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初マラソン'92

岐阜・揖斐川マラソン 92,11,8
これは、当時29歳の時に書いた初マラソンの時のレポートです。


ずばり、42.195kmを完走しました。タイムは4時間25分で大したことは無いけど、今はよくやったと自分に対して誇らしい気分です。
前夜は、完走なんて気持ちは全く無く、やけくそ気味に宴会で飲み、寝たのも1時過ぎと開き直っていました。(そうだったんだ。まぁ、独身だったしね。)

当日フルマラソン出場者は3~4000人。
10時半、いざスタート。
行ける所まで行こうという作戦で、前半は10kmを50分ペースで、かなり飛ばしました。スタートで先行していた人も次々と抜かし、俺もやるときはやるねえとばかりに気分良く走っていました。

15km地点で、先行していた友人を抜かし、20kmまでは順調に飛ばしていたのですが・・・。
20km過ぎ辺りから上りが多くなりスピードが落ちてきた俺は、今まで抜かしてきた人に、今度はぼちぼち抜かされ始めだした。悔しいけど足も言うことを利かなくなってきたのだ。
しかしながら、20.9kmの第1関門はかなりの余裕のタイムで通過できた。
第1目標、達成である。しかし折り返し地点辺りでは、抜かされるがままである。まぁ、良いでしょう。とにかくマイペースで行ける限り行くぞ!

やはりフルマラソンをなめていた。後続者が次々と俺を抜かしていく。25km辺りから足がつりかけ、少しも思うように走れない。給水場でスプレー湿布を塗ってもらう。少し楽になる。

32.8kmの最終関門まで、後1km。この時、俺は時間を勘違いしていて、リミットまで、後7分だと思っていた。とにかく時間内に関門までたどり着かねばと思う気持ちと、ここで時間制限にひっかかってリタイヤしたいと思う気持ちが交差する。しかし、迷う時間は無い。ここまできたら行くしかない。
何度も何度も足をつりかけながら、その度に「うぉ!」とか叫んで飛び跳ねながら、関門を目指す。

時間リミット1分前に関門を通過する。やったぞぉ。無理がたたったのか、この語すぐに首がカチカチになり、痛くて回らなくなった。脳内出血でも起こしたかと焦った。少し止まって首筋をマッサージするが、痛みとコリは無くならない。関門まで戻ってリタイヤしようかと思ったが、ここまで来たんだ。ぶっ倒れるまで走るぞと再度根性を入れ直した。
しかし、まだ次々と後続者が来る。おかしいなぁ。そうか、俺はリミット時間を30分も勘違いしており、実は後30分も余裕があったのだ。

給水所で首筋にスプレー湿布をぶっ掛けてもらう。少し痛みが無くなる。足攣りも慣れてきたのか、頻度が減ってきた。35km付近で、「ここまで来た自分を信じろ」の看板を目にしたときは、ぐっと込み上げるものがあった。記録はさておき、ここまで頑張ってきている自分に対し、本当に涙が出そうだった。

そしてラスト5km。もうタイム的には歩いても充分リミットに間に合う時間になった。しかし歩くな走ろうと体に鞭打ち、攣り掛けては足をほぐし、できる限り走ろうと頑張りました。

そして、5時間もの長い間、たくさんの地元の人が応援してくれました。そして、たくさんのボランティアの人が、給水所、コース等で励ましてくれました。本当にありがとうございました。走ってみて判った事は、マラソンはトップを競っている人だけが凄いのではない。タイムの遅い人だって、必死になって走っているのだということを。

そして、最後の1km。もう歩くまい。そしてゴール。にっこり笑ってゴールしました。やったぞぉー。

翌年1993年の揖斐川マラソンでは、4時間1分。
そして1994年の静岡の掛川マラソンでは、4時間14分。
そして、4時間を切るという夢が生まれました。って、最近このレポートを目にするまで、自分のベストは5時間1分と大いに勘違いしてたけど・笑。


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