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カテゴリ: 日清戦争占話考

本日は、占い愛好家 風鈴としての投稿です。

新型コロナウイルス感染拡大をうけての政府の自粛要請で家にいる時間が増えています。

ずっと中断していた日清戦争占話考をすこしずつ更新して参ります。


前回は、かなり遡りまして2019年1月6日の日記
「28. 沢風大過 5爻 日清戦争占話考7 甲申事変の勃発」

からの続きとなります。

【背景】

甲申事変の後始末として、日本政府は、井上馨外務卿を特派全権大使に任命しました。その交渉のため、 1884 12 24 日井上馨を横浜から出港し朝鮮へ向かわせました。

この交渉は難航が予想さました。

というのも、甲申事変で日本人居留民の殺害がありましたが、そもそもこのクーデターに日本の竹添公使や軍隊も関与していたからです。

この事実を日本政府は伏せていました。もしこれを公開すると日本政府の失策により日本国民の殺害を招いたことが公となり、マスコミによる責任追及がなされますし、朝鮮政府との交渉でも不利となるためです。

しかしその結果、国内では無垢の国民が朝鮮政府に殺害されたという形で理解され、「戦争か謝罪を要求すべき」との強硬な主張が世論を覆っていました。

朝鮮政府も日本政府のクーデター関与を疑っています。さらに、たとえ日本政府がクーデターに関与していなかったとしても、クーデター後の、金玉均らも求めに応じ 朝鮮政府への通達なく兵を率いて王宮に入ったことを強く非難しました。

もしこの交渉が決裂すると清国の介入を招き、日本と清国の戦争に発展する恐れもあります。当時の日本の軍事力・経済力では、清国との全面対決は回避すべきと、政府内では考えていました。

そこで伊藤博文は、 12 25 日、井上馨の横浜から出港の日の翌日に、高島嘉右衛門を訪ね、この甲申事変の事後処理に関する交渉はうまくいくのか、占うように依頼をしました。

【結果】

履  4爻

―――

――― 

――― 〇

―  ―

―――

―――

【判断】

甲申事変は、日本政府がクーデターに関与していましたが、これは国家の張重要機密事項であり、高島嘉右衛門も知りません。

高島易断では、それをベースに判断が書かれているため、周辺部分についてはピントはずれの内容となっています。

つまり、高島易断では、4爻の一つ手前の3爻から背景説明が延々と描かれていますが、ピントが外れていますので省略し、4爻について、本田済先生のえ易(朝日選書)も参考にしつつ、噛み砕いて説明したいとおもいます。

■4爻の解説

4爻は「九四、履虎尾。愬愬終吉(虎の尾を履む。愬愬[さくさく]ついに吉なり。)」とあります。

そして、象伝では、それを解説して「象曰、愬愬終吉。志行也(象に曰く、愬愬[さくさく]終には吉なるは、志行われる也)」と説明します。

「虎の尾を履 [ ] む。」

諺にもありますね。危険が差し迫っています。

普通ならば当然噛まれてしまいます。

でも、結論としては噛まれません。

4爻は陽

―――

であり、これが4番目の位置、ここは陰の位置におります。

強い力を持ちながら従順な態度を保持する。

このように噛まれないように恐れて(「愬愬」とは、おそれるさまを言います)慎重に進めるならば、目標を達することができ、吉をえる。

これが爻辞の解釈となります。

そこで高島は、交渉は平和のうちに決着すると判断しました。

なお、高島嘉右衛門は追加説明として、履の4爻

―――

――― 

――― 〇

―  ―

―――

―――

を変じると中孚

―――

――― 

―  ― 

―  ―

―――

―――

となる。

中孚は、平和、当方は喜び、先方も従うとなると補足しました。

高島嘉右衛門は、この占断を12月25日、伊藤博文に伝えました

【その後の展開】

1.高島嘉右衛門、マスコミに占いを説明。

この甲申事変については、日本政府の関与にかかわる事実は伏せられていました。

その結果、不十分な情報のまま、国民が他国の野蛮な軍隊により殺害されたとクローズアップされ、和戦いずれかの議論がマスコミで沸騰していました。

12月27日、交詢社という実業家の社交クラブから、高島嘉右衛門に、井上馨の朝鮮政府との交渉成り行きについて、説明してほしいと依頼がありました。

依頼主は福沢諭吉。交詢社というのは慶應義塾大学出身の実業家を中心に結成された社交クラブだったため、福沢諭吉が創立者でした。

高島嘉右衛門は、この交詢社で、履4爻の解説を行い、和平は決裂せず、平和のうちに決着する。よって、戦争には発展しない旨を説明しました。

それを聞いた、福沢諭吉をはじめとする聴講者は、「野蛮な軍隊が、勝手に日本国民を殺害し、軍隊の伴わない話し合い交渉で解決するということがありうるのか?」と疑っている表情だったとのことでした。

ジャーナリストの福地源一郎が、高島嘉右衛門に、交詢社でも講演を新聞に寄稿してくれと依頼しましたので、翌年 1985 年1月1日付の東京日日新聞に掲載されました。この記事を読んだ、時事新報の記者は「そんなことありうるか。」と馬鹿にし、「文明開化の時代に易占などというあやしげな迷信じみたものはあてにならない、近代の時代、力による武力討伐でなければ抑えきれない」と嘲笑したのでありました。

2.井上馨による朝鮮政府との交渉と漢城条約の締結

1月2日より、日本政府と朝鮮政府による交渉がはじまりました。

日本側が井上全権大使、随員の井上毅、朝鮮側が左議政(副首相相当)全権大臣金弘集等でした。

まず、日本政府と朝鮮政府との間では甲申事変の事実認識について、食い違いがありました。

朝鮮政府は日本政府のクーデター関与を疑っています。また、日本軍が、クーデター後に、金玉均らの求めに応じ朝鮮政府へ通達なく兵を率いて王宮に入ったことを非難していました。

日本政府は、日本軍が王宮に入ったのは、 朝鮮国王による依頼があったからだと、国王の親書と玉璽の押された詔書を示し自らの正当性を主張します。

これにより日本軍の王宮に入った事への朝鮮政府の追求は後退しますが、両政府お互いに自身の正当性を主張して譲らず、平行線をたどる状態は変わりありませんでした。

井上馨は、まず、今回の課題は日朝両国関係の速やかな修復であることを強調します。確定できない過去の出来事について議論をしても埒はあかないのであり、双方の主張の食い違いを全て棚上げにし、明白は事実を対象に交渉をまとめ上げましょうと提案します。

そのうえで日本政府のクーデタへの関与を否定します。

これは竹添公使と日本軍が関わっているにもかかわらず嘘、詭弁にも近い行為であり、非常に危険な交渉態度と思われます。

嘘ということになれば朝鮮政府との交渉が決裂するのみならず、清国との関係も悪化し、国際社会での信頼すら失われてしまいます。

易経「虎の尾を履む。」というのは、まさにここを言っているのではないかと思います。

しかし、慎重に丁寧に議論を進めた結果、最終的には朝鮮政府側の 金弘集全権は井上の提案に同意します。

まさに「愬愬[さくさく]ついに吉なり。」「愬愬[さくさく]終には吉なるは、志行われる也」であり、

従順な態度を保持し、虎に噛まれないように恐れて慎重に進むことで、目標を達することができたのでした。

1月9日漢城条約が締結されました。

その条約には、朝鮮国王の謝罪、日本人死傷者への補償金、日本公使館再建費用の負担などを定めました。

3.高島嘉右衛門のドヤ記述

マスコミは、「戦争だ戦争だ」と騒ぎ、高島嘉右衛門の「交渉は平和のうちに決着する」との判断を馬鹿にしました。

でも、結論は高島の言うとおりになりました。

自分の事を馬鹿にしていた福沢諭吉をはじめ、様々なジャーナリストや新聞記者の顔が浮かんだのでしょう。

高島易断には、「どうだ!思い知ったか!」とでも言わんばかりの記述が記載されています。

「しかるに天理の定数はすこしも過たず、ついに私の易占の言葉は一つも違わなかったことは、まことに絶妙であるので記してその証拠とするものである」

なお、このブログに出てくる高島嘉右衛門は、易占の名人であり横浜の実業家でありますが、「高島易断総本部」や「高島易断総本家」が発行する書籍とはまったく関係がありません。

【参考文献】

朝日選書「易」(本田済)

易学大講座1~8 紀元書房 加藤大岳

日清戦争 大谷正著 中公文書

訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞

高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房

いっきに学びなおす日本史(上下) 東洋経済 安達達郎

詳説世界史研究 木下康彦他 山川出版社







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最終更新日  2020年04月26日 19時48分08秒


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