ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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切迫早産:周りの反応


「原因究明」に乗り出した。
仕事を続けていたからだろうとか、無理したんだろうとか、パソコンのやりすぎとか、
身体を暖めていないのだろうとか。
世界でも恐らく最高レベルの医療水準を持つ全米屈指の病院の産科チームでさえ
原因不明だと言っていた。
そもそも、お産だってどうして始まるのかさえ、未だにすべては解明されてないのだそうだ。
そうじゃなくたって、いったいどうしてこんなことになってしまったのか、自分が悪いことをしたのか
少なからず自責の念にかられている時期。
そういうときに、無意味な周囲の原因究明はとても辛かった。

赤ちゃんが生まれたら育児でもっと大変なのだから、今のうちにノンビリしておけ、という
アドバイスも実はツラかった。こうアドバイスしてくれた人達は、何の悪気もないことは
充分承知しているし、実体験に基づいたものだということも分かっているのだけれど
あのときの私には、今の状態でさえ自分が耐えるのに必死なのに、
この先、もっと大変なことが待っているのかと思えて、プレッシャーになっていた。
実際に産んでみて、確かに育児は大変だが、それでもとにかく赤ちゃんが自分の身体を
離れてくれた、子宮が収縮をして出血するたびに、赤ちゃんはまだ生きているだろうかという
不安に怯えていた日々から解放された安堵感というのは何ものにも変えがたい、というのが実感だ。
それに育児は誰かに助けてもらえるが、赤ちゃんをお腹にとどめておくことはママにしか
できない。

出産した瞬間の喜びや、頑張れば普通のお産ができるから、という励ましも、
緊急帝王切開で全身麻酔という結果に終わってしまった私にとっては、
「自然のお産ができなかった」という劣等感を助長することになってしまった。

逆にありがたかったのは、つべこべ言わずに安静中に読むための本やビデオを
持って来てくれたり送ってくれた友人達。
それから、
「一日でも長く赤ちゃんがお腹の中にいてくれるのが一番いいけれど、
現在の医療では早く生まれてしまっても充分助かるのだから安心して。
何か私にできることがあったら何でも言ってください」
というメッセージ。

今は、どんなことでも私のことを思って言ってくれたのだと受け止めることができるのだけれど、
ああいう状況の時には受け止められない言葉があるんだということを
知ってもらえると嬉しい。

(12/27/04)

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