黒く塗りつぶせ


「シャクな金持ちども」という歌詞のこと。
若い自分と若い作詞家を呑み込んでいく怪物。
2003.8.6


 だいたいのポピュラーソングには、歌詞がある。曲に乗せられた言葉は、非常に大 事な意味を持っている。
 だいたい、歌手にとっての歌詞というものは、彼や彼女の心情に寄りそうような内容が多い。時には、男が女のこころを歌う場合もあるし、若い歌手が臈長けた中年男の気持ちを歌うというようなこともあるのだけれど、たいていの場合はその歌手が実際に感じていそうなことを歌うことが多い。
 矢沢永吉は、いくつかの例外を除いて、作詞を他のクリエイターにまかせている。
彼は、作曲と歌唱については自分の仕事にしているが、詩については自分自身と少し距離を置いたかたちでやってきている。ぼく自身が経験したケースでいうと、新しい歌を作るとき、矢沢はテーマやイメージについては積極的に語り、それをモチーフにして作詞家に詩を依頼するというやり方をとっているようだった。その方法をとってできた歌詞は、矢沢永吉自身が私小説のように自分を語るよりも、歌詞の世界を「演じる」ということにより近くなるはずだ。わかりやすく言えば、『トラベリン・バス』という歌では、アメリカ大陸を矢沢のバンドが一台のバスでツアーしているという内容が歌われているのだが、実際にそんなツアーは行われてはいない。ルイジアナもテネシーも、シカゴも、遥かロスアンゼルスも、ひょっとしたらその歌を初めて歌った頃の矢沢は、その地名の都市がどのへんに位置するかも知らなかったのではないだろうか。事実として、そんな旅がなくても、矢沢永吉が歌いだしたときには、延々と砂漠のなかの直線道路を走るバスが見えてくる。実際に、バスで演奏旅行を続けるバンドは、他にあるかもしれないが、矢沢のほうがずっと何度もそういう経験をしているかのように、ぼくらは感じてしまう。これが表現力というものなのだろう。
 しかし、矢沢永吉の歌を聴いているファンのほうは、それを事実と錯覚して、それをドキュメンタリーとして受けとめたがることもある。優れた表現は、よく事実と取り違えられるものだ。『トラべりンバス』は、矢沢の生みだした表現世界のなかには、確かに「存在」するのだが、事実の体験談ではないのだ。
 ぼくが、ずっと矢沢永吉を追いかけながら、ずっと注目してきたある歌詞がある。
『黒く塗りつぶせ』という歌だ。この曲は、おそらく作詞家がローリングストーンズの『ペイント・イット・ブラック』という曲に対するオマージュとして書いたものだろう。歌詞の内容も、ストーンズの歌うものに影響されたものになっている。若くて貧しくて不満そうに口を尖らせた矢沢永吉にぴったりの歌だった。歌手の矢沢は、これを叩きつけるような歌い方で見事に表現していた。この曲のなかに、「シャクな金持ちどもを、みんな黒く塗りつぶせ」という歌詞がある。曲が出来たときには、たぶん矢沢永吉は金持ちとは言いにくい立場にいたと思う。しかし、この『黒く塗りつぶせ』を歌い続けているうちに、矢沢自身が「金持ち」になってしまっていくのだった。
ドキュメンタリーだったら、「シャクな金持ちどもを、みんな黒く塗りつぶせ」という歌詞は、自分自身を挑発し、攻撃を仕掛けるような意味を持ってしまう。ちょうど、後楽園球場で行われたライブのころだったろうか、ぼくは、矢沢がこの曲のこの部分の歌詞を、思い切って歌えてないような印象で聴いた気がする。むろん、それはぼく自身の精神的な何かが反映されたやや歪んだ聴き方だったのかもしれないのだが。
 表現としての、反抗する若者を主人公とする歌が、ドキュメンタリーとして受けとめられていたとしたら、もうこの曲は封印すべきだという判断も成り立ったろう。しかし、すっかり大金持ちになっていた矢沢は、ずっとその後も「シャクな金持ちどもを、みんな黒く塗りつぶせ」と歌い続けてきた。しかし、そのことについての批判めいた意見を、ファンの間から聞いたことがない。それは、すごいことだと思う。歌われている内容と、彼自身との関係が、対立したり矛盾したりするのではなく、矢沢永吉という存在が歌の内容を「呑み込んで」しまったと言うしかない。こういうとんでもないような力技ができてしまうのが、矢沢という男の大きさなのだと思うしかない。
 おそらく、これから先、何年も現役で歌っていくうちに、
矢沢永吉の髪の毛は「ジェームスボンド」のように禿げていくかもしれない。バーボンのせいかどうかは知らないけれど、「自慢の声もしわがれ」ていくという可能性もある。しかし、そういうことさえも、矢沢永吉はきっと「呑み込んで」しまうにちがいないと、ぼくはなかばあきれながら想像するのだ。
 若い矢沢のために若い作詞家が書いた世界を、歌いながら乗り越え、呑み込み、彼はどこまでも大きくなっていく怪物なのだ。 ◆


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