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年初め2回目、コッチの神社です、北野天満宮・・12月の御土居の紅葉でUPしていますが、今回は神社本来の社殿・行事やお祭りをご紹介します「合格祈願所前」にも進みますお参り下さい・・・ 「天神さんの七不思議」は神社に古くから伝わっているものですが、言い伝えだけで写真でご紹介できない一つを除き六つをご紹介します、①②・・・の符号を付けていますが、神社の紹介順でなく一の鳥居から奥へ歩く順序です「ずいき祭り」は、野菜や乾物等で趣向を凝らした珍しいお御輿が祀られ、御旅所を廻り巡行されます北野天満宮 ↑「一の鳥居」です 大正10年に建立された高さ11.4mの大鳥居で、閑院宮親王御筆による扁額「天満宮」(2.7X2.4m)が光っています右側の狛犬は口を大きく開き狛犬でなく狛獅子のようです、鳥居前で悪霊から神社を護っています ↑一ノ鳥居左を固める狛犬、空を向き威嚇する容姿は全長約5m京都最大といわれるもので、この対の鳥居画家竹内栖鳳の考案で1934年に建立されています ↑①、影向松(ヨウゴウノマツ) 創建よりある御神木で立冬から立春前日までに初雪が降ると道真公が降臨され、雪を愛で詩を詠まれる影が写ります ↑豊臣秀吉公が1587年に催した「北野大茶湯」でお水を汲んだと伝わる井戸で「太閤井戸」と呼ばれ保存されています ↑茶室・松向庵 北野大茶湯に使われた所で、またそれにちなんで毎月1日と15日には献茶会が催されています ↑天神さんの紹介では必ず登場する「楼門」です 門前に架かるのは御祭神・菅原道真公のお歌 「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」 大きな絵馬今年の干支「亥」が掲げられています、このジャンボ絵馬は京都正月の風物詩としてもよく知らるところです ↑上部の額「文道大祖 風月本主」の文言が刻まれています、平安時代中期の学者大江匡衡(オオエノマサヒラ)が、文芸秀でる道真公を讃えた言葉です ↑楼門までの参道人があふれていました、私の様に身体に不自由を抱えている者は到底歩けません、楼門までは横にある退避道を進んでいます ↑「絵馬所」 1699年に建てられ規模・歴史は現存する絵馬所のなかでも随一と謂われています 新年1月2日は天満書(テンマガキ)と呼ばれる「筆始祭」がおこなわれます、道真公は政治家・歌人だけでなく嵯峨天皇・小野道風と共に三聖に数えられる書家で、書道の神様とも呼ばれています ↑書き初めは旧暦の1月2日、道真公が新年最初の文字を毛筆で書かれた事が起源とされています ↑例年老若男女を問わず多くの参加があり、神前で書き初めを行い書道の上達を祈願します、 ↑②、「大黒天の燈籠」台座に大黒様の像が刻まれた珍しい燈籠で、その口に小石を乗せて落ちなければ、財布に入れ持てば金運恵まれるとあります ↑天神様の使いとして参道あちこちに横たわった牛の像(撫で牛)が数多く奉納されています、楼門近くに臥せ最も格好見のよい黒臥牛です ↑楼門と拝殿の間に建つ中門「三光門」です、ひと際壮麗な造りで上部には後西天皇御宸筆の『天満宮』の勅額が掲げられ、当宮のシンボル的な桃山時代の建築様式で重要文化財に指定されています。 ↑日の彫物 ↑月の彫物↓③、「星欠けの三光門」三光とは日・月・星を指しますが、御門上部欄間の彫刻には日と月だけで星がないところからこの様に呼ばれていると伝えられますが、星はかつて朝廷があった南の大極殿から望むとちょうどこの門の上に北極星が輝くところから敢えて星が彫られなかったとされています ↑「社殿」 ご祭神菅原道真公をお祀りする本殿と拝殿、石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(ハットウツクリ)です、1607年に豊臣秀頼公により造営されたもので桃山文化の代表とされ絢爛豪華な装飾とともに、歴史的に非常に貴重な建築とされ国宝に指定さています ↑拝殿奥が本殿です 近くにお詣りします ご利益は合格祈願・学業成就・技芸上達・家内安全・諸病平癒・身体壮健等で得られます ↑拝殿上の欄間一面の彫物です、中央に右の写真でUPしてご紹介する唯一の立ち牛が彫られています ↑④、唯一の立ち牛 沢山の神牛は臥牛の姿ですが、ここ一体のみ立った神牛が刻まれています ↑⑥、「裏の社」天満宮には本殿の背面にも御后三柱(ゴコウノミハシラ)と云う御神座があります、裏側からお詣りできる珍しいお社です ↑天満宮の境内略図です、神社の説明書をお借りしてUPしました 楼門の下には参道、二の鳥居・一の鳥居と続いています ↓⑤、「筋違いの本殿」 手前が車祓所で奥の赤い社が地主社 (右図ご覧下さい)多くの神社では参道の正面に本殿が立つのが通例ですが、ここ天神さんの楼門(いちばん下です)参道の正面は車祓所(本殿右横)とその奥に地主社(本殿右上)が建ち本殿は正面となりません、元々古くよりこの地に地主社があったためその真ん前を避けて本殿が建てられたと謂われています ←天満宮の祈願絵馬です力一杯対応された今年の大学入試センター試験が終りました、成績を鑑み定めた一校にあわせ総仕上げの時期です、また高校や中学など受験も始まりました、合格祈願のお参りです ↓「合格祈願所」お参りしたのはお正月二日、祈願所へは参道同様ビックリする程の多勢のお参りの人ではいれも出来ず、後日お参りした写真でUPしています ここで御祈願の順序を念のため・・・まず本殿にお参りして 上の絵馬を拝受し、祈願する一願を住所氏名共々記入して下の祈願所でお参りします、そして次下の一願成就の臥牛を撫でて祈願し その絵馬を掛けます ↑合格祈願所前です 後先になりますが、絵馬は願い事を伝えるために神様に宛て書く手紙と謂れています 心願共々念ずれば 学問の祖天神様お聞き届け戴くことになります ↑「一願成就の牛」撫でて祈願すれば勧学・合格のみでなく、病気平癒、心願成就など一つの願いに定めれば叶うとされます ↑お正月を過ぎてまだ少し、ともかくスゴイ量でまるまると掛けられていました、左下は心願成就を祈願する亀石とその祠です ↑絵馬掛所奥までいっぱいに掛けられています ↓「ずいき祭り」(瑞饋祭) ↑京都の代表的な秋祭りですが、村上天皇の御代946~967年に始まったと伝えられています 北野の神を10月1日から4日迄西ノ京の御旅所にお迎えし、本年収穫された野菜や穀物で飾られたずいき御輿を奉げその収穫に感謝の真心を捧げるお祭りです ↑御輿側面です 屋根はずいき芋(里芋の茎)で葺き各部にはすき間もなく穀物や青野菜、湯葉・麸などの乾物類で覆われ、四隅の瓔珞(ヨウラク)(荘厳具)は白ゴマ・九条ネギの種・水菜の種・赤茄子・柚子・五色唐辛子などで埋め尽くされています ↑八人の幼い巫女さんによる八乙女舞(ヤオトメマイ)の奉納です ↑ずいき御輿 出御祭の行事を終えて天満宮を出発です ↓10月1日北野の天満宮を出御して ↓4日にお旅所を出て天満宮に戻ります 先導の八乙女さん可愛いです *一部神社の旬報よりUPしています ↓天満宮東門を出た処に位置する京都五花街の一つ上七軒も巡行します ***** 最後に付け加えます、天神さんの七不思議のうち写真でご紹介出来なかった ⑦は、天狗山 天神さんに伝わる鳥天狗にちなんで、神社の乾(北西)の方向 にある場所に天狗が出没したという謂れです、乾の場所特定出 来ませんし、天狗??・・・です
2019.01.21
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「年初めあちこち 」と申していましたが、年初めコッチ(今回)とアッチ(次回)のニケ所となりました、お詫びします....ただ年初めのお詣りだけでなく時期は外れますがその神社の見所・祭礼・行事などを取りおいた写真を含めご紹介します........ コッチの一回目は今宮神社 ↑紫野 船岡山の北側に所在します 京都の着尺・帯地伝統の地・西陣の地域を含む市内北区と上京区の一部において大きな氏子区域を持ち、祭礼の規模は比較的大きな神社として知られています ↑1001年疫病が流行した折、朝廷はこの地に今宮社と名付け 大己貴命(オオナムチノミコト)ほか三柱の神が創紀されたとの説明されています 爾来、疫病や災厄忌避を祈願するお社として信奉をあつめています ↑手水社「玉の井」もちろんここも桂昌院の寄進によるものです ↑桂昌院ありし日のレリーフです 境内に飾られています ↓「玉の輿神社」1628年神社氏子の八百屋の娘として生まれた幼名「玉」は二条家の養女となり関白家に出入り、三代将軍家光の乳母・春日の局に認められ家光の側室となり、後に五代将軍となる綱吉を生み、将軍生母・桂昌院を名乗り晩年には従一位に叙せられています、お玉が大奥にお輿入れ・・・このことから玉の輿という言葉が生まれ、一介の市井の人から身を起こし大奥でその生涯を送った桂昌院は類まれな女性として思慕され、以来今宮神社は「玉の輿神社」とも呼ばれるようになっています ↑本殿に向かってお詣りの人々が並んでいます 桂昌院は、終生神仏を敬うこと深く報恩感謝の念から、1690年代の終りには荒れていた今宮社を嘆き時の奉行に命じ社殿を造営・神領を寄進、神域は一変したと謂れ、神社中興の祖としてその遺徳が讃えられています ↑「本殿」前に進みます 亥の絵馬が掲げられています(念の為、コトシノエマデス) ↑本殿御前です ご利益は疫・災厄忌避、無病息災、出世・良縁、家庭円満、商売繁盛で授かります ↑「織姫社」御祭神は袴幡千千姫命(タクハタチジヒメノミコト)袴とは白色の布を指し、幡は織物を意味し千千は巧みさ美しさをいい、それを賞でられる神さまです 氏子区域に西陣をかかえ、その織屋・織手のみならず西陣織に携わる多くの技能者の為に創立されています、爾来地域よりの信仰厚くお詣りが絶えず続いて来ています ↑織物の基本となる柄・図案への崇敬石標です ↑同じくその図案を織物にする技工程の紋の石標です ↑「あぶり餅」神社東門には右左に別れ行列が.......この先今宮さん名物の「あぶり餅」屋さんが二軒「一和」さんと「かざりや」さん共に歴史ある老舗です、それぞれお馴染みのお客さんが均等に並ばれています「あぶり餅」・・親指先くらいにちぎった餅を奉納された齋串(イグシ)にさし、きな粉をまぶし少し焦げ目がつく位に炭火であぶり白みそと砂糖での秘伝のタレに浸けた餅菓子です、秘伝のタレは双方味が異なりますがそれぞれ自慢の味、甲乙付け難く人気は二分されています ↑門を出ると南北に店が向かい合っています ↑南店「かざりや」さん創業400年の歴史ある店です飢饉や疫災の折に庶民に振るまわれたという謂われがあり、戴くことで病気・厄除けの御利益があるとされ、氏子区域のみならず一般市民にもよく知られています ↑きな粉を塗した餅を手際よく炙られます、その手際また見事! ↑白みそタレにタップリ浸けて出来上がり、一皿¥500.お召し上がり下さい桂昌院の様にはいきませんでしたが、私も西陣の氏子の家で生まれ育った織屋の次男坊です、今宮さんのあぶり餅小さな頃から慣れ親しんで来ました、多くの人に愛され続けている餅菓子で、これはどうもという方には今だかってお会いしません ↓「やすらい祭り」(夜須礼と書きます)花鎮め祭りと謂れ、毎年4月第2日曜日に桜の花の下で行なわれる当神社の祭礼で、鞍馬の火祭り・太秦(ウズマサ)の牛祭りと共に京都の三大奇祭の一つに数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されています 平安時代後期、洛中に疫病や災害が蔓延し市民を大いに悩ませた、天変地異はすべて怨霊の所業と考えられた当時、これらを鎮めるために当神社が創紀されたとされています 赤毛・黒毛の子鬼・大鬼達が笛・太鼓の囃子方に合わせ長い髪を振り乱しながら、桜の花の下「やすらい花や」の掛け声とともに踊り練り歩きます 神社境内では2組8人が赤毛の大鬼となり鉦(ショウ)や太鼓を叩きながら安寧を願い、悪霊退散と無病息災を祈願し踊ります やすらい祭り当日、神社は正月の初詣を増して市中より多勢の人出があり、賑やかな一日となります ***** 次回はアッチの神社へ、「ずいき祭りの〇〇神社」です
2019.01.11
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京都の神社初詣です、念のため本年ではありません、過去にお参りした神社のお正月三が日の様子です それぞれ本殿前にすすんでいます、良きところでお詣り下さい 初詣 あちこちでは、伏見稲荷大社と八坂神社及び晴明神社を順に廻ります伏見稲荷大社 ↑「楼門」です 1589年豊臣秀吉の寄進によるものとされています 国内に約4万社ある稲荷神社の総本宮です 正月三が日には例年230~250万人のお参りがあり全国4位の人出で賑わいます ↑「外殿」 もうここから人で埋まり本殿まで数珠繋ぎの中を人の流れに任せ進みます ↑「拝殿・本殿」 本殿は応仁の乱で焼失しましたが明治3年に再建、桧皮葺き・五間社流造りの典型とされ国の重文に指定されています ↑拝殿から本殿にお参りします 国土安寧・五穀豊穣・商売繁盛・家庭円満等に守護を得ます 一般には「商売の神様」として全国からのお参りがあります ↑社殿の側面です 右は拝殿、左が本殿です 先に記しましたが特殊な造りで本殿屋根はひらがなで「へ」の字を描く珍しい建物です ↑田畑の護り神とされる狐 お稲荷さんの象徴として「狛狐」がいたる処で見られます ↑「千本鳥居」奥拝所まで1万本の寄進された朱の鳥居が並びます、近年若い人に人気です ↑もう一度本殿階段前に戻ります、左前に皇族方からの御幣帛(ゴヘイハク)と幣饌料(ヘイセンリョウ)が奉納されていました→ ↑一般の神社では稀ですが、当神社の主旨 国土安寧と五穀豊穣の守護を願って、平成天皇と皇族方のご奉納です ↑帰り際楼門よりの参道は、大鳥居のまだ向こうからの人の波であふれていました ******↓八坂神社 ↑「西楼門」四条通り真正面の御門です 「祇園社」650年素戔嗚尊(スサノウノミコト)を御祭神として創建され、全国に3000社ある祇園社の総本宮で「祇園さん」の名で親しまれています ↑社殿は拝殿と本殿を1つの屋根で覆った祇園造と呼ばれる建築様式で、重要文化財に指定されています ↑拝殿から本殿へ向けお参りします ご利益は 開運招福・縁結び・無病息災・家内安泰・厄除け等とされています ↑「舞殿」祇園の芸舞妓さんや由緒あるお店の提灯が軒を飾ります 初詣もさることながら、大晦日夜より元旦早朝までの「をけら詣り」にも沢山のお参りがあり、三が日合わせた人出は100万人を超えると謂われています*「をけら詣り」(おデナクをデス)神前で薬草木[白朮(ヲケラ)]を燃したをけら火を、火縄にうつして持ち帰り、火伏せの御守としてその年初めの火として台所で使います、無病息災・厄除けの神事です ↑巫女さんの奉納式典です ↑平安装束で新春恒例の「かるた始め式」です ↑境内東ある末社「美御前社(ウツクシゴゼンシャ)」祭神は市杵島比売命(イチキヒメシマノミコト)で美の神様とされ、古くから祇園の芸舞妓さんに信仰を集め、美しくありたい多くの女性が参拝に訪れます ↑「南楼門と石鳥居」こちらが八坂神社の正門になります ↑山鉾巡行の様子です 「祇園祭り」はここ八坂神社の祭礼行事です 京都夏の風物詩 日本三大祭りに数えられ、7月1日から一ヶ月に亘り前祭り・後祭りの催し、宵山・山鉾巡行・神輿渡御など都大路で豪華に繰り広げられます *****↓晴明神社 ↑「一の鳥居」掲げられる額には金色の社紋の晴明桔梗印「五芒星(ゴボウセイ)」が輝いています 主祭神は陰陽師(オンミョウジ)と呼ばれる安倍晴明公で平安時代85歳で生涯を終えた師の功績を称え、1007年一条天皇により晴明屋敷跡に創建されました *五芒星については後に簡単な説明を加えています ↑「二の鳥居」から社殿内です 対照的な赤黒の桔梗印五芒星が見えますが、五芒星は境内のあちこちにあしらわれています ↑「拝殿」前です この日も大勢のお参りでした ↑「本殿」です 神社では、魔除け厄除け、方除・火災守護、病除守護、縁結び、開業・進学・命名祈願などの御利益が承けられます ↑拝殿前に置かれている安倍晴明公の銅像です 晴明公が夜空の星を見て天体を観測し、衣裳のなか手で印を結ばれている様子と説明されています ↑「厄除け桃」陰陽道(オンミョウドウ)に於いて桃は魔除け・厄除けの象徴とされ、撫でるとご利益が得られるとされています ↑晴明公が念力により湧出させたとされる晴明井、その足元まで石で北斗七星(一つ欠け)が描かれています ↑「御神木」 樹齢300年の大楠です、樹皮に両手をあてると大樹の力を感じ取れると説明されています ↑「旧一条戻橋の石柱」あの世とこの世を繋ぐとされた一条戻橋、晴明屋敷の前に架けられていました 除災清浄を表す天地五行「木・火・土・金・水」です この天地五行と陰陽の二気との変化とその組み合わせにより自然界 の現象の洞察、天文・歴数の判断を合わせ吉凶を占い、凶事を回避 する術が陰陽道(オンミョウドウ)の基となると説明されています晴明桔梗印「五芒星(ゴボウセイ)」 ↑「SEIMEI」を滑り終えた羽生結弦選手 「SEIMEI」は安部晴明公を描いた映画「陰陽師」から羽生結弦選手が自ら選曲し命名した楽曲で、羽生選手が2015年歴代最高点を2度更新しまた平昌オリンピックで迫真の演技をし優勝したプログラムです、この曲を選ぶ前にここ晴明神社を訪れ、私も多々お世話になった当神社山口宮司から陰陽道また安倍晴明公についての詳細を学び、その演技づくりに取り組んだと聞いております *****、 次回「京都年始めあちこち」は出来るだけ早く更新する予定です、天候次第ですが行ければ新しい写真を撮って来ようかなと思っています
2019.01.01
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