ラジェンダ エリコムリ            L'agenda d'erikomri

私の中の小さな文革。



今となってはどうでもいい話だが、
学生のときは、こんなことを
日がな1日考えたりしていた。
思えば幸福な学生時代。
中途半端に哲学なんかを
齧ってしまったもんだから、
悩まなくていいことを
悩んだりしていたのだ。

そういった一連のシークエンスから抜け出せたのは、
どう考えても自分が生存していることの奇跡を
認めざるをえないと思うようになってからだ。

だいたいにして、私は「できちゃった」子である。
今でこそ珍しくはないし、むしろ結婚理由のマジョリティー
ともなっているわけだが、うちの両親の歳ではかなり珍しい。
全共闘の残り香のなか、奇跡的に生存を許可されたのだ。
これだけでも、私が好き勝手やっていいという
免罪符のような気がしてならない。
(まあ、これは思い込みだ。)

そして、この間知った新たな事実。
母と行ったベトナムでの話。

ベトナムやタイにいる華僑の中には、
文化大革命を避けるように移住してきた人がいるという。
わたしの友人にも、文化大革命によって
家族がボロボロになったという人がいて、
その激しさは人づてではあるけれど、
なんとなくリアルに感じていた。
とはいえ、それほど詳しくはない。
のん気で平和な日本に住む人間として、
自分の中のことで精一杯だし、
できればイデオロギーとは無縁なところで生きていたいのだ。

ベトナムでの華僑の話をしていたとき、母がこう言った。

「パパが中国行かんで、ホンマによかったわー。」

若気の至りにもほどがある。
バカじゃないか。
文化大革命に感銘を受けた、若く思慮の浅い父は、
中国に移住して運動に加わろうとしてたそうなのだ。
お金の準備までし、出発は間近だったという。

だけれど、父は行かなかった。

理由はわからない。
ただ意気地がなかったのか、何なのか。
若かりし頃の父の中での変化は、
誰にも知らされることはなかった。

だけれど、今となってはその決断に、感謝せざるを得ない。
なにしろ、私は生まれてくることすらなかったのだ。

人生は、奇跡の連続である。

全ての事物と生命の希少さと、
その存在そのものが絶対善であることを、
私は信じて疑わない。



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