HOゲージの世界へようこそ

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2023.02.04
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カテゴリ: 邪馬台国・卑弥呼
東亜樹さんの投稿では沢山の皆様に見ていただき、本当にありがとうございました。

また、亜樹さんのことについては折を見て、たまにはご紹介していければと思っています。

それから、今後は亜樹ちゃんと書かせていただくことにしました。
そして、今日も調布駅前広場で亜樹ちゃんの路上ライブがこれからあります。
私は訳あって、行くことは出来ませんが、亜樹ちゃんはじめ、スタッフ、そしてファンの皆様、暖かくして楽しんでください。

さて、今回の話題はガラッと変わって、今から約5300年位前の縄文時代中期の竪穴式住居跡の見つかった遺跡に関するお話です。先日、家の近所で遺跡発掘調査の説明があったので、行ってきました。それは卑弥呼のいた邪馬台国のはるか昔、それより約3500年も前のことになります。



私の住まい周辺は海抜23~24mの高台で、この周辺には数多く縄文時代の住居跡が見つかっています。その北と南に谷があり、その谷に今でも川が流れていて、いずれの川も源流は比較的近く、そこで湧き出す水が小さな川となり、この川は下流で合流し、やがて東京湾に注いでいます。説明者によれば、高台で洪水などの心配もなく、岩盤もしっかりしていて、近くに2本の川があることで生活しやすかったのではないかとのお話でした。

そもそも説明会に行ったのには、これまで吉野ケ里遺跡や三内丸山遺跡、奈良や群馬の古墳などにも出かけていて元々多少興味はありましたが、それ以上に今回ぜひ聞いてみたいことがありました。



すると、こんな風に説明してくださいました。( 下の画像をご覧ください )
遺跡は関東ローム層の赤土 ( 粒子の細かい粘性土 ) の中にあって、その上に長い年月をかけて草木が腐葉土となり、更には風雨が運んできた砂や土が堆積して20~30cmの層を作る。そうした中には江戸時代中期1707年に起きた富士山の宝永大噴火の降灰の跡が東京近郊には2cm程度の層として見られることもある。しかし、ここにそれは確認できないので、おそらく当時の住人の手により降灰は取り払われたのではないか。そして、その腐葉土などの層の上に、現在我々が見ている砂利やアスファルトなど灰色の層が積み重なっている。

下の画像で3層構造がお分かりいただけるでしょうか。
遺跡のある赤土の層、その上のざらついたこげ茶の腐葉土などの層、そして灰色の層。



そして、上の2層を重機を使って土を掘り、関東ローム層の赤土が見えた段階から、手作業で少しづつ土を払っていくと、地表40~50cmの所に赤土とは違った黒土が表れてくる。その黒土を丁寧に刷毛などで掃った状態が1枚目と2枚目の画像の状態。現に黒土が見える状態の画像を見せていただきましたが、回りの赤土とはっきり見分けられる黒い円形が見てとれました。

最初の画像で見える沢山ある穴は黒土を取り払った跡で、建物の中なら柱のあった跡、周囲の穴 ( 土坑 ) などは食料品貯蔵などの目的に掘ったものではないかとの説明でした。土坑の中には死者を埋葬しているところもあるそうですが、ここでは発見されていないそうです。

そうした土を刷毛などで掃っていくと、下の様な土器の破片や弓矢の矢じりなどが出てくるのだそうです。だから、それらを傷つけないように慎重に掃うそうです。





しかも、今回発掘した現場の南隣、一番上の画像の奥に見えるブルーシートのかかった地点では、何と今から1万1000年前縄文時代早期 ( 前期の前 ) 前半の撚糸文土器の破片が多数見つかり、全国的にも珍しいそうです。こうした年代の特定には土器の種類、土器に付いた土の炭素年代測定 ( 精度の限界は ±0.2 %程度、誤差は ±16年 ) によりわかるのだそうです。

これまで知らなかったことが1つ解消できて、有意義でした。

なお、カテゴリーをこれ以上増やしたくないので、便宜的に「邪馬台国・卑弥呼」の所に残すことにしました。これを機に「東亜樹」や「邪馬台国・卑弥呼」もご覧いただけると嬉しいです。


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Last updated  2023.02.04 09:57:20


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