会社を辞めて旅に出た ~いつのまにか雲南定住~

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陸路でインドネシアへ

陸路でインドネシアへ

ウェワクのホテル マウントハーゲンの宿で会った元教師だという男が、メンディ周辺の森ではゴクラクチョウが見ることができるから案内してやる、というので彼と一緒にバスに乗りメンディまで行ってみることにした。片道3、4時間くらいかかるということだったが、マウントハーゲンを出発したバスは1時間も走らないうちにストップし、この先はバリケード封鎖され今朝も他のバスが襲撃されたので引き返すという。これもどうやら今回の選挙の影響らしい。再びバスはマウントハーゲンに戻り、支払った運賃10キナからガソリン代として2キナ差し引かれた8キナが乗客に払い戻しされた。全額払い戻しではなくガソリン代を差し引くのか、と思ったが、まあ引き返したのはバスドライバーのせいでもないから仕方ないかと諦める。今朝は朝の7時からバスを待ってようやく9時頃にバスが来て乗り、再びマウントハーゲンに戻って、そうしたらもう昼頃になってしまった。これで半日がつぶれたわけだ。道路の封鎖が解除されるのがいつになるのか分からないのでメンディ行きは諦め、またパプアニューギニアに嫌気がしたので(物価が高く、旅の最初なのに今後にも不安を感じ)、インドネシアへと移動することにした。インドネシアへ行くには、まず国境近くの町ヴァニモへ飛ばなくてはならない(ニューギニア島の東側がパプアニューギニアで西側がインドネシアとなっている)。マウントハーゲンからヴァニモへは当然のことながら道路はなく、ウェワク経由で飛行機を乗り継がねばならない。なんと不便な。そして出費も痛い。飛行機のチケット代及びインドネシアまでの旅費を準備するため銀行に行き両替することにした。宿でそう告げると、危険だから車で送り迎えしてやるから、とのこと。うーん、そんなに危険なのかな。まあ、地元の人間がそう言うのだから素直に聞いておこう。彼らの話では、銀行を出てからが危ないらしい。それからチケットの予約に行ってみると、ヴァニモまでのフライトはすでに1名オーバーの予約状況。それでもウェイティングリストに載せてもらい、明日空港に行ってみることにした。

ウェワク空港 翌日早目に空港に行ってみるとヴァニモへまでのフライトはやはり満席で、キャンセル待ちでようやく途中のウェワクまで飛ぶことが出来た。乗ったAirlinkの飛行機は13~15人乗りで(乗客の荷物重量により定員が変動する)、今日は荷物が少なかったため私が乗れたのかもしれない。空港のカウンターで名前を呼ばれたときは、思わずホッとした。ウェワクは海岸にあるため、高地のマウントハーゲンから飛行機で移動すると一気に蒸し暑くなったと感じる。本当ならこの町からパプアニューギニア有数のセピック川を遡って自然を見たいところだけれど、私一人だけだし、今後の旅の予算のことを考えて今回は見送ることにした。ウェワクには1泊だけして、また飛行機でインドネシア国境の町ヴァニモへ飛んだ。ヴァニモでは、まずインドネシアのビザ(*1)を申請しなければならないが、その日は既に受付時間が過ぎており、明日また申請することにした。宿泊したVanimo Beach Resortというホテルはマレーシア系の資本で、この周辺の森林を伐採している会社の経営らしい。この宿もそうだが、旅行者を全く見かけない。ホテルの名前からはほど遠いのが実体のようだ。フロントでインドネシアへの行き方を尋ねると、国境まで車をチャーターして200キナ(7000円弱)だという。飛行機は週に1便で、海岸沿いにボートでインドネシアへ行くことも可能だという。まずはビザを取得することが先決、その後行き方を考えればよい。

ヴァニモのマーケット ヴァニモ2日目、午前中にインドネシア領事館にビザの申請に行った。わずか1時間あまりでインドネシアビザ(*1)を取得できたのは良かったが、インドネシアには4週間の滞在しか出来ない。入国後のビザの延長も不可とのこと。大きな誤算だ。インアドネシアは訪れたい所がいろいろとあるのに、今回は駆け足で巡らねばならない。ビザの取得が意外にも早く出来たので、予定を変更して今日のうちにインドネシアへ移動することにした。ホテルをチェックアウトし歩いてバスターミナルへ行ったが、国境までのバスはないという。やはり車をチャーターするしかないらしい。次に浜辺のボートにあたってみたら300キナとのこと。通常6人乗りだけれども、他の客は早朝に既に発っているのでこの時間は私しかいなく、6人分を払わねばならないのだ。うーん、困った。明日、再度出直すか・・・。ダメもとでヒッチ(多少の金なら払うのも仕方ない)を試みることにした。道路脇に立ち、通過する車に声をかけてみる。とはいうものの車の通行自体が殆ど無く、また周囲の私に対する目も冷ややかに感じられる。しかし、そんなことを気にしてはいられない。目ぼしい車をあたって5台目、Department of Works(労働省or労働局?)と車体に書かれた政府の車がOKしてくれた。この間、炎天下で待つこと約30分(案外時間がかからなかったか)。まあ、乗せてくれる車があっただけでもラッキーだったと言えるだろう。車に乗せてもらい聞いたところでは、これから国境近くの橋を造っている工事現場にショベルカーのバッテリーを運ぶところらしい。そのついでに私を国境まで送ってくれるということだった。ラフロードを走ること約1時間で国境に到着した。彼らにお礼を言って車を降り、イミグレーションオフィスで出国・入国手続きを済ませた(*2)。パプアニューギニアには2週間ちょいしか滞在していなく、これでこの国ともお別れかと思うと寂しく思われた。今回は情報不足で思ったような行動がとれず不本意な結果となってしまったが、また今度、いつの日かパプアニューギニアの自然を満喫しに訪れたいと思ったのだった。

 インドネシア側に入国してから再び移動手段に悩まされる。国境から、町(ジャヤプラ)までさらに車で2時間ほどかかるという。そこにはイミグレーションオフィスの係官と私と乗り合いミニバス(ハイエースを改造し10数名乗客が乗れるようにしてある。インドネシアではベモと呼ばれる)のドライバーしかいない。そしてミニバスのドライバーはしきりとチャーターしないかと持ちかけてくる。まだ午後の2時だし、これからここを通過する人もいるだろう。最悪、私一人だとしても、ミニバスのドライバーは夕方には町に引き返すだろうから、その時値段交渉をするとバーゲンできるの違いない、と考えまたまた待つことに。約1時間ほどで欧米人の乗った車が通過したので彼らに事情を話し、私も運賃を負担することで乗せてもらえることができた。なんとかインドネシアのジャヤプラに着いたものの、今度はホテル探しに苦労した。安いホテルは満室で、ようやく4軒目で部屋を確保できた。チェックインをしていると、欧米人の旅行者らしき男が部屋から出てきたので、彼に声をかけてみた。彼はバリ島への飛行機キャンセル待ちのため、ここに既に10日も泊まっているという。ウェイティングリストの140番目と言っていたから、まだしばらくここにいなけらばならないことだろう。なんとも哀れである。彼もまたジャヤプラでのホテル探しには苦労し、このホテルに来るまで8軒すべて断られたと言っていた。おそらく、この町は周囲を丘と海岸に囲まれ面積が限られていて、新たにホテルを建設することが困難なのだろう。それに加えインドネシアの人口増加が、ホテル不足という状況に拍車をかけているように思われる。私が泊まったホテルには20才前後の若いインドネシア人の男女が20名ほど経理の研修のため泊り込んでいる。そして彼らの夕食時(品数の少ないビュッフェスタイル)に、彼らに紛れて夕食を頂戴できるということを、同宿のドイツ人旅行者から教えてもらった。それは結構なことではないか。夕食がタダで食べれるわけだ。その日の夕方、早速ドイツ人と一緒に食べに行った。味もまずまずで、なかなか悪くない。パプアニューギニアではまともな料理を食べていなかったので、なおさらおいしく感じられるのかもしれないが・・・。   次を読む

*1 インドネシアの場合、日本人であればノービザで60日の滞在ができるのに、パプアニューギニアからの場合は決められた入国地点以外となるのでビザの取得が必要となる。しかも滞在期間は4週間。
*2 両国間のイミグレーションオフィスは数百メートルなので簡単に歩いて行ける。



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