空、風、鳶とパラグライダー Hokkaido Japan paraglider

小説  スカイ・ハイ

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   スカイ・ハイ



    一


 風速二か三の初心者には最適の南風が入っていた。春子は緊張しながらインストラクターの大橋を見た。
「いいようですね。それじゃ落ち着いてゆっくり体全体で前へ出て見ましょうか」ハーネスのベルトの横をつかみながら大橋がやさしく言った。
 立ち上げの練習はもう五十回以上やっている。平地でも、緩やかなスロープでもそれなりにうまく行っていたのだ。本番でできないはずが無い。春子は自分に言い聞かせていた。
 数メートル前に進んだ。手にしたライザー(ラインがまとめられた左右一対の終端)には風をはらんだキャノピー(合成繊維の羽)の強い抵抗がかかる。視線は前に向けなければいけない。日ごろ注意されていることが意識に上る。後ろに引っ張られる感覚はいつの間にか上に移って、今や体全体にかかっていた。
 あの心地よい浮遊感がまず全身で感じられた。スロープで練習しているとき短い間だが体験しているあの空中に浮かんだ感覚だ。
 地面が突然なくなってはるか下のほうへ行ってしまった。目の前に広い空間が広がり、視界が下の方に広々と開けている。インストラクターの守山のタンデム飛行のとき見たあの景色だ。今は一人で、誰の手も借りずにその中にいた。
…大丈夫だろうか。一瞬今まで味わったことのない不安が襲った。
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「そのままランディングのクラブハウスを目指しましょう」大きな声が背後から飛んできた。大橋の声だ。何も問題は無い。少し前の不安は消えて風の音だけが耳元をなぶって行く。なんと言う静けさだろうか。
「ハーネスには腰掛けられましたか」今度は無線越しに声が飛んできた。まだ腰掛けていない。立ち上がったままの姿勢で飛行していた。腰掛けるといっても何もつかまる物は無い。変に暴れたら機体がつぶれてしまう。どうすればいいのだろう。
「後ろへ反り返るようにするといいですよ」またしてもタイミングよく声がかかる。
 そうだ後ろに反って腰を曲げればいいのだ。間違ってブレークコード(羽の後縁部につながるライン)をひっぱったら大変だ。春子はそんなことを考えながらようやくハーネスに座り込んだ。
 ゆったりとした気持ちになった。そこら中つっぱっていたので座った拍子に急に楽になったのだ。楽になったら前にも増して耳元の風音が気になりだしていた。いったいどれくらい強い風なのだろう。テイクオフの時にはこんなに大きな音はしていなかった。急に強くなったのだろうか。次から次と疑問がわいてくるのだった。
「とてもいいですね。絶好調じゃないですか」
 今度はランディングの方から守山の無線が聞こえてきた。年令不詳でやたら元気のいいスクール長だ。五十はいっていると思う。でも六十と言うことはないだろう。春子はそんなことを取り留めなく考えていた。
「少し左のブレークコードを引いて見ましょう。十五センチくらい」
「そうそう、その調子。いいですねー」
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 安心感と嬉しさが交互にやってきた。さすがにインストラクターはすごい。気持ちの動きが本当に分かっている。これならいつまでも飛んでいられそうだ。
 突然右の翼に突き上げるような振動があった。一瞬驚いたがすぐにまた静かになる。あの振動の大きいのが来たらいやだな…、などと考えている。
「どうですか、洞爺湖が見えるでしょう。そのままゆっくり遊覧飛行してください」守山がのんびりとした声で話している。
 それどころじゃないんだから、変な揺れがあって。そう叫びたかったが無線機に手を伸ばす余裕もなかった。
 振動とか、風の音とか、浮かんでいる頼りなさなど、いろいろ悩んでいるうちに機体はすでにクラブハウスの上空に来ていた。高度もかなり下がっている。クラブハウスの横に止まっている車やインストラクターの姿が見えている。顔はまったく確認できないが着ている服装で誰がいるのか見当がついた。
「あと二、三分したら左のブレークコードを引きましょう」守山が言う。
ランディング場の縁のエゾ松の木立がすぐ下に見えていた。大体の時間を見計らって左のブレークコードを引く。機体の向きが静かに左へ向かった。同時にスピードも速くなったような気がした。
「い~よ、そのままもう少し、ハーイ、そこでまた左を引いてみましょう」
 言われるまま引くとまた左へ曲がって前方にクラブハウスが見える位置に来ていた。
「ハイ、良いですね。もう高度処理は終わりましたよ。そこでハーフブレークにしましょう。そう、そう、良いですね。ハイ、フルブレーク」
 春子の初フライトはこうして終わった。
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