うきよの月 0
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しかしその手記の中に一つも、今の国家の前途を憂い、世界の不安状態を感じて一喜一憂するというものはなく、いわんや国内の政治については一切無関心――で自分達の少しでも満ち足りる生活が政治と直結しているということさえ考えない。自分の家のこと以外には社会と絶縁しているような感情より示されていない、が――ただ一つこういうのがあつた。 原子爆弾の落された時よりも、日本が敗れた時よりも、痛切に骨身にこたえたのは生後まもないわが子の死だつた。このワタシにもまして、意味のない戦いに大切な息子たちを取られた親たちの気持はどんなだつたろう。私達はつくづく戦争を避けたいと思う――。 これが七十編ほどの中の唯一の戦争反対の意見――しかも六ヶ月の嬰児に死なれてからの意見だつた。女性はどうしても自分のそうした悲しみからでなければ、そこへ行かないものであろうか。 『白いハンカチ』の中に収録されたエッセイ。 で、これは「昭和廿七年の週間(ママ)朝日の四月六日号に書いたものだつた――」とあり、「その十年も経ぬうちに、(投書夫人)という名称を生んだほど、主婦という肩書きを付けた方かちの投書ブームがきた」と、様々な話題に広がった女性のあり方を喜んではいるんですが。 よく思うんですが。 このひとは自分を「世の女性」のカテゴリに入れてないんじゃねえかと。 何か2ちゃん見ると色々言われているけど、名誉アーリア人、名誉白人の意味での「名誉」男性の視点でこのひとは女性を見ている気がして仕方がない。 いや、はっきり言えば、男の視点で女を見ている様な気がして仕方ないのですよ。 で、このひとはよく「女性の立場で」小説を書いてきたといってます。 けど現実の女性を本当に好きだったのかというと、正直怪しい。 「理想の女性」的なキャラをよく書くけど、明らかに浮世離れしたひと達ばかりなんだよな。 特に前から書いてる「生物的欲求」という点ではね、 ちなみに同じ『白いハンカチ』に、長塚節のことを語っている文章があるんですが、吉屋信子はこのひとの生き方「思うに童貞の生涯を終つたのであろう。」と気に入っている模様。 何でも田舎嫌いの女性に縁談を断られた、というエピをまず載せ、 だが、そのせいで長塚節は、自ら栽培の竹林の竹のように、青々とすがすがしい童貞の一生を送つた――彼の短生涯の仕事のすべては、その書簡集まで入れてただ六冊の小じんまりとした全集に納まつている。書翰集だけで二冊を占めている。思うに童貞というものは、友に多くの手紙を送るものである。 うわははは。 そんで、 女性についての濃やかな感情と敏感さは、童貞ゆえにさらに豊富で、しかもけがれなく純だつた。 その意味で、この人は過去の文壇中、唯一のFeministであつたとも言える。しかも、それがいかにも日本人らしいやり方、感じ方においてである。 ……やっぱり同意できませんwww
2019.02.20
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「左様です、自分の愛する子のために一身を犠牲にするほどの強い母の愛情、それが婦人にとつて何よりも立派なものではありませんか――」「まあ、自分の子を烈しく愛すことが立派なんでございますつて、そんなことは、犬だつて猫だつて持つてゐる、動物本能の利己主義の現れぢやありませんの。そんなことが何故そんなに高く評価されますの?」(……)「もし母性愛といふものを貴く認めて行きたいなら、その血肉の本能愛に閉ぢ込められ過ぎる利己主義から解放された新な広い(母性愛)でなければいけないと存じますわ。」(……)「それは、自分の子であらうとなからうと、自分達人類の後継者としての幼い者達への深い愛情の心づかひでございます。その愛の感情こそ、ただ万物の霊長たる人間のみ持ち得る洗練された母性愛なのでございませう。」「ふーむ、するとあなたはかうおつしやるのですな、つまり自分の腹を痛めた子であるないにかかはらず、第二の国民たる子供、我々の後継者には、すべて母性愛的愛情をそそいでやるべきだと――」 「彼女の道」。引用は『吉屋信子全集』新潮社刊昭和10年7月のものから。 この昭和10年の全集ってのは非常に当時として「全集」していて楽しいです。装丁ファンではないワタシでも「あー凝ってるなあ」と思える程度に。 この話は洋行帰りのインテリ女性が鉱山主の後妻に入って、そこで夫に幻滅したり夫の娘達と仲良くなったりそうでなかったり、鉱山事故が起こったり、まあ波瀾万丈の上、「全て失ったけど家族が残って幸せ」話です。 まあそう書いてしまうと普通にメロドラマなんですが。 この話ではそもそもヒロイン潮さんの結婚するきっかけが彼女の提唱する「母性愛」なんですね。 まあはっきり言えば吉屋信子の母性愛観です。 正直、一般女性に受け入れられるとはwww で。22年後も同じことをこれでもかと言います。 吉田茂と対談したことがあってですねえ…… この中でまあちょろっと、「軍隊にはそれなりの覚悟がある兵士でないとつとまらない」的な発言をした訳ですよ。その時に母親も「子供を喜んで送り出してやるような」心構え、という意味ですね。そのくらいでないと国防はできねえぞ、という流れのはずなんですが。 朝日新聞wwwが、「天声人語」で「一主婦」の投書として、彼女の発言一つを拾って非難するということやったんですよ。 ホントにそういう投書した「一主婦」が居たかどうかは判りません。まあ今となっては「捏造じゃねえのー」と言いたくなりますが。 ですが当時ですし、再軍備の件でぴりぴりしていた頃だし、ということで「吉屋信子の本不買運動」を和歌山の婦人会有志が起こしちゃったんですねー。 で、朝日では投書の形、毎日にはコラム欄とって言い返しました。流れの中の一つを取って弾劾するのはどうよ、という内容です。 ただ吉屋信子、ここで言わなくていいこと言ってしまうんですよ。 世の母親達の神経に障るようなこと。 (……)私はむしろ母の心を重んじたから、その母の心が動かない以上、精神のある軍隊は出来ないと断言したまでである。 またこの一主婦は子を持たぬ女は、人の子など何も思わぬと考えておられるようだが、それはあの座談会の言葉を読みちがえていられる以上に狭隘な解釈である。 広義の母性愛とは、人類愛に根ざした深く高いもの、それは女性の心の底にたれも持っているものだと思う。(……)社会には昔から今に至るまで、実の子は愛 しても生さぬ仲の子を愛し得ぬ家庭悲劇が跡を絶たぬ。あまりに狭隘な母性愛が、そういう悲劇を生ずるのではなかろうか。もうそろそろ近代の日本の女性はわ が子だけを愛する母性愛よりも、もう一つの人類愛に通う母性愛のあることを知っていい時だと私は思う。「母性愛とは あなたがたは誤解している」(『毎日新聞』昭和28年2月14日) 無論更に「どうよ?」という投書がまた読売でこんなのが。 (……)母性愛とはそんなありふれたものでしょうか。 ▽子をもってこそはじめてわが子の可愛さがわかり、ひいてはそれが大きな人間愛にまで発展するのだと思います。吉屋さんはわが子だけを愛すのはせまい考えで、もうひとつの大きな人類愛に通う母性愛のある事を知ってほしいと強調、いえ、強要しておりました。どんな大きなことにもその元は小さく、それが発展してはじめて立派なものが出来上がるというのに。――子を持たぬ人になんで真の母性愛がわかるでしょうか。真正面からそのような理論だけを強要するのは、やはり実情に会わぬのそしりをまぬがれないでしょう。(横浜市・朝子)(『読売新聞』昭和28年2月19日) だからこのひとは、体感できる「母性愛」を否定したいがために、理論武装しているように見えるんですね。 別に「子供を生まないから皆のような母性愛はわからない、だが自分はこういう人類愛も知っている」くらいにしておけば、バッシングもなかったんでしょうが。 結局これは『改造』誌上で「日本はどこへ行く」という文章で吐き捨てて勝負を投げる感じになります。 ちなみに、このひとが この「母性愛」に「気付いた」のはパリでのようです。(……)又憎まれ口を利くやうだけど日本みたいに七人も八人も一人の母さんが子供を連れてゐるやうであつたら、こんな場合背中の赤ん坊はおされてヒーヒー泣き叫び左右の手にぶらさがつて居る子供はわんわんわめき、気の荒い職人風の男は「おい、やかましいぞッ、泣かねい子と取り替へて来いよ」なぞ人の母の心も知らで一杯機嫌で叫ぶであらう――しかし巴里には又仰山に言へば私の廻つて来た世界の国では支那を除く他、そんなに子供が大人の感情に険しく扱はれる場合は夢にもなかつた。子供を連れた母親がそんな行列の中で一寸子供を扱ひかねて居る場合なぞには、その側に居る紳士か或は子供を連れぬ女性は直ぐ手を貸し、その母親を助ける、誰でも子供のわきに立つ者はその子の保護者になつてやる、どこの誰の子か見知らぬ幼児に対して大人は常に到る処で保護者となるのだ、もうさういふ光景を見るとまつたく子供は社会人類の共有物の感じだ、社会人全体が母性愛を持つて居るのだ、日本で盛んにひと頃宣伝されたあの利己主義的な島国根性な自分の子供だけむやみと愛して母を犠牲にするやうなケチ臭い母性愛とは品と質がちがふやうである、この様に社会人に愛されて育つ子はやがて己れの社会の一員であることを自覚し社会に役立つ者とならう、子供が単に父母にのみ属してゐる時、彼は家名をあげ孝行をすること位までは考へても他人の為や世の為なんて愛情の意識はゼロとなり果て、冷たい冷たい利己主義家族主義のうき世が生じる所以――「巴里の子供」(『異国点景』民友社 昭和5年6月) だーかーらーこの時期の吉屋信子の散文は(りゃ たぶんこれで子供を持たない~以前に結婚する気も男とつき合う気も無い自分の「言い訳が立った」んではないか、とワタシは思う訳です。 しかし、彼女の周囲にはそんなに「あの利己主義的な島国根性な自分の子供だけむやみと愛して母を犠牲にするやうなケチ臭い母性愛」しか見当たらなかったんですかねえ。「冷たい冷たい利己主義家族主義」って。
2019.02.20
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私が今日月亭先生へのささやかな贈物として店の商品の苺を三箱持参したのは、さっき玄関の上り口にそのまままだ置いてあるはずだ。座敷の方にすでに句会が始まる気配に私は気がせいていた。いずれ帰りぎわに先生にそっと目立ぬように差し出すつもりだった……が、いまお盆の上の大鉢に盛りこぼれるような苺を眺めると私は大きなショックを受けた。これだけ豪勢な苺が用意されてあったからには、もう私のあの小箱にひとならびずつの僅少な苺なぞとても、とてもはずかしくていまさら先生の前へなぞ差し出されるしろものではなかった。 「春の雪」。 吉屋信子の、今のところ確認されている「最後の」短篇。 『オール讀物』昭和39年3月号掲載。単行本未収録作品です。 「私」は俳句が趣味の八百屋の奥さん。 この苺を持ってきた人が、「緋紗女」夫人。苺は「うちの農園の」ということ。この緋紗女さんの車が、「私」の道中、撥ねを飛ばしてるんです。 「私」は結局自分の苺は持ち帰ってしまうんだな。 ついに歳時記といっしょに風呂敷に押しかくすようにひっくるんでせかせかと飛び出すようにした。 で、帰り、緋紗女さんの車に送られてく人を「私」は「卑屈なひとの根性、わたし大嫌いだ」とバスに乗ってきます。ところが先に出たはずのバスが、停留所で止まったりするうちに抜かされて。 それが五月晴れの頃。だけどそれ以来「私」は句会に行かなくなってしまって。三月に再び出た時に、春の雪でまた撥ねが……と思っている矢先に緋紗女さんの車に誘われるんですな。 で、根はいいひとだったのかな、と思いつつ、「どうぞおかまいなく――もうじきですから」 私はそっけなく言ってしまった。夫人の顔が気のせいかしょげた表情だった。「いいきび」と意地悪な私だった。 ところがその後。なかなか緋紗女さん来ない。「さっきか来る途中の道でお会いしたんですよ。車止めて私をひろってやるっておっしゃるのに遠慮しましたけれど、まだお見えにならないなんて――そんなはず……」 襖が激しく開いてせかせかと先生が戻って来られるなり突立ったまま、せき込んだ声で、「みなさん! 緋紗女さんが亡くなったといまお宅から電話で……句会に出ると玄関へ降りた時倒れてそのまま……狭心症の発作だそうです」「あら!」「えっ」「まあ!」みんな一言ずつ叫んだままあとの言葉も出なかった。「だって――先生、ふく女さんはさっき途中で緋紗女さんが車で……」 徳女さんが声をふるわした時、私はめまいがしてうつ伏せになって気が遠くなった。その私の耳には、玄関のあたりから緋紗女さんの声が聞えた。「遅くなりまして……」 あのひとを怨んだり憎んだり気にした私をあの車で冥土か冥府へいっしょに連れて行くつもりだったのかしら? 私は身体中の血が冷えた……春の雪はまだ戸外に降りつついている……。といきなり怪談展開ですよ! 実は今回読み返すまで、後悔した話だと勘違いしてましたわー。 この「めまいがして……」で「私」=ふく女も死んだのかもしれない、という感じまで持ってこさせてぞっとするざんす。 怪談としてはシンブルだけどいいと思うんですが、「未収録」もの。 吉屋信子には結構この「未収録短篇」がありまして、ちょいと勿体ない。 事件性ありそうな話が結構カットされていますんでね。詐欺関係とか、赤ん坊譲渡とか、殺しとか。 またそういうのも取り上げてみたいです。はい。 ただそういう短篇はヲチ的にちっと食い足りないwww
2019.02.20
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知事の美濃部庸が其日ことに早くレコードを破つて知事室の扉を閉めて、いちはやく県庁の玄関先へ出たのには、理由があつた。 庸は長州藩の城下の出身である。美濃部の家は毛利藩の貧しい足軽に過ぎなかつた。けれども息子の庸は幼い頃から才智が人に優れて居た。そしてその美貌は又鳶が鷹を生んだやうに人に噂された、萩の学塾明倫館に年若くて通ふ頃は、第一位の美少年として堂塾の不良青年達に追ひ回されてゐた。 その不良青年の名かに、鳴尾大次郎とふ荒くれ者が居た。深くも庸の美貌を愛した。彼は他の競争に大して、彼の唯一の武器の腕力を以て対抗した。 鷲につかまれた小雀の庸は、かくて逃れる術もなかつた。(……) その鳴尾少将が、今日東北へ軍務を帯びてのたびの帰りを、この地へも立寄るのである。 さればこそ、嘗て、そのかみの日の紅顔の美少年の稚児さん、今は良二千石の美濃部庸は鳴尾少将を迎へようとして、急いでその日県庁を出たのである。 籐の洋杖によ象牙の犬の首を握つて振りながら紺無地のセルのモーニング三つ揃つたのを、品好く背高い身体に着こなしてキツトの編上靴を軽く鳴らして今し県庁の門を出る美濃部庸の姿は、まことに立派な紳士のスタイルである。昔を忍ばしむる美しい顔、眉が濃くて秀でゝしかも女の如く優しみを帯びてゐる眼元は歌舞伎俳優の女形にも見られないやうな潤ひのある、憎らしいほど美しい、といふよりは、むしろ、仇つぽいといふ綺麗な眼差しである。すつきりと通つた鼻梁、ひき締まつてふつくりとした紅い唇、その上にやゝ薄い短い髭、それが玉に疵さと濃い有髯の理事官達が陰口を利くけれど、それは男性も有する嫉妬の余憤に過ぎないので、その薄い仄な夢見るやうなもの柔か口髭がまたなくその面の美しさに気品を添へてもゐるのである。とまれ知事美濃部庸は麗しい容姿として県内に名を響かせた、(……) ……ちなみにこれは主人公兄妹の父親の描写どすwww あ く ま で お父さんです。 そんでもってこの県知事さんは収賄の罪で捕まって物語の真ん中辺りで自殺します。 ……正直美貌と何の関係もなさげです。 まあこういう美貌のおとーさまが居たからこそ、ヒロイン満智子さんの美貌が冴えるんですがね。 という訳で「海の極みまで」なんですが。 これはデビュー作「地の果まで」の次に朝日新聞で連載した小説です。 ただしこの後、吉屋信子が朝日新聞に書くのは「徳川」まで無いんですが。 おはなしはこの美濃部さんちの兄妹と書生、鳴尾さんちの娘、美濃部夫人の初恋の人の娘である鳴尾さんちの家庭教師の青春群像が基本。 で、一番印象的! とまず思われるだろうヒロインA満智子さん。 ただ男を見る目が無く、柿島っーまあ外面のいい男が好き。でもって関係持って妊娠しちまう。 んで、父親失脚の後捨てられて子供を堕胎。この「堕胎」が朝日にその後載らなかったんじゃないかー、という論文もありやしたな。当時は堕胎は犯罪でしたから。優生保護みたいのもなかったし。 ところでこのひと、失脚して官舎を出て小さなおうちに引っ越す際、グランドビアノを斧でぶちこわすんですな。いやそこは売って足しにしろよ、と思うのはワシが凡人だからかwww でもまあスカっとはしますわな。 その満智子さんを好きだったのが書生の森。医者志望。で、堕胎の片棒かつがされて、満智子さんに失望。毒婦とか何とかつぶやいてますよ。 ちなみに満智子さんは母方の叔父の紹介の金持ちユダヤ商人と(たぶん)期間限定現地妻契約をして、皆の前から消息を絶ちまして、北海道へ。 そこで商人と離れて(これはただ単に居なかったのか、完全に切れたのかは不明)与えられた邸と牧場を自分で経営していくんですな。この辺り楽しい。 ここでアイヌの少女が出てくるのが、戦後まず出されなかった理由かなー。 ワタシが現在見ているのは新潮社の「円本」ですが(これが「地の果まで」も一緒に入っていて、結構古書で流通していて安いのでありがたい。ちなみにワタシは800円で買った)、戦前はこの後『吉屋信子全集』にも入っているんですね。だけど戦後はほんっとうに近年になって、しかも学術系の書店からしか出てない。やっぱりそりゃアイヌのことがあるかなー。ほら、書き方が当時の「いかにも」だし。 でもこのアイヌの野性味あふれる少女は、かなり印象的ざんす。……頭悪そうだけど…… 頭悪そうに書かれているからやばいんだろーなー。 で、しばらく故郷に音沙汰しなかった満智子さんも、だんだん故郷の人々とお手紙交わしてったのだけど、柿島が鳴尾の娘靖子さんと結婚していることを知るんですな。 で、兄とか色々な人々呼び出しまして。 そこで満智子さんは柿島を殺して自分も死のうと…… というか、元々毒を飲んだ後に、柿島に「呑め」と迫って、逃げられると今度はアイヌ少女が竹槍もって追って行き……となり。 最終的にはアイヌ少女は間違って竹槍突き刺してしまった牛に突き飛ばされ、満智子さんは角で刺されて死ぬんですな。……かなしひ。 ただこの時の満智子さんの台詞は好きだわ。「……兄さん、……泣いちやいや、誰も泣かないで……私はしたいことをして生きてきました……もう生きるのにも飽きました……」 ちなみに出奔する時の置き手紙もふるってる。 私は「自由」を戴きます。 同時にすべての「責任」を一生持つて終ります。 満智子さんの話は、一本筋が通っていて読みやすく、いいよなーと思う訳です。 北海道でまあ、牧場経営も自分でやりだしたら色々調べたり、とかそういうとこはいいよなー。 「真珠夫人」が「瑠璃子」っていう「外面的に煌々しい」名前であるのに対し、このひとが「智が満ちている子」っていうのが実に吉屋信子らしいっていうか。 だけど「だからこそ」死なないといけないキャラって感じでしたなあ。 という訳で、これは好い方。 次回は「あかん!!」「何じゃこいつら」「……殴りてえ……」ツッコミの方、亘と環のことどす。** 本願寺へも行つた、田舎から上方見物らしい老人夫婦が、ありがたさうに本堂で礼拝して居るのを見て変な感じがした――青年達はどうしていゝのか、まごついて紅くなつた。寺院建築の用材を運ぶために女の信者の群が自分達の黒髪を断ち切って集めて綱にして献げたといふ髪の毛の太い綱のとぐろを巻いたやうに薄気味悪く置いてあるのを見て、黒髪の綱といふローマンチックな感じよりは、むしろ東洋風の濁つた陰惨な感じがした。風雨に曝されて赭ちやけたその太い毛綱を見ると亘は恐ろしかつた。 綺麗なところはこれでもかとばかりに持ち上げるんだけど、その一方で、汚い(と登場人物もしくは作者が判断した)ものにはまた思いっきり下げる描写をする―― のが吉屋信子の特長の一つです。 無意識かどうかは判らないんですが、大概それは吉屋信子的主張を代弁させてしまう様なキャラに多いやうなwww で、今回はそういう二人。 頭でっかちの亘くんと環さん。 亘くんはヒロインの一人満智子さんのにーちゃん。理想主義っーより、今の感覚で言うと「お前暇過ぎて病んでねえか」という奴。 ナポレオンは嫌いだ、「むつゝりして」鳴尾少将に言ったあと、「自分に何が出来ると思つてゐるんかね」と問われたあとの台詞。「わからないんです、僕は今少し静かに考へて見たいんです。第一僕には――この頃自身の存在の価値が不可解なんです、僕は今まづ第一に僕自身の何が故に貴いかを認め得なければ前途は定められないんです。僕はこの頃暗い暗い懐疑で一杯です。人生を否定し人間を否定し、自分自身を否定してゐるんです。その迷える羊のやうな僕を鞭打つは実に残酷です。曰く成功、曰く名誉、曰く富、――僕はたゞその鞭に打たれて血を吐いてのたうちまはるのみです、僕は、僕は今あらゆる物を離れて真に孤独になつて考へたい――。」 無論これだと、鳴尾少将は一笑に付します。 ワタシも「けっ」と思いますwww いや別にいいんですよ、大正時代の高等学校生っちゅー位置にあるんですすから、悩める特権階級なのですから。 単にワタシが「けっ」と思うぶんですから。「自分は人と違う」病だねえと。 で、冒頭の部分なのですが、そんな高等学校の仲間(亘くん的には果たして友達と思っているか……)と関西へ旅行に行ったときの描写。 この後宝塚へ行くんですが、まだ宝塚も駆け出しな頃ですな。 汚い調子の低い俗な感じのする建物の中に、たくさんの人々の礼儀の無い不快な雑音の中で折から開園されて居た少女歌劇を見た。「アレは某だ。」「あれは一番有名な某だ。」 などゝ友達は興味を持つて見て居たが、亘には不愉快なものだつた。 其処には亘の女性に求めている何ものゝ形も与えられなかつた。 亘は耐へかねて、外へ出た、しかし外にも俗な商店がならんでゐた――毒々しい紅色を塗つた下等の日本製のセルロイドの玩具を見るやうな気がして寂しかつた。 で、結局友達と別れて大阪へ戻るんですが。大阪市街の灯は「とろんとして何処か灯影の重く粘つた古い伝統的な街の灯を見ると、亘も惹きつけられた」わけです。 まあ「地の果まで」の麟一くんと近いのですが、もっと刺々しいにーちゃんですね。 当人の環さんに告げる自分評。「……さうです、さうです、僕はまつたく狂的にあらゆるものに反感を持つ悪癖があるんです、そして自分自身が常に重苦しい不平感に責められて居ないと安心が出来ない程変なんです。そしてたゞ徒に悲憤の口吻をもらすだけで、自分自身を鞭打つことはし得ないのです――要するに僕は弱者です、弱者のたは言を言つて、僅に自らを慰める低能児です。」 判ってると言いつつ現実と向き合おうとしないと。とりあえず自分を責めて満足してると。現代でも居ますねー。ありがとうございます。何せ「強く暖かな女性の手によつて救つて貰いたかつた」んですから。 まあ、亘くんのおかーさんが彼を甘やかしすぎた、というおとーさんの主張はあながち間違ってません。ちなみに満智子さんはおかーさんには割と放っておかれて、おとーさんの方が可愛がってます。 しかしこのおかーさんはそれでは「強く暖かな女性」ではないということになりますが。やっぱり甘やかし方が問題があったんではwww で、環さんは亘が惹かれる女性だけあって、まあ質素で爽やかで頭が良くて静かで清純って感じの人ですが。「気高い」という表現も出てきちゃったりします。「いゝえ、神様は女性をけつして男子の奴隷として生命をお与え下さつたのではありません、女性は男性の遺伝的に粗野な霊魂を救ひ導いて、彼等が踏みはづしたがる道徳の行路の先導者となる聖い使命を持つて地に生れ出てだのです――ベリース先生は私の子供の頃からかうお教へになりましたの――私は先生のお言葉を信じ度うございます。そして自分をさうした貴い使命を帯びる資格を備へた者になり度いと祈つて居りますの……。」 たぶん同類です。 で、亘くんはこの後のおとーさんの収賄・自殺によって現実に直面せざるを得なかったことで、多少現実的に成長していきました。たぶん。 いや描写が一気に減るんですよwww ここからは満智子さんの「兄」としての役割が大きくなっていって、「悩める青年」をクローズアップすることが減ります。つか学費に困る事態に陥った時にゃさすがに目覚めるだろ。 一方環さんは基本的に変わりません。 ただ家庭教師を辞める羽目になる時、同僚である小間使いのおふさちゃんとのことでこのひとの限界が見えます。 おふさちゃんは鳴尾さんとこで奉公していたんですが、セクハラに悩まされていたので、環さんが親身になってた子です。 ところが彼女が邸を辞めた後、深川に戻ったら、親戚に売られてしまいます。 そんな事情を知らなかった環さんが深川を訪ねる描写。 深川といふところは、たゞ環が想像したのでは、美しい夢の残された破片のやうに、ほろび行く江戸趣味の生活の面影を持つ処とのみ思はれてゐたのである。(……) けれども、その日環の双の瞳に映じた深川はその美しい想像をすつかり破つてしまつた。勿論環の歩いて行く目当が悪いのである。場末の裏町である。 藁屑や木片が路傍に散らかつてゐる、白い埃がぱつぱつと立つ、ごとごとと荷車が通る、小さい鍛冶屋の暗い店、計り売りの炭屋、駄菓子屋、半分こはれたやうな煙突を型ばかりにつけた汚らしい銭湯、十古銭均一の洋食屋の汚い暖簾に染めた大正バアの布端を初冬の風がばたばたとひるがへす。飴屋の唄ふ八木節と太鼓の音に誘はれて、泥沼から引摺り出して天日に曝して乾つけたやうな子供の群がうろうろと――環の眼の前を過ぎた。 「どん底」とは、ひとりロシアの小説にばかりあるのでは無く、東海のさくら咲く島の眼の前の隅々に黒いしみを残して点々とあるもの――環はしみじみうら悲しく寂しい気持ちに沈んだ。 何つか、そういう「場末」での人間の営みそのものを汚らしい、とばかりに否定する様な描写ですな。 想像と違ったから余計に失望して…… は、まあ、吉屋信子にはいい例がありましたが…… また今度。 ともかく下げまくるんですよ。「汚い」と思った箇所は。そしてそれは大概「なまなましく生きてる」人々なんですね。 途中で道を訊いたおかみさんは「よごれたネルの前掛で濡手をふきながら」、教えてくれて、目的の場所に立ったのだけど。 「割れ目を紙で張り止めた硝子戸を閉めた、みすぼらしい理髪店」で、おふさの伯母は「じろじろと環の風采を頭の上から足の先まで見おろした卑しい顔の女房風の者」で、「意地悪さう」だったりします。 で、引き取りたいと言った時におふさから既に処女でないことを聞く、と。 ここで環さん、失望しておふさちゃんを連れて来ないんですね。「いゝえ、先生、おふささんの死は精神的にです、私はだから、よけい悲しくて仕方がありません」(……)「先生、おふささんは、もう……この清い先生のホームに入つて勉強し神にに仕へる資格のない女性になつてしまつたのです。」(……)「先生、おふささんはもう聖い処女ではありません」(……)「(……)それでお邸からさがると毎日家で攻責めいて、自分の食料位は毎月稼げといぢめるのです、そして、あの気の弱いおふささんをとうとう再び浮かぶことの出来ない邪路へ落とし入れて、処女の生命をうばつてしまつたのです――もう、さうなつては、先生、あの人をこのホームへ救うことは出来ません、又当人も忍べぬことでせうから、私すごすご一人で泣きながら帰つてまゐりました。」(……)「……でも、もうおふささんは汚れた女ですわ」 環はやや不平らしく、つぶやいた。 そしたら女宣教師ベリース先生、怒る怒る。「さういふ立場に落ちたひとこそ、一日も早く私のホームへ」と必死で言う訳です。だけど環さん、まだ「でも先生、……処女ではもう無い人を……」とまだ不平そう。 ベリース先生は肉体でなくハートだ、自分に置き換えて考えてみろ、と環さんに説きます。 そこまで言ってよーやく環さんは「私が悪うございました」となり、「明日にでも」連れてくると約束するんですが。 おふさちゃんは既に川に飛び込んで死んでました。 やれやれ。 誰のせいですか。 で、この二人ですが。 亘くんは環さんが好きです。満智子さんも、元婚約者の靖子さんも、彼女に亘とくっついて欲しいと勧めます。ですがこのひとは「一生を同性救済に捧げてしまいたい」「一生を処女のまゝ捧げて世を去りたい」おふさへの「お詫びに一生独身でおふささん同様の不幸な立場に泣き虐げられる女性のために身を捧げて神の助けを祈りつゝ働かうと決心して誓ひを立てましたの」と拒否。 ついでに言うと、家を出る直前の満智子さんは、この時既に堕胎していて、自分はもうどうなってもいい、まあでも兄は、家族は、という感じだったんですが、環さんはそんな満智子さんを「荒んだ、汚れた、恐ろしい……」「毒草の花」って思ってしまうんですね。 ワタシからすると、満智子さんのひたすら現実と向き合ってあがいている姿勢の方がよっぽど好きなのですがねえ。 で、満智子さん失踪、数年後、北海道で再会するんですが、亘くんはまあおにーさんらしい言葉を云います。相変わらず真面目ですが、妹に対する愛情はよく判ります。 だけど環さんの描写が一箇所だけ。 環は少し気味悪さうにして、そうつとおづおづ自分の手をさしのべた。 環さんはその後の騒動には全く出てきません。モブの一人として引っ込んでます。 で、エピローグはベリース先生と本国へ渡る環さん。修道女になるということで。 で、成長した亘くんに対して「それでこそ私が幾年もの間貴方のために日毎に泣いて祈りを捧げた甲斐がありましたの――私、感謝いたします……四年前のあの亘様を、あのやうに様々の苦しき試練の火の中より、遂に今日のやうな亘様に鍛へ上げられた神の深い御恩寵を……私……感謝いたします……」 祈ってただけですか。 ということで環さんは「変わらない女」なんですね。 ワタシは亘くんの「救って欲しい」は作者の気持ちで、環さんは「作者の建前もしくは主張」だと思ってます。 でもその「建前もしくは主張」ってのは、「変わらない」ことなんですよねー。 環さんは何だかんだ言って、「処女でない人」=「可哀想な人」と思っている。だから「救いたい」。あくまで上から目線で、「自分は違う」。だから「一生処女」。 で、亘に関してはあくまで「祈り」、彼の努力とかは評価せず、あくまで「神のおかげ」になる。 という訳で、この話の中のヒロインBであるはずの環さんですが、一番嫌いなキャラです。うわはははは。 亘くんも嫌いな方ですが、最終的には妹のことを心配できる程の成長したんでよし。
2019.02.20
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「えゝ、叔父さん、どうせ私達は世間知らずです、まだ世の中らしい世の中に出て居ません、けれども、どうかして立派に世の中に出たいといふ考へはあります。そうして世の中の敗残者にはなり度くないんです、父や母よりも更に善い路を切り開いて進んで行き度いんです、それが後から来る者、人類のなすべき当然の努力ですもの」 緑は自分の声に励まされる様に、泪さへさしぐんで語つたのであつた。 えー。これは「地の果まで」で、ヒロイン緑さんが「弟が(旧制の)高等学校へ行くための学資」を叔父さんに無心している場面です(笑)。 叔父さんは弟・麟一くんには中学まで出してやった、働き口は見つけてある、と心からの親切で言っている、という前提。「それほどの御心が叔父様におありになるのでしたら、後生ですから、もう一歩進んで麟一を程度の高い独立の所まで引き上げてやつて下さい、お願ひです、叔父さん御恩は一生忘れません、どうぞ、お聞き入れ下さい、叔父さん、後生です」と緑はほろほろと熱い涙をこぼして願ふた。 叔父さんは「静に言つても事はわかるよ」等返します。よほどやかましかったようです。「だつて、叔父さん、私共に取つては一生の大事です、麟一を一生石材会社の使用人で終らせるか、世に立つて華々しい活動をする人間とするかなんですもの、ワタシは黙つてゐられません」 緑はせき込んでかういつた。 失礼です。紹介してくれた仕事をそん風に言われて怒らないと緑さん全く考えていないようです。 そろそろ叔父さんカチンときます。「何んにしても自分の腕で自分で働いて食ふ以上、兎や角言ふ理屈はないよ」と。ワタシ同意。「独立して独りで御飯を食べるつてことが、そんなに立派な人間の目的でせうか、たゝ一人で食べればいゝのなら、学校へなんかへ誰も入る必要はありません、立ン坊にでもなつて独立したらいゝでせう、一人口を糊すといふことは貴いことでも何でもありません、いくら収入があつても自活して居ても価値のない仕事をして行く生き甲斐の無い人が居ります、ワタシはそんな程度の低い独立、どうしても御飯が戴ければよいなどといふやうな、そんな卑怯な切には大反対です、麟ちやんには少なくとも一人で御飯の料を取る以上に、もつともつと貴い仕事をして貰ひたいのですから。」 緑は激しく言つた。 さすがに叔父さんも「よしもう、しやべるな」「頭の古いこの叔父さんには、あんたの様な新しい女はお歯に合はない、こつちも親切の尽し様もないからね」と腹を立てます。当然です。自分でメシのタネ稼いでない人がえらそーに言うことじゃあありません。 で、緑さんの姉さんが「まあまあ」と言って入ったり、叔父さんの異母弟で姉さんの夫であるひとがなだめたり、話題の主の麟一くんが、自分のことを思ってくれるんだからその通りにする、だから親類づきあいは止さないでくれ、と手をついて泣きながら言ったりするんですが。「叔父さん、貴方は悪魔です、サタンです、私共の……、わ、わたし共の若い芽生を……芽生を踏みつけてしまふ悪魔ですッ。」 緑が唇を噛みしめて居たのを突然開らいて噛みつく様に、甲走つた声で言つた。 皆びっくり。緑さんも「狂気の様になつて居る。」と。「悪魔です、たしかに悪魔です、叔父さんは――たうたうおどし文句をならべてまで無理やり私共の意志を砕かうとなさるのです、さうです、さうです。」 緑は押さへ切れない怨恨や憤怒のため狂するばかり興奮して居たのであつた。 すると義兄が「まだ子供だから」となだめる訳ですが。 この緑さん、二十歳越えてます。はい。この時代の二十歳です。女は十五で結婚できる時代の二十歳です。 ちなみに、このきょうだいは両親が亡くなったあと、この叔父さんの経済的な保護のもとで暮らしてます。 緑さんは尋常小学校を出ると、勝手にミッションの女学校を受けて合格してしまい、女宣教師を味方につけてまんまと女学校へ行かせてもらいます。その後もその女宣教師の援助で、麹町の英学塾に入っているという次第。 麟一くんは尋常小学校の後、「当人が商売は嫌いだ」「小僧になるよりは学校生活」ということでまず師範学校に入ったんだけど、途中挫折。東京の中学校に移るんですが。 学資出してくれているのは叔父さんだし、住んでいるのは姉夫婦のとこです。 それこそ叔父さんが「一体、いつまで人間は子供でゐられるんだ、女の二十は男の三十だぞ」と言いますが、全くです。はい。 それでも弟くんは何とかなだめようと自分は行く、と言い出したら。 緑が烈しい泣き声をあげた。「いゝえ、林ちやん行つては、いけません、行つては行けない――」 矢庭に身を起した緑は、麟一の片手を自分の両手で握つて引きづる様にした。 ……もっともここで、「泪に顔を濡らしながら、乱れた髪も其の儘に、人目も羞ぢず、かうした他愛ない容子をする緑を打ち見た、浩二はそのいぢらしさに涙を浮かべた」という辺りは。 まあその後、同じ敵を持ってしまった、とばかりに「僕もがんばる」と義兄に言われて緑さんとうとう失神してしまうんですが。 普通ですねー、こんだけのことを若気の至りでも何でも言ったひとに、たとえ姉さんが遠く北海道で産褥で亡くなった、ということがあったにしても、「緑さん、こんな、悪者の叔父さんを、あんなは姉さんに代って赦してお呉れか……」 一方緑さん。「叔父様、勿体ない、どうぞ―― お身体をお上げ遊ばして、お上げ遊ばして下さい。」 凄い上から目線です。 そんで、最後の最後まで、叔父さんに言ったことに対する謝罪は無いです。 ちなみに弟くんは、本当は勉強もしたくないし立身出世もどうでもいいと思ってます。 んでもって、書生先で出戻りお嬢さんに惚れられてしまいます。と同時に、影の薄い長男の嫁さんに母親めいた思慕を抱いたりします。そんで高等学校落ちますwww この書生先の人々は、「よい人間になって欲しい」そのためには援助する、と恋を応援して、何故かお嬢さんに相応しい人になる、と具体性もなく決心したりします。 ところが緑さんが「弟が女達のおもちゃになっている」という手紙で押し掛けww マジで厨行動を起こします。「弟を出せ!」「連れて帰る!」「誘った悪魔!」とかそんな感じのことを言って、お嬢さん引っぱたいたり。 弟くんはそんな修羅場に耐えられず失踪www 自殺するつもりで飛び出したら、悪友に見つかって、その家にカネたかる口実にされてるwww ちなみに弟失踪、と聞いたとたん、もう緑さん裸足で髪振り乱して雨の中飛び出して、「きちがい女だ」と警官に捕まえられる始末。たまたま学校の友人に会えたからいいものの。 ちなみにこのひとが「弟には弟の人生がある」と思うのは、弟の無事を知り、姉のお骨持って帰る汽車の中で、新聞連載的には最終回ですw どれだけこの人を翻心させたくなかったんだよ作者、と。 という訳で一応、吉屋信子が懸賞小説のペンネームにも使ったこのヒロインがワタシは本当に嫌いですwww**これは某所に上げているもののコピペ。まあだからワシが誰だか判るひとには判ってしまうがまあいいです。「あらすじ」そのものはかなり昔にまとめたもの。本を前にしながら必死こいてキー打ってました。まだ一太郎が4.3だった頃ですwそれを去年某所に出すとき少しだけ手を入れましたが、基本的には変わってません。つーか、今書くとあまり冷静なものには(りゃあ、でもツッコミたくなる部分は(りゃでは以下↓******************************************* 東京市外の巣鴨のほとりに、一つの家族が住んでいる。 三人姉弟とその一番上の姉の夫である。 姉弟は春藤という外務省通訳の子供で、一番上の姉は直子、真ん中の娘が緑、そして末の弟は麟一と言う。 この三人の父である春藤氏は、園川領事に伴われた赴任先のイタリーで病死した。 残された母・お俊は三人の子供を抱えて、宇都宮の妹の嫁いだ先である浜野隆吉という菓子屋を営んでいる家に世話になって暮らしていた。 この家に子供三人を残して、自分は上京して園川領事の留守宅に残してある令息令嬢達のお付きとして奉公し、宇都宮へ送金していた。 だが、その母も、やがて身体を悪くして、亡くなった。 残された姉弟はそのまま浜野の家に引き取られた。 長女の直子は、小学校を出てから家事手伝いをしながら二十歳まで暮らしていたが、浜野の主人の異母弟の浩二に思われ、妻に乞われて恋女房となった。 浩二は多少女のような優しい気質の青年で、その点が異母兄には気に入らなかったらしく、彼は家の中で小さくなっていた。そして、結婚の際も激しく反対さ れ、分家しようにも、資本を出してもくれず、せめて家だけでも出ようと、春藤の父の通訳時代の知り合い、志賀氏を頼り、その縁で園川氏の関係している会社 に職を得て、何とか東京で住めることになった。 そして現在この三人の姉弟が居るのもそこである。 姉弟のうち、直子は素直で優し い、女らしい姉であるのに対し、緑は勝ち気な少女だった。 尋常6年を出ると(小学校卒業)、叔父叔母に黙ってミッションの高等女学校(5年制の女子中等教育機関)に入学願書を出し、子供の頃から可愛がってもらった女宣教師に叔父を説き伏せてもらった。 その後もミッションの補助を受けて、東京市内の英学塾(高等女学校の上の学校。女子の教育機関では専門学校が当時は最高のもの。現在なら女子大学にあたる)に入る。 弟の麟一は、小学校卒業後、店で使われるところだったのを、学問で立っていきたいという希望を出し、とりあえず師範学校へ入る。が、二年目に、どうしても師範は嫌だ、中学(現在の中学・高校が一括になったもの。尋常と高等がある)へ行きたい、と言って、東京の姉夫婦のところへ逃げ込む。 だがそのために、隆吉は浩二夫婦とも、麟一ともあまり関係が良くなくなる。そして緑の進学で、さらに溝は深まる。 麟一は自分に自信がない。 特に、姉達が自分の将来に多大な期待をかけていると思うと気が気でない。 姉、特に緑は、自分の一生は弟にささげる、という位の勢いであるから、麟一は余計に萎縮してしまう。 緑は学校では、梅原敏子という人と仲が良い。 彼女は目的のためにがむしゃらになっている緑とは正反対に、何の目的もなくずるずると生きてきた、とぼんやり つまらながっている人だった。 せめて宗教(キリスト教)でも信じたら、と勧めるが、自分の家はそもそも皆クリスチャンだと言う。 そして「神を信じている者が、こんなに寂しくていいのかしら?」と懐疑的な言葉を吐く。 春の休みが過ぎると緑は寄宿舎へ帰った。家を出る際、姉の直子と、弟の心配をする。 心配の元凶は中学の友人、間宮である。 間宮は成績がいい訳でもないが、腕力は強かった。そして、身体も意志も弱い麟一は、色々な意味で間宮の庇護を受けてい た。 彼は、街をぶらついているところを「緑に見つかる」と逃げる麟一をなじる。そして麟一の一高(ようするに現在の東大教養部)進学を馬鹿にする。 遅くなって帰る麟一を、直子は心配する。 麟一は、父親の写真が恐ろしくて、壁に向け返る。 それは、緑が、「お父さんの跡取りだから、お父さんの野望も受け継ぎなさい」と渡したものだった。だが、 彼は、そのような野望などなかった。むしろ、オペラの楽譜を見て楽しむような青年だった。だが、それではいけない、と思い、楽譜を破り捨てる。 そんなある日、叔父の隆吉がやってくる。隆吉は、麟一をこの上の学校へやるということは念頭になく、宇都宮へ帰らせ、銀行に口を聞くから、と言う。 その件について決着がつかないまま、寄席へ皆で出向く。それ自体は楽しめたが、緑は、やがて、あんまり皆が馬鹿げているので腹立たしくもなった。彼女は二時間も三時間もぼんやりしていると、苛々してくるのである。 帰り道に救世軍(「神の軍隊」として組織されているキリスト教の集団。廃娼運動でずいぶん力を尽くした。街頭へ出て太鼓を鳴らし、ラッパを吹いたりして、 賛美歌を歌ったり、パンフレットを配ったり、など、布教運動を繰り広げていた)を見かける。その中で、神学校の生徒が一人、説教をしていた。坂田という青年で、緑も知っている人だった。 翌朝、機嫌のなかなか良い隆吉に、浩二は麟一の件を持ち出す。高等学校の試験を受けさせ、大学へやりたい、だが、自分たちにそれをやってやれるだけの資金はない、と。 「馬鹿な冗談はよせ」と隆吉は一喝する。彼は彼なりに麟一の将来を思って、勤め人にさせたいと思っている。その方がずっと麟一のためだ、と。 緑は「たった一人の春藤家の男の子だから」と叔父に哀願する。 学歴もないためにお雇通訳で終わった父のようにさせたくはない、どんな苦労をしても、立派に学校へやりたい、と。 だが、隆吉は「程度の低い独立なんていらない」と言う緑に、腹を立て、要らぬ世話をした、勝手にすればいい、と言う。 浩二も麟一も、その様子を見て、とりなすように謝る。だが、緑は、ヒステリー状態になり、「叔父さんはわたし共の若い芽生えを踏みつける悪魔だ」と叫び、気を失う。 隆吉は完全に怒り、直子が浩二が麟一が何を言おうが無駄だった。そして、全ての援助を打ち切ると言う。 どうしようもなくなった姉弟は再び志賀氏を頼る。 すると志賀氏は、園川氏の家へ、麟一を書生としたらどうだ、と提案する。そして世間の風に吹かれるのもいい、と直子と緑は話を決めてしまう。 そして麟一は園川家へと出向く。 一方緑は、学校で久しぶりに敏子と話をする。彼女は入学試験の騒ぎをきいて「男に生まれなくてよかった」と言う。緑は逆である。 日曜に、四谷の教会に行く緑。そこでも敏子を見かける。 その日、説教壇に登ったのは、神学校生の坂田だった。彼は意気揚々と常の神父たちと違う新思 想を取り入れた話をする。 だが、もちろん、その新式な説教には、反発する声が上がる。緑はその反発に対する坂田の様子を面白く見守る。 坂田は神経質なほど に自分の思想と主張を曲げない。やがて調停者が出る。そして旧来の思想に対し涙ぐむ人々に、緑は「なんて安価で愚劣な思想」と吹き出したい思いにかられる。 敏子が礼拝後も緑の前へ現れる。 そして坂田のことを、「緑さんの兄さんみたい」と評する。 敏子は坂田のことを「場所柄もわきまえない乱暴」と言う。自分のように心寂しいものが集い、心を慰める場所が教会である、と考える敏子は、そういう所に嵐を起こした坂田には好感情は持っていないようだった。緑は坂田の言うことは正しいと感じたので、敏子に反発する。 敏子はその二人の全く違った考え方を、「だけどそれが真実ではない」と自分も緑も否定する。 が、緑は、敏子が間違っている、貴族的なわがまま病の患者だ、私は現実に生きる娘だ、と主張する。 意見は合わない。これからも合わないだろう。だが、自分にとって、敏子が一番親しめる友達だと思う、と言う。 敏子と別れてから、坂田が緑に追いつく。 一緒に帰る緑。怪しくときめく胸。 だが、同時に、住所を教えてしまった、という軽々しい行為に恥じるのだった。 やがて、坂田から手紙がくる。神学校の研究雑誌をとってくれないか、とのすすめだった。緑はけろりとする反面、がっかりする。 その頃、麟一は、園川の屋敷で憧れだったピアノに触れる。 彼には、もともと、「ガリガリの粗暴な武士道主義の中学教育」よりも、「さわやかな美しい異国の楽器」の方がよっぽど魅力があったのだ。 それをかげから見ていたひとがいた。この家の、出戻りの令嬢、関子だった。彼女はあわてる彼をおさえ、もっと弾くよ うに、と言う。 庭の手入れを一生懸命して、疲れた身体を休めながら小曲を歌っていたら、緑がやってきた。 だが、彼女は会うと 必ずと言っていいほど、彼を励まし、諌める。 やっとのびのびした気持ちになれた心はふたたびぺしゃんこになってしまうのである。 そして、また苦しい勉強をしよう、と暗いぼんやりとした気持ちになるのである。 すると、関子が買い物のお供を頼んでくる。 彼女は喜んで麟一に麦わら帽を買ってやる。街では間宮に出会い、はやされる。 麟一は、関子とカフェーへ行き、夢心地になる。 緑はある日、教会の牧師の家へ呼ばれる。 牧師夫人は、坂田が緑を妻に欲しいと願っている、と告げた。 だが、緑は、その坂田の出した「妻に求める条件」 を聞いて、腹立たしくなる。 彼が冷血な利己主義者だと気付いて、一瞬でも惹かれた自分が恥ずかしくなる。 そして今は、弟の為にも、結婚する気はないから、と断る。 その沈んだ心持ちからか、いつもならけなしてしまう敏子の考えにも、簡単には笑えない。漂泊の身をうらやましいと考える敏子に何となく感心すらするが、自分はやはり弟が…と考えると、結婚も恋も自分自身も捨てて、一つの目的のために機械となればいい、と思いきる。 夏になって、間宮が以前麟一が関子とカフェーへ行ったことを緑に話す。 園川家には矢野という紳士が出入りするようになった。 彼は「関子を後妻としたい」と関子の継母に頼み込む。彼女は二人の子の継母として、世間にも恥ずかしくないように、と出戻りの娘の心配をして再縁口を考えていたのである。 だが、関子は全く耳を貸さない。麟一に一生懸命ピアノを教えている。 なおこの関子の上には、長男の良高がいるが、彼は身体が弱い。私立大学で農業を修めたあと、伊豆に山や農地を買って、そこに永住のつもりで住宅を建て、美しい若夫人と静かな生活をしている。 久しぶりに家へ帰るが、麟一は、以前間宮が緑に告げ口したことをたずねられ、困惑する。 その相手が当家の令嬢ということは判って、一応の安心はする。 すぐ後、麟一は、関子やその異母妹と異母弟のお供をして伊豆へ出向く。その車中で、自分に向ける関子のまなざしに気付く。 良高の妻、千代子は、冷たい蝋人形のような美しい人だった。 だが、その中に、麟一は、母のような聖らかで静かな優しい愛情をこの人に感じた。時には妖婦めいた関子と対称的である。 この人は内輪どうしの集いにも、自分から身を引くようなところがあった。 いつも寂しそうだった。そしてとうとう、自分は寂しいんだ、と麟一は千代子には告白してしまう。 姉たちとは違った自分の気性のことなど、素直に口にする。 千代子は言う、「寂しいと思うのは、我侭な心でしょうか」。 そんな彼女の言葉は麟一の心に染み通る。そして、関子がその様子を見ている。 一方、直子は宇都宮へと出向く。せめて叔母には会いたい、と。 そこで隆吉夫婦の考えていた計画を知る。幼なじみで慕っている麟一を、娘・お絹に添わせたかった、と。直子は驚く。 そのことを帰ってから直子は浩二と緑に話すが、緑は「人種改良説」云々と反発する。 が、その自分の口調の中に、あの坂田と同じものを感じ、心寂しいものを感じる。 その後、浩二の会社で労働争議が起こる。 もしかしたら自分は会社をやめるかもしれない、だが、なんとしても直子と、姉弟は養ってみせる、と重々しく浩二は言う。 結果とし て、労働争議には勝利し、給料の上がる転勤話が出る。北海道だと言う。 直子は浩二についていくことにする。浩二は麟一の学資くらい送る、と約束する。 緑は感謝感激して泣き崩れる。 伊豆で関子は病気がちになる。そして、千代子と仲良くなる。 自分のかつての結婚生活の不幸を彼女に話し、麟一に恋している自分を、23で始めて恋を知った自分を告白する。 千代子は、自分は人妻であり、これから先、そういうことはかなわぬが、関子はこれからがあるから、と勇気づける。 そして関子は変わる。 派手好きのはしゃいでいる人が落ち着いて寂しげになった。 そして、兄・良高も、その変わった妹のために、再縁の話を断固として反対した。その甲斐あって、矢野氏との話は立ち消えた。 浩二夫妻は北海道へ旅だった。 園川家の方からは、千代子の申し出によって、麟一をまだ書生として止めておくことになった。 麟一は千代子の口から、関子の自分に対する思いと、最近の変化を聞く。 彼は関子のために変わろうと決心する。千代子はそれを見守る決意をし、東京の屋敷に残る。 冬、緑が血相を変えて園川家へ乗り込み、弟を返せ、と怒鳴り込む。 志賀氏から、彼女が受け取った手紙には、麟一がこの家で関子や千代子の愛玩物にされている、というものだった。関子も千代子も半狂乱の緑を静めようとする。緑は「悪魔」「毒婦」と二人をののしる。千代子は麟一にも自ら選び取る運命がある、と いう。緑は姉の手で弟の輝く運命を築く、と主張する。 その騒ぎの中、自分がいるからいけない、と手紙を残して麟一は失踪する。死をもって償う、と。 緑ははだしのまま、屋敷を飛び出し、雨の中、狂ったように走る。巡査が怪しんで捕まえる。周囲の人々は狂気女だ、という。そこへたまたま通りかかった敏子が彼女を助ける。 残された千代子は、せめて関子のために、と伊豆の夫へ電報を打ち、呼び寄せる。そして志賀に話を聞こう、と居所を聞くと、彼は知り合いの豪農の娘の結婚式へ行っているという。どうやら相手は坂田らしい。 呼び寄せられた良高は、関子のためにも、と決心をする。 父親と継母に、自分はこの家の財産は受け取れない、異母弟妹にやってくれ、と言う。 彼は 新しくやり直す気だった。 その心にうたれた父親は、伊豆の山と土地、関子には、彼女の実母の残した郵船会社の株を持っていってくれ、と頼む。 変わろうとする夫に、千代子は感激し、再び愛を誓う。 そこへ通りかかった志賀に、良高は、麟一は引き取る旨を述べる。麟一のことを悪く言う志賀に、良高は自分の決意を述べる。そして千代子の言葉、その二つにさすがの志賀も参る。 敏子は緑の世話をしながら、昨夜の緑の姿を見て、自分も何かせずにいられない、と告白し、二人は一緒にやっていこう、と誓い合う。 麟一を皆して探すが、一向に見つからない。緑も、伊豆の人々も心配する。 しばらくして、北海道の直子は、産後で、身体の調子を悪くした。 生まれた子どもは元気である。だが当人はとうとう危篤状態となってしまった。 緑が呼び寄せられる。 宇都宮の家にも連絡が行く。 そしてようやく隆吉の心が解ける。 と、いうか、もともと頑固ものゆえに周囲が気を使っていただけで、隆吉は、お秀を連れて、北海道へとんでいく。 緑は二等車をとったが、かつて三等車で向かった姉のことを思うと、ゆうゆうと乗っている気にもなれず、三等車へうつる。 そして、彼らが来る間もなく、直子は亡くなった。隆吉も緑も、皆それまでのことを謝り合う。 伊豆の良高のもとに、あの間宮から麟一の行方が届く。 同時に金の無心もしてきたが、良高はその十倍の金を出してもいい、と喜ぶ。 そして緑のもとにも、敏子から麟一の無事を告げる電報が届く。 緑はようやく、麟一の将来は麟一にまかせよう、という気になる。 そして彼女は姉の遺骨を抱いて連絡船に乗るのだった。**************************************** いやー今見ると読みにくい。 だけど下手に読みやすくすると感情入りそう困るというwww まあ「あらすじ」は本当にこういうごちゃごちゃしたものでした。 ともかく登場人物が「**家」「**家」「その周囲の人々」的な群像劇であると同時に、やっぱり当時の自分も「何でそうなんの?」という気持ちがあったんで、淡々とまとめたんだと思います。 吉屋信子の新聞小説デビュー作。 「大阪」朝日新聞連載でした。 ちなみに彼女が朝日で連載したのは、これと「海の極みまで」、そこからぽーんと時間が飛んで、「徳川」となってます。 ……いろいろバトルもあったしなあ。 あ、ちなみにワタシ吉屋信子の作品を嫌いじゃないですよー。 ただどうしても「研究」「学会」的な場所ではこういう偏った見方で楽しむことはあかんことになっておりますんでwww そもそもこの人にキョーミ持ったのは、「少女期」という少女小説読んでた時の「?」「何でこれでめでたしめでたしなんだ?」だし。 それで二十年以上も追っかけてるんだから嫌いじゃーできませんて。 アンチ巨人的なファンということでwww 粘着とも言うかwwww** その四谷の教会は、町の奥の通りにある、小さい古い汚い貸家を間に合せてある貧しい教会堂だつた。 家の中が、暗いので、ずゐぶん陰気ではあつたが、教会の中の人々が極少いので、たがひに親しみが深かつた。そんな事から他の大きな明るい建物を持つ勢力のある教会よりは、居心地のいい処だつた。(……) いつも、じめじめする部屋の中も、初夏の朝の陽の反射で、やゝ明るく見えして教会の入口の敗れかゝつた塀の内に、だゞ一本ある梧桐が茂つて、水々しい葉が陽に光つて、カゲを土の上へ動かしてゐるのも、見た目に心地よかつた。(……) 始めの賛美歌が歌はれて居る半ばに、入り口の破れかゝつた――硝子のひどく割れてゐる戸を静に開けて若い綺麗な支度をした娘が入つて来た。(……) 夢見る人のくせに――なぜ、こんな、うす汚ない場末の小さい教会へ来たのだらう、と緑は敏子の姿を、今日此処で見受けたのがいぶかしい事に思はれた。 緑さんは12、3歳のころ勝手に洗礼を受けて、女宣教師のミス・マシューの勧めでこの四谷の教会に通っているという設定。 なのですが。 何でまた、ここまで外観をけなすかねえ。 一応、ヒロインがある程度納得して通っている教会なんだけど。 と思ったら、『日本基督教団四谷教会史 近代日本の戦争と教会』古谷圭一(さんこう社)によると、 近くの四谷教会に通い、青年界の活動にも加わっていた吉屋は、半年もたつと次第に寮生活の堅苦しさと四谷教会の雰囲気に耐えられなくなってくる。彼女にとっては、霊的恍惚感を大切にする堅苦しい禁欲的信仰はよどんだ形式宗教としか思われず、ほずかに癒されるのは教会の賛美歌と聖日の夕拝にゆってくる若い神学生の伝道説教のいくつかだけとなり、翌年には教会に出席するふりをしてサボることを覚え始めた。 で、のちに流行歌手となる佐藤千夜子と、礼拝を嘘ついて欠席して、浅草の映画館に行ってたと。 これが原因で、女子学寮をやめて、YWCAの寮にに移るんだけど。 四谷教会には元々愛着はなかったと見た。 そのあたりは「屋根裏の二処女」の冒頭、ミス・LだかRだか―― ライダー舎監のことですな――に挨拶をするシーンにつながる訳ですが。 面白いのは、当時の吉屋信子について、ライダーさんの次に舎監になった諫山イネという方の発言。「あの方はとてもいい話をお書きになりましたが、生活や言語までが皆小説化されて人とかけ離れたやうでしたので、よく人に誤解されるやうなことがありました」 いったいどんな。 ……「屋根裏」の章子さんのピアノの場面のまんまだったら痛すぎますが。 ちなみにこの中で、神学校のやたら才走った青年・坂田に緑さんは興味を抱くんですが、この坂田の演説とかも相当(りゃ でまあ、「何を若造が」とばかりに、周囲を鑑みた発言を……と常識とイヤミを混ぜた様な人に対しては、「何を謝するのですか、又何を取消すのですか。謝するといういふ点は或は私の態度が、気の利いた化物云々といふ様な卑近な言葉を言つた為に、失礼であるかも知れないから、一遍の謝意は表はしませう、しかし、私の言った説を取り消せとは、何んと無定見、且つ暴言でせう! 僕は、急がしい学生生活の時間の幾部分を割いて、教会の諸君の為に、自分の日頃の信仰を説く為に立つたものです。それが他の人の意に反らつたからとて、直に取り消すことが出来ますか? 今日の僕の話は、よし貧弱な内容が盛られてあるにしても、これ即ち、僕の全身全霊の声です、血です、肉です、人の意を迎ふるが為に取り消す事は、断じて出来ないのです、それに司会者は特に僕に向つて今日の礼拝の説教を依頼して置きながら、不利益な事件が起きれば、すぐに取り消せと命じるとは、僕は貴方達こそ、礼を失して居るのでは無いかと思ひます。」 まあとうとうと「自分はしてやったのに何か」論を述べる訳ですね。 緑さんは彼と目配せをすると、 しかしその軽い会釈が声なき言葉を伝へた。 ――僕の今日の態度はいかゞでした―― と云ふやうに。 そして緑の大きい潤んだ眼もとが処女らしいはぢらひを帯びて答へた。 ――わかりましたわ、私には、なんて立派な事でしたらう。 と云ふ風に。 同類やんけ。 まあその一方で、別の純粋な神学校の青年を出してみせて、梅原敏子に支持させているのが対照的。 ちなみに坂田はその後、緑さんに「条件に合っているから」と求婚を取り次いでもらい、かんしゃく持ちの彼女の怒りを買い、すっぱりふられた――んですが、この話で、社会的に色々上手く立ち回っている志賀氏の紹介で結婚する、というオチ。 この「おことわり」する時の事が、フェミの人々には良く上げられているのですが。 緑は、腹立たしいほど恥ずかしさを覚えねばならなかつた。 人種改良説と言ひ、優生学と言ひ、皆男が勝手に決めた、女を或る道具化した言葉としか、此の場合緑には思はれなかつた。 まあそこだけ取り出すと、ですが。 だけど緑さんはその後、牧師さん一家の子供にビスケットをあげる風景を見て。 子煩悩の牧師は、時代遅れの感じのする、田舎の村会議員でもして居さうな、長い口髭の下に、子供のくりくり坊主の頭をすりつけて、ビスケツトを掌から子の小さい手がむさぼり取るのを楽しんで見て居た。 何処までも人柄のよい此の牧師がのかうした気持が、かなり古い神学校の出身であるにもかゝはらず、いまだに小さい貸家で間に合せて置く教会に、満足して伝道して居る境遇に、悠々と暮らさせておくのだ、と緑は思つた。 今の自分の、烈しい火のつく様な弟の将来や、無いに等しい春藤の家名ためなどゝいふことから生ずる欲望や愛着や悲愁――さうした事に、常に悩まされて居る此の境界とは、かなりにへだゝりが有ると思つた。幸か不幸かは知らないが、牧師夫妻が、これから先の栄達も望まず、安んじて、此の小さい汚ない家の中に、子供等を育くんで、朝夕、神に祈りをあげて、長閑に暮らして居る、かうした生活は羨ましいやうでもある、けれども自分は、こんな生活に入り浸つてあんかんとして暮す運命は与えられてない、もう若い奮闘の時機を過ぎ去つた。此の夫婦と自分とは違ふ。 自分は、これから自分達の新らしい境界を切り開いて行かねばならぬ、と緑は思つた。 麟一のこと、姉のこと、――緑の胸に手を握つて行かねばならぬ人の名を思ひ起すと、此処にかうして深い自分の心持を打ち明けた事もない、牧師夫妻などゝ、話をして居るのがもどかしく、無駄な時間を空費してゐる様に思はれたのである。 その後坂田の結婚の「条件」を聞いて、緑さん完全にキレます。いや、牧師夫妻にキレたりはしないですが、内心が。 それでもねえ。 正直この上に上げた文章の、脈絡の無さに、何だか嫌なものを感じてしまうのですよ。 何っか羨ましい。だけどそれを認めちゃいかん、私は彼等と違う、弟に青春を殉じるつもり(弟からしたら大迷惑)――ということに酔って、実は奥の奥でこういう「貧しくとも家族揃って仲良く」に憧れていることを必死で押しつぶして、理論武装して自己正当化して何とかメンンタルを守らないとやっていけねえ、という感じの。 まあそれは基本っちゃー基本なんですがね。吉屋信子の。 **「(……)そして、貴方のお心は、――関様の忍従の衣の中に包まれた、火の様な、あの思ひを受け手下さつたのでしたわね。あの、関様が今日、今日――」 麟一の唇は燃えるかの様に、そして火のやうに熱く――其の言葉がほとばしつた。「奥様、僕は一心に努力します、そして貧しくとも、立派な一人の男子になります、そして関様のお心を受け得る人間になつて立ちます。僕は、――僕は奥様、決心したのですッ……」 何があったんでしょうか、と思わず。 いやこの三人きょうだいの弟、麟一くんなんですが、そもそもは関子さんに迫られたんですわ。ピアノを弾いて、だの、お買い物につきあって、だの。 だけど麟一くんはそういう彼女に振り回されてはいたんだけど、そこにどうこう、という個人的な気持ちを持つではなく、ただ戸惑っていた訳ですよ。 だって23歳の美しい出戻りお嬢様ですよ。まあぐれちゃって「妖婦型」になっている状態。 だけどこの関子さんがマジになってしまった。麟一くんは一高受験だから、17歳くらいかな。まずそこんとこ結構問題にしてもいいと思うのに、結構それに関してはあまり取り上げられてないんだよな。 とにかくまあ、麟一くんは坊ちゃんのお供で伊豆で長男の夫人の千代子さんに出会って、彼女に惹かれるんですな。 ただし。 麟一の千代子に捧ぐる愛慕の念は、聖くもいぢらしいものであつた。 童貞の清い身と心を持つて――彼は千代子の前に額づき度いと願ふた。 それは、けつして恋と名づくべきではなかつた。さればといつて愛と名けるには言葉のだ等無い恨みがある。 早くから自分の胸に失わはれて行つた母――母性の有する力と心をねおぼろ気ながら、此の千代子の前に描いて崇敬と思慕の念を強く寄せた。 母を通じて女性の魂の滴る露を、麟一は渇した青春期の悩みと悲しみの胸に求めてやまなかつた。 その母性を通じて、女性の魂の深い湖の中に、浴したいといふ望は、二人の姉の、直子からも、また緑からも求め得られなかつたのである。 彼が新たに知つた関子からも、此の願ひは得られなかつた。彼の憧憬と希求とは、千代子のやうな女性でなければ満さるべくもなく容れられない質の、聖い美くしいものであり、其の清い麗はしい女性にはじめて彼は遇つて、彼の希望が容れられるのであつた。 それは信心深き聖女が、修道院の仄暗い堂の怪談に額づいて、双手を合せて祈るごとく、純浄無垢な聖き愛慕であつた。 永遠に地の上に生きる女性の魂の流れに浴して清まり、力を得ること、それは人類の全き愛慕であり且つ欲求であつた。 ……文章の展開がどんどん大きくなっていくのがwww まあともかく、それこそ「聖女」を使って表現されている麟一くんですよ。「男らしく」をこれでもかと「男らしい」緑さんに強制されて、父母の写真だって、欲しかった母のものは「女だから私がこっち、男だから麟一はこっち」と父の怖い写真押し付けられてるような子ですよ。可哀想に…… 野心も何もへったくれもないんですから、叔父さんの言う通りにして、従妹と結婚してれば、そこそこの幸せを掴んでいたんではないかと思うんですがねえ。 で、園川家の千代子さんですが。 だから要するに母親ですよね、まずそこで自分を全肯定してくれるひとがやーっと出てきた訳ですよ。そりゃあ嬉しいですよ。何せ直子さんは現実のおかみさんすぎるし、緑さんはアレだし。何つか、毒姉のせいでさんざん萎縮してしまった子ですよ。全くの他人によーやく「母」を感じてしまう訳ですよ。 で、この二人の仲の良さを見て、関子さんは「お姉様」に泣きつく訳です。嫉妬ではないとこがミソです。 千代子さんとはそれまで大して仲がいいという訳でもなかったけど、本気になってしまった少年のために何か変わろうとするんですわ。 で、変わって行く関子さんにだんだん麟一くんも。 かくて、麟一の前に新に生れて現れたかの如き、関子は前と異なる美しい印象を、そのうら若い青年の胸に焼きつけずにどうしてあらうものを。 とはいえ、麟一くんですから、しばらくはストレイシープな訳ですが。 その次の「あ、進展したな」と思わせる千代子さんと麟一くんの場面は、いきなり冒頭のアレなんですよ。 何処をどうして、という記述が全く無い。いや技術なのか「書けない」のかは置いといて。 抽象的な何とやらはあるんですが、正直、ワシ何回か読んで「あー?」となったくらいですし。 ……まあ、その後の千代子さんとの会話もまた抽象的に「人間として立派な一人」になることを目指して終わるんだけど。一体そりゃ何なんだ? とりあへずワタシの目にはそれが何だか読み取れはしなかった訳ですよ。 だいたい「変わった」関子さんは、はっきり言って千代子さんのコピーじゃないですか。コピーだから「母」ではなく、「生身の女」であるのかもしれないけど。それじゃあ「ぐれていた関子さん」の個性をそのまま受け止めてくれる人はいないってことでしょーか。 あ、いや違う、これも千代子さんが「母」として受け止めてくれたからこそ、また「少女」に戻れた訳か。 何かそれもなあ。つまりどっちも「自分を全て肯定してくれる人」に飢えてた同士が、仲介役によってくっつくことができた、って感じにも取れるぞ。 それにそのすぐ後、緑さんの殴り込みと、麟一くん女達の前に姿を見せず失踪して、話の終わりまで出てこない。おいおい解決してねえって。 まあたぶん、園川家の伊豆のおうちで皆で農園で汗水たらして働く、その一員になるんじゃないかと思うんですがね。何せ彼が見つかったと聞いた、千代子さんの旦那は、麟一くんを発見した悪友に、せびられた金の十倍払う、という気前の良さですから。 彼は毒姉から離れて幸せになって欲しいです。はい。 伊豆で汗水流して農業、と言っても、この旦那と関子さんのとこには父親から譲られたある程度の資産があって安泰なのですからして。 少なくとも姉の訳の判らん立身出世欲に振り回されて壊れて行くのより、優しい人々の中で笑って生きていけることの方がいいですよー。 あ、ちなみにワシは直子さんの「貴方、弱い者は弱い者同志で小さく、つゝましく助け合って暮らしませうねぇ。貴方――」が、現実の女房としてとてもいい台詞だと思う訳です。はい。
2019.02.20
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神の前に死が二人を分つまで結び合ふ誓ひを立てゝ善き良人善き妻と呼ぶを許さるゝ日まで、童貞処女の汚れなき恋の日を続け行くこそ、初子の信ずる正しい願ひであるものを! 初子は二人の若きその恋を純潔にあくまで守りたかつた。茂のその欲望の手に彼女はあくまで逆らつた。二人の愛の日の聖さのために、二人の恋の運命のために!(『空の彼方に』新潮社(文庫版)昭和9年) えー、「地海空」……「陸海空三部作」の三番目、「三人姉妹(娘)もの」の最初、当時大人気の家庭雑誌『主婦之友』初連載の「空の彼方に」。 これはまえに書いた「処女童貞礼賛」を小説にして書き直したものじゃないかとワタシは思ってます。 三人姉妹は初子仲子末子。さてその次もし子供ができたらどう付けるつもりだった……げほげほ。 これでもかとばかりに潔癖な初子、現実的欲望に素直な仲子、盲目だがバイオリンの才能があり、美少女の末子。 この三人と、彼女達の大家にあたる……のかな、その家の三男坊・茂をめぐるはなし。 初子さんは上のように、「結婚まではダメダメ!」のひと。 だけど茂は(呼び捨てだ。つかこいつはマジで嫌な奴に描写されているのだ)ふらふらと花街で童貞をあっさり捨ててしまうのだわ。で、それを告げた時、初子さんはもう滅茶苦茶動揺する訳ですよ。 その世にも恐ろしい言葉を聞いた刹那、初子の眼の前の世界が、暗闇になつて砕け落ちた。(……)「いけません、いけません、私に触つてはいや、汚らはしい、どいてください、帰つてください。」(……)「えゝ、そのまゝのあなただつたら、私永久にお会ひしたくはございません――私、私、あの――あなたの卑しい快楽の玩具になるのは、私の魂が許してくれませんもの……」(……) 正しく女性の守るべき同義を枉げはしなかつた――けれども、あゝ思ふだに胸のつぶれる恐ろしい言葉を恋人の口から聞かうとは――(……) 初子にとつてはあゝした場合の茂に滲み出て来る「男そのものゝ」の悪に反抗せずにはをられなかつたのだ。それは自分のためといふよりは、二人の恋愛をより浄く育み行かうためだつた――(……) ――あの方の犯した罪は、また自分もその責を負はねばならぬ筈だつた。あの方をのみ責めた己れの不覚さ、あの方の過失には共に泣き共に苦しみ、浄めの母となつて、若い一つの魂の危機に、この我が魂のすべてを尽して、正しい道へと引き戻してあげねばならなかつたのだ。思へばアウグスチンの母の力の貴さ――その万分の一でも自分は持たねばならぬ――恋愛は、決して享楽ではない。むしろ苦しみだ、魂の試練だ。この苦難と試練に善く打ち克ちし者こそ、永劫の愛の勝利者となり得るのだ。(……) あの方の本当の精神が道徳的で反省力の強いのは信じられる。たゞ意志弱く実行力がないだけなのゆゑ、それはこれから自分が蔭になり日向になつて、あの方の弱点を励まし助けよう。そして二人共に恋愛の試練の盃を飲み乾して、永劫の愛を築くものとならねばならぬ―― さてここで初子さんの一つの特徴なんですが。 「べき論」に凝り固まったひとなんですよ。 童貞を勝手に捨てた茂を拒否はする。けどその後、彼の「罪」を自分も共に背負うて「浄めの母」や「蔭になり日向に」なって「正しい道」へ引き戻さなくては「ならぬ」と思う。 だから何でそれが「罪」なんだ、と。 まあそれはいい。そういう地の文なんだから。 さて茂、何かやけっぱちになって下関へ。そのまま釜山に渡ってやろうとか思ってる訳です。 そこで仲子と再会。彼女は金持ちの囲われ者になっているんだけど、茂のことが好きだったので、関係を結んでしまったと。 で、茂のちゃらんぽらんさから仲子への口止めも、そもそも初子とつき合ってたことも言ってないから、仲子さん、実家に戻った時、姉に「茂さんと結婚するのv」って言ってしまう訳だ。 するともう初子さんはあかん。「自分は身を退かねば……」いやホントそれだけか? まあともかく、自分をたなにあげて仲子さんの行状をあげつらう茂に、初子はこう言うんだな。「処女でない女性には、男は何をしてもいゝとおつしやるのですの?」 茂はその言葉にはただ悔いるばかり。 そんで「気高い処女の貴さと深い魂」や「かくも気高いあなた」(おい)と初子を誉め称えちゃうのだ。 ただしこの「べき論」、初子さんはその後、母を亡くした時にも考えてるんですよね。 できるなら亡き母の後を追うても行きたいものを……けれども、今初子は、きつとして更に強く生きて行かねばならぬ自分の責めを思つた。その傍に声もなく打ち沈んでゐる妹の盲目の身を見るとき、彼女は自分が今涙に囚はれ感傷に堕すのを堪へて、神経を乱す悲しみも堪へ忍び、歯を喰いしばつても、なほこの自分達姉妹に与えられた運命の中に、神の真意を探し求めたかつた。さう思ふ信念と盲目の妹への深い深い同胞の愛情が、母を失つた自分をこれから生かしていくものなのだ――かく思ひ涙を忍びて、初子は悲しく痛ましきその宵を送つた。 そして有島武郎の死に「死ねる方はお仕合せですわ!」と感想を言い、こう思う。 あらゆる寂寥苦難孤独と戦ひつゝも尚ほその一人の不具の妹のために、延いては自ら恋を譲つた妹の正しく認定された家庭の妻と基礎をつけるまで、歯を喰ひしばり石に囓りついても死ねないとて、血みどろになりつゝも敢て生きて生きて生き切つて行かねばならぬとしたら……私は生きてをらねばならないのだ。やゝもすれば死の甘い麻酔的な誘惑を、ふと感じることを覚え始めた初子は、A氏の死を聞いて更に自分をいましめた。(……) おゝ、どうしても私は生きなければならない。どうしても生きて行かねばならない。(……)そこには血みどろの生の苦闘の中に、尚ほも我が生命の灯を高らかに献げて進み行く雄々しく滅び難き人類の意志がある。我が運命の中、その運命を生かし切り、倒れずに進む悲壮な人間の意力! 倒れても倒れても生命ある限りまた起き上り行く不朽なる永遠を貫く地上の人間の意気――そこにこそ真なる善き美しい詩は生れ感じられるのではないか――かく思ひ信ずるとき、初子には若い人の陥り易い浅いセンチメントなぞは振り落とされてしまつた。彼女はすでに唯一の恋愛も今は失つた身ではあるが、しかし彼女は、それに代る恋愛以上の鋭い意力と烈しい信念と強い愛情を把持する雄々しき若き処女だつた―― で、恋人も妹1も母も失った初子さん。 もうこうなったら末子ちゃんしかいない!! とばかりに、色々してやるんだ。 「いとせめてもの妹に、乙女のよそほひを姉の情でさせてやりたかつた」と自分の身の回りを切りつめても新しい美しい装いを用意する。 また母の形見の聖母マリアのメタルをペンダントにし、お守りとして掛けさせようとすすめる。 だけどそこに落とし穴があった訳だ。 末子ちゃんは嬉しいけど、「見られたらどんなにもつて嬉しくつてならない」と言うんですね。 で、彼女、メタルも拒否します。そりゃそうだ。彼女は物語の序盤で、「神の存在は信じるけど信仰は持てない」ってはっきり言ってる訳だ。「神様がいるならじゃあどうして私をこんな身体に」と。 つまりですね、初子さん、気付いてなかったんですよ。目が見えない末子ちゃんを飾り立てたって、それは自己満足に過ぎないって。信仰を持たない末子ちゃんにメタルは何の意味もないって。 これは遡って、仲子さんがが奉公に出る場面でも見られまして。 「お母様が御承知で、いゝとお思ひになるのなら、それやあかまひませんけれど」 と一度肯定の言葉を口にした上で 「気がすゝまない」「不賛成といふわけでもないけれど」「心配なの」「いつまでもあなたをお勤めに出してはおかないわ」「何と言つても人は、どんな貧乏でも自分の家庭が一番いゝところなのよ」「よく考へて」 とじわじわと否定の色を見せていくんだな。 この真綿で首を絞めて行く様な説得に対し、仲子さんは反発もあって、きっぱりと意見を通して、まあ結局は妾奉公に行くんだけど。 初子さんがこういう言い方をしなかったら、仲子さんが意地になることもなかったかもしれないわけだ。 やがて初子は関東大震災で死んでしまうんですが。 アレですよ。起承転結の「転」に大災害が起こるパタン。おかげで非常におさまりがいいです。 この時の彼女、冷静さもへったくれもないです。 妹を捜しに無我夢中で燃える家の中に飛び込み生死不明になるんですね。 これが結構奇妙で。 いやだって、初子さんは一応「小学校の教員」という、ある程度インテリに設定されているんですよ。 だけどこの時彼女は、末子ちゃんが自力で脱出しているという想像すらしてないんだな。 で、ワタシとしては思う訳だ。 その構図はあってはならなかったんじゃねーか、と。 初子さんにとって、末子ちゃんは生理が来てどんどん綺麗になって行こうが、あくまで子供の様に保護する対象でなくてはならない訳。 つまり、「盲目だから自分が居なくてはいけない」末子ちゃんは初子さんにとって、「燃える家の中にいる筈」な訳だ。 結果、初子さん行方知れず。やがて死亡確認。 仲子さんは茂との仲を許され、はれて若夫人に。末子ちゃんも引き取られて不自由ない生活に。 で、しばらくして初子さんの追悼式が行われる。(ここでは小学生達の犠牲者に関して触れていない) そこではその潔癖さが何よりまず誉め称えられるんだよ。 何故だ。わからぬ。 で、また仲子さんが過去に囲われていたことを義父に向かって吐露しようとした時には、以下の理由で許されるのだ。「(……)わしはお前の昔の身は一切知らぬ。たゞ知つてゐるのは、世にも稀な立派な夫人大庭初子といふ姉を持ち、その美しい血の繋がつてゐる妹ぢやといふことだけ知つてゐる(……)わしの倅の嫁の里は、金持でも華族でもないが、併し立派な立派な姉を持つ妹ぢやと――(……)」 仲子は「初子の妹」というだけで妾奉公も、姉から恋人を奪った、という過去も全て許されてしまう訳だ。 まじかよ。 で、初子はそれだけの位置に引き上げられる、と。よーすんに「処女神」だわ。 んで、吉屋信子の作品の中心となる「男の男らしさ拒否」を全編通して現してるのが茂なんだけど、その直接的な犠牲となるのは仲子さんなんだよなあ…… 釜山での貧乏暮らしとか。 まあ彼女は最終的に茂と夫婦として周囲から認められたけど、あくまでその幸せは「初子の犠牲の上」という前提なんだわ。 おい。 終盤、茂は仲子にこう言う。「僕がみな悪かつたのだ。許してくれ……決して死ぬなどゝ思ひちがひをしてくれるな。お前に今死なれては、僕の罪はいよいよ救はれない。初子さんの心尽しは、報はれない――二人は死にたくも死ねぬほど、生きて生涯償はねばならぬことがあるのだ……」 けどなー。 初子さん一体、何をしたっていうんだろ。 果たして義父さんがが誉め称える程の価値があり、この二人には「生涯償はねばならぬ」程の罪があるのかあ? 例えば、初子は仲子に自分が茂と恋仲だったことを二人が駆け落ちする時点で言ってしまっていたらどうか。 何故隠さなくてはならなかったのか。 そこで「きつと姉さんはあなたのために、できるだけのことはしますから」という言葉が浮かび上がる訳だ。 長女である彼女は、自分が「一家の責を負ひ母を助けねば」ならず「そのためには私、私――自分の幸福も仕合せも犠牲にしなければならない立場」だと茂に言う。 そう信じている。 そして仲子に関しても「私の不親切から妹へ不注意だつたから」「あのひとへのお詫びには、何をしなければならないか」 と悩む。 けどなー。 全てが自分の責任と考える初子さんはゴーマンですよ。 仲子さんは何もできない子供ではない。会社勤めから妾奉公までこなしてきた辺り、初子さんより人生経験は豊かでしょ。だが初子さんては仲子さんをそう見ることはできない訳だ。あくまで上から目線。 初子さんは、信仰と献身で作り上げたドグマを頭の中に大きく据えてしまい、そこから出ることも、ドグマに囚われてしまっている自体判っていない。 信仰とはそういうものだと言ってしまえばそれまでだけど。 でも結果として、初子さんは「自分の考える幸せ」を周囲に押しつけている訳だ。 それでもその事実を文中で指摘されることはない。 「地の果まで」における殆どドキュンだ厨だと言いたくなるような激しい緑ですら、結末ではしぶしぶ翻意しているんだけど、この初子さん、徹頭徹尾変化しないんだわ。 それは「処女」のまま死ななくてはならない役割だったからこそ、一切の変化が無かったとも言えるよな。 だって彼女は「人間」じゃないもの。「処女神」なんだから。
2019.02.20
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(……)でも仕方がない。この上は賢二との結婚生活をしつかりさせて、兄の杞憂を一日も早く払つてあげたい――澪子はかく心に願つた。賢二性格上の欠点は、やはり多少認めている彼女であつた。でもそれは、結婚後二人が、互の人格の完成につとめ合へばいいのだ――またさういふ意味なしに、たゞ一時の青春の愛欲から、盲目的の愛に溺れるやうな無智な、二人の生活ではならない――それだけの覚悟は、澪子は負った。 台風が来ておりますので、「暴風雨の薔薇」にしてみましたー。 昭和5年、欧米を回って帰ってきた第一作の連載です。 でまあ、このヒロイン澪子さんは、「処女のままでないヒロイン」、結婚出産をしている女性、ということなのですが。 このひとは年の離れた兄夫妻と当初一緒に住んでます。つーか、養われてます。 女学校の後、音楽の道は断念して、高等師範へ行って、23歳で地方の高等女学校の教師になります。下宿中。 で、そこで出会ったのが、高島賢二。この時点で「三十格好」です。図画の教師です。 見た目「背の高い痩せぎすな、三十格好の、神経質なやうな、眉と眼の迫った男」「身支度もいそいだと見えて、ネクタイは粗末に結ばれて、おまけに曲つてさへいた」「頭髪は無造作に長く伸ばされて、油気もなく後ろにばさりと掻き上げられて、少し頭を動かすと、額にばらばらと毛が落ちかぶさるのだつた」。 その賢二と、初任給で買い物をしようと出た時にばったり会いまして。女学校時代の親友に送るものを一緒に選んでもらう次第。 この時、なかなか画家として芽が出ない自分に苛々している彼をを見て、 ――さういつて苛々しげな彼を見ると、もう澪子も何も言へぬ気持だつた。――むしろそういふ彼を何か母らしい姉らしい柔かい心づかひで、いたはり包んでやりたいやうな感情を覚えるのだつた。 五月頃がまずそういう感情。 で、夏休暇で兄のところへ帰った時に、千葉の海岸に絵を描きに行ってる賢二から葉書、ついで手紙が。 スケッチブックに海の風景、その上にこんなの。 僕は断然今年の夏休暇を呪ふ。こんなことなら、寧ろあの学校の職員室の時間が僕にはより幸福の筈ではないか。僕はもう十日まる切り仕事をしない。パレツトの奴がかちかちにかたまつて、捨てられてゐる。二科出品は諦める。毎日鰹の刺身を食べ飽きた悲哀の胃袋を抱へて、浜にも出ず宿の二階で、悪魔につかれた男となつて寝ころんでゐるだけの事だ。「彼を何がさうさせたか?」――「私の知つたことぢやない」とあなたは言ふがいゝ。 この後に「何か書き出しかけてやけにペンを投げ出したらしく、二三本ぎざぎざにペンが二つに分れるほど、たゞ線が縦横に引き交わされてある、乱暴な手紙だつた」わけです。それで澪子さん、この「いさゝか狂人めいた、荒削りの生々しい」手紙にこう思ってしまうんですね。 澪子は、その中に、男の――情人とやゞちがつた芸術家肌の男の熱情の、近代的の苛々しい表現に酔ひ咽ぶ観じを強く受けた。初めて自分の前に現れた一人の異性の荒ひ息づかひと、燃ゆる野性的な眼を胸に観じた。そして異性が自分に差し伸べた、たくましい両腕に、犇と心臓をつかまれた思ひだつた。そして澪子の身内の「女」を、今一度にこの賢二に引き出されてしまつたかのやうに―― で、翌々日、さくさくと澪子さん、彼のもとへ出かけて行ってしまう訳ですよ。 で、「当然の結果として、彼等二人の恋愛が急速度にテンポを早めて行つた」訳です。 こんな大胆さにも拘わらず、新学期からは澪子さんは「聰明につゝましく」「二人が恋愛の道程の結果として結婚の形に入るまでは、自分達の境遇上、みだりに人の口の端にのぼることがどんなに不利益で恥さらしか」と思ってたので、隠しまくる訳です。 で、11月、宿直の時に、賢二が学校を辞職した上で結婚、賢二は挿絵や口絵を描いて、澪子も働いて助ける――という話をする訳で。 12月には賢二は退職してしまう。次の新学期辺りに結婚、という約束もする、と。 けどさすがにそーなるとおにーちゃん、心配ですよ。異母妹ですが、ほとんど親の気分です。で、品定めに出るんだけど、今一つ心配そう。澪子さんは「それでも」とほのかに説得して兄も「まあいいか」的。 その上での冒頭の文章どす。出会って一年での結婚です。 ところが一度結婚してしまうと、賢二は変わります。少なくとも、澪子さんの視界では。 まず、最初のデートで友達への贈り物を選んだこと。それを覚えてません。その友達に結婚を知らせたい、と言うと。「ぢやあ手紙にすればいゝよ。何なら俺が一寸描いた絵葉書にしてやらうか――」 彼はかう言った。結婚前の恋愛中(をかしい言葉ながら)は(僕)とお上品に言つてゐた彼が、結婚後いきなり習慣的らしい(俺)に変化させてしまつたのと、そして澪子への言葉使ひが、ひどく粗末に下落したのはをかしかつた。良人らしく気をゆるめたのかもしれないが、言葉使ひはともかく、(俺)だけはそのうち願下げにしなければ――澪子はそう思つた。男が妻にも女性にも向つて、(俺)といふのは、澪子の趣味のデリケートが少しいやだつたから―― なかなかよく判らない引っかかり所です。 で、祝い品をまきあげてやらなくちゃ、という彼に。 かう言つて笑う賢二の言葉は、聞きやうでは、やゝ下司に思へるが――でも彼の生立ちが無智な階級の貧しい農家だし、良い家庭に親の正しい愛も受けず投げ出されて、一人で生きる途を拓いた彼が、時々粗野な冗談を口にするのも仕方がないと――澪子はそう思つてゐた。それもまたやがて直つて貰へることだらうし――それに男が、そんなことほ妻に言つて笑ふのも、別に悪いことでもなし……と。 はい少し何かお互いにめくれてきましたね。澪子さん自身の上から目線も出てきました。 それからというもの、遠い女学校に勤務する澪子さんにも関わらず、賢二は何もしません。そんでまた澪子さん自身、家事も自分できちんきちんとしなくては気が済みません。「自分一人のゆつたりとした時間といふものは、少しも持つことがゆるされなかつた」訳です。で、「ちょっとは自分で動いてほしい」的な要求をするとひがむんですね。 で、お友達からお祝いが来るんですよ。銀の紅茶器セット。澪子さんは相応しい家庭にしたい、と思い、賢二は「高く売れる」と言うと。 はいもうここの処に違いが。 家計にしても、澪子さんの稼ぎだけなのに、時々賢二の画家仲間が押し掛けてくて、ある程度もてなさなくちゃならない。しかもその仲間達が酒宴の席で話題にするのは「女」のこと。 それも正当に女性観といふものを語るのでなく――学窓から教職の生活を純潔に経てきた澪子の耳には初めて驚きと火の出るやうな羞恥に打たれる、淫な女性の肉体上の話に興じ合ふのだつた。 なので澪子さん言います。「ね、あなた、お客様がいらつしやることは少しもいやだと申上げるんぢやないですの。だけど、あんな会話は、一切この家の中ではおよしになつてくださらない――私達の家の中は、もつと真面目に綺麗な空気にしませうよ――お願いですから――」「馬鹿言へよ――駄目だよ。女が三人よれば姦しいんだし、男が三人よれば、猥談が生じるのは当り前だよ。男性つて上下おしなべて皆さう出来てゐるんだ――」「まあ……ほんたう――」 澪子は、良人の証明して見せる「男性」の本能に呆れた。もしそれが真実ならば救はれぬは女性だと――「でもそれに打ち克てばいゝでせう。主人のあなたが断然紳士らしく上品になされば、お客様だつてつゝしみますわ……」「いけないよ、女だつて集まれば、すぐ着物や化粧の話におしやべり仕合ふやうなものさ――」「いゝえ――近代の進んだ女性は、もうそんなおしやべりから離れてゐますわ。男の方だつて進んだ知識的な方はきつとさうでせう――」「俺達は教会の牧師ぢやないからね。何に牧師だつて、当にはならんよ、たぶんハッゝゝゝゝ」 ということで無論聞いちゃくれません。まあ当然でしょう。求めるものがそもそも違ってます。 つか澪子さん、結婚前で既に気付いているべきでしたよ。一応「恋愛結婚」だった訳ですから。まあ気を惹くために「僕」でお上品に喋っていた賢二が悪いっちゃーそうなんですが。 で、さすがに家計が……となった時、ようやく挿絵描きするんですが、画稿料はすぐに交遊費に変わる、と。 さすがに澪子さんにも「恐ろしい考へ」が浮かび始めます。 ――良人は自分に精神的に裏づけられた愛を持つてゐたのかしら? もしや……もしかしたら、肉体的にのみ彼の男性の本能で愛されてゐたに過ぎない自分ではなかつたらうか――(……) あゝ決してそんな愛だけであつてはならない。もしさうだと仮にしても、結婚生活の努力で、それを精神的に高めるまで私は生命を賭けよう! 生涯にたゞ一度! たゞ一人! 運命が与えしその人よ! と思へばこそ彼女は彼を選んだのだつた。たとへ――青春の熱情がもたらした、自然のあやまちでよしそれがあらうとも! いやもうその時点でアナタ。そこまで深い記述はなかったやうな。澪子さん自身もあまり深く考えてなかったような。つか押し切られてるじゃないですか。 前提が何というか。 選んだ自分が間違っていたということをてこでも認めたくないというか。 でもどうしようもないのは、この時彼女が妊娠していたからですね。六月に発覚。早いなあ。 ところが「また子供か」という言葉がぽろっとこぼれてしまうんですね。 で、夏休みにまた千葉の海岸に賢二が出かけた時、彼が結婚前に作ってた子のことを知ってしまうんですね。澪子さんは訪ねてきた女の父親に話を聞いてこう思う訳です。 教養身分の差こそあれ自分と同じやうに嘗ては賢二を女心の一筋に思慕した同性のその受難――を今ありありとその娘の父親の口から聞かされようとは――あゝ! で、養育費の送金が途絶えてた、ということで澪子さん、その老人に渡す訳ですね。大感謝されます。 ちなみに賢二が夏に描いた絵は、二科展でしっかり落選します。はい。 そんで出産が近づいた頃に、その「かつて」のことを賢二にそろそろと話すと「結婚前のことは関係ない」と怒ります。 さて澪子さん出産しますが、この子を兄夫婦が当初っから可愛がるんですね。そこで澪子さんの口から、例の「母性愛」発言出ます。「自分の生んだ子だけ、むやみと動物的本能で猫可愛がりに愛すのなんて当り前で、別にほめ立てる事はないんですわ。自分の子だけ愛す意味の母性愛なら、利己主義な狭い愛ねえ――私もさうした利己主義の愛情だけで子供に溺れたくないわ――」 とても望んで出産したばかりの女の言葉じゃーないですwww ちなみに内心。 ――まあ、この赤い風船玉のやうな、ぶよぶよした小さい小さい顔、柔らかく烟つてゐるやうな髪の毛、そして小さく息して――まだ何もかも抱く母をさへ意識しない、混沌とした生に芽生えたばかりの小さい生命を宿して、昼も夜も乳を飲む以外は眠り続けてゐる――この小さい者が私の子供なんだわ――私を生涯母と呼んで、この私から母としての愛情を引き出し、母としての悩みを与えたり、母としての喜びをくれたりする筈の子供なんだわ―― 喜びが最後ですか、というのはツッコミすぎでしょうか。 いや一応望んで生んだ子にしては、手放しで可愛い可愛いという感情が生まれないものかと思うんですが、まあ前述のように「溺れたくない」と思っているひとですからねえ。 で、この子供は働きにいく間、兄夫婦のところへ預けます。会えるのは週末、土曜の午後から日曜の夕方までだけです。 で、生後百日過ぎた辺りで、種痘を受けさせたんですが。 その帰り道、金魚を買って帰る時、その水がちょっとこぼれて、子供の着物の裾を濡らしてしまったんですね。 ここで「裾」が問題になるんですが、というのも、種痘を股にしてやってくれ、と澪子さん頼むんですよ。大きくなって洋装した時、女の子に痕が残っているのは……と。欧米ではそうだし、と。 さてそれが原因かどうか判らないですが、原因不明の病気になってしまうんですね。慌てて兄にタクシーで呼ばれる澪子さん。兄夫婦はもう実に献身的で。まあそうですよ。実の母よりずっと長い時間、乳呑み児の毎日の世話をしてくれていた夫婦ですよ。理屈こねくり回す澪子さんと違って、こっちの夫婦は実に純粋。特に嫂さんは素晴らしく。 種痘後に「一種の連鎖状球菌が……」「稀に」って話になって、もしや自分の不始末で……と澪子さん医者に聞くんですが、そこでは医者も打ち消します。ですが、「そういう書き方」をしている以上、まあまず澪子さんのその不始末の結果ではないかなーと思います。はい。腕にやっていれば、濡れずに済んだ訳ですし。 で、闘病中、賢二はさっぱりやってきません。そして病状芳しくなく、とうとう子供は亡くなってしまいます。 で、その直後賢二がやってくる訳です。おにーさんさすがにぶるぶる震えながら怒ります。当然でしょう。 もういい加減そこで賢二を見限ってしまえばいいものの、澪子さんまだ子供の葬儀のあと、こんなこと言います。 毎日のように見舞いに来る嫂は「澪子よりも愚痴っぽく涙を新たにする」んですが。「お嫂さん――私もうこの悲しみから卒業してしまひたいのよ。いくら嘆いたつて仕方がない悲しさに、いつまでも自分を甘やかしてゐるのはやつぱり悪いことですわ。そして果ては子供一人の死のために、生活を何もかも滅茶苦茶に崩してしまふのは、恐ろしい愚かなことですもの――みどりの死をたゞ悲しみでだけ受け取らずに、私あの子は私達夫婦の貴い人柱になつてくれたのだと思つて、もう一度力を出して、賢二と二人の生活を順調に固く結びつけて行くつもりですね――それがあの子の私に与えてくれた教訓でしたわ……」(……)子を失つた悲しみの淵から、彼女は雄々しくもう一度立ち上つて、人生へ、生活へ、更に強く進まうとした。それより以外に亡き子の死を永遠に記念し、その死を貴く両親の胸に生かす道は無いと信じたから。そして彼女の教養と理性が杖となつて、彼女を助け起こしてもくれた。 いや絶対嫂さんくらい泣いてくれた方が「らしい」ですよ。マジ。 で、澪子さん、子供のものの片付けものします。と、かつて自分達の結婚祝いに、とくれた銀の紅茶器が無いです。 賢二に問いただすと「売ってしまった」とのこと。 そこで思うんです、とうとう。「あゝ、こんな生活! 私、私、不二子さんにはづかしい!」(……)「ミドちゃん、こんな可哀想な母さんを、どうして一人ぼつちにして逝つちまつたの?」 と、わつと咽び泣いた。 ポイントはそこかい、です。はい。 子供の死に際に来なかったことではなく、「友人からの贈り物を勝手に売られた」からですか。 うん、本当にこの澪子さんには本質を見抜く目がないです。 **「(……)私は帰京の決心をひるがへして、せめて託児所でなりとお手伝ひいたしたいと思つたのでございます。私もまた都会の女学校の教壇に立つよりも、この農村の託児所で、働く母親の子供を守り導く仕事こそ、数段意義があると信じて、是非働いて見たいのでございます」 さて子供が亡くなった時の態度より、親友からの贈り物を売られてしまった時の方が良人に幻滅したようだった澪子さんですが。 さすがに現状打破、と「なんとなく」この夫婦思ったらしく。 画会を開いて、その金で賢二を渡仏させよう、ということに。その客として招いたのが北海道に住むその親友の良人伴守彦氏。 この人を見た時の澪子さんの感想。 額の広い、眼の優しく凛々しい、無髯の口許のあたり、高く通つた鼻筋、帰属的に美しい紳士の顔は、今車上から澪子に、親しげに打ち解けた笑顔を向けたのである。 賢二の第一印象と対照的ですねー。 で、この人がスポンサーになって賢二をめでたくフランスへ。彼はこの物語からも退場します。 で、澪子さん、七月半ば、賢二を見送ったとたん倒れてしまいます。まあたぶん過労です。が、皆「良人と離れて辛いのだろう」と推測しますが、澪子さん自身は「ホッとしたやうに或る解放感」で一杯。まあそうでしょうが、内情を知らない周囲の人々は良い方に取るもんです。 澪子さんはそこでまた思う訳ですね。 おゝ悲しい夫婦よ。そしてまた自分は、良人へ別れの辛さに純粋に嘆き得る妻の幸福さへ、人並に味へないのだと思ふと、ああそれほど私共の結婚生活は、ひどくへし曲げられ、ねぢくれてゐたのかと――今更に澪子は心寒かつた。 で、夏休みに北海道に転地療養することに。「もしこの夏休み中に健康にならねば、その上で暫く学校をやめませう」と。 で。 澪子さんが最初の学校に居たのは1年です。 次の学校の1年目に妊娠して、多少産休取ってまた復帰して、翌年の一学期で休職。 ……2年と1/3しか居ませんね。 まあ当時ですから。結婚すると言えば辞めてしまう女教師だって居た訳ですし。でも基本的に「ずっと続けていける職」のために高等師範で学んだんですよね。まだその通った期間も働いてません。 で、北海道。「十勝平野」で近い街は帯広の様です。 友人不二子さんには一人息子が居ます。とっても幸せそうです。お嬢さんのまま結婚出産、何一つ不自由ないように澪子さんには見えます。 ただこの不二子さんも、澪子さんの結婚生活をいい様にいい様に受け取り、何か否定的なことを言うと「へんなこと」で済ませてスルー。既に澪子さんは良人のことを「あんな賢二」としております。殆ど憎んでませんか澪子さん。 で、到着翌日起きられない。「神経衰弱の気味とそれから心悸亢進症ですな――過労からすべて来ることですから」と医者にも言われてしまいます。 ともかく気楽に過ごすこと、と友人のもてなしをひたすら受けることに。 その中で賢二が到着の葉書を送ってよこしたのですが。 海外の良人からの第一信は、妻として胸躍る思ひで、どんなにか思はず抱き締めたいほど――不二子の言ふやうに絵葉書の上にさへ熱い接吻を惜しまぬほどの感激を起して受け取りたかつた――それだのにそれだのに、もう自分にさうした気持の熱情の持てぬのがしみじみ寂しくやるせなかつた。また賢二の方に註文して見れば、海外電報料がいくらか高価なものであらうとも……それだけの心持は、離れて故国に寂しく残る唯一人の妻へ心づくしを示して欲しかつた。その後いとせめて、レターペーパー二三枚の旅行中から到着までの心持でも書き綴つて、第一信として送つてくれたら……澪子はしよせん甲斐ないことゝは諦めつゝも、良人になほも縋つて求めたい、愛情の最後の一滴への限りない女心の未練が起きた。 で、も一つ彼女の心を痛めたのは、パトロンである伴夫妻に何もなく、ただ「よろしくお伝へ」だけ。 自分のパトロンにはなり、妻もまたそこに暫く滞在すると知つてゐる以上、もう少し心づかひと感謝の意を忘れずに持つて欲しかつたのに――貰ふものだけ貰ひ、行ける所まで行き着いたら、その後はけろりと知らん顔をしさうな賢二の気持が、澪子には危ぶまれて心配だつた。第一不二子に対しても面目なかつた。 とまあ、無いものねだりです。判っていたはずです。良人がどういう人間かくらいは。 それでも「こうあるべきだ」という姿が今現在自分の手元に無いことを澪子さんは悲しむ訳です。 澪子さんというヒロインはどうも夫婦というものに何かしに一つの夢というか理想の型を持っていて、そうできなかったら努力してその形になればいい、と思っていたようですが。 そーう簡単に行く訳ないです。 だいたい賢二に「俺」を改めさせようって辺りで既に相当厳しいです。気楽になった時の一人称を変えろなんていうのは。 じゃあ澪子さん自身は、何か賢二に頼まれて変わったことがあったか、というと。賢二の行動をただ我慢していただけです。この二人がケンカしている場面が無いです。賢二が勝手に色々やって、澪子が理想論を言って、それを賢二が馬鹿にして、澪子が我慢して、その繰り返しです。 外に出来た子供のことに関しても、それは澪子がどうこう言うべきことではなかったはず。賢二の問題として、賢二がカタをつけるものでした。 彼が金を向こうに渡すつもりだったかどうかはわかりません。だけど確実に妻から突然「……すべきじゃないかしら」なんて突きつけられたら、そら逆上するわ。隠しておきたかったことを唐突ですもん。 無論賢二の態度がいいなんて言いませんよ。 ただ澪子さんの対応は凄く賢二という個性に対し「間違った対応」をしている訳です。 彼は絵描きで自分勝手です。貧乏に生まれたから澪子さんから見たら変なところでケチなのにどうでもいいところで金を使う存在です。ワタシだってこんな男嫌です。 ですが浪費するわ猥談はするわでも、別に暴力夫ではないし。 彼が子供が病気な時になかなか帰らなかったのも、彼なりの事情があったかもしれないのに、そこは置き去りです。 どう考えても、彼等は――少なくとも澪子さんは賢二を選ぶべきではなかった訳です。もっとも、ヒモ体質の男を何だかんだ言って依存させてやってしまう精神構造ではあるのですが。 で、どんどん理想は遠く、子供まで亡くし、「型」には絶対はめることのできなかった結婚生活は彼女の中でどんどん悲惨なものになっていきます。 特に、この伴家が、絵に描いた様なマイホーム主義な家庭であるから比較して余計に。 しかも、この不二子さんの旦那の守彦、結婚するまで童貞でした。これに澪子さん感動してしまいます。 「(……)私達女学校時代の同期生の百人あまりが、今たいてい結婚してゐるでせうけれど、恐らくその中の九十九パーセントまでは、童貞の男性と結婚できた幸福な方なんて、ゐらつしやりはしませんわ。その中のたゞ一つの例外の幸福者は、あなた一人よ。不二子さん、神様に感謝遊ばせよ」 ということで、だんだん澪子さん、友人の良人である守彦に惹かれていってしまいます。 困ったことに守彦も澪子さんに惹かれてしまいます。 結婚祝いに送った絵から澪子さんを会う前から敬慕していたそうな。 さすがにまずい、と釘をさすべく、ちょうどその時期起こった農村の子供の水死事故をきっかけに、託児所の仕事を欲しい、と頼む訳です。それが冒頭。 で、あくまで「高島賢二の妻澪子としてお手伝ひいたす」ことを強調。 まあその託児所に関しても、やっぱり「啓蒙」が頭にあるようで、不二子の子供の晃一に対しても、こんなことを。「不二子さん、ね、晃ちやんが、村の子供達の悪い感化を受けるよりも、かへつて晃ちやん一人の力で、村の子供達に、自づと上品さや、礼儀正しさや、善い言葉使ひを教へて、善い感化を与へる生徒に、おさせませうよ。私も、一生懸命でさうしますわ。そんならよろしいでせう」 不二子さんは「村の子供達とあんまり遊ばせると、悪い言葉をすぐ覚え」ること、「病気でもうつされては大変」と心配してた訳です。棲み分けですね、こっちがごく普通のこの階級のひとの発想ですね。 澪子さんのそれは、……どう見ても晃一くんが孤立するのが目に見えてますが…… 彼は「悪い言葉」を共有することで仲間になっていたと思います。逆に自分の言葉に取り込んでやろう、なんて多勢に無勢、できるわきゃないです。理想に過ぎません。無理です。はっきりと。つかそんなこと子供に託すなって。 一方で守彦は……何っーか、「理想の村」経営を夢見てるようですね。だから自分が受けてきた教育とかが「不用の苦しみ」とか言っている訳ですよ。 まあそれで「クリスマスまでに」建物の完成を目指す訳です。で、女学校退職します。ホントに一年と一学期だけでしたねえ。 じゃあ託児所はどうか、というと。 まず冬になるにつれて、どんどん澪子さん守彦に惹かれていきます。 青春いまだ若く世にも世にも人にも慣れず、学窓を巣立つたばかりの自分が、鹿島の女学校の教職に在りし頃、最初彼女の前に現れて、烈しい男の求愛を示した賢二へ、もろくも(恋を恋する頃)の処女の純情のまゝに走つた、過去の単純なあり来りの恋にくらべて、すでに人妻となり子もなして、様々の人生の憂き苦労を身に経たる今、かくも人の良人に魅かれゆく愛慕の想ひこそ――まつたく血みどろの(女心)のまことの愛慾か――これぞまこと断ちがたき宿世の縁の(恋)なりや! ほんたうに(男)といふものゝわかつた今、恋してしまつた(男)彼こそ――私を完全に囚へ、征服してしまつたのではあるまいか――澪子は地獄の業火の焔に狂ふ男女の裸体の血の叫びを、そこに見る心地した。 うんまあ、自分の結婚が早計だったとは言ってますが、本当に知ったと言えるのか澪子さん? まあでも、とうとうこの二人がキスしてる現場を守彦の叔母さんに見つかってしまったことで急展開。 ここで不二子さんが偉い。お嬢さんお嬢さんではあるのだけど、ともかく純粋で、その純粋さで澪子さんを追いつめる訳です。 女学校時代のようにピアノに合わせて歌い、「(……)でも――でも――澪子さんは、もう私を前のやうに仲よしの妹のやうな友達に思つてくださるかしら?」 澪子さんはその中に含まれてる思いを読みとって、「(……)いとしいいとしい天にも地にもたゞ一人のお友達の優しいあなたを、もしも――もしも裏切るやうな私になつたら――その時は不二子さん、私は死にますわ……不二子さん、澪子を信じてくださいな、信じて――信じて頂戴、不二子さん!」「(……)少女の頃から今に至るまで、渝らず捧げ交したこの女同士の友情を、世にも貴く珍らしく大事に誇つてゐた私ですのよ。私は誰が何んと言はうと、あなたを信じてよ」てな応酬があってすぐ、澪子さんは荷物をまとめて伴家を出ていき、列車に乗る訳ですが。 ……託児所の開設、翌日なんですが。 保母さん、無しですか? アナタが言い出したことですが? と、思わず突っ込んでしまった訳ですよ。 結構な費用も出ているのに、それも綺麗さっぱり無かったことに? つか、不二子さんが信じてるなら、そこで逃げるでなく、留まってあくまで固辞しましょうよ、守彦との仲を。 つまりはやっぱり勝手に「これが正しい」と決めて、勝手に全てを放って行く訳です。 澪子さんは元々そうではなかったかなーと。 兄夫婦が居なかったら、そもそも仕事と子供は両立しなかったし、賢二が居なくなつた痕身を寄せるのはまずは兄夫婦だったし。 仕事をくれ、作ってくれ、とせかし、それが実現する時に、理由はどうあれ、それを放っていく。 女学校といい、仕事を何だと思ってるんだ一体。 ……正直、このひとに教育されなくて、子供達、よかったと思います。ダブルスタンダードに苦しめられる子供になりゃせんかと心配になる。 おはなしは列車を見送る不二子と守彦なんだけど、この追ってきた二人から受け取るのは、あくまで不二子のコートであり、澪子のために買ってくれた銀狐の襟巻きじゃあないのがミソ。 だからさあ、逃げるくらいなら(りゃ ……まあ、たぶん延々それで自分を「悲しい境遇の女」として生きて行くんではないかと。 やれやれ。 なお今回の引用は昭和6年の新潮社刊。 状態が決して良くないんで、確か2~3000円で買った奴。
2019.02.20
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いやこの時、⑤がアメーバで「この記事には一部、Amebaの健全なサイト運営にふさわしくない言葉・表現が含まれている可能性がある為アクセスすることができません。」となっていたので5-2を書いたのね。だから④のつぎは5-2。*** 章子は熱病患者のやうになつて、ペンを握つて動かした―――章子は狂人のごとく字を押し出し言葉をつらねた、後からはち切れさうに言葉が飛んで散つた―――章子のペンはどんなに急いでも、その後から後から燃え上がる焔のやうな思慕の念の忠実な筆記には叶わなかつた―――章子は非常に疲れた―――不思議な奇怪な熱病は全く章子の身体を冒して暴虐に荒れ狂うた―――あゝ快き熱狂の陶酔―――思慕の乱舞―――愛欲の幻想―――章子は自分の肉体の細胞の一つ一つに或る毒素の生じたことを疑つたほどであつた。 この奇怪な熱狂や幻想のもとに描かれた一つの長い大きな手紙は章子に幾度か読み返された、盃の底の澱むまで吟味してなめるやうに、反復されつゝ読み返された、そして章子は羞恥の火に焼き尽くされるかと思ふほど、眼が眩んでわなわなと身体が震へ胸は鐘のやうに鳴つて破れ出しさうになつた、章子は、狼狽して出来るだけ早く文字を片ッ端から塗りつぶした、そして幾度も幾度も塗り消されて手紙のほとんどは真黒な紙に化した。 しかし、たゞ最後にこの一行だけを章子は止めた。 この一行だけを秋津さんに送るとは。章子に取つて生命を賭しての仕事であつた、この一語の中にあらゆる熱狂も幻想も涙も火も血も肉片も吐息も瞳も唇も―――嗚呼―――あらゆる総ての捧げ物が盛られてあつたのだ。 …………貴女を愛します………… この、ひとことが残つたばかりで、あの章子の生れて始めての全霊をさゞげての創作と言ひ得るかと思はれるほどの長き手紙の紙片は裂き破られた。 そして、章子は泣いた。 さてこの後、色々あるんですが。 まず人形を贈ってきたのがかつての秋津さんの恋人だったことが明らかに。 だけどそれが現在男爵夫人、というあたりにまた「孤児」意識の強い章子は凹んでしまうわけですが。 その後いきなり工藤さんが悪性感冒で亡くなってしまいます。 章子はこの棺をかつぐ人夫達をこれまた「貪欲な卑しい顔をした」などと表現。 工藤さんを悲しむ切ない気持ちと共に、今日の愚劣な色のお経を読む商売人や紙細工のいやらしい花や、さまざまな不快さが一層の悲惨な哀れさを痛いほど思はせた。 工藤さんを、あの工藤さんを、かゝる情景のもとに永遠に送らうとはあゝ、誰が許し得ようぞ! では一体どういう情景ならよかったんでしょうね。 その後皆で「××軒とか書いた、うす汚れてじめじめとしめつた暖簾(?)をくゞって」安い西洋料理店に入るんですが。またその情景が…… 中には二三人女がゐた。 ひどく汚れたエプロンを麗々しく肩へかけて、よぢれた紐をだらんと背中で結んでゐた。 それは飛んだことであつた。 (……) 突かゝるやうに、一人の女が円卓子の傍に来て問うた。 白粉のまだらな醜い顔をして、そのどろんとした塩鰯のくさりかけたやうな無智そのものゝ眼つきをして、なほも女は、その客の同性なるの故をもつて、一種の敵愾心と自己防衛と傲慢さを以て対しようとするのであつたなら! 呪はれた地の獣は、(女)そのものであらねばならない! 章子達は、ぬるまつこい薄いどぶのやうな珈琲と銘打った飲物をかたちんばな珈琲茶碗に入れられたのを運ばれて、呆然としてゐた。 まあそこで一人の兵士がやってきて、ライスカレーを二杯、気持ちよく食べているのを見て、何となくすっきりするんですが。 ……やっぱりお嬢さんなんでしょうなこのひと達は。 つか、世界の狭さを自慢しているかのように見えて嫌気がさす訳です。** 暫し時が立ってから、お静さんが登つて来た、お静さんはびんつけのかたまつたやうな、水芋の粘つたやうな人間に思はれてならないひとだ。 このひとは扉など打ちはしない、スリッパさへ揃つて見えれば、遠慮も何もなく、どんどん人の部屋へ入つてゆく野良の牛のやうなものである。 彼女は隣の王城へのそのそと押し入った。 美しいミイラはなんとしたか―― 籐椅子がきゝととかすかに鳴つた――秋津さんはあの籐椅子の上に寝てゐたのだ――章子の神経の一部が勝手にきちきちととがつていつた。 さていま一つかなりぎくしゃくとしている章子と秋津さんでありますが、文章中には秋津さんの描写は殆ど無いです。手紙が伴夫人から頻繁に来るとか、一緒の部屋で寝泊まりしないようになってしまったということはあるんですが、秋津さんがどうこう言った、ということは無いです。 ただもう章子がもんもんとしているだけです。 そしてそのもんもんの中で、贈られた人形に当たって打ち据えて腕を一本もいでしまったとか、そういうことがございまして。 その後の二人の決着の始まり。「秋津さん――さくらの花かまつさかりよ――云々。」 水芋のつぶれたやうな声をお静さんが出してゐる。 わけもなく章子は腹立たしくなつた。 水芋が嫌ひのやうにお静さんも嫌ひで仕方がなかつた――なんで人が人を嫌ふ権利があるかと牧師なら怒るであらう、しかし嫌ひといふ感情はどうしても消すことが出来ない、なんの理由もなよく唯々嫌ひでたまらないのだもの。 お静さんは嫌ひだ――章子はどうしてもかう思ふ。 籐椅子がまたきいと鈍く鳴つた。 ……章子の神経が苛立つた……あれは、きつと水芋のお静さんが、どつしり里芋のやうな身体を籐椅子のふちに据ゑたのだ……と感じた。 どうしよう――我慢の出来ないことである―― 章子は真青になつて何か獲物につかみかゝらうとする猛獣のやうに喘いでゐた。 それから、また暫くして章子の部屋の扉が開いた。 お静さんが、のつそり入つて来たのだ。 失敬なこのち者をいつたい、どう罵つたらよいのか章子は途方に暮れた。 づうづうしい水芋の人間は、どんどん入つて来て、片隅にうづくまつてゐる章子などを眼中に少しも認めないといふ風である。 彼女は芋のごとき身体をかゞめて戸棚をあけた。 彼女は、何かしばらくのそのそと戸棚の中をさせてゐたが、やがて白い雪のやうな柔らかい毛布をひつぱり出した、そして一つの純白な羽根枕を――その二品とも秋津さんのものである、ふたりの部屋は別々になつたが、もと章子のその部屋はふたりの寝室であつただけに、いろいろな秋津さんの所有品が残留して、おきつぱなしにされてゐたのだつた。 秋津さんはその所有品のさしあたつて必要のものを、今この芋のやうな人間を取りによこしたのであつた――と章子は感じた。 お静さんは、さつさと二品を宝物のやうに抱へて章子の方を見向きもせで扉の外へ出ていつた。 章子の人並すぐれて大きい眼が、あんなにまでお静さんを睨めつぶしてやらうとして向つてゐたのを人にしてまた芋のごときお静さんは知らずに平気で、あたりまへの顔をして、のそのそと出て行つた。 この時、章子の全身に幾らかあつた貧しい赤い血が、みな頭へ逆に流れた。 えーたぶん、この時秋津さんは眠っていたんじゃないでしょうか。少なくとも次の段落ではそういう情景が出てきています。 だけど章子の中では、「秋津さんが取って来させた」とすり替わってしまってるんですね。 しかも持って「来させる」のは、かつて「二人が至福の夜を過ごした」時に使っていた毛布だの羽根枕だの。 それをお静さんに、なんですが。 お静さんの扱いが酷すぎますねwww 水芋だの里芋だのち者だの「人にして芋のごとき」などと、見下すもいいところです。いや気に障るんだと思いますよ。デリカシーとは確かに無縁そうだし、たぶん章子の美意識から遠く離れた外見をしているんだと思いますよ。 だけどここでは「そこまで思われるかあ?」だし、想像力で嫉妬乙、ですよ。 たぶんお静さんはうたたねしている秋津さんに単に「風邪引くわよね、ちょうどいいものは、あああっちの部屋にあるのか、じゃあ取りに行ってこようか」で、ずけずけ入って行くのは、単なる習慣だったんでしょうから。 そこに過剰に意味づけをしているのは章子でして。 さあここでキレてしまいます。 扉をどんと突いた、青い扉が波の砕けるやうに震へて居た壁の柱の方へぶつつた。 章子はもう扉の外へ――出て、そしてもひとつの青い扉を突き破らうとした。 その間は五秒とかゝらずに隣り合った青い扉を皆開いてぶつけた。(……) 章子はずいとお静さんの横手に行つた。 章子の咽喉は火のやうに渇いて熱くなつて意て、腰はわなわなとふるへて意た、章子の肩はぐいぐいと大きくひきつれた。 そして章子の片腕が重く烈しく振られた――傍の人間の頬をぐわんと打ちおろしたのである。 ……………………!!! 悲鳴が上げられた、そして次に醜い号泣が立てられた。 ホントにキレてますね。 いい迷惑なのはお静さんです。要するに「あんたみたいな人間が秋津さんに近寄るんじゃない」ってことですよね。 お静さん的には訳判らないでしょうな。二人の仲がどうだこうだ、ということを知っていたかどうかはともかく。 お静さんの内面に関して判る箇所は文中には無いし、ともかく地の文は章子の視点なんで、お静さんは「外見と同様」というイメージに取り巻かれてるわけです。 正直章子の行動の方がよっぽど厨でして。 人形を壊したくだりに関してもそうです。そもそも秋津さんに来た手紙を盗み読みした結果、伴夫人から「今でも愛してる証」として贈られたのがその人形だった訳です。 だからこそそれに当たります。で、遂に壊してしまう、と。 そのことを果たして章子が秋津さんに謝ったかどうかの描写は無いです。が、まあたぶん秋津さんは気付いた、だから遠ざかった、ってことだと思います。 ……はっきり言って粘着質です。 ちなみに章子の眼がでかい、なんでことも、ここで初めて出てきます。びっくりです。 で、まだテンパってる章子は秋津さんに対しても当たります。 秋津さんが籐椅子から、もの憂い身体を起して章子の荒れ狂ふ腕をさへ切ろうとした――打たれた芋の如き女は階下に号泣しつゝ走つた――彼女は舎監へ告げに行つたのである。 章子の腕は休みなく間断なく秋津さんの柔らかい胸に肩に振りおろされた、秋津さんの澄んだ眼は、ぢいつと章子の打つに身を任せつゝ絶えず章子を静かに見つめてゐた。 章子は非常に咽喉に渇を覚えた――自身の頬がくわつとくわつと火のやうにほてつて、咽喉がかわいて苦しかつた――弱い弱い暴君は苦しげに喘いだ――章子は秋津さんを打ちつゝ哀願した――私を顧り見て下さい――私は貴女なしで生きられません――もう一度、もう一度、あはれ、いまひとたび、いま、ひとたび――私を私をかへり見て下さい――とあらゆる哀願の泪と共に、烈しく烈しく火の如く、かく烈しく喘ぎつゝ愛する者を打ちつゞけた。 あゝ、誰か哀願するに跪まづかずして、拳を振らうぞ! しかし、章子は拳をあげて、しかし哀願した、あはれ、世にも痛ましく悲しき狂はしき哀願! でまあ、一応「暴力事件」起こしたということで、章子は退寮を命じられる訳でして。 じゃあもうさっさと誰にも知られず出て行こう、と荷物をまとめていると何と秋津さんが来ます。あなたの行くとこめへ自分も行く、と。 で、秋津さん言う訳です。「……貴女も人生に目当ほお置きにならない、――私も何の目当もない――その目的なしの寂しい弱い私たちは私たちで、いつしよに生きてゆきませう――」 どうしてそうなんの!? で、秋津さんは伴夫人のことを説明します。伴夫人は確かにかつての一番の人だったが、現在の境遇に我慢できず、「死にたい」となってしまった人だ、と。 ……やつぱりこれが一番いゝことでした……けれどひとりではあんまり寂しすぎる……私叶ふことならたまきさんといつしよに死にたい……でもいけないのでせう……たつたひとりたまきさんをこの世につなぎとめる人があるつて、ちやんと仰しやつたのですもの―― そうですか、秋津さんはこの暴力沙汰がある以前から、章子をそこまで思ってたんですか。何でだ!? でまあ、秋津さんは伴さんにはそうせざるを得なかった自我があった、そして自分達にもその自我があるはず、という持論を展開。 尤もだからどうして、という気分は否めないんですが。 「瀧本さん、ふたりは強い女になりませう、出てゆけといふならこの屋根裏を今日にも明日にでも出ませう、ふたりの行く手はどこにでもあります――ねねともあれ、ふたりでこゝまで漕ぎつけたのです、これからふたりはこゝを出発点にして強く生きてゆきませう、世の掟にはづれようと人の道に逆かうと、それが何んです、ふたりの生き方はふたりにのみに与へられた人生の行路です、ふたりの踏んでゆくべき路があるに相違ありません、ふたりの運命をふたりで求めませう、ふたりのみゆく路をふたりで探しませう、――これから――」 で二人で出て行く、ということなんですが。 やっぱり秋津さんが何でこの章子をよしとしたかさっぱり判りません。つか、章子に対する感情が判らないんですよ。 章子が秋津さんを好きな理由は基本「美しいから」に尽きる様に見えます。秋津さんの描写はこれでもかとばかりに美しいものだし、だからこそ醜いお静さんが近づくのが許せない、そう取れます。 じゃあ自分は何なんだ、と正直章子には言いたい。大した人間じゃない、と散々考えているのに、秋津さんの傍に居るのは構わないと思う。 つまりは自分は特別なんですね。「大したことない」「つまらない」と自嘲しながらも、自分が秋津さんの傍に居るのに問題はない、と考えている。それどころか、最後に泣きついている。 で、だ。 ワタシとしては、この二人の未来は暗いと思ってます。 章子の秋津さんへの依存は見た通りだけど、秋津さんも共依存の中に居る様に見えるからです。 自分の中には何も無いから、頼ってくれる人のために生きたい、その相手がやはり世間とずれた感性を持つ章子…… だけど章子はどう見ても自分のことしか考えて無いです。はっきり言って自己愛(りゃ まんまです。 その章子に粘着されたまま、依存されたことをよしとして生きて行く秋津さんは果たして幸せで居られるんでしょうか。 どっかで無理が出るでしょう。 ちなみに。 吉屋信子自身はYWCA時代の体験をもとに書いているのですが、秋津さんのモデルとは見事にぐたぐたな破局を迎えてます。まあこっちの場合は、伝記によれば相手の方が粘着していましたが。 で、吉屋信子は最終的にはサポートしてくれるパートナーがつくことで、自分の才能をコントロールできました。そのまんま出すと明らかに読者ウケしないだろう、暴走部分を、パートナー門馬千代はちゃんとセーブしてくれてます。そして吉屋信子が出来ない家事だの何だの現実の生活のあれこれを引き受けてくれてます。 自己愛(りゃ だけど才能がある人は、いいサポーターが居ればオッケーです。 でも章子と秋津さんはそうじゃない。 彼女達の未来は決して明るくない、とワタシは思います。
2019.02.20
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その人の顔容、姿勢は共に水晶のやうに冷たい静かさをなんの努力なしに保ち得てゐた。その人に特に与へられた静かさの必然性の現はれであらうか、これだけの息の詰りそうな――あゝ、まるで猶太人だ!とでも言ひ切つてしまひたいほどの、雑音と混濁した空気の仲から、よくもあれほどの孤立した絶対の静かさと安らかさを保ち得るかと驚異の眼を見張つて、その人を章子は視凝めた。 静かさ、そのものはすでに、それ一つで完全に独立した美であるとするならば、その冷たい静かさだけでも、その人は美しい人間であると言ひ得たかも知れない。 手を触れたらしみるほどの冷たい感じのすると思はれる黒い髪の毛が、額に淡く煙るやうにかゝつてゐた、眉とか鼻とか頬とか――さういふものゝ感じが入つて来る前に、より早く二つの眼がその人の総てを現はして迫つて来た。澄み渡つた眼――ずゐぶん済み切つた眼だつた。 何も彼もあらゆる感情、信念、理性、すべてをこの二つの眼の奥に覆ひかくしてゐると思はれた。そして静かさ以て冷たく打ち開いてゐた。 もの言はぬ唇は下顎の中央に紅い調つた突起を示して、閉ぢられてゐる。 その人は、つい先程まで自分の前に置かれた茶碗の中に少し入つてゐる薄い色の茶を見守つて飲まうとする意志もなく席に着いてゐたらしい―― 章子はそこにゆくりなくも自分と同じく人生の途上に食欲を振り落として来た供づれを見出して不思議な憂鬱を感じた。 さてヒロイン章子が慕いまくる「秋津さん」。 初対面の時の章子の印象がこれ。 のちの「理想の女性像」のヒロイン群に必要な条件が既にありまくりです。 ちなみにこの「秋津さん」にはモデルがあります。その辺りは伝記二本、特に『女人吉屋信子』の方で詳しく書かれてます。 『ゆめはるか』も出てるし細かく書かれてるんですが、この「屋根裏」とごっちゃになってるんで参考には。 さて章子、入寮早々ボヤを出しそうになり、途方にくれます。 そこを黙って助けてくれたのが秋津さん。隣の部屋でしたから。 すっと来て、広がる火を掻巻で消して、さっと帰る。 翌朝「これどうしよう」っておろおろする章子のとこにまたすっと来て、火を出した提灯も焼けただれた掻巻も「……私がいたゞきませう――ふたつとも……」と言って引き取ってくれる訳です。ついでに舎監へ何やら言い訳もしておいてくれたらしい。 で、そんな秋津さんが電車に乗るところをを見送る時。 美しい人を乗せた汚ならしい電車は秋の朝空の下を走つて行つた。 次に秋津さんが出てくるのは林檎箱が届いた時。 この時には男言葉の工藤さんも一緒に出てくるんだけど。 割とあきらめやすい秋津さんと対比する様に工藤さんは根性で二人を助けて四階まで林檎箱を運ぶのを手伝ってくれます。 次が入浴とそのあとの露台。 やっぱりシャワーを使うのに四苦八苦おろおろしていた章子を秋津さんが助けてくれます。 そのあと「水色のセルの単衣を着て白い大きなタオルで髪の毛の雫を拭いてゐた」秋津さんと露台へ移動。「もぢもぢしていたら」秋津さんが誘ってくれた訳です。 露台と言っても、物干し兼用な場所なんだけど、秋津さんはあえて露台(バルコニー)と言ってます。 で、章子の妄想爆裂。 章子は自分自身、今その深き夜の海を航海する船の甲板に月光を浴びてゐる心地がした――。 ふとかたへを視ると、これも言葉なく何を思ふのかわりなくも澄んだ双の瞳に月光の流れをくんで肩に乱れる黒髪を優しい指先にもてあそびつゝ恍惚と欄にすがる秋津さんの俤のうつくしさ―― もしも人魚といふものが月の光を恋うて渚の岩にすがつて嘆いたら、かうした姿ではあるまいかと――はづかしいほど子供らしい心もちに章子はなつた。(……) いつまで、いつまでも、いつまでも、ふたりはさうしてゐたかつた――もしもこの地球に破滅の時の来るならば、その時までふたりはかうしてゐたいのに――と章子は心で切にねがふのだつた。 で、秋津さんに恋してると自覚してしまった章子は色々思ったりするんですが。 言える訳なく 、隣と自分を隔てる壁に相手の名前を書いたりしてもだもだしている訳です。 そんな折、教会に行かなくてはならない日曜を秋津さん洗濯の日と決めていることにびっくりの章子。微笑まれた章子にとって「秋津さんの手の袋はもう洗濯袋ではなかつた、美しい宝石の数々を納めた袋であつた、そしてその片手に持つ白い石鹸の棒は白熱の焔を燃やす白蝋の燭であつた……。」な訳です。 日曜日の夜は祈祷会があって、そこで章子はブロークン英語で笑い者になっています。ここでは秋津さんはただつまらなさそうな顔をしてるぶんで、特に援護射撃をしてくれる訳でもなく。 まあそんな日曜の、嵐の日。お客が来ない祈祷会ということで、皆それぞれの信仰談「我が信仰を高めんが為の努力」をすることに。 皆立派なことを言うんだけど、章子にしてみみれば、 章子のもうその頃の心底には、如何なる美しい神の福音を、あらゆる豊富な言句で抽象されても、それらは、なんの魅力も感動をも伝へ得なかつた。章子は、もう抽象の世界に、神の信念に依って描かれる幻を求めるものとはなり得なかつた。抽象の世界を離れ、幻の領土を遠く去つて、そこに現実の地を求め実在の境を願つた。有神論を説かるゝ前に、天使の翅の半片でも手に触れさせて貰ひたかつた。泪の祈祷を聞くよりも、神の衣の裳の音を耳に響かせて欲しかつた。――章子は実証なきかぎり彼女の信仰は常に砂丘の塔であつた、懐疑の黒波が刻々に砂丘をくづいて流し去つた。寂寥の風が塔を吹き倒すばかりに絶え間なかつた、不安な黒い沙漠を何ものゝ光もなしに当どなくさまよふ反教者の足裏には、恐怖と苦惱の霜が凍りついてゆくのだつた。という状態。 だから「私は――私は――神様の――お姿を――確かに眼の前に見ましたら――すぐに信じますッ――」と言って、まあ周囲はそこでどっと湧いた、と。 で、最後の賛美歌の時、見ると秋津さんは口をつぐんで歌っていない。 そんで失意のまま四階まで戻ろうとした時。 ……章子の背後に温かい別個の肉体が犇々と迫つた……優しいしなやかな腕が柔かに速き熱度をもつて章子の顫へる肩をかたく抱いた……忙しい煽られた波うつて章子の頬に当つた……湧きあがつた言葉の断片が、わなゝきながら千切れ千切れに間隔を置いて迸しつた……「貴女は……貴女は……なんといふ……純な正直な……方でせう……」 ……燃えるやうな焦点を章子は額に感じた……かぐはしく熱い唇が顫へつゝ章子の髪毛の垂れたその額に泪に濡れて押し付けられた…… うん。とても都合のいい話ですねえ。 ともかく立ちすくむばかりの章子に、何かと黙って助けてくれる、容姿端麗、時々反逆者、の恋い焦がれてた人は、自分から告白してくれちゃう訳です。全くもって都合のいい! 以下次回。** ……秋津さんのリンネルの寝衣は淡い木犀のやうな匂ひがした……いつとしはなく、その木犀の花の香が章子のネルの寝衣の袖にも移つた……かくて木犀に似 てなつかしく薫れる夜の臥床に……ふたりの腕は搦むやうに合された……やさしく刻む心臓を包むふたつの胸も……始めもなく、また終りえしらぬ優しい夢に二 つの魂の消え入るごとく……柔かく嫋やかな接触……潤ふ赤い葩のわなゝいて溶け居るごとき接吻……柔かに優しく流れて沈みかつ浮かび消えゆき溶け入りて溢るゝ緩き波動………………。 うんだからどーしてすぐにそうなるんですかあんた達。 さてくっついた二人ですが。 屋根裏には二つ部屋があった訳です。 それを、「瀧本さん、ふたりのお部屋いつしよにしませう」と秋津さんが言い出したことで、秋津さん側の部屋を書斎、章子側を寝室として一緒に使うことになります。 夜になると、ふたりでそのの部屋へ入つた。 秋津さんのおふとんは真に美しい、たぶん羽二重とかいふ布であらう、かけぶとんは表が真白である、白い絹地に大きな鞘形の模様が織りだしてある、そして裏はやつぱり同じ地で紅い、その紅い裏が、ぐるりと表のまはりまで折り返してあつて、白い表を長方形に包んで、くつきりと白い地を浮き立たせる、敷ぶとんも厚い二枚とも、やつぱし、まはりに紅い裏地を折り返した白い表のおふとんの一対だつた、たゝ掻巻だけはあのいつかの夜章子の吊した提灯の焔のおかげで裏をこがしてしまつたので、そのまゝ戸棚の奥へ運び入れてしまつたまゝになつた、掻巻の代りに薄くて軽い白い毛布を広いシーツで包んでかけたのだつた。枕は大きな羽根枕で、秋津さんがそれに頭をのせると、ふはりと凹んで、黒髪も白い片頬も埋もれてしまふ。 ほんとに綺麗だつた。 この狭い青い三角の部屋には世にも美しいその寝床ひとつだけで十分であつた、それゆえ臥床はその美しいのひとつだけを夜毎にふたりとも使った。 うんまあそれはいいんんですよ。 だけど章子はともかく秋津さんがどーしてそういう気になってしまうのか不思議なんですよ!! つか描写がない。 だって「あなたは何て純なひと」っていうなら、それって精神的なものなんですよねー。 だけど冒頭にあげた場面ってのは、あえて美文しまくりにしした辺りとかー、「……」使いまくりとかー、これでもかとばかりに使ってあるあたり、そういう描写だと思うのですが。何か想像しろとばかりの。 でもまあともかくここは「くっついた」として、その後の二人の生活。 まず林檎の会が開かれます。そこで工藤さんの他にも数人出てきます。 「身体も顔も言葉も動作も、みんちんまりとまるつこい感じのする」「ちんまりとふくらんだぐみの実のやう」な矢野さん。 「落ち着いて真面目、そしてどこか田舎らしい気が姿にあつて、ずんぐりと肥えて」いる「まるで水気の多くてまづい馬鈴薯の煮ッころがしのやう」なお静さん。 「捉へどころのないぬうとした図抜けて身体も動作も大きくぼうと末が霞んでゐる」「たいへんに大きい縁なしの円形の眼鏡」をかけた佐々川さん。 「あたりの人物や雰囲気にそぐはな」い程、流行の格好を綺麗に着こなした太田さん。 「一寸若いなりたての奥さんに見える」「可愛い」森さん。 まあそれだけで誰が既に章子にとってどうなのか判りそうですが。 また、章子と秋津さんが外出して街を歩くこともありまして。それを秋津さんが「面白い」と言ったことから工藤さんもその仲間入りをします。 クリスマスには秋津さんが黒の絹手袋を「みんなにね」と買います。で、それが上記の人々皆に回ると。で、それが痕で「黒い手袋党」と言ったりするんですが。まあ皆仲良い、ということでいい時期です。 またある時は、工藤さんが皆を誘って「Nさんの個人展覧会」に誘います。 このNさんは工藤さんに言わせると、若くて才能も熱意もあるけどまだ名が知られていない画家だ、ということ。で、巣鴨の「貧民窟」にあるアトリエに連れだって行ったり。 そしてまた工藤さん発議で黒い手袋党のクリスマスをしたり。 この時秋津さんが章子に書いた置き手紙がなかなか可愛らしい。 あんこちやん ぎんざへおいしいものをかいにゆきます おとなしくおるすばんしてね まあ考えようによっては、つまりは可愛がる対象に章子をしていた、という感じもしますがー。 しかしこの外出時に、この長閑な事態が変化する原因がやってきます。 秋津さんの過去の女性です。 章子は始めて見た。 かくまでに衣装と人との美しく溶け合った姿を―― 美しい人は手には毛皮のボアを持つてゐた。 無論その前にはその美人さんの着ているものの描写がたんと出てきます。 で、このひとが、秋津さんあてに「赤いリボンで結んだ細長い小箱の包」をことづけて行く訳です。 入っていたのは「可愛いお河童の人形で、緋の羽二重の振り袖に同じ地で濃い琥珀の帯を立矢に締めて笑ひを含んで大きな眼をぱつちりと開け」た人形でした。 そして秋津さんは章子に過去の写真を持ち出して「この人か」と問いかけます。章子は肯定。 すると秋津さんの眼に泪。 ここまでが平和な日々でした。 以下次回。
2019.02.20
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これも某所に置いたもののコピペ。 ……あの話をよくまとめたなあと自分に感心。何故って…… 文体が、なあ…… 多少引用付け加えるざんす。*************「第一篇」 滝本章子はそれまで住んでいたキリスト教系の寮を出ることにした。彼女は故郷からミッションの補助を受けて上京し、勉強しなくてはならない身である。 寮母のミス・Lは驚き悲しむ。何故と問われても、章子は言うことはできない。寮母の望むように、その性格を改善することができなかっただけである。 彼女は保証人の畑中先生の所へ挨拶に行く。そしてそこでも「敗残者」である自分に掛ける思いやりなどない、と感じる。 彼女は故郷の知り合いであり、同期に東京に出てきた志摩さんを頼った。夏の休みの後、志摩さんの住むYWAの寄宿舎に空き部屋があるということで住むことにした。 四階の屋根裏部屋が彼女の一人の部屋となった。広さは四畳半くらいで、三角形の部屋だった。彼女はようやく手に入れた自分だけの部屋に幸福を感じる。その部屋の夕暮れの情景に感動する。(屋根裏) この一つの語彙のうちに、章子は溢れるやうな豊富な、新鮮な、そして朦朧とした幽暗と、そして(未知)に彩られた奇怪と驚異と、幼稚な臆病な好奇心と――の張り切れるほどいつぱいに盛り上げられて充満してゐるのをその一刹那から感じた。 その観念の前に(屋根裏)の語音は、非常に魅力ある巧な美しい響を伝へるものとなつた、そして美と憧憬とを含んで包む象徴的の韻を踏ませてゆくものとなつた。 譬えば、(薔薇の花)――(珊瑚樹)――(初恋)――(……)…… あゝ、若者達の多くの幻想を寄せるに、ふさはしいこのあまたの抒情詩集の中から引き抜かれた言句にも立ち勝つて更に深くつよく若い心を掻き乱す如き心憎くも幽遠な響と感じを発するものと――章子にはなつたので。 食事の支度ができたとの舎監の声に、それまで夢見ていたような彼女は幻滅する。 食事どき、彼女は新入りということで紹介されるが、その時、「腹立たしいくらいまでの狼狽と羞恥」が彼女を襲う。 そしてそこで、舎監に、同じ四階の隣の部屋に住むという「秋津さん」を紹介される。「秋津さん」はもの静かで澄んだ美しさを持つ人である。 その夜、まだ電球が入っていないということで、提灯を舎監から借りるが、その明かりにぼんやりとしているうちに、提灯がどういう訳だか、燃え出した。消えずにどうしていいか判らない彼女のもとに、「秋津さん」は現れて、花模様の友禅の掻巻で消し止める。「第二篇」 翌朝、どちらも使いものにならなくなった提灯と掻巻を見て章子は涙する。どうしたらいいか判らない。と、秋津さんはそのどちらもいただく、と言って受け取る。 とりあえず家具を買いに行く。机と椅子を買う。そしてその机でノートを整えているときに雀を見つける。米をあげようとして十銭で買って戻ってみると、既に雀はいない。 YWAの建物の中にはピアノがあった。彼女は不器用だったが、好きなものに対する根気はあったので、かつて教則本を一通り教わった時、「ベートーヴェンの ソナタの十五番」を与えられていた。もちろん簡単な曲ではあったが、彼女にとっては世界唯一の名曲であった。 章子がベートーヴェンを聞いたとき、彼女の心臓は破裂しそうであつた。 おゝ、ベートーヴェンを私が弾く! そんなことがあつていゝはずだらうか。 音楽の教師をしながに、楽壇にはなんの野心もなかつた、平凡な婦人たりし亡き母ですら、なほ、その偉大さを語つた、あの超人間的な驚きベき顔の持ち主のベートーヴェン――あゝ、そして今自分がその作品の一つを奏する者であると思つただけで章子は顫へた。 おそらく章子のそれまでの生涯中にあつて何が一番大きな出来事であつただらうか、それは彼女がベートーヴェンのソナタを弾奏することになつた非である、父の死よりも! 母の逝去よりも! 更に大きい驚くべき人間のレコードの印でなければならないと、彼女自身思つてゐる。 彼女は夢想に酔いながら夜、広間で一人、ピア ノを弾く。だが、弾き終わり、廊下に立ったとき、夢想は醒める。現実の冷たさと「暗黒の絶望」に彼女は泣き崩れる。 壇上に立ってこの光景を見やつた演奏者の章子の熱した瞳に熱い涙が湧き上がつた……彼女は徴集の面前に涙を以て鄭重なる答礼をした(章子は暗の広間の中で確に鄭重な礼をした)……そして名高い貴族の夫人達が美しき花束を持つてこの楽壇の若き明星を我が館の客間に正体すべく申し出でたのを皆涙と共に辞退して章子は胸も破るゝばかりの強く深い感激に身を快くゆだねて……独り楽堂を出でた……(章子は広間の扉を開けて廊下に立つた)…… 廊下の電灯の光は、あらゆる複雑せる幻像も蜃気楼も一瞬に吹き落として、そこには唯みすぼらしい娘が一人、古びた譜本を脇に抱へて、しよんぼりと寒げに立つてゐる姿を露骨に映し出した……彼女の痩せた姿を……少女期の肋膜炎の病痕を永久に記念する彼女の双肩の不均衡な反り方を皮肉な影法師にしてまで示した……「第三篇」 ある日、秋津さんが林檎の箱を運ぶのを手伝ってほしいと章子に頼む。彼女は喜んで手伝う。 なかなか持ち上がらない箱に二人が吐息していると、秋津さんの知り合いの工藤さんが通りかかる。工藤さんは女離れのした清楚できりっとした風采のひとであ る。そして三人して林檎の箱を運び上げる。が、今度はその箱が開かない。途中で秋津さんはあきらめてしまう。が、工藤さんはあきらめない。章子もそれに付 き合う。とうとう箱は開き、林檎は彼女たちの手に渡る。 秋津さんにも、と部屋に入っていくと、彼女は籐椅子の上に眠っている。林檎を剥き始めるとその香りで彼女は目を覚ます。 秋津さんが起きあがつた、柔らかな毛が額の上にかゝつてゐた――白昼の夢からまださめ切らないやうなうつら心地で澄んだ眼が優しく潤んでゐた。――若い娘の寝覚めの面ざしのえも言はれぬ美しさを章子は知つた―― それからたびたび章子と秋津さんは顔を合わせるようになる。浴室では使い方の判らない彼女を助けてくれる。髪を何処で乾かせばよいのかと思っていると露台(バルコニー)へ行こうと誘ってくれる。 月の光の下、章子はその美しい秋津さんとずっとこうしていれたらよいのに、と思う。 また、あるとき、洗面場で歯楊子(はぶらし)を落としてしまい、愛着はあるけれどもう落としてしまったものだから使えない、と思っていた矢先、靴のクリー ムを塗るのにいいから頂戴、という人がいる。それが嫌で章子は歯楊子を溝口の穴へと水で流してしまう。その真意が判ったのか、秋津さんはそれを手伝ってく れる。 章子がふとしたはずみで自分の歯楊子をコンクリートの床にあやまつて落した――その歯楊子はかなりの間使つてなじみとなつた象牙まがひの柄に歯形にそつた白の柔らかい絹のやうな刷毛をつけたもので――口ざはりの優しい可愛い品で、章子の好きな持ちものゝ一つになつてゐた――それゆゑいまかうして床の上に落ちてしまつた葉楊子を見ると別れがたく悲しくなつた――といつても、皆のスリッパで踏むところ――そこへ落ちた品ゆゑ、ふたゝび口もとへ戻して使ふことは出来ぬ――(……) 声をかけた人の真意が始めてわかると――章子はたゞゆゑもなくくわつと気が高ぶつた。自分の口の中を長い間入つて掃除してくれた可愛い楊子を――今までまつたく見も知らなかつた人の靴にクリームを塗る奴隷の勉めなぞにどうしてやれようぞ――そんな人の手に与へるくらゐなら、とてものこと瑞で流してあの床の隅の溝口の穴へ葬つてやつた方が、どれほど気持のよい幸福だらうと思ひついた、洗面台の上のタオル掛の棒には二三本の赤コム管がさげてあつた、その一本を取つて木の栓口にさしこんで、章子は管の口をコンクリートの上の哀れな落ちた楊子の上に向けた、ざ――と瑞はほとばしり出て楊子を少しづゝおし流した、しかし一本の管口の水の勢ひでは、あの片隅の穴へ楊子を入れるには少し時間がかゝるやうだつたが、なにしろもう、たまらなく人手に渡したくない気もちが一杯で手先を顫はせなが夢中で水を注いでゐた――あの自分の靴を光らせるために人の落とした楊子を望んだ人は傍らに立つてこの章子のものに狂うたやうな様子をなんと思つて見てゐるか――しかし、そんなことはどうでもよかつた――そのときその人が更にしつこく楊子を欲しがつたなら、その勢ひで章子はいきなりゴムの水管の口をその無礼な人間の顔へ向けてさつと水を打ちつけたかもしれない―― そうやって秋津さんへの思いはつのっていく。 教会に日曜ごとに行く習慣はあるので、彼女は近い教会に通っていた。寄宿舎の人々はたいてい行くようなのに、秋津さんは行かない。章子は驚く。 章子はかつては宗教を信じもした。だが、現実のあまりに目的のない「広野の空漠」が開かれていることに気付くと、その信仰心は次第にあせていった。 日曜の夜は、応接室に集まって祈祷会が行われる。うろたえながらやっとのことで外国夫人たちとの会話をする章子は、そこでは喜劇役者だった。秋津さんはそ の様子に興味なさそうな顔で沈んでいる。冬の始めの祈祷会で、章子は、焦りながら言う「私は神様の姿を確かに目の前に見たらすぐに信じる」。人々は笑う。 だが、それは章子のほんとうの願望だった。 賛美歌を感きわまって歌う信者の人々。だが秋津さんは堅く唇を閉じて、歌わない。その姿を章子は美しいと思う。 秋津さんは部屋に帰った章子を追って来た。「あなたは何て純な正直な方なんでしょう」「第四篇」 やがて屋根裏の部屋で、章子と秋津さんは一緒に生活するようになる。二つの部屋を二人で使うようになる。 片方を書斎にし、昼間はそちらで過ごし、夜は寝室にした方で休む。 ある日、林檎の会を開くことになった。余ったお皿のために章子はバタを彫刻する。 この日集まったのは、工藤さんと矢野さん、お静さん、佐々川さん、太田さん、森さんの六人であった。それぞれがそれぞれの個性を持っている。 秋津さんは章子を連れてよく夜の街をそぞろ歩く。それにやがて工藤さんが加わる。寄席に入った三人。章子はそこで見かける男達にしみじみと幻滅する。 煙草に辟易していた工藤さんは、「大型の扇子は持っていないから」と小座布団をぱたぱたさせる。さすがに煙草はその姿をひそめる。寄席自体はおもしろかった。 冬に入って、街へ出たとき、秋津さんは黒い絹の手袋を1ダース買う。皆へのプレゼントとして。そして友達たちと「黒い手袋党」ということにする。 またある日、その集団で、工藤さんの誘いでN氏の個人展覧会に行く。そのN氏に対して、いつもと違う、普通の女のひとに見られる仕草をとる工藤さんに章子は驚く。 展覧会の後、皆工藤さんに対して敬意を見せるような批評をする。 黒い手袋党でクリスマスをすることになった。その日秋津さんを訪ねてきた美しい女性がいた。彼女は秋津さんあてに可愛らしい人形を贈って姿を消す。 秋津さんは名乗らぬその客のことを章子にたずね、その正体が判ると、章子の前では初めて涙した。「第五篇」 新年が来た。秋津さんは故郷が遠い(北海道)なので帰らない。章子は郡会議員の伯父の家へと帰っていった。従姉妹の相手などをして日々を過ごすが、屋根裏の秋津さんのことを考えると胸がいっぱいになってしまう。熱病患者のようにしてペンを動かし、手紙を書くが、読み返し、狼狽し、字を次々と塗りつぶす。ただ一つ、「貴女を愛します」という言葉以外。だが、その一つすら彼女はやがて塗りつぶす。 故郷を離れ、屋根裏へと帰るのが章子はたまらなくうれしかった。ところが帰ってみると秋津さんの姿がない。外出したのだと舎監は言う。 卓の上にある人形を見て、不安になる。そして秋津さんの書棚の上にあった電報の「独り、待つ」の言葉に激しく動揺する。 そして彼女は自分を現在苦しめている激しい感情が嫉妬であることを知る。 工藤さんはその電報の主を知っていた。現在は伴男爵の夫人となっている「旧姓呉尾きぬ」さんであること。その彼女が夫君の留守に秋津さんを呼び寄せたのだということ。それを知って章子はますます苦しむ。 秋津さんは翌日帰ってくる。その姿に章子はただ喜ぶ。 やがて工藤さんが悪性の感冒(インフルエンザ)にかかったと矢野さんが告げた。章子は工藤さんが病気のため、意識不明のため、あの伴夫人に嫉妬する自分の 様子を誰にも喋られずに済む、とほっとする。だが、そのほっとする自分に思い当たり、身の毛がよだつ思いをする。やがてそのまま工藤さんは亡くなる。 葬儀のあと、小さな洋食屋で「女」そのもののような店の女給を見てうんざりとするが、客の一人の兵士の、ライスカレーを二皿みごとに食べて帰った姿に、生命の一つの現れがあった、とすがすがしい思いをする。 ある時から、秋津さんに手紙が良く来るようになる。手紙は伴夫人からだった。読むたびに秋津さんが暗い表情になっていくのに章子は不安になる。だが自分にはどうすることもできないのが判る。そしてそれは章子にとってひどく苦痛なことでもあった。 やがて、手紙のことは普段は気にもとめないような秋津さんが自分で手紙を漁りに行くようになる。章子はその様子を見て苦しむ。 ある時、章子は伴夫人が秋 津さんに贈った人形を手にし、いきなり畳の上に投げつけ、にらみつける。そして人形の腕をねじあげる。と、それはぽきりと折れてしまった。 秋津さんを失ったという思いは、章子を落胆させる。勉強にも身が入らず、再試験を命じられる。試験はなんとかなったが、自分が生命のない泥人形になったような日々がそこにはあった。 ある日、矢野さんが来たが、屋根裏の二つの部屋からどちらも返答が得られないので、あきらめて降りていってしまった。 次ぎにお静さんが登ってきた。彼女は遠慮なしに部屋に入ってきた。章子は彼女のずうずうしさが嫌いである。その嫌いなひとが秋津さんのものを取りに来た。それに気付くと、章子の頭に血が登った。 隣の部屋で籐椅子の上で静かに寝ている秋津さんに毛布と羽根枕を捧げて立っているお静さんの頬をなぐる。 お静さんは泣きながらそれを舎監に告げに行く。 章子は秋津さんを打ちつつ哀願する。私を顧みて、私は貴女なしでは生きていけない… 章子は非常に咽喉に渇を覚えた――自身の頬がくわつくわつと火のやうにほてつて、咽喉がかわいて苦しかつた――弱い弱い暴君は苦しげに喘いだ――章子は秋津さんを打ちつゝ哀願した――私を顧り見てください――私は貴女なしで生きられません――もう一度、もう一度あはれ、いまひとたび、いま、、ひとたび――私を私をかへり見てください――とあらゆる哀願の泪と共に、烈しく烈しく火の如く、かく烈しく喘ぎつゝ愛する者を打ちつゝけた。 あゝ誰かするに跪まづかずして、拳を振らうぞ! しかし、章子は拳をあげて、しかし哀願した、あはれ、世にも痛ましく悲しき狂おしき哀願! 舎監は章子に退寮を命じた。ぐずぐずしているとどんな恐ろしいことがおこるか判らないと章子は震えながら荷物をまとめる。そこへ、秋津さんがやってくる。 そして自分と一緒に行くという。伴夫人のことを心配している章子に秋津さんは、伴夫人からの手紙を見せる。「一緒に死のう」という夫人の言葉に心動かされ もしたのだが、やはり章子のことが思いきれなかったと言う。 自我のために、恋愛のできなかった夫人は、死ぬことで強い自我を表そうとしていた。そしてまた章子は自分にも自我があることに気付く。そして秋津さんは「自我を持った強い女として一緒に生きよう」と言う。 そして彼女達は二人して屋根裏に別れを告げる。********* ……詳しくはまたあとで、なんですが。 ともかくこの主人公章子の秋津さん以外への閉鎖性の息苦しさったらありゃしない…… なんですが、一応これ、「地の果まで」と同時期に書いた、「やや理想化された私小説的なもの」なんですよね。 秋津さんはモデルはいても理想化された女性。 ただ章子はなあwww まあ章子の痛さは次回。
2019.02.20
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「――あなた、わかりました――よくわかりました――身体は妻になつても、心は……心は外のひとを思つてゐたと――仰しやる……仰しやる通りの情ない浅ましい悪い女の私を――それを知りながら、今日まで、よく許して――我慢して……あゝして生さぬ仲の啓一を分けへだてなく愛してくだすつたお気持――すまなく、どんなにすまないか――よく身に浸みてわかりました――思へば不埒な妻、偽りの妻、心で不義をしてるも同然だつた妻の私――考へると穴にも入りたいほどです――許して、ゆるしてください。そして挙句の果に、あなたをそれゆゑに、家を離れて身まで引かせようとさせる、私の罪の深さ――よくわかりました――ゆるしてください――あなた――でも――でも、今夜の今から――その不埒な妻の心も変りました――今から、たつた今から、私は、昔の夢はふつゝりと忘れます――いゝえ忘れました――そして今こそ、心も身も、みんなしんから、あなたの妻になり切れます――いゝえなり切りました……今、今――もう、もう、家を出るの、離縁するの、別れるの、――と夢にも仰しやらないでください。今のこの私の決心は、神様の前にだつて、ちやんと誓ひます……」 えー……「男の償ひ」は、昭和10年7月から12年6月まで『主婦之友』に長期連載されたものです。 今回の引用は『吉屋信子選集 第十巻』昭和14年8月刊からです。 ちなみにこの話は朝日の全集にも入っております。TV化も何度かされてます。 転がるようにこれでもかこれでもかとばかりにヒロインが不幸になる話です。凄すぎて眩暈がしそうでした。 ひとことで言えば、「最初に惚れた男がクズだったせいで周囲を巻き込んで不幸になっていった女の話」 です。 ちなみにこのクズ男は女の最初の婿で、最終的に「償う」ことになるんですが、その時には狂った女と、二度目の夫との間にできた子しか残っていないという。 しかしこの転がりようがハンパじゃない。 ヒロインの視点で行くと。*自分の家=古くからの宿屋に考古学者の男がやって来て気安くなる。*男を婿にする。*ただし婿入りの手続きに際に金銭が絡む。*新婚旅行で考古学者の先輩の家へ。「考古学者の妻」に憧れる。*だが帰ると旅館の手伝いが待っている。夫は手伝わない。*夫と両親の間がぎくしゃくする。*金銭トラブル。離婚へ。*父親が脳溢血で倒れる。*妊娠が発覚。*元からヒロインを好きだった身寄りの無い住み込みの優しい青年を二度目の婿にする。*子供が生まれてもしばらくは床は別。*子供の病気に夫が身を尽くして親身になった時からやっと本当の夫婦になろうと思う。*二人目の子供が生まれる。*宿屋の増築。だがイカサマ建築だった。*母親が保険目当てに新館に放火。その際母親焼死、夫が失明。*数年後、休館のみで細々と宿屋は経営。ヒロインが総て取り仕切る。*夫は尺八の練習。*そこへ元夫の幼馴染みの女性が宿泊。*元夫やって来て長男への父親の権利を主張。ヒロインはね除ける。*夫「離縁してくれ」自分が出て行く、と主張。*上記の台詞。*夫、入水。危険を察知した長男も巻き込まれ死亡。*ヒロイン発狂。 散々ですね。 でも上記まの台詞で、果たして夫は本当に妻のこと、信じられるでしょうかね。 つかこういうことって、「言葉にわざわざ出して宣言する」ことかい。で、元夫、病院内のヒロインと再婚して次男共々面倒をみることに。 元夫の視点で見ると、また別の話になります。 てな訳でそれはまた次回。** その滋の姿は、英ネル青灰色の夏服の胸釦もはづさず、パナマ帽のその鍔の蔭に、肺を病んで亡つた父の雅人によく似た面影の、濃ゆい眉の凛々しい、清澄な眼の大きな、格好よく高まつた鼻梁と、喘ぐ如き暑さの中にも、意志強げに堅く堅く閉ぢた、少し大きな、けれど、上品な男の唇とを持つた、二十四五歳の智的で純潔な青年にのみ見られる、激しい意力と純な初々しい情感の秘められた顔が、空からくわつとさす陽の中にも、静けさを保つて、この眉うら若き考古学者は、もう幾つかの坂道を上へ上へと曲がるに沿うて登つてゆくのだつた。 さて。 この「男の償ひ」は、ヒロインの前に、たぶん主人公、な男が出てきます。 たぶん、というのは、前回のヒロインのあれこれの時に殆ど姿を現さないからです。 ただ出だしは彼です。彼と幼馴染みの女性(Wヒロインの一人)の関係と家同士とか異母兄とのいざこざです。 で、まずこの見た目のよろしい滋くんが、サイテー男になる訳ですが。 何がサイテーかというと、やっぱり「適当な婿入りをしてみたがその家に全く合わせること無く出てったこと」でしょうか。 そこにはまず彼の性格があります。 母親からは「あの子は、学者肌で偏屈で――」と言われてます。「お金にもならない学問」である考古学に打ち込むことと母への孝行以上のものは無い、という様な男です。 まあそれだけならいいんですが。 熱海のヒロインその2、瑠璃子さんの別荘に行った時、彼とは逆のタイプの男、堤と出会います。現実的な実業家です。瑠璃子さんの母親もまあこっちを結婚相手に、と画策します。 ちなみに滋くんと瑠璃子さんは幼馴染みからいつの間にか好き合う同士~という吉屋信子の理想のパタンでしていずれは結婚したい、と考えてます。 しかしそうなると、瑠璃子さん母は面白くない、というか滋くん邪魔。 ここで話がこじれてしまうんですね。瑠璃子さんから手を引け、代わりに出資しよう、的な。 まあここで典型的な滋くんの性格を抜き出してみましょう。堤氏に素っ気ない態度を示して会話の場から離れた場面。 滋は、折角頭を休めに、そして瑠璃子と語り合ひに、出かけてきたのに、その最初の晩から、無智な俗物の堤のやうな客と、応対するのが、ばかばかしくて、やり切れず、彼の一本調子の、確かに我儘な神経にさはつてしまつて、さつさと、客間の愚な会話から逃げ出して、階下の庭に向ふ縁側の籐椅子に、一人で倚りかゝつてゐた。 二階の客間から、何が面白いのか、女たちの笑ひ声がする――それを耳にすると、滋はいらいらして来た。(小母さんも瑠璃ちやんも、母さんまで、なんだつて、あの男を取り囲んで、いつまでしやべつてゐるんだ、女つて莫迦だなあ)と腹が立つにつけ、勝恵も瑠璃子も自分よりも、あの堤といふ金持の青年をチヤホヤして歓迎してゐるやうな気がして、自分一人除け者にされたやうで、ひがまずにはゐられなかつた。 ガキですか。 で、その後瑠璃子さんと口論になって、さっさと家に戻ってしまいます。 戻ってみると教授から調査のお誘いが。すこーんと色々忘れてそっちへGO。 調査旅行に泊まったのが、伊豆の「夕霧楼」という旅館。ここに前回出したヒロイン寿美さんが居る訳です。 客である間は滋くんは「感じのいい若手研究者」です。寿美さんはっきり言って一目惚れの様なものです。 その一方で、瑠璃子さんの父親から「良縁が来ているので交際は……」という手紙。 そこでまた「むらむらと持前の癇癪玉が胸中に破裂して」しまい、まずその手紙をびりびりに破き、次にピンポンで寿美さんに当たります。「獰猛な球」「極端に乱暴な荒々しい球」を打ち込まれた寿美さんは何かどきどきしてきたようですし、終わった時には名残惜しそうですが、単に滋くんからしたら憂さ晴らしです。終わったらあっさり寿美さんのことなんて忘れてます。 で、返事を「宿の名を刷り込んだ、きはめてお粗末な用箋と安封筒」に短く書いてポストにぽん。 さて帰ってみると、家ではまた問題が。異母兄の猛が、父親の本の著作権を売ってしまったということ。何とか買い戻したけど、その時の金を瑠璃子の父親が出したということを聞いてしまった訳です。 さあそこで「お宅の滋さんの将来のお祝ひの引出もの」なんて文句があったからまたカンに障る。 これを「手切れ金」と彼は曲解する訳ですな。 元々そういう意味合いは無いです。一時の怒りにまかせた返答が、瑠璃子父にも効いて、今回の家の問題にもちょっと親切心を、ということで滋の母を助ける金額を用立てて、それでいて気に病ませないように「引出もの」という言葉を使ったに過ぎません。 さてここで今度は瑠璃子両親が「手切れ金」なんて言葉を使った滋に悪印象。 そんな折りに異母兄帰宅。このひとがまた山師的。この兄が次に来る滋の縁談に乗り気になってしまいます。 上記の通り、「夕霧楼」の寿美さんは、滋くんに一目惚れです。で、婿に来て欲しい、と両親からも教授夫人を通して申し込み。 ただここで異母兄の猛が算盤持ち出して、支度金がどうの、とか言う訳ですよ。弟がここまで来るにはこれだけかかったから、とか。 さて滋くんは、というと。 まあ色々悪い方に悪い方にばかり考えてしまって、こう言ってしまう訳です。「母さん、僕、兄さんの望み通り、売られる男になつて、伊豆のあの旅館へ養子に行きませう。そして、恥を忍んで、結納として、その僕の学資との弁償とやらを貰ひませう。そしたら、その金で母さん、いつか阿倍から借りた金をそつくり叩き返してやつてくださいッ」「恋愛とか結婚なんて、男に取つては、人生の一些事に過ぎませんよ。男には結婚より自分の一生の仕事への欲望が強いんです。僕には考古学の研究があるんです……」 で、結婚式。 挨拶回りは憂鬱。 そして母親と別れる時は、「父なくて、この垂乳根の母ひとりに今日まで育てられた、お母さん兒の滋は、二十幾つになつても、やはり母に別れるのは心細かつた。しかも見知らぬ他人の名かに入婿に来て、今日からもの馴れぬ生活を他家に始めるのだと思ふと、滋は子供のやうに心細くなつたのである。」 で、寿美さんは「お母様の分まで尽そう!」とけなげに思うんですが、滋くんの方は、そんな彼女の心は「(恐らく知り得なかつたろう)」で、あくまでいつまでも名残惜しそうなのは「きまり悪く」思ったぶんなのでした。 で、二人新婚旅行に飛騨に行きます。考古学者の先輩のとこです。 この目的地に寿美さんがあっさり同意したことで、寿美さん母のおあいさん、滋に嫉妬します。今まで自分を頼ってばかりだった娘がいきなり婿にはいはい、かい、と。 旅行先で寿美さんは先輩「研究者の妻」を見て、その姿に憧れます。自分もそうありたいと思ってしまいます。 で、帰ってからその真似事をするんですが、滋が旅館の仕事は全く手を付けないので、寿美さんが手伝いをしなくてはならないことに。せっかく夢見た生活はできません。でもまあ、そもそもそういう条件で滋を婿に取った訳でして。寿美さんがんばって店の切り盛りを覚えようとします。 ちなみに滋くんは。 その間、滋は離れのわが机の前で、前に自分が編集員だつた、考古学雑誌の寄稿に、(飛騨国発見穀物粒の痕跡ある弥生式土器に就いて)の論説を苦心して書いたり、その写生図を作るやら、その傍ら、やがて数年後立派に書き纏めようとする、考古学上の博士論文の材料を集めるに、勉強したり、まつたく、まだ大学生生活の延長のみたいな日を送つてゐたのである。 寿美さんは先輩の奥様の様にいそいそ紅茶を運んだり食事の給仕をしたくてたまらないんですが、店のことで手一杯でまるでそんなことできません。 でも、滋は今までの学生生活に馴れてゐたから、けつく一人で一日放つて置かれて、気まゝに机に向へるのが気楽で良かつた。それに彼は、結婚よりも妻よりもその学問上の男の野心に燃え立つてゐた。いはゞ、かかる生活も、事の成り行き方便で、彼には、わが研究第一、生活はむしろ第二、第三に軽んじてゐたのだらう。 さてそんな折りに、また猛が登場。金塊引き上げ作業の投資を募ります。サギですね。 滋は無論「駄目」。 だけど寿美しかいない時に、再来。寿美一人を狙って金を無心します。 困ったことに世間知らずの寿美さん、せっかくの夫の兄だから、と店の小切手を書いてしまいます。 さあそこで元々寿美のことを好きな喜之助が「自分が出した」とかばう。自分の給金の貯金から引いてくれと頼む。その心根に、寿美両親は婿と比べて感動。 で、滋くんは、そんなことさっぱり我関せず。「一切兄に取り合ふなと、かたく申し渡した筈」と主張。それはそれで間違ってません。寿美さんが滋くんに隠してたんですから。 でもさすがにおあいさんはもう我慢できません。「真綿で首をくゝるやうに、わざと、やんはりと、かつ粘つこく、じはじはと滋にいやみを」言う訳です。 そうなると滋くん、もう居ても立ってもいられません。「わかりました! 僕は今日兄に会つて、その無断で寿美から受取つた金を、取り返して来ます!」 寿美さんに対しては、「な、なぜ、僕があれほど、決して兄の言ふことにかまふなと、言つたのに、無断で出過ぎた非常識の真似をして、こ、こんな生恥を僕にかゝせるのですッ」 で、出ていきます。 これでもう滋くんは戻りません。 兄の「会社」に乗りこんで絶縁を宣言したのち、元々の仲人の博士夫人から離縁の件を切り出してもらう訳です。 いろいろと夫人達もなだめたりしたようだけど「妙に偏屈」な滋は、「あゝした不合理な生活にはこれ以上堪へられません」と言い出して聞かない。そもそも「かうした御商売の家には向かないお婿さんで」あったのは判っていたはず、と夫人も主張。 おあいの方も、「いつまでたつても赤の他人のつもりで――まるでこの家に下宿でもしてゐる心持でゐられたんでは」息子の様にはできない、と。夫人もそれには同意。 ということで離婚が成立してしまいます。 ここからが寿美さんの転落人生。 でもその前にこの男を好きになってしまった辺りが間違いだったんでしょうな。 いや無論、この場合一番悪いのは、結婚生活というものの現実をしっかり見ようとせずに婿に入った滋ですがね。 何せこの時点で寿美さん妊娠してるし。 彼にとって寿美さんは、世話をやいてくれてセックスさせてくれる綺麗な女性以外の何者でもない様な気がします。 あーやだやだ。** 喜之助は、こんな風に、啓三郎の言語で表現出来ぬ気持を早くも察するのは、さながら、よく訓練された忠実なシエパードの犬が、その愛する主人の意志や命令を表情や口の動きで察つて、それに直ちに従ふやうな、敏感さと、主人への深い愛情を持つてゐるかのやうだつた。 誠実で忠実で本当にいい人である喜之助くん。 長いこと奉公している番頭でもあります。 彼は寿美さんのことが本当に少年の時から好きでして、だけど自分は不釣り合いだし、と始めから諦めているようなひとです。 でも彼もひとなんで、寿美さんが結婚すけば相当辛かったです。 ところが寿美さんのバカ夫である滋くんが勝手に離婚ということにしてしまいまして、彼が第二の婿になります。 というのも、寿美さんの親父さんが脳溢血で倒れて、その時に一番頼りになるのが彼だったということもあるんですが。 その後色々苦労しつつも、その真心が通じて寿美さんと本当の夫婦になる訳ですが。 後の火事で眼をやられて。 滋くんの再登場で自分は身を引くべきだと思いこみすぎて川に身を投げます。 寿美さんの幸せを願って、だったんですが、結果的に寿美さんは彼と上の息子の死で狂ってしまうんですがね。 もっともその狂ってしまった寿美さんは、病院で滋に「僕だよ」と抱きしめられても、「ホヽ、私は――喜之助の妻です――なぜあのひとは来ないのでせう……眼が不自由なの……迎へに行つて……先生!」 瑠璃子さんが「滋さんが来たのよ」と言っても、「ホヽ、啓一は滋さんにあげました……だから川へは落ちなかつたの――あれ嘘なの、あなた――よかつた!ほんとに……だから、安心して尺八習ひにいらつして……お店は私がします」という様に、それこそ病気の無意識の中でも喜之助の妻になりきってしまったのだから、本望か……あ? そんな可哀想というか自分の思いに殉じてしまったというかの彼ですが、冒頭の文章。 恩ある「旦那様」に対しての喜之助くんの描写。 犬ですかー。 作者がそう記述しますかー。 って感じで。 いやこれを登場人物達が「彼は犬の様に忠実ね」とか言うなら何かまだ納得がいくんですが、地の文=作者がそれを言うってのが…… 誉め言葉なのか? 本当に? と勘ぐりたくなるというもの。 そうか犬ですかー。
2019.02.20
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前にも転載したかもしれないなー。たぶんこれレジュメにしようとしたものの転載。なので堅苦しい文章なのは勘弁。*** 吉屋信子(明治29年~昭和48年)は明治から昭和の長い間にかけて、“女性向けエンタテイメント小説”を書き続けてきた。 ただし彼女のその道のりは決して平坦ではなかった。時代、周囲の理解不足、女性ということ、そして彼女の性格が火種となって周囲との衝突をしたこともあった。 その最も有名な例は、小林秀雄が『文學界』において、吉屋の「女の友情」を感情的に攻撃したことだろう。>資料1 小林秀雄「女の友情」批評 『文學界』昭和十一年十二月 この本はほんの少し許り讀んで止めた。 他の事情もあつたがいかにも面白くないので到底我慢が續かなかつたのだ。 無論面白いであらうと思つて讀みはじめたのではない。興味ははじめからこれが非常によく賣れた小說だという點にあつたので、そこのところが納得出来れば何か言ふ事があるだらう、といふ氣持であつた。當人まことに冷靜な氣分であつたが讀み出したらどうにも向つ腹が立つて來て任を果たす事が出來なくなつて了つた。 作者に對して申し譯ないなぞと少しも思はぬが、讀者並びに編輯當番には濟まぬと思ふ。 だが、向つ腹も評家の見識だと信ずるから何故向つ腹が立つたか簡單に述べて置く。 子供に讀ませる本に必ずしも作者は人生の眞相を描いてみせる必要はない。 だがあんまり本當の事は遠慮する、或は甘つたれた話し方をしてやるといふ事と子供を侮る事とは違ふ。恐らく作者は無意識にであらうが、これをごちやごちやにしてゐる。 まるで子供の弱點を摑まへてひっかけるといふ文體である。子供がひつかけられるから本がよくよまれる、などといふと作者はおこるかも知れないが、僕の言ひ方は作者の文體より上品である。 例へば何とかいふ令孃が番頭と無理な結婚をさせられて、初夜を明かす温泉宿の描寫なぞは殆ど挑發的だ。あゝいふ筆致は言はば狡猾な筆致だ。子供を引つ掛けるにはこんないゝ餌はないといふ感じだ。どうせ通俗小說だ、そろ盤を彈いて書いてゐるといふ様なさつぱりした感じではない。何かしら厭な感じだ。人の眼につかない處で子供たちと馴れ合つてゐる、といふ感じだ。 この作者の文體には極く尋常な美しさすらない。尤もこの尋常の美しさなるものこそ一般通俗作家に一番缺けてゐるものかも知れないが。確かな事は「女の友情」を愛讀する子供達の裡には、「女の友情」より遙かに美しい健康なものがある、といふ事だ。 この事件については、吉武輝子『女人吉屋信子』(文藝春秋社 1982.12)、 田辺聖子『ゆめはるか吉屋信子』(朝日新聞社 1999.9)といった評伝、駒尺喜美の評論『吉屋信子――隠れフェミニスト』(リブロポート 1994.12)にも取りあげられている。最近の研究では黒澤亜里子が「大正期少女小説から通俗小説への一系譜 : 吉屋信子「女の友情」をめぐって」でこの件を言及している。 この件については、上記評伝において、吉屋が東京日日新聞のパーティの席上で小林をやりこめたことで集束されている。 では他には何も無かったのだろうか。 それがここで挙げる昭和十五年末における『改造』誌上の吉屋と杉山平助とのやりとりである。 杉山平助(明治27年~昭和21年)は昭和三年?~十七年に渡ってマス・ジャーナリズム上で活躍した評論家である。 大正十四年に小説『一日本人』を出版したのが彼の文筆人生の始まりだが、そこから昭和十七年までが彼の短い活動期間である。十八年から終戦までの足取りは掴み辛いに加え、彼自身の生命が二十一年、五十二歳で尽きてしまったことが何と言っても大きい。 だがその短い期間に、雑誌・新聞に書かれた評論・随筆・紀行文をまとめたもの、書き下ろし小説といったものを、二十四冊出しているというのは、非常に旺盛な仕事ぶりだったと言えよう。 近年の研究としては、都築久義「杉山平助論」、山口功二「マス・ジャーナリズムとしての批評――杉山平助と昭和期ジャーナリズム」、森洋介「ジャーナリズム論の一九三〇年代」、作品論では『文芸五十年史』を吉田栄治が分析している。 しかし現代においては“忘れ去られた”批評家である。 だが何故杉山なのか。 それは彼が、戦前戦中期において唯一まともに吉屋の新聞連載長編小説をきちんとした文章で批評しているからである。>資料2 杉山平助『文藝春秋』昭和十三年九月号「新聞小説の社会性」(……)吉屋信子の「家庭日記」は現代の都会生活において幾組かの男のいりくんだ感情生活を描いてゐるものである。それが、どんなモデルを要求してゐるのかは、私の読んだ範囲では、まだハッキリつかめなかつた。 その中に、妻に対して忠実な男が却つて妻から裏切られ、女を平気で裏切るやうな男が幸福な家庭生活を営んでゐられるという現実を、紀久枝という女性が嘆息してゐるところがある。 これは男の側から裏返して云ふと、良人に対して忠実な女性が、却つて男から捨てられ、男を幾人も裏切つてゐる女が、平気で安全な家庭生活を営み、社会的に高い位地に上ることがある、とふ逆の現象も成立し得るので、事実としても、さういふ例は、相当に多い。 かういふところから見て、人間を幸福にさせたり、不幸にさせたりするのは、何か別の法則があるのではないかといふ疑問が生ずるやうなことがある。この作者にはさういふことを執念深く追求し得る興味はないであらう。しかし、その現象に首をかしげて、世間に告げることは出来るので、その解決は、おそらく或る程度の通俗的な線にとゞまることであらう。 この作品にも、「虹の秘密」にも、時代の影はさしてゐない。もちろん際物的に、事変を取り入れる必要はないが、この二三年間の社会の感じてゐた圧迫は、どこか知らんに雰囲気としてにぢみ出てもらひたいものである。 但し「家庭日記」には、職業的に独立しようとする女性の生活が描いてあるのは、今日の全日本の若い女性に訴へるポイントをつかんだものである。今日の結婚前の女性と話しあつてゐて、この点にインテレストを感じないものはほとんどないやうにすら思はれる。 実にえらい大群が洋裁学校へ、或は美容学校へ、或は喫茶店経営の志願者へ「流れ込んで」行く。そして、需要はもちろんこの供給とバランスせず、その大多数が中途半端で挫折し或は堕落して行くのである。この真相を描破せず、ごく希な成功者だけを語つたりすると相当に女性を誤まることになることを、警戒せねばならぬ、さらに最近の各種の経営統制が此等の独立職業をもとめてゐる婦人たちに、どういふ影響を及ぼすであらうか、などゝいふことはこの作者なぞが忠実に見戌らばならない点であらう。 それから、この作者のものを読んで感心させられるもう一つは、女がもとめる愛情と男が与へたがる愛情には、何かくひちがいがあるのではないかといふ疑点である。たとへばこの作品中の或る男が旅行に出て行く時に、門口まで見送った妻と飼犬を見て自分の留守中に奥さんを大切に保護するやうに、といふやうな文句を、飼犬に云ふところがある。 こゝらあたりおそらく多くの女性読者及び一部の男子読者に最も魅力のある描写であらうと想像されるが、私などはちよつと鼻持ちがならないのである。もちろん、我々でも飼犬にむかつてさういふ言葉を云ふことがあるかもしれないが、それは別の感覚で云ふのである。私はそれのどつちが善い悪いのなどゝ云つてゐるのでは決してない。たゞ男女の間のかうした喰ひちがひにこの作者が興味をもつて眼を開くやうになれば、作風は進展しはせぬかと考へるのである。(引用は『新しき日本人の道』第一出版社 1938.10 p289-291 ) 杉山が関心を持った箇所はかなり最後の場面なので、この時点までに新聞掲載されていたものを全部読んだ様である。 興味深いのは、その捉え方である。 「家庭日記」は二組の夫婦、その友人、昔の恋人とその妹といった人物で廻っていく物語である。これを通常の吉屋の読者なら、まずヒロインを中心に読むだろう。だが杉山はこの夫達の方の動きを中心に据えている。確かにその様な読みをすれば、男達が女によって変化させられるプロセスを描いた話として、矛盾はないのだ。 この様に杉山は、仕事として真っ向からこの作品をきちんと読んで批評している。その辺りが小林の「女の友情」評と違うところである。 だがこの評の書かれた直後の「ペン部隊」の従軍で、吉屋と杉山は同じ場面を見たはずなのに、何故二年後にこの様な誌上論争を巻き起こさなくてはならなかったのか。 杉山は『改造』昭和十五年十月号の「文藝時評」(単行本収録時は「闘争の時代」と副題がつけられる)中の「平和と文壇人」の中でまず前置き(資料3)した後、二年前の漢口従軍の際のことを記している(資料4)。>資料3 杉山平助『改造』昭和十五年十月号における「文藝時評」中の「平和と文壇人」(1) 今後も被占領地帯における支那文人と日本文士との交歓はいよいよ頻繁になることにあらうと思ふし、それはそれより外はないことであらう。しかし私は、この際日本の文士に対して、さういふ場合の心構へを、根本から据ゑておいてもらひたいことを警告する。現在は戦争の最中で、平和は未だ来てゐないのである。(p219)>資料4 杉山平助『改造』昭和十五年十月号における「文藝時評」中の「平和と文壇人」(2) 我々文学者が漢口従軍の時である。一行は、砲撃によつて破壊せられた或る小市街へはひつて行つた。それは見るもむざんな光景である。財産のあるものは全て逃亡し、最下級の支那人ばかりが逃げおくれ、ボロを着て、食に飢ゑて、よろぼふやうに、あつちこつちをさまよひ、また片隅にうづくまつてゐた。 やがて、我々は三四人の支那婦人に行きあつた。いづれもはだしで、垢にまみれ、眼のたゞれたやうな婆さんたちであつた。 その時、私と同行の女流通俗作家が、連中をつかまへ、通訳を介して、その汚い婆さんたちに、なるべく触れないやうに用心しながら、こんなことを云つてゐるのを、私は耳にした。「わたしたち日本の婦人は、あなた方支那の婦人に大へん同情をいだいてをります。どうかそのことを、支那婦人の皆さんにおつたえ下さい」 相手の婆さんは、たゞニヤニヤして頭ばかりペコペコさげてゐた。 この愚劣な光景を見た私は、突磋に、ヘドのこみ上げて来るやうなものをおぼえた。もしも出来ることなら、その女流作家の横面を、張り倒してやりたいやうな、はげしい憤怒をすら感じたのである。 かの女は、たしかに正しい言葉を云つてゐるのではないか。それに私は、何故にさうした感情をいだいたのであらうか。 私は、こゝにそれを説明しようとは思はない。かういふことは、分る人には云はなくつても分るし、分らない者には、いくら云つて聞かせても、わかりつこないのである。 或る国が流血の惨事を敢行する時に、そこから生ずる一切の悲惨さの責任は、自分自身にあるといふことを、身をもつて感じ得ないやうな人間は、真の日本国民でもなければ、文学者でもないのである。 その責任感も、内部的苦悶もなく、あまりに安易に語られる「正しい言葉」は、実は邪悪な精神冷血な心情の異つた表現にすぎないのだ。 だから真に深く考へこむ人間は、次第に綺麗な言葉や、正しい言葉を、口にすることを慎むやうになる。それは常に、自らの責任を痛感し、自己の力の不足の悲嘆があるからである。 愛を口にするのは易々たることである。しかし、これを行ふのは、何と難いことであらう。 それ故に生の悲痛と責任の観念の深いものほとじ、次第に却つて冷酷な言葉を口にするやうな、逆作用すら生ずるのである。 日本の現在の文壇人には、前にのべた女流作家程度の人間が、あまりに多すぎはせぬだらうか。そんな浅々しいところから生命のあるどんな文学も、生れて来るわけはないのである。(p219-p221) ここで取りあげているのは、昭和十三年に「ペン部隊」として文士達が大陸に派遣された時のことである。 この時ペン部隊に参加した女流は二人。陸軍班は林芙美子、海軍班が吉屋信子で、杉山が参加したのは海軍班である。当時「女流通俗作家」と言ったら、吉屋信子しか居なかった。女流作家と言われる女性は幾らか居たが“通俗”と専門性を持って呼ばれるのは彼女しか存在しなかったのである。 確かに他にも女流作家が“通俗的なもの”を書くことはあった。だが彼女達は、吉屋ほどのエンタテイメント長編に徹したものを書くまでの技量と想像力が無かった。またこの時代、優れた“フィクションの作り手”として堤千代も登場していたはずだが、彼女は基本病床にある作家だったので、除外していい。 杉山が挙げたこの二年前の事例は「文藝時評」の流れのある中の一つの章の更に一部分である。彼がこの号で語っていたのは、“支那事変”後の文壇と新体制のことである。 以下それはこの様な流れになる。一、文化人は平和を愛する本能が濃厚である。彼らは平和の役割には適格である。二、しかし彼らには、現在がまだ戦争の最中であることを自覚してほしい。三、理解せずに善良さだけで動くのはまずい。むしろ有害である。四、現在の文壇にはそういう態度の人間が多すぎないか。 この三、の段階における一つの典型的な例として、杉山は吉屋の行動を例として挙げたのである。 さてこの杉山の文章に対し、吉屋は十二月号(資料5)で反論している。>資料5 吉屋信子の反論 『改造』昭和十五年十二月号「支那難民と私――杉山平助氏に言ふ――」 (……)氏の言はれる砲撃によつて破壊された小市街とは、揚子江岸の武穴である。(それは見るもむざんな光景)と氏は言はれるが、私がその以前見た中支南支の市街戦の烈しく行はれた戦跡に比してはまだまだ幸ひにも、市街の建物の多くは、形を保ち、逃げ出した商店街の店頭には、商品の類が、そのまま海軍陸戦隊の治安下に、保存されているほどだつた。(財産のあるものは、すべて逃亡し、最下級の支那人ばかりが逃げおくれ)と、言はるゝまでもなく、これはどこの戦地も同じ状態であるが、氏の誇張して言はるゝ如く彼等が、(ボロを着て、食に飢ゑて、よろぼふやうにあつちこつちをさまよひ、また片隅にうづくまつていた)わけではない。 こゝの難民の多くは、日本海軍の手で、救助されて、いづれも胸に、良民の証としるした小切れをつけられたりして、保護され、食料も配給されてゐた。 氏は(我々は三四人の支那婦人に行きあつた。いづれもはだしで、垢にまみれ、眼のたゞれたやうな婆さんたちであつた)と記されるが、私が言葉をかけるはめに至つた処は、市街の建物にはさまれた石の舗道に椅子を持ち出して、割合に整つた服装容貌の廿人余もの、老婦人たちが集合、一群を為して、皇軍の保護下にあつた場所で、そこへ案内された遡航鑑の福岡参謀が、『貴女は女性だから、日本の従軍婦人として、何か慰めてやつて下さい。通訳も居ますから』 と言はれ、私は、とても言葉では表現尽されぬ、そのときの私の女としての気持を辛うじてさゝやかな短い言葉で通訳の方に託したのである。 氏はそのとき(相手の婆さんは、たゞニヤニヤして頭ばかりペコペコさげてゐた)と、私を痛罵する為にか、卑俗な皮肉を以つて記されてゐるが、そのとき、彼女等は、傍の海軍士官の前で、けつして日本女性風のニヤニヤなどの笑ひだにもらさず、中央の白髪の上品な感じの一老婆が、いきなり椅子をおりて、舗道の上に膝まづいて、通訳の伊藤氏何か答へた。『じぶんたちは、いまでは安心して此処に居ると、喜んでます』 と、伊藤氏が私に伝へられた。 勿論、私は、そんな私のさゝやかな言葉が、この戦禍に打ちひしがれた支那の女性たちに、なんの足しになると、思へもしなかつた。だが、そのときは、せめてもの女の心やりで言葉をかけた。その言葉で、敵国の老婆が舗道に膝まづいたりしたのは、堪へがたい苦痛だつたのを、今も忘れない。 そのとき、同行の文士従軍班の一行、菊池、吉川、佐藤、濱本、小島、北村の諸氏も、みなめいめい銀貨や持ち合せの林檎を通訳に託し、或は自分の手から、その老婆たちの一群に渡してゐられた―― その帰途の廃屋の戸口に立つてゐた、戦禍で孤児となつた支那少年を見て、菊池先生は、通訳を介して(日本ヘ連れて行つて教育させるが、行かないか)と伝えさせて居られた。 かゝる諸氏の行為言動も、さぞかし杉山氏には、ヘドのこみ上げて来る、横面を張り倒してやりたい憤怒を与えたことであつたろう――が、不可思議にも同じ文士の一行中の取るにも足らぬ一女性の私だけに、氏は全身的の嘲罵を、ほしいまゝにされてゐる。 それほどの憤怒を覚えた氏なら、それからも従軍中、一行がその日その日の見聞印象について、たがひに隔心なく論じ語り意見を交した機会にこそ、武穴の難民に対しての私のささやかな言葉を取りあげて論難さるべきであつたらう。おたがひ、危険を冒して共力団結した従軍行である。――それを三年後の今、持ち出して、広く刊行誌上で、嘲罵し、一人快とさるゝのは、氏こそ邪悪冷血な心険しき小人物であらう。まして、氏の文中私が(その汚い婆さんたちに、なるべく触れないやうに用心しながら)ものを言つたとか、書かれた卑小低級な悪意ある表現の、なんと男らしからぬ、御殿女中式の泥沼のやうな心境から、氏こそ脱して、この新体制の時局下、眼を大局にそゝいで、も少し権力ある大きなものへ向けて戴きたい。 私は氏から、如何に罵られやうとも、二年前の従軍中、支那の難民女性に向って、機会あつて短い言葉を伝へたのを、恥ぢ入る行為とは思はない(それが、何んの役に足らぬのを知り、何一つ誇るべき事でもないのもよく知るが)そして、今も私は、日本の女性として、支那の女性に対し、いささかなりと心のつながれん事を、夢見る信念を持つてゐる。 戦争に面し、流血の惨事に対し、様々の内部的苦悶を持つのは、氏一人ではなからう。 私は、自分の作品の批評ならともかく、支那女性への私の言葉をタテにの、氏のあまりの暴言と非礼に、同じ日本人として、一寸の虫にも五分の魂、敢て、今の日本の文化の為にも、かゝる何等の指導性も持たぬ徒らに人を傷つける暴言放語に酬ひ、事を明らかにしてち、世人の万一の誤解を解きたく一文を記した。恐らく氏の如きは(小さかしき女を返討に)など、更に得意の罵言を重ねられるかも知れぬが、私はもはや取り合はぬ。この時代に、筆を持つ日本人同志が、そのペンで傷つけ合ふやうな卑小な醜態な国辱から、私は逃れたいからである。(p223-225) こちらも流れをまとめてみるとこうなる。一、杉山は十月号で自分をこう罵った。二、しかし他の文士も当時同じことをしていた。三、何故自分だけ二年後の今頃取りあげるのか。四、そんなことをするのは「邪悪冷血」「卑小低級な悪意ある表現」「御殿女中式」で大局を見ていない。五、自分は当時自分がしたことに悔いはない。六、読者の誤解を解きたくてペンを取ったがこれ以上の討論は御免だ。 更に杉山は昭和十六年一月号で、吉屋を中心として上司小剣等、自分に反論した者に対し、「大根一束三文」という題の文章で更に応えている。(資料6)>資料6 杉山の反論 『改造』昭和十六年一月号「大根一束三文」(……)私自身が果して、吉屋女史の云ふ通りの人間であるかどうかという点にこはれを世間の批判に委せるより外はない。その前に、私が吉屋さんに注意しておいてあげたいのは、あなたはいつも、さういふ見識のないものゝ云ひ方ばつかりしてゐるから、いつまでたつても幼稚で、我々の話相手になれないのである。 それでは、あたかも悪いことをして先生に叱られた女学生が、これは自分一人だけがやつたのではない、誰々さんやりましたア、と泣きわめいてヒステリーをおこしてゐるのと、何の区別もないではないか。 もしも吉屋女史が、本当に私を論駁しようとするなら、さうだ、自分はたしかにその通り行動した。それがナゼに悪いのか。むしろ杉山こそ怪しからんことを云ふではないか、と云つてネヂ返して来るのでなければ、本筋ではないのである。自己の行動に自信のある人間なら、さうすべきなのである。 おそらくパール・バックや宮本百合子ぐらゐの女性なら、必ずその方面から、私に、反撃を加へて来たであらうと思はれる。 ところが吉屋女史には、そこまで問題を突つ込んでゆく脳力がない。そこで、いつまでたつても、女学生の口喧嘩みたいな、低級なところで、お相手しなければならないと云ふわけである。 支那の避難民に、物をほどこしたり、親切らしい言葉をかけてゐたのは、たしかに吉屋女史ひとりではない。菊池寛も外の文士もそれをやつた。さういふ私までが実は銭を与へてゐる。 それに私は、何故に外のものを問題にせず、吉屋女史だけを、槍玉にあげたのか? 私はかの女の態度のうちに、私が現在、最も嫌悪している日本の通俗的ヒユウマニストの骸骨を、その最もティピカルな形で看取したからに外ならない。小知恵と打算と形式的倫理はこれを具へてゐても、魂の真底から湧き上がつて来る人間としての同痛感も、すゝり泣きも、空虚にひからびてゐるその精神に、私は嘔吐をもよほしたのである。 私は、よくおぼえてゐる。文士連中のうち、真先に避難民に金を与へたのは菊池寛であつた。その時彼の表情には、真底からの惻隠の情がアリアリあらはれてゐた。彼は、例のボヤボヤした冴えない態度で、黙つて、難民に銀貨を与へていた。 その姿は私を感動させた。菊池という人物の真のよさが、そこに蔽はれるところなくあらはれてゐたのである。 それから間もなく、吉屋女史も、五十銭紙幣をふりまはし始めたのだ。かの女特有のペチヤクチャした調子の文句入りで。 それが私に、ヘドの出るやうな嫌悪の念を催させたのである。 これはいつたいどういふわけであらう。二人の人間が、外面的には全く同じ行動をしたのに、私はその一人にはむしろ感服し、他の一人には、嫌悪をおぼえて、これを罵つたのである。 形式的に物を見ることしか知らない人は、これをもつて、私を不公正な、卑劣な人間と考えるかもしれない。いはんや吉屋女史が、憤懣やる方なく、あらゆるヒス的絶叫をもつて、私を罵り返すことは、まことに無理からぬ話である。 しかしながら、私は文学者としての私の存在を賭けて云ふ。私は単なる眼に見える形式的なものより、私自身の直覚を、常に信頼するものである。私は、うそとまことを見わける眼力を力として、この世に生きてゐるものである。 私のこの言草について、さういふ主観的な独断を、無闇にふりまはされては堪らないと抗議する人も、或はあるかも知れない。それに対しては、吉屋女史に対する私の観察の誤りのないことを証明する、二三の客観的事実をあげられないわけでもない。しかしそんなこととは末の末なのだ。 それ以上のことは、いくら説明しても、分らない人には分らないのである。 たゞ吉屋女史が、女性としての劣性錯綜に帰同する被害妄想を一掃してあげるため、あの一行について、私が罵つたのは、何もか弱い女である吉屋女史一人でない、といふ事実を語つて見せる必要はあるかも知れない。 たとへば、私は昭和十五年新年のやまと新聞の津久井龍雄との座談会で、次のやうなことを述べてゐる。(……/引用) こゝでは、私は男の連中の腰投げぶりは罵つてゐるが、吉屋女史なぞは女だから無理はないとして、数の中に容れてゐないのである。 いづれにせよ、私は、相手が女だらうが、男だらうが、強からうが、弱からうが、敵だらうが、味方だらうが、自分が真実だと思ふことは云はずにはゐられない人間だ。さうして、そのうちに、自分の社会的役割の一部に認めてゐるものだ。今のところ、文壇を見まはして、私がこわいと思つて気がねする人間などは一人もゐない。屑々たる文壇的勢力の向背などを眼中におくべくは、私はあまりに気位が高すぎる。 この私をつかまへて、吉屋といふ人も、また途方もない云ひがゝりをつけて来たものである。(p248-250) これもまとめてみる。一、吉屋は前号でこう言った。二、だがその論法はまるで女学生のヒステリーだ。三、確かに他の人々も同じことをしていた。だが吉屋の行動の中に特に自分の嫌悪する部分が見られたので例に挙げた。四、自分は自分のものの見方に自信を持っている。五、女性だからと言うならば、以下の例もある。六、ともかく自分は誰であろうと言うことは言う。 因みに彼は、“嫌いなもの”にまず偽善者を挙げている。(資料7)吉屋が偽善者かどうか、は一口には言えないが、大正時代の白樺派的な理想主義者であることは、作品群の持つ傾向に現れている。>資料7 「私の嫌ひなもの」(『現代日本観』三笠書房 1938.3 p388-390)(……)まづ第一に、何より嫌ひなのは、偽善者だ。これだけは、ほとんど手がつけられないとふ感じがする。何しろ話がマトモに出来ない。人間性の悪さについてねこれくらゐのことは、お互に率直に認めていゝではないか、と思はれるやうなことまで、いゝえ、さういふことは神様がお許しになりません、と来やがる。ムカムカして来る。(……)偽善者に対する反感が、飛んだ方へとばつちりが行つたが、とにかく宗教家に限らず、偽善者が大嫌ひだ。 偽善者といふのは、何も道徳的なことばかりに限らず、文壇には文壇的偽善者があり、演劇には演劇的偽善者があり、政治には政治的偽善者といふものがある。 文壇的偽善者といふのは、寝ても醒めても、芸術芸術といふことばかり口走り、その実さいは、いつも文壇的党派関係や利害打算でいつぱいになつていやうな連中を云ふ。天下の鼻つまみだ。 政治的偽善者といふのは、何かと云へば忠君愛国を唱へながら、実際は、自分自身のケチまくさい勢や、慾や名誉欲でコチコチに固つて異るやうなヤカラを云ふ。 今の世相は、いたるところかういふ偽善者が多すぎるやうに思ふ。 白樺派に関して杉山は昭和十七年の『文藝五十年史』においてどちらかというと否定的である。 吉屋は杉山が批判かる志賀ほどに文章や物事を突き詰めることはしなかったが、作品全体に人道主義に基づいた道徳が作品全体を覆っている。登場人物もまた「その生活原理たる人間主義の道義観に貫かれて行動し意識する美的存在で」あり、「純化された人間典型で」ある。 なお吉屋はその一方で、不用意もしくは残酷なまでに端々に、視覚的、精神的に汚いものを嫌悪する言葉を挟む傾向がある。 例えばこの従軍時期にも近い、昭和十二年作『相寄る影』では、事変直前の上海の描写を以下の様にしている。>街に入れば、さすがに原始的な黄や赤や青の色彩、油臭い支那料理の匂ひ、燻製の豚の肉のだらりと下つてゐる下等な飲食店、その前の土間に屯して、茶碗と箸をもつてわめいてゐる支那人の労働者、奇怪な支那街の光景も、支那を初めて見る二人には珍しく異国風だつた。 それから仏蘭西街の綺麗な街々、ほんたうに洋行してゐるやうな気分にさせる、その雰囲気、支那の土地でありながら、みだりに支那人の入つて遊べない仏蘭西租界の公園――(『神秘な男/相寄る影』新潮社 1938.12 p257) 「支那」的なものと「仏蘭西」的なものとの取扱の差異が判るだろうか。 また、同時収録のペン部隊時の紀行文の中で、米国経営の生命活水医院を見学した際の文章は、全文文語体で、 院内の一覧を乞へばいそいそと先導す。戦争以前の入院患者の外に、こゝに残れるは、おほかた廃疾者の如き支那の老婆多く、夕食の茶碗をベツドの枕辺に置きて、日本の婦人従軍記者を横目に見やり、ただ食べるに専念す。(p315)と表現している。 ここでは“廃疾者の支那の老婆”の“食欲”に視線が向けられている。貧しい、汚い、卑俗だ、そういったものに“食欲”は取り付けられる。 その一方で、創作文(紀行文も含む)における、美しい女性には食べさせること自体を殆どさせない。自身に関しても、後年改まって考えるまで、自身には原罪のうち食欲と性欲は無関係だ、と考えていたふしがある。(「たべものの話は尽きず」『吉屋信子全集 第十二巻』朝日新聞社 昭和五十年)この紀行文内でも自身には食欲が無い、喉を通らないという描写が多い。小説の中のヒロインは家族の食事を用意する場面があるだけで当人が食事している風景は殆ど出さない。少し食してもすぐやめてしまう、具体的な食事の様子を描かない。 それは食欲の否定だろうとは思われ、実に興味深いのだが、それはまた別の機会に詳しく考察したい。この傾向は程度の差はあれ、終生続いていくのだ。 ところでこの感性が、揚子江を「チョコレート色」「おみおつけ色」と描写させるのだとは考えすぎだろうか。 揚子江のおみおつけ色の水は、あひ変らずうねつてゐる。その黄土を溶し込んだ波を切つて、ランチは沿岸へと進む。もしも半沈状態の機雷が、ぷかりぷかりと浮いて来て、ランチの横腹へ、どかんと当れば、あゝ、人も舟も――水煙一筋――颯と舞ひ上るも一瞬、あとにはただ、おみおつけ色の水が、天地悠々と流れるのみと思ふと、あんまり嬉しくない。(p320) 土が溶かし込まれた水を表現するのに、直接口に入れるものを使って形容してしまう。それも「みそ汁」ではなく「おみおつけ」とそのものの持つ最大級の敬語表現で。 揚子江を肯定的に見ている文脈ならそれでも良いとは思われるのだが、決してそうではない。むしろ「嬉しくない」と否定的である。 すなわち、食物的なものを「美しい」対象に彼女は認めていないとも考えられる。 この描写は、奇しくも、その直後に杉山が指摘した吉屋の行動を自ら書いた部分へとつながってくる。「武穴上陸の日」と題され、体験直後の記述であるので、出来事としてはこちらが正しいと思われる。(資料9) 引用部分に続くまで、あちこちに花が出てくるのは、ハイティーン女性向けの『新女苑』の読者への配慮だろうか。 しるしの杭の前には、戦友の心づくしの秋の薄や、うす紫の野菊の花が、さゝげてあつた。 花と言へば、そのあたり、皇軍飛行機の爆撃の大きな穴の跡があり、叢のなかには、逃げ去つた敵の残した機銃の弾丸が散つてゐるのに、そこに浜撫子に似た花が紅く点々咲いてゐた。(……)防空壕のトンネルに似た穴の入口には、朝顔の蔓が、からまつて、すがれてゐるのも哀れ深かつた。(p320) やがて杉山が指摘したのと同じ場面が登場する。だがその時の所動に関しては、杉山の指摘したものと重なり、吉屋の反論の行動とはずれてくるのである。 十三年の時点で吉屋の行動をこの文章から読み取る限り、自分で見つけた女性達に通訳に頼んで言葉をかけてもらっている様に見られる。 その時の微妙な吉屋の動作が、杉山の目には偽善的な醜悪なものに映った。杉山の主観を信じるならば、吉屋はおそらく、その時無意識に「汚いものからは離れて」いたのではないか。 菊池寛が先に難民に金を与えた、というエピソードは昭和十三年時点の杉山の「日記」(資料9)に存在する。>資料9 杉山平助「日記」(『揚子江艦隊従軍記』第一出版社 昭和十三年十二月)(……)文学者一行は、武穴を見学す。花柳街の発達した、ナカナカ洒落た町であるさうだが、人影ほとんどなし。人家の器財また完全に空しいのは、ずゐ分と前から、逃げ仕度をしてゐたものであらう。それでゐて肝心の塩を、七千俵もおき忘れてゐる由。 生まれて間もない赤ん坊を抱いてゐた老婆あり。菊池寛が銭をやつてゐた。哀れな子供たちあり、麻屋や紺屋の覆い街である。河岸の陸戦隊本部で昼食する。(……)(p314-315) その後で、なおかつお喋り入りで、という記述に関しても、これは吉屋が欧州に滞在した時の『異国点景』に収録されているエピソードとも何処か共通する部分が感じられる(資料10)。>資料10 吉屋信子「靴屋の飾窓」(『異国点景』民友社 昭和五年六月)その靴屋はそんなにブルヂヨア専門でなく普通の店なので、実用的なのが多くならんで居た、その飾窓の前に立つて喰ひ入る様に見つめて居るのは黒いうす汚れた襟のあたり垢と古さでよれよれになつた薄いマントウをぼそぼそと身につけて、手には汚い汚い口金の半分とれたハンドバツクとそして恐らくパンの包みであらう、がさがさとした新聞紙包を後生大事に胸のあたりに抱え込んで居る、十一月末から四月始めまで、ほとんど太陽の無い都になる巴里の此の二月の夜、その身なりでどんなに寒いか、毛皮のマントウに身をくるんでゐる私だちもまだ寒がるものを、そして彼女は帽子もかぶつてはゐない、埃にまぶれた金髪が少しく乱れたまゝだ、巴里で帽子なしで歩く女が恐ろしく賤しいものにされてゐるならひだのに、そして彼女の顔にはむろん白粉もなく、労働と貧しさと生活苦と孤独の悲しみと、そんなものゝ陰がぎぢやぎぢやに乱暴に刻み込まれ叩きこまれ押しつぶされた、おゝその顔の中の彼女の眼は今燃えるやうにぢいつと飾窓の中を見入つてゐるのだ、彼女の視線の焦点となるところには、此の店でも一番安い靴であらう、たゞの黒皮に一つ釦の止め帯をつけた粗末な靴――その脇の小札に八十フランとしるしてある、彼女は外の高い美しい靴には眼もくれず、ひたぶるにその八十フランの最低価の靴に専念悲しげな瞳を向けてゐるのだ、彼女の双の眼から二本の腕がいきなり出てその靴に獅噛みつくかと思はれた店先の燈下のもとあかあかと照らす下に彼女の履いてゐる靴は無惨な姿を見せてゐた、踵の如き有るも無いもなく、ぴちやんこに擦りへつて足指は露出せぬばかり、靴とは名ばかりさながらよごれた古草履のやうである。そして――彼女はついに諦め切つた顔でうなだれつ、その飾窓の前を立ち去つた、八十フランの安靴を買ふのは彼女にとつては、あまりに遠い夢なのだ――けれど花の都の巴里の巷にかゝる女性も有る事はけつして珍らしいことではなかつた。とぼとぼと靴屋の飾窓から歩き去る彼女、歩いたとて冷たい石の舗道に足音一つ立ゝぬ踵のない破れ靴の足を運ぶ彼女の一間ばかり前に、私は歩いて居た、華やかな灯の通りから曲る――その四辻の孤燈の下にうづくまつてボロボロの毛布に身をくるめたむさい乞食の老爺が、半身動かぬ様な形でおづおづと骨ばり痩せ朽ちた手先に小さいブリキの空缶を道行く人に差し出して居た、私の前にも彼の手は空缶をさゝげ出した、私はニース行きの旅費の為にも日頃よりたくさん用意してある、ハンドバツクを開けて小銭を探した、そんな時に意地悪く重なつた紙幣ばかり手に触れて小銭が見当らない、そんな為に何秒か費やしたであらう、その時一間ほど遅れてうしろから歩いて来たあの彼女が通りかゝた、老いた乞食は彼女の前には進んで空缶を出さなかつた、それより此の老爺は私の前へまだ空缶を出して待つて居たのゆゑ、彼女は灯の下の此の哀れな老いた廃人が眼に入つた時、一瞬立ち止まつて口金の取れたハンドバツクを開けた、小銭を探す必要のない彼女はすらりと指先につまみ上げた銅貨を一つ――そして空缶はかちりと鳴つたと思ふと、彼女はもうさつさと破れ靴の音もせで歩いて去る――私は此の時言ひ知れぬ「恥」に全身ぴしやりと打ちのめされた、かゝる恥を覚えたのは生れて始めてゞあつたらう、わなわなと震える手先に無我夢中、それが五フランか十フランかともかく一枚の紙幣を投げるやうに、そゝくさと缶の上に落すと逃げ出すやうに私は駈け出す気持だつた。その四辻の別れ道、私とは反対の側の小路を辿りゆく彼女のうす寒いボロマントウの後姿もあゝ気のせいか意気に締まつて颯爽として――おゝ巴里女! 彼女こそ此の名のもとに呼ばるゝ女性でなくて何んであらう、そしてもしかしたら八十フランの安靴を買いかねた女は彼女でなくて私ではなかつたらうか?明日は避寒地のニースへカーニバル祭~見にゆく嬉しい旅の前夜といふ此の身にすつかり元気も失はれて、たゞむしやうにへんに夜の寒さを覚えて、私はうなだれて、暫名残の巴里の夜道をタクシーを呼ぶ声も出ず――うなだれて歩いて行つた、抱えた買物の包はいやに重苦しかつた。(p131-136) ちなみに杉山は、この派遣の前、七十日という期間、濃い密度で大陸を駆け回ったり滞在したり、時には病気で寝込んでもいた。時には支那服を作って街に出歩いたこともあった。彼は大陸の庶民をこれでもかとばかりに見てきたはずである。 一方、吉屋はその十三年のレポートに(資料11)おいても分かるが、戦禍の街においてもあくまで美しいものを高め、汚いものは見ないか、貶める描写になっている印象が強い。>資料11 吉屋信子「武穴上陸の日」『新女苑』昭和十三年十二月号(……)その街は、相当大きな街だつた。ならぶ民家といふ民家の中の床は、皆掘り返されて、俄づくりのトーチカ化されて、こゝに敵は籠つてゐたらしい。 防空壕のトンネルに似た穴の入口には、朝顔の蔓が、からまつて、すがれてゐるのも哀れ深かつた。 その街の道は、全部石畳で、雨にもぬかるみにもならぬのは、古いローマの市街のやうで、東京郊外のぬかるみになるのよりは、はるかに文化的だと思つた。 その石畳の街路のほとりに、この街に居残つた支那の避難民の女性が屯してゐた。 あゝ敗残国の女性の、その一群の姿――私は胸が痛くなつて、そのまま立ち去りかねた。 銀貨を幾枚か、彼女らに贈つて、同行の漢口生れの支那語通訳の伊藤さんに、日本の女性として、敵国の彼女らへの同情の言葉を伝へて貰つたら、その通訳の言葉の終らぬうちに、一人のお婆さんは、へたへたと地べたに、私の足許に膝まづいて、両手を合せて、いきなり私を拝むのだつた。 私はどきまぎし、胸がいつぱいになつてしまつた。 その外に、父も母もこの戦禍で失つた孤児の女の児らも、陸戦隊の保護のもとにゐた。 支那の罪なき民衆は、いまこゝに、敵の兵隊さんの情に縋つて、安全に生活してゐる――海軍服の姿を見ると、彼らは、まるで力と頼む保護者、救世主 が現はれたやうに、奥の路地からでも、駈け出して来て、お辞儀をしたり、笑顔を見せたりする。(……)(九月廿八日、旗艦○○にて) 彼女の大陸における滞在期間は事変前にしても決して多くはない。しかも有名人の女性であるという点から、決して危険な場所に連れて行かれることはなかったろう。 あくまで彼女が出会っているのは上層の世界の人々であり、一般の人々は風景の一つだったものだと思われる。その風景の中でも、美しい女性を中心にものを眺めている辺り、吉屋らしい。 そして全体的に、対象が『新女苑』読者であることを考えてのこともあるだろうが、よくも悪くも綺麗事である。杉山への反駁の中でもこう書いている。今も私は、日本の女性として、支那の女性に対し、いささかなりと心のつながれん事を、夢見る信念を持つてゐる。 「夢見る信念」というところに吉屋の行動規範の中心が感じられる。 現状に不満を持ち、高い理想を掲げ、それをこの時代、小説にルポに描いて行ったのだろう。 それはそれで一つのあり方だったろう。だが杉山にとっては甘く、有害とも感じられる程腹立たしい行動だったのだろうと考えられる。 『改造』誌上の件は「大根一束三文」が単行本に収録されていないこと、杉山が戦後すぐに亡くなったこともあり、おそらくは見出しがたい文壇事件の一つだろう。 ちょうど同時期に花形であった二人がこうも悪罵をぶつけ合い、小林の場合と違い活字に残る証拠が残されているというのは興味深い。 ただ現在において、自分自身が杉山>吉屋というバイアスをかけて見ている自覚があるので、現在これを論文の様な形で外に出すことは難しい。 また、殆ど同世代でありながら、まるで正反対とも言える吉屋と杉山の家庭事情、人間関係についても考察したかったがそれはまた次の課題とする。*以下はぶっちゃけトーク。よーすんにこれは使おうか使うまいか扱いかねてる論文の一部どす、ってことなんだわな。何かえらそーな口調で書いておりますがこれでも子供っぽいらしいぜ(笑)。ま、それはともかく、吉屋信子って人は必ずしも「いい人」という訳ではないというのがワタシにはある訳です。「いい人らしく振る舞おうとしてしている人」って方が正しい。まーだから杉山には「偽善者」って映ったと思う。吉屋のばーいは、まずともかく自分が仕事していく上でアブノーマルだ、ってことは言われまい言われまいとしていたふしがある。例えば博多で門馬千代と暮らしていた時、官立女学校の教師である千代さんにはさすがに同性愛だーっていうのは御法度だったよーです。んでもって、個人雑誌を出した時、またこの同性愛的なものにえらく苦情が来た訳だ。いやまじあれは凹むだろーと思うくらい。とは言え、吉屋もそーとーラジカルっちゅーかぶっとんだことは言ってるんだし今の人から見れば「処女厨」と言っていい位の人ですー。もっと言ってしまうとメアリ・スー入ってます。でも書かれたものが人気あったんだから、そこんとこは需要があったってことだし、そもそもその彼女のメアリ・スーなお話がなければ日本の少女マンガの歴史は無いんですから何ともいえまへん。情報局の資料とかでも「奇妙に小心なところがあり」とか出てくるし、伝記とかでも「子供のような人だった」とか色々言われてるんですが、しょーじきこの人は「気づけない」人だったと思うんですよね。それと千代さんを「嫁」としちゃった後はもう「ダンナ」と「子供」両方やってる訳ですよ。そもそもこのひとが求めていた「久遠の女性」ってのは、「美しく亡き母」的なものなんですから。何がどう気づけないと言えば、上の例で言えば、支那の貧しい人のとこに行きました「ああ可哀想だな」ここまでなんですね。「汚い」もたぶんあったと思います。無意識に身体を遠ざけてたんではないかとも杉山証言からは見えます。だけど菊池寛はそこで無言で金を出すんですね。彼は判ってる訳ですよ。何かえらそーな自分が知らない日本の作家が自己満足のために送る綺麗な励ましの言葉より、まず金やモノ、ってことくらい。で、菊池のばーいはそういうの「生活者」だから判ってる訳ですよ。そして下手に何か言えるものじゃないってのも知ってる。だから「無言」。だけどどーも吉屋はそこで「女性として……」とか言ってしまったんだろうなー。いやしょーじきこのひとワシ、「女性として」と言えるかどうか疑問でして。この人の女性キャラに向ける視線ってのは、基本百合男子なんですよ。きゃっきゃうふふの中に自分は入れない、遠くから見ている。だがそれがいい、というくらいの。つか、自分がそういう姿のきゃっきゃうふふできる様な世代を過ぎたら女だって同じ様な視線に(ごほごほともかくだ(気を取り直して)この人が「女が女に優しく……」と言えば言う程、「あー女流文学者ハーレム作ってたんだな」という感じがして仕方ない今日このごろなのです。はい。女流文学会は当初結構このかたのお家で開かれたようですよ。だって邪魔な「旦那さん」が居ないですから。そらそーだ。「ダンナ」は彼女自身なんだから。 ***なのですが。今思うとダンナというよりは子供ですな。子供の部分を残しながら女の自分は拒否し、千代さんを独り占めしている。愛してくれなかった母の代わりに。
2019.02.20
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雑誌「新家庭」より若き処女の描ける理想の女性の題のもとに答へを求められて感ぜしもの―― 私自身、一個人として求め憧れてゐる『理想の女性』がございます、それは私に取つて唯一人あればよい『理想の女性』です。 さて、その『理想の女性』とは? それは、私を又なき最愛ないとしき恋人として愛をそゝぎ身も魂も私の為に捧げて惜しまぬ女性です。その人は世のあらゆる異性の手を捨てゝ同性の私の許にのみ願つて来る女性です。周囲のあらゆる反対や障害の柵を飛び越えて―― 私に対する愛のみ一人彼女を強くして――私の胸にまで!そして、あゝ、私自身も其の人の柔らかに優しいふくらかな胸に抱かれて――そして私は自らの芸術も希望も生命も名誉もその女性の愛情の溢るゝ美しいハートの上に懸けませう! 『憧れ知る頃』大正12年4月発行の中から。初出がいつなのかは上の情報しかわからず。 で。 ワタシの想像ですが、そもそも「答へと求め」てきた編集のほうは、理想「とする」女性を書いて欲しい、と依頼したんじゃないでしょーか。自分がなりたい女性、もしくは「立派だ」と思う女性。これがまあ、女性が女性に対する「理想」の答えだと思うんですよ。 だがしかしやはり吉屋信子は違った。 というかこの時期の吉屋信子というひとは、同性愛賛美しまくって自分もそうだよーん、ということ隠さなかったんだよなあ。 というか、それが素晴らしい! 素晴らしいに決まってる! だから皆それを信じるべき! と主張しているかの様に見えるんだな。 彼女の場合の理想は「伴侶にする」理想、まあ通常だったら、「男性に対するインタビュー」の答えですわ。 で、彼女はその「理想の女性との生活」についてふわふわと続けます。 一緒に棲む、小さな家の庭には忘れな草、コスモス、チュウリップ、ヒヤシンス、アネモネ、フリージヤ、山百合、菊、桔梗などを咲かせる。 仕事に疲れたときには「銀盃にさゝぐやレモンの匂ひほのかなる紅茶」を持ってきてくれる。 凹んだ時には「その佳き人は打ち添ひて、心からなる熱き熱き接吻を私の額に唇に、心からなる慰さめの涙」を流してくれて、「《万人君を敵となすとも、われのみは永久に永久に君の御胸を守らん!》と……」つまり「世界中があなたの敵になっても私だけはあなたの味方よ」ってことですね。 で、「ひねもす書斎に勉め」て、夜ともなれば美味しい食事。 その後には良い声で自分の好きな歌をピアノ弾きながら歌ってくれる。 朝になれば自分が庭に水をまいて、その後身支度をしてくれて、朝のお散歩。 春に秋に、二人は山に海に影の如く伴ないて旅もしませう。寂しき郊外の散歩も、賑やかな銀座の舗道も、帝劇の廊下も、新富座の運動場も! かくて二人はいつも共に居らん! おゝ、寂しき人生の広野を二人は手をかたく握りて共に歩まん、地の果までも海の極みまでも! ……うん、実に都合のいい女性、っーか、男が欲しがる女性だよな。 妻で母で姉で妹で、って感じの。「全てが敵でも私だけは」。ホントにまあ。 そもそも前提が「自分は仕事、相手は家事」って出てるんだよな。当人が仕事を日長集中してやりたい、というタイプだったりすると、どうしてもそういう「世話をしてくれるひと」まあ所謂「嫁」が欲しくなるもので。 はっきり言って、どう言葉を尽くしても、吉屋信子の「理想の女性」は「いわゆる嫁」なんですよねー。 肉体的接触も、程度はどうあれ求めている以上、プラトニックなんて言わせたくねえし。 まあ吉屋信子にとって、キスがどの程度の親密度を表すものか判らないっちゃー判らないんですが。 たぶん『新家庭』の編者さんも困ったんじゃないかと思いますわー。
2019.02.20
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自動車は走り抜ける彼女を残して、行き過ぎた――だが鮎子の身體と擦々に行き過ぎる車の窓から、ばさと鮎子を眼がけて匂ふ花が投げつけられた――それは車上の人の胸の飾花をもぎツて、車の過ぎる刹那、パつと鮎子へ投げつけられたものだつた。(……)――鮎子は手をのべて、ひろひ取らうとして――あまりのおそろしさに、どうしても指先にひろひ得なかつた――見る見るその蘭の花の葩の一つ一つが、うす紫の蝶となつて空に舞ひ散る心地したのである。彼女は、その花を見捨てゝ、一散に自分の住まゐのアパートへ逃げ込んだ。(『新女苑』 昭和12年8月号) 「蝶」は、今のところ単行本がどーしても見つからない、吉屋信子の「大人向け(?)レズビアン長篇小説」です。 幻想小説とも言えますが、ワタシはあえてそっちを取りたいww 見つからないとかの事情はまたあとに置き、まああらすじでも。『新女苑』に載った話数つきで。***第一話 藤沢鮎子(ふじさわあゆこ)は十五の歳、肺尖の故障で静養していた海辺のホテルで黒衣の人・三津木真珠(みつぎまだま)未亡人に魅惑を感じた。亡くなった彼女の良人は元外交官で大使だったという。 未亡人は関千代子(せきちよこ)という声楽家と一緒に居た。明朝横浜からフランスへ出発すると鮎子はボーイから聞いた。 それを聞いた鮎子は「フランスへ行かないで下さい! 私をおいて!」と一人激しく泣き叫ぶ。第二話 鮎子は母を五歳の時に亡くし、カトリックの女学校の附属幼稚園に通っていた。その時若く美しい異国の尼僧に激しい感動を覚えた。この記憶と三津木未亡人から受けた感動が彼女の中で重なっていた。三年経ってもその思いは消えず、ますます深みを増していくばかりである。 そして未亡人は絵の勉強を終え、関千夜子と共に帰朝した。新聞で知った鮎子は父に「声楽を習いたい」と関千夜子への入門を願い出る。 千夜子の元を訪れると、そこには未亡人も一緒に住んでいた。声楽は散々だったが、未亡人は鮎子を優しく慰め、絵のモデルにと申し出た。第三話 鮎子は千夜子の家の二階、真珠のアトリエに通う様になった。 驚いたことに、アトリエには種々の蝶が沢山飼われていた。真珠の良人は蝶の研究家で、在世中は研究に心身を打ち込んで、夫人を顧みることもなかった。夫人はそれで蝶に嫉妬を感じていた。 ところが良人が死んでしまうと、彼が愛していた蝶に対し、いつしか彼女も言いしれぬ愛着を感じる様になり、部屋に飼い、ひらひらと放しておく様になった。 部屋にはまた蝶のように美しい花が沢山あった。真珠がその中で蘭の花を一番好きだと言ったので、鮎子は翌日から毎日高価なデンドロビウムを持ってアトリエを訪れるのだった。第四話 鮎子は毎日真珠のアトリエに通っていたが、夏には軽井沢の別荘に行かねばならなかった。 そこで父から佐々恒雄(ささつねお)という男を紹介される。父の会社の社員で、前途有望な若者だ、ということで。いわば良人候補だった。 佐々は鮎子に対し激しい思いを抱いていたが、真珠夫人が胸にある鮎子にとっては、佐々の存在は問題にもならなかった。乗馬の後、不意に額に接吻をされた時など、かっとして持っていた乗馬鞭で彼の頬を打ってしまった程だった。 鮎子はその件で父に叱られた時、ちょうど手にしていた新聞で、関千夜子が結婚することを知った。第五話 久しぶりのアトリエで、真珠は物憂げだった。絵に熱心になり、遅くなったことを心配する鮎子を真珠は引き留める。一人でこの日のラジオの放送を聞きたくない、と。関千夜子の結婚後最初の独唱だった。 聞いているうちに、真珠の様子がおかしくなる。薬が切れた、とある住所へ鮎子に連絡を入れさせる。やってきたのは人相の悪い隻眼の男だった。 男が夫人に渡したのは上海渡りのモルヒネだった。注射をすると彼女の様子は見る見る間にまた美しく妖しく戻っていく。そして言う。「ホホホ、千代子が私を離れたって、私ちっとも寂しくない。私には、私をこんなに楽しませるモルヒネと――そして可愛ゆいひと、鮎子ちゃんがいるんだもの――ねえ、鮎子ちゃん、そうでしょう……」 家に戻った鮎子は真珠の魅力と、自身の道義感の板挟みになる。そして結婚で逃れようと決意する。第六話 鮎子は自ら佐々恒雄に電話し、結婚を申し出た。恒雄は鮎子の真意など知ることもなく、彼女を征服したつもりで喜んだ。そしてそれまで関係していたバー「ロン」のマダムと手を切った。 十月中旬に結婚式、披露宴と決められた。二百人がところの招待状の中にあの小野夫人となった関千夜子も居た。だが鮎子は三津木真珠を招くことは拒んだ。 鮎子は真珠に会うことが怖かった。「あの人の黒い神秘な魅力のある瞳に見詰められたら、花嫁の自分は、ふらふらと花婿を離れて、彼女の胸に顔を埋めて泣くかもしれない」。そのことは父も恒雄も知らぬことだった。 だが式の前日、真珠から祝いの品が届けられた。大きなカメオのコンパクト、それを開けた瞬間、パウダーにまみれた蝶がひらひらと舞い出る。恐ろしくなった鮎子は結婚したらすぐに外国へ逃げ出してしまいたい、と思い恒雄にそれを望んだ。第七話 披露宴で鮎子は千夜子から言われる。「実る時のない女同志の愛なんて、ホホホ――私がいいお手本――貴女が真珠さんに愛されていらっしゃるって聞いて心配したの、よかったわ」 そのまま鮎子は恒雄と新婚旅行へと出かける。場所はかつて彼女が静養先にし、かつて真珠を見染めた海浜ホテルだった。 夜更けに着いたホテルで、鮎子は黒い蝶を見る。だがその姿は恒雄にはわからない。彼の入浴中に鮎子は真珠への別れの手紙を書く。 だが翌朝、手紙をポストに入れようとした時、再び「喪章のリボンのように」黒い蝶が目の前を横切る。それは手紙と共にすっとポストへと吸い込まれていく。 やがてボーイが彼女に電話だと告げる。受話器の底からの声に鮎子は全身が強ばる。「鮎子ちゃん、ご機嫌如何?」第八話 上海行きの船でも、白い蝶が横切っていくのに鮎子は怯える。真珠と似た雰囲気の外国女性におののく。何とか強くならねば、と鮎子は思う。 上海ではアパートでの新たな生活に忙しく、次第に鮎子の心も落ちついてきた。 だが新年、仏蘭西租界の日光浴を兼ねて公園に散歩に出かけた時、一つの自動車とすれ違う。その中には真珠の姿があった。そして開いた窓からひらりと蘭の花が舞い落ちる。 慌てて逃げ帰る鮎子は幻覚じゃなかったか、と新聞を見ると、確かにそこには真珠がスケッチ旅行のついでに上海に寄る予定、と書かれていた。鮎子は真珠の姿を見てしまったことから、自分のどうしようもない本当の気持ちに気付かされた。 そんな鮎子の様子に、さすがに恒雄も次第に不信感を抱く様になる。第九話 夫婦の間には薄ら寒い空気が漂うようになった。鮎子は恒雄に自分の心を強く引いてもらいたい、と懇願する。そして結婚前に惹かれていた相手のことを告げる。 だが恒雄は相手が女性であることで、逆に安心してしまう。「結婚した男女の前に――その未亡人が何の威力を示せるんだい。ばかばかしい――」鮎子は救いの綱も切れた思いでがっくりする。 やがて春になり、父から一度顔が見たい、と二人は帰国をうながされる。鮎子は父には会いたい。だが日本に戻ったら真珠に会うかもしれないのが怖かった。 断り切れずに二人は日本は戻る。神戸から寝台列車に乗っての旅である。だが深夜の米原、窓の外、歩廊に、鮎子は真珠の声を聞き、姿を見出してしまった。 やがて走り出す列車、その外に鮎子は白い蝶を見る。第十話 恒雄は帰国すると馴染みのバー「ロン」へと行き、鮎子が「男は愛せない女なのだ!」と愚痴る。マダムもまた、そんな鮎子の存在を自分の経験上、信じられない。 二人は完全に仮面夫婦となっていた。鮎子は何事もなく上海に戻りたいと思っていた。 だがある日、桜の下を通り、花びらを手に受けようとした時、それが白い小さな蝶に変わるのを彼女は見た。慌てて逃げた先に、真珠の姿があった。無我夢中で彼女は家に走り戻った。 その翌日、カードのつけられた小箱が届く。真珠からだった。中味はデンドロビウム、そしてカードには現在の居場所。鮎子はカードをちぎったりつなげたり棄てたり拾ったりしながら、とうとう外出しようとする。 そこへ恒雄が戻ってくる。第十一話 鮎子はどうしてもここで恒雄に自分を止めて欲しい、と自我も誇りも投げ出して哀願する。だが捨て身のその姿が彼の諧謔心を逆に刺戟したのか、彼は鮎子を見捨てて出かけて行く。 鮎子はその場に泣き崩れるが、しばらくすると奇妙な程に平静になった。それまでになく生き生きとした顔になり、蘭の花を持ち、出かけて行く。「お父様や旦那様がお帰りになったら、鮎子は蝶と一緒に出ていきましたと、言っておいて頂戴」 そしてカードに書いてあった渋谷松涛のアトリエへと向かう。第十二話(最終回) とうとう鮎子はやってきてしまった。ずっと怯えていた大本のところへ。 だが、「脅かされるという文字は、或いはふさわしくないかもしれない。何故ならば彼女はその面影に脅かされながらも、それは快き苦痛の麻痺感とでも言っていい恐怖に似た感じだった」。 アトリエの場所も内装も変わったが、蝶が飼われているところは同じだった。真珠は鮎子が戻ってくることを判っていた、と言う。人生の散歩をしてきただけだ、と。 やがて真珠はボルネオでしとめた雄の虎の話をする。そんな空気の中、鮎子は「もとの故郷の空気に触れたように」なっていく。 そこへ阿片商人の男がやってきて、溜まっている報酬の件で詰め寄る。既に預金も無いだろう、真珠自身を欲しいという。 そしてとうとう真珠は男を虎を屠った銃で撃つ。目の前で起きるできごとに、鮎子はそのままふらふらと崩れ落ちる。 やがて妻の出ていったことに気付いた恒雄がアトリエにやってきた時、二人は既に冷たくなっていた。 鮎子の腕にひらひらと舞い降りた蝶が動かなくなったのを見て、恒雄は腕にモルヒネの注射跡を見つける。彼は自分が「妻を自分のものにしきれなかった敗北の良人」であることを認め、その場で涙をこぼすのだった。**** 実はこの話にはあまりツッコミところが無いのですわ。 というのも、だいたいワタシがツッコミを入れたくなるのは、「これが正しい!」と理論武装しまくっているとことか、「綺麗なものをアゲる時に汚いものをdisる」という部分なんですね。あとものすごーく「これ言っていいんか?」と思うような無頓着さが感じられるとこ。 「処女で死んだなら全て許される」的なとことか、母性愛解釈とかもろそれですわ。自分が「できない/したない」ことを、「人類」にまでもってって、「こっちが正しい」と主張するアレです。 ところがこの「蝶」だけは――マジ長篇ではこれだけなんですが!! ストレートに「あーこのひとの好きなきらきらしい世界の中で女同士のくらくらがあって、ついでに夫という存在に心中でもって敗北を与えるなんて、欲望そのまんまですっきりしてるー」なんですよ。 だからこういう世界突っ走って欲しいよなあ、と思ったりもするんですけどね。 ただ時代があかんかったんだよなー。ふう。**「私、そのひとが恐ろしいの――その人に私の魂も情熱も封じられてゐるやう――私、だから貴方の妻になつて、この上海まで逃げてきましたの――だのに――その人の幻は此処まで――黒い蝶――そして蘭の花!……私恐ろしいの……そのひとは蝶と蘭の花を身体につけてゐる魔女――私そのひとにひきつけられて――逃れられないの……」 切れ切れの言葉は、切なく、とぎれながらも、――実に、一言一言ピアノの鍵盤を強く叩き込むやうに、恒雄に響くのだつた。「莫迦な!なんといふ詩人のたはごとのやあうな事を――鮎子――お前はまるで精神病者だよ――僕にはわからない――蝶が蘭の花がどうしたといふのだ――その美しい女とは誰だ――何がそれで苦しむのか……」「いゝえ――貴方には、とてもわからないの――私――そのひとの為に――貴方を愛さうとする心を蝕まれてゐるのに」「ばかな――誰だ、そのをかしな女は?」恒雄は、子供らしい妻を扱ひかねたやうに、心持肩をゆすつて笑つた。「……三津木真珠――美しい未亡人……私、その人のアトリエでモデルになつてあげてゐたの……」 鮎子は、やつとの思ひで、それが、せい一杯の告白の終りだつた。「ハ……、お嬢さんだねえ、君は――それが何んだい。――その未亡人が退屈まぎれに君を愛撫したとでも言ふのかい――でも考へてごらん――君は僕といふ男の妻だよ――君の肉体も心も僕と結びつかつてゐるんだよ。結婚した男女の前にその未亡人が何の威力を示せるんだい。ばかばかしい――」 恒雄は、鮎子を抱き上げて、あやすやうに言つた。男が自分の所有観念にはつきりと所有した感じを持つ、その妻への大きな自信は、彼の心を寛大に余裕を持たせた。これが、もし三津木未亡人が女性でなくて、男性の画家であつたら――彼は、そんなに寛大であり得たらうか?言ふまでもない。 キョーミ深いのは、吉屋信子のそれまでの作品で同性愛ものの場合、「結婚が嫌で死んで逃げる」というパタンが結構多いのに対し、この「蝶」では「結婚してこの思いから逃げようとしたのに(常識の世界に留まりたい)その逃げ場の夫の不理解が彼女を彼岸の世界へやってしまう」という構図なんですわ。 で、この心情の書き方には、この時機の吉屋信子には――というか、ほぼ全部の吉屋信子作品において、滅多にない「ぶれなさ」があるんですわ。 まあきっとあれこれツッコむでしょうが、ともかく常識の枠の中で物語を解決させようとすると、彼女自身の嗜好と結局何処かでぶつかることになります。美しい女はできれば男の手にかけたくないし、愛する男との子供を生んで幸せな家庭生活、というのも実は無い。 おっそろしい程に、吉屋信子作品には「夫婦と実子での幸せな生活」というのが描かれないんですよ。 ワタシは吉屋信子は「想像できなかった」もしくは「想像したくなかった」と考えておりますがね。 「幸せそうな夫婦生活」なら、まあ初期短篇の中の「王者の妻」「女人涅槃経」の夫婦なんかがありますが、これはどっちかというと「滝沢章男」である辺りから、吉屋信子のメアリ・スーの男体化ではないかと思うのですがね。 たなみにその話では子供は死産で、最終的に妻に「子供のぶんまで貴方を愛する」と言わせています。まあこれはいずれツッコミいれましょ。 で、今日のタイトル関連。先日書いた通り、この話は現在単行本が見つかっておりません。 ワタシはツッコミコレクターですから、朝日の全集の「年譜」を見て、これでもかとばかりに本探しまくりまして、長篇は大概揃えてます。 無論無いのもあります。単行本が出てない『婦人之友』掲載の「薔薇の冠」や、慰問雑誌の『戦線文庫』収録のため、神奈川の近代文学館の奥の奥に入っている「娘の町」とか。 けどまあ、一応この「蝶」は単行本に入ってます。昭和14年1月に出ている『吉屋信子選集4 お嬢さん・蝶』です。 戦後に同時収録の「お嬢さん」はわりとすぐに再刊されました。だけど「蝶」はされてません。 この作品のも一つの捜索の困難さは、吉屋(門馬)千代製作の「年譜」において、「昭和十年」掲載で、なおかつその掲載誌の名が載っていない、ということです。 ワタシがたまたまこの作品が『新女苑』に載っているのを知ったのは、復刻版1号にそれが掲載されていたこと、そしてたまたまワタシがその『新女苑』が『少女の友』のお姉さん雑誌だということで興味を持って古書で買った、という偶然があったからでした。 で、最終的には、数年前通ってた学校に所蔵されていたマイクロのスライド(……いかんもう何っていうのか忘れてる)から全部印刷して読むことができました。 ちなみに単行本のほうは未だに見つかっていません。 この『選集』は、時期が時期だけに、版を重ねるごとに紙質が悪くなっていくのが判る、興味深いものです。 それだけでなく、当時何処で書いたか判らない短篇とか、従軍体験記とか、ルポとかが同時収録されていること。これがかなり面白いです。 そしてあとがき。これで「当時何を考えて書いた」が書かれておりまして。……非常に「蝶」のそれは知りたい限りです。 ちなみに、この執筆中に吉屋信子は『主婦之友』の派遣に出ております。(日支事変の言質の北支と上海へペンの従軍を続けてゐましたので、今月の原稿は少くて申しわけございません。来月からゆつくり落ち着いて、たくさん書きます。拾月四日。戦都上海より帰りて、我家の庭の芙蓉を見れど、いまだ砲声わ幻覚に感じつゝしるす)11月号末文 つまりそういう時代でした。 で、この頃から乱歩とか探偵小説が「あかんー」ということになりまして。 無論同性愛なんぞ。 戦争が本格的になってくれば、まあそれはそれで吉屋信子の望む「女だけの世界」も書けたかもしれないのだけど、基本的には男女対立やキリスト教とか時代にそぐわないものは書けない時代がやってきてしまいまして。 あ、でも全く書いていない訳ではないです。伝記の類で「書けなくなった」といってますが、結構「書いて」はいます。ただし本人の気持ちに沿うものであったかは別ですが。 書けるものの中で根性で美しいと自分が感じるもの(無論そこにはツッコミたいものはあるのですが)を折々入れていったりしているのですよ。 ただ、雑誌で書いた小説が単行本の際に書き直さなくてはならない事態になったら、そらまあ、筆も折りたくなりますわなあ。 『月から来た男』という単行本が「戦中の作品」ってことで現在復刻されてますが、アレは『主婦の友』初出とずいぶん変わってます。研究するひとはぜひ比べてからにした方が恥かかなくてすむと思うざんす。 おっとテキストクリティークになるとつい。これはヲチでありツッコミブログだというのに。 単行本の捜索は今後もすすめていく予定。 無論国会図書館にも無いんですからwww***あ、ちなみにそれから4年経った今、それはもう引退……
2019.02.20
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家が出来たら私は分家し 戸籍を作って全く独立して千代ちゃんを形式上養女の形(これより外に形がなからう まさか妻として入籍させるわけにもいくまい ここが現在の法律の困るところ そのうち 私は法を改正させるつもりだが)で入籍し 二人の戸籍と家を持つことにする そうきめたそれにしてもずゐぶん大きな養女でをかしいな 養女にもらつても大塚の方への経済的補助ならさし支へなく 円満にきめたい 結婚披露と同じやうに養女披露をするつもりだ 形式上はどうであれ 二人にとつては結婚披露なのだから うんと盛大にやりたい 三宅やす子さんとしげりさんには媒酌人をお願ひするつもり その時の披露の裾模様はどんなのが似合ふのかなあ 千代ちやんのは大奮発する大正14年2月(文脈からするとこの時期)の手紙。吉武輝子『女人 吉屋信子』 から。ディズニーランドの二人ウェディングドレス、と思い出させますなあ。そこまでこの時代で発想が飛ぶのは凄いと素直ーに感嘆しますぜ。ちなみにこの時期、吉屋信子とパートナー門馬千代さんは、東京と下関に離れて暮らしてました。離れていた十ヶ月間の手紙の応酬は激しかったようで。まあ現代だったらひっきりなしのメールってとこでしょうか。送ったあとにまた電報、ってこともあったようですし。『女人』読むと、その凄まじさがよーく出てます。で、上の手紙に(たぶん)対する千代さんの返事。 おかしな手紙有難う。だけどいやよ。養女なんて私、いやよ。そんな事きらひ。私はこのままで好いのよ。あなた戸主におなりになる事は好いけれど、そんな事考へるなど、戸籍なんて何? おまけに裾模様なんてほんとにいやな人だこと。私、社会的に公表するつていふのもいやよ。 私は静かな隠棲が好きなんですもの、つまらない、つまり私、東京つていふ巷の中にかくれすみたいと思つてゐるだけよ、私達が何も社会的に結合を認識して貰はなくたつてちつともかまはないぢやないの、まさか内縁ぢやなし、二人とも独立した人間である法がどんなに好いか――それだからつて私、自分の独立を失ひたくない、あなたに隷属するのがいやといふのぢやありませんの、私達はもつと社会の規範の外に出て、私達には私達自身の独自な結合の形式があり、それは社会の如何なる力、これを認識し或いは否定する――それらの力に依りて左右される事のない、つまり社会的形式を無視し、社会的勢力の外にありたいと思ふの。 私の大好きなおとぎ話しの女王様。 あなたは何て大きな子供でせう。いつまでおままごとをしてゆくおつもりですの。(中略)私、多分世間に出たいなどと思ひませんし、二人の社会的の位置なり職業なり傾向などすら差異があつて少しもかまはないと思ふの。 そんな事気にいちやいやよ、それより馬鹿げたことで世間の非難を受けて貴い生活を乱したくないと思ふ。要心だけが、私の世間に対してもつ関心なのです。こっちは田辺聖子の『ゆめはるか吉屋信子』上巻 から。(中略)もそのまま引用。ただしこっちでは大正13年9月28日となってます。……はははは。なお、句読点の違いは引用した本の記載に従うとこうなるという。で、だ。まあちょっとこくれには疑念がありまして。個人雑誌『黒薔薇』が大正14年1月~8月発行なんですね、で、『女人』では『黒薔薇』を出した後の話として、共通の友人である山高しげりが千代さんが東京で仕事ができるように、と画策してくれて何とかなったのが、2月。(遠くに離れて暮らすのを嘆くばかりで実際にどうすればいいのかを思いつきもしなかった、的な描写が……)その文脈で置かれている手紙文なんですわ。日付的には14年2月だと思うんですが!!ただ田辺聖子はこう書いてもいるんですね。文中の<裾模様>とあるのは、あるいは信子から養女縁組披露宴でもやって裾模様の着物を千代に着せようという提案でもあったろうか。信子のその手紙は失われているが、ここでは千代の<社会的例外>とでもいうべき、二人の関係についての見解が述べられている。ここで「失われている」というのがミソでして。『女人』はまだ千代さんが存命中に見せてもらった手紙が中心なんですな。一方の『ゆめはるか』は亡くなってのち。この二冊に書かれている「残された手紙数」が違っておりまして、『ゆめはるか』の方が少ないんですわ。となると、千代さん亡くなった後に、処分された手紙というのもやっぱりある、と考えられます。もっとも、田辺聖子が『女人』読んでいないはずはないから、明らかに同性愛!って書き方を避けたためにあえて出さなかっただけかもしれないけど。そこんとこは判りません。それに吉屋信子の「手紙」や「日記」は研究者泣かせでありまして。神奈川近代文学館には「日記」が当たり障りのないのが少しあるだけで、(それでも何処そこへ行った、とか誰それと会った、とか多忙なスケジュールとかが判るのでそれはそれで貴重なんですが)手紙は全く無いんですね。はあ。吉屋信子というひとは日記魔で、昭和13年くらいからずーっと死ぬまでつけてるんですよ。だけどそれらは遺族との関係で公開されない。断片が見られるのはこの『女人』『ゆめはるか』だけなんですね。ただこの二つの伝記の中でも、吉武輝子は「信子と千代は同性愛カップルだった」と明確になる様なものを(おそらくは千代さんが認めた上で)出しているのに対し、田辺聖子は「強い友愛」でまとめたい様な趣があって、どうしても手紙の選び方もそうなってしまっていると感じてしまう訳で。こういう時、ホントに一次資料が欲しいよなあ、と思ってしまう訳です。だってですねえ、色々あるんですよ。日記があれば~と思うのは。フツーにヲチ的興味からしたら、昭和25年の「毒殺未遂事件」はどうだったのか、とか。真面目にテキストクリティークの立場から言えば、戦前戦後で書き換えられた小説の意図はどうだったのか、というのがもっと判りやすくなる、とか思うんだけど、そいうのがやっぱり藪の中で、結局「……と思われる」「ではないだろうか」だとしても、近づくことすらできないって感じでー。まあそれ以前に吉屋信子をもっと知ってくれよ皆さんおい、という感じなんですがwww]……と、ついこの問題に関しては熱くなってしまうぜ。ともかく、この二つの伝記は摺り合わせて読むと見えてくるものがあるぜ、ということです。
2019.02.20
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純潔といふものは第一義に於て永遠に大空に輝く星の如く人類の上に存在する世にも美しいものである、(……/永遠の処女として聖母マリアと天照大神を例にとる)この純潔無垢なる永遠の童貞に対しての憧憬と崇拝は何に起因するであらうか、これこそ人類の持つ官能の性的欲求から逃れ得ぬ羞恥感でなければならぬ、鳥や獣の与へられしままの無邪気な無心な自然の立法の振舞と異なつて、人類のそれはもつと複雑に邪悪に変態的にゆがめ来らせられてゐるのではなからうか――男性の持つ暴慢な征服感、弱き者へ無抵抗者へ思ふがままの暴王たり得る快感、一人の人間を所有し得る満足――等、等、これらは男性の露な心理を描いた彼等自らの手になりし小説、感想からうかがひ知つた一端である、然して女性にとつては、それの本源は素直にも優しい自己放棄と奉仕と愛撫への順応であるとは云へ、悲しむべき事に、そこに約束された官能の陶酔への意識に裏づけられた変態的な被支配の歓喜――言ひ代へれば自己侮辱――等々(……/これらの知識は外国の婦人の著書から得たものと釈明)がないとは言へないと言ふ――さればこそ、人間は此の一時的瞬間的にも自らの人格を下劣にしたりの、卑しく引摺りおろしたり、純粋な愛情をさへ傷けよごす憂ひのあるかへり見て恥多き暗き苛責感は、いかにもしてかかる恥をもたらす本能からの暴力から完全に抜け出て、その力に勝ちぬいた「永遠の純潔」を夢見、それに達し度く乞ひ願ふ気持が、かかる低き官能の世界から離れて遠く男性の手の一指もふれ得ざりし高く清らかに存在する一個の「純潔」の女性の観念を人格化し、それに優しく美しき女神の名を冠らせて、そを母胎として生まれ出でし力を神として人の子の救主として崇める心理は泪ぐましき人類の祖先達が不断の真善美への渇望であつたと信じる、長いです。すみません。昨日の避妊ネタ転じて処女ネタ。けどな~切るの難しいんだよ、吉屋信子の初期の「小説じゃない」文章って……「。」が無くって「、」でひたすら続けられる文章ってのは、……まあ、古典文学みたいな感覚でずらずらずらと読めばいいのですが…… 頼む、改行を…… 改行を……出典は個人誌『黒薔薇』第一号。これは一応「パンフレット」としてある。……のだが、大きさが同人誌A5そのもんなんで、マジ今の「個人誌」と変わおんやんけ!とツッコミたくなる。んで、個人誌なんだから制約なしに書いてやれ、ってことで、まあ確かに好き勝手書いてます。文章の実験本じゃねえかとも。で、上のはその好き勝手の一つ、「純潔の意義に就きて白村氏の論を駁す」という文章。……えーと、これって本能そのもんがあかんーって言ってるんですよね。たぶん。そんでつづき。何か感極まってます。人類が真善美への完全なる人格完成への道程の一時代に今や生くる私達は、不断の努力を持つて、ここに一つの進化の過程を築き残さねばならぬ。それこそ生れ出し者の生の喜びである、かくて人類がいつの日か達せんとするその人格の完成のあらはれる日こそ、まさしく天は地におろされて、そこには曾つて過ぎし日及びがたきもの、達しがきものとして憧憬のあまり礼拝し膝まづきし「永遠の純潔」をも冠する日が来るのであらう――私はそれを人類の未来へ描く理想の一つとして信じるものである、(そんな日が来たら、人類の子孫は無くて滅亡するぢやないかと現実論者は冷かに嘲けるであらう)おお、然し、かかる美しい聖らかな日のもとに生き得る歓喜! それこそは人類が何億万年を費して血と涙と幾多の屍を踏み越えつつ、執拗なる邪悪本能の支配をついに打ち破つて、聖壇へ到達した勝利の日である、その勝利の栄冠と偉大な道徳的建国の成りし時である、もはや生殖や子孫の繁殖は、それにかかわりなき事である、其処に達しがたかりし偉大なる道徳的勝利を得て、そのまま人類は滅亡するともなほ其処に残された人類の足跡の美しさは永遠に滅びぬ不朽の力である意志である――私はかく信じる――つまりまあ、処女もしくは童貞マンセー、ということでしょうか。何せ人類は滅亡するとも構わないと言ってますし。なおこの文章、読者から『黒薔薇』最終である8号で無茶苦茶叩かれてます。まず千葉県の押尾憲治さん。 「吉屋党」としては可成古いもんだ、と自分で思つてゐます。(……) 一号、二号と拝見していくうちに、私は男性である事が面映ゆくなつて来ました。「異性が読んではいけんのかしら?」と思ふやうになつて来ました。それは、常に吉屋さんの男性を痛罵し、異性を嘲笑し、男子を呪詛する悲しい叫び(敢えて「悲しい」と云ひます)が、「黒薔薇」紙上に厳然と暴君の如く(敢えて「暴君」と云ひます)威張つて異るからであります。 貴女のアブノーマルなお心持(失礼)から「同性愛」を高唱し、普通の恋愛――殊に結婚を呪詛するのは、そのひとの持つて生れた個性だから仕方がありませんけれど、男性とあれば遠慮会釈もなく痛罵なさるのはあんまりだと思ひます。社会が「男」と「女」で成立してゐる以上、もう少し寛大なお心持であつて欲しいと思ひます。女性におエラい方があるように、男性にだつて高潔な人格者がいないとは云へますまい。と、同時に、男性に貴女の罵しるような人間が存在するように、女性にも所謂悪魔がいないとも限りません。(……)貴女があんまり男性を罵しると、私の心の中の意地悪な悪魔が「フン、妬いてやがらア(失礼)」と冷笑したがります。そして、大きな声で「人間の心が一字の制裁なんかでなほつてたまるもんか」つて叫びたがります。殊に、一号の「純潔の意義に就きて白村氏の恋愛観を駁す」を読んでそう感じました。 思つて見て下さい。此の世に善があるように悪があり、純潔があるように不純潔があるのを。そして、その悪は、いくら祈つたつて、泣いたつて、怒つたつて、決してなほるもんぢやないつて云ふことを。恐らく人間と云ふ始末に悪い動物の滅亡せざる限り……(……)貴女の「永遠の純潔」が此世を全く支配する時が来るとすれば、それは貴女もおつしやつたように「人類滅亡」の時でなければなりません。 そこで私は声を大にして叫びます。 ――永遠の純潔に生きんとせば、速やかに自殺せよ――と……。(……)どうぞ「黒薔薇」により美しい華を咲かせん為にその偏狭なお心持(敢えて「偏狭」と云ひます)をお捨てなすつて下さいまし。(……)そんで埼玉県の安田利一郎さん。(……)白村氏の、あんな投機的な恋愛観なんか私もみてはゐない。が信子氏の所説にも、アブノーマルな、エクセントリシテイな点がありはしないか。「処女たる母」は原始人の美しい夢である。単なる思慕や、愛敬に過ぎない。あり得ない事だからだ。純潔たることには、第一義も第二義もない。確固たる主観があるのみだ。正しい意味に於ける両性の結合は、決して遊戯ではない。童貞を破ることを、感能的慾求の享楽であるとするあなたの前にも、性別は厳存する。(……)自然へ反逆せんとするあなたの思想の、奥底に横はる不覇の魂が、被支配者てふ、自然の屈辱的観念の上に立つ形而上的思念を意味するものであるならば、そはあまりにも傷々しいイリユージオンである。(……)千代さんも言います。(吉武輝子著の伝記『女人吉屋信子』内)「信子さんは、女の人を身心共に処女のままにおいておきたいと願っているものだから、小説のなかでも、男の人とかかわらせまいとしている。でもそれでは、いつまでたっても大人の心をつかむ小説は書けないわ。公私混同は小説家として御法度よ」まあそれで、その後一応「男女恋愛」みたいなメロドラマを書く様になるんですが…… あ~男女恋愛「みたい」な。まあそれはいずれ。なお、この文章とその中味に関しては、吉屋信子は撤回しなかったようです。何せ、売れてからの昭和11年に発行された『令女読本全集1処女読本』(健文社)では「白村氏の論を駁す」というタイトルに縮めて、まんま出しておりますから。んでもって、昭和32年にも。「動物」という文章が『白いハンカチ』というエッセイ集に入ってるんですが。戦中、鎌倉に移った時に鶏を飼った部分で。初め雛を五羽買つてみたら、皆雄ばかりだつたことがある。今はそれにこりて、四羽、みんな雌ばかり飼つている。いかも、彼女たちは処女のままに卵をうむ、人間よりりこうである、ただこまつたことに時折、産児制限にかぶれてかあるいはゼネストか、卵を四羽とも、長い間うまないことがある。さりげないんですか、何かこういうちょっとしたところに、見え隠れするんですよ。はい。できればこのひとは人間も処女のまま子供を生んで欲しいんじゃないかと。いやその後お産の話で何とやら、だから、……いっそアレか。SF小説で描かれる人工子宮みたいなものが欲しいんじゃないか? と思ったり。
2019.02.20
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これは二回に分けた記事をまとめたもの。*** この御台所は、月事(生理日)の時は、けっして御用掛にお供を入れず、今までの御台所の慣習を打破した。 小ネタ。 「続徳川の夫人たち」の十三代御台所天璋院の記述から。「御用所」がトイレで、「御用掛」がその係です。 この一行を入れる前に、六代の側室の月光院の記述で、「何もかも皆人の手をわずらわさなくてはならない」描写の一つに厠のことがありました。 将軍の御用所は黒塗箱に白砂を敷いて一回ごとに取り替える式だが、御台所方女性のは一生使える深井戸式なのは、貴女の排泄物を人眼にさらすのを避けるゆえだった。けれども彼女たちは御用所の内部にまでお供付で人手にまかせねばならぬ、月事(生理日)の時にさえである。 将軍の姫と生まれて大奥で育つと、成人後もこうしたお供付になんの羞恥の感覚も持たぬ習慣がつくられる。京都の宮家や公家からの御台所方も同様であったが、月光院のように娘時代を普通の風俗で育った女性にはいかばかり迷惑千万であったか…… こういうとこに端々に出てくる吉屋信子の価値観ってやつが面白い。迷惑千万、って…… まあさすがに月光院が町人だった時はどうか判らないけど、確か江戸では女性の立ち小便もあったような。無論その後武家で仕込まれて、というのはあるけど、少なくとも吉屋信子が思うほど「嫌っ!!!!!」って拒否反応示すレベルのことだったかと思うとやや疑問。まあいいけど。 それにしても、彼女の感覚ではルポ的書き方をした箇所では、トイレに関することや生理の処理とかがかなり重要事項になるんだろうけど、正編・お万の方主役のそれには描写は無かったような(笑)。アレは「物語」だからなんでしょうねえ。お万の方は御用所には行かなかったのかも。もしくは行くところを想像したくなかったのかもしれませんw ちなみに、八代吉宗の時の大奥では、美人だから乞われた女性がこうやって侍妾になるのを拒んでる。「申すもおはずかしき事ながら遺尿症でございます……」 消え入るようにおようはうなだれた。 あっと篠野井は仰天した。遺尿症とは夜尿症のまたの名である。この眼鼻のととのった多芸な娘がそのような……上様の錦の衾を夜半しとどに濡らしては…… ……いや、そこんとこどうにかする、とか、ヤッてる時にはさすがに、とか、それ自体が面白いとか思われないがろうかとか、どうせ周囲で見張っているならそういうとこで力を発揮しろよ、とかそういうツッコミはきっと通用しないんですね。 てな訳で、以上三点、文庫版の下巻から抽出した厠関係描写なんだけど、三箇所。確か上巻には「音が洩れるのを嫌って入り口の手荒いのカランをあけて音消しにした」というエピが…… 音姫かい。 ……まあ、こだわるなあ、と。 何かアレですよ。吉屋信子の厠へのこだわりは「怖いもの見たさ」に感じるんですわー。 まだまだきっと厠記事は出てくるんでまたそのうち。** 奥御殿の奥女中詰所縁外には必ず竜首つきの蓋ある聖堂の大きな壷が石の上に据えられ下部のじゃぐち(カラン)とっ手をひねると水がほとばしる。これは彼女たちが御座所や御休息の間の御用を勤めに出る前に手を浄めるためだった。その聖堂の壷よりやや小型のが長局部屋の主人用の厠の手洗用にも備えられていた。江島はまずじゃぐちを開けて水音をたて、それから厠へ入ったという……内部での物音の外にもれるのをいとうたしなみだった。 思い違いでしたー。下巻にありましたよ、「音姫」。 しかし下巻だけでもこれだけ厠に頁を割いていいのか? あ、ちなみに上巻を確認しましたが、五代将軍綱吉の時の「右衛門佐」にはそういう記述は無いです。 やっぱり、 色が白いというより、氷のように透明でもし錐を立てても血は出ずに絹糸のようなひびが走ると思える。その氷塊を名工の鑿がみごとに彫り上げて唇に朱を点じ、黒曜石を眼にはめたかと“清冽”きわまりない美貌だった。 さすがにこのひとに厠のシーンは書けないよなあ、吉屋信子。 ちなみに凡庸で如何にも気が利かないように描かれている四代御台所の場面には「鼻紙」の説明が。 ところでワタシはよしながふみの逆転大奥も大好きでして。あれは基本吉屋信子の話をベースにしているんだよな。展開とか。 まあ差が極端にあるとすれば、ともかく吉屋信子の書く女達は男が嫌いだということだよな。正確には「男」という生き物、雄の部分というか、攻な生物というか。 あと一番吉屋信子がけなしている十一代家斉とその附近の人々を、よしながふみは「隠れた功労者」にした辺り。 お万の方を究極とした吉屋信子の「理想」型ヒロイン達はともかく、「女」以外の部分で認められたいとか、 「女」という生物である自分が嫌、というか。 「だから」子供を産めない侍妾としていることに耐えられないお万の方は、おしとね下がりをして、他の「女」を家光に差し出す。 自分は「女」であることから逃げておいて、その価値観は自分で独り占め、一人高潔、という傲慢さがあるんだよなあ。 まあ最後には、その姿勢自体が一番傍に仕えてくれている藤尾に非難され、愕然とするという結果になるんだけどね。なのに心を入れ直そうとしたら翌朝既に藤尾は亡くなっていたという。 まあそれは右衛門佐になると、そもそも吉屋信子の筆だと綱吉が「わるいやつ」になっているから、そんな奴のモノになってたまるか、というアレですし。 右衛門佐は、どんどんおかしくなってく世の中に耐えきれず鬱のまま弱っていって亡くなるし。こりゃもう「生存欲」の否定だよな。 全くもって、「本能」の否定なんだわ。 だからお万の方の仕切る大奥は「女学校」で、「**で見張られているから無理」と密通とかはありえなかった、清潔だった、と言ったりするんだけど。いや本能がうずくなら、そこんとこ、何かしら知恵を働かせるのが動物としての人間ってものでしょう。 ただ吉屋信子という作家は、ともかく「本能」を否定したがるんでなあ。肉欲でも食欲でも生存欲でも。 そういうのを意識でコントロールできるのが近代人だ、という時代に育ってそのまんま通してきたから、と言えば仕方ないけど…… まあだからこそ、その辺りツッコミたくなるんだけどさ。
2019.02.20
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すみませんこれは①だけ書いて書けなくなりましたwww***―――が、主人公です。 正確に言えば、冒頭で女囚だった主人公が、出所後すぐにトラブルに巻き込まれて、まあともかく一生懸命ある金持ちの相続人である令嬢に、祖母すら間違えるほど「そっくり」なひとに、成り替わるべく行動していく話です。 ただそこでアレが出てくる。 「実は……!」 ってアレですよ。 今回はまとめてあるものが元々無いのでだらだらと。 まずは女子刑務所から始まります。 吉屋信子は女囚刑務所に以前、『主婦之友』の取材で行ったことがあります。その辺りからテーマをもってきたと。 掲載誌は『キング』。婦人雑誌ではなく、講談社の一般向け娯楽雑誌です。吉屋信子にとっては唯一のこの雑誌での連載でした。 美しい女主人公・村上霞さんは「九十八号」として紹介。彼女の罪状は「放火」です。 奉公先の息子に心も身体も弄ばれた挙句捨てられた彼女は、恨みでもってその屋敷に放火。 未遂に終わって捕まって、刑務所内では模範囚。それで二年で出られることに。 ちなみに一緒に出る予定の「六十二号」は堕胎の罪で収監されてました。 彼女は親に売り飛ばされて、「あいまい屋」に。で、一晩に三人客を取る様な状態にされてしまい、果てに誰のか分からない子供ができてしまいました。 で、業者は無理やり薬を飲ませ堕胎させてしまったと。だけど業者は発覚すると、彼女に情人ができたから、と言って罪を押しつけてしまった訳です。 「海の極みまで」の時に書いたと思いますが、堕胎は犯罪でしたから。この時代。 さて出るはいいけど、父親は既に死亡、和歌山にいるはずの母親は行方不明ときた。 ということで、「六十二号」お蝶に甘えて東京へ出ようと決意。 ちなみに彼女は和歌山を出奔して東京で奉公していた訳です。 母親は最初の夫と死に別れると、今度は酒飲みな男が。この男が霞さんにセクハラをしまくるので、「まるで畜生のやうな人と思ふと、一日も家にゐるのが恐しくて」貯金を持って出奔したと。 さて東京に出てみたら、お蝶の勧めてくれた場所は既に無く。 で、そもそも奉公先でひどい目にあったせいで刑務所行きとなった訳で。だからもう奉公には出たくない。さりとてカフエーの女給にもなりたくない。 どうしたものか、浅草の観音さまに祈っていた時に、ことは起こったのであります。 一人の老貴婦人が、彼女の手を取って涙します。「潮! 潮、お前はまあどうして此処に?」 これが霞さんの転機となります。***でまあ、霞さん、潮さんになりかわって、自分の復讐もするし、好きな人もできるだけど、その後本当に自分がその身代りの彼女の双子だったことが分かるんですねー。それで育てのお母さんが出てきても、実のお姉さんが優しくしてくれても身を消して、どうやら自殺したらしい、という展開。何というか。
2019.02.20
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ワタシはごはんがおいしそうな話が好きなんですよ……だからね……*** そこへラーメンなるものが運ばれて来た。 大きな丼――汁がだぶだぶ入つている。内側は白いが外には何か赤いざつな繪が描いてある平たい鉢の中の一見豊富そうなつゆの中に、太めの白木綿の糸のような麺が半ば沈んでいる、その上に斜かいに切つた白い葱が二三片とグリンピースが五六粒載っている。 「くさのつゆ」は昭和27年から28年にかけて『婦人朝日』に連載された作品です。 戦前に良家で育った若妻圭子さんが社宅暮らしの中で、色々葛藤する話。 ……としか言いようが無いのですが。 とりあえずこの話は、ワタシにとっては「これでもかとばかりにラーメンが不味そうに描写された話」なんですわ。 ちなみにこの時、唯一の社宅友人、環さんと一緒なのですが、彼女は普通に食べてます。 で、まずこの店の描写。 ――中華料理と、白い金巾ののれんに、豚の血を思わせるような赤い字で書いてあり、その白地ののれんの裾の方は汚れている。(……) 二人のついた卓の眞中には筆立のような瀬戸の筒に割箸が差し込んである。その傍らの粗末な陶器の灰皿の中に、どす黒く、濡れた吸殻が溜つているところをみると、晝時、恐らく労働者――その人達の弁当代りの食事の混雑の引けたあとなのであろう、ソースのしみがある献立表がその灰皿を文鎮代りにして置いてあつたが、(……) その羅麺なるものの来る間、普通の煎茶茶碗にお茶が二つ運ばれて来た。お茶というよりはうす黄ろいぬるまつこい液体だつた。環はそれでも喉が渇いていたのであろうか、幾口かに飲み込んでいたが、圭子は手に取り上げて口許まで持つて行つたまゝで、また卓の上に下した。 それは彼女の喉が渇いていなかつたのではない、やはりさつきから、熱いドライヤーに何度も入つて、水気は欲しかつたのだが、いま手に取り上げた茶碗を口許に持つて行こうとして眼を伏せた時、その茶碗の縁にうつすらと、薄赤い痕があつた。それは誰かの口紅の痕なのだ……。軽い戦慄が圭子を揺るようだつた。 時代が時代です。まだ昭和20年代半ばです。大衆食堂です。 この圭子さんはそういう「場」に馴染めません。お嬢様ですから。 それでもまあ、 (何ごとも勇気!)これからの生活に飛び込むための修業、己に打ち克たねばならぬ、 とまあ悲壮なまでの決意でラーメンに挑む訳ですが。 環さんは茶碗の湯で箸をすすいでから食べるんですが、「感覚的にかえつて不潔」と圭子さんはしません。 いきなり眼を瞑るようにして丼の中に突込むと、その太目の木綿糸を掬い上げた。 その味がいゝか悪いか圭子にはわからなかつた。ともかくその丼の中のものを征服し、残つた汁は一滴あまさず呑み干してみせる、彼女は猛然と奮い立った、羅麺の丼に挑戦するかのように。 これを平げることこそ、生きる意志をもう一度振い立たせることなのだ、こんな風にさえ圭子は仰山に考えた。 そんな風に圭子さんが食べてるうちに、環さんは話しながらもどんどん食べてって、「丼の中の支那蕎麦はあらかた無くなつていた」んですが、圭子さんのは「まだ半ば」残ってます。 結局圭子さんはダウンします。 到底この丼の中のものは圭子にとつて征服しかねる強敵だつた、それ以上は胸元がつかえて来たのである。 さてこの圭子さん、社宅(共同炊事場や洗濯場のあるアパートって感じ)で、環さん以外の奥さん達にも出会うんですが、うわさ話を「卑俗」とする圭子さん(を借りた作者の評価)からすると、無意識に見下しております。 田舎で無気力に過ごしてる弟も、「お坊ちゃん」ですので、こんなこと言います。「何かよく御飯のお菜をくれるんだけど、不潔なんでね、食べる気がしないんだよ……この間はね、イナゴを煎つて煮たのをくれたんだよ、カルシュームがあつて病気にいゝつて言つてさ」 と言い、苦笑しながら、また奥へは聞こえぬようにつけ加えた。「……僕、食べないで鶏にみんなやつちまつた」 圭子さん、「自分だつたらきつとそれを喜んで食べてみせたろうと思つた」そうです。 ここは食べて「みせた」と想像するとこがミソでしょう。 その後ふかし芋(戦争中に比べれば格段に美味しそう)には手を出します。 ただ、「どう」食べたかの描写はないです。 ちなみに環さんもさばさばしているだけでなく、こんなこと考えてもいます。 ――考えてみると人の世はつきあい辛い。やれ人類愛だの、人間愛だのいうけれどもこうした狭い世界で、鼻つき合わせて暮しているくせに(隣人愛)らしいものさえなかなか難しい。 ――といつて、階下のあの連中は、いわば、自分たちの良人と雇用関係のある、勢力のある雇主の愛人をとりまいて、ご機嫌をとりながら功利的の交際をしているだけのことだ、なんという卑俗な女同士の交際、おー いやだ! 醜悪だ――と軽蔑せずにはいられない。 あの圭子と自分はそんなことを一切抜きにして、お互の女同士の友情をほのあたゝかく持ち合えると思つたのに…… まあこの二人の場合、環さんの片思い的な友情でしょう。「あなたはいつも御自分のまわりに垣を結つていらしたわね」と、圭子さんのダンナが転勤になる、という時に告げられます。 正直、圭子さんは環さんに対して、大した執着もなく、「まだ悪くない」程度の感情しかないような。 郊外に引っ越してから、そちらの社宅の奥さんとは仲良くやっている、「工場で働く工員の主婦たちと一緒になつて、託児所をかねた幼稚園を作ることら夢中になつて」たり、もうじき母になる、という手紙の言葉は今ひとつ、嘘くさく感じるのは何でですかね。 何というか、この昭和20年代後半~30年代前半の吉屋信子の物語ってのは、実に「しみったれた」感じなものばかりでして。朝日の全集にも 「安宅家の人々」(昭和26年)の次が「女の年輪」(昭和36年)と、ぽーんと外されている期間です。 で、正直、ワタシ的には面白くないです。ホントに。 つか、作者楽しんで書いてねえなあ、という感じ満載なんですが。 果たしてどうだったんですかね。知りたいものだ。
2019.02.20
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吉屋信子の現代ものの最後の作品。***一昨年の夏、軽井沢滞在中にわたくしはふいっと(紀子)が心に乗り移った。そしてやがてこの女性にとり憑かれてしまった。 わたくしは去年の秋、A新聞で(わが小説)という題目のもとに、感想を求められた時に、そのなかの一節にこう書いたことがある。 ――私というやつは、どうも作中の女主人公にじぶんからあこがれてとりのぼせぬと作品はうまく書けない。われを忘れてのぼせ上がるような生きた現世の女性にまのあたりに接し得たらそこから一つのイメージが浮かび長篇の発想を握りおのずと一編の構成も筋も傍系の人物もわいて来る。そのせいか、あまりに女主人公を美しくごりっぱに九天の高きに持ち上げ過ぎると忠告もされ、このごろ、自分でも気づいて目下大いに反省中である―― これはちょうどその当時、まだ題未定のまま(紀子のノート)をつくりつつあった心境そのままをしるしたのだった。 「女の年輪」は、吉屋信子の最後の現代物長篇です。読売の夕刊に連載されたもの。今回の引用は中央公論社から出た単行本から。 ……それまでわりと「しみったれた」感じの話が続いた中で、これでもかとばかりにヒロインを持ち上げて、現代物のフィナーレ! という小説です。 まあいろいろ思うことはあるんですが、「あー好きな世界を無理せず書いてるよなあ」という感じはしました。 というのも。 吉屋信子という作家は、ともかく「貴種流離譚ではない」貧乏とか、「普通の家庭」とか、「普通の夫婦生活」を描写すると、何ーっとも言えなく「?」という気分にさせてくれるのですわ。 つまり、現代のリアリティを追求した地味な作品を書こうとすると、何かずっこけるというか。 これは後で書きたいんだけど、ともかく「お食事シーンがまずそう」でして。ワタシは以前「妻の部屋」だったか「くさのつゆ」で、「中華そば」を食べている時の描写ほどまずそうなものは無いと思いましたよ…… 少し前に書いた「風のうちそと」では、「食堂車で偶然を装い商談を持ちかけてくるかつての愛人」の図というのがあるんですが、そこで扱われる商品が「女性向け養毛剤」…… 「髪」を連想させるものとお食事は、相性悪いんじゃないですかねえ。 でもまあ商談の最中、かつての愛人の存在に「ものを食べている気がしない」ような男の姿を描きだすつもりだとしたら、効果だったんですかね。 その一方で、ヒロインはともかく「食欲が無い」ひとばかりです。 この話の紀子さん。 まず初登場、こういう描写されてます。「あら高いのね」 さばっと言って微笑むと売子は笑い出した。 黒にこまかな地紋のカクテルスーツ、防止も靴もハンドバッグも一色のアンサンブルに真珠のネックレースとすらりとしした背をすべるストールの栗鼠(プチグリ)のグレイがきわ立つよそおいに、彫りの深い顔立ちに鼻梁の通ったせいか、やや冷たい感じのこの奥さんが百五十円を高いわねと言ったので売子はすっかり嬉しくなってしまったようだった。 このヒロインが御代紀子さん。三十代半ばで高校生の娘もち。夫は終戦間際に病死。 そんで「元男爵夫人」です。 遺産と、ファッション・ブックのスタイル画を書いて暮らしております。 彼女がものをまともに食べる描写は、「マロン・グラッセをつまむ」ところだけです。「花びら餅」より「マロン・グラッセ」というのがミソです。 このひとに三人の男が惚れ込んで、その中の一人と再婚するんですが。 一人は年下の建築士。 次にそのいとこで義理の妹の見合い相手。 そして結婚したのは、背中にもんもんのある実業家です。 この実業家と結婚することとなるんですが、その時点では建築士と恋してる状態で。 ただこの建築士が、知恵遅れの(「子供」として人形与えられて平気なレベル)妻を持っていて、しかもその血筋を残さないために自ら断種したというひとでなー。 実業家も元々は「ただ見ているだけでいい、援助させてくれ」なんてことを言っている。何というか、キャラ設定が実にちぐはぐなんですね。 まあ紀子さんマンセーな話で、なおかつ吉屋信子にとって「許容できる」男なんですから矛盾は仕方ないんですが。 だからまあ、そういう状態なので、初夜もこんな風に書かれてしまう訳です。 ……男の匂いが紀子の四肢に乳房に浸みるのを覚えると、閉じた瞼の裏に滋のまぼろしが浮んだ。あのアパートの一室で彼があえぐように迫った時<離して! 離して……>と逃れたのは、彼よれもじぶんの内部に起きるものを恐れてだった……・ 紀子の儚い恋の見果てぬ夢に残る滋の幻が、いま竜吉を通じて彼女の繊細な情感溢るる女体にほしいままに君臨する……。 この女体の幻術を知り得ぬ竜吉は背の唐獅子と共に牡丹に酔うて舞い狂う……彼はこの恋妻を男のいのちにかけて幸福に守りたいと切に思った。 えー……ちなみに、「徳川」でも、お万の方に同じ様な「別の人を考えて抱かれる」という描写があります。 森鴎外の「雁」から一歩も出ていない、という感じですが。それでも吉屋信子の現代ものでは唯一の! 濡れ場描写なのです。はい。ちなみに時代物でもお万の方のそれしかないです。少なくともワタシの知る限りホントに! で、吉屋信子はこの紀子さんの描写でクライマックスにもってくのに一生懸命すぎて、新聞連載では、何と建築士とその妻の話を放ったままにして終わらせてしまいました。 たふんそのことが以下のあとがきの文章ですな。 さて、ノート、ノートとしきりと言いながら、じつはそのノートのなかのわずかな一小部分ながらうかつにも書き落としていたのである。これは近く単行本のさい書き入れる――それほどこの作品を作者はさまざまの意味で愛着している。してみるといちばん熱心な読者は作者自身だったのかしら? おはずかしい次第である。 その通り、出版に際し手を入れました。 建築士の滋くんは結婚後の紀子さんと再会した辺りで、奥さんに実家に帰られてます。無論このひとは一人では無理ですから、ばあやさんつきで。この奥さんが連載中は戻ってきたのはどうか判らないままだし、滋くんも紀子さんとの本格的なお別れの後、放り出されてるんですよ。 で、単行本ではその辺りに決着をつけて、また滋くんは以前の生活に戻り、だけどほんの少し妻が妻らしくなった「かも」しれない、という描写が付け加わってるんですね。 それ結構ストーリー的には重要なとこだと思うんですが、それを全く放り出して、紀子さん紀子さんだった作者はまあやっぱり紀子萌えの一心だっだんだろーなーと思う訳です。 何かしら現実の女性を見て、~という書き方はキャラ先行型とも言えるかも。で、その現実の女性の二次創作をしている、のかもしれない(笑)。 そこに吉屋信子と現代の腐女子との何かしらの接点を見てしまうんですわ。
2019.02.20
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これは昭和34年の話。……何ともいえない気持ちになった表現が多々あったという。***階上には二つの部屋がある。一つは照世のそれ、その隣は横浜から娘の美枝が泊りに来た時に使う部屋だった。 その亜立つの室の間に瓦斯ボイラーで沸かす浴室と水洗便所がある。そこにフランスでプッティ・シュブー(小馬)と隠語で称する白い陶器の洗滌器も取り付てある。トイレつながりで。昭和34年発行の長篇小説『風のうちそと』からです。週刊朝日『読売新聞』に昭和33年3月から12月まで連載されたものですが、あ゛~個人的にはあまり好きじゃあないです。つかツッコミどころ多すぎです。群像劇なんで何がどうしたと一口で言えないのが何ですが、まあ実にごちゃごちゃしております。 とりあえずここに出てくる照世さんは女実業家です。そんで年下の彼氏持ちです。ですのでこの小馬――まあビデですね――に関しても、こんな意図があります。娘の美枝には大人の女性の清潔のためと説明してあるが――照世はこれを避妊にも効果ありと認めている、不用意とものぐさをして生んではいけない子を持って慌てる女には照世は絶対になりたくなかった。避妊のためだそうです。ちなみにビデに関してウィキ では「効果なし」と出てましたがwうん、無理でしょ絶対。そう考えていたことが怖い。まあ昭和34年ですし。女の側からの避妊方法ってのは今でも色々苦労しますしねー。あ、時々今の感覚だととげとげしい表現もありますが、吉屋信子は結構そういう言葉、たぶん無意識に使ってしまうことが多いです。はい。そんで、男女のもっとも原始的本能の発動のたびに女がいちいち子を生まされてたまるものかと照世は思っている。子は美枝だけでたくさん、その子一人育てるにも戦後の悪戦苦闘は身に染みているのだ。「男女のもっとも原始的本能の発動」ですか。時代が(りゃさてこの照世さん、登場早々彼氏から別れを切り出されます。会社のお偉いさんのお嬢さんの再婚相手に見込まれたからです。ちなみにお嬢さんには男の子一人います。夫が同僚女性と浮気して追い出された形です。けどお嬢さんにはまだ未練たらたら。で、こう思う訳です。 この人の子を生めば、まことの父のない靖が可哀そうだ、父のちがう子の母になりたくないと――品子はここへ立つ前に靖の傍に寝てはっきり決心してしまったのだ。さらにお嬢さんこと品子さん、こう切り出します。「ですから手術受けて下されば……、お友だちのお宅、お子さんがたくさんで、とうとう旦那様がそうなすったわ」 手術というからには精管切除手術であろうか、寛一はその品子の要求に驚ろかされた。そんな訳でこの品子さん、結婚してもなかなかお嬢さんであることにしがみついてます。最終的には、義父との裏取引wで実家を離れた遠くに三人で住むことによって色々何かいきなり解決してしまうんですが。靖くんは寛一さんになついて実の父なんて忘れてしまうし、品子さんはあらまあ妊娠してしまいます。――小さい新しい生命が体内に宿ったのでは……彼女はこれもみごとに寛一に足をすくわれた気がした。とは言いつつまあ仕方がない、とその時ようやく前夫の面影が胸から去っていくという次第。してやられた、というより、確認しなかった品子さんの負けなんですよね。避妊を男任せにした女という、先の照世さんとは逆だという。まあそう考えればこの話、対照的な女の話とも言えるんですが。だけど精管切除手術、まあこの時代には類似の手術が結構行われていたのですが。だけどなあ。さすがにまだ二十代の男に頼むなよ……つかマジで吉屋信子、そう思ってたんじゃねえかと思うと怖すぎます。***ちなみにこの話、手放してしまったので記憶でしか何なんですが、この女実業家さんと、お嬢さんの元夫の奥さんになった女性が組んで、養毛剤を開発するんですが。……新幹線のビュッフェでお嬢さんの父親である社長に売り込みするんですよねえ。何だろうこの生理的に何だろなと思うやりかたは。メシ食ってるとこでそれかい、と。
2019.02.20
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アメーバブログに書いてたものから転載。そう、これ何とも言えない作品だったんだよなあ。***……(ハゞカリ)へ人間が入る――つて事、考へちやつて妙にもう人生(なんと仰山な)が浅ましく儚いものに思はれて、十五六の頃何んだかひと思ひにいつそ死んぢまひ度くなつたりして……大好きだつた上級生の美しい人がその私たちの女学校――でそのひとが或る日学校のハゞカリ――あの雨天体操場と寄宿舎の間の廊下に突き出たあすこに入るところ見ちやつた時、もう私はたまらなく胸がせまつて――泪ぐんじやつて――に三日憂鬱だつた、考へると心臓がきゆうと痛くなるし……しょっぱなから話題がハバカリ――トイレの話題ですわ。出典は旅行記+短篇集の『異国点景』から「男の無い風景」。昭和5年発行。徳富蘇峰の民友社から出てます。巻頭のことばも書いてもらってます。ちなみに壮行会には与謝野晶子が歌送ってます。吉屋信子は昭和3年からパートナー(恋人っーか伴侶ですねー)の門馬千代と1年がとこ洋行しております。シベリア鉄道でソ連経由、パリに結構長く居着いて、イタリアで作家さんに会ったりとかしております。ちなみに鉄道に乗る前に「張学良に会っちゃった」レポも書いて載ってますが、没後「全集」ではカットされております(笑)。んで。この短篇はまあ一応「――マドモアゼル・Xのハナシ――」という副題はついておりますが(笑)。こんな風にこのX孃、続きます。たゞむしやうといつこくに確かに頭のどこかに欠陥のあるらしい状態に見られても仕方がないほど私は――私一人は確に苦しみ悩んでゐたんで、世界でたゞ一人の馬鹿者とされてもいゝ、この事は一生の苦難だ、私が死んだら墓碑の上に一切のクリスチヤンネームなんかお断りして、(彼女はハゞカリを悩みつゝ処女のまゝに寂しく世を終れり)と書いて貰つてもいゝと思つた、もし結婚生活に入れば、人間一切ハゞカリ無用といふ事だつたら、私はもうとつくに誰とでも哀願しても結婚してゐた筈だから、――と言つた具合でまつたく人にも話せないへんな事で私の生活は常に少くも日に二三度此世かなしくおびやかされてゐたんで――と展開しちまう訳です。少女マンガの「ヒロインはトイレに行かない」まんまですね。ところでこのX孃、その後アメリカはシカゴの中央駅でこんなハバカリ体験する訳ですよ。そして扉は下と上を開けてたゞ中央にだけよろひ戸めいたのがしまつてゐるの、それが五十か六十ずうといちれつよ、(……)よろひ戸の下を見たの、そして其刹那、私はぶるつと身ぶるひしたの、生れて始めて此の世ながらの女の美しい風景に打たれて、真実しんから感動して一時鼓動が止まつた思ひで切ないほど、何んだつてその五十か六十(しつこく言ふけ;ど)のよろひ戸の下に二本づゝあの知つてゐる外国のほんとにいゝ靴下の色合ひを――(……)あちらのは白人種の肌合ひで、うつすらと血の通つた暖かさだけの色で、そして美事に皮膚の一部を構成しちやうんだもの、凄くつて――それが二本づゝ(三本あればおバケ!)あの――仔馬に乗つた様に或る間隔を置いてきちんと開かれて二本づゝ(ごめんなさい)をして五十か六十(またか!)のよろひ戸の下にずゝう――と、あゝ壮観!感極まつて泪が――ほんとうに泪が止度なく頬をつたわつてそのまゝ息がとだえるほど、外国の都であらゆるミユーゼや古跡や美しい踊場やオペラやいろんなものを見まはした私は、此の時のこの美しさほど感動したことは外遊一年間なかつたのはほんとです。 省略とか飛ばしとかできねえ(笑)。読点ばかりってどうすりゃいいの。そんでここからが真骨頂。不用意なうちに無心にいつしか、かくも女性が見せる美、そのものゝ迫真力!そして息詰排泄快の感覚の漂よひ、たゞ夢見心地、人酔はしめの甘ずいゝ匂ひ、これぞ絶対に(男の無い風景)の中にのみあらはれる現象(註すれば外国は日本のやうに一つコーナー男女使うハゝカリなんて決してない)女に生れた幸福をその時ばつかり感じたことはない――と言つてもいゝし、どうでもいゝけれど――その後また鎧戸が開いた時のことを夢想して、「アサクサのどこかでレビウにしたらいいなあ」と言ったり。で、ようやく長年のハバカリ嫌悪から解消されて、帰国したら家のハバカリを「うんとお金をかけて」洋風にした、という。「白タイルであの――」という辺りが当時のモダーン。個人的にこの短篇は結構好きなのてず。だってもの凄く吉屋信子にしては正直ですから(笑)。というと吉屋信子は正直ではないようにワタシが思ってる様ですが。その通りです。はい。こんな手放しに「男の無い風景」を礼賛するのもこの時代まででして、男女恋愛メロドラマを書くようになると猫かぶりまくります。そういう時代だと言ってしまったらそれまでですがね。
2019.02.20
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えー……今回は研究対象をどう扱ってるんだ!と言われそうですが、主婦之友におけるワタシのチェック具合を晒しておきます。以前ここで書いたように、>・月から来た男(主婦之友) 戦後刊行せず。(近年出た復刻版は別) ただしこの話の場合、「雑誌掲載時」と「単行本化した時」の変化が大きいという、「当時の」検閲事情があると思われる。このおおもとの雑誌掲載と、ワタシが入手した単行本(後続の方に手放してしまったざんすが再版されてるので……)との比較をしていたんですが。これは5月~10月の記述で無茶苦茶沢山あります。再版された単行本よりこっちを調べるほうがたぶん面倒な作業だろうので、手放す前に晒しておこうと。ちなみに単行本は昭和19年の時点で、ルビが無くなってます。ルビ自体が無くなってしまう時期なんですが、これでいきなり滅茶苦茶全体が硬くなってしまう印象が。ちなみにこの話は、・愛妻(大人しい)が脊椎カリエスで寝た切りである主人公・妻は夫に自分がこうだから誰か別のひととの間に子供を、と望むが彼は反対する。・言われたことが胸にありつつ、京都で昔の幼馴染(現代的な女性)と再会して求愛される。・色んな理屈をつけて彼女を振る。・その後妻がついに死亡。・沈みきっている彼を義父(書き換え後は義弟/軍人)に慰められる。仕事に生きようと何となく立ち直る。・仏印(現在のベトナム)に出向く。そこで世話をしてくれる現地女性と知り合う。・幼馴染が仕事の関係で仏印で訪ねると、彼は現地女性との間に子供を作っていた。・その現地妻が病気になって寝込んでいる。・ちょうど当地に来ていた義弟(←この登場のために前半を書き換えたではないかとも)が軍医だったこともあって診てもらうが、甲斐なく子供を残して亡くなる。・その頃ちょうど開戦のお知らせ。・当地で日本のためにがんばる、ということで子供を幼馴染に託して仏印に残る決意をする。そーいう話。途中まで書いている時点で開戦となったので、展開を変えたという可能性は大。吉屋信子は開戦の詔を聞いたあとに勢いでざくざくっと戯曲「十二月八日の西貢」(「放送」に収録。これも手放したざんす~)というのを書きあげたりした、まあその場の熱とかに浮かされやすいタイプ(決めつけ)ですし、その一方で「世間がどういうものを求めているか」に敏感だし、まあこの戦時下で女性が社会に出ていくことを嬉しく思うタイプだったんじゃないかと。で、珍しく男性が主人公だったわけですが。だから案外スムーズに読めるんですよねえ。奥さんへの愛し方とか、落ち込む辺りとか、雰囲気が似た女性によろけてしまうあたりとか。女性が主人公の話よりよっぽど心情的には「つくり」が少ないよなあ、と思うわけです。でまあ、それも調べようかなあと一応下こしらえまではしたんですが、結局その下ごしらえが好きだったので、それを飛ばすのも何か惜しい。てなことで、その変更がある時点までちょっと載せてみるざんす。……紙が悪くなってきたこともあったので、できるだけ薄くしてありますが、それでも書き込み!全体的にあるのは、まず・「クラス」が「同級」に変更される。丸がただ付けられているところは、カットされているところだったと思う。「少々」とか。四角で囲まれた部分もカットされていたかと。単行本は昭和19年発行だったので、その時の世情に合わない部分がカットとなったのではないかと考えられる。このあたり、女性達が家庭の話がかなりカットされている。主人公・瀧川健が病床の妻に甲斐甲斐しいところ、それを羨ましがったり、自分の家庭と比較しているところの描写がオールカット。お見舞いの際の描写も相当カット。藁布団を下に、羽根布団の病床→藁布団の病床贅沢品の描写があかんかったのかと。テンポを整えるような合いの手的なそうともそうとも、もカット。葡萄の描写もカット。これもぜいたく品ということだったかも。ということでつづくっ。
2019.02.18
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今回はまあ、メモです。もしくは今後誰か参考にしてくれたらいいなー的な。まあそれ以前のブログの部分もそうと言えばそうなんですが。吉屋信子の作品がダブルスタンダード感激しい、というのをずっと述べてきたんですが、「花物語」「屋根裏の二処女」「愚かしき者の話」「蝶」はそうでもないよね、という感があります。「花物語」はまあ彼女のスタートであるし、綺麗な言葉に隠れて不穏なエッセンスにあふれてます。ただし心中とか身を引くとか、結局現実的対応ができないのですが。「屋根裏~」は理想の女性が何だかんだで自分の投影キャラを愛してくれるという。願望だよな、と。「愚かしき~」はだらだら感、もしくは投影キャラの不平そのものが、吉屋信子の本音であるとも。「蝶」は大人向けの大衆小説のジャンルの中で唯一、「夫より好きな女性を選ぶ」という、ダブルスタンダードが無い話です。ただこれも花物語の延長と言えば延長なんですが。何だかんだ言って、心中しかできない。なのですが。昭和2年あたりの短編で、「王者の妻」「女人涅槃経」という意図してかどうか分からないけど、同じ主人公夫婦だろう二作があります。ただこれは主人公が「章子」ではなく「章男」なんですね。前者はO・ヘンリ的な話ですな。彼は高学歴ではない会社勤めで、周囲の高学歴出身にコンプレックスを常に抱いてます。その彼が、同僚の女性を好きになり、結婚します。彼はその生活の中でも、育ちから来るみみっちさが時々顔を出して、妻を困惑させます。冬にコートを新調しようと考えますが、そんな折に郷里から金の無心が来て、コート資金を送る羽目になります。彼は郷里の家族により「いつも搾取されるものなんだ」と考えています。そんな彼に、妻はコートを送ります。で、贈り物は交代でしよう、という提案を。そのプレゼントに「人に与えるのは王者のみ」という意味のカードがついている、と。後者はこの彼が少し余裕が出てきた頃の話になってくるんですが。ある程度余裕が出てきたので、妻に仕事を辞めて家に居てほしい、彼はいいます。で、家の中も落ち着くし、ゆったりした雰囲気に幸せを感じる様になってくる彼ですが。そろそろ子供も―――という話になります。子供にまた搾取されるのか、と思いつつも、決めてしまってからは、バースコントロールをやめたり、子供部屋のこととか考えたりします。なのですが。いざ出産のときに、妻が骨盤が狭くて難産、子供を人工流産させないと妻の命が危険だ、という事態に。彼は迷うことなく妻を選びます。妻はその後ふさぎこんで、結婚前に強かった処女病(というかたぶんこれはセックスレスを望む状態)が振り返します。彼女曰く「女は子供を産むことによって清められる」。彼は一緒に旅行して、いっそ二人であちこち旅してまわろうか、とか夢のようなことを言うようになります。妻もまた、「子供の分まであなたを二人分愛する」ということで落ち着きます。そのあと上司が亡くなり、妻が上司の奥さんに子供あての手土産をもって出向くんですが、そこで言われたのは、「子供はいつか出ていく、何より夫」と言われるんですね。さて。この話が他と違って妙に安定しているんですね。確かに「女は出産によって清められる」とセックスそのものは罪であるかの様なことは言ってるし、結局「自分達の子供」はできないんですが。ただ、ダブルスタンダードは感じにくいんですな。ではそれは何故か。これが「主人公/作者の視点が男にある」からじゃないかと思うのですよ。そう思えば、「奥さんの愛情は子供に取られることなく、自分一人に集中して幸せ」という本音が見えてくる感が。だとすれば、吉屋信子自体の本音がそこにある感も見えるんですがね。男性の肉体を持っていたならば、割と苦無く勝ち得ていたかもしれない彼女にとっての「幸せ」。母親等、実家の親に愛されなかった分を、全て補ってくれる妻に、子供という厄介者、搾取する者もなく、ただ自分だけを愛してもらえる状態。それが何よりも求めるものだったのではないかと。実際戦後の話でも、男目線で描いている時の話は割と違和感が無いんですよ。女目線で描いている時に異様なねじれを感じる。その辺りをもう少し誰か突っ込んでくれないかなあ、と思うんですがww戦後短編に関しては、吉屋信子は結構評価されているんですよ。「幻想的作品」「怪談」として。ただこの戦前の短編に関しては、一応当時の論壇でも批評の棚に乗せられている位置にあるんですが、話題に上らない。興味深い作品もあるんですぜ。「男のいない風景」とか、米国のトイレに感動したとか。ずらりと並ぶストッキングにつつまれた女性の足が並ぶ様の美しさとか。やっぱり心中話とか。「蝶」にしたって、幻想譚に行くまでのプレ段階と思えば誰か見てくれないかなあと思うのですが。何でまあ、作品間の関連とかについてあまり語られないのかなあ、と思うわけですよ。沢山書くひとというのは、似た作品だってあれこれ描くし、あかんなーという「出来」のものもあったりする。このひと多作なので、この話はこの話のブレ段階だよな、とか、この話はまとめようとして失敗したな、というのが結構透けて見えるんですよ。だからなー。研究対象として、「花物語」ばっかりやっていないで、大量の大人向け作品も見てくださいよー、とか思うんですがねえ。「文学」っちゅーより「文化」として。
2019.02.08
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さて「空の彼方へ」は二度目の説明になるんすけど。ここでは理由ではなく形としての完成のはなし。こっちのほうが論文書いたの先だったからね。で、この作品に関しては、いつ脱稿したのかはっきりしないのだわ。書き始めは「薔薇の冠」と並行した大正十三年だったとしても、『主婦之友』社長石川武美に送付するのは大正十五年十一月。さきの「地の果まで」「海の極みまで」に続く三部作のつもりで「空の彼方へ」を新聞小説の形で執筆したが、適当な発表の舞台がないまま、年末、未知の石川武美(主婦之友社長)に宛て郵送した。「空の彼方へ」の原稿を正月休みに読了した石川武美からの来書で、一月十二日主婦之友社を訪れて初めて面接。「誕生日に嬉しいプレゼント」としている。ただちに雑誌連載の形に改め、四月より「主婦之友」に連載。吉屋千代編「年譜」(『吉屋信子全集 十二巻』朝日新聞社 1975 p553) なので、『黒薔薇』「失楽の人々」の期間を経ていること、新聞連載から雑誌連載用への書き改めと、充分な推敲の時間があったということだな。あらすじは前回を参照していただくとして。この作品の中の、後にもよく出てくるものをあげてみると。・性格の違う三姉妹→「三連花」「女の友情」「貝殻と花」といった三人娘ものにもつながっていく。・三角関係の処理→菊池寛作品に多く見られる“女同士の争い”が吉屋作品では全く起こらない。 必ず初子に代表される“清らかな”片方が最終的には身を引くのである。・“清らかな”未婚のヒロイン→結婚しない方向へ誘導・現代的で貞操観念が弱い女性が配置→清らかなヒロインに教育される人物としても活用・関東大震災(天災)のダイナミックな活用→ヒロインの自己犠牲や、死の自然さが強調。 大きすぎる災害の前に、小さなトラブルは全て解消される。 跡地に残ったヒロインの形見をつけることによって、神への信仰を身につける者として教育されるのもその一貫。ヒロインの死=永遠の処女として皆の記憶に残ることで、大団円がやってくる。・男性嫌悪→「男性全般」として嫌悪すべき性質を“我が儘なお坊ちゃん”という属性にすりかえる。それでも「清らかなヒロイン」に対し、門馬千代はこう発言したという。「信子さんは、女の人を心身共に処女のままにおいておきたいと願っているものだから、小説のなかでも、男の人とかかわらせまいとしいる。でもそれでは、いつまでたっても大人の心をつかむ小説は書けないわ。公私混同は小説家として御法度よ」つまり、それでも未だこの時点の吉屋は、自らの愛する“清らかな”ヒロインを男と結婚させることができない。男性拒否の姿勢により、魅力的な男性キャラクターを創造することもできない。で、この後、吉屋は門馬と共に洋行し、家を離れ、未知の世界を見聞し、欧米の新しい空気を吸って帰って来るわけだ。帰朝第一作の長編が「暴風雨の薔薇」で、一応自由恋愛で結婚するが……の悲劇のヒロインを描いている。(もっとも単に男を見る目がなくて、仕事というものを甘く見ている女性の話と言えば身もふたも無いんだけど)ともかくそこから、吉屋の戦前期黄金時代が始まる。つづくっ
2018.08.05
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さてその次が「失楽の人々」。大正十五年に『婦人倶楽部』で連載したものですな。これ結構レアばなしで、執筆に関することが吉屋千代編「年譜」、吉武輝子、田辺聖子の伝記二本においても全く! 書かれていない。また、作品そのものとしても取りあげられたことが殆ど無い。久米依子氏が「吉屋信子――<制度>の中のレズピアン・セクシャリティ」『国文学解釈と鑑賞別冊 女性作家《現在》』(至文堂 2004.3.15 p121-130)に書いてるくらいしか見つけてないんだな。その後書かれたかもしれないけど、まあワタシが修論とか書いてた時点では見つけてない。ただ講談社との関わりはこの辺りにあってな。同じ年にやはり講談社の『少女倶楽部』に「三つの花」を一月から一年連載しているわけだ。「花物語」とは違う雑誌連載の長編形式の小説もできるかな、と講談社側は、『婦人倶楽部』でも試しに半年強の連載を任せてみたんじゃないかと。「三つの花」は割と百合っ気強い話だった記憶なんだが、違ったらすまん。どーも少女小説のほうは他の人がやってると思うとあんまり熱心になれないんだな。隙間産業体質なんで。で、内容。一言で言うと、「祖母の教えにより、父と男を憎むようになった私生児のヒロインが、学校で得た最愛の友人に降りかかった事件を通し、再会できた父への認識を改める物語」。というように、一応「まとまった形」を持ってる話なんだな。ただ大人の話かというと、やや疑問で。大人の年齢ではあるけど、少女の延長線という感じが強い。北海道から女子高等師範の理科に入るために出てきた橋口操は私生児として生まれた娘だった。技師・轟千也という男が父親だ、と憎々しく祖母から聞かされてきた彼女は、父と共に男というもの全てを憎悪していた。ところで操は上京早々駅で出会った少女に一目惚れする。寮で偶然再会したその人は文科の二年生、及川千栄子だった。夏、寮の友人同士で鵠沼の尼寺へ旅行することにする。操の決め手は千栄子が鵠沼の別荘に滞在するということだった。鵠沼で千栄子と合流し、海辺の休みを操は楽しく過ごす。だが次第に皆の会話の端々に結婚の文字がよぎっていく。楽しそうに話す中で、操は一人、自らの境遇を思うたび、男への憎しみを考えずにはいられない。その中でも千栄子との友情は深まっていく。だが海水浴をきっかけに、モダンボーイの山下征夫が千栄子に近づいて行く。この時の山下に対する感情が嫉妬であることに操は気付く。秋になり、千栄子の肋膜が再発、学校をやめて結婚を考えている、と操は彼女から聞く。そのために伯父からもらったアメジストの指輪を渡した、と。だが山下には別の縁談があった。彼にとっては遊びだったのだ。だがそれで妊娠してしまった千栄子。指輪の返却だけを求める彼女の望みを叶えるべく操は硫酸の瓶を手に、山下と対決する。そこへ千栄子の伯父がやってきて、加勢してくれる。山下は逃げる。改めて自己紹介した彼は、轟千也――操の父だった。友情と憎しみの間に迷う操。それを救ったのは人工流産のせいで死の直前にあった千栄子だった。従姉だった彼女の前で轟と親子であることを誓う。そして自分や母、祖母だけでなく父も苦しんでいたことを知り、残された叔母や父と共に生きていくことを決意する。で、これは結構すんなり読める。理由を考えてみると、キャラ側としては・登場人物の規模の縮小・操をきちんと中心としている・人物の描写のコントラストを効かせているという点があるんだな。話としては。・操の感情を中心にきちんと一貫した流れで語られている。・男性嫌悪は異常に強烈だけど、一般読者に理解されやすい様に、「私生児」という意味づけがされている。ように、一応立ち位置に不自然がないように語られてるんだわ。ちなみに男性嫌悪の描写。……これは強烈。しかし《男性》に対して一生心の許せぬ気持と、それへの反逆と憎悪は、幼児の時から血に伝へられたかと思ふほど操の内心に深く根ざしてゐるのを知つてゐた。(……)この世界人類の生活、少なくとも日本の社会の組織と運転を一朝にして破壊し去らうとするならば、それは社会主義でもない、アナーキストの暴動でもない、たゞ女性の全部が団結して、結婚を退け、男性への服従を退け、母性愛の重荷を投棄ち、男性に身も心も許さずして生きてゆく形を取ること、それだけで日本はつぶれてしまふ、日本の男性は路頭に迷ひ、釦のとれた服、ほころびだらけの着物、欲望の満たされぬ醜態で餓鬼の如くさまよふのだ。そして初めて航海して女性の今までしてゐた仕事がいかに人生にとつて必要な尊い奉仕であつたかゞわかるかも知れない!『吉屋信子全集 第十一巻』(新潮社 昭和十年四月 p417-418)んで。その「憎むべき男」によって、「愛すべき」千栄子は母と同じ、「一時的な遊びの結果としての妊娠」という運命を辿るんだわ。この繰り返される運命が、相手の男を悪人として描写することに正当性を与えているんだな。千栄子の「死による全ての解決」も、「地の果まで」の様な唐突感は少ない。端々で語られる千栄子の元々の病弱、肋膜の再発、人工流産といった伏線が張られているから無理がない。全体的にすっきりとした読みやすい物語になっている。たーだーしー!難を言えば、筋の長さに対し、描写が短編で扱う様な大人しい、悪く言えばだらだらしてるんだよ!寮の友人達との交流は、操の生活描写として彩りとなってはいるけど、その後の筋に全く関係して来ない以上、そこまで事細かに書く必要はなかったんじゃね? って気分になるわけだ。でも正直、この作品はそれまでと大きく違い、吉屋がきちんとした筋を立てたことがよく判る作品として評価したいのよ。これが、「薔薇の冠」と『黒薔薇』での経験、婦人雑誌における読者からの感想が、「空の彼方へ」の成功へとつながったのではないかと考えられるわけだ。「朝日版全集」は初期作品として「地の果まで」「空の彼方へ」を一冊に入れてるんだけど、前者と後者の発表時期に比べて、違和感がありありなんだな。「海の極みまで」は朝日的に抹消したい作品だったのかもしれないけど(堕胎を是としてることが朝日の気に障ったんじゃなかった説というのがありましてな→人工流産ならいいだろ的な)、ミッシングリンクとして「失楽の人々」は置かないとやっぱりストーリーテラー吉屋としての成長の度合いを測ることはできないんじゃねえかと思うのよ。んで、まあだぶりかもしれんが、「空の彼方へ」と続くわけだ。つづくっ。
2018.08.02
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さて「海の極みまで」の次に書いたのが歴史小説「薔薇の冠」なんですが。残念ながら長編の中でこれだけがどーしても見つからなかったんどす。掲載されたのが「主婦之友」だったらまだ手がかりが掴み易いんだけど、「婦人之友」なんですよね。婦人之友ってのは、会員制雑誌でして。主婦之友ほど発行数も多くないし、この時代のものが揃う保証が。いや石川武美図書館にあるかもですが。国会図書館にあるという保証がない。で、このあたりの経緯。伝記によると、長崎におけるキリスト教徒を描いた歴史小説、だったらしいんですな。ちなみにこの時期に、のちにパートナー兼秘書兼主婦となってくれる門馬千代(後に養子縁組して吉屋千代)と出会うわけですよ。ところがここで関東大震災! 男ものの下駄をつっかけて門馬千代の家のあたりまで行って「大丈夫だった!?」という図が繰り広げられたそうな。その後、「薔薇の冠」の執筆に息詰まって、門馬を長崎へと誘い、しばらく滞在することに更にその後、翌大正十三年一月十四日、二人は門馬の仕事の関係で下関に住居を移す。吉屋はともかく、門馬千代は仕事をしなくちゃならなかったのですな。家族が居るし。送金しないといけない。吉屋と対等の関係でいたかったので、という理由もあったらしい。吉屋はそこで執筆も続けるんですが、関東大震災と下関は、後に「空の彼方に」を執筆する際に大きく役立つんですな。下関は、「空の彼方へ」の仲子さんが茂と再会して関係を持ってしまった場所。関東大震災は起承転結の「転」の部分にあたる災害。……これは大正時代を使った話やらドラマにありがちなんだけど、「関東大震災」を機にして大団円の基にしていく、という流れはこの話あたりが始まりかな、と思わないでもないんだわ。いや無論、関東大震災を話に出したものは沢山あるだろうけど、「天災を使って最後に大団円」という流れね。わかりやすいたとえだと「はいからさんが通る」だよ。いろいろありました~けどヒロイン紅緒は婚約者だった少尉をあきらめて編集長と結婚しようとする~と、地震! ~その中でラリサさん亡くなって少尉は紅緒助けに~愛情の再確認~編集長もあきらめる~もとさや。(ちなみに編集長は番外編において欧州で紅緒そっくりの少年!を拾ってあれこれありつつ日本に連れてきて養子にするんだな。養子のほうに妻もとらせたけど……はて……編集長はそもそも紅緒においては少年的な部分を好いてたんじゃねえかと思うんですが)何というか、閉塞していたものを打開するものとして「震災」が使われるというパタンの(そもそも被災した(そんなに酷くないけど)吉屋が書いたのはまた別の意味合いもあるだろうけど)ものとしては大きいかな。話をもどして。……で、この時期、三月の日記からは、「薔薇の冠」に手こずる様子と、創作に対する自戒と目標が立ち始めたわけだ。この辺りの日記とか手紙が伝記の中で紹介されまくっております。「悔い! 悔い! あゝ恥辱の冠はばらの冠の名によつて私の頭上におかれた! 筋だ、筋だ、筋も無くなぜかいた、あの筋はあまりに漠然過ぎるではないか」(大正十三年三月十日)よーすんにこの時期、ようやく吉屋は「筋」が大切だ! と自覚したんだと思う。また、翌日の日記では、自分の進んで行く道を改めて記している。「家庭小説。清純にて人間味あり、女性的にこまやかに美しく詩的なもの」(同 三月十一日)で、歴史小説と並行して家庭小説「空の彼方へ」を書き始めるわけだな。格別に何処かへ出すあてはこの時点ではなかったということだけど。ところでこの時期、結局吉屋は一人東京に戻るんだな。どうも女二人が(しかも片方は目立つ断髪だ)一緒に暮らしているというのが、周囲の好奇心を招いたらしい。で、さすがに女学校教師の門馬にはまずいよね、ということで一人戻ることにしたと。で、離れて暮らすんだけど、吉屋はどーしても門馬に会いたい。帰ってきてほしい。そんな中で、個人パンフレット『黒薔薇』の創刊を思い立つわけだ。計画段階の十月半ば、門馬あての二通の手紙で、吉屋は自分の仕事の指針を伝えていますが。私は千代子さん いよいよ決心しました 自分の書いてゆく仕事の本路を一つきめてまつしぐらに行きたいのです それは所謂通俗小説と或る人々の呼ぶもの 言ひ代へれば民衆に贈る長編創作です 私はそれによつて出来るだけ美しいもの正しいものをあざやかに描きぬいてゆきたい私は家庭小説のすぐれた美しいそして立派に芸術であり 残るものを生涯書いていきたいと思ひます『黒薔薇』の基本構成は、長篇連載「或る愚しき者の話」と短編・小品といった創作、論文・随筆・感想、時には詩も載せました。また「鸚鵡塔」と名付けられた読者欄も設けられ、課題となる文章を決めた批評も募集し、「巻尾に」は筆者あとがきとでも言えるものが記され、前号の反応等についても感想を書いてたんですな。で、まあ前に語ったことのだぶりとなるけど最後の純文学的長篇である「或る愚しき者の話」。最後には「巻尾に」においてこう記されてるんだけど。愚しき者の話も、本号で完結しました。作者はほつとしました。あまりに多くの意が満たされぬを知りつゝも思はずほつとしたのです。(№8 p77)終わらせざるを得なかった苦しさと、書かなくてよくなるということでほっとしたんじゃねえかと思いつつ。ちなみに構成。「屋根裏の二処女」同様、筋らしい筋はない。時間の経過とその間の主人公の考えと彼女視点の世界を描写しているだけ。なので「出来事の」流れ。同性愛事件で相方に裏切られ退学になった滝川章子は、検定で資格を取り、女学校の教師となる。学校のやり方にうんざりしつつ、年の近い少女に惹かれ焦がれる。だが過去の失敗や少女の両親の良縁願望等で気持ちを出すことはしない。全て面倒になり、東京で事務員をしようと思い立った翌日、当の少女が強*され殺されたことを知り、章子は卒倒する。端的に言えばこれだけ。その合間合間に、自分が生来持つ同性愛志向と一般社会との差異に悩んでる心情がつらつら。そんで「官立の高等女学校」という場での、男社会に対する批判と痛罵を月経調査や遠足におけるお菓子持参の問題を通して語っているんだな。「いつたい、お菓子を、お菓子を食べさせないなんて、食べさせないなんて、そそんな馬鹿な話があるもんですか……遠足は快楽の為に行なはれるんです。野原の中に山の上に嬉々としてたまさかのいちんちを遊ぶ、いはゞ、外国風に言へばピクニツクつてもんでせう、娯楽が目的の行為の中に、何んの必要があつて、その最大の興味を削いで何が有り難いんでせう、私には意義がわからないんです、たゞ頭から馬鹿らしくて恐ろしく馬鹿らしい……」(№2 p30-31)この言葉は「厭だが出ない訳にはいかない」職員会議で意見を求められ、仕方なく発したものであり、後で章子は悔いている。校長からも軽く流されたものである。(そら流すわ……)この様に、学校行事を中心にした時間の経過におけるエピソードと、その折々の章子の動向と考えが淡々と記されて行く。そこで一つ疑問が浮かんだんだな。果たして吉屋はこの物語のプロットを決めていたのだろうか。それは№7における唐突な変化によっても考えさせられる。ここから文章が急に章子の一人称になり、物語は終局へと向かって行く。この時、以下の様な但し書きがついている。おことわり(此の物語は十五回から滝川章子自らの話に文体を移しました、作者の気持の上からの我儘をお許し下さいませ)(№7 p29)そしてそれまでが常体の「だ・である」調だったのが、「です・ます」調になっている。その日は午前中で学課を切り上げ一同出かけた。学校の生徒は優待されて前の方に近く陣取る。(№6 p37)羽織を着出す生徒が増え、八ツ口に手を入れてぼそぼそとしみつたれに歩いたりするのです。(№7 p29)そこで何故吉屋が唐突に変更したのかは現時点では不明。ただ、この文体を変えた№7というのは、最も吉屋に対する批判的な読者評が掲載された巻であることが注目される。吉屋が『黒薔薇』に読者欄を設けたのは、馴染み深い少女雑誌を真似たものだと推測される。ただこれが、次第に辛口のものとなっていくことを、吉屋は当初予想していただろうか。№4において(中島慶二)は「成る程此れあ(ママ)吉屋式だと思ひました。デリケエトな筆致でアブノーマルな、だがあくまでも純潔無垢なあなたの個性が遺憾なく表現されてゐるのを何より嬉しく感じました」彼は№1、2を読み、この様な感想を述べている。“吉屋式”=デリケートな筆致でアブノーマルという図式がある程度の読者には共通の認識だったことが伺える。また、№6において(東京、佐藤秀夫)は毎号の短編を誉めつつも、全てのヒロインが“章子”であることにもの淋しさを訴えている。ヒロインのバラエティを求めている様である。なお、この“章子”への意見が、№7では多数掲載される。(足利 関口昌宏)は「現代式の女性を思わせるものがある」と章子に関する描写を誉めてはいる。だがその後に、「が作者は何時でも何か書く時には必ず多少の差こそあれ同性愛を引張り出さずには居られないのだらうか。私は何時も又かといふ様な気持になる。如何に作者自身がその方面に御趣味があるとはいへ、たまには異ふ方面のも書いて貰い度いものである。最もそこが作者の特意なのかもしれないが……」と手厳しい。(沼津 永田弘)はまず“章子”の空想癖とドグマの強さを指摘する。そして、「作者が自分のドグマを捨てゝ、もつと客観的に同性の方を見ていたゞきたく思うことがあります」と続く。ここには作者=“章子”と見る視点が感じられる。(東京 安田清臣)は「こまかい乍ら多い欠点」として、「いつもあまへてゐる少しきつい世間見ずのお嬢さんに仕立てる様な主人公のとり扱ひ従而いつも気分がきまつてしまつてゐるのはどんなものだらうか」と“章子”の性格を批判している。一方で、吉屋の男性拒否・嫌悪についてもこの№7では手厳しい意見が載せられた。(千葉、押尾憲治)は筋金入りの「吉屋党」だと告白した上で、この様に強く訴えている。「常に吉屋さんの、男性を痛罵し、異性を嘲笑し、男子を呪詛する悲しい叫び(敢えて「悲しい」と云ひます)が、「黒薔薇」紙上に厳然と暴君の如く(敢えて「暴君」と云ひます)威張つてゐるからであります。貴女のアブノーマルなお心持(失礼)から「同性愛」を高唱し、普通の恋愛――殊に結婚を呪詛するのは、そのひとの持つて生れた個性だから仕方がありませんけれど、男性とあれば遠慮会釈もなく痛罵なさるのはあんまりだと思ひます」彼等だけでなく、様々な傾向の意見があったことは、掲載前から、投書の現物を受け取っている吉屋も判っていたと思う。ただこの№7においては、読者欄を編集する交蘭社編集部が、この様な意見を集めたということに意味があるような気がする。吉屋の“男性拒否”や“女性同性愛賛美”が強すぎることについて、編集側が読者の口を借りて意見しているんじゃねーかと。吉屋にとっては、元々『黒薔薇』は自分の好きなことを書くための冊子。けど実際に「好きなことを自由に」発表すれば批判が来てしまう。で、「或る愚しき者の話」は、少女の死によって唐突に終わる。これは吉屋が『黒薔薇』を放りだしたかったからかもしれない。だから一方で、こうも想像できるわけだ。そもそも“いつ終わっても構わない様な”構成を最初からとっていたのではないか、と。章子の日常と少女への感情を時間に添ってひたすら書いていく。そして止めようと思ったら、当初から予定していた“唐突な少女の死”で締める。はじめと終わりだけ決めておけば、内容を引きのばすことも縮めることも可能なやり方をここでは使用していたのかも。まあ、いずれにせよ『黒薔薇』で受け取った感想や批評は、吉屋に大きな教訓を与えたと思う。通俗小説を書き続けたいのだったら、そのままの自分をあからさまに出してはいけない、と。つづくっ。
2018.07.31
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さて。新聞小説第二作の「海の極みまで」でございます。これがですねえ、朝日新聞掲載なんだけど「朝日版全集」に入っていないんですね。まとまりとかどーとか言うより実にゴージャスなんですがねえ。でも「地の果まで」「空の彼方へ」に比べて知られてない。ちなみに吉屋信子はこの作品でいったん朝日とは切れるんだな。次に朝日新聞に書くのは「徳川の夫人たち」まで無いのだよ。週刊朝日はあるけど、他誌に比べたらなあ。ついでに言うと、途中で朝日とトラブルがあるし。なお煽ったのは朝日だこのやろう。吉屋信子には同族嫌悪的感情があるんだけど、不買運動まで起こさせてしまった朝日はもっと憎憎しいのだった。ちなみに、書いていたのは新聞で言うなら、吉屋はだいたい毎日系だったわけだ。何せ朝日の「飛行機をとばす」のに対抗した形で連載やったって言うくらいだし。まあそんな朝日での二作目なんだけど。全百七十回という、前回以上の長篇。んで、執筆のために吉屋は鵠沼の旅館に一時滞在してる。この地はその後の長編「失楽の人々」の舞台ともなってる。ちなみに彼女のトレードマークとされている断髪にしたのもこの時期ですな。当時周囲にはそういう髪はいなかったんで目立ったらしい。で、作品自体は好評で、翌年には映画化・舞台化されているわけね。当時のメディアミックスと言えば、映画と舞台。で、作品はと言えば。これは、二人の性質の違うヒロインの物語が交差しながら展開していく話なんだな。片や華やかなヒロインの栄華・没落・復讐・破滅を描いた物語。片や純粋に神を信じ、やや頑ななまで社会奉仕を願う潔癖なもう一人のヒロインの物語。それぞれが入り乱れて進む、もー波瀾万丈! な作品なんだな。前者のヒロインは美濃部満智子。そもそもは県知事の娘。彼女には理想主義が強く融通がきかず、自己卑下に陥りやすい兄・亘が居る。……うん、兄貴は非常に嫌な性質だった。だけどすとーん!とその地位から落っこちる! 美濃部知事は収賄で失脚、収監中に自殺を遂げ、残された一家は一気に没落してしまうのだ!ちなみにその時期、満智子は交際していた柿島という青年との子供を妊娠! していたんだけど、没落と共に縁切り! したかされたかはちょっと判らず!で、彼女のことを好きだった森という書生の伝で堕胎の道を取るのだ! あ、堕胎はこの時代は犯罪です。逃げ道なしの。だから違法にですね。彼女はその後、叔父の紹介したユダヤ商人と共に行方を断ってしまうんだわ。地元妻だったのか本当に結婚していたのかはわからない。ただ北海道に館と土地をもらって、女牧場主としてやってたわけ。で、四年後にやっと、音信を断っていた家族に連絡を取って招待するんだな。ちなみにかつての兄の婚約者だった鳴尾靖子と結婚した柿島とも再会するのだわ。そこで満智子はお気に入りのアイヌの少女・メノコと謀って、柿島を自らとも共に毒殺しようするんだけど……失敗。牛の角に突かれ、兄達に見守られながらメノコと共に息を引き取ってしまうんだわ……一方、後者のヒロインは安西環。熱心なクリスチャンで、靖子の弟の家庭教師をしていた。で、立場を知らない頃に亘と出会い、強い友情を感じ合う。美濃部家の没落の際には、宣教師のミス・ベリースの力を借りて亘の学資を融通してもらったりする。亘くんは彼女のこと好きだったけど、ダメです。また、鳴尾家で可愛がっていた女中のおふさが、屋敷でセクハラを受けていたことから、ベリースのセツルメントに引き取ろうともしました。だけど行方不明になっていた彼女と再会した時、既に周囲の圧力から処女を失ってたことにショック。失望しておふさを罵って戻るという。でもそこで逆にベリースに叱られたわけだ。再度迎えに行くんだけど、その時にはおふさは川に身を投げた後だった。で、環は結婚を捨て、一生を女性の救済に捧げると決意する。四年後、連絡がついた満智子の元に彼女も向かい、結果としてその死に立ち会うことに(この時の存在感ゼロ)。その後、修道院に入るつもりと亘に告げ、ベリースと共に日本を発つ、と。……と、この二人の物語が、時間軸に添って入れ替わり立ち代りしてくんだな。満智子の物語は、吉川豊子も論文で言ってるんだけど、当時好評だった「虞美人草」「或る女」「真珠夫人」等の影響を受けてるんじゃないかと思う。それだけに満智子のキャラと物語は「作り物」として、一本筋の入ったものとなってる。話も、満智子自身の考えや行動で周囲が動かされるという感じで、印象の強い。出奔する満智子の書き置きなんか特に、その強い意志がよく現れている。 私は「自由」を戴きます。 同時に全ての「責任」を一生持って終わります。『吉屋信子全集 第七巻』(新潮社 昭和十年八月 p323)……だけど環の物語は、環だけでは成立しないんだな。彼女はまず、“鳴尾家の家庭教師”“亘に慕われる相手”という、肩書きつきのキャラなんだよ。行動についても、おふさやベリースという誰かによって動かされる受け身的なとこが多い。まあ結局、彼女は現世に生きる女ではなかったらしい。端々にこういうのが出てくる。「(……)正直と善良にすべての人間性が天然に改まったら、この地の上が天国化する時だと私は思ひますけど」(同 p303)しょーじきこの環のほうが吉屋キャラだと思ったね。当時の作者の書きたいものとしては。満智子は、吉屋作品の主人公としては「ありえねえ」タイプ。どっかから取ってつけた感大きいのだわ。それでも華やかなヒロインの名が“満智子”であることは、菊池寛「真珠夫人」の“美”が強調された様な“瑠璃子”と比較すると、“智”が強調されている辺り、吉屋らしいんだけど。一方の環は、頭が良く(満智子も地頭がいい。どー見ても絶対)理想主義(満智子は現実主義!)、個人より人類としての向上を願い、一生を神と事に捧げると決意しちゃうキャラなんだな。環のほうがもう圧倒的に心情描写も多い。ただ、新聞小説という枠組みを意識した時、理想主義で受動的な環の物語だけでは弱い。だからこそ、華やかな満智子の物語をベースにし、そこに随時環の物語を入れてった、のじゃないかなー、と思ったわけだ。最後、満智子は「私はしたいことをして生きてきました……もう生きるのに飽きました」(p372)と言い残して物語世界から退場。環は亘と共にラストシーンを飾る。この配置からも、環の生き様の方を吉屋は重視したんじゃないかなー、と。ただ、こうやった結果、二つの物語の配置バランスが悪いのだわ。全体の印象を散漫にしてしまってる。新聞小説であることを意識し、章立てを組み、華やかな舞台立てをしてはみたが、やはりこの時点の吉屋は、まだ物語の構成に関しては、発展途上の段階だったのじゃないかな、と。それと、目玉となる「ヒロインさま」をなかなか作り出せなかったのかも。いや、満智子はワタシ結構好きよ。何だかんだ言って、「殺してやる!」までやってるヒロインだもの。先輩格の自我の強い女性キャラは、明治に書かれた「虞美人草」ではヒステリーでそのまま死ぬし、「真珠夫人」は何だかわかんないうちに殺されてしまう。それに比べて「あなたは死になさい、私も死にますけど」だもの。いろーんな意味の復讐をしようとしているんだな。んで、周囲に懐かないアイヌの少女も味方につけて、その秘伝の毒で柿沼を殺そうとするんだし。メノコは柿沼を殺そうと槍持ってくるし。でもどっちも可愛がっていた牛のせいで死んでしまうんだから可哀そうすぎる……ちなみに「朝日が彼女を起用するのをやめたのはこの作品に堕胎を肯定するような部分があって、そらあかんと思ったからじゃねーか」という説もあるんだけど、そのあたりは定かではない。つづくっ
2018.07.26
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さて、このはなしは現在結構入手しやすい。「乙女小説コレクション」だったり、「百合」ジャンルの元祖というアレなんでプッシュする層があるのでね。だいたい楽天ブックスでフツーに買えるくらいだ。アマゾンにはあるけど楽天では見つからないぞ! というのは山ほどあること考えれば、そーとう買いやすい部類だと思う。↓屋根裏の二處女 (吉屋信子乙女小説コレクション) [ 吉屋信子 ]んで。「地の果まで」を書き上げた後、この作品を吉屋は書き始めたんだよな。この作品は、吉屋千代編「年譜」によると、「YWCA時代の寄宿舎の青春群像を題材に、ほとんど私小説に近い」物語ということにされてる。また、「信子はこの時期の一連の長短編を『純文学的作品だった』と自ら書いている」ともある。とりゃず近代文学を研究する人はまずこれを使えといわれている『日本近代文学大辞典』の第四巻によると、「懸賞小説で登場し通俗小説一筋」と評されている吉屋信子なんだけど、この作品と、「或る愚しき者の話」に関しては「純文学的作品」という意識があったと思う。いや、「ただの長編小説」かな。今思うと。むしろ「通俗小説」「大衆小説」のほうが、あえて書くもの、という感覚があったとしたなら、思いのままにつらつら、という意味の小説なんだと思う。んで構成。私小説+美化、かな。吉屋自身の寮生活時代の同性の恋人との関係を、「こういうふうだったら……」に変えたって感じかもしれない。現実の関係はあかんくなった。伝記には手紙の引用とか色々出てるんだけど、相手があまりにも現実の夫婦をなぞった関係を求めてきたからというのがあったらしい。まあのちのち千代さんとの関係がどうよ、と言われてしまえば何だけど。入り口としては対等な関係でありたかったらしい。「結果として」内助に千代さんが回ったという関係になった、というのとは違って、そもそも養われたい、という感情が手紙からは透けて見える。もしくは伝記の作者にそういう意図がある。んで。この作品は全五篇で構成されてる。最初の一・二篇はヒロイン滝本章子さんを描くこと! のみに使われてると言っていい。というか、こういう感性があるんだ! と書きたかったんじゃないかと思う(個人の意見)。この“章子”の名はその後「或る愚しき者の話」や、初期短編に私小説・創作問わずよく現れるんだよな。まあ「緑」もそうだけど、吉屋の公式な分身とも言える人物じゃねえかと。一・二篇では、章子が新たにYWAに入寮するところから始まる。彼女は屋根裏部屋に住むことなるが、ともかくそこの生活に馴染めない様子がひたすら綴られる。この時点で章子の恋人となる隣の部屋の住人“秋津さん”はまだ遠くに居る存在に過ぎない。ちなみに当時の人の証言。現実ではYWCA。これはまあよく自分見つけたよな(自画自賛)、という本から。後年、当時の吉屋信子について、ライダーに次いで寮監になった諫山イネは、「あの方はとてもいい話をお書きになりましたが、生活や言語までが皆小説化されて人とかけ離れたやうな風でしたので、よく人に誤解されるやうなことがありました」と述べている。また、川又吉五郎は、「四谷女子学寮のライダー先生から頼まれて、舎生二○名許りのために、私は使徒行伝を土台に『初代基督教の起源及其発達』と云ふ題で十数回話したものである。あるとき渋みのある顔で眼を光らせて聴講し、歴々質問し、何か参考になる本を貸してくれと要請した一舎生は『地の果まで』の著者吉屋信子であった」と追想している。古屋圭一『近代日本の戦争と教会』(2011.9 さんこう社 p102) んでまあ、「生活や言語が皆小説化されて人とかけ離れていたやう」な姿が、章子の描写にはよく現れているんだよ。例えば、自分が住む場所が“屋根裏”と舎監から聞いた時の彼女の反応。(屋根裏) この一つの語彙のうちに、章子は溢れるやうな豊富な、新鮮な、そして朦朧とした幽暗と、そして(未知)に彩られた奇怪と驚異と、幼稚な臆病な好奇心と――の張り切れるほどいつぱいに盛り上げられて充満してゐるのをその一刹那から感じた。 その観念の前に(屋根裏)の語音は、非常に魅力ある巧な美しい響を伝へるものとなつた、そして美と憧憬とを含んで包む象徴的の韻を踏ませてゆくものとなつた。 譬えば、(薔薇の花)――(珊瑚樹)――(初恋)――(……)…… あゝ、若者達の多くの幻想を寄せるに、ふさはしいこのあまたの抒情詩集の中から引き抜かれた言句にも立ち勝つて更に深くつよく若い心を掻き乱す如き心憎くも幽遠な響と感じを発するものと――章子にはなつたので。『吉屋信子全集 第七巻』(新潮社 昭和十年八月 p54-55)この様に、美しいと感じたものに対し、章子の言葉は惜しみなく尽くされる。……文章としては読みにくい。ともかく情感たっぷりになってくると、切れ目が無いんだよ。それを味と呼ぶか悪文と呼ぶかは読者によると思う。第二篇四では、夜中にピアノを一人で弾く場面に丸々割かれてるんだよな。自分を高名なピアニストに模して空想の世界に遊ぶ、そのディテイルは非常に事細かでな。歓喜の時間を過ごす章子の姿は凄い。滅茶苦茶凄い。けど我に返った彼女は屋根裏の部屋で一人泣く。夢と現実とのギャップが彼女を打ちのめすわけだ。第三篇でようやく章子の他の寮生との行動が描かれる。ようやく、だぞ!ただやはり、周囲との感覚の違い、停車場での男達の行動に対する憤激、自己卑下感とマイナス要素が強い。ただ、この章には“秋津さん”への憧憬と賛美がともかく美しく描かれている。彼女は屋根裏のお隣の部屋に住んでいて、無論綺麗なひと。んでもって最初の日に灯りとしての提灯で火事を起こしかけた彼女を助けて、焦げたものを持ってって始末してくれたりしてる。あと、印象的な男勝りな人物“工藤さん”も初登場だけど、章子は彼女とは一言も言葉を交わしていない。“秋津さん”と周囲の人々との違いは、歯楊子(歯ブラシ)を水場で落とした場面だな。「口ざはりの優しい品」で「別れがたく悲しく」なったが、「皆のスリッパで踏むところ」に落ちたものだから、潔癖性の章子には二度と使うことができない。だが他の寮生から靴クリーム塗りのために所望されると、章子は「ものに狂うたやうに」ホースの水で穴へと流してしまおうとする。“秋津さん”はそんな章子のもとにいつの間にかやって来て、黙ってそれを手伝う。……いや、そんなことしたら管が詰まってしまわないか、と読んだワシとしてはなあ。それだけではない。“秋津さん”は宗教の集いの際に、「神の姿を眼の前に見たらすぐに信じる」と言って笑われた章子を「何て純な正直な方」と無条件に受け止める。無条件にですよ。第四篇は隣同士の二つの部屋を一つにし、片方を書斎、片方を寝室にした二人の楽しい時期の話。……つまりだな、片方を寝室で、ってとこを論文のほうでは今一つぼかして書いたんだが、ようするに秋津さんの美しい羽二重の布団で一緒に眠ってる、っていう描写があるんだよ。それがただ一緒に寝てるだけなのかそれ以上なのかは描かれてないけど、まあ、なあ。触れてるような描写はあるけど。まあそんな時期なんだけど。“工藤さん”を始めとした他の寮生数人とも連れだって外に遊びに出る描写もある。林檎の会をするって言って、でかいバタで彫刻を作ったりだな。で、他の女子も出てくる。章子さんは格別関心もないようだけど。この時点では。で、比較的明るく楽しい寮生活が描かれる。クリスマスに“秋津さん”の過去の恋人で、今は人妻となっている女性が訪ねてくるまでは。続く第五篇で、章子は“秋津さん”の過去の恋人のことで不安と嫉妬で狂いそうになってしまう。ぎゃー。また“工藤さん”がまたいきなり亡くなってしまう。時代が時代なんで急に肺炎だので亡くなる例はあったと思う。んで気持ちが重くなり、最終的には自分以外に“秋津さん”にまとわりつく「失敬なこの痴者」「づうづうしい水芋の人間」である“お静さん”へ暴力をふるってしまうんだわ。……まあ要するに、章子さん自体がそもそも「工藤さん」と違って「お静さん」と名前を通称でしか覚えていないあたりで存在の軽さが当初からあったわけだな。その上でこのひとを見かけでも行動でも軽蔑しまくっていたと。まあ結果、章子は退寮を命じられるんだわな。……女子寮で暴力沙汰、ってんじゃ当然かな。ところがだ。“秋津さん”は心中を望んだ過去の恋人ではなく、この章子と寮を出て生きて行く道を選んでしまうんだわ。で、二人は揃って屋根裏部屋を出て行く。……ご都合というか、ここで秋津さんが章子を選ぶってのは微妙だよなあ。いや、そりゃ前に出した「片瀬心中」より前向きって言えば前向きなんだけど、相手の「呉尾きぬ」さんは「自分のした結婚は失敗だった、あなたが忘れられない、一緒に死のう」って言ってきたんだから。まー、何にしろ、この小説は非常に読者を選ぶ作品だわ。何より、章子というキャラ、その徹底的な受身の姿勢、コミュ障、敏感すぎ、独り言等に同調できるなら、最後まで読み通すことが可能であり、結末にも納得がいく、というか、救われると思う。ちなみにワタシは「自分にも思い当たる」ことで同族嫌悪したんだけど。だが最初の第一、二篇でつまづいたらまず無理だな。言い換えれば、この作品はそれだけ吉屋の原点であり、「個性の原点」だと思う。ちなみにワタシは本を読むときにある程度の筋がわかるようにざっくり読んで、そのあとよかったらじっくり読む、ミステリなら一度ラストを拝んでから、というタイプなんで、突き放して読んだ。ので、この話を「研究」するのは難しいだろなと思う。客観的に見られる人はまず読み通すのが苦痛じゃないかな~と。つづく。
2018.07.20
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……で、今までが修士論文の内容を「まとめ」以外資料絡めてざっくりと語ったものなんだな。彼女の「昭和に入ってからの長編小説がどうやって形成されたか」を「世間要求されていたもの」という面と「自分の嗜好」との折り合いをつけた結果、ダブルスタンダードにならざるを得ない、首をひねる結果となる、他人が演出すると彼女の意図は消えてしまう、という話だったわけだ。んで。じゃあ大正期の長編はどーだったか、というのを少しまた語ってみたいざんす。これは大学院の紀要のほうに出した論文をまたざっくりと。まずは「大人の長編」としてのメジャーデビュー作「地の果まで」のこと。この話を書くまでの経緯ですが。大正七年、吉屋信子は当時の「親密な」友人・菊池ゆきえの勧めにより、『大阪朝日新聞』に「地の果まで」を投稿しました。この菊池さんって言うのは、まー何というか、次に出す「屋根裏~」の相手嬢の「こうあってほしい」モデルですな。津田英学塾に通っていたんだけど、『大阪朝日新聞』の英文ニュース欄にだけ載ってた「創立四十周年の原稿募集」を発見したことが吉屋の投稿のきっかけなのだ。で、この時の様子は、後年、短編「歳月」において吉屋自身が描写しているんだけど。その春卒業したらあるミッションの幼稚園に就職の約束もほぼきまった早春のある朝、寄宿舎の食堂に備え付けの新聞綴の台で新聞を見ていた友が呼んだ。「これに応募なさいよ」「歳月」(『婦人之友』婦人之友社 昭和三十九年十二月号)一応この時期、もう洛陽堂から『少女物語 赤い夢』という童話作品集を出版、『少女画報』では「花物語」を連載していた。好評でしたよー。だけど当時、童話や少女小説は文壇の外にある存在だったわけです。で、吉屋は職業作家、大人向け小説への挑戦として、三番目の兄(一家の中の出世頭で、妹の才能を認めてくれたひと)が居た北海道において初の長篇「地の果まで」を執筆するわけですな。この時の募集要項は「小説、時代は現代、新聞連載に適する家庭の読物、約百五十回、一回は一行十五字詰め百行内外」換算すると一回につき千五百字。←今だったらこっちのほうがわかりやすいな。現在の四百字詰原稿用紙だと四枚弱。吉屋はこれを全百五十五回の原稿にまとめて投稿したわけです。その直後、父の死の知らせがありまして。単行本になった時、吉屋は「父上の御霊に捧ぐ」と言葉を添えているのですな。ちなみに発表は十二月二十六日、そして翌大正九年一月一日から『大阪朝日新聞』誌上での連載が始まったわけどす。ただし『大阪』であって『東京』ではないことに注意。で、この話の内容ですが。一口で言えば、「強気な姉と弱気な弟の考え方の違いと彼等を巡る人間模様」……だな。いや、もの凄くそれぞれの立場と話がごった煮になっていてですな、あらすじ書く時にすげー苦労したのよ。一応論文のほうでは↓のように価値をつけたんだけど、 その中で、当時のキリスト教に対する若者の受容、結婚に対する吉屋の考え、ブルジョア子弟の生活改善といった、時代の特質を抜き出して考察するきっかけには充分興味深い物語である。「うーんどうだろう」(にこにこ)としたくなる話でもあるのさ。中心になるのは、ヒロインである春藤緑と、彼女に立身出世の夢を押しつけられる弟・麟一。弱い立場にある彼等に降りかかる事件に対し、麟一への強い願いに突き動かされる緑が引き起こしてしまう行動が、この物語の原動力となっている。……それは間違っていないとは思うんだけど。まあちょっと彼等に起こる事件を中心としてあらすじを追ってみようか。 最初の事件は、麟一の学費問題だった。 ここで一高~帝大コースのみしか認めない緑は、現実的な叔父と衝突する。叔父と姉弟は絶縁することとなり、上の姉の直子の夫、叔父の異母弟である浩二のみが頼りとなる。 麟一はかつて母が働いていた園川家へ書生として入り、そこで出戻りの長女・関子に恋される。やがて麟一も関子の兄嫁・千代子の後押しもあり、二人の仲は“清く”深まっていく。もうここで人間関係がもの凄く面倒なことになっています。緑さんは怒りすぎてぶっ倒れてます。 第二の事件は、緑の結婚話である。相手は彼女が惹かれていた神学生であるが、“処女”“容姿”“年齢”等の条件のみで求められたことに憤慨し、きっぱりと断る。 やがて麟一は一高受験に落ちる。また、労働争議の関係で浩二夫妻が北海道へ転勤になる。千代子に麟一をそのまま書生として居させるように緑に頼む。いやーここでも滅茶苦茶緑さん、憤慨してます。ただし体裁は繕ってるあたりが。 第三の事件は、「麟一が婦女子の愛玩物となっている」という匿名の投書である。緑は差出人不明のその手紙に憤慨して園川家へ怒鳴り込む。衝突する緑と千代子と関子を見て、麟一は自殺をほのめかす書き置きをおいて失踪する。 緑は半狂乱で飛び出し、友人・梅原敏子に救われる。人生に意味を感じなかった彼女も、緑の必死さにやる気が起こり始める。 一方、千代子は物足りなさを感じていた夫を頼る。彼は妻と妹のために実家へやってきて、生活の改善を父に誓い、妹を引き取って行く。夫妻は敏子と連絡をとって麟一の捜索もさせる。ここで梅原さんってのがいい子なんですよねー。もともとは学校の中でもふらふらしいたひとなんだけど、この緑さん見て感動しちゃってお世話するんだから割れ鍋に綴じ蓋なんですが。 最後の事件として、北海道の直子の出産と死亡である。これだけは緑も動かされる側の人間となっている。 その知らせは音信不通にしていた叔父の心を溶かし、切れていた緑との関係修復をさせる。その一方、麟一が見つかったという知らせも千代子~敏子から入る。姉の遺骨を抱いて帰る時、ようやく緑は弟の人生は弟に任せようと決心する。何というか、人が多い。んでもって、……まあ、たぶん作者がどんなジャンルか考えて書いてなかったからだと思うけど、生き方とか「べき論」とか満載でなあ……章立ても特にされてなくって、ただ回数だけ付けられてる。だから何というか、全体を眺めると、筋らしい筋は無い話と言っていいのよ。物語上の時間に添って、淡々と物事が綴られて行く書き方。つまり、吉屋信子がそれまで「純文学的に」短編で書いてきたやり方とさほど変わらないわけだ。プロットの組み立て方がまだよくわかっていないというか。ただ!キャラの個性は強いぞ。多人数だけど、それぞれ個性的な性格とそれに伴う行動をしている。吉武輝子は彼等について、「現実世界の中では、とても通用するとは思われない純化された人間像」と指摘しているんだけど。まあ言うなれば、ある程度テンプレな人物像ってことだな。その中でも、ヒロイン・緑は強烈だぞ。彼女の行動が物語の原動力となっていることは先に書いたけど、いやもう、何というか。まず、第一の事件では、それまで学資の援助をしてくれた叔父に対し、更なる要求をした上で叶えられないと知ると「私達の若い芽を摘もうとする悪魔」とののしった上、興奮のあまり貧血を起こして倒れる。第二の事件では、それまで好意を感じていたはずの青年に対し、心の中で罵倒を浴びせかける。勧めてくれる牧師夫妻には冷静だが、内心は怒りで爆発しており、反動の様に弟への執着を強める。そして第三の事件では、誰とも知れない投書により、それまで尊敬すら抱いていた千代子に詰め寄り、関子を「毒婦!」と罵しり、ついには暴力も振るう。第四の事件では彼女は何もせず、ただ流されて行くだけ。ただなあ。この緑さん、叔父さんに対し、全然謝ってねえのよ!謝ったら死ぬ病的に何一つ自分の非を認めてねえの!最後の和解の場面で謝るのはあくまで「こうなるまで放っておいた自分だ」と嘆く叔父さん。緑はかつての「悪魔」呼ばわりまでした暴言について何も言わないんだよ…… 失礼すぎる。叔父さんは典型的な「頑固親父」なわけだ。彼が反省の涙を見せる以上、対応する緑の行動としては、やはり泣いて「私も悪うございました」が丸く収まる形だと思うのね。だけど彼女はそうならないんだわ。確かに涙は流す。その理由はこの和解によって「神は確かにいる」と確信したからなんだよ。感激の涙なんだよ。んで、モンペならぬモンシスの彼女ですが、帰る列車の中で弟の将来については、付け足しの様に一行記されているだけなんだな。しょーじき、作者はこのメアリ・スーな緑を「反省させたくなかった」んじゃねえかと思うのよ。そら物語の展開上、麟一の進路については考え直させたけど、最低ラインとして、叔父に頭を下げるのは死んでも嫌、という感じなんだよなー。それに姉や義兄の態度もかなりおかしくてなあ。学費を頼むべく緑が叔父に使う手は朝の御馳走だとばかりに、当時貴重な卵を用意する辺りではこんな風な描写なのよ。何故こんなにまで叔父につくすのか――と思ひ当ると、其処に緑のまだ若い幼稚な子供らしい見えすいたこの仕業が了解された。そして可愛い様なまた可哀さうな気持ちが妹に対して与えられたのである。『吉屋信子全集 第八巻』(新潮社 昭和十年九月 p72)また、叔父を罵倒しまくったあと、ヒステリーで気を失ってしまうんだけど。そんな緑を見た義兄の描写。涙に顔を濡らしながら、乱れた髪もその儘に、人目も恥ぢず、かうした他愛ない容子をする緑を見た浩二は、そのいぢらしさに涙を浮かべた。(同 p85)いや、既に高等女学校卒業して、その上の専門学校に行っている――― 二十歳越えてる緑に対しての視線は、何処までも許して子供扱いして甘やかす保護者なんだよなあ。とは言え、強烈だから人の目はひく。ということで、キャラクター小説としてはよかったんじゃないかと思うんだけど。だから「ジャンプの連載」的に次々に事件がおきて~展開してって~という感じでは正しいんだよな。新聞連載としてはオッケーだと思う。だけどこれが単行本でまとまると、「え、どういうあらすじだっけこれ」ってなるわけだ。ということで、論文書いたときのワタシの結論。 大筋と登場人物の動きに未だ上手くバランスが取れていない状態。それがこの長篇処女作「地の果まで」における吉屋の技量だったのだろう。つづく。
2018.07.19
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「空の彼方へ」。プロとしての長編としては3本目、雑誌長編の処女作ですな。ちなみに、この作品に関しては、脱稿がいつだったのかがはっきりしない。書き始めは中編歴史小説の「薔薇の冠」と並行した大正十三年だったらしい。ただ、『主婦之友』社長石川武美に送付するのは大正十五年十一月。さきの「地の果まで」「海の極みまで」に続く三部作のつもりで「空の彼方へ」を新聞小説の形で執筆したが、適当な発表の舞台がないまま、年末、未知の石川武美(主婦之友社長)に宛て郵送した。「空の彼方へ」の原稿を正月休みに読了した石川武美からの来書で、一月十二日主婦之友社を訪れて初めて面接。「誕生日に嬉しいプレゼント」としている。ただちに雑誌連載の形に改め、四月より「主婦之友」に連載。吉屋千代編「年譜」(『吉屋信子全集 十二巻』朝日新聞社 昭和五十一年一月 五百五十三頁)さてこの話のあらすじを先に。ひとことで言うと、関東大震災をクライマックスに持つ三人姉妹の物語です。** 市ヶ谷の伊沢家の離れに、母子家庭の大庭一家が住んでいた。屋敷に勤める母と三人姉妹、初子・仲子・末子である。 初子は信心深い小学校の教師、仲子は現実的な女事務員、盲目の末子は盲唖学校に通い、ヴァイオリンを習っていた。 伊沢家も三人息子があり、末の茂が初子と相愛の仲である。仲子は百貨店で職場の社長である睦氏に助けられたのが縁で家族に内緒で妾奉公に出る。 茂は夏休み中に、悪い遊び仲間と共に童貞を失う。戻ってから初子にその事を告げると彼女は彼を拒否する。やけになって再び遊び回った茂は父から叱られる。下関で彼は仲子と再会し関係を結び、ほだされて釜山に誘う。だが東京に戻り初子に再会するとすっかり仲子のことを忘れる。その仲子が戻り、事情を知った初子に仲子を幸せにする様諭される。二人は釜山へと向かうが、伊沢が怒り、大庭母子は追い出される。 やがて初子に勤め先の校長から縁談が来るが、「婚約者が死んだから」と断る。春には母が亡くなる。夏には末子に初潮が訪れる。初子は美しい装いを用意するが末子は見えないことを悲しむ。一方、釜山の茂と仲子は、当初は貧しいながらも仲良くしていたが、お坊ちゃん育ちの茂は、安月給の大半を見栄と遊びで使ってしまう。二人の仲は荒れて行く。 その年九月一日、関東大震災が起きる。末子は下宿屋夫婦と逃げ出す。都電に乗っていた初子は飛び出し、半狂乱で下宿へ飛び込んでいく。火が襲い、彼女は行方不明となる。末子は馴染みの植木屋の源吉の元に身を寄せることを考え、市ヶ谷へ向かう。源吉は居なかったが、伊沢は盲目の末子を屋敷に留めておく。初子の行方をも探してくれる。 釜山では、茂が新聞社から東京に派遣されることとなる。仲が険悪だった二人も、これをきっかけに夫婦の気持ちを取り戻す。仲子の妊娠も判る。 東京に戻った茂は父を手伝いながら初子を探すが、見つからない。ある日、末子が下宿跡を掘り返すよう頼むと初子のメタルが見つかる。そこで皆、初子の死を実感する。 やがて仲子が釜山から帰り、正式な結婚披露宴が行われた。初子の学校では彼女の追悼会が行われた。末子と茂が出席し、初子が縁談を断ったエピソードを聞く。それは茂を打ちのめし、気力を失わせた。見かねた仲子が机を調べると姉との間の手紙を見つかる。申し訳無さに仲子は自殺しかける。だが直前に義父に止められ、結果、過去の全てを話す。義父は現在が大事、と全て許し、戻ってきた茂に嫁を泣かすな、と笑う。 改めて初子の墓参りに出かけた二人は末子を見つける。「アヴェ・マリア」を弾き出した末子は突然弓を取り落とし、「お姉様が見える」と言い出す。その様子を見た仲子は「再び空の彼方へ消えてしまう」初子に精一杯弾いてあげて、と末子に弓を渡す。**んで。この作品の「処女性崇拝」と「生殖拒否」がもう、長女の初子さんに一点集中されるんだな。彼女は茂の影響で「ジョージ・エリオットや、オールコット、エマ・ゴオルドマンや、エレン・ケイ」を「辞典を引きながら」読み、付き合いだした茂との仲を「私達の愛が純潔なものなら、神様はきつと未来の幸福を約束してくださる」と信じる女性なのだわ。……ただ……なあ……身体を求めてくる茂に対する彼女の心情は地の文で以下のように表されている。 神の前に死が二人を分つまで結び合ふ誓ひを立てゝ善き良人善き妻と呼ぶを許さるゝ日まで、童貞処女の汚れなき恋の日を続け行くこそ、初子の信ずる正しい願ひであるものを! 初子は二人の若きその恋を純潔にあくまで守りたかつた。茂のその欲望の手に彼女はあくまで逆らつた。二人の愛の日の聖さのために、二人の恋の運命のために!(『空の彼方に』新潮社(文庫版)昭和九年一月 五十三~四頁) そして茂が既に童貞ではないことを告げた時、彼女はもの凄く! 動揺するのだわ。 その世にも恐ろしい言葉を聞いた刹那、初子の眼の前の世界が、暗闇になつて砕け落ちた。(……)「いけません、いけません、私に触つてはいや、汚らはしい、どいてください、帰つてください。」(……)「えゝ、そのまゝのあなただつたら、私永久にお会ひしたくはございません――私、私、あの――あなたの卑しい快楽の玩具になるのは、私の魂が許してくれませんもの……」(……) 正しく女性の守るべき同義を枉げはしなかつた――けれども、あゝ思ふだに胸のつぶれる恐ろしい言葉を恋人の口から聞かうとは――(……) 初子にとつてはあゝした場合の茂に滲み出て来る「男そのものゝ」の悪に反抗せずにはをられなかつたのだ。それは自分のためといふよりは、二人の恋愛をより浄く育み行かうためだつた――(……) ――あの方の犯した罪は、また自分もその責を負はねばならぬ筈だつた。あの方をのみ責めた己れの不覚さ、あの方の過失には共に泣き共に苦しみ、浄めの母となつて、若い一つの魂の危機に、この我が魂のすべてを尽して、正しい道へと引き戻してあげねばならなかつたのだ。思へばアウグスチンの母の力の貴さ――その万分の一でも自分は持たねばならぬ――恋愛は、決して享楽ではない。むしろ苦しみだ、魂の試練だ。この苦難と試練に善く打ち克ちし者こそ、永劫の愛の勝利者となり得るのだ。(……) あの方の本当の精神が道徳的で反省力の強いのは信じられる。たゞ意志弱く実行力がないだけなのゆゑ、それはこれから自分が蔭になり日向になつて、あの方の弱点を励まし助けよう。そして二人共に恋愛の試練の盃を飲み乾して、永劫の愛を築くものとならねばならぬ――(同 五十四~八頁)当時はともかく今読むとげんなりする……いやもう、正直、個人的にはこの態度、まじげんなりするのだよ。だってこの初子さん、何処までも上から目線なんだよ。童貞を勝手に捨てた茂を拒否するんだけど、まあ何とか、冷静になってみる。そーすると彼の「罪」を自分も共に背負うて「浄めの母」や「蔭になり日向に」なって「正しい道」へ引き戻さなくては「ならぬ」と思ってしまうんだよ。んでもって。下関で茂が妹の仲子さんと関係を結んでしまったことが判った時ときたら、「処女でない女性には、男は何をしてもいゝとおつしやるのですの?」そう責めるんだな。いやその問い自体は正しいとワタシも思うんだけどね。ただ初子さんのベースがアレだから非常にもにょるのだよ。んで、茂はその言葉にはただ悔いるばかり。んで、初子さんに対しては「気高い処女の貴さと深い魂」や「かくも気高いあなた」と誉め称えるわけだよ。そうですかあああああああ?初子さんはその後、母を亡くした時にもこう考えるのですな。 できるなら亡き母の後を追うても行きたいものを……けれども、今初子は、きつとして更に強く生きて行かねばならぬ自分の責めを思つた。その傍に声もなく打ち沈んでゐる妹の盲目の身を見るとき、彼女は自分が今涙に囚はれ感傷に堕すのを堪へて、神経を乱す悲しみも堪へ忍び、歯を喰いしばつても、なほこの自分達姉妹に与えられた運命の中に、神の真意を探し求めたかつた。さう思ふ信念と盲目の妹への深い深い同胞の愛情が、母を失つた自分をこれから生かしていくものなのだ――かく思ひ涙を忍びて、初子は悲しく痛ましきその宵を送つた。(同 百五十三頁) そして有島武郎の死(当時のタイムリーな出来事)に「死ねる方はお仕合せですわ!」と感想を言い、こう思うわけだ。 あらゆる寂寥苦難孤独と戦ひつゝも尚ほその一人の不具の妹のために、延いては自ら恋を譲つた妹の正しく認定された家庭の妻と基礎をつけるまで、歯を喰ひしばり石に囓りついても死ねないとて、血みどろになりつゝも敢て生きて生きて生き切つて行かねばならぬとしたら……私は生きてをらねばならないのだ。やゝもすれば死の甘い麻酔的な誘惑を、ふと感じることを覚え始めた初子は、A氏の死を聞いて更に自分をいましめた。(……) おゝ、どうしても私は生きなければならない。どうしても生きて行かねばならない。(……)そこには血みどろの生の苦闘の中に、尚ほも我が生命の灯を高らかに献げて進み行く雄々しく滅び難き人類の意志がある。我が運命の中、その運命を生かし切り、倒れずに進む悲壮な人間の意力! 倒れても倒れても生命ある限りまた起き上り行く不朽なる永遠を貫く地上の人間の意気――そこにこそ真なる善き美しい詩は生れ感じられるのではないか――かく思ひ信ずるとき、初子には若い人の陥り易い浅いセンチメントなぞは振り落とされてしまつた。彼女はすでに唯一の恋愛も今は失つた身ではあるが、しかし彼女は、それに代る恋愛以上の鋭い意力と烈しい信念と強い愛情を把持する雄々しき若き処女だつた――(同 百六十五~六頁)ちなみに、初子さんの唯一の楽しみは末子ちゃんの成長だけ。そして「いとせめてもの妹に、乙女のよそほひを姉の情でさせてやりたかつた」と、自分の身の回りを切りつめても、新しい美しい装いを用意するし、母の形見の聖母マリアのメタルをペンダントにし、お守りとして掛けてやろうともする。だけどここで初子さんは末子ちゃんから拒絶されるんだな。思いがけない逆襲だよ!目が見えない末子ちゃんはこう返すんだな。「見られたらどんなにもつて嬉しくつてならない」。それに話の冒頭で、「神の存在は信じるけど信仰は持てない」。だって神様が居るならどうして自分は目が見えないの、と。そこからメタルも拒否したんだな。そらそーだ。何処を見てたんだ初子さん、と思うわ。末子ちゃんを個人と見なしていれば、彼女の気持ちを考えていれば簡単に思いつくことじゃねえの。だけど初子さんは当の本人に指摘されるまで気付かないんだよ!ただ驚き、悲しむ。つまり初子さんはあくまで自分の信じる「正しい」こと、「ならぬ」ことのために動いているだけ。現実に目の前に居る末子の思いにまで考えが至っていない、もしくは末子にも「そうあって欲しい」と願っているんじゃねえか、ということなのだわ。この無意識の一方的な「善意」は、遡って仲子さんが奉公に出る場面でも見られてるんだな。当初初子さんは「お母様が御承知で、いゝとお思ひになるのなら、それやあかまひませんけれど」と曖昧な肯定の言葉を口にする。だけど次第に「気がすゝまない」「不賛成といふわけでもないけれど」「心配なの」「いつまでもあなたをお勤めに出してはおかないわ」「何と言つても人は、どんな貧乏でも自分の家庭が一番いゝところなのよ」「よく考へて」とじわじわと否定の色を濃くしていくんだな。この真綿で首を絞めて行く様な説得に対して仲子さんは苛立ち、きっぱりと反対している。後で色々あるにせよ、ここは振り切った仲子さんの気持ちはわかるわ。その後、初子さんは関東大震災で、末子ちゃんを捜しに無我夢中で燃える家の中に飛び込み、生死不明になるんだな。教員というインテリに設定されている筈なのだけど、彼女はこの時半狂乱になり、妹の自力脱出の可能性を思いつくことができないんだよ。「自分が描いた構図」において末子は「盲目だから自分が居なくては」ならず「燃える家の中にいる筈」なんだと思う。結果、初子さんは死へ向かうと。で、事態が落ち着いた頃に行われた彼女の追悼式では、校長がその貞淑さを礼賛する。ただしこの「貞淑」は、あくまで「縁談を持ちかけられた初子が回避のための嘘の中に込めた「かつて愛した茂」という幻想に対するもの」なんだな。で、家族の一員として出席した茂は自らの罪の深さに愕然とし、気鬱の状態に陥ってしまう、と。そんで終盤、仲子さんが過去、男に囲われていたことを義父に向かってざんげしようとした時には、こんな言葉で許されてしまうんだよ!「(……)わしはお前の昔の身は一切知らぬ。たゞ知つてゐるのは、世にも稀な立派な婦人大庭初子といふ姉を持ち、その美しい血の繋がつてゐる妹ぢやといふことだけ知つてゐる(……)わしの倅の嫁の里は、金持でも華族でもないが、併し立派な立派な姉を持つ妹ぢやと――(……)」(同 二百八十八頁)これだけですよ!「初子の妹」というだけで妾奉公も、姉から恋人を奪った、という過去も全て許されてしまうのよ。「死んだ初子」はそれだけの位置に引き上げられるてしまうのよ。つまり「処女神」になってしまうわけだ。一方拒否される「男性性」を全編通して体現するのは茂だな。こいつにはしょーじき茂くんだのさんだのつけたくねえ。全編通してクズである。だけど彼の現実的・直接的な犠牲となるのは仲子さんなんだよ。でまあ、最終的には茂と夫婦として周囲から認められ幸せになった形だが、あくまでその幸せは「初子の犠牲の上」という前提なんだよな。で、終盤、茂は仲子にこう言う。「僕がみな悪かつたのだ。許してくれ……決して死ぬなどゝ思ひちがひをしてくれるな。お前に今死なれては、僕の罪はいよいよ救はれない。初子さんの心尽しは、報はれない――二人は死にたくも死ねぬほど、生きて生涯償はねばならぬことがあるのだ……」(同 二百八十九頁)でもさー。初子さんって果たして彼等に対し、一体何をしたっていうのかいな。果たして校長が、義父が、誉め称える程の価値があるのかい?この二人には「生涯償はねばならぬ」程の罪があるのかああああ?んで、仲子さんと茂が駆け落ちする時点へ戻る。そもそも初子さんは自分と茂の仲を何故妹に隠す必要があった?すると「きつと姉さんはあなたのために、できるだけのことはしますから」という言葉が浮かび上がる。長女である彼女は自分が「一家の責を負ひ母を助けねば」ならず「そのためには私、私――自分の幸福も仕合せも犠牲にしなければならない立場」だと茂に言う。そして仲子に関しても「私の不親切から妹へ不注意だつたから」「あのひとへのお詫びには、何をしなければならないか」と悩み、身を引くのである。けど、はっきり言って彼女は傲慢だと思う。母と二人の妹をまとめて背負い込もうとし、全てが自分の責任と考える。でも仲子さんは既に何もできない子供ではない。初子さんの目に見える範囲では判らなかったのかもしれないが、会社勤めから妾奉公までこなし、男女の機微も知っている彼女は、初子さんより人生経験は豊かだったと思う。けど初子にとっての仲子は「自分が護る対象」でなければ「ならなかった」。つまり初子さんというヒロインは、信仰と献身で作り上げたドグマに囚われ、無自覚に自分の「正しさ」を周囲に押しつける存在であると読むこともできるわけだ。だけど本文中でそれらを指摘されることはない。そりゃそーだ。初子さんの言動は地の文=吉屋にとっても「美しく正しいこと」だから。一方、初子さんは徹頭徹尾変わらない存在なんだよな。身体的に成長する末子ちゃんや、現実の生活を経て精神的に成長していく仲子さんと違い、初子は既に大人の身体を持ち、何一つ翻意する必要がなく「正しい」存在とされているのだわ。つまりそれは、彼女が「処女」のまま死ななくてはならない役割を当初から負っていたからじゃなかろーか。そもそも彼女は当初から変化する「人間」ではなかった。変化する必要がない「処女神」であり空へ帰る「天女」の役割だったんじゃないかと。だからこそ性欲に負けた男女である茂と仲子は自らを恥じる必要があるってわけだ。つまりそれって、「純潔の意義に於いて(……)」で「純潔無垢なる永遠の童貞に対しての憧憬と崇拝」から「人類の持つ官能の性的欲求から逃れ得ぬ羞恥感」を持つことに対応する。つまり吉屋信子は、「純潔の意義に就いて(……)」を「空の彼方へ」という小説に組み直すことに成功したんじゃないかなあ、と。そーやって、昭和二年四月から連載開始した「空の彼方へ」は評判が良く、吉屋信子はその後昭和十八年まで『主婦之友』の看板作家となったのだわ。自分にとって絶対的な「処女性崇拝」と「生殖・男性性拒否」をメロドラマの枠の内側に隠す術を会得したのはこの時点だと考えてもいいんじゃないかと思う。だがしかし。この一方でまた興味深いことがあるのだ。この作品が他人の手がかかったダイジェスト版になった場合、吉屋の「処女性崇拝」と「生殖・男性性拒否」が丸ごと消えてしまうという事態が発生しているんだな。東洋出版協会から昭和四年三月に発行された『現代小説集 空の彼方へ他三篇』という文庫本には「吉屋信子先生原作の」と但し書きがついたダイジェスト版(検印なし)が掲載されているんだけど。「空の彼方へ」の映画が昭和三年に制作されていることを考えると、そのノベライズ版じゃないかと推測したんだけど。けどこの内容違うんですな。初子さんの信仰心や極端な潔癖とか、茂の行動に対する地の文における作者の感想とか、釜山での仲子さんの苦労といった「ちょっとこれどうよ」な描写が丸々カットされているのだわ。んで、終盤で仲子さんの自殺を止め、諭すのも義父ではなく茂なのだな。んで、ラストシーンで末子が盲いた目で「お姉様が見える」と言う場面も無くって、あくまで現実の枠の中で筋は処理されているわけだ。吉屋信子という書き手によって何だか異界へ持っていかれた筋が、「普通の感覚」の人の手によって現実世界に戻ってきたってことかなと。もっとも、吉屋自身がこの作品の変化に納得したか否かは不明。ただ参考としては、後に『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』で連載され大ヒット作となった「良人の貞操」が「空の彼方へ」の約十年後の昭和十二年に映画化された際、『サンデー毎日 春の映画号』においてこんなふうに語っているんだわ。 自分の書いた小説が映画になつたり上演されたりする時に作者が一番喜びとするものは――私の場合は、その舞台にスクリーンに、自分の作中の人物が、自分の書いた通りの性格をのみ込んで出て、そして自分が原作に書いた通りの言葉をしやべつて呉れることだ(……)やつと見せて貰った映画台本を見ると、私はのつけから吃驚してしまつた。(……)殆ど全部が、原作には何のゆかりもない、原作者の会話とはまるで違つた、勝手気まゝな会話のやりとりに終始してゐるのである。(……) つまりは原作などは、飛び読みか、人からの聞きかじりか、上の空でやつつけたといはれても仕方のないような乱暴な誠意のないそして高慢ちきな脚色なのである。(……) 作者にとつては作品ほど可愛いゝものはないので、それが里子に行つて散々、いぢめられてゐるような映画を見ることは身を切るように辛いのだからお察し下さい。 まあ、わざわざ映画や舞台にしてもらったものに不満を言うことができたのは、この時期、既にある程度の発言力を得ていたからだと思うけど。でも忘れてはいけないのは、吉屋作品はこの十年、「良人の貞操」に至るまで、十六本もの映画にされているという事実なのだわ。ともかく読者の脳内や銀幕の中で、ある程度の現実的補正を掛けられた吉屋作品の「筋」は、確実に大衆に受れ容れられているのだわ。だけどまた、吉屋の筆によって異界化された世界は、十年経とうがそのままの形では受け入れられないものだということを意味していたのかもしれない。つづく
2018.07.10
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なお、明治末~大正期の同性心中の原因と年齢における特徴を小峰茂之の昭和十七年頃の研究では以下の様にまとめられています。ちなみにその研究は、財団法人小峰研究所長が祖父の遺稿をまとめたもので調査データが昭和十六年までのものとなっていること、小峰自身が昭和十七年十月に亡くなっていることから、昭和十七年に執筆されたと推定されてます。 原因について見るに、普通情死者とその原因に異なることは、普通情死の多くは、色情関係から来たるものが多い。結婚ができない、あるいは金に詰るとか言う者であるに対し同性情死に至っては、色情から来るものがないではないが、その多くは純情から不幸不遇の友の犠牲になるものが多い。(……) 同性情死者中には少年少女が比較的多数を占めている。これは普通情死と異っているところで、年齢も十六歳以上二十歳未満者が多い。 十五歳未満 四人 十六歳以上二十歳 三十八人 総人員百二十一人に対して四十二人が二十歳未満の少女、しかもその少女は雛妓、女工、女中等であってこれが原因も色情関係から来るもの至って少なくその殆どが情愛から起ったものである。ここに見過すことの出来得ないことはこれ等少女の同性情死者の全部が両親の膝下を遠く離れた会社、芸妓屋等の勤め先きにおいてその朋輩と共に決行したるものである。小峰茂之『同性愛と同性心中の研究』(牧野出版 昭和六十年十二月 二百三十三頁)なおこの文中において「情死」は「心中」と同じ意味。その中でも「普通情死」は男女同士の心中を指し示しています。明治時代については「見るも記録蒐集困難のために」少ない、とされています。これは新聞雑誌から蒐集したためであり、「実際にあっては相当の多数に上っているものと思われるが、ただ記録のない」ためとしています。もっとも、小峰氏の蒐集できた明治の範囲は狭く、毎月の様に女性同性心中者が出た明治四十一年(十一件)以降の資料が大半です。また大正年間は関東大震災のあった十二年より前には毎年二~三件というところなんですが、十二年と十三年の資料は無く。心中自体が震災後のありふれた光景の一つになっていて、わざわざ記事にする程のことではなかったとも考えられますな。よって十四年に六件、十五年に五件と記事が現れたこと自体、復興が進んできたとも言えるわけです。そして、この小峰氏の蒐集した時期において最も同性心中が多い明治四十一年辺りから、女性同性愛に対する言説が活字になって現れてくるわけです。 (……)同性の中から一個を選んで異性に擬し、これに向つて燃える情と湧く血とを注ぎ、男女の間に成立つそれと斉しい相愛の関係を結ぶのが即ち是れである。(……)男女の関係を自然に随うことの出来るやうにし今日のやうに自然を求むるに熱心の余り、却つて不自然に陥ることなど、一切跡を絶たしめなければならぬのである。伊藤銀月「女学生間の悪傾向」(『女学世界』明治四十一年三月 九十三~八頁)(……)流行病と云つても猩紅熱やマラリヤの類ではなく、実は女学生同士の間に行はれる一種の空想的恋愛病なり(……) 上は学習院女学部より、下は公立女学校、私立の各種女学校に至るまで、其の生徒達の間には恐ろしい勢力を以て流行して居るなり、ハイカラ熱や虚栄病は形に現れた疾患なれど、此の空想的同性間の恋愛病は、内に潜んで女学生の品性を堕落せしめる精神的疾患なり(……)此の点に就いて、深く憂ふる所ある某高等女学校長曰く、「(……)これは近頃流行し始めたことでは無く、十年以前から女学生の間に見た不良の現象ですが、此の二三年来は殊に激烈に流行してゐる様です。(……)何うにかして撲滅したいと努力して居ますが、何うも全滅する事が出来ません、真に悪い事が流行するものです」また曰く「(……)此病に罹つた生徒を調てみますと、大概雑誌や小説などを読む、雑誌では女学世界や女子文壇を読む生徒に多く、小説では主として恋愛を描いた物、たとへば金色夜叉とか不如帰などを読む者に多い様です(……)」(松崎)天民「現代の女学生(三十一) ▼恐る可き恋愛病」『東京朝日新聞』明治四十四年五月十一日 (……)男子には斯う云ふ親友を得る機会が比較的多い様ですけれど、女子には交際の範囲と自由とに制限があるのと、従来の女子の習慣として孤独の自己を庇つて他から見透かされるのを厭ひ、人前を繕につて寡言になり、偶ま話し合つても皮相的なお世辞ばかりで、真実を好感しない所から、親友となり得る友もを唯平凡な普通の交際で済して仕舞ひ、従つて親友の味わひを知る機会が少いやうに思はれます。与謝野晶子「若き女どうしの友情」(『女子文壇』明治四十四年八月 十頁)この段階で伊藤氏の文章には「悪傾向」の文字が見られますな。異性愛へ向かうこと、「不自然」な同性愛を「一切跡を絶たしめなければならぬ」としてます。松崎天民は「撲滅したいと努力」「悪い事が流行」とこの現象自体を批判、否定してます。一方、与謝野晶子は肯定も否定もせず、ただ男子と女子との友情の現れ方の違いと環境の違いを説いてます。「糸魚川心中事件」後になると、『婦女新聞』明治四十四年八月十一日の社説では同性愛を二つのパターンに分け、警告してます。 ①純然たる友情……「極度の仲好しといふに過ぎず」 ②女夫婦 ……「今日の生理学心理学にては殆んど説明しがたし」「女子教育上特に注意すべきは、前者に属する同性の愛が女学生間に案外多かる状態なる事なり」 だが次にこう付け加えられ、この感情を教育上に利用するという方法を提示してます。「女学生の熱情は決して是を殺すべからず。要はこれを善導し燃ゆべき適当の際に燃えしむるにあり」 なおこの年の記事には「恐るべき同性の愛」(『新婦人』明治四十四年九月)、「戦慄す可き女性間の顚倒性欲」(『新公論』同年同月)と否定的なタイトルのものが見られる。(……)▲ 同性の愛とは不思議千万だなどと狼狽へる教育者がある、男とは口も利くな顔も見るな、男から来た手紙は総て悪魔の誘ひである、斯んなことを教へるのだもの、同性の愛が起こるのは当り前だと思ふ、僕共は寧ろ同性相愛の甚だ少なきを怪しんで居る鼦庵「乾燥びた女子教育」『東京朝日新聞』明治四十四年十月九日 新聞上に置いてはこの様な発言もあるが、珍しい部類だな。ただそれが同性愛肯定に即通じるとは限らない。むしろ教育現場非難の一環として悪例としているのだろう。翌年はまた「女学生」という連載においてこんな風に書かれてる。 女子相互の間に於ける相互の恋愛は、男子の美少年に於る如きもので今の女学生間に於ては是を「男女」と称し学習院女学部に於ては特に「オデヤ」と称して盛に流行してゐる 此厭ふ可き習慣が女学生間に行はれてゐるに至つては教育上実に憂ふべき現象である、其の最も盛んなるものは女学校寄宿舎内であるが勿論通学生中にも発見される、一度上級生が自己の劣情を満足せしめんが為めに下級の美しき少女を誘惑すると此相互の恋愛は極めて切なるものがあつて如何なる場合に於ても男子の美少年を携ふるが如く、常に相携へて其の交情の密なる事は殆ど想像以上に達し、夫の為には往々にして学友間の軋轢さへも惹起する事があるのは吾人の屡々目撃する処である(……)種々の原因を有してゐるが是又所謂女子の最も危険なる時期を通じつヽあるの際なると共に彼の新しい女なるものを生じた一原因たる堕落文学の影響も亦大に与つて力がある(……)無記名「女学生(九)」『東京朝日新聞』大正二年三月十三日「憂ふべき現象」の原因として、ここで「新しい女なるものを生じた一原因たる堕落文学」が登場するわけですな。時代どす。で、確かに「新しい女」の発生源である『青鞜』及び『番紅花』誌上においても平塚らいてうと尾竹紅吉(一枝)の関係に関する当人達の一連の文章もあるわけです。「或る夜と、或る朝」(尾竹、『青鞜』明治四十五年六月)「円窓より」(平塚、『青鞜』大正元年八月)「一年間」(平塚、『青鞜』大正二年二、三、十二月)「自分の生活」(尾竹、『番紅花』大正三年三月)「新しい女」と「同性愛」は新聞においては同一平面上で攻撃すべきものだった様ですね。ちなみに赤枝香奈子の『近代日本における女同士の親密な関係』(角川学芸出版 平成二十三年三月)によるとこの時期『青鞜』及び平塚らいてうは「新しい女」の中核をエレン・ケイの思想により「母性を発現させる恋愛」に置く方向へ変貌しつつありました。それは「すなわちヘテロセクシャルの女であり、さらにらいてうにとってはそうした恋愛を通し『種族の進化』に貢献する者」ということで。こう変わっていく過程で、『青鞜』の中でも尾竹紅吉(一枝)と同性愛そのものが追放され、「異性愛を正常、レズビアニズムを異常とみなす視線の獲得」が行われたというわけです。ちなみらこの大正二年にはクラフト=エビングのPsychopathia sexualisが『変態性欲心理』というタイトルで黒澤良臣によって訳されもしました。この本を発行したのは大日本文明協会。明治四十一年、大隈重信の提唱で創立され、世界の知識を吸収し、東西文明の調和渾一をはかり、国民の精神的開発をむねとする設立目的を持ちます。世界名著の翻訳出版を行い、『変態性欲心理』は大正元年の第二次四十八巻の一冊。大正四年には同訳者によりアウグスト・フォーレルの『性欲研究』は第三次二十四巻の内で刊行されてます。(参考:項目執筆:榎本隆司『近代文学大事典 第四巻』二百七十五頁)この本では精神病的変態性欲を「サディズム」「マゾヒズム」「フェティズム」「同性愛」の四つに分類してまして、同性愛はサディズム等と同一平面上に捉えられる様になりました。……まあ以前ワタシが好事枠で古書まつりで買った「変態辞典」だったかそういうタイトルの昭和3年の本でも同性愛はそのカテゴリでしたな。引越しの時に手放してしまったのは惜しい。んで、大正四年には澤田順次郎が以下の様に述べています。(……)況して同性の間に行なわるゝ同性の恋が、如何に甘く、如何に愉快なるものであるといひながら、之れを露骨に、口にされては、真に人間の劣等な、不潔な性癖を顕はして、如何にも穢なく、忌はしくあると、大なる好色家にさへ嫌はれた其の同性の恋が、近来秘密の幕を切り落して、一切露骨に顕はさるゝ様になつたのである。(……)同性の恋に落ちた者は、異性の恋よりも一層深くなるのである。何故といふに同性の恋は病的で、常軌を逸して居る為に、自然さう向いて来るからである。澤田順次郎「男同志女同志の恋」(『女の世界』大正四年十月 四十七~五十五頁) 澤田もまた同性愛を「性欲の一種として古くから特種の人間の行はれて来たもの」と位置づけつつ、「病的で、常軌を逸して居る」ものとしてます。要するに、明治末~大正初期の「女性間同性愛」は、・教育界にとっては「排除すべきもの」良くて「利用すべきもの」・新聞の一般読者には「新しい女」同様危険なもの・学者にとっては病的な「変態性欲」の一種と捉えられだしたものと言えますな。で。大正十年には吉屋信子も同性愛に関して口を開き始めましたわ。まず一月の『新小説』誌上には神近市子と並びで同性愛に関する意見が掲載。神近は社会との関係において同性愛を論じ、「精神的な同性愛」を含む生活は「大きな慰安であり刺戟である」としていました。だが「肉体的の行為を含んでゐる場合」は「個人の堕落」と断じ、性質を見極めて「善導すべきものは善導す」べきとしてます。一方吉屋は、あくまで幼い頃からの感傷の延長に関して述べ、現在その感情を女子教育により刈り取られることを嘆く。神近と違い、そこに現実的な発展性は無いんですな。翌年大正十一年二月の『婦女界』で『変態心理』主幹の中村古峡は「警戒を要する婦人の同性恋愛」において、同性愛を「対象を間違った変態性欲」としてます。一方、同年八月の『婦人公論』で古屋登代子は「同性愛の女子教育上における新意義」において「同性間の年長者に対する敬愛の情」「同輩間に於ける友情と呼ばれたるもの」を「新しき意義を発見されたる同性愛」としてます。ここではこの教育上の有効利用法が説かれ、奨励も禁止も格別するべきものではない、としてます。「変態性欲」の一つとしてカテゴライズはされたという違いはあるものの、「忌避するもの」「利用すべきもの」の二つの見方が明治末と変わらないことは興味深いですな。んで。翌大正十二年四月、吉屋の『憧れ知る頃』が交蘭社から出版されたんですわ。この中で吉屋は前述の文章も含、同性愛に対する賛美を強く強く強く! 打ち出してます。 (……)そうした時、少女の学校時代に非常に親密な友愛が起きて、大きい勢力となつて成長する。たがひに思ひ合つて慕ひ恋する婉曲な、やさしい桃色のため息のやうな、その愛の思ひよ。それは、まあ何といふ純な可愛い人生のエピソードだらう。この少女時代に始めて生れた強い友愛は、どんなにその人の一生を貫いて、大いな影響を与へるものであらうか。 (……)おゝ、これほど美しい人間性の真珠の泉のやうに湧きいづる純な友愛をさへ、世の女子教育者、同学者達は、背自然として、又堕落の初歩として非難する、そして少女同志の親密な熱い友愛は、何か卑しい暗黒面に沈むかの様に思いこんでしまふ。それは何といふ無鉄砲な人間として恥ずかしい想像だらう。実に、美しい少女の友愛は絶望的な状態に置かれてある。 その結果として、可憐な少女達は自身の愛情に疑惑を挟み、折角神から恵まれた美しい優しい性格を圧殺してしまあふ。何といふ悲しい事だらう。このことは、その成長して人として社会に立つても、なほ「愛」といふ意義を真面目に理解しあたわず、調子のひくい安価な恋愛に迷はされる所以であらう。 愛は、人生の行為として、一番大事な真面目な偉大な行ひであらねばならない。愛の芽生は命にかけても完全な成長をなしとげさせねば、ならない。人を愛することは恥かしい事ではない。人に愛さるゝことも、その愛は心霊に湧きし人間の聖い捧物である。 思ふてこゝに至るなら、人間として大事な、社会を動かす大半の力を有する愛、そのものゝ教育を全く等閑に付して顧みやうともしない、大きな欠点が痛ましく感じられるのである。一個の人格を築く上に、愛の発達、愛の構成が、いかに要用な礎になるべきかは誰しも肯定することではあるまいか。 あゝ、この聖く優しき少女――処女の世界に湧き出づる愛の泉の上に祝福あらんことを私達は心をこめて切に祈る。「同性を愛する幸ひ」(『憧れ知る頃』交蘭社 大正十二年四月 十八~二十頁)これは翌々年の『黒薔薇』で思いっきり叫んでるもの変わるものじゃあないです。吉屋にとって「愛」は「人生の行為として、一番大事な真面目な偉大な行ひ」である「べき」であり、それを形成するのは「少女の学校時代」の「美しい人間性の真珠の泉のやうに湧きいづる純な友愛」なのですね。けど「教育者達が」「何か卑しい暗黒面に沈むかの様に思いこんでしまふ」ことによって少女達をスポイルしてしまう。なので吉屋としてはただ彼女達の幸福を祈るばかりとなるわけで。ここでも彼女は現実的に何かを提案する訳ではないのですな。この姿勢が「片瀬心中」につながるわけです。吉屋の作り出す世界において、少女達は「結婚」という「現実」に対し、現実的に戦う術が見つからない/見つけようとしないまま、周囲の世界を拒否し「美しく」死を選ぶわけです。 同時期に、恋愛への「現実的な」処し方を記したものとして戸塚松子の『恋愛教育の基本的研究』があるんですが、ここでは「正しき恋愛」を「霊肉ともに具備する完全な男女関係」とし、同性愛を「正しからざる恋愛」としてこう書いている。 同性愛はいたづらに彼等自身の魂と肉体とを疲労せしむるものである。もし、彼等の感情が高まるならば二人の輝かしい人生には、その反対に、恰も十二月の陰鬱な空のやうに暗い気持ちを生じ、二人の生活上に全く生気を失はしむるものである。これを更に一面から考へると、将来必ず恵まるべき正しき恋愛に対して、その神聖をけがし、将来の未知の愛人に対しては、愛の純潔を既に破るものといはねばならない。 特に同性愛の人達が、愛の極致たる霊肉一致の体験を一種の模擬的方法によつて、行はんとする場合には、生理上の疾病を生ずる恐れがある。戸塚松子『恋愛教育の基本的研究』(盛林堂書店 婦人教育研究叢書第1編 大正十三年十二月 十六頁)この記述は「片瀬心中」の掲載における伏字箇所と合ってますね。つまり「同性愛の人達」が「接吻」などの男女恋愛における「霊肉一致の体験を一種の模擬的方法によつて行」うこと自体に「ダメーっ」とされるのです。少女達の肉体的な接触箇所の伏字処置は、少女雑誌/少女達の共同体以外の「現実的な」世間―――ここでは婦人雑誌で許されるところ、で現実を吉屋に突きつけていたと言えるんじゃないかな、と。なので伏字処置により、吉屋は婦人雑誌で表現出来うることの限界を知ったんじゃないかな、と。なので、それもまた内容の制約の無い個人雑誌『黒薔薇』を出した理由の一つだったかもしれません。けど『黒薔薇』において、やはり吉屋は女性間同性愛を直接描くことは非難・不評につながることに気付かされた、と。書きたい! と思った理想自体が、予想外なまでに受け入れられてなかったこと改めて気付かされたわけだな。書きたいことを書こうとする程、読者は減って行くというジレンマ。「一生書き続けること」を大正九年、「地の果まで」が賞を取った時に感じた吉屋には、他の職に就くのではなく、結婚するのでもなく、ただ一生書き続けることによって生きていくためには「現実的な」対応策に迫られることになるのです。 もしこれが一位入選したら、私は生涯小説家になってゆこうと決心していた。(……)翌年(大正九年)を前の十二月二十二日に大阪朝日新聞社から私の一等当選を報じる電報が父の喪にいる私に来た。その瞬間、私は飛び上るほどうれしいかと思うとそうではなかった。(ああ、これで一生文学というものをやるのか)と重荷がどさりと背にのしかかったような、しいんとした気持になった。「懸賞小説に当選のころ」(『朝日新聞』昭和三十八年一月十九―二十日)ちなみに『黒薔薇』を出す前の吉屋と門馬のおてがみにはこんなことが。私は千代子さん いよいよ決心しました 自分の書いてゆく仕事の本路を一つきめてまつしぐらに行きたいのです それは所謂通俗小説と或る人々の呼ぶもの 言ひかへれば民衆に贈る長篇創作です 私はそれによつて出来るだけ美しいもの正しいものをあざやかに描きぬいてゆきたい大正十三年十月 (引用『女人 吉屋信子』二十九~三十頁)私は家庭小説のすぐれた美しいそして立派に芸術であり 残るものを生涯書いていきたいと思ひます私はただ一つの路に仕事を求めて深く掘り下げてゆきたい――さう決心しました「黒さうび」はいはばその第一歩です同時期(引用『女人 吉屋信子』三十二頁)あなたが発表なさりたいと思へばいくらでも発表する事は出来ると思ふわ、おんなじ発表するならあなたの個人雑誌の限られた読者よりも、もつと広い方が好い。ね、然うでせう大正十三年十月十四日付 (引用『ゆめはるか吉屋信子』上巻 五百六頁)『黒薔薇』刊行以前から吉屋は 門馬あてのお手紙の中で「広い」相手対象のものとして、「所謂通俗小説」「民衆に送る長篇創作」「家庭小説」を書いて行きたい、としてます。けどこの時点の吉屋は『黒薔薇』が第一歩、としてまして。一方門馬は「現実的に」、限られたファンだけでなく広い読者に向けることを吉屋に勧めています。まあ見方を変えれば、そもそも『黒薔薇』自体、ここで言う「民衆に送る長篇創作」を載せる場ではなく、吉屋自らの文章の実験場だったかもしれません。読者の反応をこの自由にできる場で観察する目的もあったのかもしれない。その意味で言うなら、『黒薔薇』は吉屋のその後の創作活動にとっては有益であり、実験場として成功だったとも言えますな。で、『黒薔薇』で得た読者の反応を基に、吉屋は家庭小説の枠に「処女性崇拝」「生殖・男性性拒否」をこっそり盛り込むことにしたのではないかな、と。つまりそれが、第二章で示した ①対外的メッセージ ――a『結婚相手の選定の重要性』 b『妻として夫(決めた相手)への貞淑』 ②本音のメッセージ ――a『適切な結婚相手がいなければ未婚のまま仕事(使命)に生きるべき』 ……処女性崇拝 b『自ら生んだ愛する人との子供とは幸せになれない』 ……生殖・男性性拒否へつながっていたのではないかな、と。これは『黒薔薇』№8「巻尾に」における以下の言葉へも対応してます。たぶん。一号に描いた感想「純潔の意義に就て――」が少し言はれて居りますが、今からかへり見ると、不備な一元的解釈に陥入り過ぎてゐるのです、それは只今私にもはつきりわかりました、その時たゞ一つの観念にしがみついて他をかへり見る余裕もなくかいたのでした――私はあれについて再び他日かくでせう、それは不得手な論文の形でなく小説に描き出し表現して見たいと心ひそかに願つて居ります「不備な一元的解釈」が吉屋にとって何を指すのかは何だかさっぱり判らないんですが、読者の反応を理解した上で中心思想を小説の中に盛り込んでいこうという意気込みは判る気がします。ではそれは具体的にはどういう形となるのか。それを『黒薔薇』と同時期に書きだし、時間をかけて「筋」を求めた「空の彼方へ」を例にとって見てみようかと思います。つづくっ
2018.07.05
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さて、『黒薔薇』発行の前々年、大正十二年一月の『婦人倶楽部』に吉屋信子は「片瀬心中」という短篇を載せています。ちなみにこの時点では門馬千代とはまだ巡り合ってません。彼女らが出会うのは、この年の一月十二日。金子しげりの仲立ちによります。吉武輝子と田辺聖子の伝記によると、この時期は「屋根裏の二処女」における自分の分身「章子」の相手である「環」のモデルである女性との関係が無惨な結果に終わって、女性を愛すること自体に疑問を持っていた時期であるとしてます。「女同士の友情などない」と言う吉屋に金子しげりが門馬を「刎頸の友」として紹介し、そこから二人の関係が始まるわけです。まあその直前なんで、自分の性癖とか、同性愛、女性というものに疑問を感じている頃でもありました。で、ここでは初出時の伏字に注目したいんですな。これは後に収録された『憧れ知る頃』では一ヶ所を除き明らかになっておりまして。ちなみに( )内は『憧れ知る頃』における頁数ですね。つと二つの唇は顫ふ葩の朝露に濡れておのゝくごとくに相寄るあはれ少女のあえかな、その唇よ、今し強くも――ふれあふて、ふたりの胸もそのまゝに、溶けて消ゆれと、息のけはひも今は覚え知れぬ不思議な陶酔よ――…… ふ熱い接吻に――(百四十頁)――ふたり又もひそやかに唇を合せ――(百四十三頁)もの狂しいばかりのやるせなき思慕の焔……(百五十一頁)『憧れ知る頃』における百五十一頁の例は誌上と字数が合わないことから、吉屋が単行本収録時に修正したと思われます。まあともかく、ここで『婦人倶楽部』編集部が伏字にしたのは同性愛描写が「接吻」という好意が肉体的接触に至っている場面なんですね。『花物語』における「黄薔薇」や「日蔭の花」でも吉屋はそれと匂わす描写をしているんですよ。だけどさすがに「おもしろくてためになる」講談社の婦人雑誌上では、直接的に描写されることはできなかったと思われますな。で、気付くんですが、吉屋自身からすると唇への「接吻」は性的肉体的な関係と見なしてなかったってことですな。前回であれだけ霊的にどうの、と言ってる彼女が!この人の肉体的接触は何処からなんでしょうかね。んで、「片瀬心中」は、「貧しい一女学生」緑が令嬢満寿子に対し積極的な話どす。ちなみに「緑」はデビュー作「地の果まで」におけるヒロインかつ吉屋の分身的存在の名でもあります。奨学金で英学塾に通い、やはり自身に「貧しい」という意識が存在してます。なお吉屋は懸賞小説投稿時、公正な評価のための名前を伏せるという取り決めにおいて、このヒロインの名を使ってます。……ということで、「章子」とはまた違った形の自分のメアリ・スーなんではないかと。もう片方の満寿子という名も複数使われてるんですが。『花物語』の「燃ゆる花」(ここでは「おますさん」)の夫から逃げた女性、「屋根裏の二処女」で章子の愛する女性・秋津環に対し心中を持ちかける、結婚に失望した女性の名です。前者は夫に連れ戻されそうになった時に放火による火事が起き、慕われている少女と共に心中してしまう。後者は環が拒むことから生死不明。いずれにせよ「心中」に縁深い名ですな。そんな令嬢満寿子さまの結婚話を聞いた緑さんの様子が以下の様に描写されるわけですね。 皆まで言はせず言ひもせず――運命的な或る恐ろしい暗い予感に襲はれて――緑は暗然として、しかも身体中の血といふ血が俄に逆流するかと思はれた――一種の殺気立つて来たのである。「結婚――あゝ、満ちやん、いつかいつか――とその問題が若い美しい貴女の上に落ちかゝるのを私はおどおどした気持で思ひ煩ひながらかうしてゐたのよ、けれど今ほんとに今こそ、まさしく現実の問題になつてしまつたねえ――絶望的のものねえ……」 われと我が髪をいきなり掻きむしり度い苛立しさに緑は身ぶるひした、声も乱れて息もせはしい胸は破れるばかりに苦しいにちがひない。(……)「けれど――あら、いくら満ちやんがさう思つて居ても、周囲が――満ちやんの家の方達が許さない――もう絶望、絶望――。」 緑は、吐き度す様に烈しい語気で――(百四十七~八頁) ここで満寿子が「結婚なんて――どうしてしませう――死んでも――」といったことから、緑がその言葉に飛びつき、二人は死に傾いて行く。 この二人にとつては、まさしく悪魔の化身のやうな結婚問題を踏み越えて勝利者になるには、地に生くる人間にとつて絶対のもの――死――最後の一線に到着するより外術なしと思ひつめたのである。(百五十四頁) このとき緑の残される者への責任感や未練はこれから訪れる死に比べ、薄い。「緑さん、かんにんして下さいな、私のためにあの――お気毒なお母様に……私ほんとに切なくつて――。」 満寿子は術なさそうに――うなだれて力なく吐息をもらした。「満ちやん、ちつとも気にかけないで――貴女を失なつて身は空蝉の徒に生き長らへて始末におへない絶望的な人間になつちまつてあの母さんを苦しめ通すよりは、いつそ貴女と手をとつて幸福の刹那を感じつゝ、天に昇つた方がどんなにましでせう――母さんだつてその方が不幸中の幸福に思つて呉れる――。」(百五十五~六頁) 地の文もまた二人の死については肯定的にこう続ける。 ――地にはゆるされぬ二人の処女同志のあえかに清らかな恋を其のまゝにかい乗せて沓永遠の彼方――空のかなたの極みまで――彼女等のめでにし恋のゆるさるゝ、しぼまぬ花永久に咲き匂ふ天の領土――。(……) など処女同志にかくばかり熱く清く美しい愛情の炎を与え給ふか神のみこゝろははかり知るべくあまりに高いゆゑか?(百五十九~六十頁)で、気付くのが、この作品には大きな三つのキーワードが存在するんだな。「結婚拒否」「同情」「心中」の3つ。ちなみに興味深いのは、同じ緑の名を持つ「地の果まで」のヒロイン緑もまた、「異性愛」に向き合う段になるとアタマに血が上って、卒倒してしまう程に拒否反応を示す人物なんだな。ちなみに繰り返し出しますが、竹田志保は以下の様に指摘してます。 緑は自分が描いた構図が危機に面した場合、あるいは自分たちに異性愛的な<成長>の課題が浮上してきたときには、相手を「悪魔」として強烈に攻撃し、失神などの過剰な身体反応を示すのである。このことは、彼女がその自己規定を失っては自分を保つことができないという危うさを示している。竹田志保「吉屋信子『地の果まで』論――<大正教養主義>との関係から」(『日本文学』平成二十五年十一月 ひつじ書房)ちょっと逸れて。「地の果まで」という作品においては、同性愛に直接向かう描写は無いんですね。ただ梅原敏子という友人と寄り添って生きて行く、ということで暗示はされているんですわ。ある意味、「片瀬心中」は「地の果まで」の未来においてあり得る場面なのかもしれないし、生きてく方向で考えた話なのかもしれないですな。ところで。この物語と似た構図の心中事件が明治四十四年に起こっているんですね。「糸魚川心中事件」と言いまして。七月二十六日、工学博士曾根達蔵の三女貞子と専売局主事岡村玉蔵の二女玉江が新潟県親不知海岸に投身しています。貞子の父・曾根達蔵は中條百合子の父・精一郎と連名で建築事務所を構える著名な建築士であり、また玉江の父も官吏です。いいご身分の「二令嬢」の起こした事件の波紋は大きかったようです。事件の顛末としては、 貞子に縁談→結婚拒否→母に責められる→玉江が同情→貞子、玉江との交際を制限される→貞子、家出→玉江、手紙を残し探しに家出→心中「結婚拒否」「同情」「心中」という三つのキーワードがこの事件にも存在します。また、心中する二人の経済的落差も見逃せない。結婚を厭う方はブルジョワ、もう片方は「貧しい一女学生」(ただし女学校後に英学塾に通える程度)です。つづく!
2018.07.05
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んで。吉屋と投稿読者と編集者の関係なんですが。吉屋信子自身、投稿少女でして、その流れで書き出した「花物語」のファンから甘い声援を受け続けてきたわけだな。だから『黒薔薇』においてもある程度甘い言葉を期待していたと思われます。んで、このパンフを出すときに、宣伝兼ねてか、大正十四年二月四日の『読売新聞』朝刊には『黒薔薇』№5と同題の「憎まれ草」というタイトルで文壇攻撃及び『黒薔薇』宣伝の随筆を書いているんですな。さてここで吉屋は文壇を「とにかく形なく非物体的な一枚の壇に過ぎな」く、中央公論・改造・新潮・月評家多勢の集まりという四本の柱に支えられていると皮肉ってる。「文壇といふものが文学そのものではないんぢやありませんか。三ツ児だつて知つてるわ、言ひ代へれば、毎月大きな商売雑誌に出る短篇が三万三千三百三十三束になつて集まつたところで、それだけが日本の文壇とはけつして死んでも、生きても、ころんでもつぶれても首を切つても言へる筈ではないんですもの」と続け、壇の外の「若く新しい広野が限りなく展開されて」いるとするわけだ。そして「とりどりの個人雑誌、同人雑誌、長篇小説、童話文学、少女文学、少年文学、詩よ歌よ有名無名」ある中に『黒薔薇』を入れてやってくれ、と宣伝すると。そして最終的に「女性は現在の文壇上の人となるは困難なる可し、しかし未来の文学上の地位を占むる事は天分、努力ひとつにて、可能なるを又かたく信じます。若き女性の方達もし文学に御志立て給はゞ、この覚悟にてお進み遊ばせ、我が月刊パンフレット。「黒薔薇」はその御歩みをお手伝ひ致すでございませう、どうぞ、御心つよくお思い遊ばして……」と、誘いかけている。 そんじゃ吉屋がその言葉通りに動いたかと言えば……まあ ……なあ……この読者との関係がよくわかるのが、読者欄「鸚鵡塔(おうむとう)」なんだな。№2から置かれたこの欄は、交蘭社編集が投稿の選別を行っている。もっとも投稿規定が掲載されたのは№5からである。そしてその号から「懸賞課題」の批評募集を「女歯医者」と「裏切り者」について行っているんだけど、「女歯医者」の批評が出た№7には募集自体を止め、最終号である№8においては「鸚鵡塔」自体が消えているんだな……これはまず見られることが無いと思うんで、これでもかとばかりに当時まとめた。画像だけ取り上げてみればまあ読める大きさになると思う。で、流れを見る限り、当初は読者の声に非常に期待していた感じなんだな。傾向。まず女性は基本的に少女雑誌の延長上の「声援」を送っていますな。ただ「くさのとり」さんは「中年」と名乗って厳しい意見を送ってる。んで短い時期に二度も掲載されてる。男性の場合、当初は誉めているものが多かった。けど、№4~5辺りから誉めつつ非難する、という形が増えてくる。それが最も著しい形になったのが、№7。この号は「女歯医者」の批評、通常の「鸚鵡塔」とも、長文の投稿が多いのだ。批評の方は「歯科医志望の女性」以外全て男性。その感想も最後の一人以外は全て苦言を含んでいる。まあ正直、この表では、きりがなく褒めてるばかりの肯定的な批評は省略してる。でも入れたとしても、マイナスの言葉のほうが強いし、内容が濃い。たとえば。「鸚鵡塔」でも№1に掲載された「純潔の意義に就いて白村氏の恋愛観を駁す」に対し、「元々吉屋党」と断り、昔からの作品の愛読者である「千葉の押尾憲治さん」が悲痛の声を上げているのが非常に印象強い。こんな風に痛烈なものが№7に一挙掲載されているわけだ。で、そのこと自体、編集を任せられた交蘭社編集に何らかの意図があったことが感じられるわけだ。ただ「女歯医者」に関しての、№8における吉屋信子自身の怨み事はいただけない。そもそも批評を募集したのは№5・6の二回に渡っていることから、吉屋もこの作品を扱っていることは承知のはず。おそらくは「女歯医者」に対し、そこまで痛烈な苦言を寄せられるとは思ってもみなかったのだろうが、さすがにこれは見苦しいよな、と思った。んで、次に募集した「裏切り者」への批評は№8の読者欄の消失と休刊によって宙に浮いたままになってしまった。ちなみに「女歯医者」は、・近くで女歯医者の看板を見つけて、そこの雰囲気を想像する・そんなある日、歯の詰め物が取れてしまった・そこに行く!と母親のとめるのも聞かず出かける・行ってみるとあまりの不潔さにあとで仮の詰め物も取ってしまった・結局行き着けの歯医者に後で行くことにするという話。想像と現実のギャップの酷さを書いたのか、女歯医者という彼女の中の「あるべき像」が破壊されたのが気持ち悪かったのか、ともかく貶し方が酷かったんだよな。ともかくこのひとは上げ下げの差が激しいし、潔癖症なんだわ。それがまともに出てしまっている作品なんだわな。まあはっきり言って、女歯医者になろうとした人ががっかりしたのも無理ない内容なわけだ。それだけの悪口の力があるって言えばあるんだけど、気分良くないわな。で、じゃあ何故交蘭社はこれらの評を選んで載せたのか。ここでは二つの理由が考えられた。・内容傾向の変更への期待・そうでなければ『黒薔薇』からの撤退促進前者は編集者として、読者からの辛口の意見が多い→もうちょっと考えてくれ!後者の理由としては、『黒薔薇』の部数減退。吉武輝子は著書の中で『黒薔薇』は「予想をはるかに上まわって一万五千部の発行部数をみたのだった」とし、田辺聖子は『ゆめはるか吉屋信子』(朝日新聞社 平成十一年九月)の中で「一万」としている。「成功」とどちらの伝記も締めている。だがそれは最後までその部数を保てたか?№3の「末尾に」によると、№1は売り切れて再版しまだ一千部残っている、と吉屋は記している。だが№6の「鸚鵡塔」において、編集の飯尾氏は「五千有余の吾が『黒薔薇』の諸兄姉よ」と呼びかけている。ここで想像できるのは、№1「のみ」が吉武の言うところの一万五千部だったのじゃないか、ということなのだわ。飯尾氏の発言が№6なら「五千有余」は二号前の№4の売り上げから予測したものだろうな。とすると、№4の時点で既に当初の三分の一に購読者数は落ちているということになる。つまり、吉屋の「素」の文章に接すれば接するほど、読者は離れて行くということになる。吉屋は№8の「鸚鵡塔」で№1の批判に対し、「その時たゞ一つの観念にしがみついて他をかへり見る余裕もなく」書いたので、「再び他日」「小説に描き出し表現して」みたいと書いている。だが「しかしあの初号の感想も私にとつては懐かしい過去の足跡のひとつです」と、文章とその内容を否定しない。実際、昭和十一年発行の『処女読本』にタイトル変更のみで何の本文改変も無く再掲載していることが、吉屋にとって「純潔の意義について」が非常に重要な一文だったことの証明だろう。つまり、あれをけなすような読者なんか要らない、と思ったんじゃなかろーか。あと、1からずっと続いた長編「或る愚なる者の話」は№7から唐突に文体が変更されているんだな。№7において吉屋は唐突にこう宣言して、それまで三人称・常体であった地の文を一人称・敬体に変更するのだわ。 おことわり(此の物語は十五回から滝川章子自らの話に文体を移しました、作者の気持の上からの我儘をお許し下さいませ)(№7 二十九頁)まあこれが、後に戦後発行されたときにこの「おことわり」がつけられたまま、再び三人称・常体へと戻す作業がなされているわけだ。記述自体も不完全なままの改変だが、この作業自体が非常に不徹底なのだわ。 ・三人称 → 一人称のミス……13ヶ所 ・告白体 → 常体のミス …… 23ヶ所 ・明確な誤植 …… 5ヶ所「明確な誤植」は単純に出版社側のミスと考えていい。本文の文体改変に関しては、記述の矛盾をそのままにしておくことから、吉屋自身とは考えにくい。けど、物語の終盤における少女の死の取り扱いはどう説明したらよいのだろう。№8では、主人公と親しい少女が「レイプ後に殺された」ことが伏字を使って暗示されてる。だが改変後はその描写が無い。この改変は僅かだけど、印象が全然違うんだよな。この箇所を改変するならば吉屋自身作である可能性が高い。だがそれにしてはあまりにミスが多い。すなわちその連携の悪さが、「本来の出版人でない」出版社を相手にしたという証明じゃないか…… と想像したんだけど。閑話休題。またこの号は「巻尾に」によると、発売が遅れたともあるわけだ。「六月の憂鬱」のせいだと吉屋は記しているが、果たして憂鬱の原因は№8に記した「蓄膿症」だけだろうか。そして№8では長篇も最終回を迎えるのだが、やや唐突感は否めない。元々「或る愚なる者の話」には筋らしい筋は無いわけだ。女学校教師の主人公がだらだらと美少女と楽しく交流しつつ、あー仕事やだやだ、と言ってる話なので、続けようと思えばぐだぐだと続けられた筈なんだが。ところが急転直下。少女がレイプ殺人され、主人公がそれに衝撃を受けて「汝愚しき者よ!」と内心叫ぶ完結だけは決まっていたのかもしれない。過程はどうあれ、結末さえあれば物語は完結する。だが単行本には戦後までされなかった。吉屋自身がOKを出さなかったと思われるが、「屋根裏の二処女」の購買層なら売れるという可能性を当時は想定しなかったのだろうか。ここで考えられるのは、吉屋はこの『黒薔薇』において、自分の攻撃的姿勢が露骨に現れている文章をこの一万五千~五千の読者以外、後に残したくなかったのでは、ということだわ。家庭小説の書き手として、帰国後、新聞や百万部婦人雑誌『主婦之友』『婦人倶楽部』に連載を持ち、教育家からも模範的と誉められる「吉屋信子先生(きらきら)」の姿を保つためには、この時期の本音の文章をそのまま出すことは不利だと計算したんじゃないのか、と。では「何が」不利か。それはやはり吉屋の基本姿勢である「処女性崇拝」「生殖・男性性拒否」そこから派生する「同性愛」「永遠の女学生」じゃないかなあと。男性や中年女性の読者の非難・忌避の中心もそこにあるんだし。だが何故これらは非難・忌避されねばならなかったろうか?つづく!
2018.07.02
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さて、前回でダブスタだよな~と言ったけど、「それじゃ何故そうせずにはいられなかったのか」なんですな。で、当時のワタシとしては、吉屋信子の小説の変貌は帰国後にあると見た。まずそこで渡欧渡米前に精力的に取り組んでいた個人雑誌『黒薔薇』を取り上げてみた。この個人雑誌とは何ぞや、というものだけど。当時自身で好き勝手に作って編集して出版を出版社と協力して出すという個人雑誌というものが流行った時期があったんだな。ただし吉屋信子の場合、個人雑誌だけど形は「パンフレット」だった。大正十四年一月~八月において一ヶ月一冊のペースで出している。 発行するに至る経緯を『女人 吉屋信子』で吉武輝子は「直接の動機は、最愛の女門馬千代への思慕である」とし、以下の吉屋から門馬宛の手紙を載せているんですな。 大正十三年十月十日―― これはうれしい手紙よ 千代ちやんにとつてね(……) あつ 千代ちやん おめでたう 雑誌出すの私が そして帰京するのよ あなた 今日交蘭社の主人が来たの 雑誌として競争的に出すのは少し困る 自分の目的は吉屋信子個人雑誌のパンフレットを是非やらせて貰ひたいつて云ふの 大丈夫売れる私一人で と言つたら ええ 大丈夫 花物語の読者だけでも充分に出す予算がありますつて云ふの 内容は純創作でよく これから交蘭社も「屋根裏の二処女」の出版を皮切りに いよいよ大人相手に文壇的にも乗り出してゆきたいのですつて 少年少女では不足でさびしいなんて生意気ね そして此頃 俳句の作り方感想集なんて出して喜んでゐるの でもいいでしよ さういふつもりなら その代り私ね 約六十頁のコントのやうな四六版の雑誌を自分で埋めてゆくの 原稿料はあまり外の雑誌のわりにとれないの でも利益があれば二つ割にしてくれるつていふの(原稿料の外に) どういいでしよ 約束したわ そして自分の個人雑誌だけれど同性のよき作品のために進んで頁をさいてあげると宣伝するの そして千代ちやん あなたの評論をのせるのよ わかつた しげりさんの戯曲のせないといけないでしよ のせないとあのひとふくれるね たしかに ああうれしいね そしてね編集はそんなんだから 私の家で自分で好きな様に引き受けたの そして千代ちやんを私が助手に(個人的に)頼むの そして百円あげるの いいでしよ これでがまんするのよ だつて編集なんて二日もあれば出来ます(雑誌の性質が性質だから)つて云つて こんご向ふで編集者をやとふところなら頼んでみるの吉武輝子『女人 吉屋信子』(文藝春秋社 昭和五十八年十二月 二十六~七頁) ……えー、この本には彼女と彼女のそういう手紙のやりとりが結構載せられてる。 かなりなまなましいです。ちなみにしげりさん、というのは山高しげりのことです。もともと門馬千代は山高しげりの友人だったのを紹介されたんだな。 書き魔のお手紙だから、今だからメールをひっきりなしに出すという感じかな。一日に何度も吉屋から送ったり、電報にする場合もあるから。 ただ距離がこの当時この二人にはあったわけだ。 吉屋信子は東京、門馬千代は下関に分かれて暮らしていた。 もともとは関東大震災の後、吉屋が『婦人之友』連載の「薔薇の冠」の取材のために長崎へ取材する際には門馬も同行しているのだけど。 一応執筆という仕事がある吉屋に対して、女学校教師の門馬千代は何もしないわけにはいかない。何せ彼女には家族があって、仕事して仕送りもしなくてはならなかった。 ので大正十三年一月には下関に門馬の女学校教師の職が見つかり共に移動、一軒家を見つけ共棲みするようになったのだけど、七月末には吉屋一人で東京に引き上げてる。 で、運良く門馬千代が存命中に伝記を書けた吉武輝子は、この間の日記を元に理由を以下の様に述べている。 当時にしては珍しい断髪に洋装という信子が異形の人と目に映じたのだろう、なにかにつけて、人びとは好奇のまなざしを投げかけた。千代の同僚たちも、信子と千代の関係を執拗に知りたがった。わざわざようすを見に訪ねてくる同僚もいる。同性愛であることが知られては、町をあげてのスキャンダルにされてしまう。官公立女学校の教師にとってはスキャンダルは命とりである。弟妹たちのために、なんとしても現在の職を守り抜かねばならぬ千代は、止むをえず、いとこ同士であると言いつくろう。(……) 「千代ちやん、送金の工面に困つてゐる様子。あげたしと思へど、口実に苦しむ。千代子のガンコモノ!! だがうれし、純粋な結びつきをと願ふあまりだもの」 これは六月二十三日の日記の一節である。(……) 七月二十日 これ以上、下関にとどまりては、千代ちやん、職場を追はれるやも。愛する人を悲しませて、なんの愛! ひとり帰京せんと千代ちやんに告ぐ。神よ、ふたりの愛を守らせ給へ 千代を失わぬために、信子は、別れ住むことを決意したのだつた。(同 百七十四~六頁) だが東京に戻っても門馬千代が居ないことに耐えきれず、「別れ住んでいた」「十ヶ月あまり」に、行き交った手紙は百五十余通。 何とかして帰ってきてほしい、という願いで、彼女の仕事として『黒薔薇』を引き受けてしまう吉屋。だけど門馬の返事は冷静なものだった。さすが理系才女。数学が専門だったけど、ともかく何かしらがんばれば家事何でもできるようになったという。 黒さうびの事初めを出来るだけ力をためて出来るだけの事をなすつて下さる様願ひます 私の帰京を早めるために 無理な計画をかげでたてたりすることはもう止めて下さいましね(同 百八十五頁) で、十二月には『黒薔薇』№1が出来上がる。 「千代の生計のためにと、無理を承知でスタートさせたもの」だったが、門馬は戻らず、一人でスタートさせることとなった。 始めは個人雑誌にするつもりで居りましたが、第三種郵便物の方が今度お上でやかましく仰しやるさうで、えゝ、そんならいつそとパンフレツトに致しました。でも内容も意気込みも個人雑誌計画の時と同じで出発してまいります。「御挨拶」(『黒薔薇』№1 交蘭社 六十七頁) 多くの雑誌が菊判の型を取っているのに、『黒薔薇』はそれより小さい四六判で、表紙はイラストレーションをひとつも使わず、囲み罫を生かしただけの簡素なもの。しかし、紙の質を吟味し、冊子の天・地・木口を裁断しないいわゆるフランス装本を選んで、総体として瀟洒なスタイルになったと言ってよいだろう。上笙一郎「解説『黒薔薇』と吉屋信子」(『黒薔薇』復刻版解説 不二出版 九頁) 四六版というと今一つぴんと来ないけど、実物見ると「あ、A5版同人誌だ」となりますだ。実際「薄い本」まんまです。 だ、この個人「パンフレット」は、№1に徳田秋声が「発刊の辞」を贈り、№4に「本庄千代」名義の評論が一編掲載されている以外は、全て吉屋の作品で埋められてる。 ちなみに「本庄千代」については「巻尾に」において「引き締まつた理智の通つた同性の方」「尊敬してゐるお友達」とのみ記されているだけ。 吉屋から見た性格、書簡において吉屋が執筆を要請していること、また下の名から門馬ではないかとも思われるが、確証は無いんですよね…… で、下は吉屋が『黒薔薇』にて書いた作品。 興味深いのは、勢い込んで作り出したこの個人パンフレットの中から、その後、再録されたものが非常に少ないということ。 ここで連載していた長篇「或る愚しき者の話」にしても、この時期には単行本は出されていない。出たのは戦後。しかもばたばたした時期で、他に遅れをとった時期で、ついでに言うと文章改変もあり、タイトルが「黒薔薇」になってる。 ちなみにこれは近年復刻してるんで入手可能。……となると、「何で再録されなかったのかなー」が気になるというもの。 「隣家の厠」と小品「女歯医者」は明らかに私小説だった。 ちなみにこの「短篇」と「小品」の区別が難しい。どっちも短編小説じゃん! と言ってしまえば終わりなんだよね…… だけどまあ、区別が難しいと言えば、「感想」「論文」「余興」「随筆」も同じで。 どれも吉屋自身の生身の声をそのまま出した文章なんだけど、殆ど再録されてない。 純粋に随筆だろうと思われる「保存病退治」も再録されていな。 これは残念だった。一種の「捨てられない症候群」告白文なのだが、その中でも「自分の思い出が詰まった」ものが捨てられるのが嫌だ、という性癖が非常にくっきりしてるんだな。 で、文章中で吉屋自身「小児性」と述べているんだけど、それが「屋根裏の二処女」や「或る愚なる者の話」その他初期短篇に共通して登場する「章子」という名の主人公に直接通じるものがあって、興味深い。まあたぶん作者そのものだと思う。 そんな作品なんだけど。 それを未再録ということ自体、この時期の自分の性格を、新聞や婦人雑誌で売れ出してからの読者に見せたくない! ということじゃないかと思った。 じゃあそれは何故か? ということで、吉屋と読者、そして媒介する交蘭社編集との関係を見てみたわけだ。つづく。
2018.06.30
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そんじゃ、何で「愛する男の」「子供を産んで」「その子を愛しみ」「幸せになる」という、当時からわりと近年までずーっと続いてきたテンプレ的ハッピーエンドをしなかったのか、もしくはできなかったのか。 A「愛する男と結ばれて」いるが子供はできない。 B「愛する男の子供を(物語中で)持った」場合、子供とは別れることとなる。 ①当人が死ぬ ②子供が死ぬ ③子供を手放す C 子供そのものを作る気がない。 D「愛していない」男の子供を産む(愛していない男の子供だから「こそ」愛しい)。それって何かねじれまくった傾向だよな。それを「必ず」やっていたのは何でだ?そらな、無論作劇上の技術としての「泣かせ」は必要だよな。けどこの時期の長篇作品群「全て」において否定というと、書き手の意志が確実に含まれている。じゃあその意思は何だ? 意識してたのか? 無意識か?ということで、当時のワタシは吉屋信子における「母性愛」「結婚」「恋愛」の記述をたどってみた。「母性愛」については、戦後の毎日新聞上におけるコラムが「最新」じゃないかと思われた。少なくとも当時探した限りでは、そこで止まってた。昭和20年代後半、再軍備化の問題で過敏になっていた時期の『婦人公論』上の発言から、同誌と吉屋の本の不買運動にまで発展した「舌禍事件」のときに載せたものなのだな。ちなみにこの「舌禍事件」は、論文注でこう引用してたんす。***『毎日新聞』昭和二十八年二月十四日「問題になった吉屋女史の発言」より 再軍備の問題がやかましくいわれているとき、婦人公論二月号の『吉田首相を囲んで』という座談会で、作家の吉屋信子さんが『自分の子供を喜んで国のタテに捧げることに誇を感じなければ……』ということをいいました。この言葉がいま『平和を願う女性の気持に反しているし、子供を生んだことのない吉屋さんには母親の気持はわからないでしょう』と問題になっています。和歌山県の婦人会では吉屋さんのこの発言について緊急会議を開き、母親三千人に署名を集め『婦人層に多くの読者を持つ流行作家の言葉がどれだけ大きく社会に影響を及ぼすか、平和を願っている母親たちの立場を考えてほしい』と厳重な抗議文を送ったといわれます。もしこの抗議に吉屋さんから回答がない時は同女史の執筆した雑誌の不買運動にまでひろがる動きがあるといわれています。そこで、どうしてこのような問題が起ったのか、吉屋さんの本当の気持はどういうところにあるのか、当の吉屋信子さんに書いていただきました。***まあはっきり言って、現在の朝日の天声人語で誰かの口を借りて~の手口と一緒なんす。『婦人公論』座談会/吉田首相との対談→『朝日新聞』天声人語における「一主婦の声」→吉屋の『朝日』投書欄「声」における反論→『毎日』誌上コラムでの反論 (……)私はむしろ母の心を重んじたから、その母の心が動かない以上、精神のある軍隊は出来ないと断言したまでである。 またこの一主婦は子を持たぬ女は、人の子など何も思わぬと考えておられるようだが、それはあの座談会の言葉を読みちがえていられる以上に狭隘な解釈である。 広義の母性愛とは、人類愛に根ざした深く高いもの、それは女性の心の底にたれも持っているものだと思う。(……)社会には昔から今に至るまで、実の子は愛しても生さぬ仲の子を愛し得ぬ家庭悲劇が跡を絶たぬ。あまりに狭隘な母性愛が、そういう悲劇を生ずるのではなかろうか。もうそろそろ近代の日本の女性はわが子だけを愛する母性愛よりも、もう一つの人類愛に通う母性愛のあることを知っていい時だと私は思う。「母性愛とは あなたがたは誤解している」(『毎日新聞』昭和二十八年二月十四日)→「私はこう考へる」(『婦人公論』昭和二十八年四月)→「日本はいずこにゆく」(『改造』昭和二十八年五月)こういう流れになるのね。まあなー。朝日のやり方は実に朝日だなあと思うんですが、吉屋信子の母性愛感もワタシ自身は全くもってタテマエ的というか、何か自分を誤魔化してる感強すぎて嫌いなんですが。だってそうですわ。「わが子だけ愛する」「狭隘な」母性愛<「人類愛に深く根ざした深く高い」「広義の」母性愛この図式をもう作品の中でもこれでもかこれでもかとばかりに言ってるのね。例。「母の曲」。これは米国映画「ステラ・ダラス」が翻案となっている小説だが、「これを日本の母性愛に写して、ひとつ書くことに」した物語。 母の愛は、東西に変りなく、しかも、この作中の愚なれど、純な愛情を子に豊かに持つ母の型は、日本にこそ多く見受けらるゝものゝ如く、無理なく、日本の風俗に、母に、娘に、良人に、描き尽すことが出来たやうな気がいたします。テーマのなかばを、亜米利加の女流作家のものに採りましたが、この『母の曲』は、日本の女性の姿と生活の息吹を、また別に、一生懸命で、私は写し描く意気込みでした。「作者の感想」(『吉屋信子選集 第十一巻』新潮社 昭和十四年十月 三百一頁) ここでは「愚なれど、純な愛情」がまず地の文に以下の様に記されている。 良人の愛情はすでに我身を去つたと今は諦め切つた彼女は、妻としての愛と望みと熱を、母性愛に合併させて、たゞひと筋に桂子を嘗めるやうに愛した。(……)だが、その愛はやはり無智な本能的な盲目的な母性愛だつた。猫が児猫を嘗めまはすに似た賢からざる動物的母性愛だつた。(同 十八頁) 物語の展開、父の言葉等を借りて、この生みの母の示す「母性愛」を吉屋信子はどんどん否定していくのね。「うむ、だがね、桂子それは母娘の本能の愛だよ、さうした感情ばかりに、お前を委ねて置くのは、お父さんは心配なのだ。子供に、殊にお前のやうな青春期の娘には、世界で一番母の教育が大切なのだ。今感情に依らず、正しい理性で判断すれば、あの母さんにお前の教育を任せるのは、お父さんは不安でならないのだ――(……)そこでお父さんは、お前の教育と女性としての指導を、もつと適当な人格の人に任せたいと願つてゐるのだよ――」(同 九十四~五頁) んで、どれだけ突き放しても自分の所へ戻ってくる娘に対して母は、「娘が大嫌いな男の元に走る」という捨て身の芝居を取る。娘は母の心には気付かず、その行動を内心なじるのみで本筋からは退場する。まあこれは「ステラ・ダラス」も同じなんだけど。 娘の自分がどんなに母を愛してゐるか、母の為に悩んでゐるか、それも掬みとらずに、母が娘の身震ひする程嫌ひな男に、自分から惹かれて近づいて行くといふ事が只うとましく浅ましかつた。(同 二百三十四頁) 一方自分から身を引いた母は、自分には落ちぶれた境遇が似合いであり、姿を現さないことが使命の様に考え出す。 自分がかうして、町の屑のやうに、風に吹きまくられた隅つこに小さくなつて、綿埃を浴びながら働いてゐて、先夫の純爾や、可愛い娘の桂子の前に一切姿を現はさない事が、自分で生涯に、なし遂げる大きな仕事のやうな気がしてゐたのである。(同 二百五十五頁)いやそれ自己満足ですから!ただの自己憐憫で快感を得ているだけでしょう!……とは論文に書けなかったけど、まあつづき。そんでもって「適当な人格」である養母のお膳立てによって、見ることができた娘の花嫁姿にこう考えるわけだ。(あゝ、私の願つてゐた通りだ、桂子は、やはり高島田にお振袖を着せたかつたんだもの、そして、お婿さんはお父さんの若い時のやうな立派な人、そして、この花嫁のお母さんはあのくらゐ立派でなくちやいけない……何も彼も私の思つてゐた通りだ、たゞお母さんの役を此の私がせずに、薫さんがつとめて呉れるだけの事だ……)(同 二百六十二頁)つまり「無智で品の無い生みの母/本能的動物的母性愛」<「教養と品のある育ての母/理性的な母性愛」という図式なのね。ちなみに最初にこの「母性愛」観が堂々と出たのは「彼女の道」ね。ヒロイン・操がこの母性愛観を述べて、その堂々たる様に感じ入った男が結婚を申し込むという展開となっている。おいおい。「左様です、自分の愛する子のために一身を犠牲にするほどの強い母の愛情、それが婦人にとつて何よりも立派なものではありませんか――」「まあ、自分の子を烈しく愛すことが立派なんでございますつて、そんなことは、犬だつて猫だつて持つてゐる、動物本能の利己主義の現れぢやありませんの。そんなことが何故そんなに高く評価されますの?」(……)「もし母性愛といふものを貴く認めて行きたいなら、その血肉の本能愛に閉ぢ込められ過ぎる利己主義から解放された新な広い(母性愛)でなければいけないと存じますわ。」(……)「それは、自分の子であらうとなからうと、自分達人類の後継者としての幼い者達への深い愛情の心づかひでございます。その愛の感情こそ、ただ万物の霊長たる人間のみ持ち得る洗練された母性愛なのでございませう。」「ふーむ、するとあなたはかうおつしやるのですな、つまり自分の腹を痛めた子であるないにかかはらず、第二の国民たる子供、我々の後継者には、すべて母性愛的愛情をそそいでやるべきだと――」「彼女の道」(『吉屋信子全集』新潮社 昭和十年七月 二百三十九~四十頁)子供は公共のもの、という考え方はまあいいんだけど、だけど何でまた、私的な動物的な部分をけなすんだ?と。で、更に遡ると、これが渡欧した昭和三年から四年にかけてに形になったということが判るんだな。引用長いし面倒くさいよー。でもこういう文章書いてたんだ。当時。(……)又憎まれ口を利くやうだけど日本みたいに七人も八人も一人の母さんが子供を連れてゐるやうであつたら、こんな場合背中の赤ん坊はおされてヒーヒー泣き叫び左右の手にぶらさがつて居る子供はわんわんわめき、気の荒い職人風の男は「おい、やかましいぞッ、泣かねい子と取り替へて来いよ」なぞ人の母の心も知らで一杯機嫌で叫ぶであらう――しかし巴里には又仰山に言へば私の廻つて来た世界の国では支那を除く他、そんなに子供が大人の感情に険しく扱はれる場合は夢にもなかつた。子供を連れた母親がそんな行列の中で一寸子供を扱ひかねて居る場合なぞには、その側に居る紳士か或は子供を連れぬ女性は直ぐ手を貸し、その母親を助ける、誰でも子供のわきに立つ者はその子の保護者になつてやる、どこの誰の子か見知らぬ幼児に対して大人は常に到る処で保護者となるのだ、もうさういふ光景を見るとまつたく子供は社会人類の共有物の感じだ、社会人全体が母性愛を持つて居るのだ、日本で盛んにひと頃宣伝されたあの利己主義的な島国根性な自分の子供だけむやみと愛して母を犠牲にするやうなケチ臭い母性愛とは品と質がちがふやうである、この様に社会人に愛されて育つ子はやがて己れの社会の一員であることを自覚し社会に役立つ者とならう、子供が単に父母にのみ属してゐる時、彼は家名をあげ孝行をすること位までは考へても他人の為や世の為なんて愛情の意識はゼロとなり果て、冷たい冷たい利己主義家族主義のうき世が生じる所以――「巴里の子供」(『異国点景』民友社 昭和五年六月 百二十八~三十頁)……今からよく見てみるとこのひと日本の習慣そのものをこの時代、嫌いだったんじゃねえか。そもそも彼女が見たパリだのヨーロッパの国々にしても、それはあくまで「外国人が見られる範囲」のとこなんだよな。「子供は社会人類の共有物」という建前を掲げても、その裏にどうも、透けて見えるんだよな。・沢山子供を抱えた「母さん」や小さな子供に対し平気で叫ぶ「男」に対する怒り・「利己主義」「島国根性」「家族主義」「ケチ臭い」「冷たい」と貶めるものちなみに「日本で盛んにひと頃宣伝されたあの」母性愛、っていうのは、平塚らいてうと与謝野晶子の「母性保護論争」を念頭においた「母性愛」だと思う。そこで論戦が行われたのは、あくまで自身で産む子供の数を人工的に調整するか否かの問題なのね。だからそこには他人の子供が入り込む余地は無いわけだ。だけどそもそも、「母性保護論争」の時点の吉屋に、その問題を論じるのは無理があったと思う。つか無理。このひと潔癖症の処女童貞崇拝者だったもの。ということで、その時代、大正十四年における個人誌『黒薔薇』において理想をストレートに打ち出した文章を挙げてみるざんす。 (……)純潔といふものは第一義に於て永遠に大空に輝く星の如く人類の上に存在する世にも美しいものである、(……/永遠の処女として聖母マリアと天照大神を例にとる)この純潔無垢なる永遠の童貞に対しての憧憬と崇拝は何に起因するであらうか、これこそ人類の持つ官能の性的欲求から逃れ得ぬ羞恥感でなければならぬ、鳥や獣の与へられしままの無邪気な無心な自然の立法の振舞と異なつて、人類のそれはもつと複雑に邪悪に変態的にゆがめ来らせられてゐるのではなからうか――男性の持つ暴慢な征服感、弱き者へ無抵抗者へ思ふがままの暴王たり得る快感、一人の人間を所有し得る満足――等、等、これらは男性の露な心理を描いた彼等自らの手になりし小説、感想からうかがひ知つた一端である、然して女性にとつては、それの本源は素直にも優しい自己放棄と奉仕と愛撫への順応であるとは云へ、悲しむべき事に、そこに約束された官能の陶酔への意識に裏づけられた変態的な被支配の歓喜――言ひ代へれば自己侮辱――等々(……/これらの知識は外国の婦人の著書から得たものと釈明)がないとは言へないと言ふ――さればこそ、人間は此の一時的瞬間的にも自らの人格を下劣にしたりの、卑しく引摺りおろしたり、純粋な愛情をさへ傷けよごす憂ひのあるかへり見て恥多き暗き苛責感は、いかにもしてかかる恥をもたらす本能からの暴力から完全に抜け出て、その力に勝ちぬいた「永遠の純潔」を夢見、それに達し度く乞ひ願ふ気持が、かかる低き官能の世界から離れて遠く男性の手の一指もふれ得ざりし高く清らかに存在する一個の「純潔」の女性の観念を人格化し、それに優しく美しき女神の名を冠らせて、そを母胎として生まれ出でし力を神として人の子の救主として崇める心理は泪ぐましき人類の祖先達が不断の真善美への渇望であつたと信じる、(……)人類が真善美への完全なる人格完成への道程の一時代に今や生くる私達は、不断の努力を持つて、ここに一つの進化の過程を築き残さねばならぬ。それこそ生れ出し者の生の喜びである、かくて人類がいつの日か達せんとするその人格の完成のあらはれる日こそ、まさしく天は地におろされて、そこには曾つて過ぎし日及びがたきもの、達しがきものとして憧憬のあまり礼拝し膝まづきし「永遠の純潔」をも冠する日が来るのであらう――私はそれを人類の未来へ描く理想の一つとして信じるものである、(そんな日が来たら、人類の子孫は無くて滅亡するぢやないかと現実論者は冷かに嘲けるであらう)おお、然し、かかる美しい聖らかな日のもとに生き得る歓喜! それこそは人類が何億万年を費して血と涙と幾多の屍を踏み越えつつ、執拗なる邪悪本能の支配をついに打ち破つて、聖壇へ到達した勝利の日である、その勝利の栄冠と偉大な道徳的建国の成りし時である、もはや生殖や子孫の繁殖は、それにかかわりなき事である、其処に達しがたかりし偉大なる道徳的勝利を得て、そのまま人類は滅亡するともなほ其処に残された人類の足跡の美しさは永遠に滅びぬ不朽の力である意志である――私はかく信じる――(……)「純潔の意義に就きて白村氏の論を駁す」(『黒薔薇』№1 大正十四年一月 五十一~四頁) 大正期ロマンチック・ラブの提唱で有名な厨川白村を「駁す」この文章内で吉屋は「人類が滅亡するとも」構わないまでに「純潔/人類の理想」は「低き官能/生殖や子孫の繁殖」より尊いと強調するんだな。つまり、「処女性崇拝」「生殖・男性性拒否」なんだよ。『黒薔薇』№2では、菊池寛の小説「羽衣」を「処女性崇拝」の面からのみ異議を唱えているのね。吉屋は菊池の「羽衣」において、天女が娼婦の扱いを受けていることに対して「のみ」激怒したのだわ。つまり大正年間の、まだまだ若い吉屋信子にとっては、異性との「恋愛」「結婚」ましてや母性保護論争の基本である「妊娠」「母体」を語ること自体が全くの問題外だったということですわ。つか、毛嫌いしてたでしょ。なんだけど。いつの間にか、これらの激しい言葉はなりを潜め、新潮社刊の『吉屋信子全集』の予約案内内では三輪田元道から「良縁を求め度いと望むもの、男心を会得し度いと考へるもの、或は貞操観の向上を計り度いと祈るものに絶好の読物と深く信じて疑ひません」、野間清治から「女性の精神に清く正しい道徳を暗示されて居る」といった推薦の言葉をもらう程になっている。さてwwww一体何処で作品は変化したんでしょうね。ここで注目されるのが、吉屋の生涯のパートナー・門馬千代さんの言葉ですね。「信子さんは、女の人を身心共に処女のままにおいておきたいと願っているものだから、小説のなかでも、男の人とかかわらせまいとしている。でもそれでは、いつまでたっても大人の心をつかむ小説は書けないわ。公私混同は小説家として御法度よ」吉武輝子『女人吉屋信子』(文藝春秋社 昭和五十七年十二月 二百七頁)で、ワタシの推論としては、*** パリでの光景は、吉屋に自らが元より厭う「動物的」な「利己主義的」「島国根性」な「家族主義的日本の母性愛」を否定するために好都合なものであり、「理性的でより高い母性愛」を言語化させた。そして「大人の心をつかむ小説」のための妥協案として独自の「母性愛」を多用する「ロマンチック・ラブのハッピーエンド否定」という形を作り出したのではなかろうか。 すなわち自身の作品内においては、 ①対外的メッセージ ――a『結婚相手の選定の重要性』 b『妻として夫(決めた相手)への貞淑』 ②本音のメッセージ ――a『適切な結婚相手がいなければ未婚のまま仕事(使命)に生きるべき』 b『自ら生んだ愛する人との子供とは幸せになれない』 という二重のメッセージを立てることが、男女恋愛を書かねばならない吉屋にとっての、ぎりぎりの自己防衛ラインだったではなかろうか。 ①メッセージは当時の「良妻賢母主義」にも適っているだろう。メッセージ②aは吉屋自身が対談や座談会で必ずと言っていい程問われる「何故結婚しないのですか/これから結婚しないのですか」に対し「結婚しようと思う相手がいなかったから/結婚したい人が居たらする」と答えることに通じている。 そしてまた、その「動物的」な「利己主義的家族主義日本の母性愛」の否定をにじませているからこそ、「家族主義の発展形としての国家主義」を推進する時代においては対象外だと当局からは判断されたのではなかろうか。***いや今考えれば、ダブスタですよ。生物としての女性を否定しつつ、女性が崇高だと言い続けて、実際好きだったわけだし、彼女自身の立場も「名誉男性」だったんだから。で、次で「何でそんな歪んじゃったんかいな」を探してみたわけだ。つづく。
2018.06.28
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さてここで「長編小説について(2)」をちょっと参照お願いします。資料の中で「どう役立つか」の観点がいくつかありましたな。・「女性の結婚と恋愛問題」→家庭小説には必需品・「女性一般の文化教養問題」「働く女性の一般問題」「家庭婦人の問題」「母と子の問題」→含まれてまれているけどB判定や評価外。ヒロインが「若い女性」。んで、彼女達にとって結婚が大きな比重を占めていることは変わらない。なのでよってA判定「女性の結婚と恋愛問題」はここでも当てはまるよな。で、共通する「結婚相手の選定の重要性」「妻として夫(決めた相手)への貞淑」というメッセージは、当時のモラルに照らしても有効なものだったんだと思う。けど「婦人時局指導の一般問題」となると時代が異なり、「女性一般の文化教養問題」は求められるレベルが曖昧であること、「家庭婦人の問題」は「若い婦人」を中心とするこの時期の吉屋の物語の中心ではなく、「農村婦人の問題」は舞台として存在しないので問題外だな。ということで。よく出てくるのに評価が低い「働く女性の一般問題」と「母と子の問題」に絞って考えてみた。ちょっと硬いけど論文から引用。(いや上の文章も論文を柔らかくしただけなんですが/以下のとこはやりにくいんですがな)面倒なひとは飛ばしていいです。******◎「働く女性の一般問題」 吉屋作品に「働く女性」は比較的良く登場する。だがそれは当局の理想に即した姿だったろうか。まずA判定の女性五人から、当局の意向を推測してみる。・阿部静枝……純粋評論家・歌人。 夜学で教鞭をとった経験から「働く婦人」に関心を持つ。「此の人がもつと現実に女を向け、持ち前の詩的感情で歪められずに動いて呉れゝば幸甚である。いづれにせよ、此の人に新鮮さが感じられるのは、対象が若い女性である時、何よりも強みであろう」(五十七頁)・奥むめを……実際運動家。 「早くから『働く女性』の問題に心をひそめ、現に『働く婦人の家』の相談役としても、大きい功績を残してゐる。『働く婦人』が急激に増加し、又、それを必要としてゐる現今、之の適切な指導は婦人問題解決の一つのキイポイントであれば、此の人の存在は看過されてはならない」(五十六頁)・羽仁説子……教育家・羽仁もと子の娘。自由学園・『婦人之友』・支那におけるセッツルメント、東北での実地指導においてはその可能性を認められている。だが羽仁もと子の使う「自由」の意味や、「宗教的偏見」に関して当局側の懸念が存在すること、既に老年であることから、新人としての説子の努力が期待されている。・竹内茂代……医学博士。 『婦人朝日』上で「優生結婚」についても執筆している。「彼女の取り扱う研究事項が、直接人間、殊に女性を対象とし、女性の肉体から精神の隅々に立ち入らざるを得ない領域にあり、言はゞ「魂の医者」と見なされている事に、求められるべきと思ふ」(六十九頁)・河崎ナツ……文化学院教授・母性保護女子教育振興会委員。「母と子供」のために社会的諸施設の完備につとめる。 「彼女は、日本の婦人の生活が極めて貧弱で、女子教育に於ても欠陥があり、母として、妻として、主婦として、社会人、職業人として、二重、三重の負担を荷ひ、而かも、母として、民族的に国家的に重責を完了するに無力である状態を嘆いている(……)年配からも、経験、学識から言つても、第一流の指導者として不足はないやうである。各方面の評言を聞くに、極めて好評である」(二十六頁) A群の五人はそれぞれ専門的「働く婦人」であると同時に、「働く婦人」に対する視線も広く、実際的に「働く婦人」を援助する活動や、教育に深く長く携わっていることから、「指導者」としての能力も高く評価していると思われる。******引用ここまで。つまりこのくらいのレベルじゃないとA評価はあかんでー、ということです。んじゃ吉屋信子はどうか、なんですが。ここで先日までの作品の傾向を表にしてみました。細かかったりずれていてすまぬ。元々の資料がA4横なんだ。 ここで感じられたのが、ヒロインは決して「独身職業婦人」にはならない、ということ。「暴風雨の薔薇」「彼女の道」「鳩笛を吹く女」では皆既婚者。「愛情の価値」「お嬢さん」はブルジョワ令嬢の一過性のものであり、結婚前に辞めている。一方で脇役に、自立した「独身職業婦人」が多いんですね。その代わりと言っちゃ何ですが、彼女達は物語の中で男と縁を切って行くんですな。顕著なのが「理想の良人」の馨と「女の階級」の真澄。馨は好きな男に思いを告げず、彼と結婚することが決まっているヒロインにのみ手紙で本心を明かし海外へ旅立つ。真澄は自分を弄んだ男を鮮やかに振り切って仕事に打ち込んで行く。「追憶の薔薇」の曙生は仕事に打ち込むけなげな姿に男が絆されて、恋が実りそうになる……んだけど、最終的には相手のために他の男と出て行く。例外は「三聯花」のみどりだけど、心中覚悟の駆け落ち相手が誠実で明るいブルジョワ青年であり、かつ終盤においてその仲がやや明るい見通しのため、ダンサーを廃業する未来が見て取れると。この自立した「独身職業婦人」を脇役に置いといて、地の文=作者の声では非常に綺麗に描いているのね。……で、それって裏側から見ると「妻」「母」といった役割を負わせようとしないってことじゃなかろーかと。それが、この時期の当局の目指すものとは異なるということではないかなと。次に「母と子の問題」なんだけど。また引用。*** 前項同様にこの問題でA判定であり、上記と重ならない者を挙げる。・伊福部敬子……児童学会員。「児童問題に優れた見識と、実際運動から得た強い信念を持つてゐる人である。此の人の良さは世の児童研究家にある偏見を女性的な温かさで巧みに補つてゐる事である。何よりも誠実で、真剣なるは買ふべく、専門の領域で活動して欲しい人である」(五十六頁)・村岡花子 ……東京中央放送局嘱託。「恐しく人附合の良い常識の発達した人である。(……)心して、有名に堕することなく、地味に動いて呉れれば、誰よりも好ましい人であらう」(五十八頁)・平塚らいてふ……新婦人協会主宰。「既に老年に達し、時代去れりの観はあるが、過去に残した功績は大きい」(五十八頁)・大平ヱツ……東京少年審判所少年保護局員。「<傾向>実地に携る者の立場から少年不良化の問題を取り扱つてゐる」(十八頁)・波多野勤子……児童心理学者・児童学会員 前項で重なる者も含め、それぞれ児童・少年に関する専門家である。なお平塚は母性保護論争で「母と子の問題」の先駆者、村岡はその性格と放送局嘱託の立場が有効と思われる。興味深いのは伊福部の例として出されている感想に「国家の必要とする子供の家庭教育法」である。ここでは「母親の訓練で責任感を持たし、小さい時から、国家観念を適度に植へ、自己中心、家庭中心から国家中心に移るべきである」と積極的な国家への協力姿勢が伺える。***やっぱりこのレベルなのね。で、吉屋信子ですよ。作品内に「母と子」は多数登場するよな。「母性愛」についてもしばしば地の文や登場人物の口から出てるわけだ。んで、これもまとめてみた。あああああずれまくっていてすまぬ。で、するとここで一つの傾向が見えてくるんですな。つまり、吉屋作品においては、「愛する男の」「子供を産んで」「その子を愛しみ」「幸せになる」という所謂ロマンチック・ラブの典型的ハッピーエンドを迎える女性(ヒロイン)が居ないということなのだわ。細かく見てみると以下のパターン。 A「愛する男と結ばれて」いるが子供はできない。 B「愛する男の子供を(物語中で)持った」場合、子供とは別れることとなる。 ①当人が死ぬ ②子供が死ぬ ③子供を手放す C 子供そのものを作る気がない。 D「愛していない」男の子供を産む(愛していない男の子供だから「こそ」愛しい)。 この「独身職業婦人」への賛美、「ロマンチック・ラブのハッピーエンド否定」パターンに必ず嵌っているということ、そこに吉屋の一つの意図が浮かび上がっては来るんじゃないかな、と思ったわけだ。つづく!
2018.06.27
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さてこの作品は文章の書き換え問題でも出しましたが、「拓殖大」の学生が出てくる話ですね。これが最後になっているのは、時期はともかく、掲載されている場所がさっぱり判らないからなんですね。量的には「新潮版全集」の一冊の半分程度なので、だいたい1年弱。モダンガールが最終的に改心する、という流れである以上、何かしらの婦人雑誌じゃないかとは思うんですが……この話は何と言っても「拓殖大生」と「モボ・モガ」の生活ですな。駆け落ちした二人が海辺でだらだらと暮らすあたり、時代を感じさせるということか。でも結局遊び暮らす二人にはろくなことが起きず、当初は楽しみで覚えたダンスを生活のために使わなくちゃならなくなるという皮肉。そんで見下していた男が偉くなってくるという……この話、うまくできてると思うし、新潮版全集に入っているにも関わらず、ともかく出所がわからない。ひじょーーっに、もやもやするのであった。で、とりゃずこれでこの支那事変までの長編は出尽くしたざんす。次はこれらに共通する事項を考えたあたりのことをまた修論から出してみる。つづく。
2018.06.24
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さてこの小説は一応新聞なんですが、探索する際の吉屋千代さん作の年表に「地方紙四紙」という非常に曖昧な書き方しかなく、……不明どす。何せ新聞も統合前で、地方紙というともう、何処が何処やら。しかも一応12年と書いてはあるけど、「蝶」の時、その記述自体が間違いだったこともあって、実際のとこわかんない。一応12年。日付わからず。それにこの話自体、吉屋信子の作品の中でもマイナーで、何でこの時期にこれ? という感はあるんだよな。社会問題も基本的にこのひとの話においてはデコレーションだから、まあいつ書いたっていいと言えばいいんだけど。で、だからというわけではないけど正直あらすじも↓で書き留めなくては記憶にないのですね。前回の「良人の貞操」が「不倫ばなし」ともの凄く端的に言えるのに対して、なあ。一応「左翼かぶれした金持ち坊ちゃん」だの「会社争議」は出てくるんだけど、なあ。12年かそれ以前に書かれたとしても(物語や人物の散らばり方からすると12年と考えにくいんだよな……)新潮社の「全集」や「選集」に入っている様子もない。自分が入手したのも戦前の版ではないから、正直何かしらの記述違いがあるのかもしれないけど、その前に発行部数が少なかったのかもしれないし。そういう調べるのに厄介な話でした。つづく。
2018.06.24
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……前回番号間違えてました。今回が17本目ですね。さてこの作品は吉屋信子の戦前の代表作です。雑誌の代表作が「女の友情」、で新聞のほうがこれです。現在の毎日、当時の東京日日新聞/大阪毎日新聞に約一年半掲載。メディアミックスも色々ありましたが、個人的には、歌が出て二人のヒロインそれぞれが「**の歌へる」として出ていたことかな。あと、映画の結末が全く別物ってあたりがwwwということで人物相関。割とシンプルです。んでもって「ダブルヒロイン」「三姉妹」「不倫」要素が入ってきてます。まあともかく母親が亡くなってるひとが多いですねえ。高等女学校時代の親友同士の邦子さんと加代さんですが、この二人はまるで違うタイプの女性です。夫の信也のいとこが亡くなったことで話が動き始め。信也をめぐる三角関係ということになっていきます。……が。なっさけないっす。……このダンナ。結局は「妻」と「愛人」の間をふらふらふらふらふら。それに耐え切れず+妊娠してしまった!ので逃げたのが加代さんのほうで。信也はばれてしまったあとどうにもできず、事態を邦子さんに任せてしまう次第。……つか、邦子さんがそれを逆手にとって全ての主導権を握ってしまったという感もありですがね。事態の収拾も、夫婦生活も、家計も。そのあたりを竹田志保氏は「去勢」と表現してますね。だいたい同意できる論文なのです。https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1916&file_id=22&file_no=1最終的には加代さんは静養中の鵠沼でマニラ帰りの男と出会い、望まれて奮起して結婚して日本を出ていくわけですが。この準吉はいい男ですねー。たぶんそういう形で書いたんでしょう。海にコートを捨てるまでは加代さんに指一本触れてない、という描写になっております。その気になるまでは、と。んで、この話は1999年に毎日メモリアル文庫から出てるんだけど……リンクはろうと思ったけど楽天には中古の上巻しか……もうないのね……アマゾンだと上下巻あります。やっぱり中古だけど……まあ図書館レベルで「朝日版全集」に入っているので興味のある方はどうぞ。不倫ものとして読めますでー。つづく。
2018.06.22
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新聞小説、戦前唯一の「讀賣」に載ったもの。「女の階級」っていうだけあって、まあ~何というか。駒尺せんせいは吉屋信子を「隠れフェミニスト」と評してましたな。滅多に取り上げられることのないこの作品も持ってきて。ただ消化不良だ、という感想も述べられてましたが。むしろワタシは吉屋信子というひとは当時の概念としての「男」が嫌いで、一方で自分が「男になりたかった人」ではないかと疑っておりますので、大概の小説はタテマエで出来ているよな、と思いますが。ともかく人物関係。ヒロインは加寿子さん。ただし「暴風雨の薔薇」よろしくやっぱり男を見る目がなかったとしか言いようがない……この龍二という男は、同棲するようになると、それこそ「縦のものを横にもしない」奴になるんですね。まあそれで妹の津勢子さん、訪ねていったときに、言葉づかいも変わりまるで奴隷扱いの姉を見て、そうする姉も、させる男も嫌な気持ちがするという。ちなみに彼女は自分の立場を知ってるので、打算的な結婚に納得しております。でまあ、「階級」が出てくるのは、この龍二が「転向後」の活動家ってことですな。で、平等が~とか階級闘争が~と言ってる男が、女に関しては全く無意識に下の者と見てる、というのをブルジョアの津勢子さんのほうが気付くという図式。姉のほうが頭良く口も立った、と言うけど結局ブルジョアの負い目があったという感もありで。そのせいで女であることで見下げられてることに気付いていないという皮肉。……同棲しながらプラトニックな関係を夢見てたというあたりは甘すぎ。んで妊娠しちゃって。龍二は手切れ金受け取って逃げて。最終的にはすったもんだあって改心して自首する彼を「待ってる……」となるんだけど、どうにも~他の男女もそれぞれ何だかんだありつつ、納まるとこにおさまったり、仕事に生きたり、となるんですが。ただやっぱりとっちらかってしまった印象は否めないざんすね。つづく。6
2018.06.20
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今回も「報知新聞」掲載の作品。なんですが、長丁場のだらだら感が強い話かな、という……これは掲載の日がはっきりしてます。一応これは「性格の違う三姉妹」ものでもあるんだけど、ここでは一人、母親が違うってのがミソですがね。それと一応三角関係もありぃの、家の中の権力争いだの、……なんですがね。まあ何だかんだで登場人物の中だけで全ては終わるのですが。ただちょっと長女の死で親/保護者が改心してしまうあたりは、最初の作品「地の果まで」と一緒だな。純子さんと馨さんのWヒロインの話だけど、仕事を選ぶ馨さんが好きになっていた潔くんに何も気持ちを告げないのは何だなあ。つづく
2018.06.19
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さてここからは新聞掲載の小説です。雑誌連載と違って、毎日毎日何かしら読ませなくちゃならないのが新聞小説の恐ろしさ。そこでも吉屋信子は看板作家になったりしたんですが。とりあへずは最大の看板、東京日日・大阪毎日以前の「報知新聞」に載った作品。読売とその後くっつくのですが、この時代は「小説の報知」と言われてた新聞どす。ただし期間は不明。そこまで当時のワタシの調べでは判明しませんでした。時期が昭和5年ということで、帰国早々ですな。で、その前に中編で「日本人倶楽部」という、あまり起伏の無い小説()を掲載。海外に一時的に住んでいる日本人の倶楽部での話。何か「これ」という筋が思い出せないんですな。いや、「新潮版全集」見ればいいんですがね。これは手元に残ってるんで。で、この頃はまだ人間関係がばたばたしてた。この話はようすんに、気立てがいいお金持ちのお嬢さんお坊ちゃんが身分を隠して働いていく中で惹かれあっていきまして―――最後に「あら!」という、明るい話どす。このひとの話としてはわりと読後に首をひねらなくてもいい。婦人公論のほうに載った「お嬢さん」に出てくるお嬢さんより、この睦子さんはよほど立場を自覚してる女性です。あくまで自分は跡取り娘だということは自覚しつつ、「職業婦人」も真面目にやる。つまり「休暇は休暇」と自覚しているんですね。ここで収入がどう、とか考えてるふしがない。社会見学と割り切った感があるわけ。そのあたりが曖昧なのが「お嬢さん」の先生稼業やろうとしていてた彼女の、「私は働いている!」「お給料これだけ?」「服買おうっと」のとんちんかんな人とは違う。キャラとして安定してるってことですな。で、そのキャラっぽいとこを少しリアル入れようとしたら何か嫌なひとになったのがあちらの~。で、最後に「結婚して終わり」だし、悪玉は綺麗に消えて、失恋した人も納得したわけで。娯楽小説としては楽しかったです。つかなあ、吉屋信子という作家は、リアルな描写しようとすればするほど「しみったれたものになっていく」という傾向がありましてな。これはもう戦後になってこれでもかと発揮されるんですが、「きらきらした人が出てくるおはなし」であるならば綺麗にまとまるんだよなあ……この時代~戦後しばらくの「フィクション軽視」の風潮はどうなんでしょうねえ、と思う次第。つづく。
2018.06.18
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前回が「講談倶楽部」の作品、今回は「キング」に載った話です。連載は一年半。結構長い。どっちかというと、この話が載った昭和初期、ジャンルの比重として、「講談倶楽部」にちゃんばら~時代もの、「キング」に探偵小説とか~の当時の現代モノが多かった感が。「キング」にももちろん時代小説は載ってましたが。んなとこに一度だけ載った長編ですが、吉屋信子が「吉屋信子」であるぎりぎりのとこのサスペンスかなあ、というものです。生き別れの双子ものですね! 戦後の少女マンガにも散々出ました定番ネタですね!少女小説のほうでは「乳姉妹の取替え」だったり、貴種流浪譚的なものもあったけど、大人ものでそれを露骨にやったのはこれですな。何だかんだでこのかた、「どうなるどうなる」と読ませるひとなので、面白く読んだんですが、残念ながら、これを収録した「選集」作者の言葉では、「こういう仕掛けのある話はこれまで」と言ってるんですな。いやそっちのほうが向いてるんですがアナタ、と本当に思ったんですがねえ。登場人物。双子さんは片や元少女囚、片や現在留学中の令嬢。流れは以下。だからこの最後の、「身を引く」あたりが吉屋信子の人物造形の戦前の限界だったかなあと。戦後の短編とかでは、なかなかな人でなしも出てくるんですがね。しかし「岩窟王/モンテ・クリスト伯」の影響で復讐を~というのは、やっぱり興味深いですな。このあたりも既にこの話は有名だったんだねえと。黒岩涙香の訳! 岩窟王ってタイトルがまた。でも放火すればどうなるか、ということは思いよらなかった模様。で、復讐は成功したけど、結局「本当の令嬢/はじめて会ったそっくりの姉妹」への罪悪感で、というのは逃げだなあ、と思うんだよな。いやまじ思うんだけど、向き合って対決して皆でいい方向に、というの無いんだよなこの人の作品。あんまり。全くないわけではないけど、どうも結末が「私が身を引けばいいんだ……」っていう、ある意味逃げだし勝手なんだよな……この話の霞の場合、やっと娘を見つけた育ての母も、姉妹が居てうれしい潮もおいていくんだけど、それでその人達が幸せになれるかっーの。そういう傾向がなあ。ということでつづく。
2018.06.17
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何か眠かったり眠かったり眠かったりで空いてしまったけどつづきどす。今回の作品は「講談倶楽部」掲載。ぴんと来る方もいるかもしれませんが、「講談社」の雑誌です。というか、この雑誌を出して「大日本雄辯會」が「大日本雄辯會講談社」になったという。で、今では後者が残ったと。大衆雑誌であり、「倶楽部」雑誌はここからだな。姉妹誌の面白倶楽部、少年倶楽部、少女倶楽部、婦人倶楽部、キング……といった「面白くてためになる」雑誌の一つ。んで「追憶の薔薇」ですが。いやもうタイトル聞いた瞬間に「百万本の薔薇」がアタマの中で鳴り響きますよ。まあそれが想起されるのも仕方ねえな、という海外邦人ばなし。というか、大陸横断列車で巴里まで、というあたり何というか!掲載は10ヶ月ですのでもの凄く長い話でもなく、講談倶楽部という雑誌に合わせてか、軽い感じはありますな。あと自分の体験含めたエキゾチック描写。ヒロインは桂子さんと曙生(あけお)さん。この二人の対比がきっぱりはっきりしております。が、まあ鮮やかな印象を残すのはやっぱり曙生さんのほうかな。もともとは恒雄の恋人だったけど、一念奮起して巴里で洋裁修行というあたりが実に「この時代的ろまんちっく」ですな。まあこの話、恒雄が死ななければ何だかんだありつつも、弱気な銀也が実家振りほどいて曙生さんくっついて~という展開になったかもしれないけど、……なあ。そこで「実家の事情」とか「桂子さんにかつて好意を抱いていた」とか「母親が桂子さんを気に入る」というどんどん愛情だけじゃどうにもならないよ~という事態になるし。そもそもくっついたのだって、今一つ燃えるものは無いんですね。やっぱり「遠く故郷を離れて~効果」だけかもしれないし。まあこの後後藤と一緒にイタリアに行ったとしても、何か相手は売れない画家、彼女のヒモになりそうな予感はあるのですが……とはいえ、他作品よりは軽く楽しかったかな。人間関係もシンプルだし。いや初期のものとか、ともかく家と家の関係とかで、名前出さなくてもいい人が沢山出てきた感があってだな。つづく。
2018.06.16
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さて今回は暫く前に本文の話で出した「小市民」です。とりゃず人物。これが掲載されていたのは「日曜報知」。……正直この研究するまで存在を知りませんでした。で、掲載期間ももの凄くわかりづらい。これがある程度入手できたのは、ものすごく運がよかったとしか言いようがないです。あ、無論今は手元に無いです。他資料と一緒に保管してもらってます。このあと報知新聞に書いた話のことも出てますが、一応これは週刊。ただしPR誌。小市民の中でも、もヒロイン雪子さんの家と靖夫の家では微妙に格差がある感が。で、見下してた雪子さん母も、根が悪いひとではないから~というのが、この話をまあいい感じに見せてるかなあ、と。まあ何というか、薄味だけど悪くはない、という感じでした。おはなしとしては。短いですがつづくっ
2018.06.12
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さて昨日ちと作品探しのことをぶちぶち書いた「蝶」です。まあ実際これは探した価値がありまして、自分の中では吉屋信子作品の中で一番「本音と建前のズレが無い」作品です。んでもって、彼女の初期、そんで代表作にされてる少女小説「花物語」の系譜上にあるんじゃねえか、と感じている作品でもあります。掲載された「新女苑」は実業之日本社が高等女学校卒業くらいの女性向けに発刊した雑誌。かなり後出しですな。だから対象も少女と女性の中間くらい。結婚前のお嬢さんたちの文芸中心雑誌。で、その創刊号から一年連載された作品でした。昭和12年だったので、それこそちょうど支那事変とぶつかったあたり。連載中に主婦之友社の派遣記者として大陸の現地レポをしております。人物構成はシンプル。もうただ恋愛と結婚とその狭間でくらくらする話。ともかくヒロイン鮎子さんの視点と感情で描かれます。んで、花物語よろしく、これは女性同士の愛情のおはなしです。しかも彼女の「大人向け」作品の中で、唯一女性同士の愛情が「夫」に勝ってしまうという。「花物語」の中では結構女性同士の心中ってのあるんですよ。花物語だけでなく、初期短編では時々出てきます。実際当時は同性心中ってのは事件として新聞にも載ってましたしな。あと吉屋信子自身も同性愛者だったし。で。いつも何か「あ、うさんくせえ」と思えるヒロインの綺麗ごとがこの話には無いんですね。ええ、まじいつも読めば読むほど、「うっわーうさんくせえ」って感触がありましてね…… 「正直になれよお前……」みたいな。その本音がこの小説には出まくっていてですね。んであらすじ。これはレジュメ作ったときの名残なんで、文章っぽく。ちなみに真珠と書いて「まだま」夫人です。初回だけは「しんじゅ」でしたが、それだと菊池寛になってしまうw鮎子さんは真珠夫人へ思いと危険と、それを含めた魅力から結婚という形で逃げるんですな。そーすると、何かと蝶がついてくる。これは実際見えているのかどうかもわからない。考えすぎの幻覚かもしれない。でもさすがに夫の赴任先、上海だけでなく、日本に戻ってからはとうとう夫人の姿まで見えるようになってしまうほどに追い詰められてしまうヒロイン。夫には同性を愛している自分を理解されない。当初は男が相手ではないと安心するくらい。それはそうで、それは彼の属してきた世界には存在していないからでして。だから鮎子さんが「自分を止めてほしい」とばかりにすがっても見捨てていくと。だけどそれが鮎子さんの心の中の何かを切ってしまったんですな。夫人のもとに出向いてしまうと。ただ夫人は阿片商人を殺してしまい、二人は追い詰められる。で、心中なんですが。あらすじには書いてませんが、モルヒネの大量注射で死んでるんですね。だからその打った腕にひらひら~と蝶が止まるんですよ。花に導かれるように。それを見て夫が「はっ」。悔いてももう遅い、「僕は負けた!」となると。正直これが埋もれたのはひじょーっに惜しかった。河出あたりで再録本として出してくれればいいのにな、と思いますよ。まじ。そういう系統だもの。どっかでもう出していたら、単なる杞憂に過ぎないんだけど。ちなみにこの話を最後に、この類の話は一切戦前戦中は書かなくなりましたね。そもそも同性愛の話がご法度でしょう。それに幻想小説とか探偵小説自体が戦中には書けなくなったんですな。乱歩もこの時期はあかんかった。SFならよかったんですけどね。「空想科学小説」なら。吉屋信子の幻想小説は、戦後に「ちょっと不思議な話」という感じの短編がだんだん鋭いものになっていきます。ワシとしては戦後に急にそういうの書き出したわけではなくて、既にこの辺りにあったんだと思いますがね。つづく。
2018.06.12
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さて今回のは掲載が「婦人公論」どす。んで、わかりやすく「女の職業/立場でできること」問題なんですな。主人公規矩子(きくこ)さんはまあ、実にお嬢さんでございます。んでもって、女も職業を持たなければ! と地方の女学校の教師になるんですが。何というか、ことごとく確かに「お嬢さん」の行動なので、わかりやすいどす。実際彼女がもらっていた「給料」なんて、普段が洋服を仕立てる価格にも至らないわけで。かと言ってそれで慎ましく暮らす、という考えもなく。でまあ、最終的に見合いの相手であった邦雄と結婚を決めるわけですな。まあ実際、彼の言うことは正しい。規矩子のやってることは自己満足に過ぎないわけで。教師をやれる人は他にも居る、だけど規矩子の立場、お嬢さん育ちの令夫人にしかできないこともずいぶんあるわけだ。それぞれ人には役割があるんだぜ、ということを指摘されて「ギリィッ」って感じなようだけど「負けた」という感じで結婚を決めるという。よって、色めいたものはなし~ 味も素っ気もねえ!むしろ、途中で女学校時代本当に親密だった友人が結婚してしまった→子供ができた→残念、という感覚の方が強くてだな。まあだからこそ「お嬢さん」なんだろうけどね。余談。この話と次で出てくる「蝶」という作品が、新潮社から出た「吉屋信子選集」には同時収録されてたんですな。ちなみにこの刊は見つからず。きいいいいいぃぃぃ。「お嬢さん」は昭和20年12月だったか、21年はじめだったか、ともかくずいぶん早く出たんだけど、結局「蝶」は再刊されず、なおかつ「朝日版全集」の巻末年表でも間違った年に置かれたり、初出雑誌が書かれてなかったりして、探すことができたのも相当偶然からだったという。個人的にはこの「お嬢さん」よりずっと完成度高かったのになあ、と埋もれた作品を惜しむのだった。ちなみにその恨みもあって、院に居たときに学生のゼミに混じって自分のお勧め本を一つレジュメに~という時に、初出「新女苑」のマイクロコピーをまた人数分全編刷ってもらったという。さてあの頃の学生達どうしているかなあ。つづく。
2018.06.11
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今回も「婦人倶楽部」掲載の小説です。ただし珍しく「翻案」。当時話題になった米国映画「ステラ・ダラス」というのがありまして、これを日本流に書き直してみた~+吉屋テイストを入れた~というものです。まあそのせいか、人間関係はシンプルですな。ちなみに元映画のあらすじはこんなん。https://movie.walkerplus.com/mv4776/ より。ちょっと改行加えてみる。当時出た映画の名作ノベライズ(文庫サイズより小さい単行本シリーズがあったのだ)では、スチイブン、ロオレルとなってたり。***スチーブン・ダラスは父が銀行の破産で自殺したので、許婚ヘレンと結婚するのを断念して失踪した。彼はある工場町で勤めるうち、ステラ・マーティンという美貌の娘と結婚して一女ローレルをもうけた。しかし無教養のステラは彼の趣味に合わず、ことごとに夫婦は口喧嘩するようになった。そしてスチーブンがニューヨークへ栄転したときも、ステラはニューヨークの社交界で窮屈な思いをするよりもと故郷に止まったので、スチーブンは時折ローレルを招いたりした。ローレルは女学校に通うようになると母の麗質と父の趣味とを受けて美しい処女となった。しかし、ステラが町で爪弾きにされている馬券屋のエドと親しくするために、友達の誕生日に招いても、友達の母は娘をステラの家はやらなかった。スチーブンは偶然ヘレンと逢った。ヘレンはモリソン未亡人であった。ヘレンの3人の息子とローレルとはすぐ仲良しになった。そして長男コンの友達のリチャード・グロスベナーとローレルとは淡い恋をお互いに感じるようになった。そしてスチーブンとヘレンとは互いに昔の愛を忘れてはいなかった。ステラは夫がヘレンと親しくするのを聞いて嫉妬の情を押さえ得なかった。それでスチーブンから離婚を申し込んできても承諾はしなかった。ところが休暇に避暑地へローレルを伴って行ったとき、娘が母親が無教養であるために愛する青年を失うだろうという友達の陰口をふと聞いて、ステラは己れが娘の幸福の障害であることを初めて知った。彼女はヘレンを訪れ娘のことを頼みスチーブンと離婚して失踪した。ローレルとリチャードとの華やかな結婚式の晩、ステラは美しい花嫁をかい間見て母のみが知る幸福に酔った。***この二つに関して竹田志保氏が「三人の娘と六人の母 : 「ステラ・ダラス」と「母の曲」」という論文を書いておりまして、実に興味深い。https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2787&file_id=22&file_no=1PDFで読めます。この方は戦前映画のほうも網羅してるんで、映画翻案小説を更に映画化したものとも比較しております。彼女の考察はかなりワタシと近いのでありがたや。ともかくこの話が元の話とまるで違うのが、「産みの母」の取り扱い。ステラ・ダラスのステラがそれでも満足なままである「だけ」なのに対して、「母の曲」の場合「雨の中濡れ鼠+車にひかれそうになる」+警官にも罵声浴びてるんだよなあ。ちょっと酷すぎねえか? と思うわけどすよ。あ、あとモリソン未亡人が「未亡人」である一方、薫さんは独身という辺りも。誰をより持ち上げて、より下げてるのかが、非常によぉくわかるという。吉屋信子がステラ・ダラスをあえて書こうと思ったのは、その辺にあるんじゃないかとも思うのですよ。はい。ちなみにこの映画化されたものでは、ここまで産みの母を貶めたりしておりません。ともかく彼女の小説が映画化された場合、まず多少以上の手が入るんですな。結婚式でちゃんと産みの母は報われるようになってます。つづく
2018.06.10
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今回は「婦人倶楽部」で大!好評だった「女の友情」。と、好評だったので書かれたその続編です。続編のほうが正編より相当短い。んでもって、小林秀雄が「途中まで読んでやめた」と「むかっぱらが立った」作品。まあ今となっては何となくわかる。小林が何故ムカついたか。彼は言葉でごたごた言ってるんだけど、まー「生理的にあかん」が実は放り出した正体じゃないか、とワタシは思う。夏目漱石の「三四郎」がワタシにはそうだったんだけど、文章の端々にちらつく「何か」が、どーにも人をムカつかせるってことがあるじゃーないですか。これがなかなか言葉にし得ないものでして。この件については黒川亜里子氏の論文があるんでpdfリンクはっとく。大正期少女小説から通俗小説への一系譜 : 吉屋信子「女の友情」をめぐってhttps://ci.nii.ac.jp/els/contents110001041852.pdf?id=ART0001205899あ、ちなみに近代文学の論文ってのはだいたいこういう感じです。これは読みやすいほう。面倒くさい感想文か読み物と思うとすっきりします。(自分も書いてたわけだけど/だからこそそう思う)んでもって、ちょっとでかい人間関係。そもそも正編が2年、続編が1年の3年越しの話ですから!この話は「三聯花」以上に「三人の性格が違う女性達の友情」を描いておりまして。結婚相手より強い絆、というものでしょうか。高等女学校を出たところから始まるわけですが。由紀子→潔癖な何でもできちゃう優等生で社長のお嬢さん綾乃→普通の、もしくはやや慎ましやかすぎる「女らしい」本屋の跡取り娘初枝→思ったことをずばずば言い、現代的に割り切った結婚をする割とでかい八百屋の娘この三人の結婚とか恋愛とか妊娠とか出産とか、相手の人がどうとか、社会的立場はとか、すれ違いとかで話が回り、悲劇で終わるのが正編。由紀子さんは「結婚拒否」。綾乃さんは「親任せで失敗」。初枝さんは「割り切って成功」。ただ綾乃さんは最初の結婚のとき、「実はろくな生活じゃない」といってもシンブルな初枝さんには「またーそんなこと言っちゃってーっ」的にのろけにしか受け取られないという不幸があったんだよな……しかし綾乃さんの不幸は全てにおいて受身でしかありえなかったことなんだよな……この中で一番動いたのは初枝さん。ただしだからこそ嵐も起こったけど、彼女が動くことで周囲も動いた。由紀子さんは母親の「呪い」で結婚というものに希望を見出せずにいて、最終的には「そういうこと」から脱出してしまうんだよな…… それができる境遇だった、ということだけど。しかしこの慎之介の手紙とのすれ違いはドラマ特有の運命ですな。このせいで綾乃さんは最期の時にしか会えないという。で、残された二人のうち、それこそ「現世」に留まった初枝さんを中心に、正編で取りこぼされた人、退場してた人が生きてくために、子供が死産だったり、騙されたりしつつも、前向きにやってくのが続編。で、これは外の世界と縁を切ったはずの由紀子さんという救いの手でハッピーエンド。続編では前作で悲しい目にあった柳三郎が最終的には一番包容力があるいい男という位置に行ったのではないか、と思うんだな。こちらの話はどちらかというと女よりは男が動いていて、満州に行った慎之介の弟や、正編では影が薄かった初枝の夫、それに柳三郎の姿が印象的。まあ正編の中心の女性が二人退場してしまったのだから仕方ないのだけど。……しかし風呂場で倒れて亡くなる綾乃さんの親父さんは悲しいなあ…… 一人娘の遺した孫をまた一人おいて、だもの。それをまた慎之介の実家で引き取るんだけど、祖母にあたる人も身体を壊してるし、そこに手伝いに来てる初枝も少し前に子供が流れてしまってるという。つまり正編が「幸せ→不幸」なら、続編はそこからの脱出という感じかな。上手く作ってある話だとは思いますよ~まあ男の目から見たら、特に正編は「うわあ」となるかもしれないけどね。つづく。
2018.06.08
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