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<ロマネスク様式>バルセロナのモンジュイックの丘に建つカタルーニャ美術館は、1929年の万博のために建設され1934年に美術館として開館しました。その後、1995 年にロマネスク美術の新しい部屋が開設され、 2004年に近代芸術を統合して現在に至ります。2024年11月5日(火)に行きました。1階はロマネスク様式と、ゴシック、ルネッサンス、バロック様式の2つのセクションに分かれていて、2階は近代芸術のエリアになっています。一般入場券は12ユーロ。シールをもらって服につけます。この美術館は巨匠の名画もさることながら、目玉は時代的に一番古いロマネスク様式の展示だそうです。ロマネスクという名前なのでローマ時代と勘違いしていたんですが、11~12世紀のヨーロッパの建築、美術の様式を言うそうで、日本で言ったら平安時代後期になります。ローマが東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂した4世紀末ごろ、フン族の侵攻から逃げるようにゲルマン民族の大移動が始まって、現在のスペイン、フランス、イギリス、オーストリア、イタリアあたりにあった西ローマ帝国に押しよせました。東ローマ帝国はこの嵐のような時代を耐えてその後も1000年以上繁栄し、ビザンチン文化が花開いたんですが、西ローマ帝国は100年持たずに崩壊しゲルマン人たちに乗っ取られてしまったんです。ゲルマン人たちは西ローマの素晴らしい芸術を真似てキリスト教の教会を建て始めますが、なにぶん素人なのでうまくいかないんですね。ローマ風の円形アーチを木材と煉瓦で作り、天井を支えるために壁を分厚く、窓を小さく、壁には絵を柱には彫刻をほどこしていきました。そうして作られた教会がピレネー山中に点在していて、1906年に文化財調査が行われたことをきっかけに、朽ち果てたり盗まれたりする前に保存しようと言うことになったようです。壁のフレスコ画をどうやって剥がして修復していったかと言う動画が流れていました。こちらはラ・セウ・ドゥルジェイ・サンペドロ教会の壁画。12使徒がお茶目に描かれていて、宗教画によくある悲壮感がありません。カタルーニャ美術館の最大の見所は、現存するロマネスク美術の中でも最高傑作として世界的に広く知られているらしいサント・クレメント大聖堂の壁画。ちょっとマンガみたいなキリストと聖人たちが描かれています。ロマネスク様式は、ちょうど平安から鎌倉に時代が移り変わる頃にゴシック様式へと変わって行きました。ブダペストでロマネスク様式にふれた時、こう言った時代背景を全く知らずに、古いお寺に入ったときのような温かみのある雰囲気に包まれましたが、ロマネスクとはローマを真似て独自に発展した『ローマ風の』ゲルマン文化だったんですね。中世の世界史なんてすっかり忘れてましたけど、ゲルマン民族大移動だけは何故か記憶に残っていたので周辺の歴史や文化が学べて面白かったです。(つづく)
2024/11/23
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<小池邦夫の絵手紙>部屋から温泉に向かう途中の1階に、小池邦夫絵手紙ギャラリーがありました。短い書と簡単な絵を組み合わせたインパクトのある年賀状をいつも送ってくれる親戚がいるんですが、それを絵手紙と呼ぶことを初めて知りました。小池邦夫さんは絵手紙創始者で、活動は主に東京の狛江市、生まれは道後温泉の近くだそうです。東京学芸大学書道科在学中から、故郷の友人に宛てて絵手紙を送ったのが始まりでした。1978~79年に雑誌『季刊 銀花』に1年間で6万枚を描き、世間に絵手紙が浸透して行ったようです。手紙にしてはかなり大きい作品もありましたが、折りたたんで送ったものを伸ばして額に入れたそうです。目に飛び込んできた一枚は、『自分で光れ』。短い言葉が、絵があることで少しマイルドに刺さります。2023年8月31日に82歳で亡くなったとのことでした。ふなやのギャラリーについては、こちらをご覧ください。(つづく)
2024/10/10
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<長崎県美術館>長崎県美術館は、出島よりさらに海側に埋め立てた土地に建っています。間に運河が通っていて、二つに分かれた建物を橋の回廊が繋ぐ隈研吾氏デザインの建物でした。隈研吾といえば『木』のイメージですが、ここでは細長く切り出した花崗岩が木の雰囲気で窓に林立しています。美術館の展示を見ると駐車料金が割引になるので、出島見学の後に行ってみました。3時間くらい出島で歩いたので疲れていて、ちょっと涼しいところで休憩もしたかったんです。運河を望む回廊にカフェがあったので、まずはそこで一休み。エビとアボカドのホットサンドとアイスクリームで一息つきました。こう言った公共施設は月曜日休館が多いんですが、ここは開いていて、綺麗で、しかも空いていて最高。 コレクション展『生誕80年─渡辺千尋の銅版画』開催期間:2024年07月24日~ 11月10日2009年に亡くなった銅版画家・渡辺千尋は、長崎で少年時代を過ごしました。生誕80年の今年、美術館が収蔵する代表作を展示しています。初期の作品群は、恐怖マンガみたいで怖かったです。版画のことは学校の美術の授業でちょっと齧っただけで全くわからないんですが、線の技法と呼ばれるエングレーヴィングで『象の風景』シリーズなどが制作されました。《象の風景─無風地帯》1980年 エングレーヴィング2000年以降は面の技法と呼ばれるメゾチントに切り替えて作品を世に出していきます。《幻花 I I 》2001年 メゾチントずいぶん作風が変わって、別人の作品のようです。コレクション展『長崎ゆかりの工芸・デザイン』開催期間:2024年11月14日~ 2025年02月24日このガラス作品は花瓶かと思ったんですが、とっくりだったんですね。そう言われてみると、フタが付いてるようです。御厨正敏《かぶら形ガラス徳利》2000年コレクション展『野見山暁治』開催期間:2024年06月25日~09月08日大正から昭和、平成、そして令和を生きた野見山暁治は福岡県飯塚市出身の洋画家です。2023年6月に102歳でこの世を去り、没後1年にあたり収蔵品および個人蔵の作品を紹介していました。野見山暁治《気休めの景色》2003年コレクション展『長崎・木版・風景—新収蔵の橋本興家と松崎卯一を中心に』開催期間:2024年07月09日~10月14日長崎県美術館が2023年度に新たに収蔵した橋本興家(1899-1993)の風景3点と、松崎卯一(1895-1972)の風景1点を中心に、木版によるさまざまな長崎風景を展示しています。橋本興家《静 B(長崎)》1961年 木版コレクション展『スペイン近現代美術』開催期間:2024年04月10日~10月14日近現代のスペイン美術はこの美術館コレクションの柱で、そのうちバスケス・ディアス、ピカソ、クラベ、タピエス、アロージョ、シシリアなどを展示していました。ホセ・マリア・シシリア《消えゆく光》 2004年ダニエル・バスケス・ディアス《人気闘牛士たち》 1914年)最後にミュージアムショップにちょっと立ち寄りました。日本ではここでしか買えないプラド美術館のミュージアムグッズも販売されているとのこと。私が気になったのは猫の絵葉書でした。長崎ではいろんなところで猫に遭遇するんです。家猫なのか野良猫なのかわかりませんが、道をのんびり歩いてて目が合うんですね。博多出身の母も長崎大好きだったので、『元気にシトラス?』って猫に言われたら嬉しいかなとお土産に買いました。悲しい恋を思い出させただけかも...。長崎県美術館の公式サイトはこちらです。
2024/09/12
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<ブダペスト国立西洋美術館(2/2)> サロモン・ファン・ロイスダール(1631)砂浜の道を行く馬車(雨上がりに)レンブラントやフェルメールの活躍したオランダ絵画黄金期の風景画家として知られるヤーコプ・ファン・ロイスダールの伯父にあたる人です。一族みんな画家というのはこの時代よくある話なんで、兄も子も画家というのも不思議ではありません。みんな風景画家で、カンバスの半分以上が空、それもうっとりするほど綺麗な空なので目を引きます。 ウィリアム・ラーキン(1612-1616頃)ある貴婦人の肖像1600年代初頭に活躍したイギリスの宮廷画家で、ジェームズ1世に仕えていました。ジェームズ1世の治世期間(在位:1603年 - 1625年)はジャコビアン時代と呼ばれていて、その時期にブームだった高貴な人がつける襟飾りをしています。編むのも大変でしょうけど、それを描くのも相当な根気がいりそうです。シェークスピアやフランシス・ベーコンが活躍した時代ですね。日本では関ヶ原の戦いの頃です。 エル・グレコ(1579-1580頃)キリストの脱衣(エル・エクスポリオ)エル・グレコの作品はたくさんありました。コレクターだったエステルハージ家の方々が信心深かったのかも。エル・グレコの『悔悛するマグダラのマリア』はチケットの絵柄にもなっていました。 ヤン・ブリューゲル (父)(1612-1613頃)人間の堕落を伴うエデンの園ブリューゲル一族も画家ばっかりで、さらに名前がみんなピーターかヤンなので(父)とか(子)とかで区別しています。この絵の作者は『花のブリューゲル』とか『ビロードのブリューゲル』とか呼ばれる画家で、ルーベンスと共作したりもしています。ヤン・ブリューゲル (子)はこの人の長男で、昨日ご紹介したヴァン・ダイクとイタリア旅行中にヤン・ブリューゲル (父)がコレラでなくなったという知らせを受けたそうです。ブリューゲル一族の絵はたくさんの寓意が込められているので、じっくり見るのも興味深いですよ。 ピーター・ブリューゲル (父)(1566)洗礼者聖ヨハネの説教聴衆の表情が様々で面白いですね。ヤン・ブリューゲル (父)のお父さんで、有名な『バベルの塔』を描いた画家です。長男がピーター・ブリューゲル (子)、次男がヤン・ブリューゲル (父)と呼ばれています。 ヒエロニムス・ボスの模写(1550-1560頃)快楽の園オリジナルは三連祭壇画で、1500年代初頭にボスによって制作されスペインのプラド美術館にあります。中央部分だけを相当精巧に模写されたもので、実物かと思いましたね。ボス独特の不思議な世界観に存在する生き物がリアルです。 ラファエロ・サンティ(1508)聖母子と若い洗礼者ヨハネ(エステルハージの聖母)ウィーンにある有名な『ベルヴェデーレの聖母』の2年後に描かれた背景と構図がほんの少し違う『エステルハージの聖母』です。レンブラント作品など、特別な保護ガラスに守られていた絵がいくつかありましたが、ラファエロの作品もそうでした。額縁もすごい豪華ですね。この絵は未完成なんだそうですが、後どこをどうするつもりだったんでしょう。 ラファエロ・サンティ(1504-1505頃)若い枢機Ippolito d’esteの肖像モデルについては諸説があるそうで、タイトル通りなのかヴェネツィア出身の詩人なのか確証はないそうです。1983年にラファエロのこの2作品を含む7点が盗まれる事件があって、特別なガラスケースに入れられているのかもしれません。窃盗団は翌年、全員逮捕されたそうです。 ピーテル・ヨーゼフ・フェルハーゲン(1770)聖ステファン、ハンガリー王がレゲートを受領オーストリアのマリア・テレジア皇后の最初の宮廷画家に任命された、宗教画や神話絵を得意とするベルギーの画家です。聖ステファンとはハンガリー初代の王様イシュトヴァーンのこと。1932年のオーストリア・ハンガリー協定に従って、ウィーンの旧帝国コレクションから1934年に移行されたそうです。この絵はハンガリーにあるべき作品ですね。ブダペスト国立西洋美術館は、地下1階が古代エジプト美術とアンティーク、0階が昨日ご紹介したホール、1階が13世紀から18世紀の西洋絵画、2階が彫刻、3階にハンガリーの絵画等を展示しています。ご興味ある方は、公式サイトをご覧ください。
2024/08/12
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<ブダペスト国立西洋美術館(1/2)>英雄広場にある英雄たちの像の左右にブダペスト国立西洋美術館と現代美術館があります。2024年7月30日(火)の午前中、ホテルをチェックアウトして地下鉄で英雄広場に向かいました。ハンガリー滞在中はずっといい天気でしたね。こちらが西洋美術館。こちらはお向かいにある現代美術館。2つ回るのはきついので西洋美術館に入りました。こちらがチケット。入ってすぐのマーブル・ホールには、タッチパネルで作品を解説する大きなスクリーンがありました。古代エジプトの発掘品から西洋絵画まで幅広いジャンルの作品を展示しています。ハンガリー貴族のエステルハージ家のコレクションが元となっているそうで、建物は1896年の万博の時に建てられました。こちらはルネッサンス・ホール。この奥の部屋、ロマネスク・ホールはすごかったです。第2次世界大戦で被害を受け、損傷した石膏像などを保管する倉庫として70年くらい陽の目を見なかった部屋。その間、一部のスタッフだけが入れる最も華やかな秘密の空間だったそうです。2015年から3年かけて修復して、入ることができるようになりました。美術館が建てられた時、ロマネスク様式を模して作られたホールは、どこかの教会か古い建物の内壁を壁画ごと持ってきたみたいに見えます。こちらフライブルグ大聖堂の黄金の門のレプリカ。本物かと思った。ここからは目にとまった絵画をいくつかご紹介します。 ヨハン・ミヒャエル・ロットマイヤー(1703)ペストの犠牲者を執り成す聖アウグスティヌス14世紀頃から大流行したペストでヨーロッパ人の1/3がなくなったと言われています。新型コロナもそうでしたが、人類はパンデミックとの戦いの中で生き抜いてきているんですね。 アンソニー・ヴァン・ダイク(1641)メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートの肖像英国王チャールズ1世の長女メアリーのお見合い写真の意味で作成された肖像画です。ヴァン・ダイクは実物よりちょっと綺麗に描くので当時の貴族たちに人気でした。彼女はその後、オラニエ公・オランダ総督ウィレム2世の妻になりました。 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682)宗教画の作品群です。子供や天使の絵がとっても可愛らしいのでムリーリョ大好きです。 カースティアン・リュックス(1650年代)Carstian Luyckx(1623-1657)は、オランダのアントワープ出身の画家で、静物画が有名です。細部まで描きこまれた地球儀と天球儀に見入ってしまいました。フェルメールの絵もそうですが、一枚にどのくらい時間かけてるんだろうと思ってしまいます。ちょっと長くなりそうなので、後半は明日ご紹介します。
2024/08/11
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<温泉大壁画>辰巳館の『はにわ風呂』には山下清の大壁画がありました。裸の大将と呼ばれた画伯が約60年前に絵を描き、彼の師であった式場隆三郎先生、美術工芸家の手塚昇先生らと共に作成した本邦唯一の作品とのこと。夕食前にお風呂に入って、私は女子風呂にあったこの壁画を見ていました。『どんな絵だった?』メロンチョコさんに聞かれたので、こう答えました。『女の子が寂しげにこっちを見てる絵。』前衛的な絵が描かれる予定だったのに三代目館長がもっと楽しい絵がいいと言って、山下清さんを招集する流れになったそうです。式場先生から『清、お前これからここの風景描くんだから川を見とけ』といわれて3時間以上ずっと川を見続けていたとのこと。私の大好きなクロード・ロランも、一日中雲を眺めていたと言いますから、やっぱり画家はまず見ること、じっくり観察することが仕事なんでしょうね。お風呂だけでなく、廊下のあちらこちらに飾られている『はにわ』の方も気になっていました。この近くに矢瀬遺跡や梨の木平遺跡があって、発掘された土器や埴輪などが月夜野郷土歴史資料館で見られるようです。 山下清の大壁画の他にも、じっくり楽しめる絵画や書が多く展示されていました。ビールサーバーとコーヒーマシンのあるロビーに飾られていたのがこの絵。何代目かのオーナーの趣味なんでしょうね。北原白秋の落葉松の詩、これ学校で暗記させられたっけなあ。もう忘れたけど。お庭も綺麗です。まだ桜が咲いていました。温泉の大壁画は昭和36年に完成したそうです。放浪の画家・山下清がここに逗留して風景を描いたころは、綺麗な秋だったんでしょうね。(つづく)アートのある生活
2024/05/02
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愛媛県美術館で2023年9月23日から11月26日まで、企画展『ヨハネ・パウロ2世美術館展』を開催していました。愛媛県美術館開館25周年記念と学校法人聖カタリナ学園創立100周年記念と兼ねた特別企画です。四国八十八ヶ所巡りの途中で美術館に行くとこなんて今までありませんでしたが、ポーランドの首都ワルシャワにある、ヨハネ・パウロ2世美術館に行くチャンスは滅多にないでしょうからこれは見逃せません。2023年11月23日(勤労感謝の日)に行ってきました。展示されているのは、化学者ズビグニェフと妻ヤニーナのポルチェンスキ夫妻から1986年に国に寄贈されたコレクションで、1829年にワルシャワに建てられた旧国立銀行ビルディングを改修し1989年に公開されました。在位中だったポーランド出身のローマ法皇、ヨハネ・パウロ2世の名前をつけさせてもらった美術館です。美術館レベルの名画を450点も個人蔵されていたということは、相当お金持ちの化学者なんでしょうね。この展覧会では女性像に着目して、「母と子」「神話と伝説」「肖像」の3章に分けて61点が展示されていました。<第1章母と子>ルーカス・クラーナハ(子)《聖母子》カルロ・ファッキネッティ《母性愛》中世ヨーロッパ絵画のテーマで一番多いのが聖母子(キリストとマリア様)ですが、庶民の母と子の素晴らしい絵もあるんですね。母と子とそれを描いている画家の愛が感じられます。<第2章神話と伝説>アンソニー・ヴァン・ダイク《エジプトへの逃避途上の休息》神話を描くことは、西洋美術では長く最上位に位置付けられていたテーマです。ヴァン・ダイクは王侯貴族を実物より少し美しく描いて人気を博した画家です。この絵も神話に準えて高貴な人々を描いているのかもしれないですね。<第3章肖像>レンブラント・ファン・レイン《襞襟を着けた女性の肖像》1644年ジョシュア・レノルズ《ネリー・オブライエン嬢の肖像》肖像画は富や権力の象徴でしたが、大航海時代のあたりから庶民も豊かになってきて次第に一般市民の絵も制作されるようになりました。レンブラントの絵は大好きです。女性の襟、すごく丁寧に描かれているんですよ。エミール・ブラク《白いドレスの少女の肖像》1886年フリッツ・ツーバー=ビューラー《花環の少女》油彩ポスターになってる一番上の絵の美人さんは、ルイ15世の娘の中で一番美人とされていた皇女だそうです。生涯独身だったそうですよ。音声ガイドを借りて回らないと、なんの絵なのか分からないので借りてよかったです。『ヨハネ・パウロ2世美術館展』は2023年1月28日から3月26日まで福島県の郡山市立美術館、7月25日から8月27日まで宮崎県立美術館を巡回し、愛媛県立美術館の後、12月15日から2024年3月3日まで長崎のハウステンボス美術館で開催されます。ご興味ある方は冬のハウステンボスへどうぞ。
2023/12/07
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<道後の美と地ビール>たくさん食べたので腹ごなしに少し歩くことにしました。道後館の館内にも目を楽しませてくれる美品がそこここに飾られています。長い廊下の白い壁には江戸末期から明治初期の様子を描いたと思われる絵がプリントされていて、全部違うので一つずつ見入ってしまいました。焼き物のことはよくわかりませんが、地域がら、これは砥部焼き(とべやき)でしょうかね。外はまだ暖かくて、街を散策するにはもってこいの気候でした。10年前にここに来た時は寒くて、ビールの立ち飲みを早々に切り上げたんです。道後温泉本館は保存修理工事中で、明かりが消えていました。10月末まで建屋をすっぽり覆うテント膜がみられたそうです。今は鉄骨だけかな?愛媛県宇和島市を拠点に創作活動を行う画家の大竹伸朗さんの作品がこちら。道後アート 2023という芸術祭を町全体でやっていて、とても華やかでした。道後温泉別館の飛鳥乃湯泉中庭には、写真家で映画監督の蜷川実花さんの花の写真約230点が設置されています。昼間見るとこんな風景。街アートを楽しんだところで、ふらふらっと道後麦酒館へ吸い寄せられてしまいました。ホテルでもさっき飲みましたが、漱石・のぼさん・坊ちゃん・マドンナを冠した道後ビール4種類は以前ご紹介しましたね。直営店に、見たことない地ビールがあるではありませんか。道後ビールの黄昏レッドエールと限定醸造IPA。お腹いっぱいだけど、これは試すしかないでしょう。ラップして、持ち帰ることにしました。風呂上がりに飲もうということで。(つづく)うまい地ビールいろいろ
2023/11/24
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<加賀の美>九谷焼は石川県を代表する伝統工芸です。色絵柄がバラエティに富んでいて美しく、普段使いの食器としても目を楽しませてくれます。前田利家が加賀の発展のために陶器生産を推進することにして、有田焼に学ばせて九谷村で生産されたのが始まりとされています。宿泊したホテルのロビーからエレベータへ向かう壁に美術品というに相応しい鮮やかな九谷焼の皿が飾られていて、思わず吸い寄せられてしまいました。スペインやイタリアの家庭に綺麗な絵皿が飾られているのをテレビでよく見たりしますが、そのレベルをはるかに超えた名画を飾る感覚ですね。ランプもとんでもなく美しいです。電気いらないんじゃないかと思ってしまうほどの存在感。ロビーに入った段階で加賀の美の絢爛豪華さに圧倒されました。こちらは半世紀以上眠っていた加賀友禅の反物を用いた友禅浪漫絵図。ロビーラウンジのステンドグラスも綺麗ですね。夜にはここでピアノコンサートが催されました。お土産売り場も素敵な葡萄のステンドグラス。最近ビール飲むのに愛用してるグラスも葡萄柄のステンドグラス風グラスなんですよ。先日リサイクルショップに100円で売り払ったサークラインも、長年愛用していたステンドグラス風のランプシェードでした。もう少し手先が器用だったらステンドグラス作ってみたかったくらい、こういうの好きなんですよね。今回美術館には行けなかったけど、とってもいい目の保養をさせてもらいました。(つづく)
2023/08/03
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ベルリン絵画館で見たルネサンスからバロック期にかけての、オランダ以外の画家たちをご紹介します。結構たくさん写真撮ったんですが、とても全部はご紹介できないので抜粋です。『テラヌオーヴァの聖母』ラファエロ(1505)聖母子の左に洗礼者ヨハネ、右に聖なる子が描かれています。聖なる子って誰でしょうね。ちょっと気になります。ラファエロ・サンティは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶルネサンス三大巨匠の一人で、この後続くバロック絵画の画家たちにも多大な影響を与えています。37歳という若さで亡くなっていますが、メディチ家の後ろ盾もあり大工房を構えていましたので作品は多く、ドレスデンやウィーン、プラドなどでも作品を見る機会がありました。『ヴィーナスとオルガン奏者』ティッツァーノ(1550)ティツィアーノ・ヴェチェッリオはルネサンス・ヴェネツィア派を代表する画家です。トルコドラマに出てくる王妃の絵も描いている世界的な巨匠。ヴェネチアの教会や美術館はもちろん、ルーブル、プラド、エルミタージュほか多くの美術館でティツィアーノの作品に出会えます。『トビアスの癒し』カラヴァッジオ(1615)ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョは、バロック絵画の草分けとしてローマで活躍し、後のレンブラントやルーベンスなどに影響を与えたと言われています。孝行息子のトビアスが大天使の助けを借りて魚を獲り、父親の目の病を治したという旧約聖書の物語を題材としています。光と影のドラマチックな表現は生々しく、ちょっとうちに飾るにはどうかなといった題材が多いんですが素晴らしい作品が2016年に上野で開催されたカラヴァッジョ展でも見られました。『キリストの洗礼』ムリーリョ(1655)バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョは、バロック期のスペインの画家です。ムリーリョは美しい聖母像や、子どもの絵を数多く描いていて、日本で開催されたルーブル美術館展やプラド美術館展、大エルミタージュ美術館展などでも作品を鑑賞することができました。プラド美術館、ビルバオ・ファインアート美術館、シュテーデル美術館にも有名な作品がありますのでご興味ある方はそちらをご覧ください。『大天使聖ミカエル』ルカ・ジョルダーノ(1663)ルカ・ジョルダーノは、バロック後期ナポリ派の巨匠で、版画家としても知られるイタリア人画家です。大天使聖ミカエルは、悪魔や反キリストと戦う天界の守護天使で、ウィーン美術史美術館にも「堕天使を深淵に落とす大天使ミカエル」という有名な絵があります。スペイン王カルロス2世に気に入られて10年ほどマドリードにいたので、スペインの教会や王宮の天井画なども手がけました。速描きのルカというあだ名があったくらい描くのが速かったそうで、スペイン王妃に奥さんはどんな人かと聞かれてその場で絵を描いて見せたらしいですよ。『朝日の中のイタリアの海岸風景』クロード・ロラン(1642)クロード・ロランは私が最も好きな画家の一人です。本名をクロード・ジュレといい、バロック・フランス古典主義に分類されるフランス人画家です。上野の西洋美術館にも作品が常設されていた時期があって、それを見るために何度も足を運んだことがあります。空の色、雲の色が理想的に美しくて、どこで出会っても目を惹きます。プラドでもフランクフルトでも山梨県立美術館でも、テレビドラマでも。カラヴァッジオのところでご紹介した『トビアスの癒し』をモチーフとしたクロード・ロランの絵がプラドにありました。ティッツァーノもこの題材で絵を描いているんですよ。孝行息子はいつの時代も宗教関係なくみんなに好まれますね。うちの母も大谷翔平くんみたいな息子が一人いればよかったとか言ってました。ベルリンにクロード・ロランの作品があることは知りませんでしたが、また出会えたことをとても嬉しく思っています。ベルリン絵画館の公式サイトはこちらです。(おわり)アートのある生活
2023/04/19
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ベルリン絵画館で見たオランダ黄金期のバロック絵画をいくつかご紹介します。聖ペテロに天国の鍵を渡すキリストの絵は、ルネサンスの芸術家によって繰り返し描かれた題材です。一番有名なのはラファエロの師だったペルジーノ(1450年ころ-1524年)のフレスコ画かもしれません。『聖ペテロに天国の鍵を渡すキリスト』ルーベンス(1613)聖ペテロはキリスト第一の使徒と称される人で、マタイ福音書16章に「あなたはペテロ(岩)である。そして、わたしは岩の上にわたしの教会を建てよう。……わたしはあなたに天国の鍵を授ける」とあるそうです。『子供と鳥』ルーベンス(1629)ルーベンスは外交官的な活動が多く、それほど絵を描いている時間はなかったはずですが、工房の大勢の弟子たちがきちんと仕事をこなしてくれていたので大変多くの作品を残しています。この子供の絵はどの程度が本人の筆によるものなんでしょうね。『オランダのことわざ』ピーター・ブリューゲル(父)(1559)ブリューゲルは画家一族で、親子で同じような名前なので作品にカッコ付きで父とか子とか書かれています。『十字架を運ぶキリスト』ピーター・ブリューゲル(子)(1606)練習のために父親の絵を模写していて、どちらも甲乙付け難く上手いので同じ作品が何枚も世に出回っている上、父なのか子なのか甥なのか誰が描いたのかわからない作品もあります。一番有名なのはバベルの塔の絵でしょうかね。『聖アントニウスの誘惑(三連祭壇画)』ヒエロニムス・ボス(1540)荒野で瞑想にふけるアントニウスを、悪魔がいろんなものに化けて堕落させようとするエピソードを描いています。ヒエロニムス・ボスも画家一族の出で、ピーター・ブリューゲル(父)に多大な影響を与えたとされるオランダの画家です。『オランダの風景』サロモン・ファン・ロイスダール(1656)兄のイーサクも画家で、オランダ黄金期の有名な風景画家ヤーコブ・ファン・ロイスダールは彼の甥です。この時代は、画家も音楽家も多分それ以外の職業も一族で受け継がれるケースが多いです。職業の選択肢が少なかったのかもしれませんが、才能を早めに開花させる手助けになったでしょうね。『ナイメーヘン市の眺め』ヤン・ジョセフス・ヴァン・ゴイエン(1649)ヤン・ジョセフス・ヴァン・ゴイエンのことはこの絵で知ったのですが、1651年にオランダのハーグの市長室を飾るパノラマ風景画を担当した画家だそうです。絵を描くのが速くてたくさんの作品を残しているらしいのですが、評価はあまり良くなくて、不動産やチューリップ投資にも手を出して借金まみれで亡くなったとのこと。19世紀末に再評価されるまで忘れられた存在だったそうですよ。『プロセルピナの略奪』レンブラント(1631)ギリシア神話のエピソードで、冥府の神ハデス(プルートー)がペルセポネ(プロセルピナ)を略奪するシーンを題材にしています。レンブラント、さすがです。吸い込まれました。『愚かな金持ちのたとえ(両替商)』レンブラント(1631)ルカによる福音書にある「自分のために富んでも、神の前に豊かにならない者」がテーマだそうです。モデルはレンブラントのお父さんだとか。蓄財しても天国には持っていけないよという意味でしょうかね。最後にご紹介したいこの絵ですが、いいなあと思って写真撮ったんですが誰の作品か覚えていないんです。レンブラントかと思ったんですが、作品検索に引っかからないので違うのかもしれません。どなたかご存じないですか?(つづく)アートのある生活
2023/04/18
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ドイツ・ポツダム広場の近くにありますベルリン絵画館をご紹介します。雨降りの寒い土曜日、2023年4月1日に訪れました。フーゴー・ファン・デル・グース(Hugo van der Goes)の企画展をやっていました。15世紀にフランドル最大の巨匠として国際的に名声を高めていましたが、40歳くらいで突然引退して修道院に籠もったそうです。尼僧との許されざる恋が原因らしいんですがフーゴーは心を病み、1481年に自殺を図り命をとりとめたものの翌年亡くなったそうです。絵画館内はカメラOKで、このようなレクチャーも行われていました。大好きなオランダ黄金期の絵画が多数展示されているので、ベルリンには美術館も博物館もいろいろあるんですが、時間的に一つしか行けないのなら是非ここに来たいと思っていました。フーゴーのことはよく知りませんが、ここの目玉としてフェルメールの絵画も見逃せません。ところが出発直前になって大将がとんでもないことを言ったんです。『真珠の首飾りの女』フェルメール(1662-1665年頃)『ワイングラス』フェルメール(1661‐1662年頃)『今、アムステルダム美術館で大フェルメール展やってて、世界中のフェルメール作品が大集合してるらしいよ。』お目当ての2作品もオランダ遠征中でした。日本に来たときに一度見てますので、オランダ経由に変更するなんてことはしませんよ。飛行機代が何万円も上がってしまいますからね。ちょっと長くなりそうなので、続きはなまた後ほど。(つづく)アートのある生活
2023/04/17
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もうすぐクリスマス。忘れがちですが、今日は冬至です。きのう、移動アプリのポイント稼ぎのために歩いていると書きましたが、ただ歩くのもつまらないので街のイルミネーションを取材することにしました。近所のショッピングモールの植え込みには動物のイルミネーション。こちらが今年のメインクリスマスツリーです。いつも富士山やら恐竜やらコンセプトの分からない駅前の電飾も、今年はシンプルできれい。木を照らすライトが、いろんな色に変わっていきます。ことしもあと10日ですね。ちょっと早いけど、メリークリスマス。2021年、2020年、2019年のイルミネーションはこちらから。
2022/12/22
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叔母が銀座で個展を開くという案内をもらって、今日、数ヶ月ぶりに東京へ出かけました。今年開業150周年を迎えた東京駅。神々しい感じです。向かいの東京中央郵便局で年賀状を買って、KITTEビルのツリーを拝見。まだ黄色いイチョウ並木の丸の内をぶらぶら歩きながら、銀座に向かいました。叔母の銀座での個展はこれが2回目。前回は母と二人で行ったんです。今回は来れないので、代わりにいつも年末にお歳暮代わりに母が送っていた安曇野のりんごを3つ、お土産に持って行きました。場所はJR有楽町駅前の交通会館B1F、シルバーサロンC。『祇園の華』片桐タ喜江 2021年ル・サロン展入選中央の大きな絵は『夢の舞台 I I』で、11月16日まで東京都美術館で開催されていた2022年第48回太陽美術展銅賞作品です。こちらも同じく入賞作品『令和花模様』です。ご興味ある方、個展は2022年12月24(土)まで午前11時から午後5時(最終日は午後4時まで)やってます。有楽町の駅おりてすぐですので、よかったらお立ち寄りください。入場無料です。
2022/12/18
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昨日の夜、大将とビール飲みながら海外での苦労話で盛り上がっていた時、生きている間に行ってみたい場所の一つとしてイギリスのダラムを上げたんです。トーマス・ローレンスの名画ランプトン少年像(通称レッド ボーイ)がそこにあるから。個人蔵の美術品は、その人の知り合いでもない限り実物を目にする機会はありません。イギリスの伯爵家となると、可能性はほぼゼロ。ところがレッド・ボーイを大将がネットで検索して、すごいニュースが出てきたんです。ロンドンのナショナル・ギャラリーが、トーマス・ローレンスの「レッド・ボーイ」の肖像画を930 万ポンドで購入。2021 年 7 月 22 日の記事でした。え〜〜〜〜〜!!!!ロンドンに行けば見れるじゃない。ひょっとしたら日本で企画展やって、来日する可能性も!!!ロンドンのナショナル・ギャラリーは1824年に設立されて、もうすぐ200周年になります。2020年に上野の国立西洋美術館でロンドン・ナショナル・ギャラリー展をやってましたが、その時はまだ購入前だったんですね。次はいつやるのかなあ。この絵は貸し出してくれるのかなあ。昨日はこのニュースのせいでワクワクしてなかなか眠れませんでした。これは天からのサプライズ・プレゼントか?生きてる間に本物が見られる可能性がグッと上がった感じです。ご興味ある方、関連記事はこちらになります。アートのある生活
2022/10/04
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<宮沢賢治とバラ園>1927年(昭和2年)、花巻温泉は新開地でした。当時の造園主任が、花巻農学校時代の恩師・宮沢賢治に頼んで南斜花壇として開発。賢治は毎日のように通って熱心に取り組んだそうです。その後、花巻温泉大植物園、天然植物見本園、高山植物園、薬草園と姿を変えつつ、1960年(昭和35年)に花巻温泉バラ園を開園し、2年前に60周年を迎えました。ホテル紅葉館の前庭にあった宮沢賢治設計の日時計花壇は、1976年にこのバラ園内に移設されて、今もそのままの姿を見ることができます。バラの最盛期は5月から6月で、約450種6000株が咲き揃って見事な眺めのようですね。今でもまだいくつか咲いてました。入園料は最盛期が1000円で、それ以外は500円と半額なんです。さらにホテル割引があるので、400円で入れました。5月下旬~10月下旬にはナイトローズガーデンも開催しています。ライトアップも見に来ればよかったな。12時ごろ花巻を後にして帰路につきました。途中でラーメンやアイスやずんだ餅を食べつつのんびり帰ったので、行きと同様、やはり7時間かかったんです。東北道も常磐道も山を切り開いて道路を作ったせいか、『動物注意』の標識が目につくんですね。関東に近づくにつれてその標識の動物が『しか』『くま』『さる』『たぬき』と変わっていくのが面白いなと思いました。そういえば今週、新宿駅でタヌキが、茨城那珂市で電線を渡るサルが目撃されましたね。長い旅行記に最後までお付き合いくださりありがとうございました。(おわり)アートのある生活
2022/09/08
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<花巻温泉 佳松園>花巻温泉郷の一番奥まったところにある佳松園に泊まりました。以前ここに宿泊経験のある埼玉メロンチョコ夫妻のお勧めで、隣の部屋を予約し、那須ダンス合宿以来久しぶりの温泉宿泊に期待が高まります。平屋建てに見えますが実はここは4階なんです。豪華なロビーですねぇ。派手な化粧のままヨガマット背負ってチェックインとか、ちょっと恥ずかしかったです。ロビーの奥に名画発見。日本画の巨匠、東山魁夷の『緑の詩』です。テレビのCMで使われていたことがありましたね。ロビーの窓からは枯山水の中庭が眩しい白さでした。夜には篝火が焚かれて、幻想的な雰囲気を醸し出します。部屋に向かう廊下にもおもわず足を止めたくなる美術工芸品がずらり。この素敵なランプは売り物で、22万円の値が付いていました。温泉というと普通は宿泊客全員同じ柄の浴衣ですが、ここは選べるんですよ。私は動きやすいのが好きなんで、作務衣(さむえ)を選びましたがね。(つづく)アートのある生活
2022/09/03
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ロシア絵画はあまり縁がなくてイリヤ・レーピンも映画で知りました。映画に出てきた彼の作品とされる絵を見た時、『レンブラントかな』と思ってしまったんですよ。イリヤ・レーピン(1844-1930)は、現在ロシアとの攻防戦が続いているウクライナのハルキウ(ハリコフ)出身の画家です。印象派全盛期に生きた方ですがそれには染まらず、移動派というジャンルに属していました。国立ロシア美術館展で見たシーシキンも移動派なのだそうです。写実的に庶民を描いた絵が印象的です。『ヴォルガの船曳き』(1870-1873)ロシア美術館『クルスク県の十字架行進』(1880-1883)トレチャコフ美術館肖像画も描くようになるんですが、この絵なんて超写実的で写真かと思いますね。『1901年5月7日の国家評議会百周年記念祝典』(1903) ロシア美術館著名人の肖像画も多く描いていて、中でもトルストイは何枚も描きました。『森で休息するレフ・トルストイ』、1891年、トレチャコフ美術館『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など数多くの作品を残した文豪です。『ドミトリ・メンデレーエフの肖像』(1885) トレチャコフ美術館元素周期表を作られた化学者です。『作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像』1881年展覧会の絵を作曲した音楽家です。亡くなる直前だったそうですよ。イリヤ・レーピンを語る時に外せない名作がこの作品。『イワン雷帝と皇子イワン』(1885年) トレチャコフ美術館勢いで息子を殺してしまった皇帝の表情が生々しく描かれていますね。最も長い年月をかけて作成し、最も高額で売れた作品がこちら。『トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージェ・コサック』(1880年 - 1891年) ロシア美術館私が個人的に一番気に入ったのはファンタジー調のこの作品でした。『水の下の王国のサトコ』1876年日本には横浜美術館が所蔵する『ロシアの少年』と、東京富士美術館が2019年に新規収蔵した『ウクライナの女』の2作品があるそうです。2012年から2013年にかけて国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展が巡回で開催されていたんですが見逃しました。当分の間ロシアには行けそうもないですし、美術界の交流もないでしょうね。惜しいことをしました。アートのある日常
2022/07/11
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上野の東京都美術館に、フェルメールと17世紀オランダ絵画展を見に行って来ました。今回の目玉は、ドレスデン国立古典絵画館所蔵のフェルメール『窓辺で手紙を読む女』。修復後、背景に出現したキューピッドを所蔵館以外で世界初公開というものです。ヨハネス・フェルメール《窓辺で手紙を読む女》(修復後)1657-59年頃修復前の絵は2回見ているんです。最初は2005年に日本にやって来た時。この時の目玉もやはりフェルメールのこの絵でした。2回目は2014年にダンスの遠征旅行でドイツに行った時に、所蔵元のドレスデン国立古典絵画館で見ました。ちなみに修復前はこんなでした。X線調査で背景にキューピッドが描かれていることが1979年には判明していたそうですが、フェルメール自身が塗り潰したと考えられていたのでそのままになっていたとのこと。ところが最近の調査・研究で、消されたのはフェルメールの死後という新事実が解って、2019年に修復が開始されました。修復作業の様子が映像で紹介されていましたが、綿棒で丁寧に上薬を剥がした上、顕微鏡で見ながらカンバスの繊維1本ずつ上塗りの絵具を剥がすと言った、化石調査の刷毛で地面履くより緻密な作業をされていましたね。担当された方は息もできなかったんじゃないでしょうか。一体誰が、何のために塗り潰したのかということに関しては諸説あって、17世期当時あまり有名でなかったフェルメールの絵をすでに巨匠だったレンブラントの作品に見せるためというのが有力な説のようです。皆さんはどちらがお好きですか。個人的にはキューピッドがないほうがスッキリしてていいと思います。絵の中の女性が読んでいるのはラブレターだというのを見る人に分からせるためにはこの画中画が必要なんでしょうかね。存在感ありすぎなので、せめてもう少し小さくして欲しい気がします。この、フェルメールの『ヴァージナルの前に立つ女』くらいに。この他に、ドレスデン国立古典絵画館のレンブラントやライスダールといった17世紀オランダ絵画コレクション約70点が展示されていました。ヤーコプ・ファン・ライスダール《城山の前の滝》1665-70年頃このライスダールの絵はドレスデンで見た気がするんですが、他の作品は全く覚えてませんでした。大将はレンブラントが結婚1年前に描いたとされるサスキアの絵に見覚えがあるような気がすると言っていましたが、私は放蕩息子の絵のサスキアしか覚えてませんでしたね。レンブラント・ファン・レイン《若きサスキアの肖像》1633年アルバート・ヘンリー・ペインの複製版画やレイデンの画家ハブリエル・メツーなどの絵が多く展示されていました。フェルメールと17世紀オランダ絵画展は2022年4月3日(日)まで上野の東京都美術館で開催されています。美術館に行くのは去年の8月以来でした。事前のネット予約が必要で、最終日間近だったので平日しか空いていなくて、2022年3月30日(水)に休暇を取って行って来ました。料金は一般2100円です。音声ガイドが500円から600円に値上がりしてました。
2022/03/30
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<岡山県立美術館>備中松山城の山登りをやめた2021年8月7日(土)の午後。この日、岡山市内は最高気温36.6度を記録しました。暑い日は冷房の効いた美術館がいいですね。岡山県立美術館でやっている特別展『ヨーロッパ絵画400年の旅 珠玉の東京富士美術館コレクション』を見ることにしました。美術館なんてすごく久しぶりだったのでワクワクです。東京都八王子市にある東京富士美術館所蔵の16世紀から20世紀までの西洋絵画83点を展示しています。岡山県立美術館も初めてですが、東京富士美術館も行ったことがないのでどんな作品が見られるのか楽しみ。アールト・デ・ヘルダー《ダヴィデ王を諫めるナタン》1683年レンブラントに学んだヘルダー、帽子とか髭とかレンブラントの描き方にそっくりです。テーマは旧約聖書にある物語で、家臣の妻を奪ったダヴィデ王(左)を預言者ナタン(右)が諫めているところです。ノエル=ニコラ・コワペル《ヴィーナスの誕生》1732年ごろヴィーナスの誕生といえばボッチチェリの絵が有名ですが、このテーマはいろんな人が取り上げて描いています。絶世の美女がどんなふうにこの世に生を受けたのか興味深いですもんね。ジャック=ルイ・ダヴィッドの工房《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》1805年1800年の第2次イタリア遠征でのアルプス越えを描いた有名な作品で、同じ構図で5作品くらい描いているそうなんです。かっこいいからナポレオンが気に入っていっぱい描かせたんでしょうかね。アントニー・ヴァン・ダイク《ベッドフォード伯爵夫人 アン・カーの肖像》1639年さすがヴァン・ダイク。肖像画にかけてはピカイチの仕事ぶりです。美しい人はより美しく、そうでない人も依頼主が喜ぶようにほんの少し美化して描く天才。自画像も男前でした。ミケーレ・ゴルディジャーニ《シルクのソファー》1879年女の子があんまり可愛いので絵葉書買いました。シルクのソファーの光沢が見事ですね。ヤン・ハッカールト《イタリア的な風景》17世紀大好きなクロード・ロランの絵かと思ってしまいました。17世紀のオランダではこういった温暖で湿度のあるイタリア的な風景絵画が流行っていたんですね。カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)《ヴェネツィア、サンマルコ広場》1732-33年写真みたいに描くヴェネチアの有名な画家です。彼の作品はどれも圧倒されるほど写実的で、一枚の絵にどのくらい時間をかけていたのか気になります。これも絵葉書買いました。ジャン=バティスト・モノワイエ《花》17世紀太陽王ルイ14世時代の宮廷画家だったモノワイエは、ヴェルサイユ宮殿を花の肖像画で飾ったそうです。枯れなくていいですよね。当時フランスで最も活躍をした「花の画家」でした。これも絵葉書ゲット。ジョセフ・マラード・ウィリアム・ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》1832年印象主義の先駆とも見なされるイギリスを代表する風景画家です。船の絵をたくさん描いていて、この作品は光の差し具合が綺麗だなと思いました。ピエール=オーギュスト・ルノワール《赤い服の女》1892年ごろこの女性、知り合いのダンサーにすごく似てるんです。日本人ですけどね。ルネ・マグリット《観念》1966年超自然的な絵、シュルレアリスムの代表的手法です。これまでいくつか作品を見ましたが、どれもありえないけど面白いんですよ。商品化されたのもありますね。指のついたスニーカーとか。城には行かなかったけど結局足が棒になりました。コロナで美術館巡りはしばらくしていなかったので、心に栄養補給できて幸せです。この特別展は2021年7月9日から8月29日まで開催されています。公式サイトはこちらです。お気に入りのアートに囲まれて暮らしたい!
2021/08/09
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ところざわサクラタウンに行ってきました。KADOKAWAによる日本初のコンテンツモールが埼玉県の東所沢に2020年グランドオープン。建物自体もかっこいいんです。ホテルや劇場、ミュージアムなどを含む複合施設になっています。日本のアニメ文化をクールに演出。仏像になったウルトラ兄弟に子供がかぶりついてました。紅白歌合戦でYOASOBIが歌っていたのはこの中にある角川武蔵野ミュージアム。私たちもそれを見てここに行ってみたいと思ったんですが、チケット完売で入れなかったんです。行くときはネットで予約していったほうがよさそう。企画展はいろいろありましたが、それぞれに入場料がかかるみたいです。ソーシャルディスタンスね。なんとビール醸造所もあったりして。神社もありました。鳥居は色が変わります。武蔵野坐令和神社か。納期を守れるよう祈念する「締切守」のご利益ありとか。これが今年の初詣になりました。ところざわサクラタウンの公式サイトはこちらです。
2021/01/02
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パリのルーブル美術館で、他の絵画よりもより厳重に守られて展示されているレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作『モナリザ』は、なぜイタリアではなくフランスにいるのでしょうか。モナリザといえばルーブルという感じでこれまで何の違和感も持ってなかったんですが、イタリア・ルネッサンスの巨匠ダ・ヴィンチの代表作がパリにあるのは確かに変ですね。毎週楽しみに見ている番組アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~の2020年最後の放送テーマは『フランス美術の幕開け フォンテーヌブロー派』でした。フランス王フランソワ1世(在位1515年-1547年)は芸術を愛する王様で、イタリア戦争でルネッサンス文化の素晴らしさを目の当たりにし、芸術面で大きく遅れをとった自国に是非とも芸術の花を咲かせたいと願うんです。内政を立て直すとフォンテーヌブロー宮殿を建設させ、天才レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスへ招きました。大きな屋敷を与えて厚遇しますが、この時すでに64歳だったダ・ヴィンチは3年後に亡くなってしまうんです。このアングルの絵はレオナルド・ダ・ヴィンチの死を嘆くフランソワ1世を描いています。ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル『レオナルド・ダ・ヴィンチの死』(1818) プティ・パレ美術館ダ・ヴィンチが死ぬまで絵を手放さなかったおかげで、モナリザの絵はフランスに残りました。そしてパリのルーブルに展示されるようになったというわけです。フランソワ1世はフォンテーヌブロー宮殿に多くの芸術家を招き、その技を競わせました。ロッソ・フィオレンティーノを代表とする弟子たちなど作者不明の素晴らしい絵画が多く残っていて、その独特なマニエリスム様式はフォンテーヌブロー派と呼ばれています。ジャン・クーザン (父)『エヴァ・プリマ・パンドラ』 (1550年頃) ルーブル美術館マニエリスム様式はルネッサンス様式とは異なり、実際よりやけに小顔で手足の長い人物描写とか、ねじれたポーズが特徴的です。これがきっかけでフランス・ルネッサンスは開花し、その後にロココや新古典主義や印象派などが続き、芸術の都と呼ばれるようになったということです。フランソワ1世の息子アンリ2世の奥さんが、これまた有名なカトリーヌ=ド=メディシス。ニースのガイドさんの話によると、これまで手づかみで食べてたフランスにナイフやフォークやスプーンで食べる文化をもたらします。カトラリーの語源の方です。モナリザとカトリーヌがイタリアから渡ってきた16世紀から、フランスは洗練された文化国家へと発展して行ったんですね。家に飾りたくなるアート
2020/12/20
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<昭和モダン>えびすや旅館は、昭和3年創業の老舗旅館です。大正ロマンに続き、昭和モダンと呼ばれた時代。少しずつ新しい時代の波を取り入れつつ当時の面影を色濃く残した佇まいをご紹介します。こちらはお食事どころ。柱や天井の風合いがいいですね。障子に書かれた絵はとても斬新です。食事中には緩やかなジャズが流れ、暖かく落ち着いた雰囲気を醸し出していました。外観はこんな感じです。玄関を入ると小さな灯篭がありました。お部屋に行くには比較的急な階段を登ります。こちらは宿泊客が誰でも利用出来る談話室。廊下に年代物の箪笥が置いてあって、えびすさんの人形なんかが所狭しと飾られています。昔懐かしい共同洗面所です。修学旅行を思い出すなあ。トイレも共同なんですが、ウォシュレット付きのきれいなトイレです。お風呂は貸切の家族風呂で、1時間交代になってました。温泉じゃなくて井戸水を沸かしているようです。部屋に入るとメダカの水槽がありました。お部屋は2部屋あって、布団が敷いてない部屋はこんな感じです。天井板が懐かしくてね。昔こんな家で寝てたなあと思いました。テレビはさすがにブラウン管テレビなんて置いてません。普通の薄型液晶でした。各地の天気予報が四国だ!なんかそれも新鮮。(つづく)
2020/11/10
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サントリー美術館で開催されているリニューアル・オープン記念展『日本美術の裏の裏』を見てきました。この美術館に来るのは初めてなんですが、1961年開館とのことでした。所蔵品も素晴らしいです。ザ・リッツ・・カールトン東京と同じ六本木の東京ミッドタウンのガレリア3階にあります。今回のテーマは日本ならではの美意識ということで、現代人にも多分受け継がれている日本人独特のセンスを再認識できそうです。写真撮影可能とのことでしたので、たくさん撮ってきました。第1章は、空間をつくる。青楓瀑布図 円山応挙 一幅江戸時代 天明7年(1787) サントリー美術館日本人は掛け軸や屏風、襖絵などで狭い部屋の中に異空間をつくるのが昔から上手です。春夏花鳥図屛風 狩野永納 六曲一双江戸時代 17世紀後半 サントリー美術館狩野永納(1631-1697)は狩野山雪の子で、『本朝画史』を編纂したことでも知られる画家だそうです。洛中洛外図屛風 伝 土佐光高 六曲一双江戸時代 17世紀 サントリー美術館京都3Dマップとでもいいましょうか、京都の様子がそのまま描かれています。地図だけでなく人もたくさん描かれているので、ブリューゲルの絵のようだと思いました。第2章は小をめでるです。日本人は小さいものが大好きですよね。かわいい文化は昔から受け継がれているんだなあと実感しました。小さくてしかも非常に精巧に作られたひな道具。虫眼鏡で見ても技の凄さに感動します。かわいくてたまりませんね、楽器たち。第3章は、心でえがくです。かるかや 室町時代 16世紀 サントリー美術館室町時代の絵本でしょうか。絵はなんか子供ぽいんですけど愛着がわきますね。現代の漫画とかアニメとかの文化に通じるものを感じます。第4章は、景色をさがす。焼き物はその作品のみが持つ風合いや景色がありますね。見る角度によっていろんな印象を与えるので、茶道や華道ではそれを楽しむ文化があります。第5章、和歌でわかる。生き物はみんなみんな歌を詠むと『古今和歌集』の序文にあるそうです。この鉢はきれいでした。色絵桜楓文透鉢 仁阿弥道八 一口江戸時代 19世紀桜を雲に楓を錦に見立てた雲錦手は、京焼の名工である仁阿弥道八が最も得意とした意匠だそうです。最後は第6章、風景にはいるです。隅田川図屛風 鍬形蕙斎 八曲一隻江戸時代 文政4年 1821年 サントリー美術館この屏風で一年中、隅田川沿いの花見ができます。浅草寺や吾妻橋も見えますね。東海道五十三次(隷書版)のうち 沼津 歌川広重江戸時代 (1847 ~ 1852) サントリー美術館この展示会は2020年9月30日(水)~11月29日(日)まで開催されています。公式サイトはこちらです。
2020/11/01
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『帝国の推移』(The Course of Empire)は、アメリカの画家トマス・コールの作品です。アメリカの画家は全然知りませんでしたが、先週テレビで紹介されていていい絵だなあと思いました。音楽でも絵画でも連作ものは大好きなので、特にこのシリーズには魅力を感じましたね。1833~1836年に描かれた5枚の連作で、未開の地から始まり文明が栄えてやがて廃墟と化すまでの風景をタイトルの雰囲気にあった季節や時間帯を選んで描写しています。『未開の状態』The Savage State『牧歌的な状態』The Arcadian or Pastoral State『帝国の完成』The Consummation of Empire『帝国の衰退』Destruction『荒廃』Desolationとがった山が後ろの方に描かれているので同じ場所なんだなとわかりますね。現在はニューヨーク歴史協会が所蔵しています。この中で一枚だけくれると言われたら、どれにします?私はありきたりですけど2枚目の『牧歌的な状態』です。トマス・コール (1801-1848) は、ハドソン・リバー派と呼ばれるロマン派の影響を受けたアメリカの風景画家グループの代表選手です。実は私も「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」で見るまでトマス・コールもハドソン・リバー派も知りませんでした。彼は私の大好きなクロード・ロランやターナーなどの影響を受けている画家だそうです。空とか雲とか空気感がクロード・ロラン風です。イギリス出身のコールは17歳で家族と共にアメリカに移住。26歳の時にニューヨーク州のキャッツキルというところにアトリエを設けて生涯そこで過ごしました。彼の名誉をたたえてキャッツキル山地の四番目に高い山に彼の名前がついているそうです。
2020/10/08
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ショッピングモールのイベント会場で開催されている茨城県伝統工芸品展に行ってきました。笠間焼や結城紬、真壁石のほかにも多くの工芸品が茨城にはあるんですね。最近美術館に行く機会がなくて心が乾いていたんですが、美しい品々を見てすっかり満たされました。開催期間は10月1日から4日までと短いんです。ミニ下駄のストラップ作り、杉線香作り、雛人形作りといった3種類の製作実演が見られるほか、桐子物入れ、総桐小たんす、桐のリース作りに参加することもできます。16の伝統工芸品を展示即売していて、美しい木目のティッシュボックスなんかいいなあと思ったんですが、さすが匠の技の1点ものでお値段が張るので、紫檀と栗の六角箸を買ってきました。鉛筆と同じで六角形って持ちやすいんですね。先が細くて細かいものも掴めそうです。ほんの少し芸術の秋を体感できました。
2020/10/03
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カール・ラーションは、スウェーデンの国民的画家です。1853年にストックホルムで生まれ、小学校の先生に勧められたことがきっかけで絵の道へ進みます。もともと絵が好きだったんだとは思いますが、子供の頃に才能を見出されて後世に名を残すまでに成長するというのはとても実りある人生ですね。スウェーデンの画家にはまったく馴染みがなかったので、数週間前になりますが『アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~』で取り上げられていて初めて知りました。白樺の木陰の朝食(1895)画集『わたしの家』より家庭的な実に優しい絵が多くて、幼い頃に読んだ小公子や小公女の挿絵のようだと思いました。彼は若い頃生活のためにアンデルセン童話などの挿絵を書いていたそうです。19歳でパリに行って、印象派の野外制作の手法に影響を受けます。ラーションの水彩画は高い評価を受け、スウェーデン国立美術館に作品を買い上げられ、北欧に印象派をもたらした国民的画家となりました。ネーム・デー(1898)画集『わたしの家』より当時パリで大流行していたジャポニズムの影響も大きく受けています。『日本は芸術家としての私の故郷である。』彼のこの言葉どおり、日本画独特の線の重視や構図にその特徴が見て取れます。キッチン(1898)画集『わたしの家』より彼の人気の理由は、絵から溢れ出す暖かい雰囲気でしょうね。画集『わたしの家』に描かれている大家族の幸せそうな様子が、見ているこちら側にも伝わってきます。2年前、2018年に日本・スウェーデン外交関係樹立150周年記念として彼の展覧会が東京で開催されました。残念ながら見逃してしまったんですが、日本でも「わたしの家」が絵本として紹介さているそうです。こういった毎日見ても飽きない幸せな絵を家に飾りたいですね。家に飾りたくなるアート
2020/09/13
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海に浮かぶ小さな島の中央に幾本かの糸杉が黒くまっすぐに空を貫いています。白い棺を乗せた小舟が暗い海を進み、そこには全く音が存在しないかのよう。一度見たら忘れられないような印象深い絵です。『アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~』で先週取り上げられたのは、スイス出身の画家アルノルト・ ベックリン(1827年~1901年)の代表作『死の島』でした。アルノルト・ ベックリン『死の島』1880年5月(一枚目)ベックリンは同じ構図の絵を5枚描いているそうです。一枚目は上の絵で、スイスのバーゼル市立美術館にあります。二枚目はニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵。アルノルト・ ベックリン『死の島』1880年6月(二枚目)なぜ同じ絵を2枚も描いたのかというのにはいきさつがありました。1枚目を描いている時にアトリエを訪れたマリー・ベルナという未亡人がこの絵を大変気に入ったので、彼女のために一回り小さな絵を制作し、亡くなった夫を弔う彼女の姿を描き加えたそうなんです。その後、一枚目の絵にも棺と女性の姿が同じように描き加えられたといいます。この白く浮かぶ船上の弔い人がいるからこそ、この絵は視点が定まる気がします。それがないと画竜点睛を欠くことになるでしょう。アルノルト・ ベックリン『死の島』1883年(三枚目)3枚目はドイツのペルリン美術館にあります。ヒトラーは彼の絵の信奉者だったようで、この絵を買い取り家に飾っていたとのこと。1884年に描かれた4枚目は第二次世界大戦中に焼失。5枚目はライプツィヒ美術館の依頼で描かれ、いまもそこに展示されているそうです。アルノルト・ ベックリン『死の島』1886年(五枚目)木の高さや空の明るさ、棺の色など少しずつ変わっているんですね。『死の島』はヒトラーだけでなく想像以上に多くの政治家や芸術家たちに影響を与えました。ラフマニノフはこのテーマで曲を書いています。ベックリンはこれ以外にも神話などを題材とした象徴主義的な絵画を多く残しています。『死の島』に対して『生の島』という絵もあるんですが、神話のような絵で『死の島』ほどのインパクトは感じられませんでした。彼の生きた時代はフランス印象派の全盛期ですが、私はどちらかというとこっち系の方が好きです。家に飾るにはちょっと暗いかなと思いますが、20世紀半ばのベルリンでは大流行で、多くの家庭で彼の絵が飾られていたのだそうです。『死の島』の絵を見て、なぜか『バベルの塔』が頭に浮かぶんですね。なんでかな。アルノルト・ ベックリン『ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像』1872年彼の作品群にご興味ある方はこちらからどうぞ。家に飾りたくなるアート
2020/08/07
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江戸時代末期、まだ文明開化より前のお話です。レオナルド・ダ・ヴィンチが用いた空気遠近法のような背景に、オランダ黄金期を思わせるような写実的な花を描く画家がいたことを知りませんでした。重要文化財「不忍池図」(小田野直武 18世紀)秋田県立近代美術館蔵「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」で昨日取り上げられたのは、東洋の感性と西洋の技法を織り交ぜた珠玉の作品『秋田蘭画』でした。1749年に秋田に生まれた小田野直武、同年代の秋田藩主・佐竹義敦(よしあつ)らがその中心となった秋田蘭画。きっかけは杉田玄白でした。1773年、鉱山開発のために秋田藩に招かれた杉田玄白は、角館滞在中に西洋画法を伝えたと言われています。江戸に戻った杉田玄白は翌年、有名な解体新書を刊行します。その挿絵を描いたのが、彼を追うように江戸に上った小田野直武だったそうです。彼を銅山方産物吟味役(どうざんがたさんぶつぎんみやく)の名目で江戸に送ってくれた秋田藩主の佐竹義敦(曙山)も後世に残る秋田蘭画を描いています。重要文化財「松に唐鳥図」(佐竹曙山 18世紀)個人蔵残念ながら小田野直武は32歳で亡くなってしまい、佐竹曙山も38歳と二人とも早逝だったので作品数は僅かです。1700年代の秋田にこんな素晴らしい絵を描いたお殿様と家臣がいらしたんですね。江戸時代の洋風画家として有名な司馬江漢にも影響を与えたという話でした。家に飾りたくなるアート
2020/07/26
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印象派を代表するモネとルノワールは若い頃から仲良しでした。モネは1840年11月14日生まれ、ルノワールは1841年2月25日生まれと、日本で言ったら同学年です。二人の出会いは22歳の時、パリで無料の画塾を開いていたシャルル・グレールの教室でした。まだ売れない画家だった二人は、サロンに出展しても入選と落選を繰り返すような状態で、どちらかというとまだマシだったルノワールが貧困にあえぐモネの家を食料持参で訪ねていたそうです。毎週楽しみにしている『アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~』と言うテレビ番組で、今回のテーマはモネとルノワールがキャンバスを並べて描いた作品についてでした。ラ・グルヌイエールはパリ近郊にあったセーヌ河畔の行楽地。カマンベールと呼ばれた丸い人工の島やそれを結ぶ橋、川床のカフェがあって、パリ市民が喧騒を離れて訪れた近場の水浴場だったようです。モネとルノワールが28歳の時、二人してここに出かけて同じ風景を描きました。同時に同じ風景を描いているのに全然違いますね。「ラ・グルヌイエール」(ルノワール 1869年)スウェーデン国立美術館蔵ルノワールの方は夏だなあという感じですが、モネの方はどう見ても秋で、キャンバスを並べて雑談しながら同じ景色を描いたとはとても思えませんでした。葉っぱの色でまずそう感じたんですが、カマンベールにいる人の数もルノワールの方が多くて、夏の観光シーズンを思わせる混んだイメージというか、景色よりも人物にズームした描き方になっています。「ラ・グルヌイエール」(モネ 1869年)メトロポリタン美術館 蔵モネの方は人よりも風景が主体で、特に水の存在感が強いですね。空気も少しひんやり感じて、秋の気配です。でも泳いでる人がいるからやっぱり夏なんでしょうか。言い方悪いかもしれませんが、人の描き方がルノワールに比べると雑ですね。それが印象派の特徴といえば特徴なんですが。二人とも水の描き方は印象派に特徴的な筆触分割です。絵の具を混ぜ合わせないで原色に近い絵の具を並べ光の移ろいを表現しています。モネの方がより空の高さや青さを感じさせるのは、水に空色を多用しているからでしょうね。ルノワールは仕立て屋の息子で画家になる前は磁器の絵付けをしていたそうです。人の服装をきちんと描いているのはそのせいではないかと番組では言ってました。産業革命で磁器がプリントされるようになり職を失って画家を目指したとか。モネも最初は室内で描くタイプだったようで、ブータンに野外製作を勧められて始めたそうです。のちに巨匠と呼ばれる人たちも、いろいろあって自分の道をなんとか切り開いてきたということですね。みなさんはどちらの絵がお好きですか?アートのある生活
2020/07/05
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ボストン美術館は2020年に設立150周年を迎えるそうです。新型コロナウィルスの感染拡大がなければ、4月16日から7月5日まで東京都美術館で開催される予定だったボストン美術館展。ずっと楽しみにして冷蔵庫に入場券貼ってたんですけど残念ながら中止になってしまいました。昔から芸術は力の象徴でした。戦利品として没収したり、お抱えの画家に肖像画を描かせたり、資産として収集する貴族もいましたね。この展覧会では、ボストン美術館所蔵の古今東西の権力者たちに関わる作品およそ60点が展示される予定で、しかも半分以上が日本初公開とのことでした。増山雪斎『孔雀図』江戸時代、享和元年(1801)先週のアートステージでも紹介されていたんですが、国宝級の日本の絵巻が里帰りすることになっていました。奈良時代、吉備真備の活躍を描いた『吉備大臣入唐絵巻』と、平安時代の平治の乱を描いた『平治物語絵巻 三条殿夜討巻』です。なんでそんな国宝がアメリカにあるんだというあたりも含めて興味深いですね。『平治物語絵巻 三条殿夜討巻』鎌倉時代、13世紀後半王侯貴族の肖像画や、大富豪が身に付けた宝石、ナポレオンの最初の妻所有の絵皿など、それほど興味津々というわけではありませんが、写真で見ると目を奪われる品々です。一番見たかったのはカナレットの絵でした。カナレット『サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む』1726-1730年頃眩しい海辺の太陽を感じますね。カナレット(本名ジョヴァンニ・アントニオ・カナール)は18世紀に活躍したヴェネチアの画家で、写真みたいなヴェネチアの絵をたくさん描いているんです。父親のベルナルド・カナールも画家だったので、『小カナル』という意味のカナレットと呼ばれていました。めんどくさいのは甥っ子のベルナルド・ベッロットも有名な画家で、叔父の名前を借りて同じくカナレットとも呼ばれたりしていたんで混ざるんです。超写実的な画風もそっくり。以前ご紹介したドレスデンの絵は、甥の方のカナレットの作品でした。叔父さんの元で修行を積んだそうですから、似てくるのも当然ですね。話は変わりますが、ヴェネチアの仮面舞踏会の様子を先日テレビの特集番組で見ました。2020年2月15日から25日まで、まさにこの絵に描かれている場所で華麗なイベントが予定されていたんです。しかし今年は新型コロナウィルス感染拡大の影響で、イベント最終日まで実施することができませんでした。クライマックスの最終日まであと2日を残した夜に『今日でイベントは終わりです』と発表された時の観光客の呆気にとられた顔が印象的でした。ヴァネチアは14世紀あたりからペストと戦ってきた歴史があります。今は閑散とした状態ですが、きっと来年は復活してまた新しい仮面舞踏会を見せてくれることでしょう。ボストン美術館展も、また企画して欲しいです。公式サイトはこちらです。
2020/04/30
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ここ数年映画館に足を運んでいませんでした。ただ、この作品は映画館で見たいと思っていたんです。でもやはりコロナの影響で公開は延期のようです。【『プラド美術館 驚異のコレクション』公開延期のお知らせ】2020年4月10(金)に公開を予定しておりました『プラド美術館 驚異のコレクション』につきまして、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、ご来場されるお客様の安全と健康を第一に考え、公開を延期することといたしましたのでお知らせいたします。公式サイトはこちら。近所の映画館もこんなお知らせが出ていました。新型コロナウィルスの感染拡大による政府の緊急事態宣言及び各自治体よりの要請を受け、以下の日程について営業を休止させて頂きます。 ■営業休止期間 4月9日(木)より当面の間(緊急事態宣言が解除されるまで) 今後の営業につきましては、あらためて劇場ホームページにてご案内させて頂きます。 ご来場予定のお客様にはご迷惑をおかけ致しますが、何卒ご理解、ご了承いただきますようお願い申し上げます。プラド美術館展はこれまでに何度か日本で開催されていました。ずっと行きたかった夢がようやく実現したのが2012年4月。あまりのうれしさに時の経つのを忘れ、気がつけば6時間も歩き倒して世界選手権の前だというのにバカみたいでしたね。その時の思い出を何回かに分けて書こうかと思っていたんですが、結局一番有名なベラスケスやゴヤ、エルグレコにたどり着く前に3回だけで打ち止めでした。ご興味ある方はこちらもご覧ください。プラド美術館の思い出 その1 <クロード・ロラン>プラド美術館の思い出 その2 <ムリーリョ>プラド美術館の思い出 その2 <ルーベンス>プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影当分美術館も休館ですよね。ゴールデンウィーク、何しましょう?
2020/04/17
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<福田美術館>2019年10月に嵯峨嵐山に開館したばかりの美術館です。全く知らなかったんですが、素晴らしいコレクションでした。「群鶏図押絵貼屏風(ぐんけいずおしえばりびょうぶ)」〈1797年〉伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)「大天狗図(だいてんぐず)」〈1839年〉葛飾北斎(かつしか ほくさい)「源氏物語図押絵貼屏風(げんじものがたりずおしえばりびょうぶ)」〈17世紀前半〉狩野山楽(かのう さんらく)「猛虎飛瀑図(もうこひばくず)」〈1767年〉与謝蕪村(よさ ぶそん)「露潤(ろじゅん)」〈1932年〉 「春眠(しゅんみん)」〈1921-25年〉速水御舟(はやみ ぎょしゅう) 「駅路之春(うまやじのはる)」〈1913年〉木島櫻谷(このしま おうこく)「雲龍図(うんりゅうず)」〈1666年〉狩野探幽(かのうたんゆう)「龍田姫(たつたひめ)」〈1923年〉木村武山(きむらぶざん)コレクションも素晴らしいんですが建物も美しくて、特に庭から川に続くこの水の一体感といいますかシームレスな感じが心癒されます。こちら1階からの眺め。下の写真は2階からの眺めです。奥に渡月橋が見えています。西洋画も少しですけど展示されてました。モネ、マティス、ピサロ、ローランサン、シャガールなどです。いつももう買うのはやめようと思うんですが、今回も図録を買ってしまいました。一番気に入ったのは速水御舟でしたね。伊藤若冲の踊ってるみたいなトリの絵も気に入りました。公式サイトはこちらです。(つづく)
2020/01/15
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<嵯峨嵐山文華館>大津から電車を乗り継いで嵐山にやってまいりました。次なる目的地は嵯峨嵐山文華館。百人一首をテーマとした展示館です。2月23日に『第1回ちはやふる小倉山杯』なるかるた会が開催されるとのこと。アニメ『ちはやふる3』の中で、主人公たちが修学旅行でここを訪れていました。去年となりに開館したばかりの福田美術館とセット券がお得です。アニメからの受け売りですが、『しのぶれど』は村上天皇が開いた和歌の競技会みたいなもので読まれた歌だそうです。お題は『しのぶ恋』。しのぶれど色に出でにけりわが恋(こひ)は ものや思ふと人の問ふまで決勝に勝ち残ったのはこの歌と壬生忠見(みぶのただみ)の「恋すてふ」の歌。恋すてふ(ちょう)わが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしかどちらも素晴らしい歌だったので優劣つけ難かったところ、天皇が『しのぶれど』と小さく呟いたのでこっちが優勝ということになったとのこと。平安時代の絶世の美女、世界三大美人の一人とも言われる小野小町です。花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに今とちょっと美女のタイプが違ってポッチャリ系が美しいと言われてたのかも。私だって、世が世なら...。上の写真の中央が大将がかるたくじで引いたお坊さん。一段高いところに乗ってる方は位の高い人なんでしょうか。私がかるたくじで引いた光源氏のモデルさんが下の写真の真ん中。札の絵より少しマシかも。ちはやふるは『神』にかかる枕詞、アニメのタイトルになっている歌はこの人が詠まれたのですね。千早(ちはや)ぶる神代(かみよ)もきかず龍田川(たつたがは) からくれなゐに水くくるとは合わせて竹久夢二の企画展をやっていました。美人画で有名な大正ロマンを代表する画家です。額縁もお洒落。2階は大きなかるた大会ができそうな和室で、そこにも夢二の作品が多く展示されていました。日本画や洋画だけでなく雑誌や楽譜の表紙絵なども手がけていたようです。嵐山駅の周りは観光客でごった返していてまるで原宿のようなんですが、ちょっと脇に入るとこんな静かな場所があるんですね。長い廊下は桂川を望む絶景スポットになっていました。2018年11月1日にリニューアルオープンしたとのことで、まだ新しくとても綺麗な施設です。小野小町と在原業平の大きなかるた札から顔だけ出して写真撮れるようになっていたので大喜びで大将と撮りあったんですが、残念な顔デカ写真になってしまったのでここには掲載しないことにしました。(つづく)
2020/01/14
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日本・オーストリア友好150周年記念として、上野の国立西洋美術館で開催されているハプスブルク展に行ってきました。600年にわたる帝国コレクションの歴史を切り取った企画展です。お正月に開いている美術館はあまりないせいか、入場券買うのに並びました。1400年代から商売で頭角を現したハプスブルグ家は莫大な財力に物を言わせて親族を神聖ローマ帝国の皇帝の座に送り込み、さらに子や孫をヨーロッパ各国の王族と結婚させて1900年代までその栄華は続きました。美術品に目がない王様もいらしたので宝物を集めまくり、お抱えの画家を置いて肖像画を描かせます。スペインではベラスケスが宮廷画家として仕えていました。《スペイン国王フェリペ4世の肖像》1631/32年《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》1659年オーストリアで女帝マリア・テレジアを描いたのはマルティン・ファン・メイテンス(子)。《皇妃マリア・テレジアの肖像》1745-50年頃フランスではマリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブランがマリー・アントワネットのお抱え画家でした。《フランス王妃マリー・アントワネットの肖像》1778年絵画のいくつかはウィーン美術史美術館からのもので見覚えがありました。シシィやフランツ・ヨーゼフ1世の肖像も。意外にも騎乗の槍試合に特化した鎧とかの展示が面白かったですね。長い槍を持って馬で一騎打ちするので、片手でも持てるように胸のあたりに槍を支える突起が付いているんです。絵画も肖像画ばかりではなく、王家が収集したスペイン、イタリア、オランダ絵画など、良い作品がたくさんありました。特にヤン・ブリューゲルやフランス・ハルス、レンブラント、ヤン・ステーン、ロイスダール、ルーベンス工房などのオランダ絵画は素晴らしかったですね。 興味深かったのは有名なベラスケスの《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》に並んで《緑のドレスの王女マルガリータ・テレサ》が展示されていたことです。当初、緑の方がベラスケスの作品だと思われていたそうなんです。1932年に完成度の高い青いドレスの方が発見されて、こちらがベラスケスの作品だということになったとのこと。緑は彼の弟子で娘婿だったフアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソが模写した絵だそうです。 ハプスブルク展は2020年1月26日まで国立西洋美術館でご覧になれます。ご興味ある方、公式サイトはこちらです。
2020/01/03
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六本木ヒルズ森タワーで開催されている特別展に行ってきました。大晦日に出かけるのはとても久しぶりです。大将の定期が今日まで使えるというのが大きな理由の一つだったんです。私もまとめ買いした回数券が1月5日で切れるので使いたいし。『東京に行こう!!』森ビルでチケット買ったら、こんな切符がおまけで付いてきました。本当の目的は鉄道じゃなくて、森美術館でやっている『未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか』の方だったんです。海上に浮かぶ都市構想やアンドロイド。こっちも非常に興味深い内容でした。火星基地の構想なんかも見られたし。光合成する建物、ガウディが生きてたら喜びそう。お城の形など面白い造形を作り出す寿司マシン。ご興味ある方はこちらのサイトをご覧くださいね。2020年3月29日迄やってます。お話戻って天空駅。どうです、天空駅からのこの眺め!!展示の方も面白かったです。2020年3月22日まで開催中です。両方見られる共通券がお得ですよ。公式サイトはこちら。記念写真も撮ってもらっちゃいました。天空駅から令和2年に向けて出発進行!どうぞ良いお年を〜!
2019/12/31
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19世紀前半のドイツやオーストリアの市民文化の流行をビーダーマイヤーというそうです。毎週見ているTV番組『アート・ステージ・画家たちの美の饗宴』で先週取り上げられていました。1814年のウィーン会議からはじまる王政への逆戻りを背景に、不安定な経済状況の中、市民たちの政治への絶望感がモードやインテリア、音楽や絵画といった幅広いジャンルの文化に影響したようです。親しみやすいシューベルトの音楽や、ヴァルトミュラーの絵画などが代表的な作品といわれています。「イシュル近くのヒュッテンエック高原からのハルシュタット湖の眺望」フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー(1840年)リヒテンシュタイン侯爵家コレクション(ファドゥーツ/ウィーン)蔵まるでサウンド・オブ・ミュージックみたいな絵だなと話していたら実際ここに描かれているハルシュタット湖というのはあの映画の舞台になった場所だそうです。ヴァルトミュラーは自然観察を最重視した画家で、数十年後に始まる印象派を先取りしたような野外制作を好みました。ウィーン美術アカデミーの教授を務めていたんですが古典的な他の教授陣とそりが合わずに辞職。肖像画や静物画、風景画など様々な作品を残しました。「磁器の花瓶の花、燭台、銀器」フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー(1839年)リヒテンシュタイン侯爵家コレクション(ファドゥーツ)蔵この絵は見覚えがあるなと思ったら、今年ウィーン遠征した時に行った美術館でたまたま『リヒテンシュタイン王子のコレクション展』をやっていたんですよね。アルベルティーナ美術館の階段にデカデカとこの人のバラの絵が描かれていて、みんなその前で写真撮ってました。いま渋谷のBunkamuraでリヒテンシュタイン侯爵家の至宝展やってますのでご興味ある方はお出かけください。番組でもう一人紹介されていたのはこちらの絵です。「貧しき詩人」カルル・シュピッツヴェーク(1839年)ノイエ・ピナコテーク蔵ユーモラスな絵ですね。詩人というとゲーテやシラーを代表とするように、ドイツ・オーストリアあたりでは芸術家の頂点というイメージがあるらしいです。それに反してここに描かれている詩人はストーブにくべる薪を買うお金もなくて使い古しの原稿を燃やして暖をとるようですし、狭い屋根裏部屋の屋根には雨漏りがあって部屋の中で傘をさして詩作に没頭しています。ドイツ国民はみんな知ってるという有名な絵だそうです。1848年に起こった三月革命でウィーン体制といわれる民族抑圧の専制的政治が崩壊し、ビーダーマイヤーも終わりました。ウィーンにはその後クリムトなどの華麗な芸術が花開いていきます。
2019/11/23
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絵を買いました。珍しく衝動買いです。色がきれいだなあと思って。なんでこの絵が気に入ったのかなと考えていて、急に思いつきました。これはStarTrees(星の樹)ですね。大将は『ピアノの森みたいだ』と言いました。たぶん私はこういった深い緑と金と銀の組み合わせが好きなんでしょうね。『もみの木ドレス』も衝動買いでしたから。 部屋の雰囲気を変えてみよう!
2019/10/21
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400年も前の人で生きた証をこの世に残している人は限られていると思うんです。その頃の画家で有名なレンブラントやルーベンスの名前は聞いたことがあってもアダム・エルスハイマーという名前を知らない人は多いでしょう。私もテレビ番組『アートステージ 画家たちの美の競演』を見て知りました。「聖家族のエジプトへの逃避」(エルスハイマー 1609年)32歳の若さで亡くなった彼は、友人だったルーベンスに美術界の大いなる損失だと言わしめ、たった40作品ほどしか残さなかったにもかかわらず、レンブラントや私の大好きなクロード・ロラン、ブリューゲル、のちのイギリス画壇にも大きな影響を与えました。「ピレモンとバウキスのもとのユピテルとメルクリウス」(エルスハイマー 1609/10年)1578年3月18日、エルスハイマーはドイツのフランクフルトに生まれました。20代でイタリアに渡り、1610年にローマで亡くなるまでずっとイタリアにいたようです。彼の作品はとても小さいのが特徴です。一番上の夜景の絵はA3サイズだそうです。その中に日時が特定できるほど非常に細密に1200個も星を描いてあるとか。『聖家族と洗礼者ヨハネ』(1600年以前)この絵も縦37.5cm、横24cmの小品ですが、底なしの奥行きを感じます。ルーベンスは彼の死後、こんな風に書いていたそうです。「小さい人物画、風景画、その他多くの主題において彼にかなう物はいなかった……人は彼から、これまでもこれからも決して見ることのないものを期待することができた。」確かに素晴らしい絵でした。部屋に飾るならこの絵!
2019/10/05
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Bunkamuraザ・ミュージアムで『みんなのミュシャ ミュシャからマンガへー線の魔術』展を見てきました。ミュシャの絵を初めて見たとき少女マンガみたいだと思ったんですよ。中学生の頃だったと思います。でも逆なんですよね。少女マンガがミュシャの影響を受けていたんです。舞踏 ー 連作『四芸術』より(1898)今年没後80年を迎えるアルフォンス・ミュシャ(1860-1939)は、チェコに生まれパリで活躍したアール・ヌーヴォーの芸術家です。ミュシャが好きという女性は多いですよね。会場は大混雑で、グッズを買い求めるレジ待ちの行列もすごかったので今回は何もお土産を買ってこなかったのですが、客層の7割くらいは女性だったと思います。ジスモンダ(1894)ミュシャの出世作といわれる劇場ポスターです。大女優サラ・ベルナールを美しく印象的に描いてサラの専属画家になりました。椿姫(1896)サラ・ベルナールが椿姫を演じるポスター。私はこれが一番気に入りました。散りばめられた小さな星が光って見えましたね。北極星 ー 連作『月と星』より(1902)ミュシャはたくさんの連作を手がけています。4つでワンセットが多いですね。ミュシャの作品だけでなく影響を受けたレコードジャケットやマンガも展示されていてとても興味深かったです。うちにもあったレコードもありました。バークレイ・ジェームス・ハーベストのアルバムです。そう言われてみればそうなのかなという感じで、今まで全く気が付きませんでしたよ。みんなのミュシャ展は2019年7月13日から9月29日まで渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されています。もう直ぐ終わりなので、ご興味ある方はお急ぎくださいね。公式サイトはこちらです。部屋に飾るならこの絵!
2019/09/23
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ドイツではほとんど観光していないんですが、最終日に2時間ほど駅のそばにあるシュトゥットガルト州立美術館に行きました。これが入場券。一人7ユーロです。14世紀から20世紀までの幅広いジャンルのアートが展示されていました。大好きなレンブラント作品もありましたよ。赤い帽子の自画像です。1660年の作品。全体的に見て、新しい絵の方が多かったですかね。特にピカソが多かった気がします。新しくなるにつれて何が言いたいのかよくわからない作品が増えてくるんですよ。この工事中みたいなのも作品です。結構広くて気がつけば2時間経ってたという感じでしたね。外は暑かった。ご興味ある方、公式サイトはこちらです。アートのある生活
2019/09/03
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レンブラントは17世紀、オランダの黄金時代に活躍した画家です。今年没後350年ということで、6月までアムステルダム国立美術館で大回顧展が開催されていて、この門外不出の名画『夜警』を含め約400点が公開されていたそうです。レンブラントは大好きな画家の一人間なので、日本に彼の作品が来たときは欠かさず見に行っていますし、この絵も2回アムステルダムに見に行きました。彼の家にも行きましたね。でもまだまだ知らないことがたくさんあるんです。オランダ三大巨匠って誰かご存知ですか?一人は話の流れ的にレンブラントというのは分かりますね。あと二人は?答えはのちほどお知らせします。レンブラントの代表作『夜警』は当時オランダでブームだった集団肖像画です。今でいう記念写真のようなもので、有名な画家に描いてもらうのがステータスにもなっていたんですね。ダンスの競技会で表彰されると決勝メンバーで集合写真を撮りますが、こいうのは基本的に顔がはっきりわかるようにみんな同じ方向を向いています。ところがレンブラントの描く集団肖像画は動きの瞬間を切り取ったような構図で、顔がはっきりわからない人もいたりします。描かれてる人はみんな割り勘でお金払ってますから、自分がピンボケだったら怒りますよね。そんなわけで世界的なこの名画も注文主には不満を持つ人も多かったようです。真ん中の左手を出している隊長の手の影が隣の副隊長に写っていますが、その指差す先にアムステルダムの紋章が描かれていて『この町を守る』的な意味が込められているそうです。初めて知りましたね。この絵には隊員ではない一人の少女が、目立つところに光を浴びて描かれています。どうやらレンブラントの最愛の妻サスキアがモデルらしいです。よく見ると少女のところに鳥が逆さまにぶら下がっているんですが、鳥の足はこの自警団の紋章なんだそうです。彼女の着ている黄色いドレスは勝利の象徴。縁起がいいものをちりばめたお正月飾りみたいな雰囲気ですね。これらのウンチクはアートステージと言う番組で知ったんですが、夜警にまつわる3つの悲劇というのがあるんだそうです。1 ナイフで切られたり酸で汚されたり、3度の損傷を受けてる。2 経年劣化で絵が暗くなっていたため『夜警』というあだ名がついた。3 飾る場所に合わせて端っこを切り取られた。全機種対応 スマホケース 手帳型 カバー iPhone X / XS (Max) / XR / 8 / 7 / 6 / 6s / 5 / 5s / SE / Xperia GALAXY AQUOS 他 - 「世界の名画」 レンブラント / 夜警 / カード収納 スマホカバー 【メール便発送】楽天で購入1番の話。右下の子犬のあたりにナイフの切り傷がはっきり見て取れます。現在修復作業がネット配信されているそうで世界中の注目を集めているとのこと。2番の話。実はこの絵、昼間の風景なんだそうです。本当のタイトルは『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』。ニスの劣化で黒っぽくなっていたせいで、18世紀に『夜警』というニックネームがついたそうです。今は洗浄されて鮮やかな色がよみがえっています。3番の話。これはひどい話なんですよ。1715年に市役所に飾られることになったこの絵、もとは縦4mX横5mだったそうです。ところが飾る場所がもっと狭かったので今のサイズ縦3mX横4.4mにカットされたんだとか。切り取られたところに描かれてた人は本当に残念ですね。 さてクイズの答えですが、残る二人はフェルメールとゴッホだそうです。オランダ黄金期はいい画家がたくさんいますから、他の画家を思い浮かべた方もいらっしゃるかもしれませんね。レンブラントは素晴らしい画家なんですが、うちに飾りたくなるような絵じゃないんですね。フェルメールはいろいろ飾ってます。もちろんニセモノを。アートのある生活
2019/08/07
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山種美術館で開催されている速水御舟の生誕125年記念展示作品が7月8日から一部入れ替わったので、海の日の昨日再び行ってきました。今回は大将と、大将のお母さんも一緒です。いい絵は何度でも見たくなりますね。速水御舟『春昼』(1924)30歳入場料は一般1200円(1000円)・大高生900円(800円)・中学生以下無料ですが、いくつかお得な割引があって、たとえばリピート入場すると前回の半券を提示すればカッコ内の団体料金で入れるとか、ゆかたや着物で来場すると割引で入場できます。私は2回目なのでぬかりなく割引料金で入場させてもらえました。速水御舟『山科秋』(1917)23歳こんへんの作品は前期にも展示されていました。速水御舟の若い頃の作品で、まだ写実を突き詰めていた頃です。『黄土にこだわった。それがなければ描けないと思うほど。次は群青にこだわった。(中略)色にとらわれてはいけない。』というような彼の手記がこの絵のそばにあったんです。でもそれだけ突き詰めて研鑽を積んだからこんな素晴らしい黄色や群青が出せるんだろうなと思いました。 前期と変わっていたのは主に写生の絵でした。道成寺入相桜と言うタイトルの桜のスケッチが何枚もあるんですね。一つの対象を時を変え季節を変え角度を変えて何度も写生するんでしょうね。彼の言葉でこんなのがありました。本当の美を知るには、本当の醜を知らねばならないと思う。しかし美だとか、醜だとか言ってはいるがそれらは総てを比較的の問題だ。我々は比較なしに美醜を分ち得ない。そこには元来、美も醜も無い筈だ。唯真実があるばかりだ。それを見る人、感ずる人が自分の頭脳(あたま)の都合で勝手に美を感じたり、醜と解釈したりするだけだ。速水御舟『あけぼの・春の宵』(1934)40歳こちらは亡くなる直前、最晩年の作品です。作品が早くできすぎて困るというほど、初期の作品に比べるとかなり制作時間は短くなっていたようです。ヨーロッパ遠征から帰って、描き方も目指す方向も大きく変わったようですね。京劇の人物画やヨーロッパの風景のスケッチなどの写生も前期とは入れ替わって展示されていました。速水御舟『牡丹花(墨牡丹)』(1934)40歳速水御舟の展示会は2019年6月8日(土)~8月4日(日)まで開催されています。『いつも空いてるのに、今日はすごく混んでる。』エレベータで一緒になったご近所にお住いのご夫婦がおっしゃってました。重要文化財も含むめったにない蔵出し展示会ですからね。大将もお母さんも見に来れて良かったと言っていました。公式サイトはこちらです。
2019/07/16
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恵比寿駅から渋谷橋を越えてゆるい坂を登って行くと、10分ほどで山種美術館に到着します。駒沢通りを挟んだ向かい側には広尾高校があり、部活でしょうか、元気な声が聞こえてきました。美術館の隣には、たぶん昔からずっとそこにあると思われる小さな八百屋さんがあります。山種美術館は広尾に移転して今年で10年の節目になるそうです。速水御舟『桃花』(1923)ここを訪れるのは初めてなんですが、いくつもの重要文化財を含む日本画専門の美術館で、中でも今年生誕125年となる速水御舟(はやみ ぎょしゅう)のコレクションは120点にも登ります。『桃花』は自分の娘の節句のお祝いに描いた絵だそうです。20代後半の御舟は徹底した写実を追求していて、その頂点とも言える作品が代表作『炎舞』です。速水御舟『炎舞』(1925)重要文化財速水御舟が31歳の時に描いた傑作です。軽井沢滞在中、たくさんの蛾のスケッチを残しました。彼はこの深い闇の色について、もう一度描けと言われても二度とは出せない色と語ったそうです。炎に吸い寄せられる蛾のように、私も含め展覧会を見に来ていた人たちがこの絵の前に集まっていました。暗い特別室に展示されていたので余計にこの炎がリアルに感じられたんですね。 梯子の頂上に登る勇気は尊いさらにそこから降りて来て再び登り返す勇気を持つものはさらに尊い 手記が沢山残されていて、『型にはまってはならない』という信念が見て取れました。『炎舞』で頂点を極めた御舟は作風が写実から琳派(りんぱ)へと変化していきます。平面的で華麗な装飾美です。速水御舟『翠苔緑芝』(1928) 2019年6月8日から8月4日まで、この美術館の中心的作品群である速水御舟コレクション全作品を前期・後期に分けて10年ぶりに一挙公開するという特別展が開催されています。速水御舟『名樹散椿』(1929)重要文化財前期は7月7日までですので、上の『名樹散椿』など、今しか見られない作品がいくつかありました。背景の均一な金は『撒きつぶし』という技法だそうで、この技法を再現したDVDを見てきましたが、金粉をまいて手で伸ばすという作業を何度も繰り返すことで作り出すのだそうです。 36歳の時に横山大観たちと一緒に10ヶ月ヨーロッパ遠征に出かけます。エルグレコやジョットに影響を受けたそうです。 デッサン力を磨くことがもっと必要だと痛感した御舟は、日本に帰ると人物画にも取り組みました。残念なことに40歳で亡くなってしまうんです。残した作品は700点ほど。横山大観は『速水君の死は、日本の為に大きな損失である』と述べたそうです。速水御舟『紅梅白梅』(1929) この梅の絵、あまりにバランスよく美しいのでお土産にこの絵のクリアファイルを買ってきました。紅梅の下から斜め上の白梅に向かって流れる薄墨、間を分ける細い月が一体感にアクセントを乗せています。他に鳥好きな母のためにかわいいモズの巣の絵はがきも買ってきました。速水御舟『百舌巣』(1925)前期作品が見られるのは今週末までですので御興味有る方はお早目に。公式サイトはこちらです。
2019/07/05
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展覧会閉幕まであと2週間となった今日、休暇をとって渋谷まで見に行ってきました。海運業で成功したスコットランドの大富豪ウィリアム・バレルの貴重なコレクションです。ドガ『リハーサル』(1874)今回の目玉はドガ初期の作品、日本初公開です(上)。1861年生まれのバレルは子供の頃から美術品に感心を持っていて、生涯で9000点以上も収集し、故郷のグラスゴー市に寄贈しました。その条件の一つが『門外不出』だったんですね。本来は英国でしか見られない作品群でした。ウィリアム・バレル卿(1861-1958)現在改修工事中で2020年まで閉館しているため、その期間を利用して日本での展覧会が可能になったという貴重なタイミングです。バレルが懇意にしていた凄腕の画商アレクサンダー・リードは、見習い時代に画商だったゴッホの弟と一緒に暮らしていたこともあって、この作品が生まれたようです。ゴッホ『アレクサンダー・リードの肖像』(1987)私が一番見たかったのはブーダンの作品群で、このエリアは写真撮影OKでしたので何枚か撮ってきました。ブーダン『トゥルーヴィル、干潮時の埠頭』(1885-1890頃) 左ブーダン『ドーヴィル、波止場』(1891)右ウジェーヌ・ブーダンはフランス北西部の海沿いの町で画材屋さんをやっていたんです。自分でも絵を描くのに興味があって、当時はそれほど主流じゃなかった屋外にキャンバスを持ち出して風景を描くというのが好きだったようなんですね。のちに『空の王』とまで言われるようになる印象派の先駆者です。ブーダン『トゥルーヴィルの海岸の皇后ウジュニー』(1863)画材屋にはいろんな画家がやってくるんですが、風刺画のような漫画ばっかり描いてる青年に戸外で油絵を描く手ほどきをしました。なんとそれがのちの印象派の巨匠モネなんですよ。 ブーダン以外で興味を持ったのはシダネルの絵です。記憶違いかもしれませんが、大好きだった映画『恋人までの距離』でこの人の展覧会のエピソードが出てきた気がします。空気に溶けてしまいそうなこの表現は独特ですね。シダネル『雪』(1901)シダネル『月明かりの入江』(1928)そしてマクタガート。マクタガート『満潮』(1873)マクタガート『海からの便り』(1877)小さい作品なんですが、右側にいるお兄ちゃんに左の妹と思われる女の子が流れ着いたガラス瓶を見せてるんです。『お兄ちゃん、ガラス瓶に手紙が入ってるよ。』そんな言葉が聞こえてきそうな和やかな一枚でした。このほかルノワール、セザンヌ、クールベ、コローなど同時代に活躍した画家達の作品ばかり80点くらい展示されていました。 バレルさんの趣味はピカソとかそっち系ではなかったってことでしょうね。面白かったのは静物画のコーナーで、ルノワール、セザンヌ、ラトゥール、クールベによる似たようなサイズの果物の絵が並んでいて、まるでダンス競技会で見る個性派ダンサーの競演のようだったことです。同じ果物を描いてもこうも違うものかといった感じです。マネ『シャンパングラスのバラ』(1882)この絵は病床にあったマネを見舞ったメリー・ローランにそのお返しとして送った絵だそうです。彼女は何度もマネの絵のモデルを務めた女優でした。多分彼女がお見舞いで贈った花を描いたのだろうと想像できます。こういった物語がわかる作品て好きです。音声ガイド借りたので絵を見ながらそれにまつわる逸話も聞けて面白かったですね。 増える一方なのでもう図録は買うのをやめようといつも思うんですが、やっぱり買ってしまいました。門外不出の名品は多分これから先もう見ることはできないと思うとついね。印象派への旅 海運王の夢 バレル・コレクションは渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで2019年4月27日から6月30日まで開催されています。すでに福岡、愛媛を巡回して、このあと8月7日から10月20日が静岡、11月2日から2020年1月26日までが広島の予定です。公式サイトはこちらです。人生はドラマだ
2019/06/14
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新橋駅はDTCに行く時よく利用するのですが、ゆりかもめの先の新しい高層ビル群には行ったことがありませんでした。ちょうどお昼時で、駅ビル地下の食堂街はたいへんな賑わい。最近あまり耳にしなくなったプレミアムフライデーを利用して、今日は美術館賞とレッスンに行ってきました。パナソニック汐留美術館はパナソニックビルの4階にあります。テレビで何度かこの企画展を紹介する番組を見ましたのですでに見たような気持ちになっていましたがやはり実物を目にすると違いますね。チケットにもなっていたこの絵は1885年の『一角獣』という作品です。『一角獣』(1885年)純潔の乙女にしかなつかないといわれる一角獣と戯れる美女たち。見とれたまま蕩けてしまいそうな幻想的な世界ですが、近付いてみると非常に細かい描写に驚かされます。左の女性が身にまとっている衣装の装飾など描くのに相当時間をかけている気がしました。ギュスターヴ・モロー(1826-1898)は、象徴主義の巨匠と言われています。『24歳の自画像』(1850年)同時代の印象派が見たものをそのままの印象で捉えたのに対し、象徴派は見たこともないことを象徴的に表現したという感じでしょうか。ラファエル前派とかクリムトなども象徴派のくくりにはいるらしいです。 モローが描いたのは神話や聖書を題材にした世界でした。モローの代表作の一つであるこの『出現』(1876年)は、指差すサロメの表情が実にいいです。立ち方もかっこいい。『出現』(1876年)王の前で踊り、その褒美として何でも好きなものをといわれたサロメは、自分の誘惑に屈しなかったツレナイ洗礼者ヨハネの首を要求するんです。斬首刑になったヨハネの首が、彼女にしか見えない幻影として出現するんですね。まあ怖い。光る生首もすごいんですけど、背景の宮殿装飾がまた細かいんです。縦1.5m横1mくらいの絵ですが、すごい迫力ですよ。 サロメを題材とした数多くの素描や習作が展示されています。この展覧会のサブタイトルが『サロメと宿命の女たち』ですからね。もちろんそれ以外のギリシャ神話もいろいろ。神や英雄を魅了する女性たちの絵です。 モローは生涯独身だったんですが、絵の題材のような上から目線の魔性の女たちが好きだったというわけではないらしく、最愛の母親はとってもやさしい、ちょっと過保護な感じのひとだったようです。近所に住んでた10歳下の恋人アレクサンドリーヌとは30年近い付き合いでした。二人で一緒に雲の上を散歩する漫画みたいな絵がすごく可愛いんです。この絵をプリントしたショッピングバックがお土産コーナーで売られてました。『雲の上を歩く翼のあるアレクサンドリーヌ・デュルーとギュスターブ・モロー』最愛の母が亡くなり、その数年後にアレクサンドリーヌにも先立たれて、悲しみの中に描いたのが『バルクと死の天使』です。他の絵とずいぶん作風が違います。バルクと死の天使(1890年)モローはパリ生まれでパリで亡くなった生粋のパリっ子です。1888年には美術アカデミー会員に選ばれ官立美術学校の教授も務めていました。マティスやルオーは彼の教え子だそうです。 ギュスターヴ・モロー展は6月23日まで東京のパナソニック汐留ミュージアムで開催された後、大阪展が2019年7月13日から9月23日まで、あべのハルカス美術館で見ることができます。さらに2019年10月1日から11月24日までは福岡市美術館で開催されます。パリのギュスターヴ・モロー美術館から14年ぶりにやってきた象徴主義の巨匠の作品約70点、ご興味ある方公式サイトはこちらです。
2019/05/31
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東京駅丸の内口にある三菱一号間美術館で開催されています『ラファエル前派の軌跡展』に行ってきました。月曜は通常休館なのですがゴールデンウィーク中の今日はやっていたんです。練習場も休みだし大将は一日中寝ていたい様子でしたので一人で出かけました。ラファエル前派の展覧会は何度か行ったことがあり、是非ともこの絵が見たいとかいう御目当てがあったわけではありません。ビクトリア王朝時代の英国絵画は割と好きなジャンルですので何か面白い発見があったらいいなくらいの気持ちでした。 ジョン・ラスキン(1819-1900)は、この時代の代表的な美術評論家です。この展覧会はラスキンの生誕200年記念というのがメインテーマだったようで、彼が支援した芸術家たちの作品を集めた形になっています。ジョン・エヴァレット・ミレイ『ジョン・ラスキンの肖像』(1853年)ラスキンが13歳の時に読んだ詩集の挿絵として、ターナーのナポリ湾(怒れるヴェスヴィオ山)という絵を見たのがターナーを知るきっかけだったようです。J・M・ ウィリアム・ターナー『ナポリ湾(怒れるヴェスヴィオ山)』(1817年頃)自分がフェルメールを好きになった経緯に似てるなと思って印象に残りました。ラスキンはやがて挿絵の元となったターナーの絵を手に入れて、生涯手元の置いていたとのこと。著書の中で、ターナーの変化する新しい表現方法を擁護し、自らもたくさんの素描を残しました。ジョン・ラスキン『モンブランの雪 ー サン・ジェルヴェ・レ・パンで』(1840)ラスキンは山の絵が多かったですね。自然をありのまま、しかも細心な注意を払って対象の細部までを描きこむことを理想としていたようです。ラファエル前派のコーナーは写真撮影OKでした。19世紀のイギリスではラファエル以降の絵画表現を追い求めるロイヤル・アカデミーが芸術の中心でした。それに対抗する形でロセッティ、ハント、ミレイたちは、前衛芸術集団ラファエル前派同盟を1848年に結成します。世間から酷評された彼らの芸術をラスキンは高く評価して、彼らと親交を持つようになるんです。ウィリアム・ホルマン・ハント『誠実に励めば美しい顔になる』(1866年)ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ『魔性のヴィーナス』(1868年頃)ラスキンはこの絵に『描写が雑だ。』と文句をつけ、それに対してロセッティは3回も描き直したのだそうです。どうも最後までラスキンを納得させることはできなかったみたいですが、私には雑には見えませんけどね。ジョン・エヴァレット・ミレイ『滝』(1853年)親しくなってミレイと一緒に旅行に行ったラスキンは、そのせいで奥さんのエフィーを取られちゃうんですよ。人間関係が複雑に絡み合ってて、少女漫画のネタになりそうでした。この絵に描かれている女性がそのエフィーです。まだラスキンの奥さんだった時のようですよ。 ラファエル前派は1860年代に入るころから唯美主義の方に流れていくんですが、ラファエル前派周辺として紹介されていたフレデリック・レントンの絵がこの中では一番気に入りました。フレデリック・レントン『母と子』(1864-65年)レントンはイタリアやフランスで学んだのちロンドンにもどりラファエル前派のメンバーと交流しました。でもそのあと対抗するロイヤル・アカデミーの会員になって、なんと会長職にまで上り詰めてしまうんですよ。しかも男爵の爵位が授けられた翌日に心臓発作で死亡したことで貴族最短期間記録保持者なんだそうです。独身貴族だったので継承者がいなかったんですね。エドワード・バーン=ジョーンズ『慈悲深き騎士』(1863年)この絵の騎士は、兄弟を殺した男に復讐しようとしますが慈悲を乞われて許すんですね。騎士がイエスの像の前に祈りを捧げていると、神が十字架から降りてきて彼をハグしたという伝説があるらしく、それを題材に描いた作品です。 ウィリアム・モリスとバーン=ジョーンズはオックスフォード大学で出会い、ラスキンやラファエル前派の影響を受けて芸術の道を志します。バーン=ジョーンズはラスキンを師匠と仰いで絵画の道に進み、モリスは詩人・デザイナーとして頭角を現しモリス商会を設立して美しい家具や壁紙などを手がけるようになりました。『アーツ・アンド・クラフツ運動』を主導したのがこのモリスなんですね。 予想以上に面白かったです。この展覧会は2019年6月9日までです。詳しい情報はこちらから。
2019/04/29
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<アルベルティーナ美術館>ウィーン初日、2019年4月12日(金)に行った美術館です。常設展示の中で一番有名なのはアルブレヒト・デューラーの野うさぎでしょう。アルブレヒト・デューラー『野うさぎ』(1502)このウサギはウィーンのあちこちでレプリカを見かけました。売店の上とか。チョコレートなどのお土産物にも利用されてます。写真左上の引き出しの中にもいますね。モネからピカソへというテーマの常設展には、モネ、ドガ、セザンヌ、ロートレック、ゴーギャンなどの印象派から、ドイツ表現主義、ロシアの前衛派、そしてピカソをはじめとするキュービストへとヨーロッパのモダニズム芸術の流れが見られます。モネ『蓮池』(1917-1919)オーストリア芸術からはアルビン・エッガー・リエンツやココシュカが展示されています。それほど好きなジャンルではないのでさらーっと横目で見ながら流しました。ピカソ『緑の帽子の女』(1947)常設展示の他にいくつかの期間限定の企画展が開催されていました。ルーベンスからマカルトへ:リヒテンシュタイン王子のコレクション(2019.2.16 - 2019.6.10)が今の所一番の目玉のようです。生きているうちに名声と富を極める画家はそれほど多くないと思いますが、16世紀の画家ルーベンスは『王の画家にして、画家の王』と言われた最も成功した画家の一人です。フランダースの犬にでてくるアントワープの教会の祭壇画が有名。 一方、19世紀のウィーンで『画家の王』と言われたのがハンス・マカルト。ルーベンスの生誕300年を記念して描かれた絵画は有名で、その時代の寵児となりました。ハンス・マカルト『クレオパトラの死』(1875)ここ企画展にはカナレットやヴァン・ダイクの絵画もありましたね。リヒテンシュタイン王国のコレクションは日本でも何度か見たことがありますが、いい絵がたくさんあります。バラの絵はアルベルティーナ美術館の階段の側面に大々的に描かれていて、みんなこの階段で写真を撮っていました。フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー『バラ』(1843)この他にも、ウォーホールからリヒターへ(2018.7.12 - 2019.4.22)や、マンフレッド・ウィルマン写真展(2019.2.8 - 2019.5.26)などいくつかの企画展が併設されていて、全部見るのに3時間以上かかりました。 ウィーン美術史美術館やベルベデーレ宮殿など、美術館はみんな巨大なのでそれなりの装備と心構えが必要です。アルベルティーナの宮殿としての展示室もありました。アルベルティーナのカフェはオススメですよ。 2019年4月23日から東京都美術館で『クリムト展』が大々的に始まるので、多分ベルベデーレ宮殿の中にあったメイン作品は今東京にあるのではないかと思われます。こういうことってよくあるんですよ。はるばる行ってみたら『貸出中』みたいな。アルベルティーナ美術館の公式サイトはこちらです。(つづく)
2019/04/23
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伝統的工芸品産業の振興に関する法律というのがあるそうで、経済産業大臣が指定する日本の伝統工芸品のひとつに山梨県の甲州印伝(いんでん)があります。車で店の前を何度か通り過ぎたことがあるんですが、『カバン屋さん?』くらいの認識であまり気にしていませんでした。 調べてみると印伝は甲州に400年以上も伝わる革工芸だそうで、古くは奈良時代に作られた印伝の足袋が正倉院宝庫に保存されているとか。クラシック音楽もそうですが、長く愛されるには訳があるんですね。普通は時代とともに淘汰されていきますから。 興味が湧いたので試合前日、少し早めに甲府に行って博物館を見てみることにしました。1582年創業の甲州印伝の老舗『印傳屋』の2階に博物館はありました。桜餅食べてて少し遅くなってしまったんですが、夕方5時まで開いています。入場料は200円でした。お客さんで賑わっている1階から階段で2階に上がると、DVDで製造工程を見せてくれます。鹿革に漆で模様をつける甲州印伝は非常に繊細で手が込んでます。展示室には歴史的に貴重な収蔵品が公開されていて、それほど広くはないスペースですが日本の革工芸文化も世界が認める素晴らしさだと納得できました。 見ると欲しくなるものですね。柄にいろんなシリーズがあって、色違いが見たいとお願いするとごっそり入った箱を出してくれます。大将は名刺入れを、私は印鑑入れを買いました。『こういうのってさ、見る人が見ると分かるんだよね。それ印伝ですね、なんて言われるかな。』大将は4月に新しい名刺になってから使うみたいです。山梨の思い出と共に、長く大切に使っていきたいと思います。
2019/03/27
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2016年に東京都美術館で開催された『生誕300年記念 若冲展』は、会期中の入場者数約44万6千人を記録し、4時間待ちの行列ができたと話題になりました。フェルメール展が2019年1月7日の段階で50万人突破と報じられていましたが、若冲展は開催期間も短く予約制でもありませんでしたから『何時間待っても見たい』という注目度の高さでは近年稀に見る大ヒットだったと思います。毎週録画して見ている『美の巨人たち』の今回のテーマが『伊藤若冲スペシャル』でした。私は若冲展に行けなかった部類ですが、この番組で伊藤若冲という画家の凄さを改めて認識しその生き方にも興味を覚えました。 若冲は京都・錦小路の青物問屋に生まれました。京都には年に一度は行きますが最近錦小路の方に行ってなかったので知りませんでした。『若冲の生家』と大きく書かれた家があるんですね。相当な大店だったようで、23歳の時に父親を亡くして跡目を継ぎ、酒や女や芝居といった道楽には一切興味を示さない真面目な働き者だったようです。唯一心を向けていたのは絵を描くこと。狩野派に師事したことはあるようですが流派に属することなく、熱心な仏教徒だったので近くのお寺から借りてきた中国の絵をひたすら模写して腕前を上げていったようです。 40歳の時に引退して弟に仕事を引き継ぎ、そこからは絵の道に邁進します。大金持ちで生活には困らなかったので高価な顔料も臆すところなく使用。受けようが受けまいが自分の好きな絵を好きな方法で好きなだけ描いた大旦那の道楽だったようです。 若冲が京都・相国寺に寄進した「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅は最高傑作と言われています。それ以外にも実験的なモザイク屏風や水墨画、版画に至るまでアイデア満載、しかも緻密、豊かな色彩に鋭い観察眼、若冲の道楽を超えた極みが見て取れます。 趣味も極めれば芸術になるんですねぇ。鳳凰や孔雀や鶏など鳥の絵が多いんですが、アップで見ると羽の一枚一枚に至るまでとても手書きとは思えないような正確さで描かれていて、隠居して時間はたっぷりあったとはいえ1日に羽何枚くらい描けたんだろうかと思ってしまいました。悠々自適の生活が長く続いた若冲でしたが、72歳の時に天明の大火(1788)にあって京都が焼け野原となり若冲の家も焼けてしまったそうです。大阪に逃れた若冲は、初めて生活のために絵を描くことになります。 若冲が再び注目を集めたのは平成になってからのようで、蔵に眠っていた絵巻が発見されたり研究が進んだりして生誕300年にして日の目を見た画家のようです。若冲は生涯結婚せず、80歳を超えてもなお筆は衰えることなく傑作を世に残し続けました。自身が『私の絵は1000年後に理解される』と言っていたそうですが、千年を待たずにブーム来たるということでしょうか。2019年2月9日から4月7日まで上野の東京都美術館で『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』が開催されていて、伊藤若冲の作品も見ることができます。ご興味のある方はこちらへどうぞ。また、2019年3月26日から5月6日まで福島県立美術館で『伊藤若冲展』が開催されます。こちらは国内外から約100点の若冲作品が集結するとのこと。公式サイトはこちらです。
2019/03/08
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