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拾翆亭(シュウスイテイ) 京都御苑内東南に位置する五摂家の一つ九条家の邸宅、その屋敷の中の茶室で江戸後期に建てられたものです 厩戸皇子(聖徳太子)が推古天皇の摂政として国政を代行したのを始めとする摂政・関白政治、鎌倉時代にその担い手が藤原氏嫡流の五摂家、近衛家・九条家・鷹司家・一条家・二条家となり、明治に入り近代立憲君主制に移行するまで朝廷はこの五摂家のうち官位の高かった公家が摂政・関白に就きます、長い歴史の中でこの五摂家以外で摂政・関白の地位にあったのは豊臣秀吉・秀次の2人だけ、秀吉は近衛家近衛前久の猶子として補任され任ぜられています 当時九条家は御苑内に3,800坪の屋敷を構えていて、その中公家・貴族の茶会や歌会等の社交の場として利用されていた拾翆亭、明治に入り殆んどの屋敷が取り壊され現在この茶室と庭園が遺跡として残されていますまた御苑の中や隣接していた他の四摂家のお屋敷は全て無く、跡地として残すのみです ↑ 拾翆亭の名は、庭で草花を摘み拾い愉しむ、また庭に緑美しい数多くの翡翠(カワセミ)が飛来した事によるとも謂われています ↑ 書院造りの屋根には珍しい一対の鯱(シャチ)と九条家の家紋が見えます、正面は腹を見せ跳ね上がった鯱、別枠は横からの写真です ↑ 拾翆亭内二階への階段と北側の小間(小茶室)に通じます ↑ 広間に続く七畳半の控えの間、通して大広間にもなります ↑ 「広間」一階の寝殿造りの趣がある主室です、炉が四畳半切りに切られ茶会や歌会等に使われて来ました ↑ 広間前の庭は九条池を中心とした広い庭園です、向こう木の茂みに深く覆われていますが当初は東山を借景とした眺め素晴らしい庭だったといわれます ↑ 石造りの反橋は「高倉橋」と呼ばれます、百日紅が池に映えています ↑ 広間の東側には庭園を眺められる広い縁、幅広の板が敷かれています ↑ 広間に隣り合わせの小間(茶室)で二つの部屋を行き来した貴族の茶事の習わしを伝えるとされています ↑ 二階十二畳の座敷で、外回り南北東の三方に縁高欄(エンコウラン)が巡らされ見晴らし第一の設えと覗えます ↑ 二階座敷から九条池を眺めます ↑ 窓障子は石垣貼りと謂れ高度な技術の要する貼り方です ↑ 格子に刻まれているのは「丁子七宝」と呼ばれる模様です ↑ 九条池は始め勾玉池と呼ばれた東西90m、南北60mの池で四季折々の景色を映します ↑ 池に面した「四阿(アズマヤ)」咲く百日紅の下静かな休憩所です ↑ 四阿の正面こちらより入ります ↑ 長方形と丸い窓が趣きを添えます ↑ 九条家の鎮守社「厳島神社」池の中島に祀られています、平清盛が母・祇園女御の為に安芸の厳島神社を勧請したのが起こりとされています ↑ 神社への参道、中島へは石の太鼓橋を渡って神前へ ↑ 平清盛により建立された唐破風の石造り鳥居です ↑ 高倉橋から見る拾翆亭、数寄屋風書院造り全景です ↑ 亭を背景に見事に咲いています 夏から秋へ長く咲き続ける所から名付けられた百日紅 「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」 江戸時代の女性俳人・加賀千代女(カガノチヨジョ)の歌です ↑ 百日紅の花アップ また綺麗です ↑ 高倉橋の袂から真正面に見る京都御所、前が御所正門の建礼門・次の白く見える屋根が承明門でうしろの大屋根が正殿・紫宸殿です、また背後山並み北山です ★(TOPページに「花いろいろ」UPしています、今 酔芙蓉と秋海棠 です ホームで見て下さい) ★「京都ええとこ」一覧は こちらからご覧下さい.................................................................京都市バス 「烏丸丸太町」下車 東きたへ徒歩3~5分拾翆亭関連HP URL---http://www.tondaya.co.jp/map/shuusui/shuusui.html-----------------------------------------------------------------被災地に届けよう! 【京都】老舗や名店がひしめく古都。お土産や名産品をお取り寄せ!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー[メッセージはこちらから]
2014.09.01
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