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May 8, 2026
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3月5日はわの会のイベントで江ノ島に行くはずだったんだけれども、
腰が痛いし、足が動かなかったのでお休みしたんだけれども、
すごく残念だったので、2か月もたったのに一人で行くことにした。
まぁ、回復記念ですね。

わの会の記録書を見ながらルートを確認するとこんな感じ。


弁天橋部分が長くて、1枚の地図にすると小さくなるので、
縮尺の違う2枚の地図に分割した。
けっこう歩いたんだなと思う。
直線距離にするとそれほどでもないけれども、高低差がきつい。


わの会では小田急片瀬江ノ島駅が集合地点になっていた。


ちょっと趣味が悪い。
何でイルカ?
しゃちほこは元々は火除けのお守り、頭が龍、身体が魚の形をしている。
それに江ノ島は龍宮とは何の関係もない。
奥津宮の先には龍宮があるが、あれは「りゅうぐう」ではなく「わだつみのみや」である。
また江ノ島の龍は天から舞い降りた天女(弁財天)に恋した五つの頭を持つ(元)悪龍で、
弁財天と結婚する為に改心するお話が元になっており、龍宮とは無関係。
さらに言えば、北条時政が出会った龍は龍宮とは関係ない。


北条時政は、幕府草創の始めに江の島へ参籠して子孫繁栄を祈ったのだけれども、
満願の夜、 赤い袴に裏が青い衣を着た天女(弁財天)が忽然と時政の前に現れて、
「お前の前世は箱根法師である。
 六十六部の法華経を書写して、
 六十六箇国の霊地に奉納した功徳で、この世に生まれ変わった。
 子孫は永く日本の主となって繁栄するであろう。
 ただし、正しい行いをしなければ七代以上は続かない。
 私の言うことに不審があるなら、国々の霊所を見てみよ」
と言われた。
天女(弁財天)は二十丈(約60m)の龍となって海中へと姿を消すが、
その折、大きな鱗を3つ落としていった。
時政は「所願成就した」と喜び、
その3つの鱗を北条の旗の紋とした。
そう書かれている。

つまり龍宮とは何の関係もない。
まぁでも観光地なので、おめでたいから良いか。

そして僕はわの会とは違い、江ノ電江ノ島駅からスタートした。
何故なら小田急線は金沢区は通っておらず、金沢区に住む僕は鎌倉駅が便利だから。
わの会は集合するのにある程度広い広場が必要なので、片瀬江ノ島が便利なのだろう。
江ノ電江ノ島駅には集合するスペースが全くない。


雀さんがかわいいお洋服を着ている。
どこかの優しいお姉さんが着せてくれたのかなぁ。

江ノ電江ノ島駅から江ノ島入口までの通りは洲鼻通り。
すばな通り石碑と湘南地名石碑が有る。


「湘南」という地名は、かつての相模国(現在の神奈川県)の
「相模の国の南部」を意味する「相南(そうなん)」に、
中国の湖南省の美しい景勝地「湘江」になぞらえて「湘」の字があてられたことが主な由来。

通りの途中には江ノ島弁財天道標がある。


わの会で藤沢に行った際にもたくさん有ったけれども、
これから行く江ノ島で管鍼術を起した杉山検校が寄進した道標である。
その道標の多くが頂部が尖った角柱形で、
正面の弁財天を表す「梵字」の下に「ゑのしま道」、
左側面に「二世安楽」、右側面に「一切衆生」と彫られている。
これは江の島弁財天への道をたどる全ての人の
現世・来世での安穏・極楽への思いを込めている。

134号線は車が多く、観光客が危険な横断することが多かったので地下道が造られている。
また地下道には江ノ島に関わる浮世絵が描かれており、観光客の気分を盛り上げる。


うーん、昔は潮が引くと歩いて渡れたのか。

江ノ島へ渡る橋は弁天橋と呼ばれており、たもとに石の龍灯籠が建てられている。


僕が初めて来た45年前の昔はこんなの無かったなぁ。江ノ島の縁起が書いてある。

弁天橋を渡るとさすがに観光地。両側にはお店が並び、入口に青銅の鳥居が有る。


これは昔からあるなぁ。
扁額には「江島大明神」と書かれており、筆跡は弁財天の使いの蛇をかたどっている。

鳥居をくぐると左に郵便局が有る。その前に面白いポストが有る。


僕らにとっては、赤い郵便ポストの方が思い出が有って良いのだけれども、
これはこれで一つの歴史。この郵便差出箱は明治20年頃の物。
昔の文豪たちも、ここから家族に「江ノ島に来たよ」なんて手紙を送ったのかも?

右手を見ると岩本楼が有る。


中に入れないのが残念だが、岩本楼はこの後行く奥津宮の別当寺の岩本院の跡。
鎌倉時代より時の将軍・勅使・大名などの宿坊として栄え、
ローマ風呂や弁天洞窟風呂が有るらしい。

そしていよいよ江ノ島の三女神の宮に入る。
大きな門、瑞心門が有る。


うわぁ、片瀬江ノ島駅は龍宮じゃなくて、この門をまねしたのか。立派!
江ノ島の案内板が有った。

うーん観光地だから仕方ないけれど、江ノ島って弁天様がメインなの?三女神がメインなの?
みんながそう疑問に思うようで、案内板も大人の対応をしている。
三女神は本来は九州の宗像の女神さまなのだけれども、「宗像の」を巧妙に隠している。
だって弁財天は仏教の神様だから、日本古来の宗像三女神とは合わないもの。
宗像三女神は天照大御神と素戔嗚尊の「誓約」の際に誕生した素戔嗚尊の娘である。
仏教の伝来よりもはるかに昔から日本におられる神様。


まぁ仕方ないよね。観光地だから。

鳥居下からわき道に入ると杉山検校の福石が有る。


杉山検校は本名を杉山和一と言い、
ここでつまづいて転んだ時に、偶然触れた松葉からヒントを得て、
管鍼術を考案したらしい。

そして最初は辺津宮。


すぐ隣に奉安殿が有る。


奉安殿には勝運祈願の神の八臂弁才天(はっぴべんざいてん)と、
音楽芸能の神の妙音弁財天が祀られている。
八臂弁才天(はっぴべんざいてん)は8本の腕を持つ弁才天の姿で、
インドの仏教経典「金光明最勝王経」に説かれる戦闘神・武神なので仏教の神様なので、
そもそも日本古来の宗像三女神のそばに有るのは変なのですが、
まぁ観光地なので仕方ありません。

後ろを振り返ると銭洗いの池が有る。


池の中はお金でいっぱい!。
弁天様と龍神は夫婦で、江ノ島の伝説の元になった神様。
そして江ノ島では財宝福徳の神としてあがめられています。

そしてその先には宗像三女神のお父さんの素戔嗚尊が祀られる八坂神社が有ります。


お父さんの神社もちゃんと有るじゃん!
(説明板には忖度して、お父さんじゃなくて「縁の深い神様」と書いている。大人の事情)
この八坂神社の御本尊の須佐之男命の木造は腰越の小動(こゆるぎ)神社に祀られていた物が、
大波で海に流された物を江ノ島の漁師が拾い上げて江ノ島で祀るようになったらしい。
過去に「宗教戦争が有った」のだなと思う。
蘇我氏と物部氏の争いの時にも、仏像は物部氏によって捨てられたからなぁ。

仏教と神道の争いはその後も続き、鎌倉時代や江戸時代にもたびたび争っているが、
特に明治初期には「廃仏毀釈」と言う悲劇が起きて仏像は散々な目にあった。
逆のことが奈良時代から江戸時代にかけて起こっている。
神宮寺や別当寺がそうである。神社が寺に飲み込まれた。
上の方に江ノ島入口付近の岩本楼が奥津宮の別当寺である岩本院の跡だったと書いたが、
神仏混合とか神仏習合と呼ばれて、日本の国家宗教となった仏教が古来の神道を飲み込んだ。
その際に神社の祭祀を行う為のお寺が神社内に置かれて神宮寺と呼ばれ、
その中でも強い権限を持ったのが別当寺である。
「廃仏毀釈」はその長い恨みが明治維新の際に爆発したもので、仏像や寺が焼かれた。

川崎大師や品川寺のように東京湾沿岸に漂着仏と言うのが多いのは、
恨みをかった寺の仏像が海に投げ捨てられて漂流した物だと思う。
ここ八坂神社の須佐之男命の仏像は逆に神社の木造の神が仏教徒に捨てられたのかもしれない。

すこし奥に行くと


歴史の先生は、歴史には詳しくても経済には疎いので信じてくれないが、
鎌倉時代が成立する際には頼朝達は宋との貿易を必死に考えていたような気がする。
それ以前には平清盛が宋との貿易で利益を上げており、平家の財力の源になっていた。
源氏もそれを見て、同じように宋との貿易を試みた。
源実朝はNHK大河ドラマの鎌倉殿の13人を見ていると、
中国の技術者を呼んで、中国と貿易可能な大きな船を作ろうとして、
北条家の妨害に有って(三浦が妨害したと言う説もある)、船作りは失敗している。

本当は鎌倉は砂浜なので、大きな船が停泊できる港が作れなかったのだと思う。
比較的大きな船は、金澤の六浦や大船(柏尾川を利用)の港に停まっている。
金沢文庫の金龍禅院の遺跡からは宋銭が出土しており、
僕は金沢八景の弁天島のあの形状は、船が停泊して水揚げできる桟橋だったのだと思っている。

江ノ島は低いとは言え、山なので頂上まで上るのはとても大変である。
でも観光地なのでなんとエスカレーターが有る。
500円とちょっと高い利用料がかかるが、年寄りは文句は言えない。絶対に必要だから。


さすがに500円も取るので、多少は気を使っており、内部は凝っている。
両側はプロジェクター。時間ごとにクラゲになったりイルカになったり面白い。

次は中津宮につく。


何故か「羽衣マーク」が有ったりする。さすがに観光地だなぁと思う。
中津宮からエスカーに続く道には浮世絵がたくさん並ぶ。
全部は載せられないので、一部だけ載せる。


岩屋は江ノ島の西側に有るので、本当は富士山は背後になるような気がするが、
なんせデフォルメがな浮世絵なので、工夫してねじまげて富士山を構図に入れている。
歌川広重って商売上手!

エスカーを降りると頂上の広場に出る。もうお客さんでいっぱい!
奥の方に有名な江ノ島のタワー=江の島シーキャンドルが有る。
避雷針まで含めた高さは59.8m(標高119.6m)もある。
シーキャンドルとはうまい命名で、確かに下が細く上が太くなっており、
上の方はガラス張りの展望フロアになっている。でも高いので登らない。

ここから奥津宮に向かう。
途中に一遍上人の島井戸や山ふたつ、群猿奉賽像庚申塔が有る。
島なのに、さすがに霊験あらたかな一遍上人である。島人の為に井戸を掘りあてたんだ。


山ふたつは江ノ島の「くびれ部」


写真では分かり辛いが、ほとんど絶壁。
その谷底に木食上人の行場窟と呼ばれる洞窟が有り、
上人が修行した場所で石造阿弥陀如来像がある。

群猿奉賽像庚申塔


いつも思うのだけれども何故庚申塔に「お猿さんの山王神」なのか分からない。
山王神は元は日本古来の神で大山祇の神のはずであり、
仏教それも庚申伝説とは関係ないはずだし?
何で?

そうこうしているうちに奥津宮につく。
入口の鳥居は源頼朝の寄進したものらしい。


奥津宮。


本当は中に入れたら八方睨みの亀の天井画が見られるはずなんだけれども、個人では無理。
そばには亀石も有る。


亀石は奈良の石舞台古墳の近くにも有るけれど、完全に日本の神様の石。
まぁでもこの亀石は奈良の物とは由来が違うらしい。
僕は三女神が傍に有るので、本当は江戸時代よりも以前からここに有って、
三女神と縁が深いのじゃないかと思っている。

奥津宮の奥には龍宮が有る。


「りゅうぐう」ではない。「わだつみのみや」である。
江ノ島の由来となった伝説を載せる。


下の方が江ノ島の由来となった伝説で、上の方は北条時政の伝説である。
北条氏の紋、ミツウロコはこの北条時政の伝説に基づいている。

わの会はここまでで終わったらしいのだけれども、僕はせっかく来たのでさらに先に進む。
龍宮の鳥居の反対側の坂を上ると江の島龍野ヶ丘自然公園が有る。


公園にはカップルがたくさん訪れる。
上の写真の龍恋の鐘があるからである。
周囲にはカップルが結び付けた「鍵」がたくさん有る。
カギを結び付けたカップルは分れないらしい。

龍宮の先に進むと「も組鳥居」が有る。


弁天様は水の神なので、火除けに御利益が有ったらしい。

この先には「江ノ島岩屋」が有り、僕も九州から関東に来て48年になるけれども初めて行く。
岩屋の入口は海に面していて、昔は岩を伝って海辺をたどらないと行けなかったので、
潮の引いた時間限定で、しかも足場が悪くて行けなかったのである。
でも今は橋が作られていて行ける。
でも岩屋への登り降りはとても急な階段で、わの会が行かなかったのは正解だと思う。
僕も帰りは頭がくらくらした。


僕が初めて東京に来た時は、浮世絵のような状況だったのだと思う。

料金を払って中に入る。
入口付近には色々な説明が書いてあり、その中の「どのようにして江ノ島ができたか」を載せる。


上の方が岩屋の生成過程で、下の方が江ノ島のできた状況の説明。
えー!江ノ島ってできてたった7~8万年なの?若いじゃん!
岩屋の案内図を載せる。


昔は左の「岩屋橋」が無かったので、海岸沿いの岩棚を入口まで歩いた。
すると中央から右の下の入口には潮が満ちると足元まで海水が来ると言う感じだった。
なので潮の引いている時間帯しか入れず、岩棚は滑るので非常に危険だった。
しかも奥津宮からは、ものすごく急な道(階段)を下るので大変だった。
帰りは階段はものすごく急だったし。

岩屋は第一岩屋と第二岩屋が有る。
まずは第一岩屋。
中に入ると洞窟なので当然真っ暗なのだが、今は入口から半分くらいは照明完備。
しかも奥の方も照明は無いが、途中でロウソクを貸してくれる。
結構明るくてある程度フラッシュ無しでも写真が撮れる。
フラッシュは禁止。
洞窟は元々お祈りをする場所なので、両側には仏様が有る。


江ノ島は弁天様を祀る島なので、当然下の写真のように宇賀福神も並んでいる。
宇賀福神は宇賀神ともよばれて、本来は身体は蛇で頭が人間の神様。
古事記や日本書紀に出てくる食物の神様の「宇迦之御魂神」と同一神なのだから、
仏教の神様ではなく、日本古来の神様なのだが観光地なので仕方ない。
でもここの宇賀福神ってもろに蛇で、人間の要素が全くない。

穴は途中で2手に分かれて左側は富士の氷穴につながると言う伝説の穴が有る。


もちろん、相当に距離が有るので本当につながっているとは信じがたいが、
ただ江ノ島のできた原理、つまり元は海の底で葉山層ができ、
そこが隆起して島になったと言うのを考えると、
隆起した原因である地殻の変動が富士山の活動に関係しているのならば、
めくれた葉山層のすき間が、この穴の成立原因である可能性が有り、
その場合、めくれたすき間は富士山につながっていてもおかしくはない。
例えば横須賀の走水の湧き水が富士山の伏流水であると言う話と同じだからである。
つまり葉山層の範囲がどこまであって地殻変動が富士山の活動にリンクしているかが大事である。
地学的には可能性は有る話だと思う。

ちなみに手前の日蓮上人の寝姿と言うのは観光地だから。

いったん分かれ道まで戻って右側の奥に進むと、ここは江ノ島神社の発祥の地だそうだ。


うーん。社殿の様式が比較的新しい。
少なくとも鎌倉時代以降の形式だな。
そして狛犬が金沢区の手子神社と同じで、子供の狛犬を抱えている。
普通の神社の狛犬は天邪鬼を踏んづけているのが普通なので、
関東の特色だな。
(手子神社の狛犬はここの真似だな。手子神社には宇賀神も有るし。)

第一岩屋はここまでで、一度入口付近まで戻って第二岩屋に向かう。
洞窟なので特に変わったものは無いのだが、
第二岩屋の最奥部には遊び心が有る。
真っ暗なのだけれども、少しだけ照明が有って、実は暗いのには訳が有る。
奥で手を叩くと龍が出現する。


子供さん達は大喜びするんじゃないかな。
観光地だなぁ。

帰りは大変だったけれども、なんとか階段を登って江ノ島頂上部までたどり着き、
冷たいコーラを飲みながら弁天橋まで降りて行った。

一人だけなのは寂しかったけれども、わの会のみんなと同じルートを行けて良かったな。






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最終更新日  May 18, 2026 12:18:36 PM
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