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第十二章 竜よ、竜よ
【神へ】
第十二章
竜よ、竜よ
バミューダ諸島の辺境の、とある島影、科学調査船ポセイドンが
その優雅な白い船体をもやいでいる。カタマランの船体の中央にあ
るブリッジでは、ヒドラ攻撃をサポートする科学者たちの指揮所が
設けられていた。その下のキャビンでは、敷島研究所のチームが待
機している。
ダイナミックスタビライザーの、波に対抗して送り出す波動の唸
りが、ときおりわずかにキャビンに響く。
「ヒドラは、この2匹でおしまいでしょうか?」
祐子が心配そうにぽつりと言った。
「何ともいえんが、胚の発生から生体になるまで、ずっと例のバチ
ルスを必要とするわけだから、この程度の海域ならば2匹も発生し
たほうが奇跡に近い事だろう」
敷島博士が独り言のように答える。
窓から入る夕日が、キャビンを金色に染める。海面に反射した光
が、白い天井に不規則な模様をおどらせ続けた。
「生命現象って、なんでしょうね?」
亜理沙が、岸壁に砕け散る波を見ながら呟いた。
「細かく分析して行けば、それは全て化学反応の集大成、どこまで
もどこまでも続く因果の細い糸・・・」
博士は、無言で立ち上がって窓辺に立った。岸壁を洗う波は、あ
たかも陸地に攻め入る生命たちの象徴のように見えた。
叩かれても叩かれても、新しい世界へ押し寄せる無数の命たち、
やがてその中から新しい環境に適応する個体が生み出され、そして
生命は新しい世界を次々に征服していく。
でも、何のために?
われわれは何のために新しい世界へと進むのか。
未知のものを知りたいと欲するこの欲求は、本当にわれわれ自身
のものなのだろうか。
まあ良い、それが実は与えられた思考に過ぎないとしても、わた
しは自分の心の命ずるままに、この世界の謎をひとつでも多く解い
ていこう。わたしは、全てを知りたいのだ・・・・・。
ふと気がつくと、となりに祐子が海を見ていた。
亜理沙も美保子も、そのとなりで窓辺に海を見ている。
4人のちっぽけな命たちは、自分たちの持つ好奇心が何物による
ものかも知らずに、大西洋の小島に砕け散る波を、いつまでも無言
で見つめ続けていた。
●
「ソナーに入感! 何か下から上がってきます」
原潜シーキャット号の指令室に緊張が走った。
「深度1800、毎分15メートルの割合で上昇中」
「方位2ー3ー8、距離6000」
「金属反応微小、機械音なし、熱反応あり、磁場の微弱な乱れを確
認、ヒドラです!」
「総員、戦闘配置につけ、海上へ報告せよ」
200メートルの通信ケーブルを通じて、海面の通信ブイがヒド
ラ発見の報をとばした。
●
「キャプテンはブリッジへ!」
旗艦である空母ニミッツの艦橋から、指令官が作戦の開始を告げ
る。
「諸君、我々は現在、人類史上最強の敵と戦おうとしている。怪獣
ヒドラは、それ自体強力な生物兵器であり、我々の近代兵器はすべ
て敗北をきっした。しかし、我々の真の敵は、あの怪獣ヒドラでは
ない!」
指令官の声を載せた放送は、海域に散在する艦船・航空機のみな
らず、報道機関を通じて世界中に流された。
「この戦いは、我々人類と、我々をコントロールしようと企む二つ
の大きな勢力との、人類の威信をかけた戦いである」
各国の通訳が、緊張でこわばりながら自国語に翻訳する。
「我々人類は、おもねるのではない、また、背くのでもない。独立
して独自の道を歩み始めるものである。われわれ人類のすべての未
来は、諸君の肩にかかっている!」
「では、諸君の健闘を祈る。作戦開始はイチヨンマルマル、攻撃の
タイミングは各隊のリーダーに任せる」
40分後の作戦開始にそなえて、同海域の艦船は戦闘配置につい
た。潜水艦隊は深度を変えて待機し、戦艦はヒドラの浮上地点に照
準を合わせる。航空機は一撃離脱のルートを反復演習していた。
シーキャット号は、再び深度を深く取り、「ヒドラ2」の出現に
備えた。
「ヒドラ1」が深度800まで上昇してきた。深度500で待機
している5隻の潜水艦隊が、先端にタングステン・カーバイト鋼の
モリを装着した魚雷をセットした。
60ノットで直進する無誘導魚雷は、ヒドラの体組織にモリが食
い込むと同時に、内圧によりヒドラ崩壊細菌「ドッグ・ファージ」
を体内に注ぎ込む。体長60メートルを超えるとはいえ、標的とし
ては小さいヒドラに、直進するだけの魚雷が命中するかどうかは、
微妙なところだ。
海中で掃討に失敗した場合は、砲弾に詰められた細菌と、航空機
のミサイルが頼みだ。だが、一番可能性があるのは、スピードの遅
い海中である。しかも、放射能の霧を使えず、内圧調整のために急
激な深度変更のできない、二次元の動きしかできない今こそが、攻
撃の最大のチャンスなのだ。
シーウルフ級3番艦、「アリゾナ」が、攻撃を開始した。
「ヒドラ1、深度580に到達」
「発射管注水」
「アイサー」
「仰角ゼロ、発射角ゼロ、全門一斉射」
「・・・・・発射しました」
「タンクブロゥ、300まで上昇」
「アイサー、タンクブロゥ、300まで上昇します」
「発射管室、次発装展を急げ!」
「アイサー」
「深度300、浮上停止します」
「発射管室、スタンバイしました」
「仰角ゼロ、発射角、1番2番はマイナス20度、3番4番はマイ
ナス15度、5番6番、プラス15度、7番8番、プラス20度・
・・扇状に発射する」
「発射管室了解!」
「ヒドラ1、進路変更なし、そのまま上昇します、深度520」
「全門発射!」
ずん、という鈍い衝撃が、爆薬を持たない魚雷たちを送り出す。
「ヒドラ1が、先発の魚雷に交差します」
「コースを変えません、命中まで10秒!」
「命中しました・・・金属音を確認」
「金属音?」
「はい・・・あっ!」
「どうした?」
「魚雷の航走音が消えません。方位2ー2ー3へ向けて航走中」
「・・・はねかえされたのか・・・・・・」
「ヒドラ1、そのまま上昇します、後発の魚雷はすべて外れます」
「魚雷発射音確認」
「コロンビア、およびタクソンの魚雷が航走中」
「ヒドラ1、コース変更無し」
「タクソンの魚雷がヒドラ1に命中」
「コロンビアの魚雷が命中」
「ポンプ作動音なし、魚雷はすべて反射して迷走中!」
「・・・・なんてこった・・・」
ニミッツのブリッジでは、タイコンデルガ級イージス艦、「バン
カーヒル」の報告により海中の攻撃の失敗を知った。ポセイドンへ
状況の報告が飛ぶ。
「攻撃隊より入電」
「スピーカーに流せ」
ポセイドンのブリッジに報告が流れる。
「魚雷攻撃に失敗しました。体表の硬度が以前のデータよりも増し
ているようです」
「あと20分で海面に出ます・・・・あっ!」
「どうした?」
「一隻、ヒドラ1に向かっていく艦があります。深度80、速度1
2ノット・・」
「遅いな、どこの艦だ?」
「音紋照合・・・・『はやしお』です!」
「何をするつもりでしょう?」
「体当たりでもするつもりか・・・」
「わかりました、リバースをかけながら衝突コースを進んでいます、
それで12ノットしかだせないんだ!」
「スクリゥで傷口を作るつもりか・・・無理だ」
「ヒドラ1が進路を変更!」
「コースは?」
「2ー4ー0、戦艦ニュージャージーに向かっています」
「はやしおが体当たりを断念しました」
「ヒドラ1、深度120」
「ニュージャージーが回避運動を始めます」
「ヒドラ1との距離、2200!」
「バンカーヒルがアスロックを発射しました」
「ヒドラ1の前方300に着水」
「破裂音を確認」
「ヒドラ1のコースに変更無し」
「ニュージャージーは回頭中・・・・間に合いません!」
水平線の彼方に、目もくらまんばかりの閃光が上がった。
「ニュージャージーが消失しました。ヒドラ1が海面より離床!」
「航空機による攻撃を開始します」
「ヒドラ1が上昇中、第一陣が攻撃に入ります」
「ヒドラ1、高度500、第一波のミサイルが到達します」
「・・・・・・ミサイルが消失・・・」
「ポセイドンから攻撃指揮所へ」
「ポセイドンどうぞ」
「上空へドッグファージを散布しろ、急げ!」
「了解しました」
「効果はあるでしょうか?」
祐子の問いかけに、博士は答えた。
「一か月位後になら、効果があるだろうが・・・」
誰の目にも敗色があきらかだった。
「ヒドラが、あんなに強力に成長しているなんて・・・」
映像がスクリーンに映る。
「見ろ、鱗の色がはるかに濃くなっている」
「・・・・・わかったわ、以前のあの組織は、脱皮直後の不安定な
時のものだったんだわ」
「サイズも、以前の報告の倍くらいになっている」
暗緑色に鈍く光る巨大な竜が、高熱の霧を吐きながら上昇してい
く。さらに、追い打ちをかけるような報告が入った。
「シーキャットより入電!」
「回線つなげ」
「中継します!」
「こちらシーキヤット、深度1200に反応があります。熱反応と
微力な磁力線を確認、ヒドラ2と思われます」
「監視しろ」
「了解・・あ・・・動き出しました」
「方位は?」
「0ー0ー10、まっすぐ上昇してきます」
「上昇率・・毎分・・1000メートル!!」
「あと40秒で海面に出ます」
「なんだと、測定装置のミスじゃないのか?」
「バンカーヒルのソナーがヒドラ2を確認しました」
「さらに加速中、海面にでます」
海面が、山のように盛り上がった。
何か巨大なものが空中に飛び出した。偵察機のカメラが映像を捕
らえる。ビデオスクリーンに、真っ赤な竜の映像が映った。
「これがヒドラ2か!」
「体色がぜんぜん違いますね」
「どことなくシードラゴンに似てるわ、雰囲気が・・・」
「おい、頭が一個多いんじゃないか?」
「1、2、3、・・・9個あります!」
「これは・・・ひょっとしたら・・・・・」
「ヒドラ2がヒドラ1に向かいます!」
「ヒドラ1がヒドラ2に攻撃を開始しました」
「ヒドラ2の頭部がふたつ消失!」
「ヒドラ2、ヒドラ1に接触!」
ヒドラ2の残った頭が、口を一斉に開いた。恐ろしく低い音で、
不思議な音が空間を揺さぶる。
それは、Muともouともとれる奇妙な発音で、音階が少しづつ
異なっていた。敷島博士がはっとした顔をしてマイクを取った。
「東郷君、あの音波をスペクトル分析にかけて、こっちのコンソー
ルに流してくれ!」
「あいよっ」
コンソールには、周波数ごとに色分けされた音の波形が、規則正
しく映し出された。途中にふたつの欠けている山がある。
「よし、この欠けている山を補う波形を、消波装置のシンセサイザ
ーで合成してくれ!」
「んで、どうするんです?」
「ヒドラに向かって放射するんだ」
「あんな上空までとどきませんよ」
「かまわん、気づけば向こうから寄ってくる!」
ポセイドンの後部甲板から、超指向性のスピーカーが妙な音を上
空に向けて流した。
ヒドラ2が、その音に反応した。
ヒドラ2は、抵抗するヒドラ1を引きずるように、ポセイドンめ
がけて降下してきた。
スピーカーが悲鳴をあげる。
ヒドラ2の叫びがいちだんと大きくなる。
と、突然、ヒドラ1の首が弾けるように次々と飛び散った。真っ
青な体液があたり一面に飛び散る。
「やった!」
喜ぶ博士に、指令官が尋ねる。
「一体、何がおこったのです?」
「ヒドラ2はシードラゴンの成体だ、奴の武器は音響兵器なんだ」
「音響兵器? 陸軍が見捨てた奴か・・・」
「説明は後だ、ヒドラ1の息の根を止めろ!」
「はい、攻撃を続けます」
5機のF86Fセイバーが、次々と急降下に入った。一糸乱れぬ
完璧な隊列で、一直線にヒドラ1の傷口めがけて舞い降りてくる。
「高度120で散開する、チャンスは一度だけと思え」
「了解」
「ブルーインパルス、攻撃を開始します!!」
鮮やかなブルーの機体にイエローのラインがまぶしい。
一番機のミサイルは、肩に当たって海面に弾き跳ばされた。
二番機のミサイルは、背中に当たってバラバラに砕けた。
三番機のミサイルが、もげた首の傷口に命中した。
五番機のミサイルも命中した。
海面をかすめて、五つの花びらが上空へ戻って行った。しばし沈
黙のあとに、ものすごい歓声が上がった。
「ドッグファージ弾、2発の着弾を確認しました」
喜びに湧くポセイドン号のブリッジで、祐子が叫んだ。
「見て、シードラゴンが・・・・」
スクリーンには、力を使い果たしたのか、赤い竜が青い竜を抱き
込んだままゆっくりと沈んで行くのが見えた。
「バンカーヒルとシーキャットにソナーで追わせろ」
博士が冷静に命令を出す。
「了解」
「バンカーヒルより報告、ヒドラ2はヒドラ1を抱えたまま、西経
58度、北緯26度の海中を毎分200メートルで沈降中」
「海底に開口部があります。開口部に多数の熱・磁気反応を確認」
「ヒドラ2が熱反応に合流しました」
「さらに沈降します」
「深度900・・・1000・・・・・1200・・・」
「シーキャット号が、深度1280で追跡を中止しました」
「わかった、もういい・・」
敷島博士は、今にも泣き出しそうな祐子の肩を叩くと、諭すよう
に言った。
「彼らは、彼らのふるさとへ帰ったんだ」
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