ぢゃんさんの部屋

ぢゃんさんの部屋

2004年09月24日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
信じることを基本とした理念が宗教。
疑うことを基本とした思念が科学。
だとしたら、どちらも神様を探し出すための手段だと思う。
どうしてボクがここにいるのかを見つける手段。
だからどちらも正しいし、どちらもまだまだ不完全。
どっちも人の手によるものだから。
神様は何でも知ってるっていうけれど、
それはきっとその瞬間瞬間におけることであって、
ずっと先の未来の隅々まで知ってるってことじゃないと思う。

常に変化してて、だからその瞬間における未来を変えることだってできるはずだ。
神様はボクの親指を作ってくれたかもしれない。
でもそこから生まれてくる文章や作品や感じることはボクが手にいれたもののはずだ。
だからボクは、いつかきっと神様と対峙しなければならない。
この世の理不尽さえも神様が作ったならば、
それは人の手によって変えなきゃいけない。
ボクは神様をあてにするのをヤメルことにします。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004年09月24日 18時25分44秒
コメント(1) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


そうですねぇ  
yuk-ud さん

その中で神の言葉として書かれているところが、ハイライトであって「人間性をおとしめる行為や、知識の蓄積は、あなたがしていることであって私のものではありません。…(略)私は今までどおり遠くから喜んだり悲しんだりして、あなたを見ていることしかできません。」みたいなことが書いてあるんです。

あと五木寛之は「道徳は社会に沿った良識的な行為で、宗教はむしろ社会的・一般的には無理な行動考え方で(右の頬を打たれたら、左の頬を出せ。みたいな)それを考えながら行動することで社会の暴力的な場面での抑止力になりえるものだ」
みたいなことを書いてたんですよね。
うろ覚えですけど。

結局人はあらゆる場面を選ぶことで生きているのであって、たとえ神様が与えてくれた場面があっても、それを選ぶかどうかはその人次第だし、神様も無理に選ばせるようなことは出来ないのかしないのか…。いずれにせよ自分で選んでいくってことしかないんですよね。あとついでに、自然科学は自然の中に神の存在を見つけるために発生した。けど今は、神と科学は正反対くらいのところにきてしまってる。これも人が選んできたこと。選ぶ基準は信念、思いつき、勘違い、、、なんでもOKなんでしょう。
しかし一世を風靡しただけあって、今の二人の本は力があるなぁと思いました。

祭りが近いっすな!また逢いませう。 (2004年09月27日 19時38分12秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ぢゃんさん

ぢゃんさん

お気に入りブログ

虫さんの言いたい放題 虫さんさん
Stay☆BASARA☆ hatoko08さん
癲狂院 delic27さん
ANNA\’S PAGE アンチャン1989さん
ぬちぐすい。 さんご.さん

コメント新着

Danieltug@ Find love ways to sales starting today <b>I realize</b> in what wa…
Kevinblill@ Статья-обзор Этот интересный отчет представляет собо…
Robertshoof@ Досуг в Петербурге Доброго времени суток! Санкт-Петербург…
MichaelGlole@ Публикация с увлекательным контентом В этой публикации мы сосредоточимся на …
турецкие сериалы на русском языке@ Турецкие хиты всё самое интересное на одном сайте Оцените лично новые турецкие драмы прям…

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: