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及川中監督作品『日本製少年(1995)』親殺し少年と心臓サイボーグ少女がベレッタを握りしめ、世紀末東京を駆け抜ける!監督、及川中(おいかわ あたる)出演、大沢樹生、嶋田加織、鈴木一功、庄司真理、松坂和歌子、他。 父親殺人未遂の過去を持ち、一人アパートにこもる青年・大和と、池袋の駅前でティッシュ配りをする、心臓にペースメーカーを埋め込んだ少女・薫の破滅的な愛と逃避行。孤独と退廃が支配する刹那的時間の中でもがく青年達をペシミスティックに描く青春映画。-オレ、親殺し少年 アタシ、心臓サイボーグ少女-脚本家を経て「オクトパスアーミー シブヤで会いたい」で監督デビューした及川中の映画第2作。撮影の山本英夫には第1回作品となる。主演はもと光GENJIのメンバーの大沢樹生。共演は美貌のAV女優で現在は引退したと伝えられる嶋田加織。(R指定)父親撲殺の過去を持つ少年・田中大和は、ある日街でティッシュ配りのアルバイトをする少女・薫と出会う。強引に薫に近づく大和。二人は一瞬のうちにお互いの心の中にある孤独と絶望を感じ取っていた。薫は心臓の病気で胸にペースメーカーを埋め込んだ体で、そのペースメーカーの電池が間もなく切れるという…。薫が働く事務所に行った大和は、そこの本業が売春とトルエンの売買だと知る。事務所の社長は、その事務所の少女たちを奇妙な家族的雰囲気でまとめており、ヤマトもその「ファミリー」の一員となる。(社長を演じた鈴木一功が出色の出来!!!)仕事を得、ひょんなことから拳銃を手に入れた大和。彼が最初に弾丸をぶち込んだ相手は、同じ年頃の名も知らぬ少年だった。大和はいつ心臓が止まるかもしれない薫を連れて、危険な逃走を開始した・・・。映画「日本製少年」は1995年12月に劇場公開され、R指定映画ですが、95東京国際映画祭アジア秀作映画週間出品、96シンガポール国際映画祭出品、第5回日本映画プロフェッショナル大賞新人奨励賞受賞、(大沢樹生、嶋田加織)、日本インディーズ映画展横浜96参加作品という各方面で高い評価を得た作品です。 『アタシが死んだら、燃えないゴミの日に出してね』と言う薫のセリフが、観る者の心に深く突き刺さる。嶋田加織の存在感が強烈に印象的でした。「人生ラクだ。らくだ。ラクダだよ」なんといってもこの作品の中で主演女優を務めた嶋田加織の、驚くほどリアルな存在感で「薫」を演じきった演技は特筆に価する。未来に夢を持てず、生命維持装置であるペースメーカーの電池交換を拒否する少女という難役を見事に演じきった。戯歌を歌いながら踊るシーンの愛らしさ、可愛らしさ、くわえ煙草でストロー人形を作る時のアンニュイな美しさと、完成したストロー人形をひろげて踊らせる時の無邪気さ、これほど豊かな表情を繰り広げる女優はそうはいない。彼女の仕草や表情のドキリとさせられる天然な美しさは、ヌーヴェルヴァーグ時代のミューズ、アンナ・カリーナの出現を思い起こさせてくれるほど。90年代の青春の肌触りが画面に息づくボーイ・ミーツ・ガールものの傑作! 薫 「どうしてバイト決まらないの?」大和「前科があるからかな」薫 「何したの?」大和「親父とおふくろ殺したの!」 「こんなに気持ちが良いのにドキドキしない。全速力で走ってもドキドキしないの。」と生きている実感が得ることの出来ない心情を吐露する薫。 ■後編■は8/19付けの日記に続きます。
2007年08月20日
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及川中監督作品『日本製少年(1995)』親殺し少年と心臓サイボーグ少女がベレッタを握りしめ、世紀末東京を駆け抜ける!監督、及川中(おいかわ あたる)出演、大沢樹生、嶋田加織、鈴木一功、庄司真理、松坂和歌子、他。嶋田加織(しまだかおり)1976年6月5日、静岡生まれ。血液型はO型、身長 159cm /サイズ:B 81cm /W 56cm /H 82cm 。1994年12月に『Birth~誕生 第3章』(メシア)でデビューし、1996年にかけて10本余のAV作品に出演する。美貌と均整のとれたスタイルをあわせ持ち、一般誌においても数多くのグラビアを飾った。演技力も高く、唯一の主演映画である『日本製少年』(1995年)における演技は各方面から絶賛され、第5回日本映画プロフェッショナル大賞・新人奨励賞を受賞している。女優としての活躍も期待されていたが、突然引退、その後公の場には姿を現していない。引退して5年以上経った今でも高い人気を誇り、今も尚色褪せない人気は、彼女の女優としての資質の高さを証明している。AV出演作は中古市場で高い人気を維持しており、2003年にはアリスJAPAN時代の作品がDVD化された。大沢樹生(おおさわみきお、1969年4月20日 -)は、東京都江東区出身の俳優。光GENJIの元メンバー。 明治大学付属中野高校夜間部中退。 愛称は「ミッキー」。小学校6年生の3学期の時にジャニーズ事務所に入所。同期生は忍者の正木慎也、ジャニーズJr.の石丸志門ら。1983年3月25日、イーグルスというグループのメンバーとしてレコードデビュー。 しかし、同グループは後に自然消滅。 その後は、NHK『レッツゴーヤング』のレギュラーとなり、「サンデーズ」の一員として活動していた。 1987年8月19日、内海光司と共に光GENJIのメンバーとして再びレコードデビューを果たす。 佐藤寛之と共に、光GENJI及びジャニーズ事務所を脱退。脱退後も、ソロでアルバムやシングルを数枚リリースしている。 1996年に女優の喜多嶋舞と出来ちゃった結婚(妊娠3ヶ月)するが、2005年9月20日に離婚。 2006年11月独立。同月14日には「ワールドプレミアムボクシング イーグル京和・長谷川穂積ダブルタイトルマッチ」で国歌独唱。 はじめてオールラッシュを観た時、嶋田加織はずっと泣いていたという。撮影が終わった直後から「もう芸能界の仕事をやめたい」と周囲に漏らしていたから、及川監督にとってこの涙は嬉しい誤算だった。「スクリーンの中の自分の姿に感動して、一転女優という仕事にヤリガイを見出した」と及川監督は思っていた。ところが、「日本製少年」完成後、嶋田加織の行方はようとして知れなかった。及川監督は「行方不明」だった嶋田加織のポケベルを呼び続けていた。その及川監督に、嶋田加織から電話があった。しかし、嶋田加織は及川監督が芸能界復帰という本題を切り出すのに機先を制するようにこう言った。「私、看護婦になるんです」.......。「やさしい人になりたい」嶋田加織はかつてあるインタビューで「将来の目標」を問われてそう答えている。やさしい人になるために生きる。それはなんて美しい目標だろう。(及川中監督)■及川中(おいかわあたる)監督■1957年東京生まれ。平凡出版(現・マガジンハウス)に編集者として勤務する傍ら、脚本を執筆。オリジナルシナリオ「DOOR」が映画化され(監督・高橋伴明 主演・高橋恵子)、脚本家デビューを果たす。同時にマガジンハウスを退社。1990年、「オクトパスアーミー/シブヤで会いたい」(主演・東幹久、つみきみほ)で監督デビュー。以後、1995年「日本製少年」(主演・大沢樹生)、1999年「富江」(主演・菅野美穂)を制作。特に「富江」では、レイトショー公開の動員記録を達成するなどジャパニーズホラー・ブームの一翼を担うヒットを収めた。今年2005年の春には、エロス文芸作「メノット」(主演・藤本綾、国分佐智子、金子昇)と、パワーアップした富江シリーズの新作「富江BEGINNING」(主演・松本莉緒)が共に公開予定。そして「アインシュタイン・ガール」は夏に公開予定と、新作が次々に控えている。
2007年08月19日
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『いい女列伝 伝説の名女優!太地喜和子』第二夜!誰にも優しくて、開けっぴろげで、笑い上戸で、セクシーで・・・・・・『白い巨塔』1978年に放送された、TVドラマ史上に残る不朽の名作「白い巨塔・田宮二郎主演版」!昭和38年サンデー毎日に連載され、社会に大きな波紋を投げかけた山崎豊子の大ベストセラー小説を原作とし、大学付属病院を舞台に、欲望と利害が渦巻く医学界の内幕を赤裸々に描いた内容は、世間に大きな衝撃を与えた。<原作>山崎 豊子「白い巨塔」「続 白い巨塔」<脚本>鈴木 尚之 <演出>小林俊一/青木征雄<出演>田宮二郎・生田悦子・太地喜和子(「俳優座養成所」)・島田陽子(楊子)・上村香子・高橋長英(「俳優座養成所」)・中村伸郎(「文学座」)・岡田英次(劇団「青俳」)・小沢栄太郎(「俳優座」)・本山可久子・太田淑子・河原崎長一郎・曾我廻家明蝶(特別出演)・山本學(「俳優座養成所」)・金子信雄(劇団「青俳」)・堀内正美・井上孝雄・佐分利信・中北千枝子・清水章吾・加藤嘉(「民芸」)・渡辺文雄・野村昭子・入江正徳・戸浦六宏・大滝秀治・小松方正・米倉斉加年(「民芸」)ほか、――『白い巨塔』の名脇役陣は、かつて新劇や映画界で鳴らした名優たちがこぞって出演し多彩な人間模様を繰り広げた。その上、ご存じのように、田宮二郎は、このテレビ作品の方の「白い巨塔」終章の放映を待たずして不可解な死を遂げ、世間を驚かせた。死の予感があったからなのでしょうか、田宮次郎の迫真の演技が戦慄を呼ぶほどの深遠な人間ドラマの傑作となりました。私は、もはやこの名作ドラマを再び見られるとは夢にも思わなかったが、なんと、DVD9枚構成、30時間を超えるという凄さで発売され、この超ドラマを心ゆくまで堪能し、魅了されました。ご存知のとおり、2003年10月よりフジテレビ系でフジテレビ開局45周年記念ドラマとして放映された『白い巨塔』は、リメイク版。リメイク唐沢版は全21話だが、田宮版は31話あります。比較する統べもありませんが、10話も少ないとストーリーがだいぶ短くはしょられてしまいますね。ドラマ撮影中、田宮さんの行動や精神状態はかなり不安定だった。田宮さん自身が企画を持ち込んだ『白い巨塔』のドラマ化が正式に決まる77年11月頃から田宮次郎さんの躁鬱病が悪化し始めていたという。『白い巨塔』の収録渦中にあっても田宮二郎は、さまざまな“事業”に手を染め始め、大映撮影所の買収、日仏合作映画の製作、TBSのオーナー、トンガの石油発掘権――など、真偽のほどは分からないが、後に週刊誌に騒がれる通称「M資金」の融資話を、怪しげなブローカーたちから受けたと言われるのもこの頃。普通、連続ドラマの収録の最中に、主演俳優が1週間外国に行くことなどありえないが、田宮はトンガへ行ってしまうほどこの事業にも入れ込んでいた。12月28日、田宮次郎は自室で謎の猟銃自殺を遂げてしまう。田宮次郎さんが猟銃自殺したというニュースは当時大々的に報道され、「白い巨塔」の最終回放送前の急逝だったともあり、彼の死後、放映された『白い巨塔』は、密葬の行われた夜の30話が26.3%、年が明けた1月6日の最終話が31.4%と、それまでの田宮の持つ最高視聴率「白い滑走路」の26.9%を凌ぐものだった。財前五郎の愛人、花森ケイ子を演じた太地喜和子は素晴らしかった!財前の母への思いやりが深くて、愛人としての立場もわきまえた細やかな態度は度を越えて美しく不思議な母性を感じさせる。すべてにおいて大人の女としての格が違う、そんな演技を魅せてくれました!愛する人が亡くなって港で独り風に吹かれながら泣きじゃくるケイ子のシーンにかぶって財前の里見宛の遺書がながれ「・・・あの美しい薔薇が病床を慰めてくれた。母をよろしくとお伝えください。」・・・真紅の薔薇はケイ子がこっそり見舞ったものだったが、財前には誰が見舞ったものか判っていた。財前五郎の母キヌにだけ見せる優しい顔と、愛人にだけ見せる甘さ、外科医として野望に満ちた自信家の冷酷な顔を見事に演じていて、正に田宮二郎が命を賭した作品でした。財前五郎の末期の言葉は、「お母さん...。」だったのには、一瞬虚を付かれました。合掌。太地喜和子さんも亡くなり、二人の本当の死を持ってドラマが現実の中で完結してしまったように思えてなりません。田宮が猟銃自殺に倒れた夜、太地は夫人の幸子氏と共に、ベッドの上で田宮の亡き骸に添い寝をしたというエピソードが胸を打つ。名優田宮次郎氏、太地喜和子さんのご冥福を心よりお祈り致します。 Special Thanks ! To Yoshihiro Tatsuki.『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』第十七代目のマドンナぼたんという底抜けに明るく、気風と度胸がよい姉御肌の芸者を太地のイメージそのものに圧倒的な色気をもって演じシリーズ屈指の傑作となった!カラカラと大声で笑う声の中に切なさを感じさせて、そしてニッコリ微笑む表情がもう最高にかわいらしい。なんたって寅さんがフラれてないというのもめずらしい幸せな結末です。『火まつり (1985/日)』年にいちどの本祭りであった。海の終わりには、山がそそりたっていた。そのわずかな狭間に家があり、人間がいた。海には海の神が居た。山には山の神が居た。そこでは、まだ神は人間と一緒だった。男は自分を特別だと感じていた。神に選ばれた人間だと信じていた。紀州・熊野、連なった山々のすみずみから、たいまつを灯して人々が集まる。積った、喜び哀しみを、共に分かち合うために。「俺は山の神に愛されている。山の神を女にすることが出来るのは俺だけだ」監督: 柳町光男 脚本: 中上健次 撮影: 田村正毅音楽: 武満徹 美術: 木村威夫 出演:北大路欣也 / 太地喜和子 / 中本良太 / 三木のり平 / 安岡力也 / 宮下順子 この物語の舞台は、神武東征以来、落人伝説、異種の流離譚、補堕落渡海など、数々の伝説と物語の宝庫であり、山と川と海の山紫水明を背景に神秘的世界を広げる紀州・熊野である。この海と山に挟まれた小さな町を舞台に、ひとりの木こりの姿を土着的な風土の中に神話的な世界を融合させ描いた異色のドラマ。作家・中上健次の書き下ろし脚本を柳町光男監督が映画化。海と山に挟まれた紀州・熊野の小さな町。海洋公園の建設が予定され、その利権で町は揺れていた。木こりの達男には妻と二人の子どもがいたが、町にかつての女・基視子(太地喜和子)が帰ってくる。焼けぼっくいに火がつく二人。ある日、激しい嵐の中、山にひとり残った達男は雲の流れ、木々の揺れる音、川のせせらぎの音の中で、達男は何か超自然的なものを感じる。そこで神の声を感じるのだった……。北大路欣也がカリスマ性溢れる主人公を熱演!山の神と主人公が"交わる"シーンのエロティシズムは秀逸。また、基視子演ずる太地喜和子が実にいい。村の女たちにタダならぬ警戒感を抱かせ、男たちを虜にしてしまう魔性を見せながら、その陰で男にだまされ、幼い頃の初恋の相手である主人公と肌を温め合うことにささやかな安心を見出す女のいじらしさ、切なさ、悲哀をも表現。物語に説得力を与え、主人公のキャラクターの肉付けに大きな役割を果たす存在感はさすが。中上健次原作の映画は「十八歳、海へ」、「赫い髪の女」、「青春の殺人者」、「十九歳の地図」などがあり何れも出色の出来。毎日映画コンクール日本映画優秀賞、'85年キネマ旬報主演男優賞受賞作品。 「力強く、美しく、そして恐るべき映画である。この映画は、日本がこれまでつちかってきた伝統に何をしてきたか。その原罪を問い質そうとしている。現代人が自然に対して犯してきた罪に、自然がいかに報復するかという意味で、天罰についての映画といえる。この映画の恐るべきメッセージは非凡なる演出、心を奪われる美しさの中で息づいている。自然に対する暴力、いわゆる木々を伐採するという冒頭シーンから、ついには人間が誇示する文明を逆に自然がはぎとってしまうというラストに至るまで、このずば抜けた作品は私たちの心をつかみ、忘れ得ぬ一篇となっている。」(ドナルド・リチー)喜和子が水の中に肌着で入るシーンが印象的。水に濡れて肌着が透けてかすかに身体の線が見える。でもヌードのシーンはこれが最後。打ち上げの時に喜和子は腰がすっぽん鍋にあたり、尻から腿にかけて熱湯をあびた。自分の失態で酒席の楽しさを覚ますことを避け、かなり時間がたってから手当てを受けた為無惨な痕を残すヤケドをしてしまった。酒を浴びるように飲んでもつぶれず、周囲への気遣いがただごとではすまさず、太地喜和子のイメージを死守していた。 Special Thanks ! To Yoshihiro Tatsuki.太地喜和子は、飲むと寂しくなり、人恋しくもなり、男と女のしがらみから抜けられないで、また飲むという酒癖で浴びるように酒を飲んだが、喜和子の肝臓は日本人では珍しくアルコールの分解に優れていた。だから肝臓は大丈夫だった。その代わり緑内障になった。医師の診断だと50歳には失明するとの見方があった。方々の占い師に52歳で死ぬと言われていた喜和子。自分の眼が緑内障であること、失明することが時間の問題であることを誰にもつげることはなかった。太地喜和子はいわゆる破滅型の女優であったかもしれないが、半端な自己抑制はせず、自分を常に解放して生きていた。そのため、女優・太地喜和子は太地喜和子を演じるのに、すべての熱意を注ぎ、彼女にとって演ずるに足るものは太地喜和子ただ一人であったのではないか。『いい女列伝 伝説の名女優!太地喜和子』第二夜!の続きは前のページ、12/7の日記に続きます。
2005年12月08日
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『いい女列伝 伝説の名女優!太地喜和子』第二夜!続編 Special Thanks ! To Yoshihiro Tatsuki.誰にも優しくて、開けっぴろげで、笑い上戸で、セクシーで・・・・・・ 『唐人お吉ものがたり』「ええ。前から演りたいと思っていました。何でって、「唐人お吉」だからよ。今までって言われたって、まだまだやる訳ですからね。振返るのは早いんですよ。振返らないんですよ。先もずい分先じゃなくて、目の前の役を一生懸命演って、そうする事によって先が作られていく訳ですから。今演ってて、次あれ演りたいと思うと今演っている役が曖味になってしまいますから。それこそお吉さんが嘆くだろうし、そこら辺は、はっきりしてますからね。」1992年(平成4年)10月13日、太地は文学座の巡業公演で静岡県伊東市を訪れ、前日、同市の観光会館で公演された「唐人お吉ものがたり」に主演。ホテルに入った後、劇団員の男性 2人と飲みに出かけた。そしてスナックで飲んだ後、「海を見よう」と、店のママの乗用車で観光桟橋に出かける。ママの知人の船を訪れたが誰もいないので車を後退中、誤って桟橋から転落したもの。午前2時20分ごろのことで、太地だけが溺死だった。酒に酔っていたこと、海中に車ごと沈したとき、、窓のあかない後部座席に座っていたため脱出出来なかったこと、何よりまったく泳げなかったことが災いした。遺体が留守宅に戻り通夜がとりおこなわれ時、訪れた弔問客は太地の死顔の美しさに驚いたという。彼女は目を軽く閉じ軽く唇をひらいていた。卵形のきれいな顔はあどけなさを残し、うふふ、と笑いだす寸前のような表情をうかべていた。 Special Thanks ! To Ken Kageoka .お墓は巣鴨駅から近い都営染井霊園の勝林寺にある。 Special Thanks ! To Ken Kageoka .紅蓮院喜和静華大姉 Special Thanks ! To Fujii Hideki.1970.12.13「毎日グラフ」の表紙を飾った。この号の特集は三島由紀夫衝撃の自決8ページであった。
2005年12月07日
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『いい女列伝 伝説の名女優!太地喜和子』「’92年10月13日、払暁。女優・太地喜和子、水死。享年48歳――」刺激的で過激で奔放な”いい女”。恋と愛と舞台にかけた一女優の生涯――何事にも全力投球だった。芝居にも人間関係にも、生きることそのものにも。そして、彼女は逝ってしまった……。 ”文学座のホープ””杉村春子二世”.....ふっくらした頬の、きれいなアーモンド型の瞳と猫のようにつりあがった目に派手に目立つ化粧、笑いかける寸前のようにほころびかけた口元・・あっけらかんとした顔に眩いばかりの存在感とたぐいまれな妖艶さを持ち、大酒豪としても知られ、十八の時の三國連太郎との同棲生活、津坂匡章(秋野太作)との結婚、離婚をはじめ、峰岸徹、伊丹十三、石坂浩二、津川雅彦、中村勘九郎、私生活における恋愛沙汰の多さでもよく知られた陽気で奔放なセックスシンボル。「男は夢と寝たがるが、女は男としか寝ない」三國連太郎が太地にふと漏らした言葉に「ぼくの前を通りすぎていった女は多いけど、ぼくのなかに、結局はなんにも残してはいないんだなア・・・」太地はその時の気持ちを後に、「彼がふっともらしたその言葉に、わたしは匂いを感じたの。彼のすぐうしろを歩いていたわたしは、そのとき彼の背中に、寂しさがべったりはりついているのを見たような気がしたわ。この人のために生きてみたい・・・とっさにそう思ってしまったの。泥くさい感じだけど、竹の根のような繊細な神経の持ち主だった彼。二十も歳が違うのに、寂しがり屋の子どものような大人だった」と述懐している。「いろいろな女優さんと噂をまかれましたが、私が実際に男女のおつきあいをした女優さんは、亡くなった太地喜和子さんだけです。太地さんは魅力的な優しい人でした。これは異常ともいえるほど博愛精神をお持ちの方で、どこにも行かず、他のことは何もしないで、ひたすら私だけを待ち続けてくれる風情なのです。ただ、一抹の恐怖を感じさせる生き方に近いものが伺えました。ああ、この人は自己破滅していく人だな、自分自身が崩壊する道をあえて選んでるんだなと、私自身を棚に上げて感じました。その破滅への道に私も身をゆだねて、彼女と心中する覚悟にはなれませんでした。勝手なものですが、二人の関係を続けるためには、同じ仕事をするのは困るから女優をやめてくれといったのですが、彼女はどうしても女優という仕事に未練があったようです。もちろん、一緒にいる時、仕事の話は全くしなかったけれど、だんだん彼女の暮らしの後姿に虚しさが透けて見えてくるのです。私は、妻と別れて彼女とともに暮そうと何度か決意したこともありましたが、彼女が劇団をやめていないことが周りからわかった時、やっぱり私の住む世界はここではないと思って、身を引く決意をしました。おつきあいを始めて丸々一年後のことでした。」1943年12月2日東京・中野生まれ。松蔭高校在学中に東映6期のニューフェースに合格。志村妙子という芸名だった。4年間で4本の映画に出演するがいずれも端役。高校卒業の翌年の63年、俳優座養成所 16期生になった。同期に古谷一行、河原崎建三がいる。修了と同時に文学座入団。杉村春子に可愛がられて次第に中心的女優になり、代表作に「美しきものの伝説」「飢餓海峡」「近松心中物語」などがある。映画にも数多く出演。なかでも「藪の中の黒猫」(68年)では全裸シーンも披露する熱演ぶりで、新藤兼人監督に高く評価された。その一方、「喜劇・男の泣きどころ」(73年)以下のコメディーにも持ち味を発揮。「男はつらいよ・寅次郎夕焼け 小焼け」(76年)では17代目のマドンナに起用されている。『藪の中の黒猫(1968)』監督:脚本:新藤兼人 撮影:黒田清己 美術:丸茂 茂 音楽:林 光出演:中村吉右衛門/乙羽信子/太地喜和子/佐藤 慶/戸浦六宏/殿山泰司/観世栄夫平安京の羅城門に美女の姿を借りた化け猫が現れ、 侍を次々と食い殺し世間を騒然とさせていた。御上から化け猫退治の命令を受けた藪の銀時は早速羅城門に向かうが、 そこで亡き妻にそっくりの女に出会う。戸惑いながらも誘いを受けた銀時が女の家に向かうと、 今度は亡き母にそっくりの女が待ち受けていた。4人の落武者に犯され、 家ごと焼き殺された銀時の母と妻は、 侍の生き血をすすることを魔神に誓い、 妖怪として生き続けていたのだ…。「太地の身体を見て思ったことは、裸になってみると、全体にスラーッツとして、いわゆるグラマーでなく、プロポーションが良かった。バランスがいい。そのうえ肌もきれいだった。女性というより少年っぽいからだをしていると思った。足腰のあたりは、小鹿のような俊敏さと、そのしなるような動きから来るエロティシズムがあった。」民間伝承をヒントに脚本を書き上げた新藤兼人監督が、 平安中期の京都を舞台に怪奇幻想的なタッチで生命の根源である"性"を深く掘り下げた、 異色のホラー時代劇。新藤監督が師と仰ぐ故・溝口健二監督の代表作『雨月物語』へのオマージュとして製作された注目作である。故・太地喜和子が官能的に演じた妖艶な化け猫が圧巻。太地喜和子は、この映画で昭和43年度の日本映画制作者協会新人賞を受賞した。新藤監督は、『裸の十九才(1970)』でも太地喜和子を起用し、永山則夫が逃亡中、肌をふれ、魅かれていく娼婦を好演した。『心中宵庚申(シンジュウヨイゴウシン)【近松門左衛門「心中宵庚申」より】』脚本:秋元松代・演出:和田 勉太地喜和子/滝田 栄/乙羽信子/佐藤 慶/吉行和子/辰巳柳太郎「テレビ技法にすり寄らず、テレビを無視したところで成り立っている。はまったものしかやらないが、その密度の濃さで、この人に代わる女優はいない」1984年(昭和59年)放映のNHKテレビドラマ『心中宵庚申』を演出した和田 勉は、テレビ育ちの女優にない新鮮な驚きを太地喜和子の演技にみていた。夫婦養子が、義理の姑の嫉妬によって心中へ追い込まれてゆく話だが、一生涯を通して、いい女、好色な女を演じたいと念じていた太地喜和子にとっては近松の世界は最も真価を発揮する舞台であり出色の出来、大傑作となった。特に、旅へ出る夫に向かって太地の妻が、「蝶になって、あなたの肩に止まってついて行きたい」という台詞を童女のような表情で切なく吐くシーンは太地喜和子の色っぽさの絶頂であろう!思わず凄いと唸ってしまった。同じ秋元松代作・和田 勉演出は、翌1985年(昭和60年)の『おさんの恋』、1986年の『但馬屋のお夏』と続き和田勉は太地喜和子へただならぬ惚れ込みようを見せた。『近松心中物語』(蜷川幸雄が演出)は、昭和54年に平幹二朗、太地喜和子コンビによって大ヒットし、遊女,梅川は太地喜和子の当たり役となり代表作となった。ある日裏方さんが太地喜和子の楽屋の前を心中場面の前に通りかかると、喜和子が洗面器に両手を浸していました。何をしているのと問うと、「雪の中の心中だから当然冷え切っているはず、平さんが私の手を握った時冷たい方が気持ちが通じるでしょ、」とその為に氷水で冷やしているのでした。「近松心中物語」はその後千回以上の公演を重ね、平成16年に阿部寛・寺島しのぶコンビによって「新・近松心中物語」へと進化していった。 『近松心中物語』は、1979年帝国劇場で初演。近松門左衛門の浄瑠璃『冥土の飛脚』を中心に踏まえて、秋元松代が脚本を書き、蜷川幸雄が 演出した作品。1000回を超える上演によって40万人以上の観客を動因した。1981年に芸術祭大賞を受賞した舞台。 忠兵衛は平幹二朗、梅川は太地喜和子。秋元松代さんは、2001年4月24日午前10時47分、肺がんのため亡くなった。90歳だった。「おさんは前からやりたくて。”ホレたら一直線”というのは、わかりやすいから好き。あたしの夢です。だって、死ぬまでホレられない。せめてドラマで、と。演じているときは、本当の自分と一緒にしたくない。でもやっているうちに、どっちが本当だかわからなくなる時もあります。役の中に自分に近い部分を見つけちゃうの、で、その気になってしまう。男がいなくちゃいられない女だけはやれないですね。いない時もいいじゃないと思っちゃうから。ただ人は好きですからね。寂しがり屋だけど、ひとりでいる。そのつらさがいいの。ひとりでいていいなって思うのは、引きずっているもの、しがらみがないから。さあ、いくぞって、すぐ仕事に入れる。あたしは舞台がシンになって回ってるから、東京を離れる事が多いし・・・・夢を売る商売だから、見る側と同じ生活してたんじゃ、お金は取れない。私は仕合せよ。ついでにちょっとというわけにははいかないでっすよ。あんまり仕合せって顔しといて生きるの死ぬのはやってられないでしょ。」みずからの私生活が尋常でなくなればなくなるほど、また、私生活での異性をめぐるスキャンダルが華やかであればあるほど、いい女優、いい女になることができると信じていた。杉村春子たちが引っ張ってきた日本の新劇の土壌から、パッと異質な新しいタイプの女優が誕生した。太地は新劇から生まれてきた女優だが、およそ新劇的な感じがしないのだ。誰にも優しくて、開けっぴろげで、笑い上戸で、セクシーで・・・・・・奇しくも今日は、太地喜和子62度目のお誕生日!名女優太地喜和子さんのご冥福を心よりお祈り致します。◇いい女列伝 伝説の名女優!太地喜和子 第ニ夜!は近日公開!◇
2005年12月02日
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○o。ALL ABOUT MY 高峰秀子、第一夜 。o○松山善三監督作品『名もなく貧しく美しく』『六條ゆきやま紬』 ◇大女優 高峰秀子◇日本映画史上最高の演技派女優・高峰秀子は1924年3月27日、函館市に生まれた。母の死によって叔母の養女になり上京。1929(昭和4)年、5歳のとき松竹蒲田・川田芳子主演『母』の子役に応募。60人のなかから選び出されてデビュー 。以来、400本以上(!)の作品に出演。名子役の名をほしいままにする。名子役は大成しない、というジンクスを覆し、子役、少女役、成人役と、トップスターであり続けたのは、世界でも例をみない。戦後は木下恵介の『女の園』『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』成瀬己喜男の『あらくれ』『放浪記』『浮雲』など、両名匠の作品に次々に主演。彼女を起用した監督も凄い。木下恵介、松山善三、成瀬巳喜男、小津安二郎、五所平之助、豊田四郎、稲垣浩、野村芳太郎ら時代を代表する名監督の作品に主演を果たし、演じた役も様々で、初々しい新任先生、ノイローゼの女学生、未亡人、聾唖の母、 はては頭の弱いストリッパーまで、演技の幅は実に多彩。卓越した表現力でその役すべてに存在感を与え、多くの傑作に名を残している。不世出の大女優 高峰秀子の軌跡を辿ると、二十世紀最大の大衆文化であった日本映画の黄金期がみえてきます。 ALL ABOUT MY 高峰秀子(MOTHER)『名もなく貧しく美しく』(1961)毎日映画コンクール女優主演賞受賞■監督/脚本 松山善三 撮影 玉井正夫 音楽 林光■出演 小林桂樹 高峰秀子 原泉 草笛光子 沼田曜一 藤原釜足 加山雄三聾学校の同窓会の催しで出会った秋子と道夫は、交際を経て結婚することとなる。聾唖者同士の結婚で、果たして健全な子供が生まれるか、という不安をよそにやがて生まれる子供は元気な赤ん坊で、二人の静かな生活には灯がともった様に明るくなっていく。しかし、耳が聴こえないがためにその子は命を落とすことになり、二人の生活は再び闇の中に迷い込む。しばらくして生まれた第二子を一郎と名付け、彼はすくすくと成長していく。健常者ではない両親を一郎は成長するにつれ疎んじるようになるのだが・・・。戦後、手話通訳もない、何の情報もない時代に差別や偏見の中で生きる聾唖者の夫婦が、終戦前後から戦後の混乱期と苦難の時代に、貧しいながらも、お互いを支えつつ強い夫婦愛で生き抜いた感動の物語。有楽町の街頭で出会った、靴磨きの聾唖者夫婦。彼らの愛情に充ちた姿に強くうたれて筆をとった松山善三が、丹精こめた脚本で、自ら演出した第一回監督作品。松山善三が、恩師の木下恵介のために書き下ろした脚本だったらしいが、木下と意見が合わずに、みずから監督をして作った名作!夫婦二人の会話はすべて手話で、観客にはスーパーを付けるという画期的、文学的手法をとった。(妻・秋子は聾だが、秋子が聾ゆえにうまく発音(発声)できなくたどたどしい日本語を話す。また、この映画では、字幕の台詞を観客が読む時間と合わせる為ゆっくり手話をしています。)高峰、小林が稀有の名演で向きあう手話場面には、電車の轟音、電車車両の窓といった映像を配した演出が素晴らしく、手話を、最も衝撃的に世間の人々にアッピールした作品でもある。二人の手話による演技、林光の音楽が二人の心を通い合うようで素晴らしく美しく、涙を抑えることができない作品です。決して「泣かせ」が先にありき、なのではなく、小林桂樹、高峰秀子演ずるろう夫婦の必死な生き方が、それだけで強く胸を打つ。この作品以降、読唇術から手話への切り替えが進んだそうで、小林さんが街で肩を叩かれて振り向くと、「あなたを映画で見ました」と手話で話しかけてくる聾唖の方が沢山いたそうです。冒頭と最後に登場する影絵による手話がストレートにテーマを訴えかけてくる。タイトルは昨今の韓流純愛ドラマみたいだが、ちょいと役者の桁が百万桁は違うのココロ!今観ても決して色褪せない、むしろ今観ることにこそ、大きな価値のある映画です。 この先も時を経るほど、この作品の価値は重みを増すにちがいない! この映画を愛してやまない!この映画にはラストシーンの全く異なる、正反対の2つのバージョンがあって、秋子の死に終わるヴァージョンはアメリカでは養子とにこやかに抱き合うというシーンに改変させられている。松山さんはハンディキャップを持っている人の映画を多く撮ってきたが、その原点は病に苦しんだ母の姿だという。サリドマイド児を描いた「典子は、今」、ポリオをテーマとした「われ一粒の麦なれど」、老人介護を描いた「一本の手」などの作品もある。■「一本の鉛筆」(松山善三:詩/佐藤勝:曲)■あなたに聞いてもらいたい あなたに読んでもらいたいあなたに歌ってもらいたい あなたに信じてもらいたい一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛をかく一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと書くあなたに夢をおくりたい あなたに愛をおくりたいあなたに春をおくりたい あなたに世界をおくいたい一枚のザラ紙があれば 私は子供が欲しいとかく一枚のザラ紙があれば あなたをかえしてと私は書く一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く一本の鉛筆があれば 人間のいのちと私は書く◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇知られざる傑作!『六條ゆきやま紬』1965年(S40)/東京映画/白黒/106分■製作:佐藤一郎、椎野英之/監督・脚本:松山善三/美術:小島基司/音楽:佐藤勝/撮影・岡崎宏三■出演:高峰秀子、小林桂樹、毛利菊枝、フランキー堺、神山繁 黒い海が荒れ狂う日本海の貧しい漁村。砂塵に吹きつけられ、よろめくように一軒の家に入ったいねは、“ハハキトク"の電報を握りしめていた。出て来た母は「いね、あげな家には帰るな!」と激しくいねをひきとめた。夫・松山善三監督作品『六條ゆきやま紬』一般的には林芙美子の同名小説を映画化した成瀬巳喜男の「浮雲」が、、高峰秀子の代表作であり、世界の映画史に燦然と輝く名作中の名作と言われていますが、その「浮雲」の完成度には及ばないものの、高峰秀子の演技力に目を見張るこの作品は、高峰秀子の存在感と美しさが圧倒的に作品を支配している隠れた名品です。六條家は、ゆきやま紬に二百年の伝統をもち、六條天皇の血を引く一族で、平家の落人からゆきやま紬の織り方を受けつぎ、今まで来た由緒ある格式を誇る家柄であった。昭和に入り六條家の当主であった九代目久右衛門は、周囲の反対を押し切って、土地の温泉芸者いねと結婚したのだった。だが久右衛門は、戦後の化繊時代に追われ、不況のどん底で自殺をとげた。「綺麗なだけではない雪の表現。白のトーンを四段階に分けた」という岡崎宏三キャメラマン人生の1本。シネスコでロングの構図で岡崎宏三は見事に雪深い土地の閉塞した空気を表した。白と黒のディテールとコントラストに徹底してこだわった岡崎はこの作品と「波影」で数々の撮影賞に輝いた。当初から結婚に反対されて嫁となったいねは、夫の死後、姑の美乃をはじめとする親類一族の中傷を一身に集めたが、いねは夫の遺志をついで“ゆきやま紬"一すじに奔走した。いねの片腕として、陰にひなたに、いねをかばう治郎は、亡夫が拾い育てた孤児であったがその治郎に対しても、周囲の目はいねと結びつけずにはいなかった。だが中傷の中で、固く結ばれた二人の努力は、無形文化財ゆきやま紬を作りあげた。いねはこれを機に六條家を去る決心を固めた。治郎を秘かに慕う職場の娘乃理子は、いねと治郎の噂に悩んだ末、雪の中で、自らの命を断った。六條家の二百年忌法要の日、いねは、六條家の宴席に自分の場所がないことを知り、心がふさいだ。そのいねに追いうちをかけるように、姑美乃から、唄を強要されたいねは涙ながらに“おけさ"を歌う。このシーンの高嶺秀子の演技はとてつもなく素晴らしい。姑からの手酷い仕打ちに耐え続けた女がラスト近くの法事で自分で酌をして、まわりから嘲笑と共に求められたにもかかわらず、爆発した思いで「おけさ」を歌う様はちと震えた。高峰秀子、会心の名演と観た!毛利菊枝の凄まじい姑も凄いぞ!治郎といねの二人は屋敷を出た。だが、治郎は、このままいねとゆくと、噂に敗けたことになると言いながら、雪のホームに飛び降りた。いねを乗せた汽車が、雪の平野に消えていった。名著!『わたしの渡世日記 上・下』(文春文庫・日本エッセイスト・クラブ賞受賞)「人間嫌い」「骨の髄までニヒリスト」 映画と対話するために.....。!U^ェ^U
2005年05月30日
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雷様ぁ~!.....市川雷蔵=眠狂四郎 我がヰタ・セクス アリス・イン・ワンダー・ランド?!美貌に孤独が宿る。その背には、拭えない虚無が漂う。黒羽二重の着流しに、異人の血のまざった彫りのふかい顔だち、虚無の影を色濃くやどし、愛刀無想正宗をふるって円月殺法の冴えをみせる狂四郎!「私は、眠狂四郎を剣豪として描こうとしてわけではなかった。狂四郎に、現代の罪悪感を背負わせて、そのジレンマに苦しみながら生きて行かねばならぬ業を見たかったのである。いわば、剣豪が進む道とは、逆の方角へ歩かせてみるために、円月殺法をあみだしたのである。」という作者柴田錬三郎の言葉は、狂四郎像を鮮明に語っている。市川雷蔵という役者は、今もなおスクリーンに燦然と輝く本物のスターであり、かつ雷蔵映画は文句なく面白い。37歳で急逝した雷蔵の後年の代表作としても名高い「眠狂四郎」シリーズは長谷川一夫のような、純粋の二枚目でない屈折した翳を持ち華やかに生き急いだひとりの役者の人生とも重なり、感慨深い。当時の映画界、時代劇に新人の登場が待望されながら、なかなか出て来ない。時代劇というものは約束ごとが多いので、ある程度の基礎的な訓練が必要なわけである。そういう意味で、雷蔵は歌舞伎の若手人気俳優であり、時代劇俳優としての将来が約束されていた。三十四年六月封切の「次郎長富士」(59作目)で、長谷川一夫・清水次郎長、雷蔵・吉良の仁吉の配役を、世間は当然と受けとめた。雷蔵はこの時点で、永遠の二枚目・長谷川一夫の座を奪ったのだ。四十七作目(33年8月封切)の「炎上」によって、ベニス国際映画祭の演技賞を獲得、トップスターの地位に登る。「君の演技に、今まで映画でしか接することのなかった私であるが、「炎上」の君には全く感心した。市川崑監督としても、すばらしい仕事であったが、君の主役も、リアルな意味で、他の人のこの役は考えられぬところまで行っていた。ああいう孤独感は、なかなか出せないものだが、君はあの役に、君の人生から汲み上げたあらゆるものを注ぎ込んだのであろう。私もあの原作「金閣寺」の主人公に、やはり自分の人生から汲み上げたあらゆるものを注ぎ込んだ。そういうとき、作家の仕事も、俳優の仕事も、境地において、何ら変るところがない。.....芝居の仕事、映画の仕事、特に演技者の精神世界には、独自の興奮と孤独、はげしい喜びと淋しさがつきまとう。ふつうの人の精神生活が、たとえばビルの一階と五階の間で営まれているならば、俳優のそれは、地下五階と地上十階の間で営まれている。それだけに振幅がはげしいのだが、ふつうの人でも、青春時代には、かなりはげしい振幅のある精神生活を味わうのが常である。俳優はそれを一生つづけなければならない。そこに俳優の光栄と悲惨がひそむが、同時に、いつまでも若くいられるという一得がある。雷蔵丈が、この若さを単なる武器とせずに、それを一つの地獄の運命と考え、そこに身を賭ける覚悟を固めるときに、ほんとうに偉大な俳優への道がひらけるのだと思う。」(三島由紀夫)「眠狂四郎」シリーズが十二本。「忍びの者」と「若親分」が各八本。「陸軍中野学校」が五本。やはり数の上からいっても、眠狂四郎が雷蔵の代表作というべきであろう。『眠狂四郎・シリーズ解説』封建の世に、転びバテレンと武士の娘との間に生まれ、暗い宿命を負いながら虚無と孤独の影をひいて生きる剣士・眠狂四郎の無双円月殺法と妖麗凄絶なエロティシズムが織りなす柴田錬三郎ベストセラー時代小説の映画化。主演・市川雷蔵ならではの端正な魅力が役柄にぴたりとはまり、「殺法帖」(田中徳三)「女狩り」(池広一夫)まで十二本作られ、雷蔵晩年の代表シリーズとなった。雷蔵死後は、松方弘樹主演で二本作られたが、雷蔵のもっていた時代劇スター独特の色気に欠け、前シリーズほどの新鮮味は感じられなかった。自ら市井無頼の徒と名のる虚無の剣士・狂四郎が、武家社会の醜さや町人世界のあくどさを嫌悪しながら、彼の腕や美貌を利用し、甘い汁を吸おうとする悪徳大名や商人に正義の剣をふるう時代劇絵巻。エロとグロがうずまく江戸爛熟期を背景に、狂四郎の特異の剣の冴えを大映独特の流麗なカメラワークがとらえる。男狩りに狂う大名の姫君、幕府転覆をはかる暗殺団と荒唐無稽なストーリーながら、田中徳三、三隅研次、池広一夫、安田公義と大映時代劇のベテランの演出だけに、殺陣のシーンも面白く、とくに第二作「勝負」(64)第五作「炎上剣」(65)の三隅研次の演出は映画美を十分発揮させて楽しめる。このシリーズの他に、鶴田浩二主演で撮った東宝作品(57~58)三本がある。鶴田の美しさに眠狂四郎役は申し分なかったが、マスクの甘さ、身のこなしの弱さなどで鋭さにやや欠け、しかも時代を反映してかエロティシズムがほとんど描かれず、原作の魅力を十分に活かしきったといえなかった。(西脇英夫、「キネマ旬報」日本映画作品全集昭和48年11月20日発行)『必殺!「眠狂四郎」傑作惹句集!』「眠狂四郎殺法帖(1963)」『宙に円月を描けば鮮血一条!一瞬、地上に崩れ落ちる六つの影!』 「眠狂四郎勝負」(1964)『斬るには惜しい相手だが・・・勝負は一瞬、鮮血飛んで、冷たく冴える円月殺法』『死ね!とひとこと・・・・血をふく敵に目もくれず、瞳は青く冴えている!』 「眠狂四郎円月斬り」(1964)『女も頂く、命も貰う!愛を知らず、冴えて冷酷、円月殺法』『剣豪の血を凍りつかせ、女の肌を燃え上らせる!斬って悔まず!抱いて愛さぬ非情の瞳!』 「眠狂四郎女妖剣」(1964)『惚れさすばかりで、惚れず、燃えさすばかりで、燃えず、女の肌をせめながら背後の敵を斬る!』『剣の妖気にしびれる女体!剣の殺気におびえる刺客!憎い素敵な狂四郎!』 「眠狂四郎炎情剣」(1965)『犯すもよし、斬るもよし!冷たく冴える非情の瞳、キラリと光ったその一瞬!』『おとりと知りつつ炎の肌を抱き、非情の剣は、見えざる強敵に飛ぶ!』 「眠狂四郎魔性剣」(1965)『罠と知りつつ魔性の肌を抱き、陶酔の一瞬に殺気を斬る!』『一度は捨てた魔剣だが、死にたくば斬ってやる!犯されたくば抱いてやる』『抱かんとすれば危機!斬らんとすれば罠!勝負は一瞬!魔性の剣が飛ぶ!』 「眠狂四郎多情剣」(1966)『斬れども、斬れども、果てしなし!狂四郎の行くところ邪剣の呪いと裸身の罠!』『罠と知りつゝ女体を抱き、背後に刺客の集団を斬る!冴えに冴えたり円月殺法!』『妖しく冴える円月剣に誘われて、刺客は血にぬれ、女体はあえぐ!』 「眠狂四郎無頼剣」(1966)『あいつは俺の影なのだ!流派も同じ、腕なら互角!同時にまわる円月殺法!斬れば斬られる狂四郎の危機!』『恐るべし!鏡に照らした己の如く、刺客の剣も円月殺法!斬ったのは白衣の怪剣士か!倒れたのは黒衣の狂四郎か!』 「眠狂四郎無頼控・魔性の肌」(1967)『今宵また、抱いた女体に殺気が走る!抱いて燃えず、斬って冷たし円月殺法!』 「眠狂四郎女地獄」(1968)『裸女、迫りきて闇に燃え!邪剣、襲いきて雪に舞う!憎い素敵な狂四郎!』 「眠狂四郎人肌蜘蛛」(1968)『狂四郎の生首がほしい!犯せと誘う熱い肌!生きて帰れぬ猟奇の館!地獄でみせる円月剣』 「眠狂四郎悪女狩り」(1969)『女体が襲う!くの一が迫る!柔肌地獄の狂四郎を狙う!もう一つの円月殺法!正邪二つの剣光が同時に宙に孤を描く!』『不義、私刑、同性愛・・・・情欲渦巻く“大奥に”円月殺法只今推参!』『囮よし!罠も承知!女が女を狩る情痴の大奥に、七たびきらめく円月剣!』 37年の短い生涯を駆け抜けた雷蔵。昭和四十四年七月十七日逝去。肝臓癌であった。制癌剤の劇しい副作用で頭髪が細くなって脱け、手足は針金のようになったという。また病院のテレビで、自分の出演した映画の放映を見ながら、大粒の涙を浮かべていたとも伝えられる。 『眠狂四郎』の映画を、私は12歳の時に一人で観ていました。当時、私の父は小さな駅の駅長をしており映画のタダ券がいつでも手に入ったのです。毎週日曜日はこの小さな街の映画館の暗闇に隠れるようにこっそりたくさんの邦画を観ました。この頃私の母は東京の病院で脳腫瘍の為植物人間になってしまい言葉無く亡くなっており、私はあまり喋る事をしなくなっていました。そんな私を気遣うかのように父は、私の映画館通いを黙認していたに違いありません。何の映画か覚えてませんが若い駅員さんに連れ戻された記憶もあります。小林正樹の傑作『怪談』(64文芸プロ/にんじんくらぶ)で岸恵子のおっぱいを見て吃驚もしました。(後年、吹き替えである事を知りましたが..。)武智鉄二の「黒い雪」の映画もかかっていてポスターだけ眺めて帰ってきた記憶もあります。なぜか、このポスターが良く脳裏に浮かぶことがあります。眠狂四郎は、「ころび伴天連」と呼ばれるオランダ人が自らを転ばせた大目付に復讐するため、その娘を犯して不義の異人の混血を産ませた子であるという暗い出生を持つ異相の浪人で、その設定の妙は子供ながら十分理解してましたね。正義の味方には程遠くその屈折した翳に子供ながらすっかり魅せられ、私にとって忘れられぬ役者になってしまっていました。エロとグロがうずまく江戸爛熟期を背景に、己が持つ業の深さ故に常に身を危険に晒しながら、自らが編み出した「円月殺法」という妖しい必殺剣を繰り出し、襲い来る敵をことごとく切り伏せ、時には汚れのない女性を平然と犯し、文字どおり無頼の行状を重ねていくストーリーで、息をのむ決闘シーンや諸所にちらつくエロチズムなど、ゆたかな空想力にささえられた伝奇的な作品のおもしろさは今までに無い世界でした。もちろん正義の味方には程遠いのですが私利私欲のために人を傷つける悪党とは訳が違います。狂四郎本人はどこまでも深い虚無の闇をさまよう救われない人間で、誰にも媚びずおもねらず、独り無頼の道を行くその生き様はそれとは知らぬ間に、私の自己形成に大きな影響を与えていたりする...んでしょうか?。この眠狂四郎シリーズの全編を覆うむせるようなエロチシズムは映画館という非日常的な体験の中で、私の「ヰタ・セクスアリス」として今も私の心の奥底に潜んでいるのです。「Alice in Wonderland」THE DAVE BRUBECK QUARTET今回はエヴァンスでなく、ポール・デスモンドのスウィートな演奏です。
2005年05月21日
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偏愛?!新企画!◇あんまし陽のあたんない邦画劇場◇「これがぼくの愛、これがぼくの心臓の音」 ----◇第五夜◇金子修介『1999年の夏休み』---- 『1999年の夏休み』(1988.03.26公開)監督 金子修介 製作 岡田 裕/岸 栄司 /脚本 岸田理生 /撮影 高間賢治 /美術 山口 修 音楽監督 柳田ヒロ /プロデューサー 成田尚哉/肥田尚久 編集 冨田 功 /助監督 栃原広昭 「私がまだ何も知らなかったあの年の夏休み。世界がそれまでとは全く違って見えるようになった。いや、実は私自身が卵の殻を破って変貌したのであろう。今でもハッキリと思い出す事ができる。あの年の夏休み・・・・・まるでまだ昨日のことのような気がしてならない。」映画は、このナレーションで始まります。「1999年の夏休み」は、萩尾望都の不朽の名作!『トーマの心臓』を原案とした少年たちの映画です。静かな湖があり、山と深い森に囲まれ、世間から隔絶された全寮制の学院に暮らす少女のように美しい美少年たちが愛しあい、憎みあい、傷つけあいながら生きている。和彦(15)、直人(16)、則夫(14)。夏休み、家に帰る事のできない少年たちには、1人の少年悠の「死」が重くのしかかっていた。ある日、セミ時雨の中ひとりの少年が外の世界から学院へやってくる。 少年の名は「薫」。 「悠」とウリ二つの「薫」。彼の存在に、3人の「永遠の夏休み」は微かな亀裂を生じ始めてゆく...。 少年を演じているのは少女。少女が少年を演じるという実験的手法が話題を呼んだ。ナイーブで残酷でガラス細工のように繊細な少年の姿は、美少女が演じ声も声優さんが吹き替えたことによって不思議な透明感を生み出しています。男の子とか女の子とかの性別を越えて、心と心の無垢な触れあいの真実を純粋に描いた傑作です。原作、萩尾望都の「トーマの心臓」では舞台はドイツのギムナジウム(高等中学校)という閉鎖された聖域。作品が発表されたのは1974年。冬の終りの朝ドイツのギムナジウム、シュロッターベッツの生徒トーマ・ヴェルナーが死んだ。ユーリという少年への偏愛故に、思い悩んだトーマ・ヴェルナーが自殺するシーンから物語は始まる。生前トーマの愛を拒絶したユーリは自分がトーマの自殺の原因ではないかと思いつつも動揺をみせることなく優等生を演じ続けていた。一通の手紙がユリスモール(ユーリ)の元へ届く。「これが僕の愛、これが僕の心臓の音・・・」トーマからの最後の手紙、遺書だった。そしてある日、自殺したトーマにそっくりなエーリクが、トーマが好きだと公言してはばからなかったユーリのもとに現われる。少年たちの無垢な心がすれ違い、ぶつかり合い、響きあう。揺り動かされたユーリの心が少しずつ温かく溶かされてゆきます。美しい音楽を聴くような作品です。また、ユーリの秘密、エーリクの家庭問題、オスカーとその父。少しずつ真相が解き明かされていくミステリー的要素があり、ある種の推理小説として読むこともできます。 大寶智子 深津絵里(当時は水原里絵) 中野みゆき 宮島依里 ----------------------------------------------------------------------【自作を歩く 金子修介 ~中日新聞】 萩尾さんには何度かお会いして原作(トーマの心臓)というより翻案という形で映画化することに納得してもらい、ストーリーの骨組みだけを借り、映画に登場するのは夏休み、寄宿舎に残った四人だけという実験的な作品にした。声も、オーディションで選んだ声優でアテレコした。 何処でもない場所を創作しようとして、外観はこの建物(大倉山記念館)だが、廊下は神田のYMCA、ドアを開けると横浜の別な学校、表へ出ると軽井沢だったりで、十七日しかない撮影期間は連日深夜まで続いた。 少年の言葉を喋っているが、彼らは性のない世界の住人と解釈してほしい。人を初めて好きになる時、人はそこに性を介在させない。それは夏休みのある日、一瞬の出来事だが「永遠でもある、という「詩」のような観念の具現化が、映画の目指した世界である。 この建物は、その分かりにくいかもしれない観念を、強固に支えてくれた。遠い昔に亡くなっている設計者に会ってみたい気がする。まだ、お礼を言ってないから。---------------------------------------------------------------------名サイト! ■日のあたらない邦画劇場■ 管理人様(一部上場企業女性管理職さん!)に敬意を表して◇あんまし陽のあたんない邦画劇場◇として今晩からシリーズ化していこうかなと思います。◇第一夜◇「人間って、大きいんかい、小さいんかい・・・」小栗康平『眠る男』◇第二夜◇♪愛のくらしに少し疲れた あなたとわたし SEXY♪..... 荒井晴彦『身も心も』◇第三夜◇ジンセイは傷ついたもん勝ち!富樫森の名作『非・バランス』◇第四夜◇中島丈博『おこげ(OKOGE)』7YOKO MY LOVE1999年をとうに過ぎてしまった、私たちって....何!!。(´-`).。oO EasySeek CAT-O
2004年08月31日
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■ジンセイは傷ついたもん勝ち!富樫森の名作『非・バランス』■前篇■13才の少女チアキとオカマの菊ちゃんの不思議な友情を描く温かくて切ない一夏の物語『非・バランス』(2000年 日)監督: 冨樫森 原作: 魚住直子 脚本: 風間志織 製作: 長谷川憲/ 小松茂明/ 藤峰貞利 撮影: 柴崎幸三 プロデューサー: 住吉道朗/ 佐藤央/ 木村典代/ 藤田義則 美術: 三浦伸一 衣裳: 宮本茉莉 編集: 川島章正 音楽: 川崎真弘 音楽プロデューサー:天翔陽子 出演: 派谷恵美(はたちやめぐみ)/ 小日向文世/ はたのゆう/ 柏原収史/ とまと 土屋久美子/ 水上竜士/ 梅沢昌代/ 速水典子/ 羽場裕一 原田美枝子/ 森羅万象/ 山地健仁/ 奥田綾乃/ 伊藤夕紀 ◇96年の講談社児童文学新人賞を受賞した魚住直子の同名小説の映画化で、相米慎二や井筒和幸、中原俊、平山秀幸などを支えた名助監督、冨樫森の長編デビュー作。13歳のヒロイン役には千人を超えるオーディションの中から選ばれた、現役中学生の新人、派谷恵美(はたちや・めぐみ)。第13回東京国際映画祭コンペティション参加、第23回ヨコハマ映画祭日本映画第10位及び新人監督賞、最優秀新人賞(派谷恵美)受賞、芸術文化振興基金助成作品。<魚住直子の同名小説の内容紹介>1つ、クールに生きていく2つ、友だちはつくらない学校で生きのびるためには作戦が必要だスキを見せれば“いじめ”はつけこむ。だからわたしは、(絶対孤立)。11歳のとき、ふとしたきっかけで仲間はずれになった「わたし」は、そのあとにつづくクラスメイトたちの執拗ないじめに必死でたえてきた。傷ついて砕けそうな心を「クールに生きる」作戦でなんとか支えながら、数年間をおっくていたのだが、不思議な雰囲気の若い女性、サラさんと知りあって、「わたし」の日日は微妙に変化していく。――もうここからぬけだせないのではないか。バランスのとれない危うく辛い日々をシャープな感覚で描ききった新鋭の問題作。(原作には、なんと菊ちゃんが登場しない! 原作に出てくるのはアパレル会社の女子事務員でした。菊ちゃんがオカマになったのは、映画ならではの大胆な脚色。脚本は風間志織。)小学校の時イジメにあったチアキは、中学に上がるときに、二つの誓いを立てた。「クールに生きていく、友達を作らない」というルールをメモに書いて部屋にピンで貼りつけ、頑なに守っていこうとする。学校で生き延びるためには戦略が必要とまで思いつめての決意だった。父親は単身赴任、共働きで忙しい母親は、そんなメモに気づくこともない。夜1人でレンタルビデオ屋に出かけて、ホラー映画を借りたりしているのも、多分知らない。チアキは友達に裏切られることを恐れて、孤独に生きようと決意する。友情も恋愛も下らないというのが、13歳のチアキの人生哲学。でも、それとは裏腹に彼女の心は救いを求めていた。小学生のときに、親友だと思っていたユカリからイジメを受けたことが心の傷となり、ユカリに無言電話を繰り返し掛けることを止められないでいた。そして、彼女はある雨の日、何でも願いを叶えてくれるという伝説の<ミドリノオバサン>に遭遇する!思わず駆け出して助けを求める彼女。ところがそれは、心優しきオカマ・バー「夜の花」のママ菊ちゃんだった。チアキは、この噂話にすぎない<口裂け女>まがいの<ミドリノオバサン>伝説に菊ちゃんを引きずり込み、自分の揺るぎない物語を作り上げていこうとする。おこげちゃん(おこげとは、おかまにくっついた女の子。)と寂しがりやの中年のおかまとのファンタジックな友情物語はローティーン・ムービーながら、深みと重みを増してゆく。チアキは学校でかつての自分のようにいじめられている女の子ミズエの存在に気づく。しかし、その子は授業中チアキに訴えるような目を投げかけ、ふと発作的に学校の窓から飛び降りてしまう。骨折ですんだミズエはチアキになら話をしてもいいといい、先生に命じられて病院に見舞いに出かけたチアキとミズエは、知らず知らず自分の過去を話しあうようになり2人は友達になる。一方、この病院で菊ちゃんが花束を持って見舞いにくる姿を見つけ、跡つけたチアキは菊ちゃんが借金を背負わされている男、マサヨシの存在を知る。そんな菊ちゃんに、何かしてあげられることはないかと、行動するチアキには、もはやルールなんて必要はない。借金取立て屋にメチャメチャにされた店を1人できれいにして、マサヨシを病院から強奪してまでも、菊ちゃんに会わせるチアキの一途さ。しかしマサヨシは、チアキが菊ちゃんのためにと差し出した預金通帳を、こんなんでも足しになるか、とひったくろうとするサイテーな男であった。そしてさしもの菊ちゃんも、この場面でマサヨシに決別をする。頭から引っかぶってしまった緑色のペンキに全身を染めて、泣きわめきながら街路を疾走する菊ちゃん。慌てて追いかけるチアキ。行き着いた神社の境内で体を洗う菊ちゃんの惨めたらしいこと。「あたしを1人にしないでよお!」と抱きついて泣き叫ぶ菊ちゃん。チアキはそんな菊ちゃんをしっかりと抱きしめる。そして二人は初めて出会った橋の上で夜を明かす。しらじらと朝が明けてきて、菊ちゃんの膝で眠りこけているチアキ。菊ちゃんはチアキに、あんたのおかげで何とか生きていけそうよ、といい、チアキの唇に軽く、チュッという感じでキスをする。嬉しくなるほどの名シーンです…。「ジンセイは傷ついたもん勝ち!」菊ちゃんのどこまでも前向きな生き方。苦悩を背負い込んでもなお、明るく振舞う強さ。ただの「汚いおかま」の菊ちゃん。それでも懐はどこまでも深く包容力に満ちた菊ちゃんと行動を共にし、チアキは人と関わることの楽しさを見出していく。痛みを伴いながらも胸を張って自由な連帯を組んでいく過程が丁寧で過不足無く描かれ鮮やか!昔の恋人の借金の連帯保証人になってばかりに骨までしゃぶられて借金を肩代わりせざるをえなくなった菊ちゃんは「夜の花」も人手に渡し、チアキの前から姿を消す。店のドアに打ち付けられた「売却物件」という看板が痛々しい。何もなくなったアパートに緑のレインコートがぶら下げられていた。そのポケットの手紙に「今日からあなたが緑のおばさんです。どんな願いごとでも自分の力で叶えてください。あなたならきっと出来ます。」..とあった。あえて孤独を選ぶことで、傷つかないようにするチアキと、過去の幻影にすがりつくことで現実から目をそむけ、傷つかないようにしている菊ちゃんは、 それぞれに相手の立場を通して自分を見つめなおし、積極的に生き方を変えていこうとする。菊ちゃんが置いてった緑のレインコートを身につけてたチアキ!「友達だと思ってたのに、何でいじめた、友達だと思ってたのに、友達だと思ってたのに!」と叫び続け「あやまれ、あやまれ..」そう怒鳴りながら自分をイジメたユカリを組伏せる取っ組み合いのけんかのシーンは胸にぐっと突き刺さります。人を傷つけるのが他人なら、人を癒してくれるのも他人。チアキは、人に裏切られてもなお人を信じようとする菊ちゃんから、人のぬくもりを学んだのです。ラスト、菊ちゃんたちと遊んだ浜辺で、元気に退院してきたミズエと語り合うチアキ。「緑のおばさんに会ったよ…」菊ちゃんのくれた緑のコートを着てうれしそうに、菊ちゃんのことをミズエに語り出すチアキ...。「あんた、友達作んないんじゃなかったの?」小日向文世演じるところのおかまの菊ちゃんが実に絶品で日本映画史上に残る名演を魅せてくれます。多感な少女の心の成長が見事に描かれていて、切なくて可笑しくて、やがてほんのりとした温かさが心を包んでくれる素敵なまさに名作と呼ぶに相応しい映画です。ちなみに、このDVDは廃盤で、定価の3倍から4倍で取引されております。少女たちと、おかまたちってピュアなようでピュアじゃないとこが似てますね。あは、廃盤亡者のCAT-Oさんも.....?!◇小日向 文世(こひなた ふみよ)◇日本映画を面白くする名優!ああ、菊ちゃん、最高!小日向文世、私は、芸能ニュースやテレビドラマもTV自体もほとんど見ないから、彼のこと、全然知らなかった。今までまったくノーマークだったなんて、なんという不覚。1954年1月23日生まれ。北海道出身。1977年オンシアター自由劇場に入団。1996年の解散まで数々の舞台に出演。◇派谷恵美(はたちやめぐみ)◇170センチの長身で手足の長いやせぎすのおこげちゃんを熱演!ホラーラビットのお面してる姿も可愛かったあ。生年月日 1985年8月12日 血液型 O型 出身地 千葉県 身長 170cm B/W/H 77/58/82 冨樫:「かけがえのない人と出会った少女の一瞬を撮りたいと思いました。俳優の演技を撮ろうというよりは、派谷恵美という14歳の女の子なんですが、本当の14歳の少女としての彼女の一瞬の輝きをフィルムに写そうと思いました。」◇富樫森(とがし・しん)◇「俺は鰯-IWASHI-<TVM>」(2003)「ごめん」(2002) 監督 「星に願いを。」(2002) 監督 「ザ・試着室<OV>」(2001) 監督/製作 「THE(秘)面接2<OV>」(2001) 監督/脚本 「突撃!噂のノーパン倶楽部<OV>」(2001) 監督/脚本 「非・バランス」(2000) 監督 「ポッキー坂恋物語 かわいいひと」(1998) 監督 「四姉妹物語」(1995) 助監督 「居酒屋ゆうれい」(1994) 助監督 「よい子と遊ぼう」(1994) 助監督 「卒業旅行 ニホンから来ました」(1993) 助監督 「ザ・中学教師」(1992) 助監督 「櫻の園」(1990) 助監督 「変態家族 兄貴の嫁さん」(1984) 監督助手 ――タイトルの意味は?監督:「タイトルはチアキの生き方にかかわってくるものだと思います。大人になっていくにしたがって、世間とバランスをとって、周りの言うことをきくということで、自分の心とのバランスをとりながら、バランスがとれてることがいいことだというふうに。ところがチアキもキクも世間的な常識からいったらバランスのとれてない、全く自分の考えを通そうとしている人たちですよね。そんな二人が出会うんだけど、世間的なところからは外れるんだけど、楽しく生きていけるじゃないかという意味をこめたつもりです。」―― 最後に、映画を観た方にメッセージをお願いします。冨樫:「監督である僕があとで付け加えることってあまりないと思うんですよね。もう映画って一人歩きしていて、その画面と一人一人が向き合ってなにか観てもらえれば、その中で感じてくれたものが映画の全てだと思うんです。ご覧になった方が少しでも元気になってもらえればいいという思いは持っています。」
2004年05月15日
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■ジンセイは傷ついたもん勝ち!富樫森の名作『非・バランス』■後編■監督 冨樫森 主演 竹内結子/ 吉沢悠/ 高橋和也/ 中村麻美/ 梅沢昌代/ 牧瀬里穂/ 國村隼 香港映画「星願~あなたにもういちど~」を冨樫森監督がリメイクした青春ラブ・ファンタジー映画。6―北海道・函館―。 3年前の交通事故により、失明し、声も失ってしまった青年・笙吾(吉沢 悠)。 事故直後、心を完全に閉ざしてしまった彼に立ち直るきっかけを与えたのは、担当の看護師・奏(竹内結子)だった。 彼女の献身的な看護と時に厳しいリハビリは、笙吾に再び生きる勇気を取り戻させた。 そんなふたりは時がたつにつれ、言葉を超えて心が通じ合う特別な存在になっていた。 しかし、幸せの時間はあまりにもはかなく短かった…。笙吾は車にはねられ、奏の目の前で息絶えてしまったのだ。 受け止めがたい事実に奏はただ泣き崩れる事しか出来ないでいた…。 市電の車庫で目覚める笙吾。不思議な事に体には傷一つなかった。 しかも視力が回復し、声も出せるようになっていた。実は流星のチカラによって数日間だけ笙吾は再び生命を与えられたのだ。但し、生前とは違う全く別の人間として。誰も彼が笙吾だとはわかる人間はいなかった。あの奏でさえも…。死んでしまった悲しみと、生まれ変わった喜びが入り混じり苦悩する笙吾。 奏に“ある想い”を伝えようとするが、彼女にとって今の笙吾は無神経な他人にしか見えない。 そして、その存在が人に知られる時、笙吾は永遠にこの世界から消滅してしまうのだった。 残されたわずかな時間で、果たしてふたりの心は再び通じ合うことができるのか…。 (HPより)◇「ごめん」(2002年)監督 冨樫森出演/久野雅弘、櫻谷由貴花、國村隼、河合美智子、森毅「ある日の授業中、後ろの席のキンタにいきなりカンチョーをされたセイ。その瞬間に電気が走ってオシッコをチビってしまった。でも、なんだか変。慌ててトイレに掛け込みチャックを下ろすとなんだか粘っこくてベットリしている。「オシッコとちゃうやん!」セイこと七尾聖市は、大阪郊外に住む小学校6年生。身長体重はクラスの真中ぐらい。勉強やモテ具合は親友のニャンコに全然かなわないし、剣道とケンカはキンタが一番。何をやっても普通のセイなのだが、こうして思わぬことがクラスで(多分)一番になってしまった。その日以来、セイは授業に身が入らない。物知りの友人ニャンコには「要するにセイくんは発情期に入ったんだ」と事もなげに言われてしまうし、おちんちんは気まぐれに固くなってズボンにテントを張ってしまうし、そんな自分の身体の変調に戸惑っていた。そんなある日、京都の祖父母の家に遊びに行ったセイは、お使いに行った老舗の漬物屋でナオちゃんと呼ばれる少女に出逢い、まん丸目でふっくらした頬の彼女の事が頭から離れなくなってしまう。剣道の練習で脳天を叩かれても彼女の顔が浮かぶ。「こんなん初めてや、どないしたんやろ僕。ナオちゃんに会いたい…」どこか上の空でいつもと違うセイに、「それは恋だな」と診断を下したニャンコは、彼女に会いに行く事を勧める。「女は情熱に弱いんや!」と、キンタにも激を飛ばされたセイは、1人京都に向かう事を決意した。ニャンコの教えどおりに、漬物屋のオバちゃんから「ナオちゃん」こと「瓜生直子」の居場所を聞き出したセイは、彼女の父が営む喫茶店『サガン』に向かった。しかし、意を決し店に入ったセイを待っていたのは、「らっしゃい!」の言葉とともに、早く席に着くようまくしたてるエプロン姿のナオだった。どこかイメージが違う…。飲み慣れないコーヒーは苦いし、父親は無愛想。しかも、ナオにはセイのことを覚えている気配がない。その上さらに思わぬ事実が判明する。何と彼女は中学2年生だったのだ。「中学生!」と思わず声を上げて立ち上がったセイは、みんなの注目を浴びてしまい、いたたまれなくなって黙って店を後にしたのだが…。性のめざめと年上の少女との初恋の間で、とまどい、キリキリまいする少年セイの日々を、面白くも真面目に描いた物語。果してセイの初恋の行方はいかに…。」(HPより) EasySeek CAT-O<<Yahoo!オークション 出品のお知らせ>>NHKの「日曜美術館」より、日本の代表的な美術館をご案内したビデオを出品いたしました。今回は「山梨県立美術館」「大原美術館」「北海道立近代美術館」「ひろしま美術館」「池田20世紀美術館」を出品しております。他に、北大路魯山人『陶芸の美/用の美』 ・ 『国宝信貴山縁起絵巻』/『国宝鳥獣人物戯画』 ・ 海外美術館紀行『アムステルダム国立美術館』/ 『ナショナル・ギャラリー』/ 『プラド美術館』・『マリー・ローランサン』・『名画の秘密シリーズ・パリの夜と夢』なども出品しております。合わせてご覧下さいませ。Yahoo!オークション からでなくともメッセージいただければ直接お送りすることもできます。どうぞよろしくお願いいたします。
2004年05月14日
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