~LAIF~ Is it happy only to be able to live today?

~LAIF~ Is it happy only to be able to live today?

生と死 -冒険-

人生で最後の死闘

このスレを立てたには、いくつか理由がある。

 一つは、最近出た数々の歌の中から出会ったある曲を聴いて思ったこと。

 もう一つは、生きている上で、いつかは考える時期が来るという事。

 そして、自分自身の生きる上での課題。

 人は生きている。生きていればいつか死に逝く生き物。生物

 切実な話 人は必ず死ぬという事。

 では、死ぬより、生きるということって一体何?

 僕等が生まれる前、二人が出会い 愛を輝かせ、そこに出来た一つ
 一つ散らばっている小さな星達が、僕たち一人一人。

 生命の誕生は、本当に奇跡だと思う。

 人間が、人間を作るのだから・・・・・・

 そして、母体に作られた小さな星が、排出され
 外の世界へと生を受ける。

 『おぎゃ、おぎゃー』

 嬉しいような、悲しいような、よく分からない泣き声を発しながら

 人はなぜ、泣きながら生まれてくるのだろう・・・・

 そんな事は、もう分かっているはず。

 最初は皆、泣く事しか出来ないのだ。

 そうする事によって、自分の意見をまだ小さな体で表現しているのだ。

 最初は皆、臆病すぎるほど臆病だった。

 泣き虫で、お腹がすくとすぐ泣く、オムツが濡れると泣く

 ちょっと不安になると泣く・・・・・

 でも、誰かに抱かれていると満たされて、泣くのを我慢した。

 優しい父や母、または親戚や兄弟に抱かれる事によって・・・・・

 そうして少しずつ学んでいった。

 笑い方・手を使った表現の仕方。言語・立つ事・・・・・

 学ぶ事により、喜びを得るときもあったはず・・・・・

 テーブルの上にあった水等をこぼしても何も言わなかった。

 生まれたばかりの僕等は、全く分からなかったから・・・・・

 そうしながら時は経過していった。

 一年、一年、また一年と経つごとに色んな事を覚えると同時に

 自我が目覚め始めた。

 自分は~なんだ・自分は~じゃないとイヤだ!!・お前は~だろ?

 だとかいう、わがままさや、相手を思ったり、批難する心も出てきたり

 言葉や行動を知る事により、かつて許された事が逆になってくる。

 赤子の時は、全てが自分の思い通りになると思っていた。

 少しづつ変わっていく何かを、見る事に汚れを知っていった。

 さて、このあたりで話を戻すとして、かくかくじかじかあり

 ついこの間まで子供と呼ばれていた人が、続々と大人という

 世界に入っていく。当たり前だよね、人はいつか変わらないといけない

 いつまでも、子供、子供な考え方ではいられない。

 それこそ、『ピーターパン』

 大人になりたくないから、外の世界を見ようとせず

 いつまでも自分の世界(ネバー・ランド)に居続ける。

 こういう事を『ピーターパン症候群』だとか呼ぶけど

 簡単に言うと、そんな人の考え方を、そう分類つけるのだろう。

 なんだか、すぐ病気っぽい感じに捉えてしまう世の中がどうかとも

 思えてくるけどね・・・・・・。

 まぁ、誰だって思うはず、子供の頃のほうが良かったとか、

 子供のままで居たいとか。

 でも当たり前だけど、歳や老けだけは誤魔化せられない。

 人は必ず生を受け、死に少しずつ向かって行くのだから・・・・

 そのためには現実を受け止めるしかない。

 例え、それが辛く残酷なモノだとしても・・・・・

 僕等を生んだ親達は、自分らより先に逝く。

 切実な話、世代交代の時が迫ってくる。歳をとるにつれて。

 親達はいつまでも居てくれない。

 なぜなら親も同じ人間として、生を受け、死に向かう同じ人だから。

 親たちも、自分らの見えない所で、必死で考えてる事だと思う。

 何について?

 死について・・・・・

 人は人生や歳の節目に近づいてくると、こんな事思うみたいだ。

 良い死に方をしたい。自分がとにかくしたい事をして安らかに眠る事を

 その為に、逝く時まで自分はどうしたら良いのかとか。

 もちろん、我が子の将来や、自分らが死んだ後の事もね。

 いつのまにかに。まだ全然健康なのに少しづつ考えていく。

 自分は生まれてきて、物心ついた時からずっと考えていた。

 人は、いつか死ぬけど、死ぬまでどう思いながら生きていくのかを

 正に、今この事だと実感できた様な気がする。

 親世代には、親世代なりの生き方や、人生の物語があった。

 あまり、ゲームの様な考え方は良くないと言うけど

 人生はロールプレイングゲームかもしれない。

 生を受けた時は、レベル1

 そこから色んな事を学び、呪文を覚えていく。

 例えば、負けるな! 勝つんだ! とかね。

 数々の物事や友達との出会い・経験による、レベルアップ!!

 ダメージを受けながら、一日一日過ごしていく。

 家に帰れば、体力は回復。

 そして、また冒険。

 レベルはかなり上がった。

 でもあがる事につれ、旅を続ける事につれ、大切な人との出会い、
 辛い別れ等も増えてくる。

 友達との別れだったり、親との世代交代の時

 人は、一人それぞれが小さな勇者。ここでは一人で旅をする。

 経験を重ねるごとに、大きな勇者になっていく。

 自分を諦めさそうとする中ボスを打倒しながら・・・・・

 そして最終的にたどり着くのが、最後のボス

 大きな闇の世界深くに君臨する、大魔王がいる。

 そいつは、自分を諦めさせる以上、自分を殺す事までも企んでいる

 旅で倒してきた数々の悪の強敵にして最も邪悪を秘めた悪の存在。

 でも、それは、もう一人のあなた。つまり自分自身。

 なぜ、そいつがラストボスなのか?

 人は生きることにつれ、良い事を学ぶと同時に自分の弱さも一緒に
 学んでしまう。

 旅をする人は、必ず後悔はするものだ。経験を積む事に現実を知り
 時に我を失う時がある。その時、自分の心の隅に弱さというものが
 生まれてしまう。

 それがたまると、自分と正反対の悪の自分が形となって現れる。

 そして、悪の自分が純粋な心を壊そうと日々、あなたに損害を齎す。

 最終的に何が言いたいか。

 最後の敵は、最初からすぐ身近に居たのだ。
 それに気付かず、主人公である自分は弱さを内に秘めてしまった。
 そのせいで、自分の闇が外の世界へと分裂を起こしてしまった。

       ・・・・・このままでは、殺られる・・・・・
 《さぁ、お前の力はそこまでか、長い人生での旅の成果がこんな様か?》    
悪の自分が純粋な主人公の心まで、奪おうとしている。
   《所詮は、てめぇの弱さには勝てないよなぁ、自分だもんな??》
《そこまでだ、そろそろお前の心も全て消してやる!!
           ------------そして、俺は俺で生き続ける!!》


  正義を貫く勇者より、悪の主義者は明らかにずる賢く強い。
  だって、悪い事って簡単にできるでしょ、何気に・・・・

  でも、悪の主義者には唯一持ってない力というのがある。
  『優しさ』『前向きな直向』『プラスな心』

 純粋な主人公は最後の力を振り絞り、鞘から剣を抜いた。

 ・・・・悪の自分に通用するには、自分自身でソレを断つしかない。・・・・
    ・・・・・例え、自分の生命と引き換えになっても・・・・・ 

  結局は最後、自分の力で弱さを克服するしか他ならない。
  この世に生を受けた以上、自分自身と戦うしかない。
  弱い自分が居るのに、何もソレに対向しないまま生きて
  死ぬより、どっちがカッコいいだろう?

  どうせだったら、弱い自分と最後まで戦って死ぬ。























© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: