51年に短編ドキュメンタリー「Day of the Fight」を撮り、25歳のときに叔父から借りた金で最初の長編を完成させて配給されるに至った。第二作「非情の罠」はUAが買い取り上映。56年の「現金に体を張れ」が高く評価され、「突撃」がヒット。次いでピンチヒッターとして嫌々引き受けた「スパルタカス」で大作も撮れる監督として評価され、「博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」の“SF三部作”を完成。世界的な映像作家としての地位を確立した。