永遠の夜を越えて 封神演義番外編19




 炎の赤。憎悪の紅。

 子供の目に映る風景に微かな既視感を、あの時感じたのは嘘ではなかったと、そう言うことなのだろう。
 彼は自嘲的に笑った。
 重なる赤の風景が記憶の彼方で呼び掛けた。お前は嘗てこの地にあったものだと。もう再び還ることのない光景を目の奥に閉じ込め、先を見続ける他無かった。

 あの時の彼には。



 繰り返された歴史が終わりを告げる、刻が来る。



 そしてまた―――――。







永遠の夜を越えて









 彼は廃墟を見渡せる、やはり崩れかけた塔の上に立っていた。度重なる爆風に辛うじて耐えてきた建造物群も、もう長くは持たないだろう。崩れ去るのは時間の問題だ。脳裏を炎が過ぎる。
 生き残ったのはほんの数人。それもまた徐々に数を減らしている。他の星への移転を考えたのは自然の成り行きだった。言い出したのが「彼女」でさえなければ。
(何を企んでいるのやら)
 目を眇めて厚い雲が覆う空を見上げた。
 確かに彼等ほどの知的能力、そして身体の適応能力に優れた種族は、宇宙が如何に広くともそうは存在しないだろう。船に搭載した電算機がどのような惑星を選択したとしても生存に支障はない。恐らく。だからこそ「彼女」の思惑が気になる。
(忠告しておくが良策だろうな)
 何を、どうすべきか。
 彼等に先を見通す能力など、あるはずもなかった。

 鐘の音が聞こえた。弔いの鐘が鳴る。滅び行く世界に弔鐘が響き渡る。
 果たして死んでいくのは誰であるのか。ふと浮かんだ言葉を、頭を降ることで体外へ吐き出す。動かなくなった計器類が足許に散らばっていた。踏むと、それは奇妙な音を立てて拉げる。ばらばらになった機材を一瞥すると、彼は歩き出した。
 そろそろ出発の時刻だ。
 弔鐘に爆音が混ざった。世界が発する悲鳴のようだと、彼は思った。


 愚かしいことだと、彼女は考えていた。
 あれほど膨大な熱量を有しておきながら暴走させる以外の能がない等、低俗の極みだ。最早塵としてすら残らない嘗ての為政者に対し、冷笑を浴びせかける。
 すぐに旅立ちの刻が来る。
 優秀な処理能力を持つ機械のこと、首尾良くこの星とよく似た惑星を探し出すことだろう。既に幾つかの候補が上げられていることを彼女は知っていた。何しろその機械を作るにあたって指揮を執っていたのは、他ならぬ彼女自身であったので。
 自分たちの力さえあれば、この事態を引き起こす前に片を付けることも出来たのだ。本来であれば。今度こそ違うことなく。
 彼等と共に作り上げる新しい世界を、彼女は夢に描いていた。
 簡単に実現するはずの、精密に構築された来るべき世界の夢を。

 彼女は唯一人、見続けることになった。







 この世は夢
 真透婆の彩に身を委ね眠れ 






 亜空間に閉じ込められた彼女の姿は嫌になるほど滑稽だった。一歩間違えば自分もああなったのだろうと思うとぞっとした。恐らく自分たちはよく似ていたのだ。酷く合理的な考え方をする所など、特に。一つだけ決定的に違ったのは、彼女は大層自分というものに正直で、自分がやたらと嘘つきだったということだろう。加えて重度の面倒くさがり。それでよく衝突したものだ。
 この世界と同化した彼等がどうなったか、あまり興味はなかった。意識や意志、識覚が失われるというのは、死と何ら変わることはない。おそらく何か違う形で幸せになっていくのだろう。ほんの少し、羨ましいという感情が覗いた。
 目の前には樹海が拡がっている。墓守には丁度良い。
 彼もまた唯一人、新たな世界を見つめ続けることになった。



 静寂が終わりを告げたのは一度目の崩壊。

 幾度も瓦解し、または自らの手で破壊し、その度毎に彼女は世界を築き上げた。砂上の楼閣。完璧なはずの世界はいつも酷く脆かった。
 彼は静かに見つめ続けた。人に紛れ獣に混じり空に融けながら見届けた。
 「人間」の感情に同調したのはもしかすると失敗だったかも知れない。そう思って彼は苦笑した。後戻りは疾うに効かなかった。

 どちらがより懸念したかはもう解らない。お互い飽いていたのだろう。
 偶然にも、互いが同時に決着の算段を練っていた。







 お前は消滅を望んでいるのか










 少年は我に返った。作っていたはずの草笛が手の中で残骸になっているのを呆然と見つめる。これではまた妹が癇癪を起こすだろう。
「作り直そ」
 答えるように、背もたれにしていた羊がめぇ、と鳴いた。
 春風に運ばれ、遠く山から冷たい雪の匂いが届く。少年は首を竦めた。
 時折、幻の黒と赤の翳りを見る。親たちにそれを話すと、きっと『あの時』の記憶なのだろうと抱き締められて、おかげで違和感についてまで告げることは出来なかった。一体何が違うのか、少年自身にも解らない。
 閃光が弾けるように脳裏に閃く光景。黒煙。爆音。見たこともない黒光りする建物。人ではない生き物。見えたと思う瞬間にそれらは消え去り、次に見えるまで、彼自身そんな景色のことは欠片も思い出すことがない。あれは何なのか。
 西に傾く日を見つめ、少年は立ち上がった。そろそろ帰らなければ、また心配されるだろう。一度死にかけた過去があるためか、自分の周囲の大人たちは過保護に過ぎる。次期族長を約された少年の、それはささやかな不満でもあった。



 歯車は回る。
 恰も偶然のように。
 全てを導くのは、彼自身が紡いだ必然。
 彼女らが招く悪夢と共に。





 無感動な眼差しを、綺麗だと表現した女がいた。あれは何時のことだったか。彼は記憶を辿ろうとする。何かが決定的に足りなかった。足りないものは遠い記憶なのか、それとも切り捨てられたときに置いてきた光ある世界という代物なのか。
 鉄柵の向こうに覗く閉ざされた球形の世界をぼんやりと眺める。思えば随分と長い間こんな状態でいるような気がする。この星こそが檻だ。約定は鎖。
(これは誰の感情だ)
 磨り減った指先にこびりつく、ほんの少し前の時間にはどろどろと流れていた赤いものを無造作に剥がす。痛みの感覚は神経を伝って脳へと辿り着いた。ああ、痛い。
 薄暗い球体に閉じ込められて、昼もなく夜もなく、人もなく妖もなく、自分と他人の境界線すらもあやふやで。そうかこうやって人は壊れていくのかと奇妙に冴えた頭の片隅で思考回路が空回りしていることを把握した。闇に、染まっていく。体内に黒々としたものが溜まっていくのが判る。
 やがて陰に同化する。
 ならば光は何処にあるのか。
 陰なき光が存在しない以上、光なき陰もまた存在しない。真理。
「何処にいる」
 呟き。
 女の足音が聞こえた。

 自分の声が反響する。気色悪い三面鏡。これは「復讐」、これは「断罪」。最後に残ったのは「渇望」。同じ顔同じ体同じだったはずの魂魄。
 半身の名を「望」と。

 俺を切り離したのは誰だ。

 女の笑い声が満ちる。





 その腕に蒼の至玉を抱き締める夢を見る。
 白く美しい女の肢体が仄かな寂光に映える。暗闇の中に浮かび上がる一つの結晶体。その色が自らの体内に吸収されていく。透き通り、解け合い、やがて一つのものと成る。完全なる同化。
 異分子はたった二つ。
(いいえ、今は三つ)
 設計図は完璧。予測不可能であるのは彼の存在だけ。けれどそれも予定調和の内に過ぎない。
 人ではなくなった男が自分を捜している。哀れな駒。
(でも、そうね)
 あなたの中にいることが出来ないのは少し残念かも。
 彼は死ぬために生かされている、人間界において最強の駒。片割れが代替わりしてしまった為、しばらくは釣り合いをとるのが難しかったが……。
(さすがは)
 心惹かれる対の碧玉。
 その時に精々後悔なさい。

 あなたはあの方ととてもよく似ているわ。

(あなたの方が好みだけど)

 月の光が銀糸に跳ねた。
 人の姿は何処にもなく、ただ、美しい影が一つ、闇に消えた。





 高見からの視線を感じることがある。
「導とは何か」
 片目の男が道化に問うた。おそらく最も問答に向かない相手。
「人の言葉に直せば『神』と」
「信じているのか」
「知っているのですよ」
 何処かで誰かが聞き耳を立てている。
 道化は思う。この男も駒だ、と。
(では彼等もそうなのだろうか)
 自分も例外ではなく。
「………そうか」
 追求することなく男は歩き去った。無表情のまま道化は笑った。
 ああ、これから始まるのは何と面白い出来事だろうか。





 幾つもの武器を作った。
 幾つもの種を蒔いた。
 幾つもの世界を過ごした。



「王亦」
 何処を見ているか不明な瞳を、少年は投げて寄越した。
「燃燈、まだ何かあるのか」
「お前は何だ?」
 傲然と彼が問えば、少年は幾度か瞬きを繰り返した。突然、意外なことを聞かれたかのように。
「何だと思う」
「わからんから聞いている」
 あっさり自らを二つに分けると言うなど、手段を選ぶこと無い冷徹さを示しながら、時折この星への愛着を見せることがある。人でない力、仙ですら不可能な技術。始祖。
 人でなく妖でなく仙でなく。
「神ではない。だから安心しろ」
 そう言った少年は微かに笑ったように見えた。非常に珍しいことに。
「おい」
「派手に喧嘩してくれるとありがたい」
 ひらりと手を振って。
 少年の姿は虚空に融けた。

「答になっていないぞ」
 呟きに答えるものは誰も居ない。





 近くにいる。
 半身を呼んでいる。
 その鏡を覗けばすぐ其処にあるのに。
 在るはずなのに。

 そして、お前は何処にいる…………。

(我が同胞よ)





 感じたのは光と闇。

 善悪分かつなど簡単に言ってくれるわ。腹黒いのはどっちでも変わらねぇだろが。ダアホ表に出すか出さぬかは人間界で生きる以上かなり変わるわ。開き直ってるだけじゃねぇか、けっ。人として育ったからのう、わしがおぬしの立場であればおぬしとなったであろうし。俺がお前だったらお前として対峙しただろうよ、考えるのもおぞましいけどな。お互い様であろう、それは。あまりの気色悪さに鳥肌立ったぜ。それもわしのせいかい。知るか。

 時と記憶と想いが重なって今を作る。ならばこれから先は。

「久しぶり、と言うのはおかしいのう」

 鏡の向こうでもう一人が笑った。







 お前とは過去を。
 お前とは未来を。

 共に過ごすものとして与えられた代償は一つ。





 朱の景色を。闇の風景を。光溢れる世界を。
 それは全て記憶の中に存在し、またこれから在り続けるもの。

 滅亡の断崖から幾度も這い上がってきた種族を。
 融けた女も泣いた男も崩れ去った女も優しい霊獣も逞しい人間も。
 人としてある者、妖としてある者、獣としてある者、仙としてある者、神としてある者。
 誰も彼も一つの掛け替え無い「個」として。

 心強き者たちへ。

(全ては解放されている)







今、ここから歩き出せ。












 そして、また。
 空の彼方に鳥の影を見る。

「ひとり、か」

 時を経て、記憶は風化する。鮮やかであった色も落ち着いて、一枚の薄布を被せたかのように朧に。それでも想いは此処に。



 嘗ての戦地に草が芽吹く。大地は緑に覆われる。
 空は変わることなく青く、風は変わることなく薫る。

 遠く、呼ぶ声を聞く。
 声でなく答える。




 消えることなく此処に在る、と。












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