2015.08.14
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http://www.d3b.jp/npcolumn/4366 大学創立者の考え方がよく分かります。裏返せば、署名運動をなさっている方々は、創立者の考えについての理解が浅いということになります。大学の写真や創立者の言葉を軽々しく用いて「分断」「対立」「憎悪」を生み出してはならないと思います。以下、本文からの抜粋です。



 この対談がなされた昭和40年代の後半、公明党はまだ誕生して10年ほどの野党だった。だが既に池田氏は仏教者の政治的態度として、弾圧を加えてくる政治権力と<同一次元で対決>してはならないと示唆している。
  なぜなら宗教者が政治権力と<同一次元で対決>する構図で正義を実現しようとすれば、究極的には殉教をも辞さない<対立と憎悪>へと民衆を駆り立ててしまうからだ。平和と正義を実現すべき宗教が、社会の中に「分断」「対立」「憎悪」を生み出すことになってしまう。
 「宗教的信念」を貫いた極限である牧口初代会長の獄死を、単純に「政治的信念」と混同してしまえば、創価学会は常に国家権力を敵視し、政治的信条の異なる人々を憎悪する宗教になりかねない。
  では、どのような方法で政治権力の横暴と戦っていくべきなのか。
[中略]
 横暴な権力や異なる政治信条に対し、民衆を分断と憎悪に駆り立てるような<対決>を賢明に避け、しかし相手を対話のテーブルに着かせるだけの、存在感ある民衆の連帯を示さねばならない。
  あくまでも政治を<言論による説得と合意>に立ち返らせ、その上で<今までとはまったく別の>アプローチとして、<分断による人々の対決>の政治ではなく<対話による人々の結合>の政治へ転換させなければならないと、池田氏は主張しているのである。
  ちなみに、この対談がなされた当時も公明党は野党であった。後年に実現した自公の連立を、互いの利害の一致うんぬんという床屋談義だけで論じては、その本質を見誤るだろう。
[中略]
 今回、巨大与党となった自民党の勢いを背景に、時の首相が「集団的自衛権の行使容認」を公言した。それに対し、公明党は文字どおりの<言論による説得と合意>を忍耐強く重ね、首相のメンツを保ったまま実質は従来の政府見解を越えない閣議決定へと着地させた。
 「連立からの離脱」を言挙げしたマスコミの論評は、そもそも哲学的に公明党を理解していないのではないかと筆者は思う。
  閣議決定の着地をどう評価するかは、さまざまな意見があるだろう。だが、現実問題として、今後の法案審議で公明党の存在は国民全般にとってさらに重要になる。






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最終更新日  2015.08.15 01:37:20コメント(0) | コメントを書く


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