黎明 封神演義番外編30







 寝台から起き上がれば、感じるのは流れ込む冷気。
 きりきりとよく冷えた大気は爪弾けば大層透明な音を立てるであろう程に。

 かしゅり。
 炉で、炭の崩れる音。



 未だ暗き空よ。

 夜明けが、始まる。







――― 黎明











 □風景一、


 城壁の上に篝火。

 冬の夜番は辛い仕事である。外套に身をくるみ、必死で暖をとる。ぱちぱちと爆ぜる火の音が、ほんの少しだけ、寒さを和らげてくれるような気がする。
 兵士たちは手に息を吹きかけ動くように努めながら、遠方へ目をやることを忘れない。誰もがここを守ることの意味を理解していた。
 周都豊邑。全ての出発点。
 明け切らぬ空の星が、城の頂に燦然と輝いている。それこそが、彼らの希望だった。

 うっすらと、山に懸かった雲に赤味が射す。
 直に朝日が昇るだろう。

 誰もが暖かな我が家を思った。









 □風景二、


 周国宰相は、仕事と共に目覚めると言われる。単なる噂であるはずの言葉は、だがしかし実に当を得ている。周公旦が起き出してからの最初の動作は、書簡の紐を解くことであるからだ。
 彼の頭には暇というものがない。理念としてほとんど存在しないに等しいのだ。対して暇を作るということをよく知っている周国軍師は、その為ハリセンで叩かれる毎日を送っている。両者の決定的な差だ。
 凍える手を叱咤して墨を磨る。隣国への封書を記さねばならない。内容は昨晩の内に国王、軍師を始めとする重鎮たちと打ち合わせ済みだ。筆を丁寧に洗い、硯の横へ並べる。水差しを取ろうとして、手を止めた。
「早いですね、珍しい」
「お前のこったから一人でやっちまうんじゃねぇかと思ってな」
 旗印となる男が立っていた。周国国王。若いながら器の大きさに於いては先代に決して劣ることがない人物だ。彼にとって実の兄でもある。
「いくらなんでも早すぎだろ。まだ日も昇ってねぇ」
「明るくなれば視察へ出向きます。ならば室内で出来ることは早めに片付けておくのが」
「あーはいはい、わかったわかった」
 弟の言葉を遮って欠伸を一つ。ったく眠いのに、という響きは周公旦にも十分聞こえたが。

「………あんまし無理すんなよ」
 どーもウチの頭の良い連中てのは働きすぎでいけねぇや。

 ぶつぶつと続く国王の独り言に口の端と目の奥で笑みを零し。
「小兄様がまともに仕事してくだされば無理しなくてもすむのですが」
 言うと、国王は盛大に顔をしかめた。可笑しな顔だった。

 東の空が白んでいる。







 □風景三、


 働き者の押し掛け弟子は、朝も早くから走り回っている。子供は元気で良いものだと太公望は思う。その弟子が入れていってくれたのであろう炭火を見つめ、一日の予定を組み上げていく。道服に腕を通しながら空を眺めた。どうやら今日は快晴のようだ。ならば…。
 部屋の中は多少なりとも温もっているが、一歩外へ出れば格段に寒い。いつか気温差でぶっ倒れるのではないかと、半ば本気で思ってみたりする。呼吸が白く凝って見える。これが今、自分の吐いた息、だ。
 回廊に霜が降りている。日が射せば直ぐにでも消えるであろう微かな冷気。吹き付ける風に、思わず首を竦めた。
 空の低いところに一際輝く星が一つ。あれは何と言っただろうか。遠い昔に聞いた伝承が頭を掠める。脳裏に過ぎる草原の緑。

 地平の輝いていく様を何度見ただろう。地平線に浮かぶ一本の光の筋。何ものにも換えられないその灯りは、やがて一つの塊となってこの世界全てを照らす。あの熱に抱かれ、草の海をどこまでも走った。記憶の中の光景。

 今、己がやろうとしているのは、きっとそれなのだ。
 人の世にもう一つの太陽を。……大それたことだ。

 ふと笑えば、その笑みは白い靄となって視界に映る。
 星が瞬く。あれはどれほど遠くからの灯りなのか。それでも星は光り続ける。ただ一人で在り続けるその存在を、時折羨ましく思うことがある。
 毅く在りたい。

 群青と濃紺の混ざり合う空が、その表情を変えていく。







 □風景四、


 東の空は赤く。中天は未だ暗く。
 西の空は夜のままに。

 雲の陰影は移ろう。星がまたひとつ、見えなくなった。
 草原の羊は夢を見ていた。夜明けの夢だ。
 そこでは皆が笑っている。

 ご覧よ、と。誰かが指を差した。その先に。

 嗚呼。
 羊は眠ったまま涙を零す。

 ほら。朝日が昇るよ。



 空は燃えるように赤く。そして。
 それ以上に赤い太陽が、この世界に光を導く。



「―――、いつまで寝てるの?もう起きる時間よ?」













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