでも殺せる、うん。(笑顔)


戦争を”しない”、というだけの”平和”という名の”反戦”の為に、自らの愛する者、恋人や伴侶、子供や親を失っても良い、という崇高な不感症患者の平和主義者がいらっしゃるならその方には私は何も言わない。

物事には複数の側面がある。同じ目的に対しても異なるアプローチがあろう。衝突もあって当然。物事の、一側面しか見ず、他の方向から見ることを否定しては盲目になるばかりだ。しまいには何も見えなくなり、理性を失った物事は往々にして間違っている方向に多くの愚かな力でによって歪められてしまう。

無論、もしかすると私はこうやって”一概に否定する者”を”否定”しているのかもしれない。なんだか難しいループ思考に入りそうな気もするが、私は一応、一方的な見方しかせず、他方を否定する方々を否定する”つもり”はサラサラない。しかしその盲目に否定的な意見に対して批判と議論をしたいだけであって、思考停止も、決めつけもない、ニュートラルな状態であらゆる意見に接することはできる。

何より目を背けるなど愚の骨頂だと思うわけだ。「無知の知」っていうのを意識はしているつもりで、私の言うことにも、知識にも穴は沢山あるはずだ。だからと言って私も自分の愚かさを隠すつもりはないし、理性的で筋の通った意見と新しい知識、そし議論の広い間口と寛容さえあれば、私も明日には180度意見が変わっているかもしれない。けれども、今のところ、変わる程のものがどうも、疑問を感じる先にはない、というだけだ。

なんだか思うことをつらつら脈絡なく書くとまとまりが悪い。

ごめんなさい。基本的にはやっぱり私の馬鹿丸出しな文章ですが・・・_| ̄|○

ただ、テーマという”場”というものがこういうものを受け付けない、”否定”され”抹消”されるべきものに満ちているなら、私は楽天をやめてしまうだろう。


******************************

例えば、だ。
別に逃げ道としてこういう事を言いたい訳じゃない。
もしかしたら8月6日前後に書いたかもしれない話だし(って読み返しとけよ、自分・・・)反論も当然のことあるかもしれないが、こういうこと書いてる人間であるからこそ、逆に誤解の無いように言っておきたい。

私は、戦争という行為に起きる現実は残虐で悲惨なものであると思っている。広島に生まれ育ったのであるしそれはよくよく見知っている。

愛する人間の身体が、誰だか判らぬ程、焼け焦げることも有るかもしれない。脳髄や内臓が飛び出すかもしれない。皮膚が焼けただれ、水を求めながら死ぬかもしれない。そういった状態を好む人間はあまりおるまいと思う。平和に安寧に愛する人間と人生を送ることを好むのは当然だ。

純粋に平和を想う心があっても全然構わない。むしろ私とてそういった気持はある。

しかし、そういった想いを振りかざして(もしくは実際被害者を利用して)あたかも、戦争とくれば全て”悪”で、手段として仕方なかろうと支持するお前は皆ファシスト、というような言い方に果てしない違和感を覚えるだけなのだ。

殴られれば誰だって痛いし、喧嘩などしたくない。傷つけたくもないし、増してや傷つけられたくもない。基本的には暴力反対、だ。私とてそう思う。

しかし、先ほどのレイプの話だが、”暴力反対”というのを絶対の信条(もしくは信仰)にしてしまって、自分の彼女がレイプされていようとも絶対に相手に暴力をふるわないと言う人間がいたなら私は一応、その人間の神経を疑う。しかし、私はとてもそうはしないが、その人間は好きにすれば良いと思うのだ。信条であれ、信仰であれ。

しかし、一つ言わせて欲しいだけなのだ。
もし、今や私の彼女がレイプされん、という状態に於いて、手近な棒きれをレイプ犯に振り下ろそうとする私に

”君、暴力は止めたまえ!それは悪だ、相手がどうあれ残酷な行為だ”

などと全く他人事に対して非暴力を強制しようと説く人間が居たなら、いやむしろ実力行使によって、私の暴力を止めようとするなら、私はレイプ犯の前にそいつを殴り飛ばす”権利”(笑)くらいはあると思うのだ。





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Last updated  2004年08月15日 00時09分14秒
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