藤の屋文具店

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あそび



              セピア

              あそび


 雑誌の特集なんかで、現代の子供たちの悪口を言ってえらそうに
昔を語る老人の話では、あほうのひとつ覚えのように「ベーゴマ」
と「メンコ」が出てくるのだが、世代のせいか、あるいは個人的な
好みのせいか、僕はベーゴマやメンコはしたことがない。三角ベー
スや騎馬戦も同様だ。現代の子供たちが全員、テレビゲームに熱中
しているわけではないのと同様に、ひとまとめでしか語らない雑誌
やテレビの特集では、見えてこないものも多いのだろう。

 幼稚園の頃は、いわゆる「ごっこあそび」が主流だった。首に風
呂敷を巻いて手ぬぐいでほっかむりをし、玩具のサングラスをかけ
て街を走りぬけたり、木の木っ端に五寸釘をふたつ打ち込んで「び
びびび、行け、てつじーん!」と命令して、でかい奴ががおーと両
手を上げる、不細工なでかいやつはフランケンの役だ。
 猛スピードで走りまわって時々止まると残像でたくさんに見える、
という「分身の術」は、稽古してもできなかった。ながーい鉢巻を
して地面に着かないように走ったり、濡らした障子紙を破かないよ
うに歩く訓練は、すぐに飽きてやめた。
 祭りの屋台では、スマートボールやパチンコのようなゲームと、
金魚すくいが定番で、とってきた金魚はガラスの金魚鉢に入れて、
近所の釣具屋で買ってきたシマミミズを、かまぼこの板にのせてカ
ミソリでスライスして、餌にやったりした。ヤドカリやひよこは、
あまり長生きしなかったな。

 小学校に上がってからは、遊びの幅が広がった。帰り道にあるお
堀の橋の下へ降りて、そーめんなんかに使う水きりザルで浅瀬の底
のほうをがががとすくうと、ビンビキビンと透明なエビがとれたし、
黒いトゲトゲの菱の実を集めては、忍者ごっこのマキビシにしたり
した。ガコンボと読んでいたハゼみたいな魚も、とろいので良くと
れた。お泉水の池に忍び込んで、巨大なおたまじゃくしを取ったの
も、楽しい思い出である。
 このころから、マルサンに加えてイマイやタミヤなんかのメーカ
ーもデビューして、プラモデルが一般的になってきた。竹ひごとニ
ューム管で作る模型飛行機なんか、子供の目にはインチキな飛行機
でしかなく、マンガ雑誌の裏表紙の広告を見ては、放送会館二階の
福井模型へわくわくして走った。

 僕が好きだったのは、もっぱら船だった。戦車や飛行機は、なん
となく、数を頼みにした雑魚キャラといったイメージで、戦艦大和
や伊号400のような存在感に欠けるように思えたのだろう。船の
モデルで思い出深いのは、魚雷艇PT7と南極観測船富士で、前者
は若き日のケネディ大統領が乗っていたといういわくつきのタイプ
で、後者は新聞やテレビやマンガ雑誌のグラビアで取り上げられて
いた、老朽化した宗谷に代わる最新鋭艦であった。魚雷艇は速すぎ
て池向きだったが、オレンジ色の富士は銭湯にちょうどよかった。
 ウルトラQから始まる一連の怪獣シリーズの放映とともに、ゴジ
ラやペギラ、ガラモン、エビラ等のリモコン怪獣も発売された。版
権をちびってか、ジャイアントゴリラと称するキングコングも出た
し、イマイでは、自社オリジナルのサンダーボーイというロボット
も発売した。これは、ふたつの巨大な前輪と小さな尾輪を持つ人型
決戦兵器で、アタマのハッチが開いてミサイルが飛び出し、腕を振
り回すとプラスチックのボールが飛んでいくという凝った設計だっ
たが、ワンウェイクラッチを組み合わせてボールチェーンで駆動す
るという複雑な設計がたたって、なかなかうまく動作しなかった。 

 誰かと遊ぶことはあまりなかったが、別に友達が少なかったわけ
でもなくて、2B弾と呼ばれるシガレット型爆薬や銀玉鉄砲の戦争
ごっこや、「バンカース」「ダイヤモンドゲーム」などをすること
もあった。でも、ゲームとしては、麻雀がいちばん面白かった。土
曜日の夜、親戚の人が集まってやるのにメンツが足りなくて、親に
仕込まれたのである。賭け事のゲームは、だいたいがアタマの悪い
大人にも理解できるようになっているので、小学校低学年の知能に
ちょうど良い面白さだったのである。



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