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April 3, 2026
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本当は3月5日にもわの会のイベントが有って江の島巡りをするはずだったんだけれども、
腰と足が動かなくなって欠席したので、先月は書けなかった。
なので久しぶりのわの会。

4月2日のわの会は、京浜急行の逗子葉山駅に集合して、
逗子と葉山のお寺や神社と名所旧跡を巡った。
ルートは下の地図の通り。腰と足はまだ完全ではなかったので、この4.5kmは辛かった。


最初は京浜急行逗子葉山駅を出てすぐの仲町橋。


ちょうど桜が満開で、田越川の岸辺の桜は満開だった。
体調が万全だったら幸せだったのに。



その顕彰碑が有った。


僕の頭の中の徳富蘆花は自由人で、若干反体制的な人で、
大山巌の奥さんの捨松を勝手に悪者にした、ひどい奴な感じが有る。
まぁ小説なんだから仕方ないけれど。

この橋がかかる田越川沿いの道はかっては相模湾で採れた魚を江戸に運ぶ重要な道だった。
ガイドさんがそれを上手に説明してくれた。魚荷の道と呼ばれる。


三浦半島の折れ目的な地形で、山の間を縫うように東京湾に抜ける。
海を大回りしなくても良いと言うメリットもあるけれども、
魚は腐りやすいので、短い日数で江戸に届けられることが大きかったんだろうなと思う。

少し下流に行くと田越橋が有る。


この橋は欄干部分が湾曲したように変な形に曲がっているのだけれども、


さらに下流に向かう途中に六代御前の墓がある。
入口に碑が建てられ、


そこを中に入って行くと、一段高くなった所に欅に囲まれた墓がある。


実は六代御前を殺したのは北条時政で、頼朝は文覚上人の嘆願を受けて許している。
このように、一般には「源平の戦い」と言うのに、

壇の浦で平家を滅ぼしたのは(義経を除けば)ほとんどが坂東平氏つまり平氏である。
だから「源平の戦い」と言うのは話を面白くするための脚色であって、
内容は源氏同士、平氏同士の戦いも多くあり、単純な源氏と平家の戦いではなかったのだと思う。
と言うか北条時政は、最後は源氏を滅ぼしてしまうんだよな。
歴史って一部の人達の勝手な解釈で、事実とは違う見方が定着して、
一般の人はそれを信じてしまうので、
政治的な目的に利用されやすいのだと思う。

田越川の河口には富士見橋がかかっている。


富士見橋から河口に向かう途中に徳富蘆花が住んでいた柳屋跡があり、蘆花の碑が立っている。


さらに河口を目指すと、
現在河口付近は工事中で、付近には石原裕次郎の碑が有ったらしいのだけれども見当たらない。

対岸には鳴鶴公園が有り、この付近は鐙摺(あぶずり)浜と言う。
海岸沿いは険しい崖で、
地名は、馬具の「あぶみ(鐙)」を「摺る(こする)」ような急斜面・崖地形に由来するらしい。
近くには有名な鐙摺の不整合が有る。


いわゆるプレートテクトニクスによる地殻変動による海側の地形の圧力によるもので、
伊豆半島なんかはかっては太平洋上の海底火山が日本に押し寄せて来て、
日本と合体して伊豆半島になったと言われているように、
ここも長い年月の中で、かっての海底が押し上げられて、またぶつかってこうなったのだろう。

でも有名なわりにメンテナンスがなされていない。
逗子市は貧乏で、水道施設さえも困窮しているらしいから仕方ないと思う。

脇を見ると旗立山が有る。


知らないと見過ごしてしまうような海岸沿いの小さな山だが、
三浦一族の歴史と言うか鎌倉幕府創成期を考えると重要な場所である。
そして、実はこの付近には面白い場所もある。
鎌倉殿の13年(NHK大河ドラマ)で、北条政子が頼朝の浮気相手の隠れた館を攻めて、
壊してしまう「後妻打ち(うわなりうち)」と言うエピソードが有ったが、
その舞台がここである。
ガイドさんが説明してくれた。


女って恐ろしいと思う。

付近に小さなお寺と神社がある。海宝寺と須加神社である。


海宝寺自体は小さなお寺さんで特に何もないのだけれども、
脇に「脱衣婆」の像があり、三浦半島で有るのはここだけである。
「脱衣婆」とは三途の川で「泥棒」の亡者の衣服をはぎ取るばあさんで、
はぎ取った衣服は懸衣翁(けんえおう)によって衣領樹と言う大きな木に懸けられ、
そのしなり具合によって罪の重さを計ると言う恐ろしい話に出てくる。
また、三途の川の渡し賃「六文銭」を持たない者の衣装をはぎ取るとも言われる。

なんでそんなお婆さんの像がここに有るのだろう?
恐ろしい。

すぐ隣に須加神社がある。


同じ敷地みたいなんだけれども、バチがあたるといけないので、
一旦出て、ちゃんと鳥居をくぐってお参りする。

ちょっと南に進むと葉山マリーナが有る。
金持ちの聖地である。


思ったほどたいしたことは無い。千葉あたりにある○○センターみたい。
これを建てた人は味の素の創業者らしい。像が外に有った。


えー!京浜急行の社長もやっていたの?
そしていまいちわからなかったのが、池田菊苗博士との関係。
そもそもこの人のお母さんの鈴木ナカが葉山で採れる海藻からヨードを取りだして討ったのが、
会社としてのスタートで、当時は鈴木製薬所と言い、
池田菊苗博士が、
四基本味である酸味(さんみ)、甘味(かんみ)、塩味(えんみ)、苦味(にがみ)とは別の成分として、
うま味(グルタミン酸)を昆布から見つけたのが、学術的なスタートです。
ちなみにグルタミン酸とグルタミンは名前は似ていますが別のアミノ酸で、
グルタミン酸は小麦のグルテンを加水分解して得られた物から発見されたのでグルタミン酸と言う。
博士はこれを何とか安価に日本人に供給できないかと模索していた時に、
かっての友人の鈴木三郎助が協力してくれることになり、味の素がスタートした。
うーん、博士ってやっぱり実業家には向いていないのね。

次は清浄寺。


清浄寺は三浦半島に多い浄土宗のお寺で、幕府の庇護を受けていたので、
瓦等の紋は浄土宗の「月影杏葉」紋ではなく「三つ葉葵」である。


境内には徳本上人の六字名号塔もある。


次は相福寺。


ここも浄土宗のお寺で、右側の本尊はガイドさんが見せてくれた秘仏阿弥陀如来(十夜仏)で、
本山の鎌倉光明寺から賜ったものだそう。

次は長徳寺。


臨済宗のお寺で、本尊の毘沙門天像は行基の作だと言われています。
三浦義澄の守護神だとされています。
なお、ここは森戸六郎重行の城の杜戸城が有った所だと言われています。

最後に森戸海岸から江の島や富士山を見て見たかったのですが雨で見えませんでした。
森戸海岸から森戸神社に行くには、みそぎ橋を渡って行きます。


この橋を渡れば、僕の汚れた心もきれいになるのであろうか?
森戸神社に行きます。


神社の裏手から海に出ます。
少し離れますが、龍神宮遥拝所が有ります。
遠く、葉山灯台や菜島鳥居も見えます。


こうしてみると、三浦一族のエピソードは海や海沿いの山に関わるものが多く、
三浦一族は海人族だったんだなと思います。
きっと僕の考える通り三浦一族は、
九州から四国を経て海沿いに北上して来た一族が、尾張に本拠地を構え、
伝説ではあるけれど、ヤマトタケルノミコトのように東を目指して来た尾張の一族のうち、
一部はこの地に残った(他のグループは鹿島へ進んだ)のが三浦一族の先祖なのだろうか?
ならば三浦と言うのは本来は「御浦」であり、熱田神宮と縁が深いのだろうと思う。
そのせいで、三浦一族は存亡をかけて、
熱田神宮の宮司の娘の子である源頼朝を助けて、鎌倉幕府の元をつくり、
源氏を滅ぼした北条氏に立ち向かって、逆に宝地合戦で負けて滅びてしまったのだろうか?
だって、尾張(東海市)の砂浜と同じ名前の「横須賀」と言う地名が残っているんだもの。
でも横須賀の人は尾張(東海市)にも横須賀と言う地名が有るのを知らないのだろうな。

ヤマトタケルについてもっと調べなければ。





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最終更新日  April 17, 2026 03:52:51 AM
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