アウトドア~な温泉日記

犯罪者の十字架・・・



さて殺すことが罪を償わせることになるであろうか、

犯罪者は反省することもなく、

絞首刑というさして苦痛を伴わない楽な方法でただ死んでいく、

これは社会にとって有害な害獣を駆除したにすぎない、

本当に罪を償わせるのなら決して殺してはならないのである。


かつて社会を震撼させた綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の一人が、

出所して程無く再び監禁致傷事件をおこし逮捕された、

反省の兆しが見えないとして有罪判決を受けたが、同時にこの事件の犯人であることが知られ、

それが更生を妨げたともされた。


何を甘えたことを言っているのであろう、

彼らに殺された少女は人間としての尊厳を踏みにじられ、

苦痛と恐怖と絶望の中で死んでいったのだ、

当然の報いであろう。


罪を償うというのはそんなに簡単なことではない、

刑に服したから罪が消えたわけではない、

犯罪者としてのレッテルを貼られ、周りから冷たい目で見られ、後ろ指をさされ、

差別され、誰からも信用されない、

当たり前である、それだけのことをしたのだから、

他人の権利を奪い踏みにじってきた者が、

なぜ自分の権利など主張できようか。


周りから好奇の目で見られ、陰口をたたかれ、差別され、

それでも生きて罪を償っていく、

誰からも感謝されず、信用もされず、一生犯罪者としての十字架を背負っていく、

それが罪を償うということ。


できないのならば檻から出してはならない、

生涯檻に閉じ込め、強制的に働かせ償わせる、

楽しみなど与える必要はない、

自らの快楽のために他人の幸福を奪った者に生を楽しむ権利などない、

遊びで他人の未来を奪った者に明るい未来などあってはならないのだ。


彼らが少女に対して行ったこと

  1、41日間にわたって監禁し、

  2、集団で繰り返し犯し、

  3、ろくに食事も与えず、過度の暴行を繰り返し加え、

  4、余興のために裸で躍らせ、自慰行為を強制した、

  5、紙パックに排尿させてその尿を飲ませ、

  6、陰部に異物を挿入し、火のついた花火を押し込んで破裂させた、

  7、ライターオイルを手足にかけ火をつけて焼いた。


亡くなった少女はやせ細り、顔は原形をとどめないまでに腫れ上がっていたという、

手足は打撲と火傷で化膿し、胸には何本もの裁縫針が入っていたという、

見るも無残に破壊された陰部にはジュース瓶が2本詰まっていたという、

そして彼女は妊娠していたという、

もはや人間の所業ではない、

これを聞いてもまだ彼らに更生の余地があり、

人間としての尊厳が必要であると言えるのであろうか。


鬼畜の所業を犯した獣に、死の制裁など生ぬるい、

罪はその一生をかけて償わねばならないのである、

それでも少女の命はもはや戻ることはないのだから・・・

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