umuyasuの日誌

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親父の威厳



親というものになって、そろそろ19年になろうとしている。
あんなに小さかった子供達も、いつの間にか自我を主張し始め、一番上の娘はもう数年もすれば私のもとを巣立っていくのかも知れない。
男親は、娘にはどうしても甘くなると言うが、確かにその通りである。
これは、異性だからと言うこと、つまり自分の遺伝子を持った異性であることに他ならないと思う。
自分の中の異性面が、現実として存在すること、そしてそれは自分の中の秘めたる部分の一つであることが、娘を守ろう、そして甘やかしてしまうと言う原因なのかも知れない。
特に一番上の娘は、私に性格が似ているためか(本人はそうではないと思っているだろうが)いっそうその傾向が強い。
これが、息子であるとすると、自分の表面部分と重複するところが多すぎて、排除したくなるのだろう。
ただ、下の息子は私と重なるところが少ないためか、あまり排除対象にはならない。
息子は、隔世遺伝か私の父親似なのである。

さて、表題に戻ろう。

保育所・幼稚園・小学校・中学校と育ててきて、思っていたことなのだが、最近特に思うようになったことがある。
父親の不在である。
別に母子家庭のことを言っているのではない。実際には、「いる」のだが、父親が「見えない」のだ。

昔の、高度成長期における父親は、確かに仕事一筋で家庭をなおざりにしていた。うちの父親もそうであった。日本の高度成長期を支えてきたのは、私たちの父親の世代であり、それはそれでしょうがないのだと思う。
しかし、今はどうだろう。
そんなに仕事が忙しいわけでもなく、家で何をするというわけでもないのに、子供の教育に関しては全く顔を出さない、意見も言わない父親がほとんどなのである。

私は、昔からの信念として、子供の教育は最終的に父親がきっちり責任を持つものだと思ってきた。
だから、今の父親達のずぼらさには怒りを覚えるのである。
古い考えかも知れないが、子供の人格は基礎をしっかり固めなければ、ろくなものにはならないと思ってきた。
小さいときから、馬鹿の一つ覚えのような、生半可な人権教育をするから、頭でっかちな人間になるのである。
星一徹ではないが、父親は子供に対して絶対的優位性を保ちながら、子供の人間性・人格の基礎固めをしなければならないと思う。

今のように、子供のご機嫌を取って、迎合し、タメ口を叩かせるようでは駄目なのである。

カミナリ親父と言われようが、頑固親父と言われようが、父親は一貫して子供にとっては容易に到達できない位置にいなければならないのである。

最低でも中学の範囲、出来れば高校卒業までくらいの学業に関する質問には即答できるくらいの学力は、備えるべきだと思う。
「子供の方が頭がいいから」と言う人。それはそれで良いだろう。喜ばしいことではないか。

しかし、子供を持って、育てていく以上親としての責任を感じるなら、子供に負けないくらいの勉強は必要だと思う。
子供に比べれば、20年以上長く生きているのである。勉強の仕方、こつだって子供とは比較にならないほど巧妙になっているはずである。
事実、高校や大学の教科書を見ても、今の方が良く理解できる。(ただ、加齢による物覚えの悪さは仕方がないが)

学問がどうしても駄目ならば、何かで完全な優位性を保つことが重要だ。
音楽でも、ヲタク的な趣味でも良いのだ。

父親たるもの威厳を保てなければまともな子供は育たない。


ここで、反論の大合唱が聞こえてきそうだ。
教師の子供が、警察官の子供が、あんな人格者の子供が、....あんな悪いことをしている。
あんなに厳しい親御さんの子供だったのに....あんな悪い子供になっている。

そういう話はたくさんある。
実際に、そんな話も聞いている。
ただ、それは全体数に対してどの程度の比率なのか、そしてその親は本当に子供に対して完全な優位性を持っていたのか。
それは、他人には全く分からないことである。
具体的な数字があって、それが立証されるのならともかく、統計のマジックのようなデータばかりが反乱している今の世の中では、立証することは困難だろう。

これは、私の持論である。
この先、息子や娘がどういうことになるのか、私がこの世から存在しなくなる時点までに結論が出るかどうかはわからないが、頑固親父の戯言にならないよう祈ることとしよう。

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