聖書的童話超大作 「SOUL LINK」



<序章>

 作・ 東板  前二
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

静かな…。

とても静かな場所じゃ

そして静かな“時”…。

そうじゃろう…。

こんな“時”も…。
いつの時代でも
人は自分でなんとか作り出せるものじゃ
いつも気ぜわしく
あわただしく
忙しいふりなどせんでも良い…。

人にとって
呼吸するように
飯を食うように
恋をするように
こんな“時”は…
生きるために…。
とても大切な時間なんじゃからな…。

今、おぬしはそこにおるのかな…。

正直に答えるが良い…。

「…。」

それならば良い。

それならば儂も語り始めよう。

とても大切な物語を…。
人にとって
この世に生きる者達
すべてにとって大切な物語を…

「儂が何者か?」などと尋ねる必要は今のところはない。
そんなことはこの今のこの“神聖なる時”の中では
些事にすぎぬからのう。

そう、今は“神聖なる時…”。

人の心の海がどこまでも澄んで
どこまで深く潜ろうとも
どこまで泳ぎ続けようとも
けして苦しくなどはなり得ぬ
“神聖なる時…”。

そう、人の心は海に…、
空に…、
星の輝く宇宙に…、
繋がっている。

すべての人の心も、
この世の生きとし生ける者達…
すべての心がそれらに繋がっているように

人もすべての者達も実は、皆、“孤独”ではない。
そう感じているときは、皆、見失っておるだけなのじゃよ
自分も…
自分自身の本当に大切な人も…

なにも恥ずかしがる事はない
人の短く…そして長い人生の航海の中では
そんな日々があることも儂はとても良く知っておる
あるいは儂ほどに知っておる者も
この宇宙にはおらんかもしれん…。


なんといっても“50億の年月”…。
その数え切れぬ「孤独な時」の中で儂は
彷徨い続けたからのだからのう…。

しかし、“真実”は先ほど言った事に他ならぬ
人の心は繋がっておる…。

しかし、今、儂は声を大にして言える。

こんな神聖なる時じゃからかもしれん、
そう儂は、多くの人生も、
多くの生き物の一生も…
それらの中で、多くの物語を体験したからじゃ。

それぞれの生で、儂の名は異なった。
姿…形も…、声も…、体臭も…。
しかし、如何なる時でも、場所でも、社会でも、
儂の“本質”は変わらなかった。

“本質”…。
いや…。
“魂”という言葉の方がふさわしいかのう…。

そして、いかなる時代でも不思議と
三人の大切な仲間が儂を助けてくれた。

勿論、
その時、その時代、
その時の社会で、
姿形も、皆違ったが…。
“魂”は同じじゃった…。

今だから言える。

彼らが、儂にとっての「SOULMATE」
“魂の親友”なんじゃと…。


だから、今だから儂は言える

人は何度、生まれ変わっても
縁のある人とは何度も友人になるのだと…。


例えばある時代では親友として

例えばある所では兄妹として

例えばある国では恋人として

例えばある世界では夫婦として

例えばある時では親子として

例えば、こんな時代ではメル友として…。


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