曹操注解 孫子の兵法

閣下の相談室


今日は午前から帝国ホテルに行こうと思っていたが、お相手は東京には不在だとのこと。
午後の会議のために恵比寿ガーデン・プレイスに向かった。

仕事仲間と誘い合わせて、スターウッド・ウェスティンのラウンジ、窓側中央のソファに陣どる。
この席は、このホテルのロビーでも最高の場所である。

ゆっくりと紅茶を傾けていると、若かりし昔の思い出がよみがえってくる。

誰でも「駆け出し」の時期はある。そこで挫折してしまう人間もいる。私は、まあずいぶんと挫折した部類である。

それは社会的、客観的なことで、本人は挫折したとは決して思っていない。
会社の就職に不採用になったら、「こんな間違った会社に行かなくてよかった」と思う。
せっかく就職した会社で、自分の意見が通らないと、「これは上司が間違っているのだ」と考えておく。
せっかく提案した政策が、官僚たちの反対でひっくり返されると、「こんな時代遅れの官庁は解体すべきだ」と思う。

面白いことに、学校や組織を変わるたびに、私はいい友人にめぐりあい、すばらしい先輩に認められ、幸運を経験した。

逆にいえば、私と感情的に対立し、敵視して、あるいは辞職に追いこんだりした、あのイヤな人々の悪意のおかげで、私は人生を変えることになったのだ。
おおまかにいえば、彼らのおかげで、私は幸運に出会ったのだ。
しかし感謝しようにも、もはや彼らは早世して、鬼籍の人々である。

私を不採用にした複数の企業が、突如としてあっけなく倒産するニュースも聞いた。

大蔵省も金融庁と財務省に解体された。
これは大和銀行ニューヨーク支店の問題で、MOF(旧大蔵省)の隠蔽工作に激怒したクリントン政権からの強烈な圧力だった。
その極秘情報の証拠をリークして、アメリカ当局に流したのは誰だか。ハッハッハッ。

「杉並病」の問題でぶつかった東京都清掃局も解体された。
歴代の事務副知事が、清掃局労務畑の出身だけで固められ、都庁を牛耳ってきたのに、都知事はわざわざ警察庁キャリアから副知事を抜擢した。これが曹操の孫子兵法だ。

前の横浜市長も、選挙の後にあっけなく死んだ。
ワシは警察公安幹部と懇意なので、神奈川県警に堂々と署名入りの上申書を書いて、前市長派の公金・公務員を動員した不正選挙の実態を、選挙初日に告発してやったのだ。
ただちに県警は、前市長派の選挙関係の事務所いたるところに大勢の監視要員をはりつけた。これで大きな組織票の動きは止まった。
老衰の年齢でもあるまい。まあ、落選を苦にしての自殺だろう。罪悪のほうが重いやつだからな。

私の悪運の強さとぶつかる人間や組織はどんどん自滅自壊していくのである。どうしようもない。

これは、あくまで自分の問題である。他人のことはわからない。
しかし、幸運のコツというか、「ジンクス」というものを意識するとき、どんなに不運なことでも「これでまあ、よかったのかも。沈む運命のタイタニック号に乗り遅れたら、生命が助かるんだから」などとアッサリ受け入れてしまう。悩まない。

いろいろ心の病をもった人の話を聞くけれども、ここが決定的に違う。私はあまり深く悩まない、悩みを持たない努力、つまり、精神修養をいつも欠かさず、無意識にしているのだ。

何もしなければ、私は何度目かの挫折で確実につぶれていたであろう。だから、心の病を持った人々の気持ちも立場もよくわかるのだ。

「来るものは拒まず。去るものは追わず」とは、よくぞ言ったものだ。

「来るものを拒む」というのは、疑惑である。
疑惑にとりつかれると、際限なく疑って、いつまでも結論は出ない。ゼノンが「アキレスの一歩」のパラドックスを論じたように。

この点で、私は直感を信じる。
直感で判断することは、もちろん失敗のリスクをともなうが、それは自己責任だ。

自分を信じて、他人を信じる。
信じられなければ、それで終わり。
たった数分で見極めがつく。いや、数秒でわかるように努力をするのだ。
直感力を磨けば、だいたい不生産的な疑惑に時間をつかう必要がない。

「去るものを追う」というのは、未練である。
後悔や反省は、過去に対する教訓や自戒もあるので、意識的に取り上げるようにしている。
しかし、未練は何も生まない。

失われたものを取り戻すのは、この年になって、子どもにもどりたいと願うようなものだ。
それが未練。

未練にとりつかれると、これまた際限なく欲求不満が鬱積して、将来の計画とか、次の一手の行動そのものに意欲がわかなくなってくる。

そんなわけで、自分でも「未練がましいことはしない。未練は恥だ」と心に誓っている。
そして気持ちを切り替えていく。

いろいろなストレスやトラブルを抱えても、常に私が実に平静でいられるのは、疑惑や未練という感情を、なるべく自己否定するように、いつもイメージ・トレーニングを重ねているからである、といまさらに思う。

これは禅宗の影響が強い。
禅では、疑惑と未練を、一言で「執着・しゅうじゃく」という。

「一切の執着から離れて座れ」
こう教えてくれた禅の師匠もよかった。
自ら即非庵と号した秋月老師が、同じ大学の他学部の非常勤講師で毎週、来ていたのだ。
その老師を昼休みにも追いかけて、自分勝手な哲学問答をしかけた自分自身が、今は気恥ずかしく、そして「よくぞ老師のお元気な存命中に」とうれしくもある。

人間として執着心を捨てるということは、なかなか困難だ。
弥勒菩薩も、世界を救済しようと悩みつづけている。
愛したり、憎んだり、嫉妬したり、激怒したり、それも時間をかけると、おのれの中の執着心を呼び覚ますことになる。

そのあたり、禅宗はうまい。
「カーツッ」と一喝して終わり。
感情を抑制しない。むしろ瞬間的に大きく爆発させる。
その後はさらりと水に流す。
それ以上はこだわらない。

執着の心が自分も他人も傷つけていく、消しがたい炎となることを未然に防ぐのである。
自分の心を一喝どころか、心の中で何百喝しつつ。

恵比寿ウェスティンの中庭は、雑草のようにハーブが植えられている。
その新鮮なハーブの葉をシェフが身をかがめて、丁寧に一枚一枚つみとっているのが見える。

ああ腹が減った。
あのシェフの手がけた一皿のランチが食いたい。

単なる美味の食欲の前に、一切の疑惑も未練も吹き飛んだ。単純明快すぎるな。ハッハッハッハッ。

エッジをつけたノートパソコンに、ちょっとうれしい反応とメール。
おととい、「肩書きと人生」の問題で、アドバイス問答した司法試験志望のアルバイトのコックさん。私に影響を受けて、都会を離れ、田舎の地方公務員採用に応募することを決意。すぐ行動するとのこと。
そりゃそうだよ。戦略家が「これだ」といえば、まず間違いない。
でも、すぐ決断したのは偉い。疑惑や未練がないな。

顔文字でニックネームをつくった徳島の高校生。「中央大学ってドコにあるの」とトボケてたけれど、「資格をとらないと、自立できないぞ」と言ったら、「二つは狙っている」と返事。若いってすばらしい。彼女も疑惑と未練がない。

新たにリンク交換したCherry姫さん。高校中退して、夜の世界に入ったけれど、ステキな恋人にめぐりあって、夜の世界を脱出し、高校にも復学した。だから現役高校生。恋のおのろけノリノリ。

ワシは感心した。その恋人の男も偉い。ワシの本を見せなさい。
その勢いなら、大学も卒業できるし、きっと起業もできるぞ。
わが中央大学に来たれ。通信教育学部もあるぞ。ほとんど無試験だし、学費も安いからな。

流産の危機に耐えながら帝王切開で、元気な女の子を出産して、ついでに離婚もしちゃったシングル・マザーのm-boxさん。彼女も未練がない。決断力がある。「でも恋の話はないね」と言ったら、「結婚はできていないけど、両親も認めた彼氏がいる」ってさ。
彼氏にとって「人生で最高の女」になれば、自然に離れられなくなるし、同居せざるをえない。そしたら結婚しかないよと返信。
「今夜、さっそくデートします」と。
曹操閣下の戦略じゃ。間違いない。ハッハッハッハッ。

いつもすっきり、いつも本音、決して逃げ隠れしない、だから、いつも春風のような心境の曹操閣下なのである。

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