曹操注解 孫子の兵法

中共中央宣伝部

中国共産党中央宣伝部のブリュメール18日



 閣下は学者活動の始めから、日中人文社会科学交流協会(今は解散)で、1990年代から内陸地方の各都市を回って講演活動をしていた。
 当時は内陸の人々は非常に素朴で、「わざわざ遠くから」と感激して歓迎してくれたものである。
 決して豪華な料理とか、贅沢な接待があったわけではない。
 私はむしろホテルの食堂の食事をキャンセルして、庶民の街の話題の民間商店を教えてもらった。
 地方の中堅幹部が家族でヒイキにしている店は、まずいものを出すはずがない。
 ゴビ砂漠地域の真ん中にある甘粛省なんかで、「カニ肉」なんて食べる気もしないよなあ。近くで取れたトマトでいいんだよ。

日本の最近の流行の言葉。

 《トマトはトマトでいいじゃないか。トマトが「自分はメロンだ」とムリにいいはるからウソになる》

 それが内陸の人々も、最近は「紅眼病」という奇病に伝染したのか、中央政府の厳しすぎる「成果主義」に恐れをなしたのか、本当に品性のない対応が多くなった。
 成果のあがらないものは切り捨てるという方針だが、見込みがありそうならば、数字をごまかしても、何がなんでもやるというモーレツ(支離滅裂)精神主義が台頭してきて、幹部の出世主義が目につくようになった。

 非常に危険に感じたのは、このような中堅幹部の「ゴマカシ出世主義」が、時にはおかしな「お芝居」になってしまうことだ。
 私の経験を話すと問題があるので、ここでは「聞いた話」としておこう。

 ある街に留学から帰国した学生たちの嘆き。
 彼の故郷では、「帰国学士」として留学生たちを故郷の街に帰郷を促進し、そこで起業をすすめる政策を打ち出していた。
 さて、省政府の省長主催のセレモニーを終えて、各地方都市に散っていった学生たちの運命やいかに。

 まず、彼らを待ち受けたのは美人の女性たちの接待攻勢である。
 これでもか、これでもかと迫ってきたそうだ。
 いわゆる「女性軍団」だな。
 それがまた組織的にやっているのだ。
 食事中にウィンクしたりね。(吐
 それから「帰国学士」の仲間の中にも変なのが混じっている。
 アメリカから帰国したというのに英語がまったく通じない女性もいた。
 アメリカの大学院生だというのに、専門的な議論が何もできない女性。
 これがまた色気ムンムン(笑)なのだ。
 「学生」というのはウソ。商売女にキマットル。

 工場を視察した。
 自動車工場だという。
 十台ぐらいの自動車が並べてあって、少しずつ分解されている。
 「修理しているんですか」と聞くと、
 「いえいえ。自動車を大量生産しているのです」と幹部は胸を張った。
 もちろん、彼の顔は非常に動揺していた。
 彼らは大量生産が何ものかも知らないで、海外から帰国した留学生たちをだまそうとしていたのだ。
 また、「だませる」と信じていたのだ。愚かな。

 ある企業はニセ札判別機を開発し、国内シェアも非常に好調だという。
 そこで、よせばいいのに、工場長は
 「アメリカから優秀品だといってトロフィーをもらった」と金ピカのメッキ製品を見せて、帰国留学生たちに自慢した。
 そして、
 「うちの機械は、ドル札も判別できる」と豪語した。
 本当によせばいいのに。
 さっそく留学生がドル札を取り出し、クシャクシャに丸めてから、その判別機に通した。
 機械は勢いよくドル札をはじき返した。
 工場長は言葉を失った。
 参観の人々から思わず失笑がもれた。
 ある留学生が言った。
 「アメリカ輸出用の英語パンフレットを見せてくれ」
 「そんなものはない」
 工場長は激しく怒り出した。
 「参観は終わりだ」
 付き添いの地方政府の幹部も真っ赤な顔をして宣言した。

 だんだん留学生たちは絶望していった。

 「私は帰る故郷がなくなりました。近いうちに北京に一族を移住させます」

 これが彼の帰国後の言葉である。
 何だか、魯迅の小説の世界だね。

 在日経験の長い留学生諸君は、久々に帰国した故郷が、最近はすっかり変わってしまった光景に唖然とせざるをえないだろう。
 つい最近まで、
 「断固としてブルジョワ的な自由化に反対する」という共産党の基本政策綱領があったのに、現実には上海には
 「香港式俗悪金満文化」があふれかえってしまった。

 90年代に上海に一緒に通訳として帰国した私の留学生は、上海の南京路・人民広場に女性の半裸の看板が出ているのを見て仰天していたものだ。

 「ここは昔、紅衛兵が大字報を貼り出して、特権幹部たちを攻撃予告していた場所なのですよ」
 「上海の自由化は何が何でも行き過ぎだ。私は反動主義と呼ばれても、社会の風紀の混乱には反対したい」

 閣下は拍手して大賛成した。
 「うん。それこそ真の愛国主義だ。自分の母親が金のために身売りするのを喜ぶ息子が本当に母親を愛しているといえるのか。上海が間違っていたら、間違っていることを言わなくちゃいけない。真実に恥じることが本当の恥辱なのだ。真理にしたがうことが科学精神なのだ」

 しかし、彼はしばらくして日本国籍を取得し、日本人になった。
 彼が真の中国の愛国者であることは、教師の私が保証する。
 上海を本当に愛する彼は、上海の無秩序かつ急激な変化に精神的に耐えられなかったのだ。
 愛するがゆえに。



 「徹頭徹尾、ブルジョワ自由化に反対する」
 これは実にいい標語だ。
 香港の金持ち文化は実に俗悪だ。
 日本の道路のどこに黄金のキャディラックが走っているか。
 すぐ盗難にあってしまうよ。
 不法入国の中国ヤクザにね。

 しかし、香港やマカオの邸宅街は黄金の車がないと外出するのが恥ずかしいらしい。
 それが最近では、上海でも金色の車が走りはじめたというではないか。
 外は黒塗りなのに、中に入ると金色だらけというリムジンもどんどん売れているという。

 一般の日本人には信じられない俗悪趣味だ。
 ある金持ちが死んだ後に、元温泉旅館を改造した別荘が売りに出されたが、その家の風呂は18金のメッキがある黄金風呂だった。
 実名を言おう。
 横井英樹という人物だ。
 これを日本のマスコミは
 「この金持ちは趣味が俗悪だった」という明白な証明だとして徹底的な非難宣伝を連日のようにやった。
 それで、その金持ちの子孫たちは、普通のビジネスの世界からは全く追放されてしまった。

 中国共産党に問いたい。
 「経済発展には害虫が発生する」などとスットボケている場合ではない。
 社会矛盾や貧富の格差が拡大し、資産階級が政治権力を買収し、人民たちが奴隷状態にならないように、俗悪ブルジョワ文化には反対すべきだ。
 そして貯蓄と投資を奨励し、勤労所得を減税し、不労所得には税率を高くすべきである。
 不動産や高額商品には売上税をかけ、脱税商店は摘発すればいい。
 このように都市経済の暴走を増税で抑制すれば、大いに税収が上がるから、それを国土全体の交通基盤整備にまわし、内陸部の資源開発を推進すればいい。

 何か証券会社が倒産したらしいがね。
 閣下の予言通り、香港人たちが逃げ始めたのかな。
 手遅れなら、まあ今さらジタバタしても始まらないから、失敗の教訓は忘れないようにしたらいい。



私は天安門事件は基本的に中国の内政問題であると思っている。
日本人がどうこう言うつもりはない。

しかし、研究者としては遺憾なことが一つある。
それは中国社会科学院政治研究所の有能な研究者たちがほとんど亡命してしまったので、中国の政治学研究は事実上、崩壊してしまったことだ。
マルクス政治学の専門家の文献の生産活動も活発とはいえない状況だ。

政治研究ではなく、「政治文書の研究」はたくさん出ている。
これはハッキリというが、政治学の学術文献ではない。
複雑華美な「命令文書」の山に過ぎない。

この政治学の退廃は、専門家として実に目をおおうばかりの惨状だ。
中国の老練な政治家たちも、軍幹部も、そのことはよくわかっているはずだ。
若手の造反幹部たちは「命令文書」の解釈や実践には優等生であっても、「ファシズム」の意味さえも知らないのだ。



さて、前置きが長くなったが、本日の本題に迫ろう。

私は決して内政干渉のために、こんなことを書いているのではない。
日本とともに愛する中国を不当に非難するつもりもない。

中華人民共和国が科学的社会主義の基本原則を喪失し、中国共産党そのものの基本綱領がいつのまにか動揺し、内部から震該していることを嘆いてやまないのだ。
中国の革命精神が危機にあるのだ。

中国の革命は、日本の労働者をも解放した。
中国という「鏡」があったからこそ、日本の労働運動はこれだけの権威と地位を築くことができたのだ。
そのことは中国工人会の幹部の人々は、日本の労働界との交流でよく知っているであろう。
そして、労働者の権利の確立は、一般市民の発言権の確立にもつながった。
現在、引き続き発展しつつある市民活動の権利や情報公開の運動もまた、原点は中国革命に触発された市民たちの団結が原点になっているのだ。

私はいつもそのことを言っている。

中国革命は、アジアの歴史において明治維新と同じ役割を果たした。

辛亥革命は未完に終わり、その後の混乱が15年戦争になったことは、実に不幸な歴史だった。
しかし、中国社会主義革命は、まさに明治維新と並ぶアジア史の金字塔である。

もちろん、日本国内には、このような見方には反対する人々も多いだろう。
しかし、明治維新もまた、完全な革命ではなかった。
その不完全さが藩閥政治になり、軍閥政治になり、軍国主義になったのだ。

中国革命も、副産物として文化大革命を引き起こした。
そのことについては、もうあれこれ語る必要はあるまい。



私が国家戦略の専門家として語るべきことは、「宣伝政治の暴走」である。

政府権力が一般大衆に「偏見」や「感情」を一方的に押し付け、学習させ、賛同するものを優等とし、疑問をもつものを排除する。
そのようなことを十年間くりかえして十五歳の子どもが二十五歳になったら、どのような社会現象が起きるか。
外交部発言人が端的に述べたように、「見たくないものを見てしまった」という状況になったのだ。

彼らも包囲されているのだ。
「宣伝政治の恐怖」に。



閣下は「中国共産党中央宣伝部」の人々と一度も接触したことがない。
友人もいない。
知人もいない。
しかし、あちこちで「宣伝部」と名のる人物が出没しているのを聞きつけることが多い。
彼らの組織図は、国務院や人民解放軍のように公開されていない。

しかし、想像で何かを語ろうとしているわけではない。
彼らの活動は、あまりにも目立ちすぎる。
大した学歴も教養もないくせに、東京都内で
 「中央宣伝部に所属している」と声高らかに自慢して歩く中国人たち。
それが、私が知る「中国共産党中央宣伝部」の実態だ。

私に言わせれば、まあ「中央宣伝」じゃなくって、「自己宣伝部隊」といったほうが正確じゃないかね。
まあ、それは悪い冗談だが。はっはっはっ。

池袋の鍼灸院を経営する人間も、
 「俺は中央宣伝部だ」と傲然と自慢する人物だ。
彼は池袋で公然と上海マフィアと広州マフィアを仲裁し、池袋の黒幕として君臨している。
中国マフィアと共存しつつ、共産党の秘密機関とパイプをつないでいるわけだ。
おっかないねえ。

この奇妙な人物の発言がまた非常に笑えるんだ。

閣下は駐日・中華人民共和国大使館武官室と関係が深い。
国防武官の李鋭少将は、王毅全権大使よりも上席に立つ人だ。

つまり、共産党の党内序列でいえば、日本では最高なのだ。
閣下も著書を献呈して、非常に喜ばれた。
まさに正真正銘の将軍閣下だ。

それが自称「中央宣伝部」に言わせると、
「あんなやつ、あれ以上は出世しない。窓際だ。何の意味もない」などという侮蔑と嘲笑で激しくこきおろすのだ。
空軍少将閣下を。

当時は、現在は外務次官の武大偉閣下が全権大使であったが、
「あんな小役人は何もできない」とも言った。

いったい、この自称「宣伝部」なる鍼灸師は何者何様なのか。
中国共産党はいったいどうなってしまったのか。
私は、ある人からこれらの言葉を聞いたが、本当に驚いてしまった。

しかも、この鍼灸師は只者ではない。
羽田孜・元総理と江沢民主席が会見したときに通訳もつとめたとあちこちに吹聴しているのだ。
それだけではない。
羽田さんと会見が終わったら、江沢民主席が何と発言したか。

「日本の政治家との会話は何も成果がない。まったく無意味だ。特に、あの羽田は頭の中味が空っぽだ。パーのパーのパーだあ」

そういって、国家主席は大いに嘲り笑いしたというのだ。

私は勉強不足なので、「パーのパー」などという中国語があるのかどうかも知らない。
そんな幼児じみた表現を、中華人民共和国の国家主席が常用するということも信じられない。
私は羽田さん(成城学園の先輩)と、江沢民主席の会見に重大な意味があったとは思わないが、それにしても中国の国民たるものが、江沢民主席のイメージを傷つけるような「噂」を自慢げに話して歩いていることに心底から仰天したのである。

そのような人物が、東京都内を歩き回り、
 「私は東京の中国人社会の皇帝さまだ。中央宣伝部の幹部だぞ。中国全権大使や空軍の将軍なんか知ったことか」などと傲然と言いふらしているのである。

こういうのを「逆宣伝」というのだ。(笑

本当に中国共産党中央宣伝部という機関が、まともに毎日仕事をしているならば、まず、このような人物を厳重に審査し、その言動をチェックして、このまま野放しに活動させていいものか、早急に判断すべきではないのか。



さて、閣下が戦略理論の専門家として考えるに。

彼らはウソは言っていない。
やはり中央宣伝部の外郭団体か何かに所属しているのだろう。
そして、宣伝部の主要人物たちと、定期的にコンタクトをとっているのだろう。

彼らがあのような傲慢下劣な幹部月旦(人物評)をやっているのは、彼らが「領袖」として尊敬している相当の地位の造反幹部たちが、彼らの目の前で老幹部たちを軽蔑し、侮蔑し、痛罵してやまないからである。
なぜ、宣伝部の幹部たちが、政治局クラスの最高幹部たちを密室で非難したり、攻撃しているのか。
それは彼らが秘密警察のように、最高幹部たちの私生活のプライバシーや個人情報をすべて握っているからである。

李肇星外交部長さえ、日本の外務大臣、外務副大臣の前で、あらかじめ用意したメモを震えながら読み上げる始末だ。

私は李閣下を尊敬していたのだ。

何を怯えているのか。
何に脅かされているのか。

中央宣伝部は、いつのまにか規律委員会の訴追弾劾権限を代行する「思想検閲警察」に成長していった。
つまり、反党・反革命を取り締まるという名目で、党中央の権威をうまく利用し、反日路線に熱意のなさそうな幹部の言動をチェックしていた。

中国共産党に、いつのまにか「ゲシュタポ(秘密警察)」が誕生したのだ。
誰も彼らを抑えることができなかった。

それが今回は、政治局の役割まで代行しようとした。
まさしく組織の暴走だ。

北京市の公安警察幹部まで、さる筋から「愛国者たちのデモを阻止するな」と何らかの示唆を受けていた。
「無許可のデモは禁止だ」といえないほどの立場の人物から。
デモ隊のバス輸送も阻止しなかった。
バスのナンバーも見落とした。
宣伝部の高官が独断で北京市公安に「デモは認めた。阻止するな」といえば、電話一本だけでああなるじゃないか。

デモ隊に卵を配り、みんなでペット・ボトルを投げるように指令し、「打倒小日本」とハンドマイクで叫びつづけた「太った女」は逮捕されたのか。
どこへ逃げ出したのか。

知っているぞ。
この女は、サッカー場のまわりでも、赤く塗った大きな刀をふりまわして、「抗日愛国」と叫んでいた豚女だ。
「小日本は皆殺しにしてやる」とも絶叫していたぞ。

東京・池袋の「子分たち」の天を衝くような傲慢さは、天地無用の北京の「親分」の尊大さをそのまま反映しているわけだ。

知っている人は知っている。
これは「乱」の兆候だ。
そこで、この造反組織がいったい何をめざし、何に向かって突き進んでいるのか、おのずと理解できるだろう。

中国政治史の用語でいえば、王洪文路線だ。
宣伝部の領袖が政治局員入りを狙い、政治局を奪権しようとしていたのか。

これは経営学者として、経営の現場でも、よく目にすることである。

これが中国共産党中央宣伝部の正体だとしたら、本当に恐ろしいことだ。
彼らは国家転覆・指導部粛清を企てているのか。いたのか。

もちろん、その陰謀計画はつぶされ、彼らは今、軍事基地の中で厳重な審査を受けているところだろう。




 表題の「ブリュメール」というのは、フランス大革命で制定された「月」の名前である。
 西欧で「月」の名は、神様やローマ皇帝の名前だから、革命政府は嫌ったわけだ。
 それで革命暦「ブリュメール brumaire」というのは二月・「霜の月」ということだ。当時の中国(清王朝)の暦を参考にしたらしいね。

 しかし、「BM18」と聴いて、ピンと反応できれば大したもの。
 今は五月だからな。
かのカール・マルクスの 『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』 という名著がある わけだ。ちゃんと読んでいないとわからんわけよ。
 ルイ・ボナパルト(ナポレオン三世)が実際にクーデターを起こしたのは、12月2日だった。
 「ブリュメール(2月)18日」というのは、彼の叔父、ナポレオン・ボナパルトがフランス革命政権に対してクーデターを起こした「その日」なのだ。
 マルクスらしいウィットというわけだ。

 閣下がこの問題で推薦するのは、 筑摩版『マルクス・コレクション』 の訳版である。
 学生向けに難解な概念も、割りに噛み砕いている。
 岩波文庫版は、古本屋で50円ぐらいで投売りされているが、これは表現が難しすぎるし、訳者がドイツで哲学をやっていないので、解釈がきちんとしていない。
 難解な翻訳で悩んでしまう必要はない。
 学生なら、大学図書館で借りられるよ。

 さて、内容だが。
 ルイ・ボナパルトは英雄ナポレオンの甥だった。彼はナポレオンの後継者として適当な存在だと「みなされていた」。
 ナポレオンの失脚後、フランスは王と貴族の政権が復活したが、ブルジョワジーの新興産業家たち議会派首脳は、ブルボン王家の人々の性格の悪さに飽き、ついに王権をひっくり返し、彼らの言いなりになる共和制政権を立てた。
 ここにプチ・ブルジョワジー(いわゆる「プチ・ブル」)という新興勢力が議会派に台頭し、社会民主主義という折衷イデオロギーを発明する。
 こうして彼らは、実は産業階級のカイライでありながら、労働者や市民に媚をふりまくポピュリズム政治をやりはじめる。長続きはしない。
 そこにルイ・ボナパルトが登場し、軍部の支持を得てクーデターを起こした。
 この時のマルクスは、いわばジャーナリストで、経済理論を説いているのではない。不完全な情報に基づいた政治評論ともいえるが、社会現象の分析力は、やはり哲学博士である。論理展開も見事なものだ。

 前置きが長くなったが、「中央宣伝部のブリュメール18日」というのは、サッカー反日サポーター騒ぎから、反日暴動まで、このマルクスが批判した「プチ・ブル社民主義」とボナパルティズム(中国では王洪文路線)のあらすじを、まさにクーデター直前までなぞり書きしているからである。

こらっ。中国共産党員。
 こんな本は読みもしないだろうが。
 全く不勉強なやつらだ。
 共産主義の基本文献も読まないで、何が「共産党員」だ。
 中国語で「口先だけデカイ野郎」というのは、お前らのことだ。


 中国共産党は、趙紫陽首相の「初級段階論」以降は、きちんとした政治学分析を中国社会に対しておこなわず、階級対立やトラブルを政策宣伝で抑制する方針をとってきた。
 ここに 中央宣伝部が、あらゆる分野に口を出し、あらゆる幹部に命令し、自分たちは一つも誤りを犯さないという強大な自己錯覚集団に変貌成長する「余地」ができてしまった のである。

 中国共産党の結党精神は、労働者階級と無産農民の階級利益に貢献し、革命を実行することであった。
 しかし、 中国共産党中央宣伝部は、都市部の産業家たち、つまり新興プチ・ブルから活動資金を巻き上げて、巨大な組織をつくりあげ、教育・文化・マスコミを支配下におき、大学内の党組織にも命令し、海外にも情報部員を派遣して、独自のボナパルティズムに向かって政権を奪取しようとしたのだ。
 彼らが目指していたのは、労働者のための共産党ではなく、言いなりになる都市プチブルを味方につけた独裁政権なのだ。
 具体的に言えば、イタリアのファシスト党、ドイツのドイツ国家社会主義労働者党(ナチス)と同じ階級基盤政党と同じ性質、同じ扇動宣伝政権をやろうとしていたわけだ。


 だから中国できちんとマルクス政治学をやっている人間がいたら、「中央宣伝部の陰謀を阻止しろ」と発言するはずだよ。
 実際にそれらしき動きはあった。



◆党批判の北京大助教授解雇

 中国でイデオロギーや報道部門を統括する共産党中央宣伝部(中宣部)を批判する論文を発表した北京大学新聞伝播学院の焦国標助教授(41)が三十日までに大学を事実上解雇された。同学院関係者は時事通信に対し、「焦氏は辞表を出し、米国へ出国した。理由は分からない」と語った。焦氏は「中宣部を討伐せよ」と題する論文を発表し、報道の自由を求めて徹底的な制度改革を訴えた。(北京 時事)[産経新聞 2005年3月31日(木)]



私はこの元北京大学助教授の意見には100%賛成しない。
彼が本当に自己の利害を求めない義士なのか、保証する手立ては何もないからだ。
方法論としても間違っている。
つまり、「自殺自傷行為」だ。
過激な主張をすべき時期も見誤っている。
言論の中味も政治学的な分析はなく、ただ単に「学問的な悲鳴」みたいなものだ。
盛唐の筆さばきで「自滅」と書くようなものじゃないか。
説得力もない。
しかも、主張すべき相手も考えないで、ただわめき散らしても弾圧されるしかないじゃないか。
それこそ、カール・マルクスの教訓を見習うべきだ。
中国の社会科学研究者は恵まれすぎているよ。

付け加えると。
中国の中央宣伝部が何を意図し、何をやろうとしていたか、アメリカも、日本も、ちゃんと情報は持っているのだ。
知らぬは中国政府だけか。
いや、違うな。
みんな中央宣伝部を敵に回すのが怖かったのだ。

わかるよ。



■中国の動向-何清漣氏見解 反日デモは国家ゲーム

 ■政治・安保の強大化嫌う
 【ワシントン=古森義久】中国の経済や政治の鋭い分析で知られる在米中国人女性学者の何清漣氏は産経新聞と会見し、中国での最近の反日の動きについて「中国指導者に歴史問題で日本を非難する資格はない」と述べ、中国の真の不満は日本が政治面や安保面でより強くなることだとの見解を表明した。何氏は日本政府の中国への対応をも批判した。一問一答は次の通り。
                  ◇
 --反日デモはなぜ起きたのか
 「基本的には中国政府による国家ゲームだといえる。政府が特定の政治意図の下に主導したのだ。中国では一九八九年の天安門事件以降、憲法改正を経て、いかなるデモ、集会、ストも詳細を事前に当局に届け出て許可を得ることになっているが、実際には届け出も許可もない。 九九年の米軍機のユーゴの中国大使館爆撃と二〇〇一年の米軍偵察機と中国軍機の接触事件の際には大規模な反米デモが起きたが、いずれも完全な政府主導だった。私は当時、深センで新聞記者をしており、共産党中央宣伝部が反米デモの命令を出し、学生らを動員し、マスコミにまで報道方法を細かく指示する様子を目撃した。今回も深センでは反日デモの先頭を切ったのは私服の公安要員だったと聞いている。中国全土の二十都市で同様のデモが同時に起きることも政府の指令なしには考えられない
 --中国政府の政治意図とは何か
 「アジアでは中国がリーダーであり、日本が政治的に強くなって、同様のリーダーになってはならないということだ。また日本が日米安保条約に基づき台湾防衛に関与することには中国は激しく反発する。こういうメッセージをデモ行動で日本に伝えたいのだろう」
 --温家宝首相ら首脳はみな日本側のいわゆる歴史認識にも言及するが
 「中国の指導者に日本の歴史認識を非難する資格はない。私は日本政府の戦争の歴史への対応にも批判的だが、中国当局は大躍進の飢餓や文化大革命で何千万人という自国民が命を奪われた歴史を隠している。中国の教科書は教えない。中国指導者は歴史の隠蔽(いんぺい)を自国民に謝罪して初めて他国に謝罪を求める資格が生まれる。中国当局は特に日本に関する歴史を隠している。戦後、中国が日本への戦争賠償権を放棄したことも日本が中国に巨額の経済援助を与えていることも中国国民はきちんと知らされない。九五年の村山談話での日本の謝罪も中国一般には知らされなかったのだ」
 --日本側の中国への謝罪は報道されないということか
「そうだ。謝罪に関していえば、六四年に毛沢東主席が当時の日本の社会党の佐々木更三、黒田寿男両氏が戦争について謝罪しようとしたのに対し、『謝る必要はない。なぜなら中国人民(共産党)は日本軍なしには権力を奪取できなかったからだ』と述べた記録がある。その歴史は今や隠されている。中国では共産党がすべてのマスコミや教育を支配しているのだ。日本政府は歴史認識という道義的領域で中国の主張に押されないで、逆に中国の国民の自由や人権、民主化などの拡大を強く求めるべきだ
                  ◇
 【何清漣氏】1956年、中国湖南省生まれ、上海復旦大学の経済修士号を取得後、複数の大学で教鞭をとり、 中国共産党深セン市委員会宣伝部 に勤務、深セン法制報で記者をも務める。中国社会科学院の研究員を経て、98年に中国の政治と経済の特異性をあばく書、「中国現代化の落とし穴」を書き、全中国で話題となる。だが、当局から迫害され、2001年に中国を脱出して米国に渡る。現在はプリンストン大やニューヨーク市立大で研究員を務める。[産経新聞 2005年5月9日(月)]



こういう政治分析ができる政治学者がいないことが、中国共産党の目下の最大の問題点だと断言する。
 中国政府にとって、耳の痛い話でも、誠実に聴かなければならない話もある。

 中央宣伝部が「友好、友好」なんて旗振りを切り替えて、何になるのか。
 それは中国人民を二重に欺瞞し、現政権が大戦略を持たない日和見主義を採っているという「現実」をマダラ色の赤旗を立てて宣伝しているにすぎない。
 それは「逆宣伝」だといっているのだ。

 そもそも中国共産党員が、市場経済の暴走で、「プチ・ブル階級とは何か」を理解しているのか、まったく不可解である。
 また、共産党幹部が「ファシズム」の政治学的定義と実態を熟知しているのか、非常に疑問である。
 中央宣伝部の仕事は、共産党員に対する社会主義教育の水準向上がそもそもの任務ではなかったのか。
 それがこの有様では、論評すべき言葉も見つからない。

 日本政府の対応や、日本の軍国主義信奉者について、中国で批判的な言論があるのは全く自由なことだ。
 日本の軍備拡張についても、このままでいいのか、戦略理論の立場でも私は問題を感じている。
 それを「日本人を追い出したら、バブル経済が崩壊して、中国社会は大混乱する」という現実が迫ってきたら、なりふりかまわず「友好、友好」なんて、ふざけたことを言うな。
 そういう態度を「戦略不在だ」というのだ。

 お前たち中国共産党・中央宣伝部・全職員は、すでに「アジア史」という厳しい批判の嵐の中に立たされるべく、
 「自分たちの権力の野心のために、アジア大分裂を画策し、中国社会を大混乱に陥れたファシスト造反分子」として審判され、断罪される運命にあるのだ。血迷うなかれ。



 私は一友好人士として、誠実に中国共産党中央規律委員会に以下のように要請する。

 中央宣伝部の幹部をすべて政治審査し、現在の状況を招いた責任者がどこにいるのかを追及し、その人物の問題行動を発見し、事実に基づいて詳細な調査を実行し、政権陰謀の全貌を中国人民に公開すべきである。
 そして、二度とこのような造反分子を生まないように、共産党員の思想的なプチ・ブル化、ファシズム化を根本から阻止しなければならない。

 それが中国社会主義を正しい政治路線に推進することになるだろう。
 中華人民共和国万才。




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》》☆NEXT☆もし私が中国人民解放軍の将軍ならば、中国共産党中央宣伝部を砲撃する。》》


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