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2019年12月からスタートしたこのブログですが、これまでほぼ毎日の更新をしてまいりました。しかしながら最近の仕事および家庭環境の変化から、今後毎日の変更が難しい状態となりました。ブログ自体は続けていく予定ですが、更新を不定期にさせていただきたいと思います。ほとんど閲覧者のいないブログですので、それほど問題はないと思いますが、ご理解のほどお願いいたします。
2025.11.14
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最近仕事でも私生活でも手段と目的を取り違えている人が多いと感じることが多くなっている。順調に嫌味なジジイに成長しているのかもしれない。とにかくいろいろと気になるようになっているのは確かである。 会社では様々な指示が出るが、目的ではなく手段(行動)を指示することが多い。たとえは機械を掃除しなさいという指示が出たとする。言われた人は、とりあえず掃除という「行為」をする。だが機械を掃除する目的は、汚れやごみによる製品への不良を減らすとか、機械の寿命をできる限り伸ばすために行われるものである。その為この目的に合致した掃除が求められるのだが、外側の見えるところを拭いて「終わりました」と報告してくる人が少なくないのである。肝心なところがまったくきれいになってないということが最近増えてきている。言わずもがなと思っていても、そうではないようだ。 報告書なども、「書く」という行為はしているのだが、まったく意図が伝わらないものが増えている。報告書なので上司が知りたい情報が書かれていないと意味がないのだが、AIで作ったのかわからないが、かなり意味のない報告書が出てくることがある。 子供が塾や予備校へ行くのは「行く」ことが目的ではなく「行って勉強をする」のが手段であり、目的は「学力を上げる」である。塾に行っているでは学力は上がらないし、一応授業を受けているでも学力は上がらない。だが我が家の子供たちは塾や予備校に通っていることで「勉強している」と胸を張っている。肝心の学力は上がらないので何度やめさせようとお母さんと話し合ったかわからない。 物事は目的を達成するために何をするかというのを考えなければ正しい行動ができない。だが最近の世の中は行動していればよいと考える人が増えている気がする。 こういう世の中になると、目的を理解して行動している人とそうでない人の差がものすごく大きくなってくるとお父さんは思っている。 会社で出世するのも昔に比べると楽なのではと考えてしまう。お父さんは団塊ジュニア世代で最後の人口爆発の世代である。人口が多いのだから競争相手は山ほどいる。部活など県大会に出るだけでも大変だった。だから勝つために何をするかとか、実力を上げるために何をするかというのを常に考えていたと思う。もちろん全員がそうではないが、周りに見本となる人もたくさんいたので、見習うだけでもかなり自分を鍛えることができた。 それでも就職氷河期というきつい時代に社会に出たので、現在ではお荷物世代になっている。だが同級生で普通に社会人として活躍している人はいくらでもいる。目的を考えず行動していた人たちが就職氷河期の影響をもろに受けているだけだとお父さんは思っている。 少しきつい事も書いてしまったが、目的を瞬時に理解して行動を決め、すぐに動ける人は学生でも社会人でもとても強い。部下にも子供達にもこういう話はしているのだが、そもそもお父さんが何のために話をしているかを理解してもらえないので、効果がないことが多い。お父さんの話が下手だというのも原因の一つなのだが、もう少し何とかならないかと最近悩むことが多い。
2025.11.13
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お父さんは東南アジアに出張することが多い。そもそもベトナムに会社の工場があるので、1年中海外に行っていると言っても過言ではないだろう。各国で日本人がその国の文化を語るときに「植民地だったから」というのが理由になることがそれなりの頻度である。 例えばベトナム人がベトナム語の大半が中国語を語源としているのに漢字を捨ててアルファベットを使っているのは、長い間フランスの植民地だったからと言われることが多い。 ヨーロッパの大航海時代以降、列強と呼ばれる国々はアジアやアフリカ、南米に多くの植民地を持つようになった。アジアで植民地にならなかったのは日本とタイだけと、学生時代に習った覚えがある。タイの場合はフランスとイギリスの緩衝地帯として植民地化されなかったとも習っている。それが本当だとしたら、日本という国はとても稀有な国であると言える。もちろん不平等条約を結ぶレベルでは列強に負けてしまっているのだが、それでも独立国として国は維持されていた。 いろいろな理由があるのだろうが、お父さんはその中の一つに武士がたくさんいたというのも理由の一つだと思っている。一般的に江戸時代の武士の人口は全体の1割弱だと言われている。当時の人口が3000万人だとすると300万人が武士である。武士というのは普段から刀を腰に2本差して街中を歩いていた。鉄砲を持ち歩いている人はいなかったと思うが、人を殺めることができる武器を日常的に持ち歩いているというのは、ヨーロッパやアメリカの街中ではそれほど多くなかったのではないかと思う。武器というのは戦うときに持ち出すもので、日常的に持ち歩く文化はなかったと推測している。 日本を植民地化して軍事力で押さえつける場合、この武士を何とかしなくてはならない。武士を簡単に制圧できる軍事力を日本国内に置かない限り、局地戦で勝てたとしても日常生活を送ることはできなかったのだろうと思うのだ。 現代の日本のように、軍事力があるのは基地と決まっているならば、基地を陥落させれば何とかなるが、日本各地に城があり、領主がいて武士がいる。一つ一つ攻略するのはかなり大変だと思う。 ましてや幕末は幕府の言うことを聞かない藩が大量に出ていたので、江戸幕府を攻略しても意味がない。上陸すればそこら中に刀を持って歩く武士がいる。武士から刀を取り上げようとすれば間違いなく大きな抵抗をされただろうと思う。 有名なペリーの日本来港が1853年である。それから100年もしないうちに日本はアメリカと太平洋戦争をして神風特攻という戦略を実行した。明治維新にいたる戊辰戦争をみると、武士は鉄砲隊に刀で突撃する精神性を持っていた。命を大事にする西洋人はこのような戦闘民族と自国から遠く離れた極東の地で本気で戦争をする気にならなかったのではないかと思う。あまりにもリスクが高すぎるのである。 ゲリラ活動が活発な地域に一般人はおろか軍隊さえも明確な目的がなければ入ることはない。いつどこで撃たれてしまうかわからないからである。幕末の日本は武士が刀を持ち歩いてそこら中にいたおかげで植民地化を免れたと考えるのは、決して間違いではないだろうと思う。 今現在東北や北海道で熊が出るから山に近づかないのと同じようなものではないだろうか。
2025.11.12
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お金を貯めるというのはなかなかに大変なものである。現在進行形でお父さんはお金が貯まらない。主に住宅ローンの支払いと子供の学費や生活費が重くのしかかっているためである。無駄使いも少々している自覚もある。家計はお母さんに任せているが、やはり厳しくて貯金は難しいそうだ。借金を考えるまで追い込まれていないだけ幸せなのかもしれないと思う。 よく「どうしたらお金が貯まりますか?」という質問をする人を見るのだが、貯めるためのお金を作るには、収入より支出を少なくするしかない。ダイエットと同じで、消費カロリーが摂取カロリーよりも多ければ、体重は減る。 そんなわけで、お金を貯めるには身の丈(収入)に合った生活をするのが正しい答えだと思う。ところが世の中には、投資(株やFXなど)でお金を増やしたいと考える人がかなりいるようである。これを実行した人でお金が貯まる人はほとんどいない。なぜなら素人が簡単に儲けられるようなものではないからである。 お父さんは株式投資や投資信託などを否定するつもりはない。基本的に先進国では余剰なお金を貯金するのではなく投資に回す方が一般的である。ただそのためにはそれなりに勉強しなければならない。何も勉強しないで、トヨタは儲かっているみたいだから株を買ったらよいのではぐらいの感覚では利益を出すどころか元金が減る可能性が高い。 先進国では投資をすることを勉強できる環境が普通にあるのに対して、日本ではそういうセミナーなどは玉石混合であり、どちらかというと怪しいものの方が多いと感じている。 「必ずもうかる」とか「元金保証」とか「AIで予測」とか言っているものは、ほとんどカモにされるために行くセミナーだと思って間違いない。本当に確実にもうかる手段があるのなら人に教えたりはしない。自分が借金をしてでも大金をつぎ込めば大儲けできるからである。 ちなみに世の中の仕組みというのはうまくできていて、給料が上がると物価も上がることが多いし、上がった給与に合わせて生活水準を上げる人がほとんどなので、収入が増えても支出も増えていきお金を貯めることができない。 収入が上がったときに生活水準を上げないことがお金を貯めるコツだともお父さんは思っている。思っているだけで実行はできていないのでお父さんもお金が貯まらないのだと思う。 お金の貯め方とかいう本が本屋に並んでいるうちは、お金を貯めることができる人は少ない世の中のだろうとお父さんは思っている。お金に関する本というのは本屋のビジネス書やそれに準ずるコーナーに行くと、驚くほどにたくさん置いてある。 たまにパラパラとめくって目次などを読むことはあるが、お父さんは基本的にそういう本を買うことはない。なぜなら筆者が本当にお金持ちなら本など書く必要もないほどお金が貯まっていると思うからである。さらに言うと、みんなに公開されている手法でお金を増やすことはできないと思っているからである。 お金は貯めたいけど貯まらない、でも借金せずに生活はできるというのが一般人の行き方なのではないだろうか。生活水準を上げなければと書いたが、車もほしいし、家やマンションも買うという一般の人が、多額の貯金を作るのは今後も難しいだろうと思う。
2025.11.11
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お父さんの父親はもうすぐ85歳になる。体は元気であるのだが、脳の機能がかなり衰えていて最近問題がかなり顕著になってきている。お父さんとは30歳ほど年が離れているので、自分も30年後に生きていればこうなるのだなという見本であると思ってみている。「子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」という言葉があるが、笑えない状態である。自分が同じ状態になったら間違いなく周囲に迷惑をかけるということを、恐怖として感じるようになっているからだ。 まあ暗い話は置いてお行くとして、今回タイトルに書いた高齢者費用とは病院代とか介護代とかではない。あまり世の中では聞かないが、高齢者で認知機能に問題が出始めたころから地味に増加する費用のことである。 お父さんの父親は一人暮らしをしているので、買い物も料理も基本的には自分でやっている。最近は総菜や弁当を買って食べていることも多いが、なんにしても一人で生活をしている。先日会って話をしたときに、毎日買い物で同じものを買ってきて、冷蔵庫に入れるときに気が付くと言っていた。 実際に冷蔵庫から出して見せてくれたが、日付が1日ずつずれたたらこが3パック冷蔵庫に入っていた。父親一人なら1か月毎日食べるぐらいの量である。お父さんの父方の祖母も認知症になってから、毎日同じものを買ってくるので困っていると同居していた叔母がよくこぼしていた。 そのほかにも洗面所の水が流れっぱなしになっているとか、電気や暖房の消し忘れなど、正常な場合には普通に止めたり消したりすることができずに無駄にしてしまうものがある。これも父親の話だが、家に行ったときに洗面所の方からかなりの水が流れている音がしていた。最初は洗濯機かなと思っていたが、いつまでも音が続くので父親にしてきすると、顔を洗おうとしたら水が冷たかったので、お湯が出るまで流していたのを忘れていたということだった。洗面所に水を止めに行くのをみて、お父さんは仏間に行ってお線香をあげていた。戻ってみるとまだ同じ水の音がしている。再度父親に聞くと「止めた」と言うのでお父さんが実際観に行ったら、ジャージャーと全開で水が出ていた。 その他の日には鍋を焦がして、相当室内が臭くなるまで気が付かなかったというものもある。これはこの1か月の間に起きたことである。 父親は幸い貯金があるようなので、少しぐらいムダをしても大丈夫なようだが、お父さんが同じ状態になったとき経済的に余裕があるかは未知である。ひょっとしたらかなり苦しい生活をしているかもしれない。そういう状態で光熱費が無駄に増えたり、食い切れないほど同じものを購入するのは地味に家計を苦しめると思う。 食べ物ではあまりやった記憶がないが、百円ショップなどで同じものを買うということはお父さんは50代にしてすでにやらかしている。食料品の買い物はお母さんがやっているからやらかさないだけで、お父さんが毎日買い物をしていたらやらかしているかもしれない。 会社で同僚とそんな話をしていたら、高齢の親と同居している同僚は「我が家も同じ」という話だった。お父さんも長生きをすれば同じことをするのはほぼ間違いないだろう。父親も自分の老化に肉体的にも精神的にも苦しんでいる。長生きが良いことなのかそうでないのかをどう判断したらいいのか悩んでしまう。
2025.11.10
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先日牛丼屋に行ったら、お箸とスプーンが置いてあった。そういえば家族で牛丼屋に来た際に、次女がスプーンを使って食べていたので、最近はスプーンで食べるのもありなのかと思う。牛丼屋のメニューにカレーもあるし、スプーンを置いてあるのは普通なのだろう。あとは外国人旅行者も箸のない文化の人には便利なのかもしれない。 和食というのは通常箸で食べることを前提にしているが、スプーンを使うものがないわけではない。茶碗蒸しなど通常はスプーンが添えられている。 では一般的な日本人で、箸で食べるもの、箸でもスプーンでもよいもの、スプーンが一般的なもののすみわけはどうなっているのだろうか。牛丼を待っている間に何となく考えていた。 スプーンにレンゲを加えてもよいとなると、鍋料理などは箸もつかうがレンゲも使う。ラーメンも同じくである。中華料理関係はスプーンを使用する料理が意外とある。チャーハンはほぼスプーン(レンゲ)で食べるし、マーボ豆腐もそうだろう。中華スープ関係もスプーンである。中国では皮つきのピーナッツもよく出るのだが、これもスプーンで取ることが多い。ただしほとんどの料理は箸がメインなので中国で料理を食べるときはどちらもテーブルに置いてある。 ちなみに我が家で食べる場合、中華料理だけでなく洋食でも普通にスプーンを使っている。天津飯、中華丼、チャーハン、カレー、ハヤシライス、オムライスなどである。こうして上げてみると、平皿に盛られた料理とスープのように箸でつかめないものでスプーンを使っている。 上記のような料理をスプーンを使って食べるのをおかしいという日本人は少ないだろう。ただ、昭和生まれのお父さんはスプーンで食べることに何となく子供っぽさを感じてしまう。次女が牛丼をスプーンで食べるのを見ると、箸を使えと思ってしまう。不思議なものである。箸で食べられるものは箸を使うべきというのが何となくお父さんの常識にあるのだろうと思う。 ただよく考えてみると、お父さんが小学生の時、給食では先割れスプーンという特殊なスプーンで食べていた。小学校を卒業するころには箸が出るようになっていたので、小学校低学年のころまでだと思う。 我が家の子供達は先割れスプーンを知らないので、昭和生まれしか使ったことのないものなのかもしれない。 今はボーダーレスと言われる時代である。箸とスプーンの使い分けもボーダーレスになっていくのかもしれない。
2025.11.09
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先日ベトナムから帰国した際に、久々にフライト時間の変更を食らってしまった。定刻は深夜0:40発だったのだが、6:40に変更されてしまった。いつも通りの時間である19:30に会社を出て21:30ぐらいにハノイの空港についた。そのままチェックインカウンターでチェックインをしようとしたら、時間変更したことを伝えられた。21:30から翌6:30まで9時間もある。チェックインしますかと言われて少し悩んだが、ドライバーを呼び戻して会社に2時間かけて戻ると到着は午前0時前後、フライト2時間前の4:30に空港着なら会社発は2:30となり最低でも2時には起きなくてはならないのでこの案は却下。ハノイ市内にタクシーで移動して安ホテルに泊まっても、ホテルホテル発4:00前となり3:00には起きる必要がある。 お父さんはベトナム航空のゴールドステイタスを持っているのでラウンジが利用できる。ラウンジで朝まで過ごせるか聞いたら大丈夫だということで、チェックインしてラウンジで朝まで過ごすことにした。 ちなみにチェックインカウンターの係からは、メールで時刻変更を前日に送っていると言われたが、少なくともお父さんはメールを受け取っていない。総務がとったチケットなので総務が見逃したのかもしれないが、今更確認するのも面倒くさいので真相は分からない。 とりあえず出国審査と手荷物検査を乗り越えてラウンジに入った。いつものことなのだが、夜の時間はラウンジに席がなかなか見当たらないぐらい混んでいる。この夜も同じように混んでいて席をとるのが大変だった。通路のカゲになるところに開いた席を見つけて座り込んだ。硬くて背の高い椅子なので、ここでは寝ることができない。ラウンジの食事を食べたり喫煙所を往復したりしながら23時ぐらいまで待った。 この時間になると多くの人がフライトの時間になるので一気にラウンジから人がいなくなる。お父さんが狙っていた足を延ばして眠れるだろうと言う席が空くまで待って、23:30頃にようやく狙っていたシートに座ることができた。 ラウンジのトイレで歯磨きをして、椅子を調整しながら寝ようとしたが、完全に横になれるわけでもない上に、ラウンジは照明があちこちにありまぶしくてなかなか眠れなかった。 ようやくウトウトできたと思ったら、近くで日本語の大きな話し声が聞こえ始めた。完全にべろべろに酔っぱらった日本人が電話で誰かと話している。ベトナム時間で12時過ぎ、日本時間なら深夜2時を過ぎているので一体誰と話しているのかわからなかったが、内容から察すると会社の関係者と話しているようだった。 すでにラウンジにはほとんど人がいなかったので、その日本人の話し声はラウンジ中に響いていた。これがお父さんが知らない言語なら雑音として気にせずに眠れたかもしれないが、残念なことに日本語なのでどうしてもお父さんの脳みそが話の内容を理解してしまう。雑音として処理できないので、彼が疲れて眠るまでの2時間ぐらい、お父さんもほとんど眠れなかった。 朝まで何度も目が覚めながら、変更した時間通りの6:40に飛行機はタラップを離れた。飛行機ではほとんど寝ていたが、それでも食事などで起こされたのでゆっくり眠ったとは言い難い。成田空港に到着して自宅に向かう電車や新幹線もウトウトしながらようやく家にたどり着いた。夜布団に入ったのはベトナム最終日の朝にベッドを出てから40時間ほどたっていた。 フライト時間の変更は久しぶりだったが、とにかく身も心も疲れ果てる出来事だった。
2025.11.08
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今年は熊の被害が相次いでいる。山に近づくのが怖くなるくらいに人が襲われ、死亡することも珍しく無くなってしまった。 お父さんは東北の田舎町に住んでいるし、会社は山間の田園地帯にある。通勤は車で約25㎞を山の中や小さな集落を通り抜けながら30分ほどかけて走っている。東京など都会に住んでいるとわからない、というより知らないでいるのだが、東北の田舎で生活していると熊が出たという話はそれほど珍しいことではない。実際にお父さんも通勤途中に熊を見たことは数回ある。熊だけでなく、二ホンジカ、カモシカ、キツネ、タヌキ、テンなど通勤中に出会うことはそれほど珍しいことではない。特にタヌキは都会でいう犬や猫よりも確実に頻繁に道路で車に轢かれたものを見ている。 お父さんの会社の同僚でも、運転中に熊やシカとぶつかったという話がたまに出るレベルであり、熊はそのあたりにいるものという感覚があった。 これまで特に熊を怖いと思ったことはないのだが、それは熊が人を襲ったという話を全くと言ってよいほど聞いたことがないからだ。 数年前から熊が住宅地に出没したという話がニュースになるようになったが、それでも人が襲われていなかったので、通勤途中に熊を見ても警察や市役所に電話するという人はお父さんだけでなく周囲でも聞いたことがない。 もちろん街中に出たり、会社の敷地内に出没したりすれば警察に連絡はするだろうし少しは騒ぎになると思う。それでも山にある集落などは、自宅の柿の木に熊が登って柿を食べていたとかいう話を特に大事件ということもなく普通に話をしているレベルだった。 ところが今年は熊が人を食料として襲っている。今まで経験したことがない雰囲気に周囲もなっている。山にキノコや山菜を採りに行った人が熊に出会ったとか、襲われるということはあるかもと思っていたが、クマよけの鈴や煙が出る道具、あとはサイレンなどを使って熊との遭遇を避けていると聞いていた。 熊が人間を襲いにくる、食料として見るという感覚は全くないからこそできる熊対策である。食料として熊が人間を見た場合、音や煙を出すというのは餌がここにいるよと教えているようなものである。こうなると何が熊対策になるかなどわからなくなる。 寒くなってきたこともあるが、夕方散歩する人が、熊が怖いから散歩を中止しているという話をよく聞くようになった。昨年まで聞いたことがない理由である。熊は人を襲わないという田舎の常識が今年は完全に崩れてしまっている。 幸いなことに本当に身近なところで熊の被害が出ているわけではないが、お父さんの会社の同僚で野生の熊を見かけたことがない人はかなり少ない。その程度には熊は身近な動物である。だからこそ、あれが自分を襲ってくるかもと考えると怖くなるのだ。 日本はオオカミを絶滅させてしまったが、生活の為には仕方がないことだったのかもと今なら思う。絶滅するまで追い込まなくてもよかったのではとか、絶滅前に保護できなかったのかとか思っていたが、山に入るだけで襲われてしまう可能性があると思ったら駆除しなければとなるのはごく自然なことだと考えるようになっている。トキという鳥が絶滅したのとは理由が異なる。 共生というのは聞こえが良いが、お互いが出会わない、もしくはであっても命の危険がないことが大前提だと思う。生活圏に人を襲う動物がいることを放置して生活を続けることはできない。 どういう解決方法があるかはっきりとは言えないが、民家に近いところにいる熊はやはり駆除するべきだと思う。ある程度数を減らして餌に困らない状態を山の中に作らないといけないとは思う。
2025.11.07
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先日会社の顧問さんと話をしていたら、「0(ゼロ)」の読み方について、昔は「レイ」と読むように教えられたのに、最近はみんな「ゼロ」と読むようになっていて違和感があるという話をされた。顧問さんの話では1から9までは「いち・に・さん・・・きゅう」と日本語なのにゼロは英語だからダメだと教えられたらしい。言っていることは理屈に合っているが、お父さんも「レイ」と読むことはまれでほとんどの場合「ゼロ」と読んでいる。 例えば電話番号などを伝えるときも090を「レイ・キュウ・レイ」という人を聞いたことがない。その他のシチュエーションでもゼロと読むことの方が現在の日本、少なくともお父さんは当たり前になっている。 ゼロから考え直そう、成果はゼロ、不良ゼロ、災害ゼロなど基本的にすべてゼロを使っている。これを口頭で「レイ」と発音したら相手に意味が通じないかもしれないとさえ思う。 では「レイ」と読むのが標準というのを考えると、「テストで0点をとった」という場合は「レイ」と読むなと思いついた。あとは「深夜0時」と書いてあればお父さんは「レイ」と読む。 ちなみに「ゼロ戦」と呼ばれる日本の戦闘機は、本来は零式(レイシキ)と読むのが正しいらしい。正式名称は零式艦上戦闘機(レイシキカンジョウセントウキ)であると、コモンさんが教えてくれた。戦中は英語が禁止されていたようだし、ましてや軍の装備であれば「ゼロ」は禁止であるのは理解できる。 ただ軍隊ではゼロでもレイでもなくマルという言い方をしているような気がする。例えば午前2時はマルフタマルマルと言う。ゼロやレイでは聞き間違えるからと聞いている。なので10式戦車も10をヒトマルと読んでいる。 それなのに零式をマルシキとは言わない。不思議だなあと思うが読み方は慣例で決まるのだろうと思う。 1未満の少数の場合、0.15と書いてあればこれを「ゼロテンイチゴー」と読む人は少ないだろう。それなのに、小数点以下の0は「レイ」から「ゼロ」に変えることがよくある。例えば0.05という少数を「レイテンレイゴー」と読む人と、「レイテンゼロゴー」と読む人がいる。お父さんはどちらにも違和感はない。天気予報で明日は0℃以下というときにも「ゼロド」とは言わない。 0と同様に7も「ナナ」と「シチ」と別れている。慣例的に使っている日本人には違和感がないが、日本語を勉強する人は漢字、ひらがな、カタカナ以外に数字まで読み方を2種類以上覚えなければならないと考えると、大変だろうと思う。 話がだいぶそれていったが、ゼロは英語なのか日本語なのかと言われたら、昔は英語だが今は日本語でもあるというあいまいな答えになると思う。スタート、ブレーキ、スイッチなどと同じで英語発祥だが完全に日本語として取り入れられているものと同じなのだろう。ブレーキやスイッチを日本語では何というと言われてもすぐには思い浮かばない。
2025.11.06
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2か月ぶりの日本への帰国が近づいてきている。いつものことなのだが、お父さんの帰国が近づくと、ベトナム人社員からの確認、承認、検討依頼や打合せが増える。まだお父さんが帰国しないとほったらかしにしてあった案件を思い出して、至急お願いしますと持ってくるのだ。大体帰国2週間前から、最後の一週間は新規案件は手を付けないと宣言するのだが、そうも言っていられない仕事があるのでたとえ帰国前日だろうと対応しなくてはならなくなる。通常お父さんは深夜便で帰国するので、帰国日も定時まで仕事をしている。承認関係などその時を狙って持ってこられることも多い。 今回の帰国は日本に研修に出ているベトナム工場の社員の為のお土産を大量に持ち帰ることになっている。ほぼすべてが食料品で、インスタントのフォーとかベトナムの調味料などが現在お父さんの部屋に積まれている。重量はそれほどでもないのだが、とにかくかさばるものが多い。スーツケースに入るかどうかも問題である。 お父さんはかなり大型のスーツケース2個でベトナムと日本を往復しているのだが、今回その2個をローカルの副社長に貸し出している。そろそろ返してほしいと伝えたら、お父さんの帰国以降も使いたいから別のスーツケースで帰ってくださいという無茶ぶりをされてしまった。 仕方がないので、短期出張用のスーツケース2個で帰国する予定だが、普段の大型と違い中型のスーツケースなので荷物が入るか心配なのである。 ちなみに副社長は数か月はスーツケースを使うと言うので、日本に戻ったらまた大型のスーツケースを購入することになるだろう。もう10年も使っていたスーツケースなので、買い替えるのは納得できるのだが、問題は今回帰国に使うスーツケースをベトナムにどうやって戻すかということである。 ベトナムからの短期出張は結構頻繁にあるので、中型スーツケースは必需品である。大型のスーツケースは大きくてムダというよりも、現地で車のトランクに入らないとか、徒歩移動や電車移動などの時に持って歩くのも大変になる。 誰かがベトナム出張する際に持って行ってもらう方法もあるのだが、行きはお父さんのスーツケースを使っても帰りのスーツケースが無くなってしまうので基本的に不可能である。会社から機械輸出するときに一緒にコンテナに入れてもらうのが現実的かもしれない。ただいつになるかわからないのが問題ではある。 今回の帰国にはもう一つ問題がある。それが帰国時に着ていく服である。今回8月の末にベトナム入りしたので、日本もベトナムも夏の暑さの中での移動だった。ところが現在日本は晩秋であり、お父さんの住む地域は最低気温は1桁、最高気温も15℃前後である。ベトナムではまだ30℃を超える日があり、クーラーをつけて寝ているお父さんにとっては数字を見るだけで恐ろしくなる気温となっている。 とりあえず最も暖かそうな上着を持っていくことを考えているが、寒さに対応できるかは不明である。ただ外を歩くということはほとんどないので、寒さよりも周りの目の方が問題かもしれない。さすがにこの時期にTシャツやそれに近い半そででは日本で奇異の目で見られてしまうと思う。 ベトナムからの帰国はただ忘れ物がないように荷造りするだけではすまないのが憂鬱である。
2025.11.05
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お父さんはお酒を飲まない代わりに食事の時、特に飲み会のような場所では冷たいウーロン茶など無糖のお茶類を飲んでいる。基本的には冷たいお茶で、氷が入っているものを好む。ベトナムなどで冷たいお茶を出さない店に行くときは、自分でペットボトルのウーロン茶を持ち込んで飲むこともある。暖かいお茶ではあまり量が飲めないし、皆がビールジョッキで乾杯するときに湯のみを合わせるのはやはり違和感がある。 先日YOUTUBEのショート動画で、中国人が日本のレストランで冷たいお茶を出されて激怒したという内容のモノを見た。彼の言い分は冷たいお茶など飲んだらお腹を壊してしまうというものだった。まあ10年後ぐらいには彼も冷たいお茶を普通に飲むようになるとは思うが、今彼がいる生活ステージが冷たいお茶を飲まないところなのだと思う。 お父さんがベトナムに行き始めた20年ほど前、ベトナム人は冷たい飲み物を飲まなかった。飲めなかったのではなく飲まなかったのだ。中国人ユーチューバーと同様に、冷たい飲み物を飲むと胃腸を悪くすると信じていた。 このころのベトナムの一般人は温水シャワーで体を洗うこともしなかった時代なので、夜に髪の毛を洗うと風邪をひくともよく言っていた。 今はベトナム人もほとんどが冷たい飲み物を普通に飲む時代になった。会食や会社の飲み会で日本人用に冷えたビールを持ち込む必要があるみせは一つもない。ベトナム人も冷たいビールを美味しいと言って飲む時代になっている。 ちなみに先日中国出張した際も、コンビニでは普通にペットボトルのお茶が冷蔵庫で売られていたし、レストランでも注文すれば有料で冷たいウーロン茶などを飲むことができた。ただ、レストランで無料で出てくるのはポットに入った暖かいお茶だったのは確かである。 お父さんが子供の頃の日本はレストランというか食堂で出てきたのは温かいお茶が多かった。夏場になると冷たい麦茶を出す店もあったと記憶している。ただ喫茶店などは常に冷たいお水が出てきていたので、お父さんは冷たいものを飲むとお腹を壊すという感覚を持ったことはない。 中国人のユーチューバーはだいぶ狭い世界で、自分の経験のみの配信をしているのだと思う。おそらく共感する人もいれば、逆にあなたがおかしいという反応の人も多くいると思う。 日本に旅行できるぐらいの収入レベルであれば、コンビニなどで夏の暑い時期に冷たい飲み物を購入した経験は必ずあると思うのだが、おそらくレストランで冷たいお茶を出すという感覚がなかったのだろう。 食文化はその地域の気候や風土に合わせた形で発達するのだが、もう一つ衛生環境や冷凍や冷蔵の長距離運搬および保存が可能かどうかという技術レベルにも依存する。 さらに言うと、異なる文化を受け入れて楽しめる人と、自分の文化を最高のものとして比較しながら俺の文化が上だと必死になる人もいる。どちらが異文化を楽しむのに適しているかは言うまでもないだろう。 日本人も東南アジアなどで日本と同じサービスを求めて騒ぐ人は珍しくない。海外に行くということは、訪問先の国の文化を尊重しなければならないとお父さんは思う。それが最低限の礼儀ではないだろうか。
2025.11.04
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何度もここに書いているように、お父さんは理系か文系かで分類したらバリバリの理系である。勝手な思い込みではあるが、理系の人間というのは基本的にファクト(事実)を元にして思考をするのがクセになっている。そのため感情的になる頻度がバリバリの文系の人よりは少ないと思っている。また事実があいまいなまま議論をするのを無駄だと思っているので、中途半端な話し合いや会議ではあまり発言をしないのも特徴である。 上記のような理由から、恋人や夫婦のけんかや言い合いで、女性から感情的な議論を吹っ掛けられた時の理系男性は、かみ合わない理論的な反論をすることもあるが、基本的には黙っていることが多いと思う。 ここで理系男性と書いているが、お父さんの時代に理系に進む女性というのは少なかった。高校の理系クラスは45人中6名だった。大学では、同じ学科の同級生は180人中1名だった。建築学科などはもっと女性がいたが、お父さんのいた機械工学科は1名のみである。 だからほぼほぼ理系とは男性のことを指して話をしてもそれほど支障はなかった。しかしながら、現在ではリケジョという言葉ができたように、女性が理系に進むことが普通になっている。息子が理系クラスにいるが、女子の方が男子よりも人数が多いらしいので、30年も経つと世の中は変わるのだと感心している。 理系の女性が増えるということは、理系の思考を持った女性が増えるということだと思うので、感情的に議論をする女性も減るのではないかと思っている。大学の4年間で、理系の人はデータを元にした思考を繰り返し指導されるので、不確かな情報や感情では議論ができなくなるはずである。 その代わり、お父さんがお母さんから言われるように、事実だのデータだのめんどくさいやつという評価を受けることが増えるかもしれない。 お父さんの会社にも理系の女性がいるが、彼女たちが感情的に話しているのを見たことがない。その代わり、中途半端なというかデータに基づかないあいまいな指示が上司から出るとかなり不満を覚えるようである。 データも取らないで加工設定の変更をするのはおかしいと思うのだと思う。だが彼女たちに支持を出している上司は職人である。彼らには確証はなくても経験がある。残念なことに言語化ができない感覚がたくさんあるので、うまく説明できないのだ。 今後リケジョの社会進出が進むにつれて、職人対リケジョの対立が増える可能性はあると思う。
2025.11.03
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人間は同じレベルの人とでないと意思の疎通というか、忌憚のない話し合いというものができない。そう言われると納得してくれる人は多いのだが、このレベルの違いが仕事では軋轢を生んだり、せっかく知識も経験もある人に教えてもらってもその機会を生かすことができないということがよくある。 今お父さんの会社には、大手の会社を退職した人が顧問さんとして来ているが、このレベルの違いが大きな問題になっているとお父さんは感じている。実際には2名の顧問さんがいるのだが、この2名の性格の違いも含めて少し書いてみたいと思う。 仕事の場合のレベルとは、経験とか知識、あとは思考力などの差のことである。小学生が高校や大学の授業を受けても理解できないのと同じで、小学生を教える場合、小学校の先生や塾の講師は小学生のレベルに合わせて、彼らが理解できるように授業をする。先生たちは教えることのプロなので、教え方の工夫などに注力することができる。 しかしながら仕事では教えることのプロというのは基本的にいない。上司や先輩が仕事を部下や新人に仕事を教えていく。 この時に相手のレベルに合わせて、指導の内容を変えることができずに自分のレベルでそのまま指導することしかできない人が結構な割合で存在する。現在お願いしている顧問さんの一人はこのレベル調整ができない。その為高学歴な社長とは話が合うのだが、現場の作業者への指導や教育をお願いすると、絶対に理解されないだろう資料や言葉で説明をする。何度もこのレベルでは理解ができないのでもっと基礎的なことから、簡単な内容でとお願いしても、これ以上簡単にはできないと言われてしまう。その為に、彼の活動はなかなか成果を出せずにいる。講義などを受けた社員のアンケートを見ても、難しすぎてよくわからないという回答が多い。それを見せて簡単なものにしてくれというのだが、これ以上レベルを下げることはできないとやり方を変えてはくれない。 一方もう一人の顧問さんは同じように大手で仕事をしていた人なのだが、海外勤務経験があり、外国人に技術を教えた経験が豊富な人である。その為、お父さんよりも相手のレベルを評価する力が高く、レベルが高くて従業員がついてこれていないと感じると、指導方法をより簡単なものへ変えていく、そのせいで計画に遅れは出るのだが、着実に成果が出ている。 お父さんの会社の技術者が、お客さんとなる大手会社の技術者から指導を受ける場合もある。この場合、相手がレベルを合わせてくれたとしても社長が望むような成果を出せない。せっかく最先端の技術を教えてもらえる機会だったとしても、こちらがそのレベルを理解できなければ、その前段階や前前段階の基礎レベルの指導で終わってしまうからだ。 なので新技術の指導などを受けるときは、できなくても一度社内でトライしてから指導を受けるようにお父さんは仕事をしている。 経験があると無いとでは、相手の指導への理解度が全然違う。また自分のやり方と相手の指導の比較ができるので、ダメだった部分の理解も早いし、質問も頓珍漢なものがあまり出ない。教える側も教えやすいだろうと思っている。 社会人になると相手のレベルに合わせる努力というのができない人は、なかなか成果を出すことができずに伸び悩む人が多い。
2025.11.02
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先日BSの番組でコメンテーターとして出演していた田原総一郎氏が高市新首相に対して「あんな奴は〇んでしまえと言えばいい」という発言をして大問題になった。結局番組は打ち切りとなり、関係者は処分を受け、本人も別番組で謝罪することになったようだ。 田原氏は私が学生の頃から政治経済を含めて論客というかコメンテーターや討論番組の司会者として有名な人物だ。思想の賛否は置いておくとして、テレビ界の重鎮といっても過言ではないだろう。このような人でも今の時代に舌禍事件を起こしてしまうのである。 昭和の時代や平成初期に、このような発言をしても世の中はネットもなかったしそれほど問題にはならなかったと思う。お父さんが高校生の時にテレビで同じ発言を聞いたとしても、おそらくなんとも思わなかっただろう。だが今現在のニュースを見れば、騒ぎになって当然だなと思う。現在の世の中において、問題発言はSNSにより簡単にファクトチェックがなされ、SNSによって映像が拡散され、SNSによって批判が広がっていく。いやあごめんごめんみたいな態度は許されないのである。 正直なお父さんの感想を言えば、一人のコメンテーターがこの程度のことを言ったぐらいで、ここまでの大事になる世の中を良いとは思っていない。現在の日本はSNSによる監視社会になり、SNSによる民衆の声は法律よりも強い権力を持っている。違法でなくても大衆が「ダメ」と判断すれば、その人人生が終わることさえあるのである。 今回はSNSの批判を書きたいわけではない。田原総一郎氏の発言がでた社会的や思想的ではない背景について思うところがあるので、それを書いてみたいと思う。 彼は調べてみたところ昭和9年生まれで現在91歳である。老人の最高峰にいると言っても過言ではないだろう。現役で仕事をしているのが以上であり、同年生まれの多くがこの世を去っていると思われる。 お父さんの父親もそうなのだが、現役時代や退職後など70歳以前ぐらいまでは、世の中の変化にある程度ついていくことができた。お父さんの父親の場合は一般人なので、田原氏よりもずっと時代錯誤な発言は多かったが、それでも許されていたし、注意されれば気をつけるぐらいのことはできた。 しかしながら年をとるにつれて、理性のタガが外れるようになっているとお父さんは感じている。社会的なしがらみがほとんどないので、発言が時代遅れなだけでなく極論になったりしている。子供じみていると言ってもよいかもしれない。 田原氏は言論界で生きてきたジャーナリストなので、自分の発言が今の世の中でどう評価されるかということは、常に意識してきたのだと思う。それでも彼が現役バリバリの頃はかなりきつい発言はあったし、それでも世の中はそれが田原氏だと認めていた。 しかしながら91歳となると、もう世の中の変化の速さにはついていけないのだと思う。過去には許された発言が今ではダメだと一度は覚えても、興奮したりすると忘れてしまうのだと思う。要は老化現象である。 お父さんの勝手な思い込みではあるが、こうなるともう彼を生放送でテレビに出演させるべきではないだろう。どんなに事前に打ち合わせをしても失言が出る可能性は高い。父親で何度も経験しているし、それがどんどん悪化しているのを見ているので、田原氏も今回のことで反省して注意を払うようになるとは思うが、それでも瞬間的にそれを忘れて失言するようになると思う。もともと鋭い言葉で人を批判することをしてきた人間なので、おとなしい発言しかし無くなれば価値もなくなってしまう。 高市首相が嫌いな人は世の有名人にはたくさんいるだろう。それでも〇ねという人は基本的にいない。その発言が出てしまう時点で、もう今後の活動は無理だろうとお父さんは思う。お父さんがテレビ関係者なら、少なくとも生放送でテレビに出演させることは絶対にない。 理性的な人でも、どんな人格者であったとしても老化するとおかしくなることをお父さんは経験するようになっている。こういう文章を書いているお父さんも長生きすれば同じ道をたどると思っている。人間が長く生きることは素晴らしいと思うが、決して良いことだけではない。
2025.11.01
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日本は近年、海外からの観光客がとても増えている。日本政府が観光を産業の一つとして注力していたことも大きいが、日本がもつ文化や歴史などが世界の人々のお眼鏡にかなったというのも理由として大きいと思う。 ネット上でも日本旅行をした人の日本称賛の文書を見ることはそれほど珍しいことではない。 さてお父さんは日本に来る外国人とは逆に、海外に出ることが多い。その為日本を称賛する外国人の文章を見ると、「確かに」と思うことが多々ある。最近は海外に行き過ぎて「日本だったら」と比較することがあまりないので、このように海外から日本に来た人の文章を読んで日本の特殊性を理解することも多々ある。 今回はそんな中でも接客というものに関して少し書いてみようと思う。日本人の接客というのは、「相手が何をのぞんでいるか」を考えるということをかなり意識している。お客様に気分よく買い物や食事をしてもらうにはどうしたらよいかという、まさに「おもてなし」を重視する接客が良いとされていて、それを実践することができる国である。 アメリカでもヨーロッパでもアジアでも、接客の理想というのは存在する。もちろんお客様を気持ちよく買い物や食事をしてもらう行為というのは万国共通のことがたくさんある。その為、接客のマニュアルなどはたくさんあるし、客として行く場合はどの国でも不満を持つ人はたくさん存在する。 ところが自分が接客する側になると、ほとんどの国や人が自分の気持ちを優先することが多い。つまり理想の接客は日本と同じなのだが、実践ができないのだ。 高級なブランドショップなどは教育が行き届いているかもしれないが、一般の店での態度は日本の標準レベルには遠く及ばない。スーパーのレジでは品物の取り扱いが雑であるし、売り場の製品が乱れていることなど当たり前である。むしろ整った売り場のスーパーの方が「ありえない」と感じてしまうほどである。もちろん客側も商品を乱暴に扱うので店側の問題だけとは言い難いが、荒れている売り場をきれいに整理する店員も基本的にいない。 笑顔でレジを打つ人は基本的にいないし、ありがとうございましたに準ずる言葉を聞くこともほとんどない。日本食料品店などが例外的にそういう教育をしているが「笑顔」はないことが多い。 ある意味店と客が対等でよいのかもしれないのだが、日本人の感覚では極めて無礼な店員と感じる態度をとられると、日本人的にはこれでよいのだろうかと思ってしまう。実際にベトナムでも「あの店員は非常に態度が悪かった」と怒っているのを見ることはしょっちゅうである。ただしそのように怒る人も、客側から店員側になると同じことをすることをお父さんは身に染みて知っている。コンビニでライター1つ買っただけでも笑顔でありがとうございましたと言う国は日本だけだろう。日本で常識の愛想よくするのも仕事の内であるという考えを実践できているのは日本だけである。 レストランなどでも、海外では日本に比べると態度が悪い場合が多い。常連になると愛想がよくなる場合もあるが、日本の接客サービスの質を海外に求めるのはほぼ不可能である。理想を同じくしていても実践はできない。それが海外である。 どうしてこれほど日本と違いが出るのかと考えた時に、一番最初に思いつくのが「子供のころから質の悪い接客ばかり受けてきたので、接客とはそのようなもの」という意識になるからだというものだ。それに対して日本人は子供の頃から日本式の丁寧な接客を受けているので、やはり接客はそのようなものという意識になるのではないだろうか。 結局海外の人がどんなに日本の接客が素晴らしいと叫んでも、自国に戻れば店側であれ客側であれ自国で慣れ親しんだ行動しかとれないのだと思う。日本人には客であっても守るべき暗黙のルールというのは存在する。 つまりは接客の方法も文化もしくは習慣の一つであり、もし接客がダメな国がそれを変えようと思うなら、法律で罰するぐらいの覚悟がなければできないと思う。 そういう意味では、チップ制度というのはサービス向上のための良いシステムなのかもしれない。良い接客をすればチップの額が上乗せされる可能性が上がる。悪い接客ではチップが減る。だがこれがうまくいったとしても、客側からしたら接客サービスは有料ということになる。やはり日本のような接客を実践できる国は今後も現れないだろうと思う。
2025.10.31
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日本はバイクと車で行ったら断然車の台数の方が多い国である。ホンダ、ヤマハ、カワサキなど世界的に有名なバイクメーカーが存在しているが、今の日本では生活必需品ではなく趣味のものであるという場合が多い。原付スクーターなどは生活で使用されているが、お父さんの住む東北地方では、雪が降ると使えなくなるため所持している人は少ない。 それに対してベトナムや中国に行くと、まだまだバイクは生活必需品といってよいレベルで街中を走行している。ベトナムは自転車からバイクに移行し、現在自転車に乗る人は少ないが、バイクは一人一台レベルで所持している。一部のお金持ちは車を所有するようになっているが、一般人はまだまだバイクが生活の足になっている。 中国はベトナムよりは断然自動車が多くなっているが、バイク(スクーター)もかなり街中で見かける。特に都市部では渋滞を回避する手段として優れているからではないかと思う。香港ではあまり見ないので、価格的に購入できない人たちがまだまだいる可能性も高い。 さて日本では自動車の大衆化が進んですでにかなりの年月が経つ。お父さんが小学生の頃、車を持っていない家庭の方が少なかったと思う。その為自動車に使うアクセサリー類はものすごく充実している。アメリカは日本以上に自動車の普及が進んでいる国だが、自動車用のアクセサリーというのは日本の十分の一ぐらいしかないのではないだろうか。 これに対してベトナムや中国ではバイク文化のせいで、バイクに付随したアクセサリー類が充実している。ベトナムではバイクに荷物をたくさん積むための荷台に付属させるパーツがたくさんあるし、バイクで引っ張るリアカーなどもよく見かける。 また雨が降ると、日本では売られていないバイク用の雨合羽を多くのベトナム人が着ている。日本のように上下の河童を着るのではなく、ポンチョのようにしたが広がっている合羽をバイク全面に取り付けるように(ハンドルから上半身を多いかぶすように)使っている。実に便利だと思うが、娘に自転車に乗るときに使ってみるかと購入して見せたが、日本で使っている人を見たことがないので、恥ずかしくて使えないと言われてしまった。 先日中国に行ったら、結構な頻度でスクーターに傘を取り付けて走っている人たちを見かけた。晴れた日だったので、日傘にもなるようである。ハンドル上部から荷台までを覆うように後ろ側が長くなっている特殊な傘で、駐車している時も傘が開いているので閉じることができないのかもしれない。 写真を撮って、1つ購入していくか家族に聞いたが「絶対に要らない」とのことだった。日本ではかなり恥ずかしいというか、珍しがられるのは間違いないが、便利ではあるとお父さんは思っている。 バイク文化と以下、バイクが必需品の国にしかないこの手のアクセサリーは、バイクにそれほどなじみがない日本人の想像を超えるものがたくさんあると思う。 今後もどのような商品が出てくるかとても楽しみにしている。
2025.10.30
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最近2回ほど中国広東省に出張しているが、どちらも香港経由で入っている。1回目の出張では香港⇒深圳⇒中山⇒珠海⇒香港と移動、2回目は香港⇒深圳⇒香港であった。香港に案件もあるので香港経由になっているが、気分的にも中国本土だけの出張はあまり気乗りがしないということもある。 現在香港は一応中国の一地域ではあるものの一国二制度という建前で運営されている特殊な地域である。 お父さんが初めて香港に行ったのは大学生の頃なのでもう30年近く前のことである。このころの香港は「買い物天国」と呼ばれていたうえに、日本はバブル景気真っただ中で日本人の観光客でごった返していた。どこへ行っても人があふれ、町中に商店の看板が立ち並び、アジアの活気を感じることができる場所だった。お土産にお母さんにティファニーの指輪を買ったのもいい思い出である。あの時はまだ結婚するとは思っていなかった。 さてその時同時に深圳(中国本土)にも入ったのだが、香港と深圳の国境は実に象徴的であった。明るく免税店などが並んでいる香港側に対して、中国側に入った瞬間に警備兵(もしくは警察)がライフルをもって警備をしていて、香港側の明るい人ゴミから中国側の抑圧されて静かな雰囲気が実に対照的であった。 入国した深圳の街はまだ未開の地であり、にぎやかではあったが道路は舗装されていないし、そこら中に人は座っているし、歩いて越えられる国境を挟んでいるだけなのにここまで違うのかと驚いたものである。 その後深圳は大発展を遂げ、20年後に久しぶりに訪れた際には昔の面影など一つも残っていない大都会になっていた。街は拡大を続けて以前工業団地だったところは政府に移転させられて商業区になっていたり、高層ビルが立ち並んでいたりともう別の世界に来たような感覚になった。 今回の出張では機械装置を製造販売している工場を訪問したので、商業地区には行っていない。基本的に工業地区ばかりであるのだが、それを差し引いても中国はやはり何か雰囲気が異なる。同じ共産党の国とはいえベトナムよりも抑圧された雰囲気を感じてしまう。抑圧というイメージはお父さんの偏見なのかもしれないが、どうしても彼らが本当に自由な心で生活しているように感じられないのである。 香港も民主化運動がつぶされたりして昔に比べればかなり自由な雰囲気は無くなっているが、人々の表情にはまだ自由というか束縛されていない雰囲気を受けるのだ。ああ自分のいる側に戻ってきたなと中国から香港に入ると頭も体も緊張がほぐれる感じがしてしまう。今後香港がどんどん本土と同化していけば、香港からはさらに人が国外に出ていき、今の雰囲気は無くなるとは思う。 中国人にこの話をしても、中国と香港は同じであり自由度も同じ。中国人は日本人が言うような抑圧を受けていないと言われるが、では共産党の批判を自由にできるかといえばそうではない。好きに家や車を購入し、好きなものを食べ、好きなものを着ることはできるが、それは政府が許しているからである。 日本人は政府に許されて自分たちが自由に生きていると意識することはほとんどないだろう。日本人にとって政治によって強制的に犯罪者にさせられてしまうとか、警察に監視されるとかいう生活は、普通に生きていれば自分の身に起こることではないと心にも留めていない事象である。 香港にはまだその雰囲気は残っているが、順番で行ったら日本、香港、中国本土の順である。日本に観光に来る中国人のマナーなどが問題になっているが、あれも抑圧された中国人が、自由に行動できる日本に来てハイになっているからかもしれない。
2025.10.29
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中国に出張すると基本的に食事は中華料理になる。よく食べたいものはありますか?と聞かれることがあるが、店も何も知らないのでお任せしますとしか言えない。そうすると基本的に中華料理ということになる。ただ火鍋だけは断るようにしている。火鍋が美味しくないわけではないが、要は辛いしゃぶしゃぶである。すべての具の味はお父さんの舌ではほとんど同じになってしまう。別の料理をいくつか出されたとしても、舌が辛さでマヒしているので味がよくわからない。そんなわけで火鍋意外というリクエストはしている。 さて今回3泊4日で中国に出張したのだが、初日からずっと中華料理を食べ続けてきた。朝食だけはビュッフェだったので中華料理オンリーではないのだが、実際はチャーハンとか焼きそばのようなものを食べるので、中華料理を食べていることには変わりない。 今回は現地でのテスト加工とかもあったので、お弁当も食べたがそれも中華料理である。鳥の煮込みと野菜炒めとご飯とスープだった。普通においしかったのだが、中国人的にはあまりおいしくなかったようで、なぜか不味くてごめんなさいと謝られた。 ちなみに中華料理と一言で行ってもうまく通じないときがある。彼らにとっては中華料理と言われると「中国のご飯」と言われるぐらいあいまいである。日本人的にはご飯が食べたいと言われるぐらいなんでもいいと言われているイメージになることがある。 中華料理ではなく、北京料理・上海料理・四川料理・客家料理など地域別に料理が異なるので、どこの地域の料理が良いかと言われてようやく納得する。まあ国土が広いのでそうなるのだろうが、確かに地域によってかなり異なる料理となるようである。 結局いろいろと中華料理を食べたのだが、最後の夜香港で一緒に行った同僚もお父さんも胃がもたれて大変だった。1食か2食ならあまり感じないのだが、3日間も食べ続けると中華料理の油に胃がもたなくなってしまう。中華料理は基本的に和食に比べて使っている油の量が大変に多い。家庭料理は分からないが、外食で食べる中華料理で油を使っていないものはほとんどないのではないだろうか。この油が食事を重ねるにつれて徐々に胃にダメージを蓄積していく。3日もすると体の中が油まみれになる感覚になるほどである。 以前社長と一緒にドイツに行ったこともあるが、ドイツでも肉料理ばかり食べていた(肉料理以外なかった)ところ、3日目ぐらいに社長がギブアップした。日本人は肉にも魚にも油を美味しいと感じる民族ではあるが、一定量を超えると耐えられなくなるようである。特に年齢が上がるにつれてその傾向は強くなると思う。お父さんも40代前半までは中国出張で中華料理が続いても特に何も感じなかった。 そのようなわけで、出張最後の夜は香港だったが会食はなかったので、同僚と二人で和食を食べに行った。遠くに行くのも疲れるのでホテルから徒歩圏の和食を探して入店した。香港人経営の香港人用の和食屋だったので、美味しくなかったが油まみれの料理を食べるより楽だった。ただ香港人が経営する香港人用の和食だったで、創作日本料理のようなものが出てきて驚いたぐらいである。 中国人が強い酒を好むのも、油を口や内臓から除去する効果があるのかもしれない。まあ子供は酒を飲めないので、酒があればというのはおかしな理論とも思う。真実は分からないが、酒の種類はその国の料理に合うように変化すると聞くので完全な間違いではないのではないだろうか。お父さんはそもそも酒が飲めない下戸なので、あまり関係も関心もない。 中国出張はこれからも繰り返される予定なので、体が慣れるか体がつぶれるかは運であると考えている。早ければ年内にも中国出張がある。遅くとも来年3月までにはまた行くことになるだろう。食事がなければ中国出張ももう少し楽なのだが、中国の文化がそれを許さない。仕事以外で疲れるのが中国出張の怖さでもある。
2025.10.28
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先日中国の深圳にある機械製造工場に出張した。ベトナムからの出張だったので、距離的にはとても近いのだが、中国出張は会食に白酒(ばいちゅう)というアルコール度数50%以上の非常に強い酒が出るので、下戸のお父さんは行く前から気が重かった。 それはさておき、深圳の出張は香港から入るルートと広州から入る2つのルートがある。広州の空港を利用した方が、入国が1回で済むので便利ではあるが、広州から深圳まではそこそこの距離がある。香港から深圳は空港から船で深圳に移動しない限り、一度香港に入国し、香港出国⇒中国入国という手順を踏まなければならない。今回は香港の銀行での処理もあったので、香港空港を利用することになっていた。 初日に香港に到着し、銀行での処理を終えて翌日深圳に入ることにしたのだが、香港から深圳への行き方は何種類かある。お父さんは船で蛇口という国境へ行って中国本土に入るつもりだったのだが、今回は先方から高速鉄道を勧められた。その提案で数年前から香港から中国本土に高速鉄道(中国版新幹線)が開通していたことを思い出した。 高速鉄道を使えば、出張先の工場のすぐ近くに駅があるので便利だということで、香港から高速鉄道を使うことにした。 さて10年ほど前に広州から深圳まで高速鉄道を利用した際に、当日の窓口では切符が取れなくて大変な思いをしたことがある。そこで先方の会社に切符を予約できないかと聞いたら、パスポート情報があれば予約できるという返答があった。そこでパスポートの写真を送り、切符をとってもらったのだが予想していた電子切符(QRコードなど)がないという。当日にパスポートで改札を通ることができるということだった。全く意味が分からなかったが、ダメだったら船などに切り替えようと思って当日を迎えた。 当日の朝「香港西九龍駅」という高速鉄道の駅に着くと、想像以上に大きな駅だった。「高速鉄道」の表示に従って歩いていくと乗車口というか人が座っていてパスポート(身分証)をチェックするデスクがあり、その横を乗客らしき人がIDを見せては通り抜けていた。とりあえず同じようにやってみようとパスポートを出すと普通に通過することができた。一応予約した時の画像は送ってもらっていたので、スマホの画像とそれを印刷したものを持っていたが必要なかったようだ。 そこから荷物のチェック、通関、香港出国審査、中国入国審査、通関(荷物検査も)を通り抜け、40分ぐらいかかって高速鉄道の改札口ロビーまで到着した。問題は最後の改札を通れるかだったが、パスポートを読み込ませるだけで簡単に通り抜けることができ、無事に高速鉄道に乗ることができた。香港を定刻通り出発して予定通り深圳の光明城駅に40分もかからずに到着してしまった。すでに香港で中国入国を終えているので、最後に改札でパスポートを読み込ませるだけで駅の外へ出ることができた。最後のパスポートチェックは入った人がきちんと外へ出たかの確認の為ではないかと思う。とにかくあっという間に到着したという感じだ。 帰りも高速鉄道で帰りましょうと言う話になったのだが、光明城駅というのはかなりマイナーな駅で停車する列車がほとんどなかった。そこで深圳北駅というところまで送ってもらいそこから乗車した。 深圳北駅は驚くほど大きな駅だった。もちろん日本の東京駅も大きな駅なのであるが、深圳北駅はすべての改札が1つのロビーに集まっているのでものすごく大きく見えるのだ。中国国内で新幹線ホームに入るのは簡単で、パスポートを自動改札で読み込ませた後、荷物をX線の検査機に流す。飛行機と異なりポケットにスマホを入れていようが腕時計をしていようが関係なく、ブザー鳴りまくりのボディチェック機を通り抜けるだけである。 深圳北駅から香港西九龍駅まで18分、さらに驚いたことに深圳北駅からだと香港行きの高速鉄道が5分から10分おきぐらいにバンバン出発していた。これなら切符が買えないということもないだろうと思う。時間に合わせて駅に向かう必要もない。 次に深圳に出張するなら広州の空港と思っていたが、これなら香港でも問題ないかもしれない。香港につくと中国と香港の出入国もあるのだが飛行機のように混雑していないので、あっという間に通過してしまった。 ちなみにお父さんが見ている限り、深圳北駅でも香港の駅でも数分おきに出発もしくは到着する新幹線は日本と同様に定刻運行していた。ネット上では、中国の高速鉄道の安全性などよく馬鹿にされているが、今回乗車した限りではとても快適であった。何よりも本数の多さと定刻運行は素晴らしいと思った。やはり中国は侮れない国である。安全性に関してはお父さんは専門家でないので何とも言えない。日本の新幹線よりは事故率は高いと思うが、それほど危険視する乗り物ではないと思っている。
2025.10.27
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お父さんがベトナム工場に初めて到着した時、従業員は約200人ほどだった。それが製造工程ごとにグループを作っていたので、多い工程で50名ぐらい、あとは10名前後のグループがいくつかあるだけだった。 そのため日本人駐在者も、従業員の顔と名前がほぼわかるレベルだった。出張で1週間いただけでは不可能だが、2か月も仕事をしていると大体の従業員の所属や名前はほぼ覚えることができた。 組織も簡単で、各工程にリーダーがいてその上に3名ほどのマネージャー、そして日本人が数名技術指導をしていたので、上から下までが全員お互いが誰だかわかっている状態である。こういう状況では、当時社員評価をしていた日本人も基本的には誰がどういう能力であり、仕事ぶりや性格まで把握していた。 実際に日本の工場は現在80名ほどなので、こちらも顔と名前は一致する。能力評価も問題がある無しは別にして、できないということはない。 しかしながらベトナム工場は現在800人である。工程によっては200人以上いる。入社試験も面接もベトナム人がやっているので、日本人はいつだれが入社したのかほとんど把握できていない。 社長がベトナム工場に来て、顔と名前が一致して話ができる現場作業者はほとんどいない状態である。話ができるのは古参の社員で今はそれなりの地位についている人ばかりである。お父さんも同じように、8割の社員は顔も名前も知らない。ましてや能力評価など全くできない状態になっている。 組織は大きくなるとトップと末端の交流はほとんどなくなる。トップの言うことは末端まで伝えられるが、末端の声はダイレクトにトップに届くことは無い。投書箱のようなモノを設置したとしても、その当初をした人の顔も名前もわからないまま読まれるので、ダイレクトに伝わっているとは言い難い。 このように組織が大きくなると、異例の出世とか給料アップということはほとんどできなくなってしまう。優秀な社員や人員が一兵卒という末端からスタートするので、本来もっと活躍できる場があったとしても、要望が聞き入れられる機会は極端に少ない。 逆に仕事能力が低い人も埋もれてしまい、集団としての評価がされると得をする場合もある。 優秀な人がただ優秀に仕事をしていても、出世するのにとても時間がかかる。それでもそこからスタートするなら、自分の直属の上司と、その上の上司の覚えが良くなる必要がある。最低2つ上までは何とかアピールできる能力と政治力が必要になってくる。お父さんが惜しいと思うのは、大きな会社で能力もあり周囲から認められているのに、アピール力が足りないせいで評価されない人が結構いることである。 この人たちは周囲から、つまり同じレベルの地位にいる人からは認められているので、その人たちが出世するペースかその人たちが引っ張り上げてくれるので、平均的な人と同じかさらに遅れるペースの出世しかできないことが多い。 これを改善する良い方法は今のところ日本にはないとお父さんは思う。世界にもシステム的なものはないのではないだろうか。 いろいろな組織が優秀な人を求めて様々な活動を行っているが、お父さんは大きな組織であれば、人材は埋もれている可能性が高いと思う。外に人材を求めるよりも中から人材を発掘することに注力した方が効果は高いだろう。方法は分からないが、これができれば優秀な人材が転職サイトを使って会社を辞めてしまうという悩みを少しは減らせるのではないかと思う。 お父さんが優秀だったかどうかは別にして、お父さんも大手で平社員をやっている時は、言ったどうやったら部長とかその上にたどり着けるのか、全くわからなかった。それどころか自分の評価や給与にも不満を持っていた。 同期でやめていく社員は仕事の内容より、評価に不満を持っていた人が多いと思う。中には「あんなに優秀なのに評価が低かったのか」と思う社員もいた。 いいとか悪いとか言う問題ではなく、組織は大きくなるほど動きが鈍くなっていく。だがこれは経営者が悪いとか言う前に、若くて柔軟な人たちが活躍できる方法をいまだに人類が見つけ出せていないことが原因だとお父さんは思う。 実際にお父さんもベトナム工場で腐らせている人材やたくさんいるとは認識しているが、どうやってそれを見出していくのか方法を思いつかない。人の能力を素早く見抜ける人に早く見つけ出してほしいと思うが、他力本願過ぎるのだろうか。
2025.10.26
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「心が弱い人」と人を評価することがある。一般的にはすぐ落ち込んでしまうとか、人に言いたいことを言えないとか「行動が消極的、感情が悲観的」という意味で使われることが多い気がする。外側から見て、そういう風に思える人がいることは事実だとお父さんも思う。ただこういう人を「心が弱い」と評することに、最近お父さんは疑問を覚えている。 というのは、攻撃的で自己中心的に思える人に対して、「この人は心が本当に弱いな」と感じることが今までの人生でたくさんあったからである。 このようにお父さんが考える心の弱さとは、精神的に成長していないということと同義かもしれない。この先でお父さんが「心が弱い」と書くのは、お父さんが定義する心の弱い人についてである。 心が弱い人は、常にびくびくしているがそれを周囲の人に悟られることにおびえている。自分は強い人間だと見せたいので、少しでも自分に対して不都合なことを言われるとすぐにキレてしまう。キレて相手を黙らせることで自分の心を守ろうとしている。 お父さんの会社にもキレて現場でとなり散らす人がいる。目に余るときは会議室に呼び出して叱るのだが、こういうタイプは上司からきつくしかられると泣いてしまうことが多い。40歳を越えたような大人が、本当に涙を流して泣くのである。初めて見た時はものすごく驚いたが、基本的にキレる人は叱られると泣くというパターンが多い。他の社員に「彼が泣いた」とは言わないので、ほとんどの社員は知らないがキレる人は本当に心が弱い。 お父さんの上司にも心が弱い人は何人かいる。プライドが高いからと周囲からは言われているが、お父さんは心が弱い人だからだと思っている。自分の失敗や欠点を必死で隠そうとしたり、別の人のせいにしたりととにかく自分を守ることに必死になる。結果的には逆に周囲から「あの人はダメだ」と評価されてしまうのだが、本人に伝わることはないため彼らはそれで自分を守ることができたと勘違いをしてしまう。結果として同じ行為を繰り返す。 自分の非を認めたり、自分を卑下して笑うことができない人は心が弱い。態度は大きいし、無理筋な理論展開をするし、見た目には心が強く見えるのだが実際は異なるとお父さんは思っている。こういう人は周囲から好かれることはなく、必要なこと以外誰からも口を聞いてもらえない。少しでも気に入らないことを言ってしまえばキレるのだから、できる限り周囲はその人との接触を断つようにする。本人は自分は恐れられていると満足するのかもしれないが、実際はバカにされている。 では、一般的な心が弱い人(傷つきやすく、行動が消極的)を何といえばいいのだろうか。お父さんは、自分の中で勝手にであるが「心の脆い人(もろいひと)」と分類している。悪意を向けられると傷つくのはある程度理解するが、普通の指導でもやり直しや訂正を求められるだけで落ち込んでしまう。 心の脆い人は自分の評価が低いのもあるが、他者からの評価を猛烈に気にしているようにも見える。これを言ったら自分はどう思われるのか、自分は周りからどのように思われているのかを常に気にしている。 お父さんから言わせると自意識過剰であり、周囲はあなたのことなどそれほど真剣に見ていないと話すのだが、彼らはそれで納得することはない。 ただこういう心が脆い人は意外と周囲の人たちへの優しさを見せることが多い気がする。良くも悪くも周りから「いい人」と言われるような人が結構いる。自分の精神を押し殺していい人を演じている場合が多いとお父さんは思っているので、いつまでもつかが心配なのだが、周囲から嫌われることは少ない。 心を強くする方法はお父さんにはわからないし、一般的に心が強い人が良いのかもよくわからない。ただ心が強い人というのは、自分にある程度自信を持ち、できることはできるとはっきり言うし、できないことはできないとはっきり言う。そのうえで自分がどうすべきかを尋ねたり考えたりする人である。できないこともできるようになるよう前向きに行動していく。そのような行動、結果、経験の積み重ねで強くなっていくのだと思う。あとは開き直りができる人であろうか。 お父さんは自分の心が弱いとも思わないし、強いとも思っていないが強くありたいとは思っている。人は状況やグループ内の立ち位置などによって強くなったり弱くなったりすることもある。人の心というのは自分でもよくわからないのだから、他者からの評価などあてにはならない。どうするかは本当に自分自身の問題である。
2025.10.25
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ベトナムには大根はあるが、大根おろしという料理はない。そもそもアジアでは野菜を生で食べるという料理がそれほど多く存在していない。その中でも大根おろしは日本独特の食文化ではないかとお父さんは思っている。 しかしながら、お父さんが出張で行くベトナム工場の日本人用の食事には大根おろしがよく出てくる。料理しているベトナム人からしたら、こんなものの何が美味しいのかと思うのだろうが、日本人のリクエストによって出すようになったのだと思う。料理自体は生の大根をおろし金で降ろすだけなので、それほど手間はかからない。 ただし、大根おろしに合う料理や合わない料理の違いがベトナム人には理解できないので、なぜこの料理に大根おろしがついているのだということが過去には多々あった。例えばカレーライスに大根おろしが添えられているとかである。一応大根おろしは別の小さなお皿に分けて置かれているのだが、カレーと一緒に食べる日本人はあまりいないだろうと思う。 そして最近、駐在の日本人が魚料理を出すときに大根おろしを出すようにと指示を出した。実際にサバの塩焼きやサンマの塩焼きなどが日本人用の食事としてよく出てくるので、彼はそれを前提に話をしたのだと思う。しかしながら相手は大根おろしを食べないベトナム人である。「魚」を使ったすべての料理に大根おろしがついてくるようになった。 例えば、たまに出てくるウナギのかば焼きである。日本食料品店でレトルトパックのウナギを買ってきて出してくれるのだが、この時必ず大根おろしがついてくる。ウナギは魚であり、魚料理に大根おろしを出してくれという要求に従っているので、作ってくれる彼女たちにとっては言われたことをしているだけである。ただしそれを見た日本人の精神が少し削られるだけである。 もちろん煮魚の時にも大根おろしはついてくる。日本人でも煮魚と大根おろしが合うという人はあまりいないだろう。というより煮魚に大根おろしという発想がそもそも出てこないと思う。 そして洋風の魚料理にも大根おろしが出る。ムニエルにも出るし、鮭の切り身を蒸してオレンジソースをかけた不思議な料理の時も、魚料理のお供として大根おろしは必ずついてくる。彼女たちは言われたことに忠実なだけなのだが、やはり日本人としては精神を削られてしまう。 大根おろしが合わない魚料理についてくるから、それを食べるのが嫌で精神が削られるわけではない。仕事でも同じようなことが高頻度で発生するから精神を削られるのである。焼き魚とその他の魚料理をベトナム人は区別できない。魚料理は魚料理以外の何物でもなく、調理方法によって区別するという考えが基本的にない。 仕事でも同じように、区別がつかないのだ。だから指示したことが頓珍漢な状態で従業員に理解されることが、ベトナムで働く日本人の悩みの一つなのである。 日本人は食事や調理に関する言葉が豊富過ぎるので、他の言語に変換するのが難しいことが多い。「ゆでる」と「煮る」を他言語でうまく表現できるだろうか。以前アメリカでコメを研ぐ(とぐ)という話をしたときに、辞書ではウォッシュ(洗う)と出てくるのでウォッシュすると言ったら、アメリカの米は洗うような汚さではない。日本の米は洗わないといけない汚れがついているのかと言われて説明に困った。研ぐを刃物で考えればシャープニングなのだが、こちらではさらに誤解を与えてしまう。 あと10年待っても、ベトナム人が日本人の好みのタイミングで大根おろしを出してくれることはないだろう。日本人駐在者の精神はさらさらと削られていく。
2025.10.24
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お父さんは高校生ぐらいから、かなり寒さに強い体になっていたと思う。体質がそうなったというよりも、体力があり余って寒さに強くなっていたというほうが正しい感覚だと思う。 息子が中学生後半から冬でも平気で窓を開けて過ごしていたり、親が寒いと感じている中にパンツ1枚で家の中をうろうろしたりしているのも、お父さんが同じ年代の頃と同じである。 大学生の時にスキーに行っても、スキーウエアの下は半袖のTシャツ1枚だった。それ以上着ると暑くて汗が出るからである。親が今でいうヒートテックの上下のようなものの上にさらに長袖のトレーナーなどをスキーウエアの下に着こんでも寒いと言っていた状況で、お父さんは全く問題がなかった。 社会人になっても冬場に家の中で靴下をはいていると、足が暑くて蒸れるような感覚があったので、家に帰ると靴下を脱ぐのが当たり前だった。靴下だけ脱いでそのあたりに置くのでお母さんによく怒られたものである。 お母さんは出会ったころから冷え症で、お父さんが冬でも裸足で室内をうろうろしているのを見て「おかしい」と評価していた。 それが50歳を越えて、お父さんも体が冷えるようになってしまった。冬場はヒートテックの上下を着ないと寒くて凍えそうになるし、足に関しては夏場でもクーラーの効いた部屋では足が冷たいと感じるようになってしまった。 それでも日本にいると我が家のリビングは天然木のフローリングなので耐えられるのだが、ベトナムにきてしたがタイルになると耐えられないほど寒く感じるようになってしまった。 そのためベトナムでは寝る前まで靴下を履いたままにし、寝る直前にシャワーで体を温め、足が冷える前にベッドに入るということをしていた。 ところが五十肩が良くなってきて、今回のベトナム滞在から終業後に運動をするようになった。運動が終わると19:30から20:00ぐらいになるのだが、さすがに汗だくになるのでシャワーを浴びざるを得ない。この時に靴下も脱いでしまう。 それから寝るまでの間に足が冷えてしまい、ベッドに入った後は足が温まるまで眠れない状態になっていた。 そこで仕方がないので、シャワーを浴びてから寝る前まで足の冷えをなくすために、くるぶしまでの厚めの靴下を購入して履くことにした。おかげで今ではベッドに入っても足が冷たいと感じることは無くなった。寝る直前に靴下を脱ぐので当然ではあるのだが、もっと早くからやればよかったと今では思っている。 日本に帰ると東北はもう秋の終わりか冬の始まりの気温になっているはずである。自分で靴下を買うのも面倒くさいので、帰国するまでにお母さんに靴下を買っておいてもらうよう頼んでおいた。 若いころはお母さんの冷え症を笑ってみていたが、いつの間にかお母さんより冷える足になってしまったかもしれない。なぜならお母さんは風呂から出た後、靴下をはくほど足は冷えないと言っているからである。 若いころならやせ我慢して大丈夫な振りをしただろうが、50歳を越えるとそんなプライドは無くなる。日本でも寝る寸前まで靴下を履く生活を今年からするつもりである。
2025.10.23
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最近ある経営者からよくメールが送られてくる。YOUTUBEの動画紹介が多いのだが、先日から松下幸之助の過去の発言というか講演の動画紹介が増えている。メールをくれる経営者の人も松下幸之助もお父さんの尊敬する人なので、紹介を受けた時は必ずその動画を見ている。 そんな中で、松下幸之助が言葉についてよく語っていることにいくつかの動画を見ていて気が付いた。紹介してくれる経営者がそういう動画を意識しているせいかもしれないが、いろいろと自分を省みて思うことがあった。 松下幸之助は常に「否定的な言葉」を嫌っていたということが、動画を見るとわかってくる。「できない」とか「自分には無理」など自分を卑下する言葉もダメと言うし、他人に「そんなことやってもムダ」とか「そんなの意味がない」とか否定するのもダメで、否定的な言葉をかけてくる人からは距離をとるようにとまで言っている。 50歳を過ぎてこの動画を見て、お父さんもいろいろな経験をしてきたせいで、心が鈍くなっていると改めて思い知らされてしまった。気が付くことは良いことだと思っているが、お父さんも自分や自分の仕事に「無理」とか「ムダ」とか最近口にするようになったと思う。また部下や同僚にも同じようなことを言っていることがある。自分が若いころに「嫌な奴」と思った人間に今なっているのである。 改めて自分を変えようと今は思っているのだが、一度染みついた否定的な言動というのは一朝一夕では変えられないようである。仕事でどうしても部下のダメなところを指摘するクセが抜けてくれない。これは家族にも同じで、特に受験生である息子や学校が好きではない次女にも否定的というか、嫌味な言葉を使っている。これではいけないと思うのだが、プラスの言葉で自分がダメだと思っている行為を伝えるのはとても難しい。 それに反してけなしたり落としたりする言葉というのはすらすら出てくる。いつの間にかお父さんは相手を嫌な気持ちにさせる天才になっているのかもしれない。ただ取引先など社外の人と話すときは、普通にプラスの言葉で話しているので、そちらができないわけではないだろう。 ではどうして部下や子供には否定的な言葉が出るのだろうか。おそらく相手を侮っているからだとお父さんは分析している。これはとてもまずい状況である。反撃できないもしくは反撃されても撃退できる相手だから、上から目線で何を言っても大丈夫と思っているのだ。そういう態度をとる人をお父さんはこれまでの人生でずっと嫌ってきた。自分は絶対そうならないと思っていたはずなのに、今そういう人になっているのである。 今回の松下幸之助の動画を見る機会をくれた経営者にとても感謝している。自分を省みることは常に意識していないと、自己認識と実際の行動がずれるということを今回初めて知ることができた。 言葉だけを注意するのではなく、自分の心も変えていかないとなりたい自分にはなれないと今は考えている。経営の神様と言われた松下幸之助も、自分の様々な失敗から学んだのだと思う。生まれた時から聖人のような心をもって人間関係を作ってきたわけではないと思う。お父さんは小物であるが、小物なりにこれから心を入れ替えて生きていこうと思う。
2025.10.22
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普段日本国内に住んで、海外に仕事で出かけたりしない人にとって、お父さんが何度も出張しているベトナム、マレーシア、台湾、中国、韓国など海外は観光地である。お父さんが大学生の頃、長期休みに行っていた海外もすべて旅行であり仕事ではなかった。だから言った国々ではその国の観光名所を巡っていた。間違っても工業団地を見に行くなどということはなかった。 しかしながら、今は海外と言えばほとんどが仕事のための出張である。行先は要件のある会社だけで、観光地に行くことなど全くない。朝から夕方まで打ち合わせなどの仕事、夜は会食という感じなので、観光地にちょっと足を延ばすなどということもできない。どんな国に何回行っても観光地など知らないということがほとんどである。 ちなみに今の会社で働き始めてから、加工機械の打ち合わせなどで韓国にはもう数えきれないほど行っている。しかしながら、テレビでよくでてくる韓国のソウル市内の映像などと同じところを見たのは、入社後10年ぐらいに社員旅行でソウルに行ったときだけである。社員旅行でソウルに行った後も、何度も韓国には行っているが、空港⇒相手先工場⇒ホテル⇒空港となるだけで、ソウル市内に行くことはない。 ベトナムにも日本人観光客に有名な場所はたくさんあるが、20年ベトナム出張を繰り返しているのに行ったことのない観光名所はたくさんある。会社から車で2時間ほどの中に、ガイドブックに載るような観光地はたくさんあるが、三分の一ぐらいしか行ったことがないと思う。 食事に至っては、ベトナム料理のレストランをほとんど知らない。地元のローカルレストランならわかるが、観光で食べるようなベトナム料理は存在しない。 お父さんが海外出張が多いのを聞いて、その国に観光旅行に出かける人が「おすすめの観光地、レストラン、ホテル」などを聞いてくるのだが、答えられないことが多い。なにせ現地で行くのは会社や工場、食べるのは場所もわからず連れていかれる観光客のいないレストラン、ホテルも相手先に訪問に便利なホテルをとってもらい送迎してもらうだけ。教えられることなどほとんどないというのが事実である。 ちなみに日本の会社の近くにも、そこそこ有名な観光地がいくつかあるが、お父さんの会社に仕事で来社した人たちを連れていくことはない。なのでお父さんの会社にちょくちょく出張で来社する人も、周囲の観光地を名前ぐらいしか知らないだろう。 彼らにおすすめ観光地やレストランやホテルを聞いても何も答えられないと思う。 旅行と出張は明確に異なる。社長などは出張の帰りに1日自由行動日を作り観光することもあるのだが、それは社長だからできることであり、通常社員のお父さんたちが「出張先の仕事が終わったら1日観光してきます」などと言えるわけがないのだ。たまに社長からせっかく行ったのに仕事だけで帰ってくるなんてもったいないと言われるが、ではお言葉に甘えてと観光込みの出張計画など作ったら間違いなく社長に怒られるのだ。 観光地情報が知りたかったら、観光で行った人に聞くのが一番である。仕事で行っている人は観光情報はほとんど知っていることがない。
2025.10.21
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人権ビジネスというものがある。日本国憲法で保障される基本的人権を守るような活動の振りをして、お金を集め、政治に利用し、実際に不遇な人々の状態改善にほとんど役に立っていない活動のことである。 人権ビジネスはお父さんが世の中で最も嫌いなビジネスの一つである。掲げている理想や理念と実際にやっていることがあまりにもかけ離れていることも理由の一つであるが、善良で心の弱い人を騙すことで成立するからである。 もともとが本当に善良な気持ちや決意で始めたものであっても、ビジネスに切り替わると性格がガラリと変わる。これは金になると気が付いた人が、活動をビジネスに変えてしまうからである。 そのためビジネスとして成立しないというか、儲からなくなると活動や組織が無くなってしまうのも人権ビジネスの特徴でもある。 難民救済、動物愛護、原発廃止など様々な人権ビジネスが今もたくさん存在している。困っている人に手を差し伸べるのは確かに正義もしくは道徳的な行動である。その為、そのような活動目的に寄付をしたりボランティアで参加する人はそれなりに存在する。始まりはどの人権活動も高い理想の元に始まることが多いとお父さんは思う。 人権とは言えないが、クジラを殺すなという小さな活動が、日本や他の捕鯨国の捕鯨を停止させた活動がある。実際に活動が始まったときには、クジラは数を減らして絶滅寸前の種類もいたとは聞いている。この活動がクジラの絶滅を防ぐ効果があったということはお父さんも認めざるを得ない。 しかしながら、気がつけば捕鯨禁止はビジネスになり、IWCという国際組織が出来上がり、捕鯨国をつるし上げることで捕鯨国、とりわけ日本を叩き潰す組織になった。 日本は政府も国民もまじめであるので、自分たちの主張を理知的に主張しようとIWCに加盟して、調査をしてデータを提示してクジラの種の保存と捕鯨の存続両面が成り立つように頑張ってきた。 しかしながらIWCの目的はビジネスとなった瞬間から、日本バッシングの手段となり、日本嫌いな国や資産家からお金を集める装置になってしまった。 日本があまりにも理性的でないIWCに呆れて脱退した瞬間から、IWCは日本からのお金が入らなくなり、組織の存続が危ぶまれている。日本脱退の前に捕鯨推進をしている国々も脱退しているため、捕鯨をしていない国の集まりになっている。 動物愛護の究極と言えるかもしれない「ビーガン」も活動家は幸せそうだが、扇動され本当に動物性たんぱく質を食べない人はボロボロの体になっている。 最近日本国内で流行っているのは「選択的夫婦別姓」や「不法滞在の外国人保護」であろうか。少なくともテレビで話をしている推進派の人々は「活動家」であり「プロ市民」である。ビジネスとしてやっているだけで、本気でその人たちの権利を守ろうとしていない。 先進国では、無理やりなこじつけ論理やウソのデータでも国民を騙すことができれば、利権や権力を手に入れることができる。独裁国家で独裁者につぶされる心配がなく、法律に文句を言いつつ、言論の自由などの法律に守られている。 こういう人権ビジネスは今後ますます増えていくことだろう。そして若くて純粋な人ほど騙されていく。怖いのはインテリと呼ばれる高学歴の人たちが意外とはまっていくことである。オウム真理教などもそうだが、ビジネスでやっている人たちはどうすれば人の心の弱さを突いて、人を動かすことができるかを良く知っている。 自分も気をつけなければならないが、家族や社員にこういうものに騙される人が出ないことを祈る。
2025.10.20
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「枕が変わると眠れない」という言葉は、旅行や出張などに行くとよく聞く言葉である。単純に枕が家で使い慣れたものと違うから眠れないという場合もあるし、枕だけでなく様々な環境が自宅の寝室と異なるので眠れないという意味でこの言葉を使う人もいると思う。人間は環境が変わると警戒モードに入るので睡眠が浅くなると聞いたこともある。なのでよく行く親戚や友人の家ではぐっすり眠れる場合もある。 お父さんは意外と環境が変化してもぐっすり眠れる人間だと思っていた。40歳ぐらいまではどこでも眠れたし、出張先で一晩中寝れないでいたなどという経験はなかった。ところが今では自宅で寝ていてもぐっすり眠れるということが少なくなってきている。その為出張先のホテルなどでぐっすり眠れることはほとんどない。まさに「枕が変わると眠れない」人になってしまっている。 ところが不思議なことに、お父さんがベトナム出張時にハノイに遊びに行って泊まるホテルでは、下手したらベトナムの自室で寝るよりもぐっすり眠ることができる。実に不思議なのであるが、事実なので覆しようがない。 一つには寝る前に大浴場でゆっくり温まってリラックスしているというのもあるだろう。だが、日本の出張先で大浴場付きのビジネスホテルに泊まっても、ゆっくり眠れることはない。 そこで目をつけたのが、そのホテルの枕である。ビジネスホテルなど出張先の枕は自分が使っているものに比べて硬かったり柔らかかったり、薄かったり厚かったりと同じと思うことはない。そしてこのよく眠れるホテルの枕は、お父さんが自室で使っている枕よりも気持ちよく眠れるのだ。 さすがにホテルの枕を持ち帰ることはできないので、先日似たような感触の枕をベトナムのイオンで購入してみた。柔らかめと厚めの2種類の枕を購入して、2日間試してみた。残念ながら結果はあまり良いものではなく、やはり夜中に目覚めてしまうのだが、それでも朝起きた時の首や肩の違和感が減ったようにも感じている。 今度ハノイのホテルで購入可能かどうか聞いてみたいと思っているが、ベッドマットや上掛けなどその他の環境もあるので、枕を買えたとしてもぐっすり眠れるかどうかは不明である。
2025.10.19
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お父さんが大学生の頃、東南アジアを旅行するとお土産屋さんにはとにかく偽物がたくさん売っていた。服、バッグ、時計、キャラクターなどありとあらゆる偽物が本物とは比べ物にならない安さで売られていた。 今でも成田空港の出国前に、持ち込み禁止のものとして高級ブランドの偽物などがショーケースに入って展示されたりしているが、とにかくアジアは偽物天国だった。 お父さんは当時理系の大学生で、安い無地のTシャツにジーンズぐらいしか来てなかったので、文系のおしゃれな大学生のようなブランド知識はほとんど持ち合わせていなかった。だからルイヴィトンとかシャネルとかは知っていても、細かなブランドはよくわからず、偽物ではなくオリジナルだと思って買ったものが、日本で偽物認定されることも多々あった。今ならスマホで調べられるが当時は自分の頭にある知識でしか処理できなかったので、知らずに偽物を購入するということはお父さん以外の人でも決して珍しくはなかったと思う。 ちなみにお父さんがベトナムの工場に出張し始めたころ、従業員に限らず街中には有名ブランドのロゴやマークをプリントした服を着ている人たちが山ほどいた。ほとんどが中国からの輸入品だったようだが、シャネルとかイブサンローランとか多くの偽物服が街中にあふれていた。 しかしながら、来ている本人はそれがヨーロッパなどの有名ブランドの偽物だという意識はないようだった。日本語の通訳でもそのような偽物の服を着ていたので、そのブランドを知っているかと尋ねると、たいていブランドを知らないのではなくて、ブランドという意味すら知らなくて全く話が通じなかった。 日本もお父さんが物心ついたころは、怪しい偽物がたくさん売られていたと思う。そしてそれを購入している日本人はオリジナルを知らずに偽物を購入していた時期がある。だから偽物と理解して製造している会社を除けば、購入している人たちの罪を問うのはあまりにもひどい行為だと思っている。 ちなみにハノイの観光地であるホアンキエム湖という湖周辺には偽物のTシャツを売っている店がいまだにたくさんある。ナイキ、アンダーアーマー、ノースフェイスなどの偽物服がたくさん売っている。ここ数年の人気はノースフェイスだろうか。お父さんの会社の社員も偽物とは知らずに購入している。あまりにもノースフェイスの偽物に囲まれているせいで、日本に戻って日本人が着ている本物も偽物に見えてしまうほどだ。 日本では知らない人がいないミッキーマウスだって、アメリカで知らない人たちはたくさんいる。お父さんがミッキーマウスというキャラクターをきちんと理解したのは当局ディズニーランドができてからである。スマホを誰もが持っている現代ではなかなか想像できないかもしれないが、情報のない地方都市の学生などそのレベルだったのである。 そもそも著作権だの肖像権だのと言う言葉を知ったのも早くても高校生、ひょっとしたら大学生になってからかもしれない。人がデザインしたものをまねしてモノを作ることが世界のルールに違反しているなんて意識は子供の頃はなかった。 韓国、中国、ベトナム、タイ、マレーシアなどアジアの国にはいまだに偽物がたくさんある。韓国や中国などはパッケージから中身まで日本のオリジナルととんど同じお菓子が今でも売られている。かっぱえびせんなどその代表格だろう。日本に初めて来た韓国人が日本のオリジナルをみて、韓国のパクリだと怒るという話は有名だし、中国でも売られている日本オリジナルで韓国が真似したお菓子をみて、中国が韓国をパクったと騒ぐのもよくある話である。無知はその人の責任でもあるが、自分がそれほど興味のない分野や、販売側が意図的に隠している場合には致し方ない部分もある。 パクリや無断コピーがいけないことだと知るのは、自分がやられる側になって利権を侵害されて初めて気が付くのである。そういう意味でアジアはまだまだ発展途上であるし、ベトナム人はもっと裕福にならないとブランドというのが何なのか理解できないだろう。
2025.10.18
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先日ベトナムの運転免許証の期限が切れてしまったので、総務に話をして免許の更新の依頼をした。ベトナムではビザ更新や免許更新の際に必ず健康診断を実施する。結果によってビザや免許の発行が拒否されるのかと聞いても、それはないと言うのでどうして健康診断が必要なのかいまだに理解ができない。 そんなわけで免許更新のための健康診断に行ってきた。内容は問診、尿検査、血液検査、視力検査などである。 それが終わると次は警察署に行って、登録をした。何回もコピーしてあるのがわかるレベルにかすれて、さらに文字が斜めになってしまっている申請用紙に総務の社員が記入をして、お父さんはサインをするだけだったのだが、本当にこんな申請書でよいのかと不安になるレベルのひどさだった。 その後1週間ぐらいで免許が交付されると聞いていたのだが、10日経っても免許が届かないので、再度総務に確認してもらった。すると今はスマホのアプリで免許が交付されるということだった。 総務がスマホに入れてくれたのはVNeIDというアプリだった。IDとパスワードを入れるとお父さんのパスポート情報やビザ情報が見られるようになった。今後はこれで管理するということだが、空港などの入国審査でこの画面を見せれば大丈夫なのかはわからない。 ちなみに免許証はこの時表示されなかった。交付されれば画面に免許情報が出るようになるというので、また10日ほど待ったのだが、免許情報は表示されなかった。そこで再度総務に確認したところ、外国人は免許証がVNeIDアプリで利用できないという話になった。このように話が二転三転するときは、なかなかうまくいかないというのがベトナムである。おそらくお父さんが滞在している間に免許証を手に入れることができるかは50%ぐらいの確率になると思っている。 それにしても、海外はスマホですべてを管理するシステムの導入が非常に速い。現在ベトナム人ワーカーは電子マネーの一種ではあるが、銀行口座のQRコードで買い物ができるようになっている。銀行口座から直接引き落とされるので、デビットカードのスマホ版というものなのかもしれない。日本のようにPAYPAYなどのアプリがなくても買い物ができる。ATMにもQRコートの読み取り装置がついているものができつつあると聞いている。 日本でも感じるが、ベトナムではスマホがないと生活できないのではないかというレベルで電子化(スマホ化)が進んでいる。日本のマイナンバーカードもそのうちスマホのアプリに置き換わるのだろうか。クレジットカードもスマホのアプリになるかもしれない。良いことなのか悪いことなのか判断ができない。
2025.10.17
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ベトナムに駐在していると日本ではお目にかかれないものに出くわすことがある。ベトナム人には普通のことが日本人の文化や慣習にないがゆえに、何なのかわからないのだ。例えばベトナム人の葬送の行列は華やかである。花できれいに飾られた屋台のようなモノを引っ張って行列を作って歩いている。何も知らない観光客が、なにかお祭りの行列と勘違いして笑顔で写真を撮っている姿を見かけるが、実際は葬送の行列である。ちなみに西洋や日本では葬儀には黒い服を着るが、ベトナムでは白い服を着るので余計に勘違いしてしまうのかもしれない。 花火大会があると聞いて、これまで何度も花火を見に行った。日本では少なくとも1時間ぐらいは花火が打ち上げられるのでゆっくり楽しむことができる。しかしながらベトナムでは一度も止まることなく15分ぐらい打ち上げ続けるのが普通である。 日本で打ち上げの間に少し時間をとるのは、スポンサー名の発表などもあるが、基本的には花火が作る煙が流れるのを待つためだと思っている。 ベトナムでは煙も関係なく打ち上げ続けるので、途中から花火が煙の中に隠れてしまうことが多い。先日の建国記念日の花火を見た時も、後半はほとんど煙の中で炸裂する花火を見ていた。 金魚を川に放す儀式もベトナムで毎年旧正月前に行われているが、これも何度聞いても意味が分からない。金魚が神様に1年の報告に行くという事らしいが、どういう事なのか日本の文化にないのでわからない。お盆の時期に日本で灯篭を流すのとは全く違う意味だということが分かるぐらいである。 さて先日、ベトナムに来て初めての行列を見た。夜部屋で過ごしていたら、外から太鼓の音が聞こえてきた。最初は小さい音だったが徐々に大きくなってくるので、これは太鼓をたたきながら何かが近づいてくるのだと思った。窓から外を見てみると、暗くてよくわからなかったが、大きな太鼓をたたきながら、ランタンを数名がもった行列が目の前の道を歩いていた。50人ぐらいが参加していただろうか。 最初は葬送の行列かと思ったが、あまり夜に見たことがない。次に考えたのが中秋節の前日だったので、それにまつわる何かの行事なのかもしれ何ということだ。翌日ベトナム人に聞いてみたが、うまく伝わらないようで、結局何の行列だったのかわからないままだった。 これからも不思議なイベントに出会うことは多々あるだろうと思う。楽しみも不安もあるのだが、これが海外というものなのだろう。
2025.10.16
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毎年9月になると、「神宮館高島暦」という暦の本の翌年のバージョンが販売される。お父さんは毎年それを買っている。子供の頃は父親が毎年買っていて、それを元にいろいろなイベントの日取りなどを決めていたのを見ていたが、お父さんは「どうでもいい」と思っていた。1日1日に吉や凶があるとか、子供の理解力では肯定することができなかったのだと思う。面識がないご先祖様の法事にでて、よくわからないまま座らされてお坊さんがお経を読むのを聞かされていたのと、暦の不明さはほぼ同じだったと思う。 お父さんの人生で最初に暦の本を購入して真剣に日程を検討したのは、お母さんとの結婚式の日取りを決めるときである。今ではあまり暦を気にしないお母さんもこの時は一緒になって真剣に暦の本を読んだ。六曜での吉日である大安だけでなく、様々な要素を検討して式の日を決めた記憶がある。 2回目に暦が活躍したのが、家を新築した時である。地鎮祭や棟上げ式、完成後の引き渡し日なども考慮に入れたし、家を建てる年回りや新居の方向まで暦の本でいろいろと健闘した。 それ以降、夫婦で暦を真剣に検討したことはないが、先日お母さんから息子が共通テストの登録をするので、吉日を教えてくれと連絡があった。一応お母さんもお父さんの影響を受けてはいるようだ。 お父さんがいまだに暦を買い続けているのは、お父さんの会社の会長や社長が暦を気にするせいで、常に意識させられているからである。さらに言うと社長の年回りがわるい年には結構会社がきつい状態になったことがあるのも影響している。 さらに言うと、会長も社長も会社のイベント(機械の発注日や車の納車日など)をいまだに暦をみて決めているので、お父さんも手元にないと話ができないというのもある。 さて暦の最初の方のページは九星という生まれ年で決まるそれぞれの星の翌年の運勢が書かれている。毎年9月前後に暦を買ってそれを読むのだが、その時は来年はよさそうだとか、悪いようなので気をつけなければと思うのだが、その後本棚に入れてしまうので、年明けの頃には内容を忘れてしまう。 そしてまた9月ごろに翌年の暦を購入して、運勢を確かめている。実際に良いとか悪いとかが常に当たっている感覚はお父さんにはない。だからこそ、あまり暦を気にせずに生きているのだが、悪いことがあったときに暦を無視したせいだと思いたくないので、たまに気にするようにはしている。 今年もすでに来年の暦を購入したが、来年はあまりよくない年であるようだ。ただ生まれ年が同じ人が皆同じ運勢かと思うとどこまで信じてよいのか相変わらずよくわからない。まあ参考程度に生きていこうとは思っている。
2025.10.15
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去年から今年にかけて、飛行機での出張がとても多くなっている。国内でも海外でもとにかく出張に飛行機を使っている。これまでもベトナム出張を含めて年間10回以上は普通に飛行機に乗ってきたが、昨年から今年にかけては倍ぐらい飛行機に乗っている感覚である。 お父さんが飛行機に乗るということを意識したのは、父親がアメリカに出張に行った時からだと思う。家族と祖父母で羽田空港に見送りに言った記憶がある。その時初めてモノレースに乗ったのも覚えている。 飛行機に乗るというのも海外に行くというのもその当時はとても珍しいことだったのである。当時の羽田空港には海外赴任になる社員を同僚が万歳で見送る光景も普通に見られたと後で知った。 初めて飛行機に自分がのったのが、1982年2月9日である。どうして日付まで覚えているかと言えば、その日に羽田空港で日本航空が墜落事故を起こしたので、その事故の日付を調べるとすぐにわかるのである。 お父さんはその日、山陰地方旅行にいく祖父母についていき、羽田空港から出雲空港に飛んだのだ。出雲空港について飛行機を降りたところで、羽田沖に日航機が墜落したニュースを見た。本当に恐ろしかったのを今でも覚えている。そこから約10年、大学生になるまで飛行機に乗ることはなかった。 飛行機というのはお父さんが子供の頃、一般人が利用するようなものではないという感覚だったと思う。中学校の修学旅行で京都に行くときに、初めて新幹線に乗ったという人が普通にいた時代である。飛行機に乗ったことがある子供などほとんどいなかった。 大学生になって、長期休みに海外貧乏旅行をするようになっても、夏休みと春休みに2回飛行機に乗るというだけだった。まだEチケットなどはなく、飛行機のチケットは不思議な紙の束だった。あれは何であんなに何枚もあったのか今でもよくわからない。 飛行機がかなり身近になったのが、アメリカに行ってからである。2000年前後である。アメリカは長距離を電車で移動する国ではなく、飛行機を当たり前に使う国であった。アムトラックという長距離電車が走っているが、アメリカ人に乗るのをやめろと言われるレベルだった。貧乏学生だったので、飛行機に旅行で乗ったことは1回だけだったが、必要があれば飛行機と現地レンタカーというのが当時のお父さんでも当たり前のスタイルだった。 それでも社会人になるまでは、飛行機に乗るという行為を身近なものとは感じていなかった。社会人1年目は飛行機での出張などなかったが、2年目以降は普通に飛行機出張をするようになった。九州に行くことが多かったためである。東京から九州に新幹線で行く人はおらず、皆飛行機を使っていた。自腹ではなく会社経費で飛行機に乗ることにまだまだ違和感があった。 あれから20年、今では飛行機が当たり前に移動手段になっている。出張でも旅行でもとにかく飛行機に乗って出かけている。飛行機の値段がLCCの登場でかなり安くなったのもあるし、仕事が国内だけで完結しなくなったというのもある。 今では毎月とはいかないが、飛行機に乗ることに特別感を持たなくなってしまった。昔は窓側の席を必死で確保して、とにかく外を見ていたが、最近は窓側の席をとるのは変わらないが、離陸時と着陸時以外はほとんど外を見なくなってしまった。 以前なら絶対に食べていた機内食なども時間帯やお腹の具合によっては拒否している。ある意味すれてしまったともいえるかもしれない。 今年もまだ飛行機出張の予定がいくつか入っている。来年も当たり前に飛行機であちこち出かけることになると思う。子供の頃のお父さんに大きくなったら当たり前に飛行機に乗るようになると教えたら、信じてもらえないかもしれない。
2025.10.14
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先日久しぶりにベトナムでゴルフを楽しんだ。五十肩になって以来、ゴルフを楽しめたことはなかったのだが、ようやく痛みながらもフルショットが打てるようになったので、今回のゴルフは本当に楽しかった。 五十肩で苦しんでいる最中も、どうしても参加しなくてはならないゴルフコンペには数回参加してきた。だが痛くてドライバーは打てないし、アイアンショットもダルったりしたらものすごい痛みが肩に来るので、絶対ダフらないようにトップ気味に打っていたせいで、スコアが悪いとかではなく、ゴルフを楽しむことができていなかった。 今回ベトナムに来てから、少しずつ終業後に素振りなどをして体を慣らし、会社の練習場所で徐々にスイングを大きくした結果、ほぼフルスイングができるようになった。ここまで来るのに約1年半ほどかかってしまった。 ただし今回五十肩になったおかげで、ゴルフにメリットもあった。今までの力任せのスイングから、体に負担のかからないコンパクトなスイングに変更することができたのだ。できたというと言い過ぎで、いまコンパクトなスイングに改造中である。 飛距離も以前より少し伸びたかもしれない。力で打つと飛ばないと昔から言われていたが、最近ようやく意味が少しわかり始めてきたかもしれ何。 今回のコースプレイで何よりも驚いたのは、ドライバーの曲がりが以前に比べて少なくなったことである。さらに言うと、ドライバーでもダフったり、トップしたりしていたものが無くなった。ドライバーが安定してくれたおかげで、その他のショットも比較的楽に打てるようになり、本当に久しぶりに100をきるスコアを出すことができた。これまではよほど調子が良いとき以外は、最終ホールでパーをとれば99とかいう状況が多かったが、最終のミドルホール(パー4)を前にして、まだ90まで行っていなかった。よほどのことがない限り100切り成功だと思ってティーショットを打ったのはいつ以来か記憶にない。 まだ動かし方によって痛みはあるし、完全に治るには半年ぐらいはかかるかもしれないが、痛みで夜中に起きることもないし、ゴルフもできるようになった。体が普通に動くことは健康な時なら当たり前なのだが、五十肩や骨折などで動けなくなると、普通に動くことができることがどれだけ幸せなのかが骨身に染みるほど理解できる。 もう50歳を越えた体なので、無理をしてまた体を壊さないように注意して生活していきたい。
2025.10.13
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最近のベトナム人はとてもおしゃれになっている。特に女性は成形手術も含めて美の追求が当たり前になっているようだ。お父さんの会社がベトナムに進出した20年以上前は、おしゃれとか美とかを追求する生活的余裕はほとんどの人がもっていなかった。一部のお金持ちが、海外でいろいろとやっていたかもしれないが、お父さんの会社で働く一般従業員は化粧もしていなかったし、来ている服も「着られればよい」という程度だった。 当時のベトナム人女性はほぼ全員長い髪をしていて、百人一首のかるたの絵を見ているように皆一様に長い髪をしていた。理由はもしもの為の財産として長い髪を維持していたためである。どうしてもお金が必要になったときに髪の毛を売ってお金を得るという考えが普通に存在していた。 現在の日本にもヘアドネーション(髪の毛の寄付)という制度が存在するのを最近知った。病気で髪を失ってしまった人の為にかつらを作るために行われているという。お父さんがたまに見ているユーチューバーの女性がそれをやっていたので知ることができた。本当に偶然である。 現在のベトナムには20年前のように髪の長い女性はほとんどいない。長めだなとおもっても、肩より少し下がる程度の人が多い。ただし、貧しい地区から働きに来ている女性にはいまだに髪が長い人がいる。 会社で働いている限りは毎月きちんと給与が支給されているので、今まで社員で髪を売ったという話は聞いたことがない。今後もないことを祈りたいが、どうだろうか。 髪の毛がどれぐらいの金額で売れるのかわからないが、かつら(ウィッグ)は一人分の紙だけでは作れないようなのでそれほど高く買ってくれるわけではないだろう。髪の毛で得られるお金が下がって、自分が貯金までできるようになれば髪の毛を伸ばすよりおしゃれに使った方が良いと考えるのは当然だろう。 お父さんの会社で働く社員が髪を短くしたり、パーマをかけたり、染めたりするのを見ると、会社で働くことで少しずつ生活に余裕ができてきたのだとうれしく思う。 お父さんは幸せなことに人生でどうにもならないほどお金に困ったことがない。だが父親世代など戦後の焼け野原に放り出された人たちは、「貧困は悪である」と当たり前のように言う。ベトナム人でもベトナム戦争経験者は、食べるものがないのは本当につらいものだと語ってくれる。 ベトナム人がいつでも髪を切っておしゃれができるように、お父さんも仕事を頑張りたいと思う。
2025.10.12
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高市早苗自民党新総裁が誕生した。好き嫌いがはっきりする人であると思うが、お父さんはどちらかというと支持する側である。これまで発言してきたことを本当に実施できるのなら、間違いなく支持率は上がっていくだろう。 左派の議員やマスコミには嫌われるだろうから、かなり足を引っ張られて苦労することが予想されるが、がんばってやり遂げてもらいたいと思う。 お父さんが一番に望むのは減税である。消費税やガソリン税などはもちろん所得税や社会保障費なども下げてほしいと願っている。学生の頃、農民の年貢は五公五民だと習った覚えがある。50%を年貢としてとられ、自分の手元には半分しか残らないという制度に、ひどい時代だという感想を持った記憶がある。 しかしながら現在、お父さんは収入のほぼ半分を税金や社会保障費にとられている。まあ半分は言い過ぎなのだが、気持ちとしてはそれぐらいである。ある程度高収入の証であるが、生活がまるで楽にならない。 これまでの政府は現在よりも増税をひたすら突き進んできた。今の40歳以下の人たちは当たり前に支払っているが、お父さんが働きだしたころボーナスから社会保険料は天引きされなかった。だから賞与は今よりも手取りが多かったのだ。 愚痴を言っても仕方がないが、政府というか官僚は自分たちの売上(税収)をあげるために常に躍起になっている。民間企業が売り上げを上げる努力をするのは当然だが、官僚もそれをしている。 民間企業は投資をして努力して売り上げをあげるのだが、官僚は政治家に法律を作らせることで増収を実現している。これは同じように見えて大きな違いがある。 民間企業はどのようにお金を使うか、どのように売上を得るかを必死で考えて、場合によっては社員をリストラしたり、非採算部門を閉鎖や売却して頑張る。極端な言い方になるが血を流して頑張っている。何度も赤字を出して苦労した企業が余裕があるときに貯金(内部留保)を増やすのは当然だろうと思う。 政府や官僚も、本来ならば増税をするのではなく、政策で景気をよくすることで同じ税率でも国民所得を増やしたり、消費を拡大することで税収が増える取り組みをするべきである。それなのに立派な大学を出た優秀な人が、お金が足りないから税金を上げるという子供でもできる内容を続けてきた。 マスコミは基本的に自民党政府が嫌いだが、国民が疲弊するのは大好きなので、増税や社会保険料の増加は「やむを得ない」と国民を説得する側にまわっている。 近年よく言われる企業の内部留保に税金をかけるという案があるが、とんでもないとお父さんは思う。企業=金持ち=悪という図式を作り、景気が悪いのは企業がお金をため込んで使わない(給料を上げない、投資をしない)からだと変な専門家に言わせている。 これは個人にすると、貯金ばかりして消費しないから景気が悪いので、ため込んだ貯金に税金をかけると言っているのと同じである。企業は悪なので、タバコの増税と同じように何をしてもかまわないという雰囲気を作り出してきている。 話を戻すが、本来政府やマスコミがするべきは、景気を上げるために税金を使った効果的な政策をして、国民や企業の税負担を増やさずに国を豊かにすることである。今は国民のための国ではなく、国の為の国民という状況になっていると言えるだろう。 ということで高市新総裁にはぜひとも頑張ってもらいたいと思う。
2025.10.11
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ふるさと納税にポイントが付くのが9月いっぱいということで、駆け込みでいくつかの自治体にふるさと納税をした。もちろん返礼品目当てである。お母さんに納税額を元にした限度額を教えて候補を挙げてもらった。 お母さんの挙げる候補は、ほとんどが生活用の消耗品だが、その中でもトイレットペーパーが目立った。 トイレットペーパーを返礼品にしている自治体を選んでふるさと納税をしたのだが、その時思ったのが、トイレットペーパーのシングルとダブルはどちらをどんな人が買っているのかということだ。 どの自治体のトイレットペーパーもシングルとダブルを選べるようになっていた。お父さんは自宅のトイレットペーパーはずっとダブルを使っている。シングルは薄いというより硬いというイメージが強いからだ。 つまりお父さんはトイレットペーパーに拭き心地を求めているということになるだろう。結婚してからもお母さんにトイレットペーパーはダブルを買ってくれと言っているが、お母さんの実家もダブルを使用しているので、おそらくお母さんも自宅ではずっとダブルのトイレットペーパーを使っていたのではないだろうか。 お父さんの勝手なイメージは、公共の施設や公衆トイレはシングルのトイレットペーパーを使っているというものである。商業施設、駅などはシングルのイメージが強い。市役所や公衆トイレ、高速道路のサービスエリアもシングルである。 おそらくこういう施設は、1本で長く使える(持ちがいい)という理由でシングルを選んでいるのではないだろうか。不特定多数が利用するトイレは拭き心地より紙が無くなるほうが不便である。 ちなみに我が家は特定のブランドというか製品を選んで使っているわけではない。お母さんがその都度安いトイレットペーパーや香りが付いたものや絵がプリントされたものなど気分で購入してくる。 そのため同じダブルでもいろいろな種類のトイレットペーパーを使うことになるのだが、結構な頻度で引っ張っただけで切れてしまうトイレットペーパーになることがある。ペーパーホルダーのフタなどに当たらないように引っ張ってもすぐちぎれてしまうのだ。おそらく日本製ではないものだと思っているのだが、引っ張っただけで切れるトイレットペーパーはものすごいストレスになる。 まるでちぎれないでどこまで引っ張れるかのゲームをしているような気分になる。金魚すくいのポイと同じである。お尻を拭くために、神経を集中してトイレットペーパーを易しくゆっくりと引き出さなくてはならない。それでもちぎれてしまうのである。 せっかく出すものを出してリラックスしているのに、最終的にはイライラした状態でトイレから出ることになる。お母さんには少し高くてもいいからちゃんとしたメーカーのモノを買うようにお願いしているが、お母さんは気にならないらしく、お父さんと子供たちで抗議してもすぐまた安くて使いにくいものを買ってきてしまう。 逆に公衆トイレなどではミシン目もなく硬くて丈夫なトイレットペーパーに出会うことがある。通常のサイズではなく、業務用の大きなロールのトイレットペーパーに多い。新品のロールが大きいので、それを回転させる力をかけてもちぎれない強度になっているのはわかる。だが両手を使わないとうまく千切ることができないレベルの固さである。 無理やり片手で千切ったであろう人の後に入ると、ペーパーが長めに引き出されているし、先端が絞られている。 まあこんなことを気にするのも日本人だけだろうし、気にして製造するのも日本のメーカーだけなのではないかと思う。お父さんも海外で出会うトイレットペーパーにはあまり期待していない。ベトナム工場で使っているトイレットペーパーはすでに見た目がきちんとしていない。 千切れようがちぎれまいが、硬かろうと柔らかかろうと、そんなものとしか思わない。引っ張るとホルダーごと外れるものになったときはさすがにすぐに交換させたが、それ以外で文句を言ったことはない。 それが日本に行くと気になるのだから、不思議である。日本にいると日本人としての感覚が鋭くなるのかもしれない。
2025.10.10
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お父さんはベトナムに滞在時はよくゴルフの練習をしている。終業後に会社にある練習ケージで球を打っているのだ。もともと会長用に作られた設備だが、高齢化した会長はほとんど使っていないし、許可も得ているので遠慮なく利用している。 前回までは五十肩のせいで全く練習をしていなかったが、1年半ぶりに今回の出張から練習するようになった。まだ肩の痛みがなくなったわけではないが、とりあえずスイングをするぐらいには回復した。 今は肩の痛みのおかげで力を入れないスイングができるようになった気がするし、スイング自体も五十肩になる前とはかなり変えてしまった。力を入れず肩に負担がかからないスイングになっている。飛距離自体はまだはっきりしないが、打っている感触からはかなり良い球になっていると勝手に思っている。 さて、お父さんはベトナムでゴルフの練習をするときに、YOUTUBEでゴルフレッスンの動画をみて、そこで覚えた内容を練習するようにしている。ケージなのでただボールを打っていても面白くないのも理由だが、自分で自分のゴルフスイングがきれいではないと自覚しているので、それを矯正するのが狙いである。 これをやっていると、自分の感覚と自分の実際の動作が全く合っていないことに驚くことがよくある。レッスン動画ではものすごく簡単にやっている動きが全くできないのだ。正しくは、レッスン動画の動きをしているつもりなのに、結果が全く伴わないのだ。「この位置に体を動かして、軽く打ってみましょう」という動画のマネをしても、クラブがホールに当たらない。それどころか地面を思い切りたたいてしまい、肩に痛みが走るレベルである。 体が硬くて動かないのではない。自分がこう動いていると思っているのに、実際は全く異なる動きをしているということだ。 昔からこのことには気が付いていたが、何度も反復練習をすれば動けるようになると思っていた。しかしながら、それもうまくいかない。やはりきちんと直すには自分のスイングを目の前で見てもらい、どこが悪いのかをきちんと教えてもらわないと難しいのだろうと思う。 だが日本に帰ってもお父さんの住む東北の田舎町にまともにゴルフのレッスンを受けることができる場所はない。その為最近お父さんはYOUTUBEで様々な人のレッスン動画を見ることにしている。以前は異なることを言う人の動画を何本も見ると、何が本当かわからなくなると思っていたのだが、最近はお父さんの感性に合うというか、理解がしやすい人のレッスンを探しながら見ている。 特殊なスイング理論やその場しのぎのテクニックは相変わらず見ていない。おそらく同じことを言っているが、言い方が異なる人は多くいるので、お父さんがその人の言うイメージでスイングしてうまくいく人の動画をいろいろとみている。 特に最近はシニア向けのレッスン動画を見ることが多い。20代や30代の頃のように体全身に一気に負担をかけるようなスイングは肩のせいもあってもうできない。ドライバーで300ヤード飛ばすための動画を見ても意味がないのだ。 50歳を過ぎて飛距離を安定させたり、スイングを矯正する動画を見ることがほとんどである。 まあそれでも自分のイメージと実際の動きはなかなかリンクしてくれないので、相変わらずのへぼゴルファーである。10月にコースでラウンドする予定を入れているので、それまでに少しはまともになるようにもう少し頑張ろうと思う。 ちなみにスポーツの世界でプロになれる人というのは、多くが自分のイメージと実際の動きが合っている人なのではないかと思う。もちろん何度も練習することで身に着けなくてはならないことも多いだろうが、それでもお父さんよりはきちんとイメージの中の動きを実際に再現できる能力は高いのではないだろうか。
2025.10.09
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日本は昔から治安が良い国と言われている。法律や警察システムなどいろいろな理由があるが、日本人の気質というか民族性がそれを成し遂げている大きな要因だとお父さんは思っている。よく巷では民度という言葉を聞くが、この言葉は民族的な優劣を表している気がしてお父さんはあまり好きな言葉ではない。日本人は民度が高いと言われてもしっくりこない。 さて、強盗や殺人は別にして、海外では日本でいうところの置き引きや空き巣、ひったくりというような軽犯罪が多いのは確かだろうと思う。海外居住したことがある日本人は肌で感じることがあるかもしれないが、旅行した程度では気が付かない日本と海外の大きな違いがある。 それは日本人に比べて海外では「窃盗」関係の犯罪をそれほど重く受け止めないということである。日本のニュースで出てくる外国人の犯罪の中で、窃盗に関するものは果樹園からフルーツが盗まれたとか、ソーラー発電の区画から電線が盗まれたなど大きなものもあれば、旅館の備品が盗まれたなど小さなものまでいろいろとある。 日本以外の国では道徳心がないのかと言われれば、お父さんはどこの国にも「ある」と自信をもって答えることができる。 しかしながら社会的な感覚が全く異なるのだ。日本で万引きや泥棒をする人は、「そういう特殊な人」だという認識がある。まあ学生の万引きなどは魔が差したとか言うのもあるのだろうが、海外では全く異なる。 自分の隣で普通に笑って会話をしている人、要はどこにでもいる普通の人が盗みのチャンスに出会うと泥棒になるのである。 よく海外駐在の日本人で笑い話になるのだが、例えば「誰かの財布が道に落ちていたら、それは神様が自分に与えてくれたプレゼントだと思っている」というものがある。実際にこれは海外駐在員が感じる普通の人が泥棒をする感覚を上手に表しているとお父さんも思う。 財布を落とした相手が自分のよく知る人だったとしても、それを盗んでしまう人は多く存在する。神様が与えてくれたプレゼントなのだから、その人がどんなに困っていても罪悪感など全く感じないのだ。 お父さんが大学生の時、仲良くしていた留学生がいたのだが、ある時彼が彼の国から来た友人を家に泊めてあげたら財布の中身をネコソギ盗まれたと嘆いていた。夜家に迎え入れて、朝見送ったあと財布の中が空になっているのに気が付いたそうだ。彼は日本感覚で財布を普通に見えるところに置いてあったのが間違いだったと言っていた。 若かったお父さんは、そんな犯人が誰か一発でわかる状況で、かつその人の名前から住所まで知っている人が現金を盗むなんてことがあるのかと信じられなかった。だが今なら、「まあ盗まれるかもね」と思うことができる。なぜなら盗める状況にあるのに盗まないのはもったいないのだ。せっかくのチャンスを逃すというイメージであるからだ。 ベトナムに工場ができて25年、会社でもいろいろと盗まれてきたし、犯人を見つけて警察に突き出したことも何度もある。それでも25年間で盗む人がいなくなったかと言えば答えはNOである。常に窃盗ができる状況になれば盗む人に囲まれて生きている。 海外駐在に慣れた人は、肌感覚で窃盗のしやすさをある程度見抜けるようになるので、旅行客と違ってきちんと自己防衛するようになる。だがそれは本当にちょっとしたことなので、旅行者が一緒に行動していたとしても気が付くものではない。 日本から見たらそこら中に窃盗犯に変身する人がいるのが海外である。彼らは自分の国は安全で盗む人などいないと本心から言うのだが、それは日本で窃盗となる行為が、彼らの中ではプレゼントでしかないからである。他人の家の鍵を壊して泥棒に入るのは、完全に悪意のある犯罪であるが、気軽に盗める状態にあるものを盗むことは犯罪とは思わない。このマインドを日本人は日本にいる限り絶対に理解できないと思う。
2025.10.08
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世界には様々な言語が存在している。日本語が他の国と異なる言語を話しているのは、地政学的に大陸から孤立している島国であるので理解はできる。しかしながらヨーロッパにしてもアジアにしても、国境を接している国々がそれぞれに異なる言葉を話しているという事実は、お父さんには理由が理解できない。 アフリカのことはよくわからないが、年米はスペイン語がほぼほぼ共通言語になっている。これはブラジル以外の南米の国をスペインが植民地にしたせいなのだが、それならばローマ帝国やオスマントルコなどヨーロッパ周辺を版図とした帝国の言葉に統一されていてもおかしくないはずである。またアジアでは中国の王朝やモンゴル帝国などの版図内で同じ言語になっていてもおかしくないはずであるが、実際は異なる言葉を話している。 日本でいう方言のように、同じ言語であるが訛りがあるのならわかるが、国境を接していてもスペイン語・ドイツ語・フランス語のように、全く異なる言葉を話す状態になっている。ちなみに同じ国でありながら、中国国内でも北京語・広東語・上海語など、文章にすると同じであるが、発音がまるで異なる言語もある。あれは方言の一種なのだろうか。 さて今回は地政学的な言語の分類を書きたいわけではない。先日知ったベトナム語の真実について書こうと思う。 事の始まりは、日本人のマネージャーが品質改善の社内教育をしていたのを見たことだった。難しい日本語がモニターに映し出されていたので、通訳がきちんと理解できて訳せないのではないかと感じたため、ローカルの副社長や副工場長に「意味が分かるのか?」と確認したことである。 ちなみに副工場長は70%ぐらい理解しているが、30%は分からないという答えだった。じゃあ通訳は100%意味を理解したり通訳できていると思うか聞いたところ、50%ぐらいしか通訳できていないと思うという回答だった。 通訳が50%で副工場長が70%の理解度になる理由がわからなかったが、ベトナム人は見栄の文化なので、地位が上の人は部下より低い能力や理解度だというわけにはいかないのだろうと思って流した。 ではリーダー以下はどれぐらいの理解度なのかと尋ねたら、20%が上限で0%もいるという衝撃の答えが副社長の口から出てきた。難しいとはいえ、0%はないのではないかと再度確認したら、そもそもベトナム語を理解できない人がいるせいですとい答えだった。 ベトナム語を理解できないという副社長の回答は、お父さんには理解できなかった。通常の会話ができないのか尋ねるとそれはできると言う。 副社長が言うには、話す人のベトナム語によって、理解できるものとできないものがあるという。日本の敬語のようなものかと聞いたがどうやら異なるらしい。逆に副社長や副工場長に驚かれたのだが、全員が理解できるベトナム語などあるわけがないという話であった。 彼らは当たり前のように、ベトナム人同士で話していても通じないことなど当たり前にあると言う。これ以上は何を聞いてもお父さんが理解できないので質問するのをやめてしまった。 事務所に戻って別のベトナム人通訳に聞くと、ベトナム語であってもすべての意味を正確に理解することは難しいし、ローカルの幹部ですら何を言っているのか理解できないベトナム語を話す人がいるという。 結局優秀な通訳は、標準語というか「学校の先生が使う言葉」を使うが、そうでない言葉を使う人がたくさんいるらしい。 食事に行った時にも、ベトナム人が注文して異なるものが出てくることがあったのは、言語がきちんとしていないからなのかもしれない。単語自体がおかしいのか、先入観によって意味が変わるような言葉なのか詳しくは分からない。 しかしながらベトナム人同士がコミュニケーションに不具合があるのに、日本語をきちんと通訳することなどできるはずがない。 お父さんはベトナムに出張を初めてもう20年以上だが、これまでの経験上、上記のことがおそらく事実だろうと今は確信している。ベトナムの教育が悪いのか、ベトナム語が完成されていないのかわからないが、とにかくベトナム語は正確に全員に意図を伝えることができない言語であるようだ。これは仕事をするうえでとても大きな問題である。しかしながら解決する方法がベトナム語を話せないお父さんには考えようがない。 よくそんなあいまいな言語でこれまで国を保ってこられたとある意味感心してしまう。ベトナム語恐るべしである。
2025.10.07
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お父さんは普通のサラリーマンに比べると、社外で他社の人と会う機会が多い方だと思う。まあ営業マンや会社役員などと比べればそれほど多いわけではないが、社外の人や異業種の人と話すと、自分が全く知らない世界の情報を得ることがある。自分の仕事に直結するような情報ではないことが多いが、自分の視野や知識を広げてくれる情報である。 家族や会社など特定の人と同じような生活をしていると、入ってくる情報は限定的になる。特に社会人になるとその傾向は強いと思う。学校などは様々な環境で育った様々な価値観や趣味の人が集まっているし、プライベートを含めた会話をよくする。その為に自分が知らない情報がどんどん入ってくる。 学生が流行りものに敏感だったりするのは、情報のネットワークが広いうえに早いからだと思う。 社会人になると、仕事時間医同僚と話すことはほとんどが仕事関連のことである。休憩時間などに仕事と関係ない話をしたとしても、それほど新鮮な情報を得ることは少ない。 以外に新しい情報は学生である子供たちから入ってくることが多い。なので子供が成長して家を出てしまうと親は若い人からの情報を得る機会を失って、どんどん情報弱者になってしまうと思っている。自分の興味がある分野には詳しくても、そうでない分野の情報からは置いてけぼりになるのだ。その結果として新たな常識や価値観も更新されることなく時代から取り残される。 これに対して、仕事で様々分野や立場、年齢の人と交流している人は本当にいろいろなことを知っているし、情報を得るのも早い。お父さんは仕事として異業種交流会のようなものに参加することがあるが、そういう場でしている雑談には自分にとって新鮮な情報がたくさんある。 ちなみに我が家があるのはお父さんの地元でもお母さんの地元でもないが、母親仲間が雑談する機会が多い時代、子供たちが幼稚園に通っていた時代はお母さんが地元情報をどんどん仕入れて教えてくれた。 どこどこのお店に何が売っているとか、この店が美味しいとかだけでなく、来年○○というチェーン店が進出してくるとか、地元の人でも知らないような話もたまに入ってきていた。 しかしながら子供が成長した今は、母親仲間の集まりもほとんどないので、新たな地元情報はお母さんにも入らなくなっている。我が家には高3の息子と高1の娘がいるが、息子はあと半年で家を出る。末の娘もあと2年半である。この二人が家を出れば、お母さんの情報源は大きく減少することになるだろう。 それで不便になることはすぐにはないと思うが、お父さんとお母さんが時代から取り残されていく時が近づいている気がしている。 ネットやSNSで情報は手に入ると思う人もいるかもしれないが、基本的に自ら情報を求める場合は、自分に興味があることに限定されることが多い。不特定多数と付き合っていると、全く興味のない分野の情報まで入ってくる。この違いはとても大きいと思っている。 あまり人付き合いが得意ではないお父さんが、がんばっていろいろな人と話したり出会いの場に赴くのは、業務命令もあるが意識して自分と違う人と話そうと思っていることもある。
2025.10.06
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先日久しぶりにベトナムで台風を体験した。台風18号と20号がベトナム北部から中部にかけて上陸したのだ。ベトナムではどういう数え方をするのかよくわからないが、9番目の台風と10番目の台風という言い方をしていた。 台風18号ではハイフォンなど海に近い地域、台風20号では台風が通過した内陸でも死者を出すような被害が出た。お父さんの会社があるハノイ近郊の町は雨が降っただけで大きな被害は全くなかったが、ハノイ市内などは冠水や床下&床上浸水まで被害があったらしい。日本人が集まるリンラン通りなどの繁華街も道路が冠水したと聞いた。 台風がベトナムに来るたびに思うのだが、日本人がそれほど強い台風ではないと感じるレベルの台風でもかなりの被害が出ることがある。理由は様々あるのだろうが、その一つは治水というものが進んでいないからだとお父さんは思う。 氾濫した河川の映像を見ると、ほとんど堤防もなければ護岸工事のされていない。本当にただの自然の川がそこにあるだけである。その為川が増水すると簡単に水があふれてしまうのだろう。 また人が住む街中の川であってもまともに洪水対策などされていないので、家があっという間に流される。日本では政府や地方行政機関などが出すようなハザードマップも存在しないし、緊急避難場所なども定められていない。いや本当はあるのかもしれないが、お父さんは見たことがない。 さらにいうと天気予報も日本ほど緻密ではない。日本にあるアメダスや雨雲レーダーもないので、台風がくるというと雨風がどれくらいだろうと心配することしかできない。これから徐々に治水工事もやっていくだろうし、天気予報ももっと正確になってくるのだろうが、治水工事はともかく天気予報というのは統計的に天気を予想するものなので、過去のデータの築盛が大変重要である。本来なら軍隊を持つベトナムは、国軍が天気のデータをきっちりと持っているはずなのだが、ベトナム軍にデータがあるとは思えない。なぜなら、お父さんがベトナムで働いていても、データをとって残すということの重要性をいまだにベトナム人に理解してもらえていないからだ。 彼らの作る道路は雨水をどこに流すのかすら考えていない部分がたくさんあるので、少しきつめのスコールが振っただけですぐに冠水する道路があちこちにある。山を切り崩した道路は両サイドが崖のように高くそびえていて、日本なら法面の舗装工事が絶対にしてあるのだが、ベトナムには法面に対策がされているところはほとんどない。よって大雨が降るとすぐに崩れる道路も存在している。 日本なら行政の問題になるのだが、ベトナムでは行政の悪口を言うと逮捕される国なので国民から声が上がることはない。治水は行政府の気まぐれで行われていると言っても過言ではない。これからも台風が来るたびに人的被害も出続けるのだと思う。 次の台風がまた近づいている。これ以上被害が出ないことを切に願う。
2025.10.05
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最近YOUTUBEで動画を見ていると、ショート動画の中によく参政党の神谷代表の動画が出てくる。何となく見ているだけだが、この人は実に愚直に頑張っている人だとお父さんは思う。愚直という言葉は褒め言葉にもけなし言葉にもなりえるが、お父さんはこの場合よいと悪いが7:3ぐらいのイメージで愚直と評している。総合的にはお父さんは神谷代表と参政党を応援している。 お父さんは基本的に善意の押し付けのようなことをしてくる「熱い人」が嫌いである。近づかないで勝手にやっていてくれと思う。「みんなで協力して」とか「子供たちの為に」とか言って、相手の都合も考えずに「きれいごと」を理由にして全体を盛り上げようと奮起する人が、面倒くさくて嫌なのだ。ひねくれているのかもしれないが、きれいごとを理由にする時点で日本人が断れない環境を作り出す人が嫌いなのだと思う。 神谷代表もある意味きれいごとを言っているかもしれない。日本が置かれている世界での立場とか様々なしがらみを考えずに日本人ファーストを叫んでいる。それでも不思議とお父さんはこと人の言っていることは基本的に正しいし応援したいと思わせてくれる。 これまでの政治家が言っていたきれいごとをどんどん紛糾してくれるからかもしれない。これで行動が伴えば素晴らしいと思うので、秋の臨時国会でどこまでできるかとても期待している。 ただし参政党や神谷代表、さらに言うと高市早苗のような人たちはインテリから嫌われる。高学歴な人たちはどこまでもきれいごとが大好きで、きれいごとを理由にされると断ることができない。さらに言うと自分が泥をかぶるような行為を絶対にしない。お父さんの偏見かもしれないが、政治家や官僚のほか経営者、特に2代目以降の人に多いと思っている。 だからそういう人たちが権力の中枢にいる今の日本はダメだとお父さんは思う。きれいごとを実践すれば自己満足は得られるし、失敗しても理念が高潔であると言い訳もできる。 幕末に薩長土肥を中心に討幕を果たしたが、徳川幕府のすべてが悪であったわけではない。しかしながら270年間の安寧を続けてきたせいで、外国からの圧力に紳士的にきれいごとで向き合ったのではないだろうか。それに対する薩長土肥の人たちは、愚直にがむしゃらに行動をした。結果として徳川幕府は崩壊し、明治新政府が誕生した。 日本も今、大きな国難を迎えているとお父さんは思っている。アメリカも含めて中国やロシアといった外圧を受け、国内にはきれいごとを言う人たちがあふれている。国民は重税で苦しみつつも戦うというよりあきらめて従っている。 参政党や同様のタカ派と呼ばれる人たちは、明治維新で行ったら第1世代の西郷隆盛や木戸孝允(桂小五郎)のように、現在の体制をひっくり返す役割を担っていると思う。だから彼らのやるべきことは愚直に現体制を破壊することだろう。 明治維新が第1世代で討幕、第2世代(板垣退助や江藤新平など)で新政府の模索、第3世代(伊藤博文や山縣有朋)で新制度の確立といった動きをしていったように、今は古き制度を壊す第1世代だと思う。愚直に行動する人たちが活躍しなくてはならない。 軍事的に内乱を起こすことがあり得ない世界なので、政治的に戦うには国民の支持が必要である。今はネットで人気の参政党やタカ派であるが、ちょっとした発言ですぐに意見がひっくり返るのがネット社会でもある。 愚直に、しかも揚げ足をとられないように頑張って日本国を変え、新しい時代に対応できる国を作ってほしいと思う。
2025.10.04
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先日魚の裏表について書いた。サケの切り身を食べていた思ったことだが、お父さんはこういうくだらないことを考えていると、思考が止まらなくなることが多い。皮を基準に表か裏かを考えていたが、皮を見ていたらもう一つ気になることがでてきた。 それは魚の皮は本来食べるものとして料理されているのか、それとも食べないのが基本なのかということである。 もちろん料理の種類によるというのが簡単な答えだと思う。シシャモを皮を剥いで食べる人を見たことがないし、ホッケの開きの皮を食べる人は少ないと思う。 アジやサンマなどは焼き魚になったときに皮を剥いで食べる人は少なく、皮ごと食べることが多いが、刺身や寿司になると味は皮がはがされることが多く、サンマは皮がついていることが多い。サバの刺身は皮がついているのが基本である。 水戸黄門でおなじみの水戸光圀は、鮭の皮が大好物だったという逸話があるが、お父さんはサケの塩焼き(切り身)を食べるとき皮を食べることはほとんどない。大体は皮を残して食べているし、周りでもそういう人が多い。義理の父親は皮ごとすべて食べている。この場合は人によるとしか言いようがない。 お父さんが釣りをしている魚は、基本的に捌く時に皮を剥いでいる。だがキスや小アジやイワシなどは皮を剥がずにうろこだけ落として食べることが多い。 料理として供された時に魚の皮がついていた場合、料理した人は皮を食べてもらいたいのか、残すことを前提としているのかよくわからない。 ただ居酒屋で皿の上に皮だけ残った状態になっている時に、店員が皿を下げにくれば「皮を食べますか?」とは聞かれないまま皿を下げていくし、それに文句を言う人を見たことがない。 料理人が皮ごと食べることを前提にしていると言えば、刺身や寿司に皮が付いたまま出てくるものだけである。サバやタイの刺身に皮がついているものを皮を剥いで食べる人を見たことがない。 またタラなどの白身魚のフライなどでも皮ごと衣の中に入っていれば気にせずに食べてしまう。だがタラの場合、煮魚になると皮を残す人も多い。お父さんはその時の気分で異なる。 結局は料理する側ではなく、食べる側が決めることなのかもしれない。水産業に従事する専門家に聞いたとしても、皮を食べるべきかという問いに対して明確な答えは出てこないだろう。「すきにしろ」と言われて終わりではないだろうか。 こういうくだらないことを考えている時間がお父さんはかなり楽しい。ふと思い浮かんで頭の中でダラダラといろいろ考えている。
2025.10.03
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先日鮭の切り身を焼いたものを食べていてふと思った。この鮭の切り身に表と裏はあるのだろうかと。なぜなら、鮭の切り身が皮が見えない状態で皿の上にのっていたからだ。日本だったら普通に自分の反対側に皮があり、やや斜めに切られている切り身の皮が上を向く形で皿にのっているのが普通である。 しかしながらその時はベトナムでの昼食だった。ベトナム人の完成では、皮は自分に対して反対側にあるというのは変わらないようだが、切り身の状態で皮が上を向くか下を向くかにはあまり関心がないようだった。 日本の切り身は常に身の厚い方(魚の背中側)が左で、薄い方(魚のお腹側)が右という状態に慣れているので、よほど何も考えていない限り、左に身の厚い方を配置する。スーパーで売っている切り身は、そのように配置すれば自然と皮が上を向くように切られている。 だがベトナムの切り身は、魚の左右で切り方が異なるのだと思う。 お父さんも釣り上げた魚をさばくのでよくわかるのだが、切り身を常に同じ状態にするには、3枚におろしたあと、切る方向というか角度を変更しないと同じ形の切り身はできない。魚の左サイドは尾側から頭に向けて斜めに切る。逆に右側は頭側から尾側に斜めに切らないと同じにはならない。簡単な話だが、意識しないと失敗してしまう。 さて魚の表裏(食べるとき)に戻ろう。魚が生きて泳いでいる時に、魚に表や裏があるかというと基本的にはない。強いて表裏を決めるとすれば、外側が表で外表の内側(つまりは皮膚の裏側)が裏になるだろうか。 これが魚屋に並ぶと、もう少し表と裏がいえるようになる。魚の腹を手前に置いたときに、頭を左側に置いた状態で見える面(魚の左サイド)が表と言えるだろうか。もちろんこの場合、魚の右サイドが下になり裏ということになる。 焼き魚でもこの法則は成り立つ。 ということは丸ごと一匹の場合は魚の左サイドを表というと断言したいところだが、ここに開き(ひらき)というのが出てくると話が変わる。アジやホッケの開きは、身の内側が上面に置かれて皿にのせられる。 この場合は上になっている魚の内側が表ということになるのではないだろうか。下になっている皮側が表という人は少ないと思う。 ウナギのかば焼きも同じである。うな丼でも白焼きでもウナギの内側が上になって出てくる。皮は下側なのでやはり身の方が表と言えるだろう。料理人や魚屋の人たちはどのように教えられるのだろうか。周りに釣り人はいるのだが、料理人や魚屋がいないのですぐには確かめることができない。 今度そういう人にあったら聞いてみたいが、くだらないことを考える奴と思われるだけで終わりそうな気がする。
2025.10.02
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お父さんとお母さんはもう25年ほど夫婦をやっている。ついこの間結婚したばかりな気がするが、長女が22歳になったのだから当たり前と言えば当たり前である。喧嘩もいっぱいしてきたが、世間の基準でいえば普通に仲の良い夫婦ではないかと思う。まあ1年の半分弱を単身赴任しているので、常に一緒にいるわけではないが、お父さんの感覚というか記憶において夫婦の危機を迎えたことはない。 理由として考えられるのは相性が良い(というか悪くない)とか価値観(夫婦のあり方や子育ての方針など)が比較的あっているというのがあるとは思う。だが一番の理由は、お互いに別の相手と恋愛したり何かするのがめんどくさいと思っているというのがあると思う。 お母さんの本音を確実に知っているわけではないが、お父さんの場合仕事をして、子育てして、家庭を回しながらさらに浮気をするとか面倒くさくてやりたいとも思わない。多分お母さんも同じで、この人が人生でベストのパートナーとまでは思っていないと思うが、基準をクリアしているのでまあいいかと思っているのではないかと思う。 決してお互いに愛情がないわけではない。愛しているのかと聞かれれば、愛していますと答えられるぐらいの関係ではある。まあ夫婦の形はいろいろあるので、お父さんとお母さんのように緩い関係もありなのではないかと思っている。 しかしながら、夫婦として別々の人間が一つ屋根の下で暮らすと、それなりに力関係が出来上がってくる。お母さんは結婚前からどうでもいいと思うことはお父さんの意見を尊重してきたが、自分のこだわりになると絶対に譲ることがなかった。実はお父さんも同じだとお母さんから言われている。あるモードに入るといまだに手が付けられないらしい。これまでうまくやってこられたのは、お互いのこだわりが重ならなかったからかもしれない。 ちなみに夫婦間の力関係は、お父さんから見ると7対3でお母さんが上だと思っている。しかしながらお母さんに言わせると8対2でお父さんが上、お母さんは常にお父さんを立てていると言って譲らない。 子供たちの判定では、普段は完全にお母さんが上だが、お父さんが本気になったときはお父さんの方が上というなんともよくわからない意見であった。長女も息子も次女も同意見だった。 それにしてもお父さんもお母さんも自分が我慢して相手に合わせていると思っているところが面白い。お互いに相手のほうがわがままで、自分が合わせることで何とか関係を保っていると思っているのだ。本人たちがわからないのだから、事実は永遠に不明のままだろうと思う。 ちなみに週末などに予定(相手と一緒にどこかに行くなど)を決めるとき、お母さんが決めた予定にお父さんは必ず従うことになってしまっている。「来週の土曜日に○○に行くから予定を開けておいて」と言われればお父さんは100%時間を空けなければならないし、車移動の運転手は常にお父さんである。 逆にお父さんがお母さんを誘うときはお母さんにお伺いを立てた上に、お母さんに予定がなくてもどうしてそこに行きたいのか、なにがお母さんのメリットになるかをプレゼンしなければならない。気がついたらそういうシステムになっていた。もちろんお金を出すのはお父さんの小遣いからである。 まあこの程度で力関係がと言っているのだから、我が家は平和な夫婦なのだろうと思う。お互い小さな不満はありつつも、しょうがないから我慢してあげると思っている。このまま年をとってもそんな感じで関係を続けていくのだろうと思う。
2025.10.01
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先日社長からある本を配られた。「運転者」という小説である。これから書くことはネタバレになるので、読んでみたい人はここから先は読まないでほしい。 社長が全社員に配る本なので、社長としてはそれを読んで仕事に活かしてほしいという願いが込められている。これまでにも社長が本を配ることは何回かあったが、どれもそれなりに面白く、それなりに説教臭いものだった。 今回は「ただの小説」という話でもらった本だが、読んでみると小説風の自己啓発本であると感じた。かなり売れた「夢をかなえるゾウ」などと同じである。 運転者の場合は、「運とは」という話を中心に、運を貯める方法、運を使う時期、運を使える条件などが掛かれている。運が良い人とか悪い人がいるのではなく、運をためて使っている時期の人を外から見ると運が良い人に見えるだけという感じだ。 そして自分がためた運は、自分が使うこともできるし次世代に送ることもできる。未来や子供たちの為に、次世代に運を送ることも現代に生きる我々には大事であると書いてある。なぜなら今現在自分が生きているのは、前の世代が頑張ったおかげなのだから。 今の世代が運をためて次世代に送らないと、次世代は運を使えない寂しい時代になるという話も書いてあった。 小説としてのストーリーはそれほど面白いとは感じなかったが、よくできているとは思った。また自己啓発としての内容には完全に同意だった。感動したということはないが、今自分が生きている未来は、過去の世代が作り上げたものであり、感謝するべきという内容も、運は貯めることができるという内容もスッと自分の中に入ってきた。 お父さんの信条というか座右の銘は「笑顔・清潔・感謝」である。これを守っていれば幸せになれると思っている。幸せになれるということは運が良いということでもある。小説の中で、清潔に関することは出てこなかったが、笑顔や感謝についてはほぼお父さんの信条と変わらないものであった。 2時間ほどで読めてしまう短いストーリーであるので、読んでみる価値はあると思う。お父さんは無理に人に勧めることはないが、良い本であるとは思っている。ただし、人生経験が少ない若い人と、それなりに年齢を重ねて経験を積んだ人で評価は分かれると思う。 今これを子供たちに読ませても、それほど心にしみてはこないと思う。内容を思い出して、そういえばとなるのは40歳を越えたぐらいからだろうか。 久しぶりに自己啓発本を読んだが、少し心が軽くなった気がする。それだけでも読んだ価値は十分にあった。配ってくれた社長に感謝する。
2025.09.30
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最近世界中で人気になっているという「ラブブ」というキャラクターを知った。中国発のキャラクターで、全世界でラブブのキャラクター商品が品薄状態になり、ネット市場でプレミア価格となっているという。 どんなキャラクターだろうとネットで調べて確認したが、お父さんが苦手なタイプのキャラクターであった。モチーフがなんだかわからくて、ウサギとサルを組み合わせて表情をワイルドにしたような感じである。 確かに特徴というか個性が強く、印象には残るのだろうとは思った。 世界中で人気という割に、お父さんの周りでは聞いたことがないと思っていたら、実にタイムリーなタイミングで、次女がラブブの商品が欲しいと言ってきた。そこで驚いたのだが、お父さん以外の家族は全員ラブブというキャラクターをすでに知っていた。その時初めてラブブが世界的な知名度を持っていると実感した。我が家ではキャラクターについて話題になることはないので、家族それぞれが別の情報源から知識を得たと考えたからだ。 ちなみにベトナムで次女の為におもちゃ屋などを探して見たが、POP MARTというラブブを販売しているブランドを扱う店はあったが、ラブブを見つけることはできなかった。次女がAmazonで売っていると見せてくれた価格は、定価の3倍ほどだった。 それでも売れるのだから、人気があるというのも品薄であるというのも間違いないようである。 次女の試験期間中だったので、試験が終わったら購入すると約束して、娘に内緒で購入してお母さんあてに届くようにしておいた。お父さんがベトナムから帰国してからでは遅いと言われていたので仕方がない。 試験が終わって次女が「早く買って」と連絡してきたので、購入する振りをしてAmazonのサイトをみると、すでに売り切れになっていた。こんなものをこんな価格で買う人は少ないだろうと思っていたが、そうではないようである。 お母さんから次女に渡した翌日、ネットニュースでラブブの人気が衰えて、POP MARTの株価が大暴落というニュースが目に入った。 お父さんは10年ほど前から株式投資をしているが、お父さんが購入するたびに株価が下落するのだが、ラブブを買っただけで株価を下げてしまったのかと思ってしまった。 冗談はさておき、ラブブが生き残るかどうかはこれからのPOP MARTの努力にかかっていると思う。様々なキャラクターを世に送り出して、且つ人気を維持している日本のサンリオは常に新たな製品を出したり、微妙に世の流行に合わせてマイナーチェンジをしたりして、作り出したキャラクターの人気や価値を守っている。 お父さんのイメージでは、中国人というのは大儲けができる期間が過ぎると、その製品をやめてしまう傾向がある。今はまだ下火と言っても売れているだろうが、これから売り上げが下がったときに、継続の努力をするのかは不透明である。 せっかく次女に買ったのだから、ずっとラブブを世界に発信し続けてほしいと思う。そうすれば年をとっても次女に購入したことを良い思い出としていつまでも忘れないと思うから。
2025.09.29
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「恥をかく」という言葉と、「恥をかかされる」という言葉がある。どちらも自分が恥をかいたことには変わりないが、原因を自分にするか他人にするかでどちらの言葉を使うかが決まってくる。そしてそれを判断するのは自分自身である。 悪意があって、自分がターゲットとなって恥をかかされることがないとは言えないが、多くの場合、恥をかいた理由は自分自身にある。自分の勘違いや無知、思慮の無い言動が原因になることが多い。なので通常は恥はかくものであってかかされるものではないというのがお父さんの基本的な考え方だ。 ところが世の中には以外に「恥をかかされた」と発言する人が多い。自分に問題があったとしても、それを指摘したり公にされたことで、その人を恨む人たちである。劣等感が強くプライドが高いからなのだろうと思う。 お父さんは恥をかくというのは長い目で見た時に悪いことではないと思っている。顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたことは何度もあるが、そのたびに2度目がないように自分を律してきたつもりである。 恥をかいた理由を自分に求めれば、おのずと自分を変える原動力となる。恥をかいた分成長できるということでもある。 しかしながら恥をかかされたと思う人は、自分を顧みず他人を恨む。自分が悪いとか自分に原因があると思考しないので、恨みだけが残り成長は少ない。 どちらが良いかは文章に書くと明確ではあるが、なかなか理想通りにはいかないものである。 例外はいくらでもあるが、国として全体で自分の未熟さで恥をかくを実践してきたのが日本人で、恥をかかされたを実践してきたのが日本以外の東アジアの国々である。その為外国人と働くと日本人はすぐに恨みを買って相手から嫌われてしまうことが多い。 お父さんもベトナムに滞在中は、人前で部下を叱らないなど意識はしているが、なかなか難しいものである。
2025.09.28
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先日ネットニュースを読んでいたら、AIに力を入れている企業にイラストレーターというか絵師が協力を拒むと発言したという記事が載っていた。生成AIはネット上の情報を自主的に集めて学んでいくものである。その為ネット上に本人も含めて誰かが画像をUPすれば、いずれはAIに取り込まれる仕組みである。この仕組みを変えて、特定の絵や絵師の作品を取り込まないプログラムを作るというのはほぼ不可能である。 お父さんはAIのプログラムを知らないし、どのようなロジックでAIが学んでいくのかもわからないが、ネット上にあげたすべてのものがAIによって学習されていくことは、もう止められる時期を越えていると考えている。 絵師の生活にかかる大変さは理解できる。だがこれは昔人力車の車夫が鉄道の敷設に反対したのと同様に消えゆく職なのだと思う。原画が絵画のように売れるような仕組みや世の中にならないと、これからの絵師は収入を得るのが難しくなると思う。 世の中には技術の発展とともに消えていく職業というのは常に存在している。電話が交換士を通してつながれていた時代もあったがすぐに自動でつながるようになった。カメラはフィルムに写すものだったが、デジカメの登場でフィルムカメラもフィルムもほとんど世の中から消えてしまった。カセットテープ、ビデオテープ、CD、MD、DVDなどの記録メディアも消えていくだろう。これは技術の進歩に伴う必然であり、あらがうことは難しい。 絵師の問題はわかりやすいのでよくニュースになるが、お父さんにとっては自分とはあまり関係がないので他人ごとで済んでいる。お父さんがそれよりも恐れているのは、軍事やテロといったものにAIが利用されることである。 爆弾の製造方法など、これまで一般人が調べてもそう簡単に製造できるものではなかった。しかしながらAIが身近なもので作成できる製造方法を回答するようになれば、素人でも作れるようになる時代が来る。 電子機器を壊すやり方、要人の行動計画、軍事技術に至るまで、本人にその気がなくてもネットの世界に情報をUPしてしまえば、いつAIに取り込まれてもおかしくない。 単一の情報を集めて複合して判断できるレベルまでAIが進化すれば、一般人が本来国レベルの機密として取り扱っている情報を得ることができるようになる可能性がある。 現在の社会はAIの推進を擁護しているので、このような目の前にある本当の脅威を報道するマスコミはいない。将来AIに人類が滅ぼされるとかいうSFの世界のような話でごまかしている。将来的にターミネーターのような時代が来る可能性は否定できないが、その前に頭の良い狂人によって世界中で事件が起きることの方がお父さんは心配である。 人間が制御できない状態で今AIは進化し続けている。AIを仕事や遊びのツールとして倫理観を持って運用している人がほとんどなのだろうが、包丁もやろうと思えば人を簡単に害する道具になる。3Dプリンターで銃を作る人がいることを私たちは知っている。 世の中の人は、企業や国家が機密を漏らさないようにしていると思っているのだろうが、朗詠させる人は必ず出てくる。だがその前に、学術論文という脅威が存在する。大学などの研究機関は新しい技術を論文として公開している。これまでは調べない限りその論文には巡り合えないし、言葉の壁もあった。だが今後はAIが探して翻訳までしてくれる。必要な情報が一瞬で、それも自分が理解できる言語で手に入れることができるのだ。 ネットの規制が最終的に野放しに近くなったように、AIも管理できずに野放しになっていくと思う。そしてAIを悪用する人は必ず出てくる。どのように制御していくのか、お父さんはIT関係の知識はほとんどないので、専門家や政治家がどこまできちんとやれるのかに未来の安全が掛かっていると思う。
2025.09.27
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昨年から続いているお父さんの五十肩だが、最近は痛みを伴いながらもゴルフクラブが振れるぐらいには回復した。また着替えもそれほど苦労しなくても自分一人でできるようになっている。少し前まではシャツを脱ぐのも重労働だった。 お父さんが五十肩になったのは右肩なので、この1年半ずっと左側を使っている。そのおかげで右手や腕を使わなくても左だけでかなりのことをできるようになった。左手の可動域は以前よりはるかに大きくなっている。 先日他社とのある会合で、五十肩がまだ治らないという話をしたら、6人の参加者中3人が五十肩もしくは四十肩の経験者だった。そのうちの一人はお父さんと同様に寝ることができないくらいの激痛を味わったという話だった。 お父さんは自分が五十肩になるまで、五十肩の話題というのをほとんどしたことがなかったので、病名は知りつつもそれほどメジャーな病気ではないと思っていた。しかしながら、五十肩の話題を出すようになって、意外と多くの人が五十肩や四十肩の経験者であることが分かってきた。統計を取ったわけではないが、60歳までに四十肩や五十肩を経験する確率は40%ぐらいではないかと感じている。 また肉体労働者よりも、デスクワークをする人に多いと感じるのもおそらく大きく間違ってはいないと思う。 ちなみに今ChatGPTで調べたら、五十肩の罹患率は2~4%だと出てきた。これはお父さんの感覚では間違った統計である。五十肩は痛みはあるものの、何も治療したくても直る病気である。つまり病院に行かないことが多々あるのだと思う。そのせいで4%という統計鹿出てこないのだと思う。 ちなみに五十肩になりやすい職業は、やはりデスクワークの人という回答が出てきた。やはり普段体を動かさない人の方がなりやすいようである。 ちなみに五十肩になっても日常生活はそれなりにできる。会社を休むことは基本的にないだろう。そのせいで何かのきっかけで本人からの自己申告がないと周囲に気が疲れないうちに五十肩が感知してしまうこともたくさんあるのだろう。 お父さんは今回症状が重くて周りにも迷惑をかけたので、周囲も知っているが、重症化しない限りは人に言うほどのモノでもない。 実際に昨年の3月ごろから肩の痛みは始まったが、悪化した8月までお父さんは周囲に言わなかったし、行動からばれることもなかった。 それにしてももう一年半である。長いと2年とは言われているが、早く完全に完治したい。
2025.09.26
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