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添乗記 インド編 2



インドはお釈迦様のふるさと。
お釈迦様の足跡を訪ねる「インド佛跡」という旅行があります。
お釈迦様になる前の王子様・シッダールタはいくら苦行を重ねても、中々悟りを得られず、もう限界へ達していたところ、ブッダガヤ近郊の村にあるスジャータという娘がお釈迦様に乳粥を献上し、元気になられ、ブッダガヤの菩提樹の木の下で悟りを得られた。というお話があります。とても簡潔に話していますが。

そこでです!

私は仏教信者の方々とそのブッダガヤへお参りに行きました。
そこにあるお客様の長年の知り合いのお寺へ行き、私達は接待を受けました。
そこの御住職は義理堅く、乳粥を差し出されました。スジャータさんのおかげで私達が今いるのです。という意味をこめて。

インドは全部が全部衛生的とは思えません。
インドでお客さんに注意することはまず、消毒をする事。「リンスキン」の様な消毒綿を沢山ご用意いただき、食事の前はかなりホテルやレストランの人に対して失礼ですが、食器をぜーんぶ拭いてもらってます。ごめんなさいね。と思いながら。

そんな訳で勿論の事、みなさんは召し上がらないと思います。食器を拭く前にもう乳粥が盛られているのですから。
妙なトコで正義感が生まれてしまう私は、
「ここは私が代表していただきます。」 と、言ってしまいました。
ご馳走になりました。しっかり。しかも美味しかったです。2杯も食べました。
そこの御住職は大変お喜びになられました。

その5日後、旅行は無事に終了いたしました。
大阪から羽田へ戻り、12月のツアーだったので、当時兄家族と一緒に住んでいた私は義姉のご好意により鍋を用意してもらい、楽しい夕食を過ごすことが出来ました。

ところが!

就寝をはじめて2時間位経過した頃でしょうか?
突然の腹痛におかされました。今までインドでおなかを壊すのは日常茶飯事でしたが、今回はハンパじゃありません!もう歩けないのです。
這いつくばってトイレへ駆け込み、布団に戻る前にまたトイレへ行きたくなり、私は死んでしまうのかと思いました。気が付いたら朝7時でした。
2階に私の部屋があったのですが、下へ降りれない私は義姉に携帯電話を使い、
「死にそう・・・・下へおろして!」と電話しました。
義姉に抱えられながら下へ降り、もう格好は構わず、保険証と現金を持って、チャリで医者へ駆け込みました。

かかりつけの先生なので、よくして下さり、検査して、薬をもらいました。
大分良くなったので、出社できるなー。と思い、その翌日出社したら義姉からの電話でした。
「あのさ、いいづらいんだけどさ、赤痢だって!多分お医者さんから電話くるよ」
「ええええええ!せ、赤痢???」
こんな事言っている間に保険所から電話がありました。
数ヶ月前だったら私は隔離されてたそうです。
会社にもお客さん、そして一番かわいそうなのは兄ファミリーに迷惑をかけました。
兄ファミリーと一緒に住んでたので、保険所の人が早速駆けつけ、家をバイキン扱いの様に消毒してきました。
そして、私といつ、どこで、何を食べたか?全部書かされました。
甥っ子は泣きながら検便させられました。
義姉はまだ妊娠中だったので、沢山検査をさせられました。

ごめんなさい。

ちなみに年末だったので約100名の中の最後の患者だったと思われます。



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