ほのぼの☆smile

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私と看護師。


 今度は、やっぱりこれでしょう。

 夢は、だいぶ前。そう、覚えているのは
小学4年生かな?文集の"将来の夢"で書いた記憶がある。

 幼稚園時代は、バレエの先生と動物の看護婦さんって
お誕生日の先生の手作りカードには書いてあった。
 昔から動物は大好きで、対象は違うけど、やっぱり
看護婦に憧れていたようです。

 本題だけど、では、何故なりたかったんでしょうか?
それは、母によく聞かされていたんだけど、母は体が丈夫じゃなかった。
だから、小さい頃はあんまり学校に行けなかった。
 母が、妊娠した時、5回妊娠して3人流産や死産だった事。
私が生まれた時、子癇を起こして母が死にそうだった事。
 私は、小さくてなかなかおっぱいや離乳食を食べなかった事。
そんな事があり、母が看護婦になりたかったとを度々話していた。

 そんな折、確か私が小4の時、兄が髄膜炎で入院。←だんなも去年やった!
そこで、看護婦さんと接する。
とっても、やさしかったし、多分、これが最初の憧れの動機。

 そして、小5の時、母が盲腸(腹膜炎を起こしていた。)で入院。
母は「また来てね。」って言ったんだけど、とっても寂しくて
あまり面会に行けなかった。

 中1の時に、病弱だった母の母(おばあちゃん)が、入退院をくりかえし、
結局亡くなった。
物心ついて、身近な親戚の初めての死だった。
 相次いで、中2の時、連れ合いのおじいちゃんが亡くなった。
去年、亡くなった伯母が何十年もおばあちゃんを看病していたのを
知っていたし、母と共に入院すれば、面会に行っていた。
 おばあちゃんは、今で言う脳卒中後の後遺症で
入退院をくりかえしいたんだけど、病院のたらい回しだった。
 おじいちゃんも胃がんの手術後、おばあちゃんの死もあって
痴呆になってしまい、老衰もひどく、最後は自宅で点滴を受けていた。

 そんな事があり、私は"私が救ってあげられたら・・・。"と強く思った。
今、看護師でいて、そんな自己満足は求めていないし、
救ってあげられたらなんていう傲慢さもないけど、
私は、人と接しているのがとても好きだ。

 看護師は、よく給料が高いとか安定した仕事でいいねと人は言うが、
私は、そんな事考えてこの仕事を選んだ訳じゃない。
 最初は、ほんとに憧れだけだったけど、ほんとにやってて楽しいし、
やめたいと思ったこともなかった。
 実際、職場を変えたり、出産前に臨床(夜勤体制の職場=病棟)は、
引退したけど、理由がある。

 職場を変えたのは、初めに就職したところは、脳卒中後の後遺症を
リハビリして改善して社会復帰をする、いわば"リハビリ病院"。
そこの患者は、ほとんどと言っていいほど、現代病が引き金の人ばかり。
 現代病とは、高血圧や糖尿病、心臓病なんかだ。
でも、私たちがいくら生活指導や食事指導したって長年の生活習慣は
なかなか替えられないのが人間だ。
 それに気づいた時、脳卒中だけでなく、そんな病気の
急性期の患者たちがどんなものであるか知りたくなった。
 看護師になった時、この病院がとっても好きだったし、患者にも
じっくり関われてよかったので、まさか自分でもやめようと思うなんて
思わなかった。でも、飛び出していかなきゃと思った。
 実際、最初の病院にいたら心電図もレントゲンも読めなかっただろうし、
呼吸器の取り扱いなども無知であっただろうと思う。
 実際、2つ目の病院は、最先端の医療だったので、カルチャーショックに
なったけど、今ならどこでも勤められる自信はある。

 でも、2つ目もやめたのよ。
それは、T大学病院だったんだけど、育児環境がよろしくない。
 保育施設はないは、配置換えもなかなか・・・。
給料めちゃめちゃいいけど、休みはほとんどない。
だんなは、夜遅いから保育園にもお迎え行けない。
 それに子供がかわいそう。
プラス、父の裁判をやるかもしれなかったから、急な勤務変更なんて
お願いできる環境じゃないので、妊娠8ヶ月の切れのいい3月で退職。
 今から思えば、良かったんだけど、当時は、急に仕事モードから
主婦モードに切り替われず、急性胃炎になりました。
 つわり中、1回ももどした事ないのに"オエー"。
心配で産婦人科に行くとちょうどその曜日だけ違う先生で、
看護師だって言ったら、「妊婦の胃がんも考えられる。」なんて言われちゃって
デリカシーのない医者だと憤慨したし、すごく心配しちゃった。
 看護師なんていろいろ本とかあるからよくないなぁと思った。

 出産後はやっぱり世間から取り残されているんじゃないか?て
とってもストレス感じてた。
 子供も訳わからず泣く頃だし、とってもイライラした。
ほんとにはしないけど、幼児虐待する母親の気持ちがなんとなくわかった。
 だから、1年我慢して、だんなを説得して学校委託の市のツ反・BCGの
仕事から始めた。これって、3ヶ月だけなんだけど、12回/3ヶ月しかなかった。
でも、気ばらしになったし、今のクリニックで働くきっかけになった。

 ワーキングマザーは、はっきり言って大変です。
でも、今のところほのも保育園楽しそうだし、私も楽しくなってきました。
 雇用主の先生は、T大学病院で関わりのある先生で、
怒られる時、「お前、T大学病院でもそうだった訳?」とか「T大学病院で
なに学んだ訳?」とか言われるけど、はっきり言って私は、
T大学病院が全てじゃないし、結婚してても子供いなかったし、生活も考えも
仕事の捕らえ方もまるっきり違う。
 今の仕事は、遊びでは決してないけれど、臨床の急性期の患者の看護と
地域の慢性期の患者の看護や風邪などの看護はほんとに別な物なんだと
先生に言いたい!

 あと、そうそう私は、訪問看護の看護師になりたいんです。
でも、子育て中はダメ。どちらかというと仕事とプライベートを
分けれないんで・・・。 




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