2013.02.02
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カテゴリ: 京の見どころ
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浄土宗・大本山 紫雲山・金戒光明寺 (こんかいこうみょうじ) ご本尊は阿弥陀如来 白河禅房・くろ谷さんとも呼ばれています
 法然上人は1175年修行していた比叡山を下り、ここ黒谷の丘陵地に初めての草庵(さび住い)を設けられたのが始まりです


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 ↑「高麗門」 徳川幕府により、城郭構造へと造り替えられた折に設置された門と伝わります、門より諸堂域へはまだ先です


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 ↑「山門」 応仁の乱で焼失後1860年に再建された三間三戸、二階二重門で高さ20m、後小松天皇よりの2mの勅額「浄土真宗最初門」が掲げられる重厚な門です (二年前より修復中で今見られません、この写真のみ2011年修復直前に写したもの)

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 ↑ここまで石段で数十段、諸堂はまだ上です
 (左)「鐘楼」 直径1.3m重さ2tで1623年に建立されたものです



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↑阿弥陀堂に安置されている恵心僧都の最後の作と謂われるご本尊「阿弥陀如来像」

(右)天井に描かれた迫力ある「雲龍図」です      (両写真は紹介資料より)


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 ↑ 黒谷境内の石碑から「御影堂(ミエイドウ)」大殿(ダイデン)とも呼ばれます、法然上人75才時の肖像が安置されています

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 (右)運慶の作と伝えられる中山文殊像で日本三文殊の一つとされています                    (写真は当寺資料より)  


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 ↑TOPの写真は御影堂まえ、ここは「大方丈」とそれをバックにした「鎧掛けの松」、源頼朝の忠臣熊谷次郎直実が若武者平敦盛を討ったのち思い悩み当寺で法然上人の教えをうけ、その折鎧をこの松に掛け出家を決意したとされている松です

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 ↑大方丈の額「白河禅房」法然上人は師の叡空上人からこの名の禅房を与えられ、後光厳天皇より金戒の二字を賜り金戒光明寺と呼ばれる事となります

 (右)同大方丈の「虎の間」の屏風です、襖を移動すると4頭の虎が2頭に見える様描かれています                (写真は紹介資料より)


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 ↑「紫雲の庭」 法然上人の生涯と浄土宗の広がりを白川砂と杉苔、大小の石で周りの人々を表現したものとされています、上は比叡山修行時代を表すとされています

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 ↑(左)浄土宗開宗から金戒光明寺の興隆を (右)上人幼少時代の美作の国 をそれぞれ表した庭と説明されています  


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 ↑紫雲の庭の北庭「ご縁のみち」と名付けられた庭で、いろいろ見方を教えてありますが、ここは日本庭園の代表的な三尊石組の庭です、左→が勢至菩薩(坐像)、右手前の←は観音菩薩(立像)、奥の←小さくみえる石は阿弥陀如来に見立て造られています 後方は大方丈です


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 ↑「三重塔」(重文)文殊菩薩を本尊とし文殊塔とも呼ばれます、家康が熱心な浄土宗徒であった事から徳川家との結びつきは深く1633年二代将軍秀忠公の菩提を弔う為建立された塔です

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 ↑(左)こちらには秀忠公正室のお江与の方(お江・浅井長政三女)の遺髪をが納められ祀られています、三代家光公の乳母春日局により建立されたと記されています

 (右)三重塔北にある塔頭「西雲院(サイウンイン)」のお堂におかれた紫雲石、法然上人比叡より下りこの黒谷で最初に腰かけた石で、直後紫雲が一面にたなびき天より光明がさしたとの紫雲山・金戒光明寺の謂れが残されています


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 ↑山の北東に設けられた300坪もの「会津藩殉難者墓地」、会津藩が京都守護職の役目を担ってより6年の間に尊王攘夷の嵐が吹き荒れた幕末の京都、その後鳥羽・伏見の戦いで戦死した藩士を合せ352名の会津藩士が祀られています

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 ↑(左)「殉難者供養塔」 それぞれ藩士が遠く想いを馳せた鶴ヶ城とふるさとの山々の写真が慰霊を慰めるべく花と共に供されていました

 (右)整然とお墓が並びます、毎年6月京都会津会の主催の下地元会津より大勢の方が来京法要が営まれています


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 ↑(左)戊辰戦争・鳥羽伏見の戦いを経て母国会津で新政府軍に下った会津藩、その中に一緒に戦った「幕末のジャンヌダルク」山本八重 鶴ヶ城明け渡しの前夜涙ながら無念の想いを

 「明日の夜は いずくの誰か眺むらむ なれし御城に 残す月影」

とお城の蔵の壁に書き残した、この軸は金戒光明寺に残されている八重84才自筆達筆の書です、サインは八重子(すべて自著のサインはこの名でされています、写真は紹介資料より)

 (右)戦いのあと3年後、奇跡にも生きていた兄覚馬をたより京都へ出て同志社を創設したクリスチャン新島襄と出会う、自らもクリスチャンとなり1,867年襄と再婚30才、鉄砲から知識人へと新島八重、夫をしてハンサムな生き方と云わしめた同志社英学校(いまの同志社大・今出川学舎)の創立に関わる、上の写真は晩年二人で過ごした御所東側の旧邸です

 (右下)夫・襄は1890年46才で死去、同志社は兄覚馬が引き継ぎ自らは裏千家茶道、日本赤十字社活動を経て日清戦争時には篤志看護婦として活躍、「日本のナイチンゲール」と呼ばれたが、終始「ならぬことは ならぬもの」の姿勢貫いた「ハンサムウーマン」・「同志社の母」は87才上の自宅で生涯を閉じ、ここより東2k東山・若王子山の山上に夫・襄、兄・山本覚馬夫婦と共に眠る






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最終更新日  2013.02.02 09:52:59 コメント(133) | コメントを書く


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