第二章~それぞれの悲しみ~


 次の日の朝、思い切って隣の部屋の井上君のところへ行ってみました。
「あ・・あのう・・」
私の思いきった行動でした。
「昨日・・・あの・」
「あ。すいません。お騒がせして。」
「いいえ。」
私は、彼に言葉を返してもらって本当に嬉しかったです。
「あの・・それで、井上さんとお友達になりたいかなと思って。。。」
「・・・・いいよ。」
何ともいえない喜びがありました。車椅子の私を見て、同情したのか
分からないけど、とても嬉しかったです。初めて友達ができた時みたいに
嬉しかったです。いえ、それ以上に嬉しかった。いろいろ話がしたかったのに、
血圧検査と注射・点滴交換の時間になってしまいました。
朝食はまだ食べさせてもらえませんでした。体が弱く、体重も軽い私にとって
点滴だけというのは、私的には困ることは無いが、私の体がちゃんと食べられる
ようになるまで、保つかどうかが心配でした。
私が口にする物は、朝昼晩と飲む、7つの種類の薬と水だけでした。
口にするという物ではありませんでした。
しかし、翔くんは、食事もちゃんととれるし、限られた物なら食べられる。
お昼を過ぎて、祖母が見舞いに来た。祖母も、いろいろ地域の仕事などで
病室に来るのは、お昼休み・帰りでした。
祖母が見舞いに来てくれた時はとても嬉しかったです。片手にお花をっ持っていました。私の大好きなナデシコの花です。祖母はそれを私に渡して、
「大丈夫なんか?」
といいました。私はこくりと頭をさげました。祖母は安心したような顔をして、
帰ってしまいました。
私は、車椅子に乗り、翔くんの部屋へ行きました。もう食事は済んだと思います。
時計は1時になろうとしています。
「ああ。早美沢さん。」
「唯でいいです。。」
「どうしたの?」
「あの、いろいろお話したかったの。」
「・・・。そういえば、さっきおばあさん来てたよね。あのさ。いつもいつも
 おばあさんだけど両親は?」
「・・・・。あの~。え~と。あの、私は、お母さんとかお父さんの顔見たこと
 ないんだ。」
その後、彼は何も言いませんでした。私も、ただ黙って下を向いていました。
そして、数分後、彼は、私に思いもよらぬことを言ったのです。
「・・・俺の親は二人とも養父母だよ。」
彼は、あきれたように言った。私は、驚きのあまり車椅子から落ちそうになったのを必死でたえた。
「そうなんだ・・・」
と、私がくらい表情で言うと、彼が、今までのことを語ってくれた。
「俺がちょうど9歳の時かな。父親が病気で死んだのは・・・。俺、すごくさびし
 かったんだ。いつもはサッカーしたり、キャッチボールをしてくれた、優しい
 父親がもういないんだ。って思いながら、夕方、学校帰ってきて、いつも一緒に
 遊んだ庭で、地面に座って赤い夕焼けの空見てたんだ。・・・・・
 父親が死んで1年もたたないうちに、母親も自殺した。まあ、祖母がみんなに
 自殺だって知られたくなくて、そのまま普通のお葬式をしただけなんだ。
 祖父母は預かる気が無いって言って、養護施設送りだ。
 2年後、新しい父親と母親と一緒に暮らすようになった。
 でも、父親も母親も酒癖が悪かった。俺のこと虐待し始めたんだ。それで、
 俺、家出したんだ。でも、運悪く車にはねられた。足や手の骨がおれたりして
 大変だったよ。ここに来てもう1年とチョットになるな。勉強は、教科書を使っ てやってるから、別に不便はないね・・・。」
私は、ちょっとの間考えた。やっぱり、彼が話してくれたんだからわたしも・・?「私の、父親は私が生まれてすぐどこかへ行ってしまったの。離婚だってさ。
 母親も、私が3歳の時に勤めてたクラブの人と結婚しちゃったんだって。
 そのとき33歳だったんだよ。
 宛も無いから祖母のところで預かってもらっていた。私が生まれる前から、
 離婚寸前だったんだってさ。それに、ほとんど一緒には居られなかったし。
 だから、写真とかないし、記憶にも親の顔ってないんだよね・・・・。」
私は、半分泣きながらそう言った。すると、翔くんは、
「大丈夫だよ。」
と、一言だけ言ってくれた。涙があふれてきました。
翔くんは、なにも言わずに私の車椅子を押して、私を病室までつれていってくれました。そして、静かに部屋を出ていきました。
その日一日、私はずっと涙が止まりませんでした。
私にどうして親がいなかったのか。
どうして翔くんは義理でも親がいるんだろう。
翔くんにはいて、どうして私にはいないんだろう。
私はそのとき初めて祖母をお母さんとして考えられませんでした。
田舎で二人暮らし。それでも祖母は私を我が子のようにしたってくれました。
祖父が結婚してわずか2年後に亡くして38年。いつも1人だった祖母には
私がいてくれたことが幸いだったんだろう。
そんな祖母を私も母当然として暮らしていたにもかかわらず、なぜそんなことを
考えてしまったのか今でもわかりません。
私はその夜、一睡もしませんでした。夜の病院は静まり返っていました。
時より夜勤で見回りに来た看護婦さんが、
「眠れないなら薬飲む?」
と声をかけたけど、私は首を横にふりました。
私は、ふいに祖母が言っていた言葉を思い出しました。
「唯のお母さんは、看護婦さんなんだよ。えらいべ?一回ばあちゃんに白衣
 姿自慢に来たんだど。いや~。ホントきれいだったよ~。
 ・・・ホントにまじめで、優しい子だったけのに。。。
 2年チョットでやめちゃってね~。看護学校でも人1倍ガンバってたって聞たん だけどね。。。」
・・・母も、あの看護婦さんのように白衣を着て、働いてたんだ。
私は、なんだか母に会えるような気がした。

次の日は、雪が降りそうなくらい寒い朝から始まった。しかし、どうやら病室ではヒーターが、かかっているようだった。とても部屋の中は暖かかった。
窓のそとで、登校中の小学生が見えた。
そのあと、会社出勤の男のひと・自転車にのって中学校へ行く女の子3人組。
外は冷たい北風が吹いてるようだ。みんなマフラーや手袋をはめ、ジャンパーや
コートを羽織っている。それに、病室の窓の真ん前に植わっている大きな桜の木の
細い枝が大きく揺れている。
すると、病室のドアが開く音がした。
 看護婦さんが体温・血圧をはかり、注射をうって点滴をかえ、薬を持ってきた。
看護婦さんはいつも私の世話をしてくれる、湖茉さん。(こまつ)
 湖茉さんが帰っていったあとすぐ、別のベージュ色の陰がみえた。
誰かと思ったら、姉だった。26歳の姉。いま、東京で薬剤師をしている。
 私には、兄姉がとても多い。いま(当時)、29・28・15歳の兄、
この26歳の姉。末っ子の私を含めて5人兄姉。
 こんなに兄姉が多いにもかかわらず、祖母1人で育てられたのは、やはり兄たち
の年齢が働けるほどであったことと、私のウチが普通の家庭に比べてかなり裕福で
 あったから。父方の祖父はアメリカの大きな会社の副社長であって、その祖母は秘書だったらしい。でも、私にとって裕福なことはちっとも嬉しくはなかった。
 広い家に住んでて、頭がいい子がいて、お金があるだけじゃ何にもよくない。
一番イヤなのは、
 「お金持ちのくせに!!」
と言われることだった。

 姉は、果物の入った大きなボールくらいのかごを両手で大事そうに抱えて
私の横のいすに座り、かごを隣の机においた。
 祖母はこの姉のことをとことん嫌いであった。母の顔によく似ているからだった。私にしては頼りがいのある優しい姉だった。姉は仕事を休んできたという。またすぐに大阪に帰らなくてはならなかった。私は今1人になりたかった。いくら祖母が嫌うような母でも、私のお母さんだ。記憶には残っていないお母さん。一体どこにいるのか分からないお母さん。・・・なぜ捨てたかなんて分からない。
知りたくない。姉は、私の勉強用具などを祖母に頼まれて持ってきたという。何も手につかないのが心境。でも、せっかく持ってきてくれたんだ。別に勉強する予定はなかった。姉が20分後に帰っても、何も考えなかった。お母さんはどこに要るのかなんて知りたくもなくなってきた。何で捨てたの?何で?こんなにからだの弱い私をどうして捨てたの?顔なんて思い出したくもないよお母さん。どうして看護婦の夢を諦めたの?看護婦のお母さんなんてすごくあこがれるよ。・・・その前にお母さんが要るなんて夢のまた夢だよ。お母さんがいなくて悲しかったことは色々ある。家庭訪問や授業参観。祖母は授業参観は来ない。私がやなおもいをするんじゃないかって心配しているらしい。私も決して来て欲しいわけではなかったのかもしれない。みんなは、親が見に来るのをいやがっていたけど、それはなんだか嫌みみたいで悔しかった。どうせ私のお母さんは来ない。だから一生懸命頑張ったって、誰もほめてはくれないのだから。・・・そう言えば、ほめられたことってあるっけ?なかったような気がする。祖母はあまりほめないたちだから。どんなにお兄ちゃん達がいい成績を取ってもほめなかった。なぜなら、もっと上を目指してほしいと言うとても高い望みがあったからだ。上には上がいる。とはよく言う。だからこそ頑張ってほしかったのだ。祖母は、決して志望する学校に意義を付けなかったが、成績には厳しかったようだ。厳しいとは言っても、文句をつけるわけではない。本当に頑張っているのかが知りたかったらしい。前より落ちていると、
「本当に頑張ったのか?何で下がってるんだ?2だっていいから、それ以上は下がらない用にしなよ。」
と、厳しく言う。私は、父譲りの頭の回転の良さがあるのか、ほとんど悪い点数ではなかった。なぜなら、私にはちゃんと遊んでくれる友達が少なかったから。小学生の頃、今までに何回もこのように入院したことがある。担任の先生が、みんなには風邪だと言っているが、母親達の噂か何かによって薄々知っているらしい。私の病名は、名前はよく知らないけど、心臓に障害があって風邪も治りにくかったりする。そのため、間違った薬を飲むと、とんでもない副作用が起こるらしい。人には決してうつることはないが、何らかのカタチで体内に入ると大変な病気になる。
念のため言っておきますが、エイズではありません。でも、エイズのように限られたことをしない限りうつらないのに、差別されることもあります。エイズだって、そうです。うつるにはちゃんとした理由があるのに、差別されます。。。
 ――――その病気を親から聞かされ、なかなか遊んでくれる友達はいなかった。いるとしても、同情か何かだろうか。うつらないと聞いて安心したのか分からない。2,3人はいても夏・冬・春休みは誰とも遊ばない。ずっと暇な毎日だから、勉強している。そうすると、イヤでも内容が頭に入る。テストで良い点とったって誰もほめてくれない。誰も声をかけてはくれない。

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