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2010.10.13
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脳ちゃん




お久しぶりの、脳ちゃんです。
そして、マインドブロックを打ち破れシリーズです。



国語辞典を背景にした画像からお察しかとは思いますが、今回も言語システムのトラップについて書こうと思います。



言語システムのトラップとは何か。
それは、言葉という、あくまでヒトの造りしとても不完全なシステムに、思考においても他者との関わりにおいても依存しきってしまった人類故の悲哀です。
お互いが記号として使っている「言葉」、だがじつはその記号が意味するものが、個々人によって違っていたならば?
話がちゃんと通じる訳がありませんよねw



では、スピリチュアル界隈において悲劇的誤謬を生み出しやすい「光と闇」という言葉に、注目してみましょう。



脳ちゃん



◇ ◇ ◇ ついったーより抜粋 ◇ ◇ ◇



例えば「闇」と定義している領域に引かれるのはどんな時?疲れてたり、嫌な事があったり、ストレス溜まってる時じゃなかろうか。

もしそれが図星なら、「純然たる『闇』という属性があってそこに属している」んじゃなく、ただ単に「『光』が足りないです」っつうだけの事です。

で、ここでまた「光がイヤなの!!」とパニクるとしたら、自らの脳内辞書のトラップにひっかかってると言えます。

目に見えない領域の事を、目に見える領域の言葉で例えると、どうしてもこのテの歪みが生じてしまう。

…続き。ここで言ってる「光」は可視光線のことではない。「愛」と言い換えても良いけれど、「愛」と「恐れ」を善悪に取り違えた二元論に嵌まらないように注意。

闇だの恐れだのは、光や愛が足りなかったり少なかったりする「状態」を表すんであって、足りないもの(愛とか光とか)の対極をなす絶対の属性、で は な い。

で、何が言いたいかと言うと、闇に引かれる時はつまり光=愛が足りてないわけ。自分の中の愛が。自分に対する愛が。

足りないなら、注げばいい。育めばいい。目を閉じて自分を抱きしめる。それだけでも何か、あたたかいものが心に燈らないだろうか。愛は、眩しく焼き払うものではなく、あたたかく満たされるものだ。

音楽や、香り、自分の好きなことに夢中になる。ただそれだけでいい。理屈は要らない。

ヒーラーよ、汝、自らを愛せ。

無理をして御立派な人になる必要はない。まず、「私が私である」それだけで存在の価値は余りある。光の人=御立派な人ではない。光の人ってのは、自分を愛し、他人を愛せる人の事を言う。



それが出来れば、他人の中の暗く足りない所も、認めて赦せるようになる。無理して「御立派」してると、自分も他人も赦せなくなるからね。

(2010年6月14日)

◇ ◇ ◇ 抜粋終了 ◇ ◇ ◇



脳ちゃん



と、まぁこんな感じです(どんな



調子が悪くてメンタルの状態が落ちているとき、

とか言って、自分がさも「世に望まれざる存在」であるかのように大騒ぎしてる人をよく見かけます。
…例によってスピ系に多いんですがね、いや別に自分をそんな妙な属性に定義せんでもwって思う訳です。



「光」も「闇」も、状態をあらわす用語に過ぎず、それぞれが絶対の属性として対極に分かれて戦っているというわけではありません。そんなん、宗教と政治が作り出した善悪二元論の幻です。
「光」は「愛が満ち足りて甘美な状態」を。
「闇」は「愛が足りなくて苦しい状態」を。
それぞれあらわしています。



で、「私は闇だからっ…!!!!」とかって大騒ぎする人によく見られるパターンとして、「光がイヤなの!!眩しく焼き払って私を責め立てるの!!闇は安らかでいい…私は闇の子だから!!!!」と、さらに大騒ぎするという傾向がありますが、
モシモシ?眩しさや熱さを伴う物理的な強光線と、目に見えない領域の、愛である「光」を混同していませんか?
または、昼行性のサル族である人類の性質「照明が落ちると副交感神経が優位になりリラックスして眠くなる」状態を導く物理的な暗闇と、目に見えない領域の、愛の枯渇状態である「闇」を混同していませんか?



「光」という言葉は、物理的な光が持つ暖かさやきらきらして美しい印象によって、「愛が満ち足りて甘美」な状態を、
「闇」という言葉は、物理的な暗闇が持つ寒々しさや獣やおいはぎが現れる不吉な印象によって、「愛が足りなくて苦しい」状態を、
それぞれ表す用語として、ただ便利に使われているっていうだけのことです。
物理的な光はときに眩しくて暑くて不快だし、
物理的な闇はときに安らかな感覚をもたらす事もありますが、
それらの感覚と、目に見えない領域の「光」や「闇」を混同してはいけません。



レディ・マゼンタ




ベースが生きている人間である限り、「光」と「闇」のそのどちらにも揺れ動きます。
ただ、状態が好ましいかそうでないかっていうだけの話。
そこらへんに漂っている残留思念などのエネルギー的存在については、その存在そのものが「満足感」だったり「不足感」だったりするので、光属性、闇属性に分けるのも意味が在る事かもしれません。
が、それも自分がどちらに「属してる」なんてことではなく、「お近づきになるべきかそうでないか」っていうレベルの話です。「不足感でいっぱいでとにかく何でも奪いたい状態そのもの」なんてモノに、近づかない方が良いのは分かりきってますよねw



身体が疲れると、心に不足感が生じやすくなります。
心に不足感が在ると、その「不足感そのもの」的存在を招きやすくなります。
身体にわざと毒物(アルコール、ニコチン、麻薬的な甘味、薬物など)を与える等の自暴自棄な行動を取りやすくなります。そうするとまず肉体が疲弊し、さらに心の不足感を増長させます。
思い出して下さい、闇に引かれるのは、自分が闇だからではなくて、単に光が足りないだけなのだと。
足りなければ、注げば良い、育めば良い。
いじけた行動はやめて、栄養や休養や好きな事に打ち込む時間を自分に与え、自分自身に光を、愛を、注いで下さい。
足りない所から更に奪うなんて愚行は何の役にも立ちません。



光



今回、いや、ついったーではずいぶん前から私がこの事に付いてうだうだ言ってるのは、
「闇のヒーリング」という言葉に関して誤解したままに、いたずらに「闇属性つまり不足感」に留まり続けている人が居るんじゃないかと思っているからです。
闇のヒーリングってのは、闇属性の人間が善悪二元論の悪魔的エネルギーで癒されるってことじゃないですよねw
私の勘違いでなければ、闇のヒーリングでも(その使い手がまともな人であれば、ですが)、注がれるエネルギーは「光」すなわち、愛であるはずなのですが。




これを読んでなお「光」=「愛が満ち足りて甘美」な状態を居心地悪く辛いと感じるとすれば、それは
「自分には愛を受け取る価値がない。」という思い込みや、
「愛が枯渇してる被害者で居続けたい。なぜならかわいそうに思って誰かが愛をくれるかもしれないから」という、更に複雑怪奇で意味不明で何の得にもならん思い込みがあるのかもしれません。



そんな思い込みはさくさく手放して、今此処3次元での今此処っきりの、自分自身の「生」を、もっと楽しんでみませんか…?



花

「あなたに祝福を。」





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Last updated  2010.10.13 17:56:02
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