だれもがかけがえのない大切ないのちです

だれもがかけがえのない大切ないのちです

私の原点



幼稚園  ほとんど休んでいたし、年下の子にいじめられていた。
     でも担任の先生が大好きで、ここで学校の先生になろうと心にきめた。

小学校  入学した小学校には1ヶ月しか通わなかった。転居で転校し5年生
     の2学期まで同じ学校。
     3学期から近所の新設校へ。ここでも良い先生に出会った。音楽が好
     きになったのもこの頃。

中学校  放送局に入ってアナウンサー。将来もアナになりたいと思い始める。
     だんだん志望の高校が遠のいていく。
     英語・数学は致命的。社会・国語はなんとかついていく。
     学級担任が3年間なんの因果か同じ人。英語の先生でエリートで好き
     になれなかった。よって英語も嫌いになる。

高校   公立高校の受験に失敗(当時このあたりでは公立が優位だった。)
     両親に親不孝と言われて肩身が狭く、
     高校では同級生となじめなかった。
     部活は書道と宗教局(仏具磨きが活動?!)。
     夫との出会いで精神は安定した。将来についてやはり教員になりたい
     と思っていた。
     短大でいいという母と四年生へという父の間で一人っ子は面倒だと思
     い始める。
     志望大学を仏教系の東京と決定。(偏差値が低くても大丈夫で、授業
     料がとても東京のお値段とは思えないほど安かった。)

大学   ナントカ合格し、教養課程を北海道で済ませ、3年目から東京へ。
     夫も前年に東京で就職していた。
     お上りさんの華麗なる女子大生生活が始まる。
     社会科・宗教科の教員免許を取り、道の採用試験を受けるが不合格。
     (バイト生活で勉強はほとんどしていない)
     会社訪問も売り手市場の年なのに学部名だけでさせてもらえず。
     ある方の紹介で業界団体に就職が決まる。


科目でいえば倫理・政治経済・哲学が好きでした。
ちっとも生活の足しにはならないのですが、、、。

アルバイトをして学費を稼いでいました。
ハマトラとか流行っていたけど、私は時代にのれていなかった。

アルバイト先で出会った人には恵まれていました。
伊勢丹外商・烏山の和食のお店・等。

いつも「どうして」という疑問を社会に対してもっていました。

結婚にたどり着くまでに色々ありすぎて「どうにでもなれ」と自棄にもなりました。

丸の内OL時代は地味ながらそこそこに、、、、(でも変わっていると言われていました)

出産して家庭に入る。
つくづく自分が母親と妻に向いていないと日々実感する。現在に至る。

根っこは人との出会いだと思う。



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