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昨日自分なりの方程式が解けた。よくこの場で空気を読むということに関して意見しているが、やっぱり空気を読むことを重視するのは良くないということだ。さて俺は今回どのような答えが出たのだろうか。空気を読むことと人に迷惑をかけることは異なるということだ。空気を読まない=迷惑のような構図になっていると思う。しかしながらこれはイコールの関係ではないと思える。空気を読んで自分を抑えて表現しない方がよっぽど迷惑である。要は、場を乱すことがなければ、自分も乱されることはない。そう、それは最大の守りだったのだ。クソくだらねえな。結局は、相手に合わせるとか、雰囲気に身を任せるとか、自分自身かわいくてかわいくて、そして無責任。自分で責任を負わないための防御であった。そんなんで日本人大丈夫なのか?いや必ずつぶされるだろう。自ずと潰れていくだろう。自分が大切なのはもちろんのこと。可愛がってあげたっていいさ。自分がかわいいんだったら自分を旅させよ。可愛い自分を旅させるのだ。それがまた新たな自分となり、自信となる。これが空気を読む世界からの脱却。他人に身を任せる世界なんか、他人によってどうにでも変えられる。それは他人の世界だから。お前の世界じゃないから。空気を読むといううことは、日本崩壊中の一つの目印である。経済が崩れ、人間が崩れ、一体この日本に何が残るのだろうか。あなたはどう残るのだろうか。
2010.04.18
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俺はエコなんざ興味はないし、考える必要はないと考えている。エコだエコだと世の中は歌い、一種の錯覚を産みだす。このエコを経済刺激の一つだと言えばまたこれも悪いことではないだろう。俺が心配していることは、エコが若者の希望を奪ってしまう危険性があることだ。例えば、小さいころからうちは貧乏だから貧乏だから我慢しなさい。なんてこと言われて制限されたら、きっとやりたいこともできない。まあ、人によってはグレれしまうだろう。小さいころからする我慢というのは後々大人になって反動となって好き勝手にやりたくなってしまうものだ。俺も実際、実家にいたころは親にうるさくは言われなかったが、そことなく、制限はあった。この時間には家に帰ろう、心配掛けないようにしよう・・・今考えるといろいろ考えたものだ。おかげさまで、今は好き勝手にやっている。もちろん親の感謝も忘れずに。要は、エコはこの反動が起こりうると俺は危惧しているわけだ。将来は温暖化する、ん~、エコかぁ、希望もねえなあそんなことも考えるやつらがいるだろう。若い時から希望もクソもねえ、そう考えてるやつもいるだろう。エコが失望を産みだすのだ。地球の環境を守る前に、市民の環境を守ることの方が大切だ。環境を守るがゆえに環境が崩れてしまう。。。今を生きる我々にとって、何が一番大切なのだろう。それは俺たち自身であろう。エコが我々の価値観を揺るがし、目線は地球へ。もっと自分自身を見つめても悪いことではないだろう。人々の心が廃れてきている今だからこそ。自分をもっと甘やかすといい。誰かに甘えてもいい。エコが日本人の心の貧しさに拍車をかけてしまわないだろうか。世の中に振り回されず、己を信じて生きる人間こそ今を生き残れる人間なのさ。
2010.04.18
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最近、親によって殺されてしまう乳児や児童があまりにも多すぎる。何なんだよこいつら!!!俺は本当に悲しい。。。せっかく授かった命、生まれた命。誰ひとり粗末になどしてはならない。誰ひとりだ。なぜこんなに利己的で自己中心的な親が増えてきてしまっているのか。。。理由は明白。責任の取り方を知らないから。ガキがガキを作れば当然のことであろう。ガキなんだから自分の思うように好き勝手やって当然だろう。しかし、それはガキだから許されること。いや、人殺しなんか許されるわけがない。子どもはお前らのおもちゃでも言いなりになるロボットでもないんだよ!!!あるときは、飯を与えずに殺し、またあるときは、産んだその日に置き去り、またあるときには暴行を加え殺してしまう。そりゃ親には力で勝てねえよ。子どもだ。親はなあ、子どもに倒されるまでいっちょ前に育て上げるもんなんだよ。いま、これを見てるキミも、そして俺も立派に育てられてきた。俺はもちろんここまで育ててもらって感謝してる。しきれないほどに。その感謝の気持ちは、将来生まれてくるであろう自分の子供に伝えてあげたい。自分がもらった幸福を何倍にもしてもっと幸せにしてあげたい。俺は常々そう思っている。もちろんそれぞれの思いがある。どれが正しくてどれが間違いなどない。ただ、自分が得た憎しみだけは、自分の中にしまいこんでおくことが大切だろう。きっと子どももわかってくれる日がくる。憎悪は憎悪で返してはいけない。憎悪は何者にも返ることができない。辛いものは辛いのだ。ならば、こいつにはそんな思いはさせたくない。それが自然なことなのに。。。心の貧しい人間が増えることは、俺が以前から恐怖に感じていること。それは、今の学習院初等科の問題を見ても明らか。本当に日本は崩壊していくのだろうか。命の大切さ、相手へのいたわりの心もわからない人間が増えている。そんなお前は何を大切にしているのだろうか。。。。。
2010.03.11
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さて、今国会では謀議員のカネの問題追及でやかましい。裏金だ献金だまったくクリーンじゃないね。でもね、そんなのどうでもいいんだよ今は。確かに、追求することって大事なことだと思うんだ~しかしそんな無駄な時間使ってる暇があるのか?今日、明日の生活に不安がってる人たくさんいる。俺だって不安。自民党もバカだよねこんな時に素直に国民のために国会をスムーズに進めりゃあいいのに・・・。なんでこんな簡単なことができない。。。きっと支持率も上がるだろうに。。。愚かすぎるホント・・・民主党もバカだし自民党もバカだし誰も庶民感覚なんかないんだ・・・・危機感あったらこんなのんきなことはできない。ホント、日本人辞めたくなる。こんなに思いやりのない国だったかな・・・・あ~おもしろくないおもしろくない。さっさと景気対策の話を進めろ。もうね、子供手当だろうと高速道路無料化とか正直必要ないけどね・・・早く進めることが大事なの。私たちのことを第一に考えなさい。結論から言えば、安定した額の収入さえあればこんな景気対策無駄なのよ。だから~みんながどうすれば定職につけるか考えればいいの~。焦点ズレズレで見てらんない。俺は、とりあえず世の流れが良くなろうと悪くなろうとどちらでもいいから、とにかく閉塞感がないこと願い民主党に票を入れてみた。ん~、ふたを開けてみると悪いことだらけだった。ただ、敗北した自民党がバカで足を引っ張りっぱなしで。余計に悪循環。また総理が変わるのかな・・・・俺は変えちゃだめだと考える。これ以上各国からの信頼感を失っていはいけない。日本ぐらいなんだよこんなにコロコロ変えるのは・・・視聴率が悪いから司会者変えてみようとか・・・そんな簡単なことは国をあげてやらないで。取り残されていく日本。さあ、みんなどうする?俺は正直この国を出て行きたくなる今日この頃。
2010.01.24
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私の友よなぜいつも笑顔なのか私の友よなぜそんなに惜しげもなく話してくれるのか私はうなずくことしかできないなんて私は平和なのだろうかと友よ、なぜお前だけ なぜお前だけこれが俺の宿命だからとこれが俺の人生だからとこれが俺だからと今にも崩れてしまいそうな体目の奥に移る 悲しみ、苦しみ、そして絶望私に何ができる私はただ悲しくて涙がこぼれてしまいそうでその時が来るのを黙って待っていろとその時が来てしまったら、もしその時が来てしまったら私とお前が永遠に引き裂かれてしまいそうで俺、なんか怖いんだよ
2009.07.30
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かなり久しぶりにここでキーボードを叩いている。この間に俺はいったい何をしてきたのだろうか。何か自分の糧となったものはあるのだろうか。答えはあの時と全く変わらないただただフラットな道を歩いてきた。そうなにもしていない。いや・・・できない。なぜだろう。なぜ俺はこんな弱い人間になったのだろうか。特に最近は無性にさみしくなる。何か心にぽっかりと穴があいているようで。その中にはさみしさが詰まっているような気がする。考えてみれば俺も20歳になった。この間初めて選挙にも言ってきた。日に日に周りからすれば大人という枠組みでカウントされるようになったのだ。しかしどうだろう。俺なんかまだまだガキだ。体はおかげさまでここまで大きくなれた。みんなのおかげで多くの人間とかかわることができた。でも俺はいつも指をくわえてうらやましそうに見ているだけ。自分が主役になるのが怖かった。今でも怖い。友達に「すごね~かっこいい」とか言ってる自分をぶん殴ってやりたい。だって俺何もしてないじゃん。そんな俺は他人を評価していいのか。結局この20年間ろくなことしてこなかった。そのツケがなぜかさみしさとして襲ってきた。彼女はできるのか、結婚はできるのか。どうやらそんなことも言ってられないようだ。そんなことよりやらなきゃいけない何かがあるはず。。。。でも、わからない。わからない・・・ガッツく勇気もわいてこない。ホントは俺だってっていつも思ってる。その一歩が怖いだけ。ある人に、自分のできることを紙に書いてごらんと言われた。実際に書いたわけではないが、俺は片手で足りるぐらいのことしかできないだろう。いや、何もできないが正しい答えだ。欲求不満(性的な意味ではなく)になる以前に欲求が湧いてこない。いつの間にか重症になってしまったのかな。このツケをどう払うのか。もう少し考えることにしてみる。
2009.07.01
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とあるニュースで、満員の電車内でゲームをしていた男性(21歳)に対しておばさんがゲームをやめろと注意をしたそうだ。その男はこのおばさんに腹をたて顔を殴りあごの骨を折る重傷を負わせたようだ。まず整理しておきたいことは、おばさんの行動は正しい。おばさんの行動は正義ある行動である。お互いが疎遠になっている現代においてこのような方がいるのはありがたい。そしてこの疎遠になった現代のなかで自分だけの空間に入り込んで周りが見えなくなっているのがこの男だ。この男は21歳にもなってなぜにこんなにゲームに固執するのだろう?日本人の精神年齢の低下であろうか?この前話したような横着が便利に変わり怠惰を産むという典型的なパターンであろう。便利になったから怠惰が産まれる。確かに通勤時間の時間つぶしにやるのは大いに結構。好きにすればいい。しかしながら限度というものがある。自分のことしか考えられないこの男の様な人間、腐ってる。機械に己の心を奪われ理性なんかありゃしない。バカか。。。。。。。それなら便利なものなんていらない。心が貧しくなるなら必要ない。人間として生きる限り、人としての心は忘れてほしくない。またゲームによって感情が揺さぶられることもある。中には絶叫する人間もいるであろう。だが、冷静になって考えてみよう。それは機械に感情を揺さぶられるだけなのだ。機械に振り回されているだけなのだ。実に恐ろしい。その虜になって気がついたら今回のような問題にまでなるのだろう。人間が楽しむために人間が作り出したゲーム。その結果は悲しいものだったのであろうか。。。。俺もゲームはやるし、その面白さもわかっている。でもさすがに電車内でまでやりたいとは思わない。電車に乗れば確かに子供たちがゲームをしながら乗ってくる光景を見る。最近は多い。それだけではない。立派な大人までゲームをしながら乗ってくる始末だ。。。なんだか見ていると哀しく思えた。大の大人が。。。。。。。。DSやPSP、携帯、ホントに気軽にどこでもできるようになった。それと同時に人としての在り方も再認識しなければならない。そのまま流れに流されっぱなしでは日本は絶対腐る。これを負の連鎖にしないために今、今、改めなければならない。今度は怪我では済まないかもしれない。それを考えると恐ろしい。
2009.03.26
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さて、早いところではすでにばら撒かれ始められている定額給付金。このバラ撒きの成果だろうか、小沢のゴタゴタのせいだろうか麻生支持が微増しているようだ。まぁ定額給付金に喜んで支持に回るというのは麻生の思うつぼだ。そんなんで軽々しく心踊らされる日本国民もどうかと思う。今回のばら撒きはあくまでも「経済刺激」の一環に過ぎない。すなわち、日本の経済、利益云々しか考えていないアホくさいバラ撒きなのだ。これが国民への「生活支援」であったらまだ温かみのあるバラ撒きだったのだ。俺個人としてはこちらの方が気持よく受け取れる。誰がどのように使おうと自由である。生活の苦しい今頑張っている方々には特に有効に使っていただきたい。ちなみに俺個人は手をつけるつもりはない。ただうちの家族単位で何かしらの形おそらく生活費で消費されると思う。俺個人がこんな1万2000円を使おうとは思わない。だったら日ごろの生活費の足しにしてもらえれば俺はそれのほうがいい。苦しい人はもっと苦しいのだ。俺なんかがふんぞり返って使うような代物ではない。派遣や雇用問題、就職の氷河期再来と命にかかわってくる問題が山積みである。国会がこうやってグズグズしている間にも苦しくて自殺をしてしまった方、お金がなくて飢餓により亡くなってしまった方がいる。これは国が殺したと言っても過言では無いと俺は思っている。必死に人間が一日一日生きようとしているのに、早急な対策を取らない。早くしてほしいのにお互いに上げ足を取っている。中川問題だって未然に防げたはずだ。これがさらに長引かせた。俺ははらわたが煮え繰り返る思いで日々のこれらのニュースを見ていた。なんなんだこの腐った国は?俺は理解に苦しむ。早く助けてあげてほしかった。。。。。命を救って欲しかった。。。。。今の日本、仕事をしたくてもできない人がいる。勉強したくてもできない人がいる。それでも必死に毎日生き抜いている。それの思い、届かないのだろうか。。。。。アピールすべき人がアピールできない。だから俺はアピールする。俺が代弁でもなんでもしなきゃいけない。今のおれはお陰様で毎日普通に暮らすことが出来ている。しかしこれはたまたまにすぎない。申し訳なく思うこともある。でも後ろめたい思いだけでは失礼だ。だから俺は発言するのだ。日本は根本的には貧困でもなんでもない裕福な国なのだ。世界水準でみたらなんて贅沢な国なのかと思う。ただ今までが裕福だったからこの不況を素直に受け入れられないのだ。100年に一度の大不況と言われても俺たちの生活水準は今までと変わることはない。変わってしまったのはその人間の心なのだ。
2009.03.09
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よくあることに対し固執していると横着するなと言われたものだ。でも最近は便利になったもので横着していたことが許されてきている。例えば、携帯電話。普段は携帯電話として使いたいけどテレビも見れたら便利だなぁ。実現してなかった時はそう思っていた人も少なくないだろう。当時からすればそんなの横着するなと言えたであろう。テレビはテレビ。家で見れば良いのだ。まあ、横着と言わず綺麗に願望とでも言っておこうか。しかしながら企業というのもまたすごいものでこれをいともたやすく実現させてしまう。実現してしまうとそれは横着ではなくなってしまうのだ。それが便利だと利便性が評価され人々のステータスとなるのだ。だから今となっては不自由もなく願望がたやすく満たされていしまうのだ。願望がたやすく。。。。。なんか悲しいな。便利になることだけが良いことなのか考えさせられてしまう。便利になって効率が良くなる。効率を高めるべきもの、そうではないものとあると思う。ただただ利便性だけを求めていけば人間みなダメになる。だから夢なんて語らなくてもいい、いや語ることのできない世の中なのかもしれない。携帯電話で言えば、企業が勝手に望みをかなえてくれる。だからたやすく望みがかなう。そんな世の中に洗脳されるのも馬鹿馬鹿しい。でも便利になるというのは一種の麻薬なのかもしれない。決して後ろには戻ることができない。やめたくてもやめられない。新しいもの新しいものに変えたくなる。今は大不況によりその連鎖は鈍くなっているが。それでもなお世の中は新しいものを産出していく。誰かがやってくれるだろう、誰かに任さればいい。他力本願、責任転嫁な日本人がよく表れている。もっとも俺自身も新商品には弱い。俺も便利という麻薬に侵されているのかもしれない、洗脳されているのかもしれない。ただ俺はいつも客観的に視点を置く。主観的に置いていたらどっぷりつかるだけだ。それこそ今の世の中の思うつぼだ。ちょっと苦しい弁解か。。。今度はどんな横着が素敵な便利になり人間のステータスとなっていくのだろうか。なんか人間がモノの一部にあるように思えてしょうがない。
2009.03.02
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地球温暖化や大気汚染などの環境問題がきっかけで日本はすっかり「エコ」というもののブームになってしまった。しかし結局のところエコとは何なのだろうか?スーパーの袋をエコバックにすること?燃費のいい環境にやさしい車に乗ること?それともエアコンの温度を最低限の温度にすること?おそらく今エコと言われているものはこのような事柄のことであろう。でも俺は本当のエコとはこんなことではないと思う。俺の思うエコ、ポイ捨てをしないこと水や電気を無駄に使わないこと。余分な食料は買わない、食べ物を残さない。つまり浪費をしないことだろう。結局今言われているエコとやらには金がかかる。エコバックも買わなければいけない。車だって買い替えなければいけない。エコグッズだか何だか知らないが、なぜか地球のことを考えることがビジネスになっているようだ。要は金もうけなんだ。エコって。。。。。。なんかその辺はき違えているようにしか思えない。今の政府となんら変わらない。無駄にならないようにする、無駄をなくすことこれが大切なのに。。。エコは金で解決できるもんじゃない。良心で解決するものだ。それと一緒で金をばら撒けば解決することではない。政府と国民真正面心と心がぶつかり合ってはじめて解決するのだ。だからエコ活動なんてのはその人の心次第。こんなことは当たり前だがゴミはゴミ箱。道端ではない。飯は自分の食べられる量を食べる。俺からすればたったそれだけのこと。これだけで街はクリーンになり、ゴミの量も減少するであろう。日本という平和ボケの先進国は発展途上国から食料をかき集めるくせにそれがゴミになる。なんなんだこの実態。申し訳ない。。。。。心が痛い。だから俺は無駄にはしない。米も最後の一粒までおいしくいただく。感謝の心があれば粗末になんかできるわけもないのだが。平和ボケすると感謝の念というやつを忘れてしまうらしい。だから俺は地球の環境なんか気にしない。だって当たり前のことを当たり前にしていれば環境破壊になんかならないから。地球温暖化と一口に言ってもそれは人間による二酸化炭素によるものから温暖化に直結するなんてただの説でしかない。真実とは限らないのだ。個人的には太陽の活動期説の方が真実味があるように思える。あまり宇宙には詳しくないが、この間太陽の黒点が何日も現れなかったなど異常があったのも事実。断わっておきたいがこれはあくまでもそれぞれ説である。どれを信じるか、信じないか個人の自由である。だからと言って環境に悪いことをしていいわけではない。「エコ」とは人間ひとりひとりが意識し合って常識のことをすることであろう。それが浪費を減らすこと、街からゴミが消えることである。深く考えることなんかない。ただこれを金儲けにしているということにはいささか腹が立つ。
2009.02.11
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昨日自分なりの方程式が解けた。よくこの場で空気を読むということに関して意見しているが、やっぱり空気を読むことを重視するのは良くないということだ。さて俺は今回どのような答えが出たのだろうか。空気を読むことと人に迷惑をかけることは異なるということだ。空気を読まない=迷惑のような構図になっていると思う。しかしながらこれはイコールの関係ではないと思える。空気を読んで自分を抑えて表現しない方がよっぽど迷惑である。要は、場を乱すことがなければ、自分も乱されることはない。そう、それは最大の守りだったのだ。クソくだらねえな。結局は、相手に合わせるとか、雰囲気に身を任せるとか、自分自身かわいくてかわいくて、そして無責任。自分で責任を負わないための防御であった。そんなんで日本人大丈夫なのか?いや必ずつぶされるだろう。自ずと潰れていくだろう。自分が大切なのはもちろんのこと。可愛がってあげたっていいさ。自分がかわいいんだったら自分を旅させよ。可愛い自分を旅させるのだ。それがまた新たな自分となり、自信となる。これが空気を読む世界からの脱却。他人に身を任せる世界なんか、他人によってどうにでも変えられる。それは他人の世界だから。お前の世界じゃないから。空気を読むといううことは、日本崩壊中の一つの目印である。経済が崩れ、人間が崩れ、一体この日本に何が残るのだろうか。あなたはどう残るのだろうか。
2009.02.01
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最近俺は思う。日本人って見た目ばかり気にし過ぎではないだろうか?ファッションもヘアースタイルもこだわるのはいいことだ。自分磨きというのも大切なことであると思う。俺は別に見た目はこだわらないし髪をいじるのもめんどくさいと思ってしまう性分なので何とも言い難いのだが。。。。別にかっこよかったりかわいかったりすることをひがんでいるわけではないのだが。。。野菜で例えた話なら、歪な形のキュウリよりきれいな形のキュウリを選んで買うだろう。まあ今は技術が進歩しているからそう悪いものはないのかもしれない。仮に悪いものがあっても出荷はしないだろうし。これって最近の日本人にも当てはまるのかなと思う。初対面のファーストコンタクト、やっぱり見た目から入ると思う。正直俺はそうだ。結局最後に残るのは見た目なんて関係なくフィーリングの合う仲間のだが。結論は見た目じゃないというのは誰だってわかってる。でもなんか今の日本って見た目。とある一国のトップはスーパーやハローワークに出向くや否や明らかに庶民とはかけ離れた言動で我々を驚かせてくれる。これは言わずもがな見た目を気にしてのことだろう。一般的に彼はお坊ちゃまだのボンボンだのとしか思われていない。それを払しょくしたかったのだろう。結局裏目に出るだけだったのだ。他国はどうなのだろうか。他国、仮に欧米諸国だったら、彼らは非常に自分をまず尊重する。それは服装にもヘアースタイルにも表れている。もちろんすごくこだわる人間もいるが基本自分の好きなようにそれぞれがしている。外国から見た日本人はみんなすごいおしゃれだとか種類があるだとか目まぐるしく変わる日本の流行にはついていけないようだ。自分を尊重できれば自然と相手も尊重できる。ホームステイで外国の家庭でお世話になったことがあるが、彼らの言うことは本心を直球でしか投げてこない。受け取る側としてはこれほど気持ちの良いことはない。しかしながら日本人は自分の内で考えてああでもないこうでもないと推測してから回りくどい変化球を好む。文化の違いが大きいのはもちろんだが、欧米から見た日本、個人的には窮屈だ。はっきり言ってめんどくさい。日本人ほどめんどくさのはないのではないかと思う。日本人のなかでも直球で表現する人間はいる。最近増えてきたのかなとも感じるが、質が異なる。日本人はただ言いたいことをバーっというだけでそこに何かが残るのかといったら残らない。欧米の人の言葉はそれが本心だから一つ一つが心に残る。別に欧米文化の勧めとかではないが、変化球は日本古来の奥ゆかしさから来ているのも重々承知の上だ。ただ最近はその変化球が悪い方向に転じてきているのではないかなと思う。日本はたくさんの欧米文化がモノだったり見えないものだったり流れ込んでいる。だったら思想もといいたいのだがなかなかそうもいかないものだ。ネットの中傷が原因で自殺、見た目が悪くていじめられて自殺、結局表面でしか見れてないからくだらないことで自殺してしまうのだ。それは自殺した本人に落ち度があってのことではない。貧しい卑しい汚れた心が大きな原因なのだ。その心が出来上がる原因、それが見た目重視の日本なのだ。見た目と中身はイコールで結ぶことなんか絶対にできない。というよりしてほしくない。時には見た目と一緒で中身もどうしようもない人間もいる。逆に見た目良くても中身空っぽとかどうしようもなやつもいる。でもそれらはほんの一部にしかすぎない。なんでもデジタル化、簡易化される世の中に求められるのは、日々失われつつあるアナログな関係であると俺は思う。お互いが気軽に手を差し伸べあえたほうが良いに決まっている。それは人問わずのことであるし差し伸べあうことはかっこ悪いことなんかではない。ただ今それさえもできない環境というか空気が流れている。俺はこんな空気大っ嫌いだ。空気という概念がそもそも気に食わない。人間と対に関わることができるのは人間しかいないのだから。そんな空気打破してしまえ!
2009.01.20
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2008年も残りわずか。世界では相変わらず血が飛び交っているわけで。。。。非常に悲しいことであります。日本では近年パソコンや携帯電話の普及により大変便利になった。自分も毎日触れているし、学生としても欠かせないものである。しかしそれゆえに人との関わりが希薄となり、事件に発展していくことも珍しいことではなくなってきた。実際に現在の日本の殺人犯罪数は減少しているのだという。しかし年を追うごとに近年は質が悪くなってきているようだ。誰でもよかった。こんな言葉だけで犯人は片づけてしまうのである。最近は勝ち組だ負け組だと明瞭に分かれているわけだはないが他人を見るうえでのものさしの1つとしてあると思う。その典型的なもののひとつが、学歴社会である。ほんのちょっと前までは求職者が企業を選ぶなんて言ったものである。しかしながら現在はそんな余裕は企業側にもない。どの大学を出ていようと切られるものは切られるのだ。自分は常々学歴だけある人間、すなわちただ頭の良い人間はすごいとは思わない。確かに頭に知識は詰め込んであるのかもしれない。そのための努力も欠かさなかっただろう。そうはいっても大麻を吸うだとか、犯罪を起こすだとか、常識から外れたことしてしまえば仮に東大でも価値のない学歴である。それと同時に無駄な時間を使ってしまったことにもなるだろう。自分は頭は良くないので下流大学に通っているが、今の自分を受け入れている。自分も上流~中流大学に行こうと高望をしたものだ。もちろん集まってくる人間も下流ばかりであった。自分はそれも受け入れた。きっと自分もまた下流なのであろう。それよりもその4年間で下流大学で下流な人間と差をつけるかの方が大切である。どうあがいても卒業をしてしまえばもらえるものは同じである。しかしその4年間の質にこだわりを持ちたい。その質が今後の差となっていくことを願うだけだ。まあ、実質東大と並べられたら勝てっこなし、良い企業にも就職できるのかわからない。ただ、こちらが選ぶことさえしなければ仕事はある。見つからなかったら農業でもしようかなとか、海外に移住しようかななど考えてしまう。笑。日本国内の格差は増すばかりだ。今、安心して年を越せない方に対して毎日暖かい家にいる自分は申し訳なくも思える。派遣社員になるのも好きでなっているわけではない。みんな必死に生きようとしている。日本人は弱い者いじめが好きなのだろう。苦しさのスパイラルに入っていしまうとなかなか抜け出すことができない。こうしている間にも凍えている人間は助けを求めている。なぜ政府は早急に実行しないのか!!!!!温室育ちの人間に俺達庶民の何がわかる。わかったような顔をしてんじゃねぇよ。みんなもご存じのように今の日本国のトップはバカ。それは決して漢字が読めないからとかそんな次元の話ではない。迷走に迷走してもうこじれすぎて訳がわからん。ハローワークの視察時の彼の発言には怒りしか感じなかった。彼曰く、仕事はある程度絞り込まなきゃいけないそうだ。かっこいい仕事ほど給料が安いのだそうだ。かっこ悪いと高いのだそうだ。???何言ってんだこいつ。そんなこと言っていられる余裕があるのは日本でも一握りの人間だ。やはり、学歴というのはしっかりとした良識のある人間に初めて価値が生まれるのだ。それをかけ備えた人間は真の高学歴の人間といえる。もちろんそんな学歴なんか関係ないが。いい人はいい人である。人間、心が何よりも大切。学歴や地位・名誉なんて言うのは二の次、三の次。余談であるが先日またも愚かな学生を見つけた。「なんか今度8万くらいの金が配られるみたいだぜ。何に使おうかなぁ。」「マジでぇ!?」こんな会話を耳にした。はじめ聞いた時目をひんむいてしまった。まあ、愚かな会話である。今のおろたな人間というのは金さえ手に入ればどうでもよいのか。その配られる理由や背景なんかお構いなしだ。もちろん仮に給付金が配布された場合、各世帯がどのように使用するかは自由だ。しかしこんな人間にまで配布するならこんな無駄なことはない。所得の少ない世帯や求職者、お年寄りに子育て支援などに限定して配布するのが筋であると思う。しかし政府は該当する人間としない人間を分けるのがめんどくさいから全世帯に配りたいようだ。時間がかかるから~などそんな言葉で政治家は片づけてしまうものだ。こういう時こそ公務員に一般企業のような過度の残業や休日出勤などさせて過労死が出るほど苦しめてやりたいものだ。ちょっと過激な発想かもしれないがただ公務員だからと言ってぬくぬくと働かれても面白くない。官民の差をなくすことが日本の格差を是正することにもつながってくる。話は大幅にそれてしまったが、それだけ給付金の見直しというのは必要である。こんなバカな発想しかしない学生に俺たちの税金が使われるのは阻止したい。ちなみに仮に給付金を配られる場合、一人あたり1万2000円ぐらいとのこと。どこから8万なんという数字が出てきたのか知らないが。。。。恥さらしとはこのことだ。己の恥を知れ!恥というものを!
2008.12.30
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先日、大学の授業で大変おろかな人間と遭遇した。どうもその人間は遅刻をしてきたらしい。おまけに大量の私語。まったく何をしに来ているのだか。当然先生の雷が落ちるわけだが、この年になってこんなくだらないことで怒られているとは。。。まぁ何がいちばん愚かだったというと、授業終了10分前に先生から強制退室を命じられたところだ。こんなにくだらなくて時間を無駄に使うことはないなと思う。無論、欠席扱いになるのだろう。低脳のいいところだ。なぜわからない?なぜわかろうとしない?なんだか最近若年であろうと常識のない人間には嫌気がさす。年なんか関係ない。なんかその場の空気のノリとか、空気さえ読んでおけばなんとかなってしまうという考えの人間が多すぎる。またこれによって何とかなってしまうというからまた厄介なのだ。空気を読む=常識のある人間というわけではない。そんなことだけ気にしていたって所詮そこにできる関係というのは薄っぺらいだけで内容がどこにもない。ノリだけで人生全うできるものなら勝手にやっていればいい。しかしながら、大学生というのは羽目をはずしてなんぼである。社会人になる前の最後の4年間である。かなり時間もある。ある人間は勉強にある人間は部活、サークルにまたある人間は学校と家を行き来するだけ。実に様々な自由な時間の過ごし方ができる。今自分はこの4年間で何をそしてどれだけの収穫があるのかと考えている。正直今自分は目立った活動は何もしていない。というよりできない。やりたくない。でも何がこんなに自分に足かせをかけているのか自分でもわからない。自分の弱さから来ているのは確かなことなのだが。いくつ歳をとっても学校=ストレスのたまる場所という構図が変わっていないのだ。ある部分だけ自分は幼稚なのかもしれない。いや、幼稚なのだ。俺だって完璧な人間ではない。やりたくないものはやりたくないのだ。たとえみんなが出来ても。でもこんな考え通用しないのもわかっている。動けない。後悔の連続。俺こそ自由な時間を無駄に使っている。さっきの人間は授業中いた60分を無駄に使っていただけ。俺はその何倍も何十倍も無駄な時間を使っている。ただ決定的に違うところは、公での時間の無駄、個人での時間の無駄ということだ。公で無駄を起こすということは、それが震源となり周りにも影響してくるということだ。個人は個人。しかし閉鎖空間だけは作ってはいけない。無駄なこと。本当にいま日本にはたくさんある。便利になって、ものがあふれかえって、なーなーな世界が創り上げられてしまった。散らかった日本には無駄しかない。無駄がこじれてもう収拾がつかなくなってきているのではないかとしか思えない。こうしている間にもどこかの国のトップは今日もバー何ぞ言うところに行って優雅に葉巻でもくわえていることでしょう。はじめからこいつになれば失言が震源となり問題になるのは目に見えていた。これこそ無駄じゃん。じゃあ誰がなればいいかって?後継者がいないって?それを創らずになーなーとやってきたからいよいよツケが回ってきただけじゃん。それもお前らの仕事だろとも言いたくなるが、責任だけを転嫁してはならない。そんな人間を選んだのもわれわれ国民なのだから。それともこのまま迷走してアメリカの州となるのか?そんな日本が創り上げてきた歴史を無駄になんかしたくない。一人一人のそのちょっとした浪費を抑えるだけでも変わっていくものだ。どの道をいくのかなぁ。急がば回れって言うけど。今の付け焼刃のような一時的な政策だけじゃちょっと。。。。。結局その場のノリだけで生きている人間とやってること変わんない。日本ってそういうことなのか?
2008.12.04
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今日は、他人のちょっとした笑いに文句をつけているやつがいた。確かに笑いのきっかけは些細なことからかもしれない。でもおもしろかったんだから笑ってもいいだろ。俺ももしそんなやつがいなかったらクスッと笑っているような内容だったと思う。そんなやつらが場の空気を占拠してしまうから俺は自分の殻に閉じこもってしまう。些細なことで笑えることは心が豊かな証拠。それを批判できる人間は貧しい証拠。だってなんで笑っているのか理解ができていないから。昔は些細なことの積み重ねでその場を取り持ったり親睦も深められたものだ。写真を見て綺麗だと思えば「綺麗」と言えばいい。またそこに行ってみたいと思えば「行ってみたいな」と言えばいい。僕はついこの間中国人の友達から学んだ。心で思ったことは口に出せばいい。感心した言葉は特に出した方がいいと。最近すごく薄れてきている。すごく冷めているように感じる。心が冷たい。俺も冷えてきてしまっているのだろうか。俺はそんな風にはなりたくない。でも、日々変化していくこの世の中で、間違ったものが肯定されるようになることが俺は怖くてたまらない。いつもは強気でガンガンとキーボードを打っている俺だが、今日は少々不安な心持ちだ。俺が普段の生活で自信がなかったり、弱くなっているは不安でたまらないかもしれない。だから自分は極度の守りに入ってしまうのであろう。まぁ、他人のせいにしていたら秋葉原の事件の容疑者みたいな人間が言ってることと差異はないのかもしれない。己のことは己で打開していくのみ。他に期待をして待っていてもしょうがない。正直今のままの自分に将来的な不安もある。不安な時はマイナスなことしか言えないもんだ。俺だってこんな時あるさ。人間だし、浮き沈みがあるさ。浮きっぱなしもダメだし沈みっぱなしもだめ。浮いたり沈んだりするから人生って楽しいんじゃないかな。波乱万丈だと困るけど。笑。今日はちょっとボヤいてみました。笑。土日で気持ちを入れ替えてまた来週頑張るか。今の俺にはそれしかできない。それでいいんだ。
2008.11.07
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俺は今の若者との間に摩擦を感じている。その答えが今日わかった。今の若者というのは空気を気にするうようだ。空気を読む。突発性のもの突出したものは嫌うということだろう。またそれによって自分に注目も集まる。時には責任を負うことにもなるからだろう。こんなくだらないことはない。羊のように群れていることが楽しいのか。俺はこの羊の群れを襲う狼になりたいと思う時がある。空気を読むことによって自分自身が保護される、今の世の中は保守的になってきているのだろう。全体の輪を乱すことなく、つまらなく平凡に日々を送っていくのだろう。グループ活動の時などに顕著に表れる。もしその教室の人間がみんな狼のような人間だったら。お互いが言いたいことを言い合い噛みつき合う。これは非常に充実した時間になると思う。そして素晴らしいものが出来上がるだろう。さて、羊たちの群れ。すなわち、友達同士だけでグループ活動をした場合だ。その輪の中だけのルールもあるだろう“なーなー”な感じで活動するだろう。その中から生まれるものは恐らく中途半端なものしか出来上がらないだろう。俺にももちろん友はいるが、やはり戯れるときは戯れる。仕事になればお互いは敵同士になる。狼だって友は必要。とにかく公私混同というのが悪いのだ。これは俺たちだけではない。政界でもあることだ。いわゆるお友達内閣。このような名のついた内閣はバッタバッタと倒れている。やはり自分の仲の良いものだけ寄せ集めても結果としては中途半端であったり、崩壊したりするわけだ。またその羊たちの群れは他を寄せ付けることをしない。俺は時にそれに対して個を感じる時もあるが同時に孤立を感じる時もある。しかし俺にとってはこれは苦ではないし、いざとなったときに本当に信じるとが出来るのは自分自身しかいない。俺も友と何か一緒に活動するときにはおそらくわらの家を作ると思う。わらの家は外部から簡単に壊されてしまうかもしれない。しかし、壊された時の痛みがわかる。風で吹き飛ばされた時の風を感じることができる。これこそが大切なことだと思う。しかし一方でレンガの家を作るグループもある。このグループはいわゆる空気を読む羊たち。本来なら子ブタとオオカミの方が正しいのだがそのあたりは流してくれ。さあ。この羊たちはレンガの家を作った。このレンガの家は外部から攻撃を受けてもビクともしない。外からの風もピタッと遮断できる。おまけに煙突から侵入者でもあろうものならたちまち火を使い火傷を負わせることもできる。自分たちを完全に守ることができる。今の若者と合わないのはこういうところであろう。正直言って俺たちの入る隙間なんかありゃしない。だから俺たちは余り者(狼)同士で時に群れを作る。しかしそれは一時的なもの。一番タチガ悪いのは、グループが個を攻撃することだ。俺だって群れで来られたらかなうはずもない。もしこのようなグループがあるのなら、こんなものに価値なんかあるわけない。群れでいると自然と気が大きくなるものだ。安心するものだ。しかしそれは一歩間違えれば転落につながることを忘れないでほしい。そして勘違いをしないでほしい。集団で楽な方に楽な方に行けば必ず大損する。それは決して楽しいことではない。もし楽しかったらそれは一時的なものだろう。そして気がついた時には元には戻れなくなろ恐れもある。本当に自分がやりたかったのはこれなのかと遅いながらにも思うだろう。結局先にしろ後にしろ焦りもがき苦しむ時が来るということだ。社会は個を求める。集団で会社に就職なんかするわけにもいかない。自分には自分の道がある。こんな自己主張の無くなった国が海外に勝てるわけがない。これから中国やら韓国やらの波に飲み込まれていくであろう。空気を読むこともちろん必要な時はある。しかし過度に周りを意識しすぎることはただ自分自身をかわいがっているだけにすぎない。そうみんな自分自身を守ろうとしているのだろう。安定を求めているのだろう。こんなつまらなくていいのか。空気を読むことはなんだか冷たいことのようにしか思えなくてならない。なんとも表現し難いもどかしさがある。
2008.10.22
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最近、バナナダイエットがブームのようだがまた日本人はメディアに振り回されているのか。。。自分もスーパーに行くのだがやはり自分が行く頃にはバナナが売り切れている。なんだか以前もあったなぁ。納豆ダイエットだっけ?あと味噌汁なんかもあった。もちろんブームだから一時的なこと。勝手にやりたきゃやっていればいいのだが。それでもやはり引っかかる。なぜに日本人はこうもメディアに振り回されるのか。テレビが言ったこと雑誌が言ったことすべてが絶対なのか?それとも日本人は平和だからなんでも好き勝手手を出して好き勝手に捨てていく。まぁ、ある意味ブームも使い捨てであろう。使い捨て。今の日本は本当に使い捨ての時代になった。挙句の果てには首相までも使い捨て。終わったなこの国は。これからは芯のない人間が増えていくのか?他人にしか責任を押し付けられない人間しかいなくなるのか?じゃあだれが責任取るんだよ。責任ってなんだよ。押し付ける人間というのは自分の限界を知らない人間なんだろうな。自分の限界さえ知っていれば、自分自身でセーブもできる。すなわち自分の責任は自分で責任を取ることができるということ。自分自身もわからんでよくも他人を批判するな。お前は何様だ。恥を知れ。恥というものを。今の若者この恥というものを恥として真正面から受け止めようともしない。とにかく自分たちを美化したがる。美化したがる人間は自分を失うのが怖いからだ。集団で個に向かう人間は集団を失うのが怖いからだ。そんなのかっこよくもなんともないわ。なぜもっと個を大切にしない?自分自身を大切にしない?自分の意思を貫こうとしない?かっこいい。きれい。それだけの人生なんてあるわけない。今はそうやって自分をかわいがってあげな。ツケは必ず回ってくる。そう日本にもツケが回って来たのかな。この国に対してまでも冷めた目で見られるようになってきた。もっと主観的に捕らえよ。俺たちのこと。自分たちのこと。このままズルズルと流れていく先には何があるのか。いよいよわからなくなってきた。光が見えるようには見えない。ただ闇には見える。右にも左にも動けなくなったとき、初めて気がつくのだろう。きっとその時には絶望しかない。だからこそ俺たちは今動かなくてはいけなないのだ。
2008.10.17
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現在、いろいろなものが進歩した。その進歩とともにいろいろな開発も行われてきた。今日はその中でも宇宙開発に目を向けてみようと思う。宇宙開発。一見すごく夢のある開発に聞こえる。ふたを開けて中を見てみれば莫大な開発費用。もっと現実味のあることに使ったほうがいいんじゃないかとも思ってしまう。特に今話題になっている人工ブラックホール。この実験により地球が飲み込まれてしまうのではとまで危惧されている。これはあくまでも実験における結果の一説であり実際にどうなるかはわからない。しかしながらこれにも莫大な費用がかかっている。これが成功したところでわれわれ一般人に革命がおこるのかと言ったらそれはないと思う。どっかの研究しているところや学会では革命といってもいいのかもしれない。とにかくわれわれの世界とはかけ離れているということ。またその実験のおかげで不安でたまらないという人間もいる。はたして何を一番に取るべきか。実験の成功による功績?人々の命、不安?お金がある人間というのはあとは地位、名誉、功績を得たくなるものだ。これは最近の国会議員2世、3世といった議員が誕生していることにもつながると思う。金があるところからは自然と有能な人間が出るもんだ。ただ決めつけるのは語弊があるかもしれないので言えないが。。。。本当にいまの世の中何を一番にしたいんだろう。今、日本は迷走中。右に行くのか左に行くのかわからない。確かなのは未確認飛行物体がいるとかいないとかそんなくだらないことに時間を割いてる場合ではないってこと。日本だけではない。世界はどこへ向かっていくのだろう。我々国民て言うのはただ上の言ったことを認めるだけしかできないのか。民主主義でもなんでもねぇな。上の人間の堕落した姿がようやく明るみに出てどんどんボロが出てきている。上の人間のみなさん。早く態度を改めないと国民はみんなわかっちゃってますよ。次期首相だかなんだか知らないけれど相変わらず口の悪さだけは健在ですね。あなたはどのように日本国をお壊しになるのでしょうか。いろんな意味で楽しみにしております。
2008.09.20
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9月13日ブラジルの予言者ジュセリーノにより大地震の予言がされた。この話題でネットや学校では持ちきりであった。いわゆる一種のマインドコントロールといったところである。俺がファミレスに行った時も女子高生はこの予言の話をしてた。おそらくそれなりの混乱があったのではないかとみている。確かに俺が住んでいる東海地方というのはいつか大地震が来る。そう考えると今回の予言によって覚悟をしたり準備をしたりと本番へのいい脅しになったのではなったのではないだろうか。ネットでは「東海地震が来るけどどうしよう助けて」とか「まだ死にたくないよ~生き延びてやる」など来ることを前提に実に様々な声が上がっていた。一番悲しかったのは「どうせ死ぬんだし」といった書き出し。。。もう信じてるんだかひねくれているんだかわからない。しかしこのようないろいろな声が上がり改めて日本人の精神的な弱さがわかった。誰かの占い師が言うことがすべてではないし、はっきりと断言したからってそれが正しいとは限らない。日本人というのははっきりと表現する人間が好きな傾向にある。前回の衆議院総選挙。当時の首相は小泉純一郎。いわゆる「郵政選挙」である。この選挙、小泉純一郎が郵政民営化に賛成か反対かという選挙としては実に馬鹿げている選挙であった。しかし国民としてはYESかNOを選ぶだけ。しかもあそこまで言われたら正しいのかなと思ってしまうだろう。日ごろ関心を持たない人間もはっきり断言してるしいいじゃんみたいな感じで投票した人間もいると思う。小泉純一郎。選挙のあり方を変えてしまった。自分と共感した人間を選び抜き投票する。本来のあり方。見事に日本政府はぶっ壊された。お陰さまの現在の首相辞任劇である。ぶっ壊したら終わりではない。後片付けする人間、修復する人間が必要になる。こんなことをしているうちに与党は政権交代の危機まで来てしまった。マインドコントロールというのは恐ろしいものである。また、なぜマインドコントロールなどが起こりうるのか。それは簡単、1人1人に明確なビジョンなんかないから。責任転嫁な世の中だから。自分はあまのじゃくな人間でもあるので多数派は好まないというのもあるのかもしれないが、あまりにも今の日本人は多数派に逃げすぎている。ちなみに余談ではありますが今は麻生氏が支持されているそうですね。俺は嫌いです。失言多いですし、信用に欠けます。それよか日本国民ははっきりという与謝野さんのほうが合うんじゃないですか。僕は好きですよ。どれが正しい政策なのかは正直わかりませんが、唯一消費税を上げるとはっきりおっしゃる方ですからねぇ。でも国民は自分に利益がないと嫌がるかもしれないですねぇ。誰がやっても同じだと思う人は案外正しいのかもしれない。しかしながらそれだけ失望されている政府もいかがなものか。。。。。日本人はほんとに平和である。平和すぎて我を忘れてきているのかもしれない。その象徴の一つが無差別殺人事件の増加なのかもしれない。人間の情がなくなってきている。悲しい。情の大切さもう一度確かめ合おうよ。
2008.09.15
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今、相撲界がまたにぎやかだ。悪い意味で。相撲界のイメージはますます悪くなる一方だ。さて、最近外国人力士が活躍している。またそれと同時に問題になるのも外国人力士。相撲界という土俵を荒らされている。しかしその責任は日本人にある。日本という文化のイロハを学ぶ。これは力士になるうえでのすべてであると思う。果たして教える側はしっかり教えているのだろうか。最近は日本人でさえイロハがないのかもしれない。日本人が日本人らしさを忘れてはいけない。外国の文化が流れ込み日本もまた世界と融合し新たな文化を作り上げている。話は相撲に戻るが、今まであった伝統をこれからも継承し続け作り上げていくというのは非常に大変なことであり、重いことだ。そういう思いがあれば外国人力士だって日本人同様に育て上げることができるはずだ。相撲はスポーツではない。勝ち負けが重要なことは変わりないかもしれない。体と体のぶつかりあい、技の掛け合い、そして心理勝負だ。我々日本国の誇れる国技相撲。これだけ外国人が増えたのも世界に認められつつあるからであろう。残念ながら今は日本人横綱はいない。しかし、スタートラインは同じである。しかも外国人力士は文化に慣れる、日本語を学ぶなど日本人以上に根気が必要だ。これだけ外国人力士ばっかり活躍するのを見ていると外国人力士というのは相撲部屋の助っ人外国人かとも思ってしまう。これからの相撲界の伝統は皮肉にも日本人ではない人々が作っていくというのだろか。。。それでは少々さみしすぎる。正直な気持ち、日本人と外国人なんて区別なんかしたくない。しかし日本人が根負けしているというのは最近言えることであると思う。最後まで熱い思いを持てる人間が世をリードしていくのであろう。韓国、中国というのはこれから日本を脅かす存在になるのは必至だ。さぁ、日本人よもう一度マジにがむしゃらに動く時だ。オリンピックを見ていてもよくわかる。日本が負ける理由。遠慮はいらねぇ、自分の熱い思いを解き放て。
2008.08.21
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果たしてルールはどこまで通用するんだろうか。ルールはお互いの最低限の動きが把握で生きるように作られているともいわれる。しかしながら把握ができなくなってきている。突然思い立ったように行動する。まったく計画性のない、しかも動機が動機として成り立たないような動機だ。今回の八王子での事件。なぜ殺されなくてはならなかったのだろうか。悔しくてしょうがない。犯人は家族ともうまくいかずとにかく親に気を引かせるようにやったのであろう。しかも容疑者の年齢は33歳。なぜ善し悪しがわからない。なぜ自らの判断ができない。それともこれが齢33の下した判断だというのか。皮肉なことに被害者はともに女性。だれでもよかったとはいえ、自分よりも弱い人間を狙ったことは否めない。しかしその中で一番弱かったのは言うまでもないこの容疑者。思いっきり私情だ。その家庭の都合により命が一つなくなってしまった。それだったらまだ家族を殺してしまった事件のほうが同情できる。しかしこれも決して良いことではないし、これを肯定するつもりもない。この二つの事件、いずれも家族関係のもつれから起こった。一方は家族を殺し、また一方はまったく関係のない第三者を殺したということだ。家族というのは人生で一番はじめに経験する社会だ。これができない人間が果たして社会に出たときに通用する人間になれるのだろうか。家族と絆が作れなくて他人とは絆が作れるのだろうか。できないからこのような事件は繰り返される。我々はもう日本を裸では歩けないのだろうか。(この裸は裸体ではない。)どこで誰が何を起こすかわからない。もしかしたら思いついたらその1分後殺人事件となっているかもしれない。非常に恐ろしい。凶器の入手方法も実に恐ろしい。今の世の中はたった100円で人の命を失ってしまうというのか。人間の命の価値は決してそんなものではない。むしろ犯行を犯そうとしている人間の価値がそれだけの価値になってしまっているというだけだ。ただ希望としてはそんな人間を撲滅させたい、秩序の向上が必要になる。撲滅といっても殺すとかではない。内面の改善をするとここでは言いたい。しかし、撲滅は夢のまた夢かもしれない。メディアの報道だ。この報道が今、通り魔事件関係の被害を拡大させているといっても過言ではない。メディアには報道する義務がある。しかし拡大もするという挟み撃ちでもある。これは先にあった硫化水素による自殺が後を絶たなかったときと類似点が多い。メディアの報道の仕方がいかに命を左右するかである。しかし我々一般市民というのは受動なかたちとしてしか情報を入れることができない。我々は常日頃からメディアに振り回されている。現代の情報社会における便利さというのは確固たるものになっている。これと並行して情報の拡散による事件のさらなる拡大といのが問題となっているといってもいまや過言ではないと思う。本当にマスメディアからのじょうほうを鵜呑みにしていいのだろうか。我々個々の判断も上に大事なことである。これがこれからの日本国の姿だとは思いたくもない。そんな国はもはや国として成り立たいだろう。一人ひとりがまたクソ真面目になって考えるときが今来ているのかもしれない。
2008.07.25
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日本は本当に贅沢な国だ。日本は本当に貧しい国だ。日本は平和だ。日本だ地獄だ。表現こそ良くはないが事実は事実。どうするかは己しだい。じゃあ、何が贅沢?モノがあふれかえっていることが贅沢。仕事が選べることが贅沢。日本だからできること日本が出来なくなったこと。じゃあ、何が貧しい?人を思いやる心、相手を思う気持ち。責任をとるということ。禁止されていること、他人もやってるから自分もやったっていいじゃないか?見てみろあいつだってやってるじゃないか。なんで自分だけが注意されなきゃいけない?こんな考えするのはガキだけだ。小学生が言うならまだ収まりがつく。こんなことを高校卒業した人間が未だに言っている。非常に腹立たしい。注意されている本人は責任を押し付けているだけだから押し付けることに必死になって周りが見えていない。正直こんなやつによって作られたその空間の空気というものは非常に悪くなる。1人によって万人が迷惑被る。もちろんそんな人間がそんなことを理解できるわけがないのだが。できるものなら大人になってほしいと思う。要は、自分では責任はとれませーんと言っているようなものだ。なぜ気が付けない?気が付こうともしない?でっかい図体して一人ででかくなったようなこと言いやがって。中身が比例しなければいつまでもガキはガキだ。だからガキがガキを産み育てるケースが増えていると言っても過言ではない。この場合のガキはもちろん中身の話だ年齢そのものの話ではない。常識のない人間が育てた人間に常識が理解できるようになるのだろうか。子供は親の行動、言動をまず一番はじめに見る。親の背中を見て子は育つではないが。原点から見ればまさにそうである。親はホントに人生において基礎を作る。大げさに聞こえるかもしれないが実際そうであると思う。それを知らずにただ私利私欲のために生きる。楽だろう。それなりに楽しいだろう。そいつにとってはなんて平和なんだろう。そんな人間が増加していくのであれば日本は地獄と化すだろう。さぁ、これから日本はどう転んでいくのだろうか。おそらく戦争を知らない、不便というものを知らない我々世代がカギを握っている。学歴さえ高ければよいものなのか。東大にエリート養成みたいなものができたらしいが、それさえやればエリートになれるのか。そもそも何をもってエリートと呼ぶのか。地位と名誉さえあれば満足なんてさみしすぎる。そんなことしか求めない人間が増えても日本にとって負の財産になってしまうのかもしれない。人間らしさ。いま日本に必要なもの特に今の我々世代に必要なもの。一昔の日本にはあったもの。日本が便利さと引き換えに失ってしまったもの。人間臭い人間こそ人間であってほしい。
2008.07.03
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最大のYESマン。簡単に言ってしまえばそれは機械であろう。パソコンに携帯電話、音楽プレイヤー・・・家電諸々。。。機械に感情や心があったらそれは恐ろしいこと。事実そんな機械はあるわけないのだが。今、ロボットも進化し、ASIMOなんかは自分で充電するまで発展した。もちろん人間のプログラミングによってのことだが。確実に進歩している。携帯電話やパソコンはいつも俺たちの支持するままに働く。我々の便利を追求する上でできた機械たち。少しでもエラーが起これば携帯にあたる。パソコンにあたる。大切に大事に大事に使われる機械もある。さぁ、俺は何が言いたいのか。もちろんむやみに書いているわけではない。人間を機械と同じように扱ってはいないだろうか。少しでも気にくわなかったらあたっていないだろうか。最近は、日本人のほとんどが携帯電話を持っている。パソコンだって一家に一台の時代になった。もしかしたら複数台かな。機械は壊れたら修復したり、新しいものにすればいい。人間は、そんなことはできない。確かに病気とか様々なケースもあるのだがその治すとはまた異なる。その人はその人でしかない。他に代わりなんかいない。要は大切にしてほしいってことなんだよね。機械だろうと人間だろうと大切にしてほしい。もちろん人はもっと大切にしてほしい。人を大切にしている人には言うことないけど。機械は反抗しないけど、人は感じるものがある。当り前なことしか言ってないけど。欠けている何かがあるのもまた事実。
2008.06.16
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今の世の中責任転嫁ばかりだ。最近で言うのなら秋葉原の事件。会社が悪い、世の中が悪い、社会が悪い。。。。すべて責任を押し付けている。そう思いたい気持ちも正直分からなくもないが、責任の押し付けは決して良いことではない。そもそも自らの歩み寄ることが必要であったと思う。しかしながら、簡単には言うものの難しいものである。確かに歩み寄りにくい世の中になってきているのかもしれない。だからと言って自分という殻に閉じこもってしまっては。。。。。。容疑者は様々な挫折、後悔、あったとおもう。しかしそんなことは誰だってありうること。世の中に疲れて殺したなんてもってのほか。疲れている人間も五万といる。どうも両親との関係が希薄であったようだ。両親。これは言うまでもないが非常に重要な人物である。まず、人間というのはこのような家族という社会から始まる。残念ながらこの両親は自分たちのメンツのために子供を育て上げてしまったようだ。考え方も十人十色何が正しくて何が間違っているとは言い切れない。しかし、子供は子供のやりたいようにさせてあげるべきであったと思う。子育てをしたこともない自分がこんなことを主張するのもおかしいのかもしれない。親がレールを敷いて子供がその上を歩く。はたして本当によかったのだろうか。小さい頃から刷り込みのように同じことを言い続けていたら誰だってそれが正しいことだと思うだろう。わからないまま世の中へ出て行ってしまうだろう。これは末恐ろしいことだ。親の背中を見て子は育つもの。心と心を向き合わせて人間、社会の道理、秩序・・・・とにかくたくさん教えなくてはならない。果たして、自分の御都合で考えることがよいものであるのだろうか。自分を犠牲にすることも時にまた必要なことである。しかし、今の世の中はそれに漬け込み、つけ上がる人間も増えた。情というものはどこへ行ってしまったのか。義理と人情はどこへ。平気で人を傷つける人間、傷つけられる痛みがわからない。理を理解しようともしない。自分と違うと否定、誹謗中傷、挙句の果てに手が出る。これじゃあ歩み寄りたくたって歩み寄れないじゃないか。もちろんこういう人間にだって光はあるわけでそういうものを否定したくない。合う人間合わない人間いて当然。しかし共存してる。共存している以上何かしらで歩み寄らなくてはならない日が来る。嫌なことを考えていたってしょうがない。だったら前向きな考えして歩いていった方が気が楽だと思う。毎日が楽しくなる。暗い事より明るいこと。今いる自分の家族、友達、会社の同僚などつながりがある。そのつながりこそが大切なものであって今あるものを先へつなげていくことが少なくとも今できることだと思う。本当に孤独な人間というのは、いないのだと思う。それは自分から一方的に壁を作っているだけであって、孤独感を感じるか感じないかんてそれこそ自分次第。壁なんて分厚くたってぶち破れるものだ。もう一度自分自身との絆確かめてから自分自身でぶち破ればいい。甘えを求めたらいつまでたっても壁は分厚いままであるだろう。打破したときの自分自身はきっと強くなっている。最後に、アクセスがまったくなくてさらに孤独感を感じていたこの事件の容疑者だが、正直俺のこのブログだってアクセスはほとんど無い。しかしながら、少ないながらも目を通してくれるそこのあなたがいるだけでも俺には十分。ブログを書かなきゃ0人の日だってもちろんある。そんなこといちいち気にしていない。アクセス数=自分への評価では決してない。自分のケースとこの容疑者のケースというのは違いはあるが、やはり書いている顔が見えないネット上でのことだ。だからと言って何でもやっていいのだろうか。好き勝手な発言をしていいのだろうか。ネットであろうと人間対人間である。マナーなんて言ってるがこんなのいうまでもないことだ。人間としての当たり前のことを当たり前のようにする。こんな簡単なことなのに。。。。そういう力が弱くなっちゃったのが今の世の中であり、社会であるのだろう。だからと言って自分まで弱くなってはいけない。この社会にもまだ希望があることを信じている。我々は今の現状に危機感を持ちお互いに歩み寄り改善してくことが必要である。変えていくには到底一人の力では変えられない。仲間がいることはどんなことにおいても自分の鍵となる。だから仲間は大切なのである。温かいもの失ってはいけない。冷めたもの温めてあげないと。
2008.06.13
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今年から舞台は大学へと移ったのだが、失望の毎日だ。なぜこんなにも幼稚な人間が多い?男はなぜそんなに女、女なのだろう。何が目的で大学へ、どんな思いをして大学に入ってきたのだろうか。遊びの延長なのだろうか。両親に高い金出してもらってまで大学に行く価値があるのだろうか。大学に行くのなんて義務でも何でもない。遊びたきゃさっさと辞めて遊び呆けたらいい。それとも俺の価値がおかしいのか。あくまでも勉強が主となる仕事だ。そのうえでのサークル、友達づきあいというものがあると思う。しかしサークルも結局ものとしては遊びに発展する。これが楽しいのであろう。もちろん個人の自由だし俺が干渉する必要性もない。ただそんなことで拒んでいるようだと確かに大学とは実につまらないものだ。俺は勉強をしに行っているという意識が高いためか(自分で言うのもなんだが)、授業は退屈に思うことはない。むしろ日々の発見があり非常に面白い。もっと些細な発見を大切にしてほしい。ここに楽しみがないのはさみしい。一般の学生の楽しいというのは「Fun」であると思う。大学は「Interest」の楽しさを発見する場所であると思う。バイトをしていろんな経験を積むことも確かに大切だが、そんなことは誰にだってできる。バイトに力入れて本来の大学生活に支障をきだすのは、本末転倒なことだと思う。もちろんいろいろな事情があってとか、いろいろあるとおもう。そこに対して矛先を向けているわけではないことは理解してほしい。そんなこと言ってる俺が一番ガキに見られるのかもしれない。それならそれでしょうがないことだと思う。しかし、こういう考えをいている人間もいることだけでもわかってほしい。
2008.06.02
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今日は自分について考えてみようと思う。春、ステージがひとつあがり大学生となった。今の自分に何ができるのだろうか何をするべきなのだろうか。大学生になると年中考える。スケジュールにも多少の余裕がある。考える時間が増えた。大学生になると大学生なりの悩みも出てくる。しかし大学生というものは自分が思っていたよりも幼さがある。とはいっても年齢層というものは広くなった。いろんな年齢の人、国々の人とかかわる機会がさらに増えた。自己責任も今まで以上に重くなってくる。今はこの生活に慣れるのが精一杯だ。でもこれが今、自分のやるべきこと。4年後どのような自分になって社会へ飛び込んでいくのだろうか。もしかしたらあと2年学生をやっているのだろうか。未来の自分に期待しつつも今の自分に不安はある。俺だけがこんな思いしてるわけじゃないし。みんな各々思うことがあると思う。今、自分にできること。それは自分を信じること。
2008.04.18
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単純に自立ってなんだろうか。どういうことなんだろうか。親から独立すること?自分でお金を稼ぐこと?自分の好きなことが好きなだけ出来ること?「自立」って自ら立つって書いてある。自分で立つってどういうことだろう。結局自立って何なんだ。自立って、自分で自分の責任が取れること。人のせいにしないこと。当たり前のようでこれがまた難しい。これが出来たら大人だろうな。だから大人になるって難しいな。でも焦らなくていい。一歩ずつ着実に歩んでいけば、自ずと立っていることが出来る。歩むこと。自ら立ち上がり歩むこと。その先に見える未来。明るくするか暗くするかは自分次第。でも自分で歩める人の未来は、自ずと明るくなる。明るくすることができる。そんなこと言ってる俺はまだまだ子どもだけど。
2008.03.12
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最近個人的にテレビや携帯で死産とか流産とかおろしたとか目にする。その時って本当に辛いと思う。誰が悪いわけでもない。だから余計に悔しい。先日、おろしたと言う経験のあること話をした。彼女はとても辛い思いだったと言う。それはもう俺なんかが想像できるものではない。正直、はじめは返す言葉が見つからなかった。ものすごく怖くなった。テレビやラジオ、メディアで言われている世界のことが、現に俺の目の前で起こってる。彼女はまだそのときの彼と付き合っているという。まだ高校生同士。彼女はとても誠実で、前向きだった。彼氏から暴力を受けていると言ってた。何で彼女ばかり。。。。。。でも彼女は決心しているようだった。愛し合った仲、子供まで授かった。学生のためおろせざるを得なかった。そこまで辛い思いを二人で乗り越えてきた。それに赤ちゃんのことを考えると別れられないよ。なんだろう、言い返したかったけど言い返せなかった。母親の愛があるからなのか。ただ俺は、そんな姿を赤ちゃんが見てても悲しむだけだと言った。しかし彼女の決心は固い。彼女がその思いを持っている以上俺が止める資格はない。ただ、胸が痛かった。母親の愛。それはとてつもなく壮大なもの。愛ってすごいよなぁ。
2008.02.09
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最近、生徒と教師という問題よりも、親と学校の問題が多発している。一番わかりやすいのでいえば給食費未払いの問題。最近では、本当に親切にも親が子供のレールを敷いてあげる。子供は親がやることは正しいと思うからその上を歩いていく。一般的に見て共感できる部分は良いと思う。しかし、最近の親というのは、過剰な過保護。子供を物のように扱う。もちろん一部の人だが。ここで言う「親」というのはこの異常な親のことだと思ってほしい。以下親。子供は者なのか。自分のおもちゃか。自分の思うようにならなかったら捨てるのか。ご都合主義もいいところ。おもちゃが壊されたり、傷ついたら、まず相手のせいか?悲しい。。。。またそんな親になってしまうのにも理由があるわけで。一つの要因として、親の親の責任というのを挙げておきたい。自分はこう育ったから自分の子も。。。連鎖は怖い。もちろんすべてではないが。この窮屈な世の中を生き抜くには力が必要だ。今の世の中というのは、戦後から豊かになろう、豊かになろう、豊かになるんだ、豊かにしていくんだと必死で創り上げてきたという時代背景がある。目まぐるしく変わっていく世の中。その結果がこんな世界だったのだろうか。。。。。。。こんなはずじゃぁ。。。。確かにものはあふれにあふれている。豊かだ。確かに豊かだ。おいしいものは食べれるし、好きな服だって着れる。テレビやパソコンだって。。。。。。でも人の心は。。。。。。。。荒んでいった。。。。。。。。。。。。。ただ、必死に頑張ってきただけなのに。未来栄光のために。それなのに。それなのに。なんか見えないものを失っちゃった。何かわからない大切なものを。今の日本は空っぽなのか?もので詰まってるのか?あの空だけは今も昔も変わらない。いや、変わっちゃったのかな。お前まで。
2007.12.06
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最近は妊婦に対しての悲しいニュースが絶えない。救急車で運ばれていた妊婦の受け入れ先が見つからず流産した。本当にこの病院の体制というのには腹が立つ。同じような形で病院には運ばれたが後に死産という、なんとも悲しいこともあった。死産というのは本当に辛いようだ。お腹の子が死んでいるのがわかっているのに、普通に子供を産むのと同様に出産する。これほど辛いものは無いというのを聞かされたことがある。俺は、心が痛かった。死産にも様々なケースがあると思う。しかし、今回のような受け入れ先がなくて・・・・。なんていうケースはあってはならない。至急、改善してほしい。俺も一人でも多くの命が見たい。一つの命が消えると万人の悲しみが生まれる。これは、赤ちゃんだけではない。そこのお前がいなくなれば万人が悲しむ。命の大切さ。みんなに理解してほしい。
2007.10.05
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今、学生なのに妊娠をする。させられる。こういう問題をよく耳にする。どうだろうか、世の中知らない人間が子供をどうやって育てる?性行為そのものが悪いことだとはもちろん思わない。しかし、その年相当のことをしなければならない。また厄介なもので、図体ばかりでかくなり、頭、心が成長しない人間が、汚していく。そんなの大人じゃねぇ。そんな人間が少女に手を出したり、心無いことをしたり。その場だけが快楽ならすべていいわけではない。後先考えない自分主義の人間は俺はいやだ。では、なぜまたそういう少女が増えてきているのか。やはり、親の愛情が欠けていることが最大の要因だと思う。それは、少女に限らず、少年も。類は友を呼ぶではないが、まさに似たようなことが起こっていると思う。そしてその少年少女同士がというのも少なくはないと思う。最終的には、責任が取れるのであればもちろん構わないと思う。ただ、少女が妊娠するというのはすごくリスクが生じる。身体の面はもちろん、精神的にも。今の日本文化は、かなり欧米文化がはいっている。すなわち性行為やってナンボの文化だ。快楽を求める文化だ。何度もいうがそれが悪いことだとは思わない。責任さえあれば。
2007.10.05
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今日俺のところでも花火があがった。ドンという威勢のいい音。きれいな色。花火と人ってなんか似ている。一生懸命空に昇る花火。毎日大人へ一歩一歩近づく俺たち。音が鳴りキレイに光る。そして大人になりパッと花開く。そしてそれぞれの形で、それぞれの色で輝く。人も一緒。いろんな人がいていろんな形で輝く。花火はそのあと役目を終え消えてゆく。俺たちにキレイだったなぁって余韻を与えてくれる。花火は消えてしまったが俺たちの心に残る。はなび。儚いもの。ふと我に返る。キレイに花開かせる努力をしたくなった。どんなに小さなことからでもいい。自分を磨く。光り輝く明るい未来。輝く夜空。今日の空。明日の空。
2007.08.04
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友がまたリスカしている。。。。前にも俺と約束したのに。。。。なんでだよ。。。なんか俺が力になれることはないのか。お前を救いたいよ。お前の傷ついた身体を見る度俺の心も気つく。でもあいつは俺に甘えてくる。それでいい。俺が力になれるなら。些細なことでも。俺は言ってやった、お前は自分の身体なんて傷つけなくていい、なんなら俺を傷つけろって。。。。そしたらあいつ笑ってた。。。正直傷つけられるのはカンベン。でも、俺はあいつを信じてるからこそ言った。急ぐことなんかない。一歩一歩自分の道を歩いていけばいい。今あいつは苦しんでる。でも俺にはそんな素振りも見せない。身体は悲鳴上げてたよ。俺は見逃さない。そしてお前を決して見捨てない。だってお前は一人じゃないから。俺がいるから。友がいるから。そうだろ?
2007.08.02
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個性とわがままは違う。明るい性格、暗い性格。楽しい人、優しい人、スポーツが得意な人。ホントたくさんの個性がある。目立つ人、明るいという個性ならいい。ただ、自分さえよけりゃぁとか、他人に迷惑をかけなきゃいいじゃんとか、これはわがまま。相手の気持ちを考える。小学校や中学校でも言われるようなことかもしれない。でも、これはとても大切。相手の気持ちを考えれば企業のさまざまな不正なんて起こらない。お客様のことを思う、偽造したコロッケなんて作れない。(ミートホープ社)自分たちだけよけりゃぁなんてそんな考え子ども。だから小学校中学校で言われるわけだ。成人したから大人なのだろうか。タバコを吸うこと、酒を飲むことこれが大人?精神面も比例してこそ真の大人。今は子どものまま成人している人間多いなぁ。逆に言えば、精神面が大人なら10代でも大人かもしれない。ただ、なかなかいない。じゃあ精神面も大人になるってなんだろうか。やはり一番大切なのが人を思いやることができること。すなわち、相手の気持ちを考えることができることでなないだろうか。どうやったらそんな風になれるのか。まず、言いたいことを言わないこと。しかし、言わなければいけないことは勇気を持って言うこと。これは重要だと思う。お互いに切磋琢磨していくことが大事。
2007.06.25
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生きる。一言で言うには難しいことだ。生きる、呼吸をすること おいしいものをたべること きれいな空をみること つらい思いをすること 涙が出ること 笑うこと、怒ること 何かを感じること・・・・生きている証。死ぬってなんだろうか答えはわからない。でも生き抜くことができた人が本当に死ぬことができるんじゃないかな。じゃあ、生き抜くって何なんだろう。自分と戦うこと壁を乗り越えること成功すること失敗すること俺が言ってることが正しいことじゃないかもしれない。そこで何かを感じたときあなたは生きていることを実感する。人間は感情を持った唯一の動物。人間として生きること、感じること。動物はみんな自分の命を全うしている。だから生き抜き死んでいく。生きているうちは生きることに必死こいてりゃいいんだよ。今は生きることが何よりも大切。命は地球の宝。
2007.05.28
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今のクラスで学んだ思いがある。クラスに溶け込めない人の思い。孤立してしまう思い。どんな思いになるのか。こんな思いをしたのは初めてだ。でも俺は変わり者だから時に俺は俺で一人でも別に平気だ。クラスのみんなも理解してくれてたし。クラスに溶け込めないのにはやっぱり一人ひとりそれなりの理由がある。そこに漬け込んでいじめをするやつもいる。これはゆるせないことだ。俺みたいに一人で動きたいやつもいると思う。理解をすることは大切なことだ。どうしても受身になってしまうやつもいる。俺もそういうとこあるかな。溶け込めない人を見かけたら声をかけてあげてくれ。どんな些細なことでもいい。あいさつだけでもいい。ただ、「おはよう」って言われるだけですごく楽な気持ちになる。俺も努力。
2007.03.19
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いよいよ4月が近づいてきた。俺も4月から新しい環境へと飛び込んでいく。楽しみ半面不安な気持ちもある。2006年4月、人と接することに難しさを感じた。毎日、黙って教室に座り、休み時間になると隣のクラスへ、俺はこの年の11月に海外研修を控えていた。もちろんこのクラスのメンバーで。だから余計に不安ばかりが・・・・。だから、一人で何でもやろうと思った。自分は自分で自分の意見を持って、自分のやるべきをやればいいんだと。いつの間にか一人で行動するようになった。自由にペアを組めと言われたときが一番辛かった。でも、俺のクラスは、決して俺を見放さなかった。2学期、席替え、くじ引き、環境がまた変わり、友と呼べるものが増えた。そして海外研修。クラスのやつらとたくさん話した。幼稚園から一緒のやつと本音で語った。俺のことをいつも気にかけてくれた。本当にいい友だ。そして3学期、席替え、くじ引き、また新しい環境になった。去年からなかのよかった子と隣になった。周りも明るく毎日が楽しかった。勉強もお互いに切磋琢磨頑張った。この一年間すごい良い経験ができた。環境が変わること、悪いことではない。そして俺は、4月からまた新しい環境へ行く。今度は、また一からだ、幼稚園から一緒のやつはもういない。仲の良かった隣の席の子もいない。次に行くクラスは知ってる人もいる。でも大半は知らない、新しい出会いだ。でも俺は、今のクラスで培ったことを新しいクラスで挑戦したい。また新たな環境で自分と戦いたいと思った。だから新しいクラスへ行くのに志願した。4月からまた新たな自分との戦いが始まる。
2007.03.18
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リストカットはいいことではない。自分と戦うんだ。そして自分と信じるんだ。わざわざ大切な自分の体を傷つけるなんて悲しよ。もっと自分の体、大事にしようよ。お前らは一人じゃない。俺はみんなと一緒に明るい未来を作って行きたいんだみんなと一緒に歩いていきたいんだ。一人のやつなんて一人もいないんだ。
2007.03.15
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お前らが一日一日を生きるように俺も生きている。毎日が楽しい。毎日が悲しい。毎日がうれしい。毎日が苦しい。毎日が恥ずかしい。人は毎日いろんな思いをする。そこから失うものもあれば得られるものもある。いろんな思いをすることがその日の思い出となりやがってこんなこともあったなぁなんて思う。過去というものはしがみつくものではないが、思い出すのは楽しい。自分の歴史をたどるのも時にはいいものだ。あのときのこと、このときのこと、鮮明に覚えてる。あっ、今あいつは何やってるんだろうなとか、あいつは元気かななんて思ったりして。やっぱ人っていろんなものが積み重なって作り上げていくものなんだなぁ。明日はどんな思いをするだろうか。どんな思いと出会うことができるだろうか。また、どんな人と出会えるだろうか。どんな人とどんな話ができるだろうか。たのしみだ。三月は別れの月にもなる。俺はこの時期になるとドキドキする。もうすぐこいつらとお別れだなとか、四月になったらどんな仲間とめぐり合えるのだろうかとか。だからいつもよりも大切に一日一日をすごしたくなる。毎日を濃い一日にって。きっと明日も濃い一日だ。
2007.02.25
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これから俺たちがやるべきこと。生きること。行きやすい環境をつくって行くこと。人を支えること。あげていけばきりがないのだが、とにかく人生を全うして生きてほしい。これからは、俺たちがこの日本、世界を担っていくことになる。欠けていいやつなんかいない。みんなが必要。みんなと生きていくこと。それは支えあうこと。これから俺たちにどんなことが待ちうけているのかはわからない。でも、みんながいれば俺は怖くなんかない。みんながいれば頼もしい。生き抜いてやるんだ。この世の中を。
2007.02.07
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後ろバッカリ見ててもしょうがない。過去を忘れろってわけじゃない。過去もとても大切なもの。過去は写真をアルバムに収めるかのようにたまにみて思い出せばいい。前を見よう。明るい未来。作ってこう。希望ある未来。俺たちには無限大の可能性がある。無限大のパワーがある。自分たちに何ができる?そう考えることそのものが前を見ることへの第一歩。自分のできるものどんだけ小さいものでも、些細なことでもいい。積み重なれば、やがて大きなものになっていく。みんなで踏み出す第一歩。未来が楽しみだ。
2007.02.01
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今はつらいかもしれない。つらくてどうしようもない人もいるかもしれない。自分を信じれるのは自分だ。自分を守れるのは自分だ。自分を救うのは自分だ。人の助けを借りてもいい。最終的には自分と戦い自分と戦えばいいのだから。人の手を借りることもいいことだと思う。自分で抱え込んでも耐えきれないことだってある。きっと少しでも負担が軽くなる。抱え込むのはよくない。お互いに助け合うことが大切。助けてもらったら今度は自分が助けてあげればいい。一歩一歩が大切。焦ることはない。時間はたくさんある。自分のペースでいい。一緒に明るい未来へ歩いていくんだ。歩いていきたいんだ。
2007.01.26
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辛いとき、人間はつらいことばかり考えてしまいがち。つらい時こそ前向きにならなければ。つらい時に前向きになるこれが一番つらいかもしれない。自分との戦い。壊せない壁なんてないんだ。厚ければ厚いほど壊すのには時間がかかる。時間がかかったっていいんんだ。壁を壊し新たなステップへ。ゆっくりで良いんだ。あせることはない。自分の足で着実に歩いていくんだ。後ろを見れば自分の作った道ができる。大切な過去。希望ある未来。壁を壊せたとき待ってるのは、そう、明るい未来
2007.01.24
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誰だって支えになることができる。俺もお前らの支えになってるといいのだが。俺は、お前らを一人でも多く救いたい。支えたい。一人じゃないって。未来は明るいんだから。
2007.01.24
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毎日、毎日、何もかもが積み重ねだ。リストカットも積み重ねれば辛いものになる。生きることも積み重ね。リストカットをやめるんだという勇気。毎日少しずつ持っていけばやがて大きなものになる。やめることはできる。勇気を持ち戦うんだ。未来は絶対に明るくなるんだ。明るくしていかなければ。みんなで戦うんだ。そして、明るい未来をみんなで作っていくんだ。俺はお前らと明るい未来を作っていきたい。俺は信じてる。
2007.01.22
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このテーマ、そしてお前らと出会っていろんな人のブログへ行った。みんな弱気になってる。。。。それは色に表れてる。黒。好き好んで黒にしてるとか、俺は強く言うことはできないが。なんか悲しかった。そしてリストカットがどんだけいけないものなのかを考えさせられた。今、我慢してがんばってるという人もいる。そのことがどれだけうれしいことか。またある人は、不安だという人もいた。不安から逃れるために自分の体を傷つけないでくれ。不安になることなんて誰だってあることじゃないか。不安に立ち向かうこと。それが自分に負けないことだろう。戦うんだ。戦う勇気を持ってくれ。俺は、リストカットがなくなることをことを心から祈っている。そして、俺も戦う。
2007.01.21
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もうやってしまったことは消せない。でも、これからの未来、これは自分たちで作っていけるものなんだよ。もう、やってしまったものはしょうがない。消えることはない。でも、これから前向きに生きてくことは、今からできることなんだよ。お前らは落ちぶれてなんかいない。一人なんかじゃない。自分に負けるな!!自分の体をもっと大切にしてくれよ。そして戦うんだ。自分と。お前らの未来、明るいぞ。
2007.01.20
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何か理由があってリストカットやってしまっているんだとおもうが、そんな悲しいことするなよ。そんなことやっていいわけがない。なんで自分の体を傷つけるんだ。。。。お前らは一人じゃない。自分をそんなに追い込むなよ。。。。リストカット、決していいことではない。自分の体を大切にしてくれ。やめれないんじゃない。やめようとしなきゃ。そしてやめないと。
2007.01.19
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相変わらず我が我がの人間が多いもので。悲しい。どうしてあぁも思い立ったらすぐに口をだすかなぁ。しかもプリントが余ったら先生に取らせにくるし。何様だ!!自分のことを考えるのは大事なことのひとつだとは思うのだが。。。相手の気持ちはもっと考えなければいけないのではないだろうか。よく、学校めんどくさいとか、授業つまんないと聞こえてくるけど。。。。誰のおかげで通ってるの?自分?授業料も?何もかも?そんな学生はそうはいないだろう。自分だけが大変なんじゃないんだ。絶対。みんなは親孝行してますか?正直、俺はできてない。恥ずかしい。でも、毎日学校行って、帰ってきて、ご飯食べて、宿題やって・・・・・・。こんな単純なことでも元気に毎日すごすことこれが何よりではないだろうか。そんななんでもないことがいつまでも続くことはない。しょうがない。人間ってかなしいとこもあるなって思う。俺は、別れというものがとことん嫌いだ。やっぱり思い立ったときに何かをやらなきゃいけない。今まで俺のために金をかけてここまで生きさせてくれてる。感謝。じゃあ、俺は、何かしらの形で還元していかなきゃいけない。俺は、それが義務だと思ってる。誰だって恥ずかしいと思うけど「お前が子供でよかった。」って言われたらうれしいよ。その日までいろんな形で還元していく。ただそれだけ。
2007.01.18
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たらら たらら
2006.12.17
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