常緑樹28 情報は使って…


(平成16年10月号 2004/9/20)

思いがけない爪跡を残し台風18号が通り抜けた。
昭和29年9月の洞爺丸台風から50年目のことである。
北大のシンボル、ポプラ並木はじめ、いたるところで街路樹や公園の木々が倒れた。
屋根が飛び、家が壊れ、破れたトタン板が舞った。
記録的な強さで死者もでた。
台風が日本に七つ上陸し、その中の四つが北海道にきた。
例年なら勢力を落として温帯低気圧に変わるか、進路をそらすかして北海道への影響は少ない。

子供の頃大阪に住んでいたので台風は毎年恒例。
早めに休校が決まり不謹慎だが喜んだ。
台風が近づくと夜中に起こされ、台風を迎える準備に借り出された。
実家は材木商で、製材された材木がたくさんあり風に飛ばないよう縛りつけた。
窓にも木を打ち付けた。
子供にも某かの仕事が与えられ、使命感に燃え、びしょ濡れになって働いた。

今と異なり頻繁に停電し、水がついた。
トランジスタラジオに懐中電灯、ロウソクも用意した。
母は食糧品や水、薬箱も用意した。
例年のことだから体が自然に動いた。
停電時は決まって父親の怪談話を聞いた。
怖いのに何度もせがんだ。
強風が窓を叩き、どこかがきしむ音などすると一層怖かった。

この日の朝は予想に反し、雨も風も強くなかった。
普段通り仕事を始めた。
窓から見える木々が揺れ始めて強風に気づいた。
窓を叩く音が大きくなった。
屋上の点検口の破損を見つけた。

網戸をしまおう、と思った矢先に風で飛んだ。
アルミ製だが人にあたれば大事だ。
四枚の網戸は道路の真ん中まで飛ばされ、車に轢かれた。
隣の屋根がはがれ道路に落ちた。
電線にも引っかかり、車が避けて通った。

テレビでは各地の状況が刻々と報道され、非常に強い勢力だと知らされていた。
たしかにどの映像も大変な暴風雨と被害の状況を映していた。
大きな被害を蒙ったのは、過去に例のない風速50.2kmという想像を越える風を伴った台風だったことを考えれば、ある意味でやむをえない。

諌めるべきは、大変な台風が来ると知っていたのに何もしなかった自分だ。
大阪で育ち台風も経験していた。
にもかかわらず、甘く考え、高を括っていたことが悔しい。
実感が不足し、水や電池の用意、網戸をしまうことにも思いがいたらなかった。

テレビ、ラジオ、新聞など情報は様々な手段で手に入る。
インターネットでも大変な速さで情報が届く。
流れ込む情報を取捨選択、整理するのも忙しい。
現在、役立ててもらいたくて、情報を発信する側にいる。
しかし、その情報が活用されないと考えることは辛い。
生かされない情報は意味がない。
それをどう生かすか。
生かされてこその情報である。

実感して、行動し、はじめて情報が生きてくる。
今回の台風で自分が情報を受ける側になり、その意識が不足していたことを思い知らされた。

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