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<ブリュッセルを駆け抜けろ!>2024年11月6日(水)、ホテルをチェックアウトし、タクシーでバルセロナ空港に向かいました。格安航空機のせいかネットでチェックインできなかったので少し早めに空港に行って、荷物を預けてから飛行機に乗るまでかなり時間がありました。お土産を買う時間がたっぷりあったんですが、自分へのお土産は結局何も買いませんでしたね。大将は小さな陶器のコップを洗面所の歯ブラシ置き用に買ってました。バルセロナ15:20発でブリュッセルに17:30着、ここでブリュッセル18:35発の成田行きのANAに乗り換える予定でした。乗り換え時間が1時間しかないので、荷物がちゃんと積み替えてもらえるのかちょっと心配。本当はブリュッセルでベルギー人のソウルフード、ムール貝の料理を食べたかったんですが、1時間しかないんじゃ無理だねえと話していたんです。さらに飛行機の到着と整備が遅れ、出発が予定より50分遅れたんです。ANAさんは優しいからきっと待っててくれるんじゃないかと思ってました。ブリュッセルに向かう飛行機のCAはびっくりするほど全員美形でした。女性はモデルさんみたいだし、男性もグラビアの表紙になりそうなイイ男。飲み物や食べ物は全部別料金なんですが、CAさんとお話ししたいからなのか、カートが回ってきたら飛ぶように売れてました。大将がトイレに立って一人で毛布にくるまっていると、グラビア表紙のCA男性が私のところへやってきたんです。キラキラの瞳で真っ直ぐみられてドキドキしてしまいました。『飛行機の到着が遅れて、お客様の乗り換え時間が大変短くなっております。案内の者を待機させておりますので、後ほど一番前の座席にお移りください。』大将が戻ってきたので事情を説明して、荷物を下ろしグラビアCAに着いてビジネスクラスの一番前に移動しました。VIP待遇じゃないですか?!座席広いし座り心地最高。窓から月と金星が綺麗に見えていました。ブリュッセル空港について扉が開くや否や、真っ先に飛び出した私たち。待機していた大柄の女性の後について手荷物検査もすっ飛ばし、パスポートにハンコだけ押してもらって乗り換えゲートに急ぎました。ムール貝どころじゃありませんでしたが、普通は捨てなくちゃいけないペットボトルの水はそのまま持ち込めました。案内女性が無線で『現在X地点通過中。』みたいな交信をしていて、なんだかミッションインポッシブル風の気分を味わいましたよ。ゲートに着くとANAの現地スタッフの方々が総出で出迎えてくださって、大将が言うには『メイド喫茶みたい』な歓迎ぶりでした。(行ったことあるのかな?)飛行機への通路を走っている途中、後から『ミッション・コンプリート!』の声が聞こえたそうです。この短時間で荷物がちゃんと届くのかも心配でしたが、ANAさんは仕事きっちりですから。飛行機の乗り継ぎ10分は、自分史上最短です。毎度長い旅行記にお付き合い下さいましてありがとうございました。今年の試合はこれで全て終了です。(おわり)
2024/11/21
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<ロープウェイと登山電車>モンジュイックの丘を登りながら遠くにロープウェイが見えていました。帰りは絶対アレに乗るぞと硬く心に決めていたんです。やっぱり眺めは最高でした。Telefèric de Montjuïc と言うそうです。来る時もこれで登ってくればよかったんじゃないのかしら。片道一人10.5ユーロ。往復料金の方が割安みたい。途中で直角に曲がるところがあって、扉が一度開くんです。降りる人いるのかな。バルセロナの夕日。これで見納めです。降りたところに登山電車の駅がありました。フニクラ・デ・モンジュイック・(Funicular de Montjuic)です。発車寸前の電車がいたんですが、乗っていいのか自信がなくて一本見送りました。ホームが階段状になっているところに、10分くらいで次の電車がやってきました。なんか、可愛いぞ!一番前の席に座って、ワクワク。乗ってた時間は3分くらいです。動画撮ったので、こちらからぜひご覧になってみてください。途中で上り電車とすれ違うところがあるんです。左側通行なんですよ。ブラタモリでやってた京都の石清水八幡宮のケーブルカーと逆です。皆さんはすれ違う時どっちによけます?私は左かな。終点はこちら、地下鉄Paral.lel駅です。ここから地下鉄L3とL2を乗り継いでホテルに戻ります。フニクラからホテルまでの地下鉄料金は、ZONE 1の1回分だけでした。(つづく)
2024/11/19
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<モンジュイック城>モンジュイックの丘は広大で、カタルーニャ美術館以外にもミロ美術館やモンジュイック城など、様々な見どころがあります。モンセラットの黒いマリアを見るとか、『ゲーム・オブ・スローンズ』のロケ地だったジローナにも行くとか、大将は当初てんこ盛りの観光プランをぶちあげていたんです。『絶対モンジュイックの丘だけで1日終わるから。』と全部却下したのは私。実際その通りになりました。美術館からモンジュイック城(Castell de Montjuic)へは歩いて30分。長いこと美術館にいましたのですでに足は棒でしたが、日が暮れる前に城に向かうことに。城は普通、一番高いところにありますからね。やっぱりずっと登りでした。1992年のバルセロナ・オリンピックのメイン会場が途中にあったみたいなんんですが、坂を登るのに必死で気づきませんでした。遠くにサグラダ ・ファミリアが見えてます。ミロ美術館は目の前を通りましたけど、もう美術館はいいよねということで素通り。やっと着きました。真夏じゃなくてよかったです。橋を渡ったところが城の入り口です。こちらがチケット。入場料は12ユーロでした。眺めは最高です。ここからバルセロナの夜景見たら綺麗だろうなあ。城と言っても王様が住んでいたわけではなく、11世紀ごろから監視塔があったようで、要塞として築かれたのは17世紀だそうです。その後監獄として使われ、多くの政治犯たちがここで処刑されて、丘の斜面に埋葬されているとのこと。プレヤデアロにバスで向かう途中にこの丘の断崖絶壁沿いの道を通って、お墓がいっぱいあるなあと思っていたんですよ。その時はこの崖の上に城があるとは知りませんでした。現在はバルセロナ市に寄贈されて展示やコンサートなどが行われているようです。地下の怪しい空間が不思議な光を放ってましたが、これ降りたらまた登ってくるのが嫌で行きませんでした。地下牢でしょうかね。不気味です。この坂を下って出口へ向かいます。すっかりいい天気になって、昨日の大雨が嘘のような一日でした。(つづく)
2024/11/18
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<バルセロナ・メトロとモンジュイックの丘>2024年11月5日(火)、ホテルから地下鉄L1でスペイン広場に向かいました。バルセロナの街もどんどん変貌を遂げているようで、地下鉄の回数券も11年前とは変わりました。こちら家族で利用できる8回券。30日間有効でバスやトラムも兼用です。価格はゾーンによって変わり、市内のほとんどの場所はZONE1で行けます。自販機でカード払いして簡単に買えました。料金は10.7ユーロ+カード代0.5ユーロで11.2ユーロなり。バルセロナの地下鉄はL1(赤)、L2(紫)、L3(緑)、L4(オレンジ)、L5(青)があります。路線図はこちら。自動改札があって、カードをタッチすると扉が開きます。ファミリーカード利用の場合は、カード持ってる人が最後に入る方式で、人数分だけタッチして持ってない人を先に通します。前回時間がなくて行けなかったカタルーニャ美術館はモンジュイックの丘にあって、地下鉄駅のあるスペイン広場から大通りをまっすぐ、歩いて15分ほどです。丘ですから、高いところにあるんですよ。遠くにそびえているお城のような建物がそれです。大将は高いところが大好き。また試合の後に階段トレーニングかな。スペイン広場は以前も通った気がするんですが、見知らぬ建物が色々建ってました。この円形のコロッセウムのような建物は何でしょうか。スペインだけに、ひょっとして闘牛場?美術館に向かう道に沿って国際会議場や展示施設が立ち並んでいて、いろんなセミナーが開催されていました。だんだん近づいてきました。ありがたいことにエスカレーターが用意されていたんです。階段もあるにはありますが、誰もそっちに行きませんね。エスカレーター3つくらい乗り継いでやっと到着。結構高いところにあるので、いい眺めです。美術館の内容についてはまた後日ご紹介します。どうぞお楽しみに。(つづく)
2024/11/15
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<飛行機は飛んでいません>試合の翌日、2024年11月4日(月)、日本から参加の2組は早朝に帰国の途につき、私たちだけもう1日バルセロナ観光の予定でした。朝から降ったり止んだりのあいにくの雨模様です。のんびり朝食をとって荷物をまとめ、バルセロナに向かう中距離バスのバス停まで歩いて行くタイミングを見計らっていました。この時バルセロナ空港で、とんでもない事態が起こっていたんです。ホテルの玄関を出たところで、通りかかった女性にただならぬ形相で話しかけられました。早口の中国語です。何事かとあっけに取られていると、大将が『私たちは日本人です。中国人ではありません。』と助け舟。すると、スマホの翻訳機能を使って中国語を英語に翻訳して見せてくれたんです。『バルセロナ空港は洪水被害で飛行機は飛んでいません』え〜〜っ!驚いている私たちにニュース動画を見せてくれました。スーツケース持ってホテルから出てきたから空港に向かうのかと思って親切に教えてくれたんですね。多分私が中国から来た同胞だと思われたんでしょう。空港ではなくバルセロナ市街に行くと言うと、そっちの情報も聞いた方がいいと言われたので、お礼を言ってホテルに引き返しました。フロントからバス会社に電話してもらうと、一応バスは問題なく運行しているとのこと。プレヤデアロ12時35分発のバスに乗るためにかなり余裕を持って出ていたので、まだ時間はありました。ところが歩き出してすぐにゲリラ豪雨のような雨が降り出したんです。ポンチョを荷物に被せ、小さな折り畳み傘をさしてバス停まで約1キロ、石畳に引っかかりながら重いスーツケースを引いて歩きます。時々店の軒先で休憩しながら、滝行のようだなと思いました。ようやくバス停に辿り着いた時にはずぶ濡れで、しかもしばらくしたら雨が止んでしまったんですよ。大将はバルセロナはこれから晴れるみたいとスマホのお天気予測見て嬉しそう。一緒にバス待ちしていたドイツ人選手にも見せてました。そんなのあるなら、ホテル出る前にここの予測見て欲しかったですよ。鳥が笑ってるように鳴いてます。『ケケケケケケ』バスは20分くらい遅れて到着し、バルセロナに向かう途中、何度か白く霞むほどの豪雨に見舞われました。先に帰国の途についたドニーさんやTさんたちはどうしてるんだろうと気になります。2時半ごろバルセロナの市街地に入った時、すでに雨は上がっていました。ホテルについてすぐにテレビをつけて見ましたが、バルセロナ空港の話は全く出てこなくて、ずっとバンレンシア地方の洪水のニュースです。被害状況が次第に明らかになって、この時すでに死者が200名を超え、まだ行方不明者が80人以上と言われていました。慰問に訪れた国王が民衆に罵声を浴びせられ、その中にいた一人がスタジオに呼ばれて惨状を語っていました。スペイン語なので内容までは分からなかったんですが、行政の対応の遅れに怒った人々が国王夫妻に不満をぶつけるニュースは日本でも流れていたようですね。天気予報で、バルセロナのあたりに大きな雨雲が通過していった様子は見ました。大会に参加した多くの関係者が、大雨の影響を受けたと思われます。ドニーさんたちも空港で足止めされて日本への帰国が1日遅れになったとのことでした。後で知った話ですが、日本でも連休中に今治、松山のあたりで大雨が降って、新しくできた松山駅が浸水被害にあったそうですね。地球温暖化が加速していると言うことなんでしょうか。(つづく)
2024/11/13
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<最大三人まで>大会期間中3泊お世話になったホテルはラ・テラッサというホテルでした。以前泊まった民宿みたいな安いホテルも健在でしたが、壁が薄くて隣近所の部屋の声が丸聞こえだったので、今回は少しいいホテルにしたんです。街の人に道を聞いてもすぐに答えが返ってくる老舗ホテルです。リフォームしたようで部屋も廊下もペンキ塗りたて感がありました。壁掛けテレビではずっとアクアリウムの映像が流れていてぶくぶく言ってます。ペランダからの景色は大したことないんですが、暖かくて、海も近いので湿度もほどほどに高く快適です。ダブルの洗面台が嬉しかったですね。ちょっと私には高くて顔洗うのに背伸びする必要があったんですが、別々なのでびちゃびちゃにするなとか大将に言われなくてすみます。共用のスパを利用しなくても、部屋にプライベート・ジャグジーが付いていてリラックスできました。朝食会場はこんな感じです。毎朝メニューは同じで、卵料理、ハム、チーズ、パン、ソーセージはいろんな種類がありました。野菜は塩味のきついマッシュルームのみでしたね。スペイン語のにわか勉強のおかげで、コーヒーマシンのcafe con lecheがカフェオレだってことも分かってちょっと嬉しかったです。朝食会場の横にはプールがありましたが、誰も入ってませんでした。気温20度くらいだとプールは寒いでしょうね。一つだけ気になっていたのは、2機あるエレベータのうちの一つがオンボロでやっと動いてる感じだったこと。ホタン押してそっちのエレベータが来ると、ババ抜きのババ引いた時みたいにがっかりしました。中に張り紙があって、『最大三人まで』って書いてあります。動き出す時も止まる時もガタゴト音がして、動いてる間もずっとキーっていう必死な音が聞こえるんです。早いことメンテナンスして〜。滞在中、何も起こらなくてよかったです。(つづく)
2024/11/12
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<変わったこと、変わらないこと>スペインでは諸聖人の日とかいう連休中です。ホテルにチェックインした後、すぐに会場の下見に出かけました。歩いて5分ほどで、この日はアンダ-21の10ダンス世界選手権が開催されていて、競技会場は車でいっぱいです。あまり覚えてなかったんですが、建物に近づくにつれて記憶がもどってきます。この体育館は全然変わってませんでした。入り口はこちら。パンや飲み物を売る売店が出ています。中の様子を少し見てみたかったんですが、入場料20ユーロと言われて諦めました。がっつり観戦するわけではないのに二人で7000円近く払うのはもったいないですもんね。その代わり付近を少し散策して帰ることにしました。11年前にここに来た時はシーズンオフの避暑地みたいに閑散としていた街が、一変してメインストリートには人があふれていました。おしゃれな店も増えています。リゾート開発が進んだのか、新しいマンションも多く立ち並んでいました。海辺にも素敵なバーが出来ていて、まだ暖かいので泳いでいる人もいました。会場近くのスーパーで水を大量に買い込んで一度ホテルに戻り、テレビをつけるとローカルTVで試合の様子を生放送していたんです。しばらく観戦してから晩御飯を食べに外に出ました。以前入ったことがある店に行ったんですが、メニューも内装も変わっていて、若者向けの店になってましたね。とりあえずスペインのビール、サンミゲルとサラダ、スパゲティとハンバーガーを頼んで二人で一万円くらいでしょうか。高いですよね。ホテルに戻ってバーでコーヒーでも飲もうとしたら、そこで日本から参加の2組に会いました。特に示し合わせたわけではないのに、たまたま皆んな同じホテルだったんでしょうか。会場に近いので、フィンランドやドイツの選手団もこのホテルだったんです。コーヒーを飲みながらしばらくおしゃべりして、レッスンやキャンプの話などを聞きました。夜中、外から怒鳴り声が聞こえて目が覚めたんです。3時ごろでした。女性の『Stop it !』の甲高い声も何度も聞こえたので、酔っ払った観光客同士が道で喧嘩してたようです。日本なら誰かが警察呼んですぐに収まるんでしょうけど、結構長いことやってましたね。そういえば以前来た時も喧嘩の声が煩かったっけと思いながら、疲れていたのでいつの間にか寝てしまいました。(つづく)
2024/11/06
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<バルセロナ空港から中長距離バスに乗る方法>2024年11月1日、ホテルのシャトルバスで再びバルセロナ空港に送ってもらいました。ターミナル1に中長距離バスの発着場があって、ここからプラヤデアロに行けます。日本から参加の他の2組はすでに現地入りしていて、ダンス競技会に先駆けて開催されていたキャンプやレッスンに参加されていました。彼らは大会側が用意してくれるバスを予約してホテルまで送ってもらったらしく、確実で安心ですが一人50ユーロと割高です。自分たちでバスを予約して行くと、一人20ユーロと安いんですがその分いろいろ手間がかかりました。11年前も乗るバスを見つけるのが大変だったんです。今回もそうでした。目的のバスが何番停留所に来るのか分からない上に、時間ギリギリかもしくはそれ以降にしかやって来ないみたいなんです。いろんな人に聞きまくってようやく分かったのは、中長距離バスが止まるのは7番以降の停留所ということ。停留所番号は決まっていなくて空いているところにバスが停まるので、バスの横腹に書いてある会社の名前で自分の乗るべきバスを判断して、目的地に行くかを運転手に聞くという方法、これが一番確実のようでした。予約したプラヤデアロ行きはモベンティスサルファバス(Moventis Sarfa)で、他の会社の運転手さんに聞いても冷たく『ここじゃない、あっちの方だろ。』みたいな反応です。私たちは予定時刻の1時間前からここで右往左往して待っていたんですが、来たのは15分遅れくらいだったでしょうか。荷物は自分でバスの横から詰め込んで、指定席に座ります。バスはバルセロナ市街を抜けて出発しました。高速道路をぶっとばして、アウトレットやいくつかの街で停まり、北へ向かいます。なぜかマイケル・ジャクソンやマドンナなどの80年代ヒット曲がかかっていて、個人的には楽しかったですね。窓から見上げると太陽の周りに彩雲が虹色に輝いていて、湿度が高い様子でした。郊外に行くと信号がなくて、すべての交差点はラウンドアバウトになっています。大きなバスが小さな丸を描くと結構車体が傾くのでその度にひやりとしました。2時半ごろ、約2時間で目的地プレアデアロに到着。ここで一つ問題が起きました。頼りにしていたWiFiが使えなくて、ホテルの行き方がわからなかったんです。ものすごくいい加減ですが『たぶんこっち』と思われる繁華街の方へ向かって歩いて行きました。身軽ならいいんですが、でっかいスーツケース引っ張って石畳をゴロゴロですから大変なんです。ようやく街の入り口にたどり着いたところで、大将が『東だと思う』とか言って海の方に行こうとしたので、ちょっと待てと引き止めて目の前の洋品店でホテルの場所を聞きました。バス停から1キロくらいは歩きましたね。こういった面倒を考えたら50ユーロでもホテル直通バスの方が良かったんじゃないかと思いましたが、そんなこと言うと頑張って予約してくれた大将がかわいそうですからね。それにこういった試行錯誤が旅の醍醐味なんですよ。もうないと思うけど、もしまたこの場所で試合があったら今度こそすんなり行けると思います。(つづく)
2024/11/05
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<スペイン大洪水>オレンジの生産で有名なスペインのバレンシア州で、記録的な豪雨による洪水が発生したというニュースが飛び込んできました。スペインのニュースが日本で流れるのは稀なのでよほどのことに違いないと思っていたんですが、8時間で1年分の雨を記録して、あと2日は降り続く恐れがるとのこと。私たちが行くのはもう少し北のバルセロナ近郊でしたので直接影響はありませんでしたが、比較的近いので心配ではありました。2024年10月31日(木)、朝6時半後過ぎに家を出て電車とバスを乗り継ぎ成田空港へ向かいました。空港バスが1日に6便で、次のバスだとギリギリすぎるので朝早く出発。最終目的地はWDSFシニアIII世界選手権ラテンが開催されるスペイン北部のプレヤデアロです。ここはバルセロナの北にある地中海沿岸のリゾート地で、11年前に一度試合で行ったことがありました。まだ円安傾向は続いていて1ユーロ169円です。7月よりは少しマシでしょうか。出発前に、空港内の『だし茶漬け えん』で最後の日本食を頂きました。京都生まれの大将は『ぶぶ漬け』に『早よ帰れ』のイメージを持っているせいか、あまり乗り気じゃなかったようですが、食べてみたら美味しかったみたいでご機嫌です。出汁という日本の食文化は本当に素晴らしいですね。心に沁みました。成田12:10発のスイス航空でチューリッヒまで、北極圏を経由して約14時間。狭い席に長時間じっと座っているのは結構きついので、行けるのは体力があるうちだなといつも思います。スイス航空は今回初めて利用したんですが、食事がおいしいと評判でしたので期待してました。この写真は航空会社のイメージ画像ですが、実際ボリュームもあって美味しかったです。最初の食事は山菜そばとチキンカツご飯、パン、チーズ、サラダ、デザートといったラインナップでした。大将は食後に配られたチョコがおいしかったと言っていましたが、私はチョコが苦手で食べてないので分かりません。チーズは本場っぽくて美味しかったです。寝て起きて、時々配られる水を飲んだりアイスを食べたりしながら映画を4本見て、同日の夕方18:30ごろチューリッヒに到着しました。時差は8時間です。日本時間では夜中の2時半。乗り換えのためのターミナル移動はスカイメトロという電車に乗ります。乗り継ぎの飛行機に乗るまで3時間ほど空港でぶらぶらして、チューリッヒ空港を夜の9時過ぎに出発。満席で手荷物を収納するスペースが足りなくなるほどでしたが、飛行機の中がすごく寒くてダウンが必要でした。格安便なので軽食や飲み物は有料です。バルセロナ空港に到着したのは夜11時ごろでした。この時間にはプラヤデアロ行きのバスはないのでここで1泊です。ホテルのシャトルバスに乗って、INNSiDE by Meliá Barcelona Aeropuertoというホテルへ。すでに家を出てから25時間、時差ぼけの頭でホテルのシャトルバス乗り場が見つけられるだろうかと心配してました。前回はついに見つけられずにタクシーで行きましたからね。今回は送迎バスがたくさん停まっている場所が空港の渡り廊下から偶然目にとまりました。部屋にバスタブがあったのでゆっくり浸かって、ようやく平らなベッドに脚を伸ばして横になったのは明け方の3時ごろです。ここ数日、旅の準備やらで連日4時間睡眠だったので、もう何時でもどこでも寝られる状態でした。(つづく)
2024/11/04
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<歴史的な一日だったのか>2024年9月30日(月)、愛媛県松山市はこの日も暑くなりそうでした。朝一番に温泉に浸かり、バルコニーに出ました。松山城が山の天辺によく見えてます。7時半に朝食会場へ向かいました。みかんジュースはすっきり甘くて、ビタミンが体に浸透していく感じです。宝石箱のようなフルーツ盛り合わせ。私は洋食、大将は和食の朝ごはんです。ゴージャスなお部屋と美味しい食事の思い出と共に、9時にはチェックアウトして空港に向かいました。松山市内の通り沿いに、お祭りみたいな飾り付けが目についたんです。そういえば昨日の夕方、バルコニーから何か下で人が集まって大声出してるなあと思って眺めたんですよ。秋の坊っちゃん屋台祭りだったみたいです。部屋でスマホいじってないで出かければ良かったかも。今朝のテレビでもう一つ衝撃的なニュースがありました。松山駅、昨日リニューアルオープン! 歴史的イベント、見に行けば良かったなあ〜! すぐそばに泊まってたのに。空港に向かう途中に松山駅前通ったんですが、時間がないので寄れませんでした。次回に期待と言っても、もう次はいつ来るかわかりませんからね。逃した魚は大きかったです。さて、毎度ながらダラダラ書いてる旅行記にお付き合い下さりありがとうございました。明日からスポーツの日を含む3連休ですね。朝夕の寒暖差が激しいので、どうぞお身体に気をつけて楽しい休日を過ごされますように。(おわり)
2024/10/11
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<新婚さん、いらっしゃい>中学・高校とクラスの見学旅行委員だった私は、旅行の計画を練るのが結構好きです。最近知ったんですが、大将も見学旅行委員をやっていたことがあったそうなんですね。うちの旅行計画のほとんどは大将が担当で、宿や飛行機の手配などもしてくれています。四国巡礼2泊目の9月29日(日)は、『すごいところだからビックリするよ。』と聞いていましたが、まさかここまでとは思っていませんでした。ふなやと言う道後の老舗旅館で、夏目漱石や渋沢栄一などいろんな有名人が宿泊したことがあるところです。ホテルの係の方が部屋まで案内してくださったんですが、やけに入り口から遠いんですよ。しかも最上階。無駄に豪華なスイートルームじゃないの?これって、新婚さんが一生に一度大枚叩いて泊まったりするところだよね。スロバキアの風呂もシャンデリアだった部屋を思い出しましたよ。新築マンションのモデルルームみたいです。バルコニーから松山城が見えました。檜風呂は温泉が出るそうです。折角ですから入らせてもらいますよ。共同の素晴らしい温泉もあるんですけどね。大将が言うには、普通のホテルと同じくらいでそんなに高くないそうですが、一桁数字を見間違えたんじゃないかとちょっと腰が引けました。アメニティもブランドものみたい。旅の経費は割り勘なので、ぶっ飛んだ値段を請求されたらこっちもとばっちりですからね。この食器って、飾りなの?まさかこれで夜食ラーメン食べませんよね。ただ一つこの部屋の難点をあげるとすれば、それはドア入ってすぐ階段があることです。お年寄りとか湯治に来てる方は、この部屋には泊まらないでしょうね。露天風呂や食堂まで遠いし、ここ以外にも階段いくつも通りますから。折角豪華な部屋なので、夜パーっと外に飲みに行くこともなく、部屋で二人、無言でスマホいじってました。優雅な時間の過ごし方としてどうなのって感じですけどね。(つづく)
2024/10/08
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<今治城>しまなみ街道の旅で今治に来たときは夜だったので、今治城のライトアップは見られましたが中には入れませんでした。この城を築いた藤堂高虎(とうどう たかとら)は築城三名人の一人で、今治城は彼の最高傑作となる日本屈指の海城です。この城のことも主人のことも全然知らなかったので、入ってみることにしました。築城名人のあとの二人は、黒田孝高と加藤清正だそうです。藤堂高虎は滋賀県生まれの戦国武将です。大河ドラマが作れるんじゃないかと言うくらい、知れば知るほど面白い人物です。当時には珍しい身長188センチの大男で、7回も主君を変えた転職名人でもありました。羽柴家がお家断絶するまで長く仕え、秀吉の存命中は豊臣家臣でしたが、没後は元々親交のあった家康側について関ヶ原で功をあげ、家康の重臣となります。層塔式天守を考案し、石垣上に多聞櫓を巡らす築城技術は後の城造りの手本となりました。『藤堂高虎、出世の白餅』という話が講談になっている餅好きで、旗印も『三つ丸餅』。千利休などに学ぶ文化人でもあり、遠山の金さん顔負けの名裁きなど逸話は盛りだくさんです。城の内部の各階には武具などが展示されていて、日本刀の重さを実感できる展示もありました。日本刀、ものすごく重くて、振り回したらこっちが振り回されそうです。脇差ならまだなんとかいけそう。城内には冷房はなく、30度越えの暑さのなか汗だくになって最上階の天守にたどり着くと、爽やかな風が吹き渡っていました。石垣はほとんど近隣の島から運ばれた花崗岩です。堀を渡った橋の先に一際目立つデカい石があって、これは勘兵衛石(かんべえいし)と呼ばれるそうです。藤堂高虎の重臣だった渡辺勘兵衛が石垣造りの現場監督を任されていて、『運んできた石は米と交換する』と言うおふれを出したとのこと。石垣に必要な石は何万個もありますから、みんなに米を渡していたら米倉は空になってしまいます。そこで勘兵衛は知恵を絞り、ある時期から『もう石は間に合ってるから、その辺に捨て置くか持って帰ってくれ。』と言ったそうです。重い石をまた持って帰るのはバカバカしいですから、みんな捨てて行ったんですね。立派な石がたくさんタダで集まりました。勘兵衛さん、うまいことやりましたね。トイレの壁も石垣です。入場券を買うと、天守閣、御金櫓、山里櫓、鉄御門、武具櫓が全部見られます。折角なので山里櫓に入ってみました。天守閣などの再建事業には5億円以上の多額の経費を要し、企業や個人からの資金協力が多く集まったようです。この山里櫓は平成2年、市制70周年記念事業として私財1億5千万を寄贈された河野勝一氏が、展示されている貴重な品々も含めて提供してくださったとのこと。武具だけでなく調度品や古美術品など、とんでもなく価値の高そうなものばかりでした。寄付された方の紹介が櫓内に掲示されていたんですが、お仕事は議員さんとか。受付の方に『何で財を成した方なんですか?先祖代々の資産家?』と聞いてみたんですが詳しくは知らないとおっしゃってました。鉄御門、武具櫓も見ました。復元作業の様子などの説明用ビデオがリピートで流れていて、改めて設計した藤堂景虎の凄さと再建の大変さを知りました。展示内容がバラエティに富んでいて見応え満点で面白かったです。希望すればボランティアの方が無料で場内を案内してくれるようです。藤堂高虎、大河になればいいのになあ。(すっかり知り合いになった気分)(つづく)
2024/10/04
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<四国の道>今治の中心街に近いここまでのお寺は道も広くて楽でした。次の第58番札所 仙遊寺は対向車が来ないかとドキドキするような細い山道を登る標高300mの高台にあります。これぞまさしく四国の道。彼岸花はお彼岸に咲くものと思っていましたが、気候変動で10日ほど夏が延びたんでしょうか。道沿いに列をなして咲き誇っておりました。2024年9月29日(日)、この日も気温は30度を超えています。登り切ったところにある駐車場の料金は400円とこれまでで一番高かったです。でも、ここは歩いて登るのは相当大変だと思いますね。歩いてる方もいらっしゃいましたが…。境内からは今治の市街地が一望できて最高の眺めでした。たどり着いたお遍路さんたちのための宿坊はとても立派な建物で、宿泊客を天然温泉と精進料理でもてなしてくれるとのこと。ここまで歩いて来て、また降りる大変さを考えたら、泊まろうかなと思いたくなりますよ。創建は600年代で阿坊仙人という僧が長年住み着いておられたそうですが、弘法大師が来られた800年代にはかなり荒れ果てていて、七堂伽藍を修復したり井戸を掘ったりされたそうです。登ってくるのが大変ですから誰も来なくなってしまうのも納得できます。江戸時代に荒廃していた寺を明治になって再興されたようです。国分寺は、741年に聖武天皇が仏教による国家鎮護のために日本各国に建立を命じた寺院です。第59番札所 国分寺は伊予の国の国分寺でした。国分寺の多くは国府があったところに置かれて、今で言うところの県庁ビルみたいな大きな建築物。当然人々にとってアクセスのいい街中にあるので、四国の細道・山道とはおさらばです。弘法大師が来られたのは第3世住職のときだそうです。長く滞在して五大尊明王の画像一幅を奉納されました。弘法大師って、本当に万能な方だったんですね。政治の中心にあることで、これまで何度も戦火に見舞われ、江戸時代には茅葺の小堂だけになってしまっていたそうですが、今では立派に復興されています。さて、今回の四国巡礼ミッションはこれで終了。まだ時間も早かったのでもう一つ行こうかとナビで検索したところ、次は結構遠かったんです。ここの納経所の玄関マット、おしゃれ。すでに2時を回っていて少しお腹も減ってきたので、道の案内板に『はーばりー』と書かれてあった建物に行ってみることにしました。かっこいい大型船の形です。ここ何だろうねと言いつつ車を止めて中に入ってみると、まだ新しいようでトイレも綺麗。小洒落たレストランを期待していたんですが、それはありませんでした。フェリーの待合所みたいで、皆さん海を見渡せるカウンターバーで自販機の飲み物片手にスマホやらノートパソコンやらをいじってます。20分以内なら駐車場代無料と書いてあったので、私たちはさっさとそこを出てコンビニで菓子パンとアーモンドミルクを買って、おやつのようなお昼を食べました。(つづく)
2024/10/03
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<勝ち守り買いました>第55番札所 南光坊は、今治市の中心街にある大きなお寺でした。大三島の伊予一宮大山祇神社の属坊だそうで、四国霊場のうち『坊』がつく寺院はここだけとのこと。坊というのは本店に対する支店みたいなイメージでしょうか。そこの主人が『坊主』と呼ばれ始めて、その言い方が広まったそうです。一宮(いちのみや)とは、国の中で最も格式の高い神社のことで、伊予一宮は伊予の国で一番という意味だそうです。推古天皇(594)の勅により瀬戸内海に浮かぶ大三島に造立された大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、全国にある大山積神を祭る神社の総本社。山の神・海の神・戦いの神として尊崇を集めています。昔は寺も神社も一緒だったんですね。弘法大師がここを札所と定めました。しまなみ街道の旅で大山祇神社に行った時には買えなかった『勝ち守り』を大将がここで買ってました。勝利をおさめた武将たちは鎧やら兜やらを奉納されているようですので、念願成就の暁にはダンスシューズでも奉納させていただくんでしょうか。(前はドレスとか言ってたっけ…)第56番札所 泰山寺は立派な石垣の白塀に囲まれ、収穫の秋を迎えた田畑を見守るように建っていました。近くを流れる蒼社川が毎年梅雨の季節になると氾濫して、村人たちは悪霊のしわざと恐れていたそうです。弘法大師は村人たちと堤防を築いて、地蔵菩薩を彫造し堂舎を建てて泰山寺と名づけ、悪霊退散に一役かったというわけです。本当に弘法大師って優秀だったんですね。堤防の作り方なんて、どこで学んだんでしょう。第57番札所 栄福寺は、瀬戸内海の海難事故をなくすために嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が海神供養を修したお寺だそうです。これまでのどのお寺より混んでいて、御朱印をいただく納経所でも並びました。お遍路ツアーの白い装束の方々がマイクロバスでやって来て、お坊さんと一緒に本堂に向かって読経しておられます。大将がトイレに行っている間、私もうろ覚えの般若心経などをところどころ唱え、お遍路気分をちょこっと味わせていただきました。駐車場からまっすぐの道の先には長い階段が山の上の方に向かっていて、石清水八幡宮があります。台風の影響なのか階段は通行止めになっていて、大将が『登ろう』と言わなくて助かりました。平安時代から明治新政府の神仏分離令までは、神仏一体として崇められていたようです。(つづく)
2024/10/02
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<値上げしました>9月29日(日)、四国はまだ夏でした。関東はそろそろ秋の気配でしたが、こちらではエアコンないと夜は蒸し暑くて寝られない感じです。部屋の窓から見える来島海峡大橋。ライトアップが美しいと聞いていたんですが、9月22日で終了とのこと。ちょっと遅かったですね。宿泊しているのは、しまなみ街道を自転車で旅する人が多いようでした。『自転車の人って、英語でなんていうんだっけ?バイソコラー?』いやそんな単語は聞いたことないですね。バイカーは言うけど、それってオートバイの人だもんね。街の看板に書いてありました。サイクリストというそうです。こちら美味しい朝ごはんのオカズ。大潮荘は海を見下ろす岬の先端に建っていて、正面玄関が3階、宿泊する部屋は1階と2階、駐車場が地下と言っても少し丘を下った外にあります。車を停めに行くのにかなり坂を下ったので、歩いて戻ってくるのはきついなと思ったら、駐車場から入り口までは専用のエレベータがあってホッとしました。温泉ではないんですが部屋に新しくて広いお風呂がついていて、洗い場が別になっているし水量も豊富です。窓から見える瀬戸内海の風景は素晴らしく、部屋も清潔で快適でした。今治は造船所や石油精製工場、タオル工場など有名な産業がいろいろあって、海外から働きに来られている方も多いようでした。大潮荘で中居さんとして仕事されてる女性もいて日本語上手です。近所のコンビニで来る途中にお水を買おうとしたら、東南アジア系の青年たちがみんな大将に向かって『こんばんは』と挨拶するんですよ。上司の誰かに似てたのかな?私には『この女の人、誰』みたいな視線でしたね。上司の浮気相手と思われたかな?さて今治へはグルメ旅で来たわけではなく、四国八十八ヶ所巡りの続きがメイン行事です。去年は53番まで行きましたので、今年はその続きから6つ回る予定。最初のお寺は第54番札所 延命寺です。お参りしてから御朱印帳に記帳してもらおうとしたら、小さな箱が置いてあって駐車場代1台百円とあります。千円出してお釣りもらって、そこから百円払おうと思っていたら、『はい、ちょうど頂きます。』と、穏やかに千円とられてお釣りが来なかったんです。あれ?300円でしたよね。二人分で600円では…?なんと今年の4月から値上げしてました。300円から500円へ。今回6つお寺巡って3600円のはずが、6000円ですよ。爆上がりじゃないですか。墨代が値上がりしてなんてあまり考えられないので、人件費でしょうか。うまい棒も10円→12円→15円と値上がりして驚きましたけど、インフレの波が四国八十八ヶ所にも影響しているんですね。(つづく)
2024/10/01
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<港と路面電車と地ビール>美術館から長崎港の方へ歩いていくと、出島ワーフがあります。港のおしゃれなフードセンターです。すぐそばに観光丸が停泊していました。1855年にオランダ国王から13代将軍徳川家定に贈呈された日本初の木造蒸気船です。幕府の長崎海軍伝習所で勝海舟たちが練習船として使い、坂本龍馬も乗船したことがあるそうです。ここにあるのは復元した船で、長崎港を巡る観光に使われているようですが、元は軍艦で『観光』も楽しい旅行という意味ではなく『観国之光(国の光を観る)』という中国の言葉から命名したとのこと。長崎は2日前に台風に直撃されたとは思えないいい天気で、船に乗るのも気持ちよさそうでしたがあらかじめ予約が必要みたいです。ところで長崎市内には赤・黄・青・緑の4系統の路面電車が走っていました。ブダペストの地下鉄と同じだなあと思ってちょっとワクワク。乗る機会はなかったんですが、つい電車を見ると写真撮りたくなるんですよね。こんな可愛い路面電車、長崎の急な坂も登れるのかしら。車両デザインにご興味ある方はこちらをご覧ください。暑いので少し早めにレンタカーを返して空港でゆっくりご飯を食べました。最後にダメオシのちゃんぽん。今回食べ損なっていた大好きな角煮マンもオーダー。そして長崎の地ビール。『魚に合うビールを作りたい』と壱岐島に作られた ISLAND BREWERY。魚じゃなくても、角煮マンにも合う爽やかなビールでした。皆さんもよかったらお試しください。毎度ながら、長い旅行記に最後までお付き合い頂きありがとうございました。(おわり)美味しい地ビール!いま、ください
2024/09/13
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<出島>大航海時代、ポルトガルは海外貿易によって国力を増し、日本にもやってきて鉄砲やキリスト教など様々なヨーロッパ文化をもたらしました。ポルトガル商船には必ず宣教師も乗って来て、キリスト教の布教活動を行ったんです。時代が江戸に変わって、幕府はポルトガル人を危険なカルト教団だと思ったんでしょうね。1634年に長崎の岬に扇形に突き出す人工島を作らせ、2年後に完成すると、ポルトガル商人全員の住居をその出島に移させました。お金を出したのは幕府ではなく、出島町人と呼ばれた長崎の豪商25人です。日本初の人工島、今は埋立地の中に埋没した形になっていますが、当時の建物などが復元されて観光スポットになっていました。この橋を渡ると、入場券売り場と入り口があります。ヨーロッパの勢力図が書き換えられてオランダが国力を増すと、対ポルトガル貿易が終わり、オランダ東インド会社を通して対オランダ貿易が行われるようになりました。島原の乱が起こり、幕府としてはキリスト教がらみのポルトガル人を早く追い払いたかったのかもしれません。オランダ人は商売がメインで宣教師は連れてこなかったんでしょうかね。ポルトガル人は国外追放となり、出島にはオランダ人が住むようになります。日本が開国するまで200年以上に渡って、西欧に開かれた窓はここだけになりました。シーボルトがやって来たのは1823年、開国の36年前です。優秀な医者だったので特別に出島から出ることを許されて、丘の上に家も建てました。太秦映画村やワープステーション江戸のように撮影のセットとして見栄えよく作られたのではなく、素材にまでとことんこだわって復元されています。出島で一番偉いオランダ人はカピタン(多分キャプテンのオランダ語)で、シーボルトはその役職の人の下で働く担当医として派遣されていたわけですが、カピタンの家が超豪華なんですよ。大使館みたいなものだったんでしょう。日本側の監視役として乙名(おとな)と言う役職があって、その詰所もありました。一番多いのは輸出入品を収蔵する蔵ですね。建物についてご興味ある方はこちらをご覧ください。細部に渡って詳しい説明ボタンがそこかしこに用意されていて、全部聞いていたらかなり時間かかると思います。缶に入ったラスク(一番上の写真)をお土産に買ってきました。カステラを薄く切ってラスクにしてあるお菓子、美味しかったです。楽天でも売ってました。
2024/09/11
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<ナビさんは名ガイド>試合会場からシーボルト記念館に向かう途中、曲がるところを間違えて大通りから外れました。ナビさんが案内する通りにそのまま細い道を行くと、白壁の大きな建物に出会したんです。長崎歴史文化博物館でした。シーボルト記念館から少し戻ればそこだったので、夜7時まで開いてるみたいだし行ってみようということになります。ところが、また曲がるところを一つ間違えて、なんとなく遠回り。信号待ちしていたら、長崎で有名な『長崎クンチ』風の行列に遭遇したんです。最初は笛や太鼓で、『祭りかね~。』なんていってたら...。その後から龍が!調べてみたら本番『長崎クンチ』は10月みたいで、この日の行列は別のイベントだった様子。まわり道して、なんかいいもの見ちゃったね!さて、ようやくたどり着いた長崎歴史文化博物館。ジミー大西さんの企画展やってました。この日が最終日で、ご本人が入り口で来場者と一緒に写真撮ったりしてましたよ。お昼抜きでお腹が空いていたので、まず博物館のカフェでご飯を食べようということに。ところがランチタイムは終わっていて、ディナーは5時半からと言われ、カステラで空腹を癒します。お店はアンティークな雰囲気で素敵な空間でした。長崎はミルクセーキが有名なんでしょうか。どこのカフェにもメニューにありました。長崎歴史文化博物館は長崎奉行所があった場所に建てられていて、毎月第1・3月曜日が休館日なので日曜日の試合の後に来られてラッキーでした。奉行所が復元されていて、取り調べを行ったお白洲とか、裁きの様子なんかが見られます。遠山の金さんのお父さんは長崎奉行だったんですね。何より印象深かったのは、お奉行さまの年収が現在の金額で8000万円ということでした。江戸時代から近代にかけての海外交流に関する豊富な資料が展示された博物館です。詳しく書くと長くなりそうですので、ご興味ある方はこちらのサイトをご覧ください。さてホテルに帰ろうとして、また曲がるところを一つ間違えて、とんでもない山越えの道に入ってしまったんです。台風10号と一緒で迷走気味な私たち。こんな坂道登ったり降りたり、どこまで行くんだろうと思いましたね。このおかげで丘の斜面に並ぶ家並みや、長崎特有の景色に出会うことができました。大木が車線を仕切っている道路とか。ナビさんは優秀なので、どんなに間違えても大回りしても目的地に誘導してくれます。ナビさんの言う通りに来て、知らなきゃ見られないイベントや景色を堪能できました。Good job!!
2024/09/05
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<シーボルト記念館は車で入れない>シーボルトはオランダ人だとばっかり思っていました。オランダ遠征時にライデンにあるシーボルト邸に行ったことがあって、月曜日休館でショック受けたんですが、ドイツ人だったんですね。こちらがシーボルト邸(鳴滝塾)の跡地とその隣に建てられた記念館です。駐車場からびっくりするくらい細い道を上ってきました。シーボルトが長崎にやってきたのは1823年です。ドイツの町医者に飽き足らず、東洋に多くの植民地を持っていたオランダに行って、オランダ領東インド陸軍病院の外科少佐となり、現在のインドネシアに派遣されて、そこから日本へやってきます。日本は当時鎖国してましたから、唯一外に向かって窓の開いていた長崎出島のオランダ商館医になりました。来日した翌年には鳴滝塾を開設して、西洋医学(蘭学)を日本の医者たちに教えます。1826年にはオランダ商館長に随行して江戸に赴き、将軍徳川家斉に謁見しました。西洋医学の知識を与えるだけでなく、日本の植生や地理、鳥や動物たちにも興味を持って、お抱えの絵師に色々描かせているんです。出島に植物園まで作って、数千種の押し花標本も作りました。医師、植物学者となっていますが、実際にはもっと多くのこと、地理や動物や風俗にも興味を持って研究し、日本に関する本も出版しています。どうも東洋研究と銘打って日本のあらゆる情報を収集し、それをオランダに送っていたようです。産業スパイ的な仕事も副業として、もしくは本業で行っていたのかも。日本女性の楠本滝との間に娘イネが1827年に生まれました。シーボルト肖像画(お抱えの絵師:川原慶賀筆)1828年に帰国する際、運悪く船が座礁して、積荷の中に国外持ち出し禁止の日本地図があったことからシーボルト事件が発生します。伊能忠敬の地図作りに幕府との橋渡し役として活躍した高橋景保が、日本地図の写しをシーボルトが持っていた世界地図と交換したようなんですね。シーボルトは日本に帰化したいと申し出ますが国外追放となり、高橋景保は獄死。シーボルトに教えを受けた多くの蘭学者がとばっちりを受けたようで、この時船を座礁させた台風は、シーボルト台風と呼ばれているそうです。シーボルトの娘、楠本イネオランダに帰国したシーボルトは、日本研究で有名になって勲章をもらったりドイツ人貴族の妻を娶ったりします。日本に残してきた娘のイネさんは、日本初の女性産科医になられたそうです。事件から30年後、開国した日本に長男アレクサンダーを連れて再びやってきて、日本と諸外国の橋渡し的な役割を果たしたとされています。日本で採った紫陽花には『お滝さん』の名前から『オタクサ』と学名をつけました。
2024/09/04
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<長崎は坂が多かった>長崎に来るのは三度目でした。一度目は九州グランプリのついでにハウステンボス、二度目は都道府県別対抗戦で取り急ぎタクシーで観光。三度目の今回は、試合終わってすぐに帰らずに幾つか観光名所にもゆっくり行ってみたいと思っていました。出発前日まで九州で迷走していた台風の影響で、直前の福岡行きの飛行機が欠航。ヒヤっとしましたが長崎行きは飛んでくれました。富士山が見えるサイドに座席取ったんですが、窓の外は雲で真っ白。配られたコーヒーをちびちび飲みながら、支給されたイヤフォンでヒーリングミュージックなんかをずっと聴いていました。飛行機の出発が1時間くらい遅れて、到着したのは夕方6時頃です。長崎空港はいい天気で、早速レンタカーで市内に向かいました。ところが乗り慣れないマツダの車、高速道路に乗ってすぐのパーキングに入ってマニュアル見るはめに。トンネルに入った時ライトがついてるのか分からなかったんです。1時間くらいかかって、ようやくホテルに着いた時には暗くなってました。試合前日なので居酒屋でパーっと飲むのもちょっとどうかと思い、近所の町中華でラーメン食べました。たかな大好きなんで、食べ放題なんて夢のよう。長崎大学が近いので学生さんも漫画読みながら食事されるんでしょうかね。手垢のいっぱい着いたワンピース全巻も置いてありました。泊まったのはホテルコンチェルト長崎というところで、ちゃんとした洗い場もある風呂場が部屋に付いていて気に入りました。なんと浴室テレビも、ジャグジーもあります。長風呂になりそう。洗面所にあったジェルを浴槽に入れてジャグジー稼働したらモッコモコに泡が膨れて、風呂中泡だらけになってしまったんです。雲の上からぽっかり顔だけ出してる私を見て、大将が『面白いから写真とる』とか言い出したのを必死で止めたんですよ。湯沸かしポットや冷蔵庫、小さな台所や電子レンジまであって、とっても便利でした。長崎って坂だらけなんです。ホテルも急な坂の上にあって、ちょっと歩いて下のコンビニとか、町中華に行くのにも坂の上り下りが大変。長崎にお住まいの方々は、心肺機能も足腰も丈夫なんでしょうね。そういえば自転車は全然見かけませんでした。さすがにキツすぎるのかな。
2024/09/02
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<ぼったくりタクシーの検証>2024年7月29日夕方、ブダペストから再びウィーンへ戻ります。24時間の地下鉄乗り放題券を使えば、タダで緑の地下鉄の終点ケレンフェルド駅まで行けたんですが、ぼったくりかどうかを確かめるため、というよりむしろ荷物が多くて地下鉄に乗りたくないという理由でホテルにタクシーを呼んでもらいました。やって来たのは行きと同じタクシー会社で、ドライバーさんの風貌も似てました。映画『ダイ・ハード』のブルース・ウィルスを少し悪役顔にしたような感じです。窓に基本料金1000、追加料金400と書いてある黄色いタクシー。ホテルで呼んでもらったタクシーだから、今度は正規料金で行ってくれるんじゃないかと期待してました。駅に着くとブルースさん『7800フォリント』と言います。カードで払おうとすると、『カードの機械がうまくつながらないだよ。』と言って、とりあえず頑張ってみる姿勢であっちこっちタッチしてみたり、お手上げだぜみたいなゼスチャーをしたり。大将が、そのすきに7800フォリントが何ユーロなのか計算しました。アンジェリカさんが、円はフォリントの大体半分と言っていたんです。『7800フォリントだから3900円でしょ。1ユーロ180円で計算するとほぼ20ユーロだよ!』やっぱりぼったくられてなかったんだと大将大喜び。私は感覚的に駅まで10キロくらいの距離なので、1キロごとに400フォリントだとしても5000フォリント以下だろうと思っていました。そもそも『7800フォリント』と言われた時に、声に何か後ろめたさのようなニュアンスを感じたんですよね。でも大将が納得してるし、あんまりブルースさんともめたくもなかったので、『ユーロならいくら?』と聞いてみたんです。『18ユーロ』 待ってましたのごとく即答でした。計算した20ユーロより安かったので大将は『この人は正直な人だ』とか思っちゃったんでしょうね。用意していた20ユーロを差し出すと、釣りはいらないと言ってのけたんです。カード読み取り機と奮闘してたブルースさん、いきなり態度豹変ですよ。大声で、『サンキュ、サー!!』ですって。荷物も積んだ時と違って、とっても丁寧に地面に下ろしてくれました。 大将と後で『サー!!だって。』と言って笑っちゃたんですけど、私は相変わらずぼったくりの疑いを持ち続けていました。調べてみたら、正規のタクシーだと空港から市内までの20キロの距離で6000から8000フォリントが相場だとわかりました。ホテルから駅までの距離は、半分以下の7.4キロです。それなのに7800フォリントは高過ぎでしょう。迎車代とチップ入れても5000フォリントくらいだと思います。カードだと履歴が残って誤魔化せないから、現金で払ってもらうように仕向けるんでしょうかね。タクシードライバーの仲間内で『外国人観光客はちょろいぜ』みたいな話しになってるんじゃないかと思いました。私たちなんて、見るからに善良なカモですもんね。でも大将は『やっぱりボクは正しかった。』とご満悦だし、そもそも20ユーロは成田で両替した私のポケットマネーなんです。ブダペストのタクシーに二度もぼったくられて被害を被ったのは、私。まあでも2000円くらいだから、寄付だと思って忘れよう。騙すより騙される方が気が楽ですから。ブルースさんは荷物を下ろすと、『駅はあちらですぜ。』みたいなゼスチャーをして、もう一度『サンキュ、サー!!』と言いました。本当はいい人なのかも。ところが指し示された方向に行ってみると誰もいない地下通路だったんです。確かに何本かあるホームに階段で繋がってはいるんですが、誰も利用していないみたい。スーツケース重すぎて階段は無理です。来た時は確かエレベータがあったはず。トンネルを端まで行って戻ると、入り口のすぐ脇に新設のエスカレータもエレベータもある入り口がありました。帰りはコンパートメントではなく通常のエコノミー席で、スーツケースが重すぎて上に上げられないので通路において手で押さえたままウィーンに戻りました。最終日は空港そばのNHホテルに宿泊。ここは以前も泊まったことがありましたがさらに自動化が進んでいて、ビールも自販機で買います。バイキングの食事が美味しいので、夜も朝もここで食べて大満足。特にウィーンのアップルパイ、アプフェルシュトゥルーデルのチェリーソース添えは最高で、二度おかわりしてしまいました。今回の遠征は往復ともオーストリア航空の直行便だったので、荷物がなくなる心配も少ないし、乗り換えや長いトランジットもなく楽でした。それでも片道12時間はかかります。将来、2時間くらいで行けるようになると良いですね。いつもながら長い旅行記にお付き合い頂き、どうもありがとうございました。どうぞ楽しいお盆休みをお過ごしください。
2024/08/13
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<ブダペストの地下鉄>ブダペストの地下鉄は、赤・青・黄色・緑の4つの路線があります。ハンガリー万博の1896年に開業した1号線が世界最古の地下鉄だと思い込んでいて、乗るのをすごく楽しみにしていたんです。実際はロンドン、イスタンブールに次ぐ世界で3番目に古い地下鉄とのことですが、電気運転の地下鉄としては世界初で、世界遺産に登録されているのはここだけだそうです。ガイドツアーのついでにアンジェリカさんに地下鉄24時間乗り放題券を買うのを手伝ってもらいました。時間も指定できて、これでトラムやバスも乗り放題になります。ハンガリー語の駅の名前が難しくて覚えられなかったんですが、赤の2号線にアストリアという昔よく通った下町商店街の洋品屋と同じ名前の駅があったので、その隣がホテルのある駅というふうに覚えました。地下鉄は結構深くてエスカレーターのスピードが半端ない速さなんです。こちらをクリックすると、動画に飛びます。周りの広告なんて通り過ぎるの速すぎてよく見えませんでしたね。赤の2号線の駅はこんな感じ、近代的です。黄色の世界遺産1号線の駅はもっと浅くて、駅名パネルがハンガリーの有名ブランドのタイルでできてます。切符売り場の名残りでしょうか。レトロ感がたまりませんね。世界初の電気運転の地下鉄は動画撮りましたので、こちらをクリックしてご覧ください。乗客は観光客だけでなく、市民生活にも利用されているようでした。使い込まれた吊り革が萌えますね。1泊2日のハンガリー滞在中、24時間乗り放題券をフル活用しました。ドナウ川沿いのトラムにも往復で乗って、ずっと日向で暑かったんですが世界遺産の国会議事堂も間近に見ることができました。赤黄青は乗って、緑の地下鉄だけは乗らなかったんです。これに乗ると、来るときに降りたケレンフェルド駅まで行けるみたいです。
2024/08/09
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<聖イシュトヴァーン大聖堂>ガイドツアーの最後は、ペスト地区にある聖イシュトヴァーン大聖堂でした。エルジェーベト公園に大きな白い観覧車が結構なスピードで回っていて目印になります。大聖堂の周りはレストランやお土産屋さんが集まっていてとても賑やかでした。塔に登ることも出来るそうですが、入場料とは別料金とのこと。大将は『明日のぼろ』みたいなノリノリな感じでしたが、この暑いのに冷房もない階段で364段も登るのやだわー。登ったら降りなくちゃいけないし。この日は外観だけ見て、翌日自分たちで地下鉄に乗ってもう一度来ました。チケットを買う場所が聖堂前の道を挟んだ向かいにあって、アンジェリカさんに教えておいてもらったのですんなり買えましたが、初めての人は迷うかもしれません。お昼頃行ったらすごく並んでいて時間がかかりそうだったので、先に2番トラムに乗ってドナウ川沿いを観光してからもう一度来ました。大聖堂の中は観光客でいっぱいです。ハンガリー王国の初代国王イシュトヴァーン1世の聖なる右手が保管されています。1000年前の王様の、金の腕輪をしたミイラですこの手が王様の手だということは、どうして分かったんでしょうね。DNA鑑定とか?塔は登りませんでしたが、後から知ったところによると、どうもエレベータもあるらしいです。それなら登ってもよかったかな。街を一望できて素晴らしい眺めだそうです。ブダ城から見たから、もういいか。
2024/08/08
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<ブダ城の昔と今>ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通りは、世界遺産に登録されています。ドナウ川を見下ろす丘にあるるブダ城は、モンゴル軍の侵攻やオスマン帝国軍による破壊、さらに2回の大戦で大きな被害を受けますがその都度再建されて来ました。広大な敷地内にはハンガリー国立美術館、ブダペスト歴史博物館、軍事歴史博物館などがあります。電車やバスで行くと、ケーブルカーの列に並んだり、長い丘を歩いて登ったりする必要があるようですが、アンジェリカさんの案内で車で上まで一気に連れて行ってもらいました。再建される度ごとに、その当時の最先端の技術を用いて作り替えられて行ったことで、ゴシックやらバロックやら、いろんな建築様式が混じっているようです。城からの眺めは最高でした。ただちょっと注意が必要みたいです。アンジェリカさんが小声で『あの人たちはジプシーよ。観光客を狙ったスリだから気をつけて。』と言ってました。素晴らしい眺めに気を取られている隙を狙って、財布を抜き取っていく一団がいる様子。川の向こうに見えている建物は国会議事堂です。ドナウ川沿いを2番トラムが走っていて、乗っているだけで名所を観光できると教えてもらって、明日乗ってみようということに。観光船もたくさん運行しているようで、時間があればそちらもおすすめとのこと。この一帯は世界遺産なので新しいものを建てたりしてはいけないのではないかと思ったんですが、建造中の大きな家があったんです。アンジェリカさんは『オルバン首相が勝手に自分の家を建てている。』と言って怒ってました。オルバン首相は、ウクライナ支援を続けるEUを批判してきたロシア寄りの政治家です。EUからもらっていた補助金を国民のためでなく自分の身内のホテル建設やら何やらに全部使ってしまって、EUの監査が入り補助金は打ち切られたそうです。今月からハンガリーがEUの議長国になったので、何かしなくちゃと思ったんでしょうかね。オルバン首相は7月上旬、ウクライナとの和平に向けたビジョンも特にないままプーチンに会いに行ったと言います。選挙でも自分の名前が書いてない投票用紙は廃棄させるようなやり方で、まだ60代なのでこの先ずっと政権を握られたらたまったもんじゃないと、ブダ城観光の間、首相への不満大爆発な感じでした。ハンガリーの歴史を知るのも面白いですが、こう言った国民の生の声を聞くのも興味深いですね。
2024/08/07
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<ハンガリー国立歌劇場>英雄広場からドナウ川に向かうアンドラーシ通りは、貴族の館が立ち並ぶ大通りだったそうです。今はホテルとか学校とか博物館など別の目的で利用されているとのこと。ピアノの魔術師と言われた音楽家フランツ・リスト(リスト・フェレンツ)が設立した音楽大学もここにありました。ショパンの伝記映画にジョルジュ・サンドとともに大々的に登場してましたし、娘がワーグナーの奥さんというのも有名です。ガイドのアンジェリカさんの娘さんはその大学を卒業されて今は音楽教師をされているそうです。リストの像が入り口にあるハンガリー国立歌劇場の中を少し見学させてもらいました。1858年に創設されたネオルネッサンス建築の歌劇場です。設計は建築家のイブル・ミクローシュがパリのオペラ座をモデルとして担当しました。オーストリア=ハンガリー帝国の時代ですね。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世専用の国王の階段とか、皇妃エリザベート専用のボックス席シシィ・ロージェなどがあるそうです。ハンガリーにはヘレンドとジョルナイという2つの有明陶器ブランドがあって、ここの床もブランドものです。こう言ったモザイクタイルはイスラム文化オスマン帝国時代の影響でしょう。大理石の柱は地中海から運ばせたそうですが、大理石風の偽物石も使われてて、違いは触ってみて冷たいのが本物だそうです。この円柱の柱は本物でした。四角い方は偽物。天井のフレスコ画もとっても綺麗です。中を回るガイドツアーもあるそうなんですが、時間がないので見学は入り口だけでした。7−8月はオペラはお休みの時期ですので、今は何もやってません。アンジェリカさんの息子さんは俳優だそうで、ここに出演したこともあると言っていました。アンドラーシ通りは車で通り過ぎただけで、立ち寄ったのはハンガリー国立歌劇場だけでしたが、他にも見所はたくさんありそうです。
2024/08/06
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<温泉大国>ハンガリーの国土は日本の1/4ほどで、人口は1000万人未満です。もっと大きいイメージでしたが、オーストリアより少し大きい程度だったんですね。もう一つ意外だったのは、ここが温泉大国だったことです。日本と違ってほとんどが平原で、火山なんて一つもないのになんで温泉が出るのか不思議でした。詳しい調査が行われた結果、この辺りの地殻が薄いため地熱が伝わりやすく、温泉水が多く存在していることがわかったそうです。(詳しくはこちら)ローマの支配下だった頃に、温泉好きの古代ローマ人によって造られた遺跡も残っています。ブダペストの中だけでも温泉は100以上あって、オスマン帝国時代のトルコ式風呂もありました。ほとんどの温泉は35度くらいで、みんな水着を着て入っています。温水プールみたいなものでしょうね。当然混浴です。市民公園の中にあるセーチェニ温泉は、1869年の万博の時から温泉掘削が行われ、昨日紹介した英雄広場に1000mくらい掘った温泉の湧出口がありました。1900年代に入ってからバロック風の宮殿のような施設が建てられ、以来市民の憩いの場となっています。ただ入場料が一万円くらいするので、今は市民より観光客目当ての施設になっているようです。ソ連時代は市民が気軽に入れる温泉だったそうで、アンジェリカさんも子供の頃は母親に連れられて兄妹たちとよく来ていたと言っていました。膝が痛いとかで医師に診断書を書いてもらうと割引料金で利用できるそうです。この市民公園はとっても広くて、英雄広場の両側には西洋美術館と現代美術館、今回ご紹介したセーチェニ温泉、そして動物園やサーカスの劇場もあるんですよ。ディズニーランドとディズニーシーを合わせたより広い302エーカーだそうです。広場だけで何日も遊べます。今思い返してみると、日本ではうるさいほどの蝉の声が全くしませんでした。木々や花もたくさんあって強い日差しを逃れれば空気が乾燥しているので涼しかったです。
2024/08/05
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<英雄広場>ハンガリーの首都ブダペストを日本語で案内してくれる3時間でサクっと観光というコースを申し込んでいました。こう言った観光は、ガイドさん次第ですよね。いいガイドさんに当たるとお値段以上に得るものがあります。アンジェリカさんは現役の歴史教師で、豊富な知識と言語能力を兼ね備えた予想を遥かに超える素晴らしい案内人でした。大阪の大学に留学していた時、着物を着て仲居さんのアルバイトをしていたそうです。最初に案内された市民公園の中にある英雄広場。中央の柱の一番上には聖ガブリエル、現在修復工事中で数日後には下におろす予定だったそうで、ちゃんとした姿が見られてラッキーでした。その真下には10人の部族長たち。左右に並んでいるのはハンガリー王国の歴代の王様たちです。一番左が初代ハンガリー王イシュトヴァーン1世。国土統一を成し遂げ、キリスト教に改修してヨーロッパに国として認めさせます。ちょうど西暦1000年に戴冠式を行いました。その時の都の名前『エステルゴン』が、ロード・オブ・ザ・リングに出てきたような気がして調べてみたら、アラルゴンの幼名がエステルでした。トルーキンはこの辺りから名前を拝借したのかしら。イシュトヴァーン1世とその次の王様だけ、頭に聖人の印の輪っかが乗っています。政治的に利用したにしろ、一気に国民全員をキリスト教信者にした功績は大きいですもんね。1200年代には東からモンゴルが攻め入ってきました。なんとか凌いで防御を固め、ハンガリー第2の建国者と言われたのが左から五番目の王様ベーラ4世です。1500年代にはオスマン帝国が侵攻してきます。そういえば愛と欲望のハーレムの皇帝スレイマンは戦が大好きでしたね。ハンガリーにも遠征してました。1600年代になるとオーストリアを中心としたハプスブルグ帝国が勢力を伸ばし、1741年には女帝マリア=テレジアがハンガリー国王になりました。1896年に万博があって、この塔を含む様々な建築を行ったのはオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世。絶世の美女とされたシシィの旦那さんで、ウィーン大会会場となった市庁舎を建てた人でもあります。戦争で破壊される前は、マリア=テレジアやフランツ・ヨーゼフ1世の像もあったようですよ。一番領土が広かったのはフランツ・ヨーゼフ1世の時代、第一次世界大戦前までとのこと。オーストリア、ハンガリーはもちろん、現在のチェコ、スロバキア、ポーランド、ウクライナ、スロベニア、セルビア、クロアチア、ルーマニア、イタリアの一部まで帝国でした。1900年代は激動の時代で、革命があって共和国になったり、また王国に戻ったり、ナチス・ドイツの傘下に組み込まれたり、第2次世界大戦後はソ連の勢力下に。ソ連の支配から脱したのは1989年のベルリンの壁崩壊の年で、その時18歳だったアンジェリカさんは両方の時代を経験したと語っていました。歴史の痕跡は街の至る所に見られました。オスマン支配時代の温浴施設、ソ連時代のサーカス劇場や映画館、一番目立つのがオーストリア=ハンガリー帝国時代の建造物です。アンジェリカさんと運転手さんのハンガリー語の会話は全く意味不明で、こんなにいろんな国々の支配下にありながら独自の言語を守り抜いた国民性に感心しました。
2024/08/04
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<降りる駅間違えてタクシーにぼったくられるの巻>2024年7月29日、ヨーゼフホフをチェックアウトしてタクシーでウィーン中央駅に向かいました。トラムで下見に行った時は2人で5ユーロくらいだったんですが、タクシーだと迎車料金も入って20ユーロかかりました。荷物が多いですから、トラムで行くのは大変だし、物価の高いウィーンですからこのくらいはしょうがないかなと思います。予定していたハンガリーに向かう電車に無事乗り込み、まずは席を見つけられなくてアタフタ。車両は合ってるはずなんですが、予約した座席番号がないんですよ。狭い通路をでっかいスーツケース押して行ったり来たりして、ようやく普通の席じゃなくて4人用のコンパートメントを予約していたことに気づきます。相部屋の二人の女性と軽く会釈して席につくと、無料のお水が配られました。広々してて、荷物も邪魔にならないし快適です。フリーWiFiが使えたので私はずっとスマホでゲームしてたんですが、向かいの席の女性たちは分厚い本を静かに読んでいました。時々窓の外を見ると一面のひまわり畑やたくさんの発電風車が並ぶ平原が見えます。さて、降りる駅が近づいてきた時、大将の爆弾発言が飛び出しました。『なんか、駅間違えたみたい。』飛行機もホテルも電車も全部予約は大将にお任せだったので、全然状況がわからなかったんですが、目的とするブダペストの一つ前の駅で降りる羽目になったみたいです。新幹線で東京に行くはずが、新横浜までしか切符買ってなかった〜的な。あとで調べてみたら、ウィーンからブダペストに向かう電車は1日に何本かあって、そのうちの2本だけ一つ手前の駅で降りる格安電車が走ってるんです。本当はブダペスト東駅(Keleti pályaudvar)に行きたかったんですが、一つ手前のケレンフェルド駅(Kelenföld vasútállomás)を同じものと勘違いして格安電車のチケット買っちゃったんですね。ガイドさんを30分後に予約していて何がなんでもすぐにホテルに向かいたかったので、そこからタクシーに乗ることにしました。ブダペスト東駅からスーツケース引きずって暑い中15分も歩く予定だったので、タクシーで行けて逆に嬉しかったんですけどね。ハンガリーはユーロ圏なんですがフォリントという通貨で、両替していなかったのでカードを使えるかと運転手さんに聞くと、ちょっと面倒くさそうに『どこ行くの?』と言います。ところが大将がなんの脈絡もなく『20ユーロでどうだ』と言うと手のひらを返したように愛想良くなっちゃったんですよ。車に乗ってから大将に小声で、なんで20ユーロなのか聞きました。運転手さんの喜びようから見て、本当はもっと安いんじゃないかと思って。『20分くらいで着きますか(20ミニッツ?)って言おうと思って、間違えて20ユーロって言っちゃったんだよ。』って、ちょっと、どんだけ時差ぼけですか?私は笑いたいのを必死にこらえながら窓に顔を向けました。ホテルについて、カードで20ユーロ払おうとしたら現金がいいと言われ、なけなしのユーロを払いましたよ。あとでガイドさんに聞いたら、ひょっとして白タクだったかもねとか言われちゃって、一つ手前の駅は同じKから始まるから間違えるお客さんは多いですよと慰められました。正規料金だと10ユーロくらいなのかしら。帰りも同じ格安電車なので、ホテルでタクシーを呼んでもらって本当はいくらかかるのか確かめようということになりました。ご興味ある方、こちらでウィーンからブダペストへの旅をご覧になれます。
2024/08/03
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<ウィーン中央駅>パリ五輪に合わせて、ウィーンからパリに向かうオリエント急行が復活するというので興味津々だったんです。アガサ・クリスティのミステリーで有名な豪華列車。乗車券は発売と同時にすぐに売り切れたそうです。試合がメインで、鉄道旅行は二の次ですから別にいいんですけど、ちょっと残念。ウィーン中央駅はヨーロッパ各地に向かう鉄道の集まる大きな駅です。試合のない7月27日にブダペストに向かう電車の下見に行きました。チケットはネットで手配済みでしたので、何番線がどこにあるかとか、当日まごまごしなくて済むための準備です。ヨーロッパの駅は改札がないところがほとんどで、ここも自由に駅構内を散策できます。いろんな電車が見られて、別に鉄子ではないんですが楽しかったですね。ウィーン中央駅に行ったもう一つの理由は、コインロッカーの下見でした。試合の後ハンガリーに1泊旅行するのに、必要のないダンス用品全部持っていかなくてもいいんじゃないのということで、コインロッカーに預けてしまおうと思っていたんです。バリアフリーの電車なんて滅多になくて、大きなスーツケース持って階段登って乗り込むのは大変なんですよ。ロッカーは地下ホームのはずれにありました。大きなスーツケースが入る大型ロッカーもあって、これなら使えるかも。ところがよく見るとほとんど埋まってるんですね。週末だったせいもあるかもしれません。中央の青いコントロールパネルでひと繋がりのロッカー群が制御されているんですが、『故障中』の張り紙が3割ほどありました。預けたはいいけど壊れて取り出せないとかなると帰国の飛行機に影響するので、やっぱり面倒だけど全部持っていこうということに。今回ウィーンで観光らしいことは全くしませんでしたが、ウィーン中央駅は初めてでお店もいっぱいあって結構楽しめました。できれば復刻したオリエント急行の外観だけでも見たかったな。
2024/08/01
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<ヨーゼフホフ・アム・ラートハウス>ウィーン国際空港からホテルまで、タクシーを予約していました。空港で待っていたのが映画『トランスポーター』のジェイソン・ステイサムそっくりさんみたいなドライバーさんです。着いたのが夕方だったせいもあってか、日本に比べて随分涼しく感じました。こちらは空港からホテルに向かう途中で見た高層マンション群。ホテルは試合会場に近いヨーゼフホフ・アム・ラートハウス。ドイツ語の地名って、アム〜というのを付けて類似の地名と区別するんです。フランクフルト・アム・マイン(マイン川沿いのフランクフルト)みたいに。ラートハウスは市庁舎のことで、ヨーゼフホフ・アム・ラートハウスは競技会場となった市庁舎そばのホテル・ヨーゼフホフという意味になります。こちら市庁舎前の広場。五年前と同じホテルだったんですが、今回は道路工事中でホテルまでタクシーが行き着けません。空港から市内までのタクシー料金は一律で42ユーロ、重いスーツケースをホテルまで運んでもらって同じ料金じゃ悪いみたいでした。今回の部屋はガーデンサイドで、窓から綺麗なお庭が見える1階だったんです。お庭が見えるのはいいんですが、お庭でご飯食べてる人からこっちの部屋も丸見えなんですよね。朝食は高いから一度しか食べませんでしたが、バーは毎日通いました。冷えた生ビールはプライスレス。
2024/07/31
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<ドナウの真珠>試合の翌日、ウィーン中央駅から電車に乗ってブダペストへ移動しました。ハンガリーに行くのは初めてで、すごく近くてちょっとびっくり。新幹線で東京ー大阪くらいのイメージです。1泊だけなので効率よく観光するためにガイドさんをお願いしました。こちら、日本に留学経験のあるアンジェリカさん。まずは市民公園へ案内してくれました。ハンガリーの転機の一つは1896年のハンガリー建国1000年祭の万博。この時に建てられた歴史的建造物が今も街のアイコンになっています。例えばこの市民公園にあるセーチェニー温泉。ハンガリーって実は温泉大国なんですね。大小様々な温泉がたくさんあります。公園から車に乗ってメインストリートを走りながら建物の説明を聞きました。この大通り沿いは貴族の住まいが並んでいたところ。アンジェリカさんは夏休みだけガイドのアルバイトをしていて、本業は高校の歴史の先生だそうです。ハンガリーは近隣諸国との政治的関係で国土が大きくなったり小さくなったりしていて、歴史的にとても興味深い国だと知りました。こちらはオペラ座。こちらはブダ城。ドナウ側のこちら側の丘陵地帯がブダ地区で、川向こうの平地がペスト地区だそうです。聖イシュトヴァーン大聖堂近くのレストランでお別れするまで約3時間、みっちり歴史の勉強をさせてもらいました。夕飯を食べてから地下鉄でホテルに戻り、フロントで勧められた屋上のスカイデッキに行って、ドナウの真珠と謳われたブダペストの夜景をつまみにビールを飲みました。
2024/07/29
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<シングルルーム>県別対抗戦前日、茨城県チームは前夜祭会場とは別の、山梨県甲府市にあるビジネスホテルに現地集合でした。家から車で3時間くらいの距離ですので、3時くらいに着けるように余裕を持って11時に出発。途中、高速道路の反対車線でトラックと乗用車の生々しい事故現場に遭遇しました。警察が到着したばかりのようで、事故車両が車線を塞いで大渋滞が始まっていて、ラジオの交通情報でも放送されています。事故渋滞は想定していなかったので、試合の朝にこういったリスクも起こりうることを頭に入れておく必要があるなと思いました。最近のホテルはスマホを持ってないと特典が受けられないシステムになってるようですね。いつもは大将と同じ部屋に泊まるのでチェックイン手続きは全部お任せだったんですが、JBDF茨城でご用意いただいた部屋が全てシングルルームだったんです。一人ずつスマホで会員登録して、チェックアウト時間を遅く出来たりするみたい。皆さんサラっとチェクインされたんですが、私だけ時間がかかりました。スマホ使えないおばあさんぽくてやだな〜。メールアドレスが長いから入力するの面倒なんですよね。最近機種変更したばかりでスマート入力が機能してないもので。パスワードが『数字だけじゃダメ』『七文字以下ダメ』『名前のふりがなはカタカナだめ』と何度もダメ出しされて疲れました。ようやくチェックインして部屋で着替えていると廊下から、今到着したらしい茨城チームのカップルの声が聞こえて来ました。『ダメじゃない。な〜にやってんの。』何かトラブル発生?どうやら鍵を部屋に置いたまま外に出てしまった様子。オートロックのあるあるですよ。自分も気をつけないとと思いました。でもシングルルームって快適ですね。風呂もトイレも順番待たなくていいんですよ。洗面所も独占できるので、パーティの身支度がストレスフリーでした。テレビのチャンネルも自分好みで変えられるし。そのせいで夜中に始まったバレーボール女子ブラジル vs. 日本の一進一退の熱戦に捕まってしまい、ファイナルセットまで見てしまいましたよ。早く寝ようと思ってたんですけどね。(つづく)
2024/06/24
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<つないだ手は離せない>2024年6月2日(日)、試合の日の朝のことです。泊まっていたのは善光寺の近所のホテル国際21でした。何をしてるのかよく分かりませんが、スマホ持ってトイレに入ったきり大将がなかなか出て来ません。もうすっかり準備を終えて、トイレに行って出発のつもりで待っていると、『トイレが壊れたー!』と言って大将が飛び出して来ました。流そうとしたらレバーがぐるんと回って水が流れないそうです。もう時間がないので、とりあえず体育館に向かうことに。水の貯まりが遅かっただけみたいで、部屋を出ようとした時、もう一度レバーを試したら流れたみたい。トイレ壊して弁償とかにならなくてよかったです。長野運動公園体育館はダンス競技の他に武道系の試合もやっていたようで、行ってみると女子トイレには行列ができていました。洋式トイレは故障中で全部和式。受付時間には間に合いましたが、予選開始は朝一番です。お腹が張って苦しい感じですけど行列に並んでる時間はなさそうでしたので、持って来たゆるい方のドレスで1次予選に突入です。ところがドタバタしていてウッカリ忘れていたことがあったんですね。スタンダードB級の1次予選、大将のエスコートでにこやかにフロアに出て音楽が鳴り、ホールドに入ったその時です。いきなり大将が私の肩に手を出したので何事かと思ったら、ベリッという音。なんとフェイタス貼ったままだったんですね。剥がしたフェイタス、二人繋いだ手に握ったままワルツですよ。実は右肩甲骨にもう一枚貼ってたんです。踊りながら剥がせないし、皆さんの目がそこに向かないといいなあと思いながら踊ってました。試合の話はさらっと結果しか書いてませんが、色々やらかしているんですよ。いつもは午前中ラテンで黒塗りするから気がつくんですけどね。整列してる時、後ろの人は『言うべきか、言わざるべきか』悩んだかも。フロアに出る前に、一度くらいはカップルでお互いの身だしなみチェックした方がいいでしょうね。(つづく)
2024/06/12
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<一歩間違えば>世界選手権などダンスのイベントが続いたので、しばらく書けなかった長野旅行記を手短に書いておこうと思います。2024年6月1日(土)のことです。家を昼過ぎに車で出発して、買い込んだお菓子を食べながらのんびり長野に向かいました。高速道路を使って3時間半はかかります。途中にあるサービスエリアやパーキングで休憩するたびに、アイス食べたりどら焼き買ったり、ほとんど遠足といった感じでした。群馬と長野の県境あたりは山が多くてトンネルばっかりなんですが、路肩に止まっていた白いセダンがスッと私たちの前に入って来たんです。トンネルに入ってもえらくのんびり走っているので、右車線に移ってビューっと抜かしてその白い車の前に入った時でした。後から来た黒い車がすごい勢いで私たちも含めた2台を追い越していったんですよ。すると後ろにいた白い車が、いきなり本気出したみたいに黒い車を追いかけて行きました。屋根には赤いランプが!なんと白い車は覆面パトカーだったんですね。運悪くすっ飛んでいった黒い車はトンネル出たところで捕まってました。『いや〜、危なかったね〜。うちが捕まるとこだったかも。』ハッピーターンわさび味(安曇野産)をポリポリ食べながら胸を撫で下ろしましたよ。道草食ってばかりだったので、長野に着いたのは夕方の5時を回っていました。長野に来て善光寺さんにお参りしないと、翌日の試合でボロ負けするみたいな変なジンクスがうちにはあって、ホテルにチェックインするとすぐに歩いてお参りに出かけました。夜ご飯はお寺のすぐそばにあるお店でそば会席をいただきました。ここにくると必ず寄ってるメロンパン屋さんで、デザート用のアップルパイと明日の朝食用のメロンパンを買い込みます。お腹いっぱい食べすぎてドレスが入らないと困るので、ゆるめのドレスも持参して準備万端。運転したのはほとんど大将で、私は少ししか代わってないんですがなんだか疲れて10時ごろには寝てしまいました。(つづく)
2024/06/11
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<ノルンみなかみフラワーガーデン>辰巳館から車で20分ほどのノルンスキー場で、北関東最大級のすいせん祭りをやっていました。こちらはスキー場といっても雪は全くありません。一面のお花畑。なごむわ〜。水仙祭りですがほかのお花もいっぱい。チューリップもいろんな種類が見られました。リフトでゲレンデを登ると、足元には水仙が咲き乱れております。上からはゆっくりと歩いて下ります。いろんな種類の水仙があるんですね。ムスカリやヒヤシンスも混じってました。今年のすいせん祭りは4月19日から5月19日までです。ほかにも宝探しと昆虫展もやってました。季節に合わせたいろんな花畑が楽しめるそうですよ。ご興味ある方は、こちらからどうぞ。気がつけばゴールデンウィークも終盤にさしかかってまいりました。1泊2日の旅行記をいつもながら長々とお付合い頂きありがとうございました。どうぞ、良い週末を。(おわり)
2024/05/04
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<谷川岳>新潟県との県境に位置する谷川岳は標高1997mで、日本百名山の一つに数えられています。子供の頃から雪が嫌いで、スキーはもちろん、雪山に行こうなんて思ったこともなかった私が、まだ雪の残る谷川岳天神平スキー場に行くなんてね。自分でも驚きです。宿泊した辰巳館から車で30分ほどだったので、ちょっと寄っていこうと大将が言い出して、アドベンチャー大好きなメロン夫婦も大賛成。一人小声で『フラワーガーデン』推しだった私は仕方なく付いて行くことになりました。ロープウェイは往復3500円です。降りるともう雪が眩しくて目が開けてられませんでした。私以外の三人は子犬みたいに大はしゃぎで、雪合戦なんか始めちゃったりして。そこからさらにリフトにのって1502mの天神峠に登ります。リフトはロープウェイとセットにするとプラス500円。谷川岳が向かいに見えてました。あれに登るなんて言われなくてよかった。聞くところによると、死者数が世界一でギネスに載ってるそうじゃないですか。色んな景色を求めて、みんな雪の中をズボズボ歩いて行くんですが、私はなるべく雪のないところを求めて地味にフキノトウ鑑賞したり、水芭蕉を愛でたりしておりました。それにしてもいい天気。こちらは雪の少ない日当たり良好な一角。リフトは降りる方が怖いですね。メロンさんたちとはここで別れ、私たちは『フラワーガーデン』に向かいました。雪山ストレスから解放された私は、土から這い出した春の虫のように、通りかかった上越線にもりんごの花にも感動し、一気にハイになっていました。(つづく)
2024/05/03
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<上牧温泉>みなかみ町は群馬県の北部に位置し、水上温泉郷、月夜野・上牧温泉郷、猿ヶ京三国温泉郷の3エリアからなる温泉地です。試合会場の前橋から北へ車で1時間ほど、上牧温泉(かみもくおんせん)辰巳館で一泊しました。到着してすぐに試合の汗を流すため温泉へ!夜8時まで、女子は『はにわ風呂』でした。男子は総檜風呂『かわせみの湯』。そして庭園露天風呂『たまゆらの湯』。夜8時半から翌朝8時までは逆になるので、両方入れます。『ひすいの湯』はずっと女性専用。庭園露天風呂が最高でしたね。ぬる湯でいつまででも入っていられるんです。夜と朝と2回入りましたが、夜は落ち着いた照明でゆったりとできますし、朝は鳥の鳴き声が清々しく、新緑も美しくてどちらもおすすめ。『美人の湯なんだって』と大将が言っていたので期待してましたが、果たして美人になったのかどうかは不明です。宿泊したお部屋のすぐ横に利根川が流れているんです。ここ数日の暑さで谷川岳の雪解けが一気に進んだようで、川のせせらぎなんてもんじゃなく、ものすごい水量の水がダムの放水みたいに一晩中轟々流れていました。(つづく)
2024/04/29
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<華厳の滝>いろは坂を登り男体山へやってきました。2024年1月5日(金)のことです。ロープウェーで華厳の滝を望む絶景が拝めるとのことでしたのでみんなで乗ってみることにしました。10分おきに運行していて、料金は往復で1000円です。男体山は火山の噴火による溶岩や火山灰が堆積した山でとても崩れやすく、大雨などで何度も土砂崩れを起こして国や県による大規模な治山工事が実施されたそうです。筑波山も見えるんですね。ものすごくいい天気で暖かく風もありません。数日前には雪が降ったらしく、ガードレールの日陰には雪が凍っていました。さらに華厳の滝の方へ行ってみます。約100mのエレベータ(大人570円)で下ると、華厳の滝です。小学校の時以来になりますのでもうほとんど記憶にないのですが、 和歌山県「那智の滝」、茨城県「袋田の滝」とともに「日本三名瀑」と呼ばれています。水量が少なめな気がしますが、冬だからとか関係ありますかね?水源となっている中禅寺湖も水が少ない感じです。こんな風景を見られるのは冬限定でしょうね。ボートの営業は4月からだそうです。お昼はホテルの近所のお寿司屋さんで、少し早い晩御飯は帰り道の蓮田S.A.でどちらもメロンさんたちオススメグルメを頂きました。何から何までお世話になった日光1泊温泉旅行。ダンスは出来ませんでしたがダンス談義はたくさんできて、とても楽しく有意義な2日間でした。(おわり)
2024/01/07
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<鬼怒川渓翠>2017年から始まりましたダンス合宿。2021年にいつも使わせていただいていた練習場が閉店してしまって、コロナ禍ということもあり、しばらく中断しておりました。久しぶりに復活したんですが、近場に練習場を見つけられなかったので今回はダンス合宿というよりはダンス談義合宿という感じの温泉旅行です。埼玉メロンチョコさんのお誘いで、2022年12月9日にオープンした新しいホテル、東急ハーヴェストクラブVIALA鬼怒川渓翠に泊まらせていただきました。各部屋に露天風呂がある豪華なリゾートホテルです。新しいので人気があってなかなか予約が取れないそうなんですが、お正月明けのこの日だけ空いてたとのことで、本当は4日から仕事なんですが休暇をとりました。予想を超えた綺麗さで、ちょっと圧倒されましたね。大浴場もあるので、チェックインしてすぐに温泉へ。雪が降ってなくて私的には万々歳なんですが、風呂から見える風景が枯れ木ばかりなので、本当は雪景色だったり、新緑や紅葉の季節なら最高なんだろうなと思いました。埼玉メロンチョコさんたちとは夕食で合流の予定だったんですが、大将が風呂から戻って随分たっても連絡がないので電話してみると、まだメロンパパさんが戻ってないというんです。『そういえば心臓が痛いとか言ってた。』なんて大将が言うので、まさかどこかで倒れて救護されてたりしてとヒヤリとしましたよ。でも電話している間に戻ってきたようでホっとしました。電動マッサージ椅子が気持ちよすぎてリピートしてたそうです。(つづく)
2024/01/05
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<Sapcia X>2023年7月に運行開始した新型特急「スペーシア X(エックス)」に是非とも一度乗ってみたくてね。その夢がついに叶いました。特急専用ホームに行くのも初めてです。鉄子ではありませんが、ワクワクが止まりません。1号車カフェでは各地のブリュワリーとコラボした企画で地ビールが飲めるとのこと。キタ====!!!1ヶ月前から予約開始なんですが座席は全て満席で、特に豪華なコンパートメントなんかは即完売だそうです。私たちが乗ったのは新幹線みたいな普通の車両でしたが、車掌さんが回ってきて記念写真を撮ってくれたりサービス満点でした。特別車両以外の乗客が売店でビールなどを買うのには予約が必要です。今回は埼玉メロンチョコさんたちが車で東武日光駅まで迎えに来てくださるということで、勝手に出来上がってるのも悪いし、ホテルに着いてから飲もうということで駅で買っておいたお茶をチビチビ飲んでおりました。チャンスがあったら、豪華な車両にも乗ってみたいなあ。スペーシア Xにご興味ある方はこちらからどうぞ。(つづく)
2024/01/04
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<ミッション・コンプリート>愛媛県美術館でヨハネ・パウロ2世のコレクションを堪能した後、八十八ケ所巡りに戻りました。第52番札所 太山寺(たいさんじ)です。これまでが平地のお寺で楽だったんですが、このお寺は名前の通り山の上にありまして駐車場から上るのが結構大変でした。本堂などの建造物は国宝に指定されています。上るのが大変なら下るのも大変で、今日一番のトレーニングポイントでしたね。本日最後は第53番札所 円明寺(えんみょうじ)です。ここのところ食品をはじめ多くの生活必需品が値上げされて消費者にとっては厳しい現状ですが、お遍路で書いて頂く御朱印料はお値段据え置き300円で大変ありがたく思っております。これで本日の予定終了。ミッション・コンプリートです。飛行機に乗るまでまだ時間がありましたので、少し足を伸ばして瀬戸内海沿いを走り、道の駅にやってきました。大将が飲みたがっていた蛇口から出るみかんジュースにやっとありつけました。歩道橋を渡ると瀬戸内海が見渡せます。海に沈む夕日、なかなか見る機会がありませんので、海に沈みかけてる太陽が見られただけでも感動的でした。空港に戻ると、入り口近くにクリスマスツリーが愛媛モードで飾られています。ここでもオレンジジュース売ってましたけど、道の駅のが安かったですね。あっちで飲んで正解でした。飛行機を待つ間に愛媛グルメの食べおさめをすることに。こちら、あったか白ごはんに鯛のお刺身と卵をかけるタイプの鯛めし。道後ビールも、行っときますか。次はいつ来れるか分からないですからね。2023年11月22日から23日までの1泊2日の弾丸旅行、長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。愛媛県美術館の話はいずれ改めて書かせていただきますので、ご興味ある方は是非ご覧ください。(おわり)
2023/12/01
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<松山城周辺>松山市の中心部に戻ってきました。第51番札所 石手寺(いしてじ)です。お遍路のお寺は細い田舎道の先だったり、山の上の方だったりが多いのですが、ここは街の中にあって浅草みたいな参道沿いの仲店がありました。空いてる店は2つだけで、ずっと昔からここで商売されてるんだろうなと思われる高齢女性が営む占いの店とお土産物を売る店。占いの店から大声でシベリヤ抑留の話が聞こえてきて、通り抜けながらちょっと気になりました。門の両脇にある大きな草鞋にお賽銭を差し込むと健脚になれるみたいです。1円玉をねじ込んだら、浅く入っていた小銭がパラパラっと地面に。大将に『他人を蹴落としていくんだな。』なんて意地の悪いことを言われましたが、地面にはそうやって蹴落とされた小銭がいっぱい落ちています。自然淘汰ですな。上が本堂で、下は三重塔。街中で人が多く集まるのか、裕福そうなお寺です。裏山には弘法大師像が街を見下ろしていました。石手寺を出て松山城方面に向かいます。道後温泉行きの路面電車はみかん色!松山城は10年前に上ったことがあります。今回は近くにある愛媛県美術館に向かいました。ちょっと興味ある企画展やってたんですよ。まずは少し早めのランチで腹ごしらえ。ご当地グルメ、じゃこかつバーガーです!(つづく)
2023/11/30
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<シワからゴミまで>2021年に第47番札所 八坂寺でしばらく休止していた四国八十八ケ所巡り。今回は松山市内にある6つを廻る予定です。まずは第48番札所 西林寺。愛媛県は菩提の道場と言われています。この西林寺は、罪深い人が境内に入ると無間地獄に落ちるそうですよ。くわばら、くわばら。無事脱出してすぐ近くにある第49番札所 浄土寺へ。自転車で回っておられる方とずっと同じようなタイミング。季節外れの夏日になって、車では冷房をつけてました。第50番札所 繁多寺(はんたじ)の駐車場のとなりは溜池で、北から渡ってきたカモたちがのんびり泳いでいました。縁石には赤とんぼ。秋ですね~。2015年に始めた四国八十八ケ所巡り、8年でやっと50番ですよ。今回は松山市内の48番(シワ)から53番(ゴミ)までを廻り夕方の飛行機で戻る予定です。このペースだとあと5年以上かかりそうです。(つづく)
2023/11/29
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<道後温泉>コロナ禍で中断していた四国八十八ヶ所巡り。2年ぶりに再開しました。午後3時ごろの便で羽田から愛媛県松山空港に向かいます。競技会が絡まない旅は滅多にしないので、ドレスとか靴とか化粧道具とかを持たない旅はこんなに荷物が少ないのかとビックリでした。山の上には少し雪も見えますが、日本中が季節外れの暖かさに包まれた絶好の行楽日和です。空港で車を借りて道後温泉街に向かい、帰宅ラッシュの大渋滞にハマって、到着した時にはすっかり日が暮れていました。宿泊したのは道後館というホテル。ホテルの中に滝が流れてましたね。お部屋は落ち着いた雰囲気の和室です。温泉に向かう廊下は、温泉街の小道のように演出されていました。外もそれほど寒くなくて、露天風呂はラッキーなことに独り占めです。見上げると少し膨らんだ半月が、澄んだ夜空にくっきりと浮かんでいました。なんて贅沢な時間でしょう。かなり前から計画していた旅ですが、何より大将が元気でよかった。今日11月22日はいい夫婦の日。今年最高の極楽日でした。(つづく)
2023/11/22
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<武家屋敷跡と小松うどん>金沢観光の最後に立ち寄ったのは長町武家屋敷跡でした。昨晩、地ビール飲める店を探してうろうろした香林坊のすぐ近くです。美術館だけでなくこの辺の資料館も月曜休館でした。武家屋敷がそのまま残っているというより、雰囲気を残したまま跡を継いだ方々が新しいお家を建てて住み続けている感じです。休館している資料館も扉の隙間から中を垣間見ることができて、昔の薬屋さんの様子が分かりました。観光客のほとんどがヨーロッパ系の外人で、私が着ていたマドリードのTシャツを見て、大きな声で『マドリード!』と満面の笑みのスペイン女性もいましたね。きっとあの人たちは『金沢』とか『東京』のTシャツ買うだろうな。小松空港に戻ってきて車を返し、汗だくの服を着替えて荷物を預けたあと小松うどんなるものを食べてみることにしました。大将はお店一押しの能登牛を使った肉うどん。私はシンプルなザルうどんに海老天プラス。小松うどんは300年の歴史を持つ加賀藩御用達の品だそうで、松尾芭蕉も食したとか。讃岐のようなどっしりとした太麺ではなく、品のいい細さで程よいコシの美味しいうどんでした。観光したのは7月31日だけなんです。福井遠征記というより金沢遠征記みたいな感じになってしまいましたが、楽しい週末でした。今はフェーン現象で39度を超える酷暑に見舞われているとニュースで聞いています。台風6号が沖縄付近をノロノロ進み、今は九州で停電などの大変な被害が出てしまっているようです。私たちの飛行機も1時間以上遅れて、家に帰り着いたのが夜中になってしまいましたが、皆さん無事に帰られたのか気になっています。長い遠征記にお付き合いくださり、どうもありがとうございました。台風7号、どっか行ってくれ〜〜〜!!!!(おわり)
2023/08/10
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<尾上神社と金沢城>綺麗なステンドグラスの神門がある尾上神社にやってきました。NHK大河ドラマで昔やってた『利家とまつ』が祀られてるようです。美術館は月曜休館でも神社仏閣や城はほぼ年中無休です。こちらが拝殿。無料駐車場を使わせてもらってますので、お賽銭はしっかり。ホテルから近い裏から入ってしまいましたが、こちらが正面のようです。拝殿に向かって右の方に進むと、2020年に完成したばかりの金沢城へ直通する新しい橋があります。この門は鼠多門という名前で、橋は鼠多門橋。(詳しくはこちら)使われていた海鼠漆喰(なまこしっくい)が発掘されて、再建の際に参考にされたようです。お城の骨組みって竹なんですね。内部構造が分かりやすい展示です。門から入ってすぐのところに玉泉院丸庭園があります。ちょっと歩いただけでへばる暑さ。庭園を見渡せる休憩所に逃げ込みました。冷房が効いてて生き返ります。ボランティアでガイドをされている方のお話が耳に入ってきて、金沢城が昔、金沢大学だったことを知りました。大学が移転してから金沢城の復興作業が始まったようなんですが、完成はまだまだ先の様子。新旧おり混ざった姿もまたいいもんですね。完成する頃まだ生きてるかしら。しばらくお話を聞きつつ涼んでから休憩所を後にしました。正面に見える建物が、先ほどまでいた休憩所です。まだコロナ対策の名残でところどころ入り口に体温計が置いてあるんですが、私の体温が37度を超えていましたよ。涼ませてもらって熱中症にならずに済みました。(つづく)
2023/08/08
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<兼六園>金沢は今日も体温を超える猛暑の予報が出ていました。7月31日 (月)、少し外を歩いただけでも大汗をかきそうでしたので、ホテルをチェックアウトする前にすぐ近くの兼六園を散策することにしたんです。国の特別名勝に指定された庭園で、岡山の後楽園、水戸の偕楽園と並んで日本三名園と言われています。入園料は320円でした。大将は初めてと言っていましたが、私は40年ほど前に一度訪れたことがありました。『どこか変わってる?』と聞かれても、松ばっかりだったことくらいしか思い出せないんですけど、一つだけ自信を持って覚えていることがありました。三すくみの岩というのがあったんですよ。『NARUTO』に出てくる伝説の三忍が、口寄せの術でカエル、なめくじ、蛇を助っ人として呼ぶことができて、その3つがジャンケンのような関係になっているんです。お互い食うに食えない状態で動きがとれないんですが、兼六園で三すくみの岩の話を聞いていたおかげでアニメがすんなり理解できたんですね。庭園を暑い中、ぶらぶら歩きながらその話を大将にしたんですが、肝心の岩がどこにあったのか覚えてなかったんです。大きな鳥が木陰にいました。(それはどうでもよい!)スマホで検索もしてみたんですが、その時は見つけられず、家に帰ってから見つけました。この像の台座になってるのが三すくみの岩です。結構トリビアな話だったみたい。『そういえばこんな銅像あったよね。なんでここ?と思ったもん。』とりあえず40年前の記憶が正しくてスッとしました。(つづく)
2023/08/07
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<福井市から金沢へ>2023年7月30日(日)の昼頃、ラテンの試合が終わるとすぐに会場を後にしました。午後のスタンダード競技が始まる前でしたので、スタンダードの試合のみ参加の競技仲間とはほとんどご挨拶ができなかったんです。埼玉メロンチョコさんたちと共に北陸自動車道で金沢へまっしぐら。防風林の間に日本海が見えました。宿泊したのは兼六園のすぐ近く、ホテル山楽でした。大正ロマンを感じさせる格調高いエントランス。部屋は簡易天蓋付きのキングサイズベッドのツインルーム。マットレスは腰に優しいエアウィーブだそうです。これだけ大きいベッドなら、寝相が悪くても大丈夫そう。食器棚には九谷焼の食器が並んでいました。この急須と茶碗、数日前にリサイクルショップで一山いくらで売り払った母のものと似ていて、こころがチクリとしました。食事の前に、まずは温泉へ。ヤクルトやジョアが無料で飲み放題、アイスクリームが食べ放題。このサイズなら2〜3個いけそうでしたが、ここで暴走しちゃいけませんよね。セーブしときました。(つづく)
2023/08/02
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<保安検査>電車とモノレールを乗り継いで羽田空港へやってまいりました。乗り換え駅の浜松町は大将と私が出会った町で、思い出深い世界貿易センタービルは再開発の波に飲まれて解体されてしまいましたが、この駅はいつでも何か新しいものに向かって工事中のイメージがあります。2023年7月29日 (土)、夕方出発の飛行機を目指して家を出たのは一日で一番暑いとされる2時ごろでした。最近天気予報で34度とか35度とか聞くのに慣れてしまいましたが、この日もとんでもなく暑く、夕方から予定されていた隅田川花火に向けて浅草界隈で電車を降りていく人が多かった気がします。羽田空港に着いて大きな荷物を預けたとき、まだ搭乗までに2時間くらいありました。出発ロビーにいてもすることないし、早めに保安検査を受けて搭乗口まで行ってしまおうということになったんです。機内に持ち込む手荷物をX線に通して、自身も武器とか怪しいものを身につけてないか検査ゲートを通るアレです。海外に行くときは飲みかけのペットボトルなんかは持ち込み禁止で、ゲート前でがぶ飲みしますけど国内線は少し緩めで持ち込みできるんですね。大抵の人は何事もなく保安検査所を後にするんですが、なんと大将が呼び止められてるんですよ。あー、またなんかワインオープナー的なものを手持ちカバンに潜ませてたのかな。『工具をお持ちではありませんか?』検査員の方が大将のカバンを調べると、怪しげなものが出てきました。古びて色の変わったスパナ。なんでそんなの持ってるの?意外すぎて大将も私も笑い出してしまいました。 午前中に母の家にあったダイニングセットの椅子をクリーンセンターに捨てに行ったんですが、昨日テーブルも解体して持っていけないかとスパナをカバンに入れてたようなんです。まだ出発まで時間があったのでそれも預けて飛行機に乗せてもらうことになりました。これが特別梱包されたうちの工具さま。そしてこちらが、空の旅を楽しんだスパナ。こちらは窓から見えた夏の富士山です。(つづく)
2023/07/31
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タイタニックホテル、覚えやすい名前なのでベルリンで道に迷ってもなんとか戻ってこれるんじゃないかと思っていました。ところがベルリンにタイタニックホテルはいくつもあるんですよ。タイタニック コンフォート ホテル ベルリン ミッテとか、タイタニック ジャンダルメンマルクト ベルリンとかね。私達が試合中に宿泊したのは、タイタニック ショシー ベルリン (Titanic Chaussee Berlin)です。恐竜なんかが展示されている自然史博物館や現代美術館に近い立地だったんですが、どちらも時間がなくて行きませんでした。Uバーンやトラムの駅に近いのは便利でしたね。宿泊初日に、部屋から降りてきてエレベーターから出ようとしたら、横から走ってきたスタッフの人と激突したんです。幸いお互い怪我もなく無事でしたが、エレベーターから降りる時って左右の確認なんて普通しないのでロビーの家具の配置に問題がある気がしました。左奥にレストランとバーがあります。朝食会場は一つ上の階にあって、ハーフ・マラソンの日はここがいっぱいでした。一番奥の調理場でオムレツを作ってくれます。謎だったのは部屋に飾ってあった鍵と布。ドイツではこういうものを額に入れて飾るんですかね。一番気になったのがトイレと一体化したシャワールームでした。排水溝が一番低い位置にないみたいで、シャワーを使うと水が床に貯まるんです。部屋の絨毯の端がシャワールーム内に入っているので濡れるし。マッサージやボディ トリートメントを楽しめるスパもあるほか、屋内プールやスタッフ常駐のジムなどの設備もあったようですが全く利用しませんでした。大将は水着を持っていったみたいですけどね。とても良いホテルでしたけど、また是非泊まりたいという感じではありませんでした。ホテルのより詳しい写真はこちらからご覧になれます。
2023/04/13
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