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今後ブログは下記 noteに移転します。よろしくお願いいたします。山口ついで@易学研究家&占い師|note
2024年11月24日
こんにちは。ストアカ講師の山口ついでです。7月となりました。来月8月の講座をご案内させていただきます。■【占いながら64卦に習熟する講座】3水雷屯 / 四大難卦編①】・日時:8月20日(日)19:00-21:45・サイト:https://www.street-academy.com/myclass/146455?conversion_name=direct_message&tracking_code=2af57d0559484caf31d23d054716dd33新しい講座シリーズです。【占いながら易経を学んでいく講座】の応用編です。【占いながら易経を学んでいく講座】で学んだ視点が、64卦にどのように結びつくか、丁寧に当てはめていきます。また、卦に関する辞を素読しながら広く浅く味わいます。今回は、四大難卦の一つ「3.水雷屯」を学びます。是非奮ってご参加ください!--------------------------【占例紹介】歴史上の有名な占例をご紹介します。■南蒯(なんかい)のクーデター (本田濟「易」67頁。岩波文庫「春秋左氏伝(中)」164頁、襄公4年。岩波文庫「春秋左氏伝(下)」141頁、昭公12年。148頁、昭公13年 )本日も魯の国のお話。前回ご紹介した話、牛が殺されてから7年後(BC530年)の出来事となります。前回、前々回は叔孫氏(叔孫僑如(しゅくそんきょうじょ)、叔孫豹(しゅくそんひょう)兄弟)という魯の国の貴族の名門が出てきましたが、今回は、李孫氏(きそんし)に関するお話です。この叔孫氏、李孫氏は、魯国で政治の実権を握っている3大貴族であり、もう一つ孟孫氏を加えて、三桓氏と呼びます。当時の魯の国では、君主は名ばかりの存在となり、政治の実権は、この三桓氏が握っていました。三桓氏の中で、一番力を持っていたのが、今回の話題の主 李孫氏です。季孫氏の家来に南氏という一族がいました。南氏は、季孫氏の支配している「費」という邑の代官でした。「費」は、魯国にとり、隣国の晋国との戦略的に重要な場所に位置し、城があります。この城を築くために、南氏は大きな貢献をしました。その結果、「費」という邑の軍事的戦略的役割が増大するに伴い、李孫氏の魯国での発言力が増大し、さらに、南氏の発言力を増大していきました。ロシアの民間軍事会社・ワグネル・グループの創設者であるプリゴジン氏のようなものです。これが今回の背景です。さて、BC530年。季孫氏に代替わりが起こりました。新たに家を継いだのが季平子。季平子はあちらこちらに代替わりの挨拶にいきます。けれども、家来である南氏の当主 南蒯(なんかい)への挨拶をしませんでした。南蒯は怒ります。「礼儀を知らないやつだな。」南蒯は考えました。季平子氏の実力は、わが南氏の支配する費があってのものである。一方で、季平子は、主筋である魯国の君主をないがしろにし、君主への礼も欠いている。あいつはいらない。そこで、南蒯は、魯国の公子 憖(ぎん)に話をします。「憖さま。いかがでしょう。私は、主筋にあたる季平子を追い出します。そして、「費」邑を魯国の皇室に返します。あなたは、追い出された季平子の代わりとして「卿」に付いていただく。そうすれば、私は「費」邑の代官として、あなたの下で公臣となりますよ」魯国の公子 憖は答えます。「よかろう」南蒯は、根回しを着々と進めます。さて、反乱を起そうとするとき、事の正否を占いました。大それた企てです。秘密裏に、外に漏れないように、漠然と筮を立てました(「枚筮[ばいぜい]す」)出た卦は「坤為地が水地比に之く」坤為地5爻。爻辞「黄装、元吉なり」。「元吉」!大吉だ! 南蒯は飛びあがります。占い結果がよければ、他人にも背中を押してもらいたいもの。そこで、魯の大夫(卿の下の身分で自分の土地を持っている貴族)である子服恵伯(しふくけいはく)に、意図を隠しながら聞いてみます。「子服恵伯よ。例えばの話、なのだが。。。。何か事を起こそうとして、この卦が得たとしたならば、お前ならばどう考える?」子服恵伯は、しばし熟考ののちに答えます。「私は、過去に易を学びました。あくまで易の解釈としてお答えします。この卦の場合、忠と信を守って行うならばよし。そうでなければ失敗するでしょう。黄は中正を示す色。装、つまり「はかま」は下半身の装い。元は善の極致を意味します。心が不忠ならば黄にふさわしくない。下位にあるものが慎みを忘れれば美しさは失わる。することが不善ならば、善の極致とはそもそも無縁です。いまは何よりわが身を修めるべきでしょう。」あるいは子服恵伯は、南蒯の意図を知ったうえで、クーデターを止めるように遠回しに説いたのかもしれません。けれども、南蒯は、費を根拠地に兵をあげました。これに対して李平子は、討伐の兵を差し向け、費を包囲しますが、この兵は、攻めることができないままに敗北します。李平子は怒ります。「費の人を見たならばことごとく捕らえて捕虜にせよ!」家来がこれを諫めます。「李平子様!そのようなことをすれば、民は季平子様を憎むようになり、却って南蒯の味方を増やすようなものです。むしろ、費の人を見つけたら、凍えている者には衣服を着せ、飢えている者には食物をやるようにすれば、民は季平子様に従うでしょう」李平子が、家来の言に従うと、民は南蒯から離反しました。結局、南蒯は敗北し、斉に亡命をしました。-----この南蒯の占い。問題点が2つあったと、私は考えます。「占いながら易経を学んでいく講座 ① 「どうやって占うの?編」」を受講されていた方はお気づきでしょうか。1つめ。占的を曖昧にしたまま占ったことです。占的を具体的に絞らないと、よい結論が出ても、それが何について言っているのかわからなくなることがあります。結果、自分に都合の良いように解釈し、誤占しがちです。2つめ。爻辞の「吉」という言葉に引きずられていることです。易占の解釈は、いろいろな考え方がありますが、私は、卦の解釈が8割、爻の解釈が2割と考えます。南蒯は、クーデターを起こそうとしている状況で、「坤為地」の卦が出たことの意味を真剣に考えるべきでした。「坤為地」の卦の意味は、臣下の道。卦辞「牝馬の貞に利ろし。・・・先んずれば迷い、後るれば主を得て利あり。・・・貞に安んずれば吉なり。」とあります。牝馬のようにおとなしく健やかな生き方を正道として持続する場合にのみ利益がある。人の先に立とうとすれば迷い、人のあとについてゆくようにすれば、しっかりした主人を得て、上手くいく。正しい道にしたがい安んじていれば吉である。おとなしく今の主人に従い臣下としての自分を磨けば、クーデターを起こさずとも、別のキッカケで、ちゃんとした主人の下で働くことができたかもしれません。南蒯は、結局、「費」の土地を根拠にクーデターを強行し、人民の離反によりクーデターは失敗します。坤という八卦が、大地という意味や、庶民・人民を意味することを考えると、易の神妙さと皮肉を感じます。
2023年07月22日
こんにちは。講座をご案内させていただきます。■占いながら易経を学んでいく講座 ① 「どうやって占うの?編」・日時 2023/7/3(月)19:00- 21:30・サイトhttps://www.street-academy.com/myclass/107740?conversion_name=direct_message&tracking_code=5963067445110dfafaeaa798aefdebd7是非奮ってご参加ください。--------------------------【占例紹介】歴史上の有名な占例をご紹介します。■叔孫豹(しゅくそんひょう)の生涯 (本田濟「易」311頁。岩波文庫「春秋左氏伝(下)」79頁、昭公5年。72-75頁、昭公4年)前回、ご紹介しました。魯の君主 成公の母 穆姜(ぼくきょう)とその愛人 叔孫僑如(しゅくそんきょうじょ)のクーデターは、失敗に終わり叔孫僑如は斉の国へ追放されました。この斉の国にはすでに、僑如の弟の叔孫豹がいました。彼は有能で真面目な公卿でしたが、ヤンチャな兄の度重なる無鉄砲な言動にいたたまれなくなり、兄より先に斉の国に亡命していました。本日は、この叔孫豹の生涯についての占いをご紹介します。叔孫豹が生まれたとき、この子の生涯を父親が易で占いました。出た卦は「地火明夷の地山謙に之く」でした。得卦 (地火明夷) 之卦(地山謙)― ― ― ―― ― ― ―― ― ― ―――― ―――― ― ― ―――― ― ―つまり、地火明夷の初爻。易経には「明夷[めいい]于[ゆ]き飛んで、其の翼を垂る。君子于[ゆ]き行く、三日食らわず。往く攸有れば、主人言有り。」とあります。父親は、この判断を占い師の楚丘(卜楚丘)にしてもらいました。楚丘が答えました。「この方は、いったん国を離れましょうが、やがてもどってきて、あなたの霊を祭ることとなるでしょう。讒言が巧みな人を連れてきます。その人の名は牛(※注)。最後は飢えて死ぬでしょう。」子供の将来の占いで、こんなことを言われたらさぞかしいやな思いをするでしょう。父親の反応は歴史書(「春秋左氏伝」)には記載されていません。さて、話は戻ります。この叔孫豹が、兄から逃れるように魯から斉へ出奔しているときのこと。魯の国境で、ある女性と意気投合し、その婦人の家に一夜の宿を借り、行きずりの情を交わしました。翌朝、叔孫豹はいいます。「残念だが、私は斉の国に行かなければならない」。女「どうして」叔孫豹が事情を話すと、彼女は慟哭し、送り出してくれました。その後、斉の国に入った叔孫豹は、名門の娘を娶り、二人の子、孟丙(もうへい)と仲壬(ちゅうじん)をなしました。ある夜、叔孫豹は夢を見ます。天が自分を押しつぶそうとする夢です。どうしても跳ね返せない。ふりむくと色が黒く、目が窪んで口のとがった、牛に似た男がいます。思わず「牛よ!たすけてくれ」と叫び、その男の助けで天を跳ね返すことができました。さて、兄の叔孫僑如が、クーデターに失敗して斉に逃れてきます。すると、それと入れ替わるように、叔孫豹は魯の国に呼ばれます。叔孫家は魯の名門であり、魯の国の重臣たちにとって、叔孫家を継ぐ人が必要だったのです。このように豹が叔孫家を継ぐと、以前に宿を借りた婦人が、訪ねてきます。その夜孕んで生まれた子供も一緒です。見るとかつて夢の中で天と格闘した時の救い主にそっくりです。思わず「牛!」と名を聞くより先に、叫びました。子供はびっくりして「はい」と答えました。彼の名は、牛でした。この子は、叔孫豹の側に仕えて彼のお気に入りとなりました。斉で娶った正妻は、叔孫豹の帰国後すぐに他の男と結婚します。怒った叔孫豹は、正妻の二人の子、孟丙と仲壬への愛情も薄くなり、魯国へのなかなか呼びよせませんでした。とはいえ叔孫家という名門を継ぐのは、家柄からいって、牛ではなく、孟丙と仲壬のどちらかです。二人は成人後に叔孫豹のもとへ迎えられます。しかし、その時は、牛の信用がかなり厚くなっていました。牛の讒言によって、孟丙は殺され、仲壬は国外へ追放されます。そのうち叔孫豹は病気となりました。牛は彼のそばを離れません。面会人は中に入れず、病人の食事は、牛が戸口で受け取って中身を捨て、空の器を下げ渡します。そうして徐々に叔孫豹は衰弱していきました。叔孫豹も牛の本性に気づきますが時はすでに遅し。誰もが、牛を通してしか叔孫豹と会話できないためどうしようもありません。偶然に、家政を司る杜洩(とせつ)という家来が、牛のいないところで叔孫豹と面会できました。叔孫豹は衰弱しきっており満足に会話ができませんが、その日のために準備した紙を渡します。「牛を殺せ」杜洩は取り合いません。「食べ物が欲しいならば、届けます。牛を殺すことはないでしょう」牛は、杜洩にいいます。「あの人は病気が重くなり、正常な判断ができなくなってしまったのです。人の顔を見たくないと仰せられる」そうしてまた、牛が叔孫豹の食事を捨てる毎日が続きます。十二月癸丑の日、牛は、食事をちょっとだけ捨てて、一部を叔孫豹の部屋に置きます。けれども、叔孫豹は何も食べませんでした。そして3日後、占いのとおり、餓死したのでした。牛はその後、叔孫家を乗っ取ろうとし、おとなしそうな叔孫昭子を君主に立てます。ところが、この叔孫昭子は、家来を集め、牛の悪行を並べ立てた、牛を殺せを命令を発します。恐れをなした牛は、斉に逃亡しようとしますが、国境付近で、以前、牛の讒言を被った孟丙と仲壬の子供たちが待ち構えていました。牛は、この二人に殺されました。この話を題材に、小説家の中島敦(「山月記」「李陵」など国語の教科書に載っていて有名です)が、「牛人」という短編小説を書いています。 ↓ 「牛人」 青空文庫https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1742_14529.html -------※ 注地火明夷の初爻から、「牛」の名を導いたのか理由については、春秋左氏伝では、「純離為牛」とあり、離為火から牛を導いています。離・火は、通常は、麗(きれい)から雉などのきれいな鳥、カニなどを連想されますが、牛というのは一般的ではありません。この解釈について、学者の間で議論がなされ見解の一致がありません。多数説は「離為火」の卦辞「牝牛を畜う」から導いています。
2023年06月16日

6月となりました。旧暦では5月(今年は5月30日~6月28日)です。 易では十二消息卦 天風姤全部が陽爻の乾為天(5月 旧暦4月)の初爻に、ふっと陰爻が入り込んだ卦。とつぜん遭うという意味で「姤」と名付けられます。「予期せぬ出会い」「遇う」という意味です。 易占の得卦は、いつも予想できません。まさに「予期せぬ出会い」ですから、得卦のことを「遇卦(そうか)」とも呼びます。 予期せぬ「遇卦」から神様のメッセージを読み取れるようにするためには、場数を踏むしかありません。今月は易占実践会を開催します。是非奮ってご参加ください。 ■占いながら易経を学んでいく講座 ⑤ 「いろんな卦の見方 Ⅳ」 爻のいろいろな見方を学びます・日時: 2023年6月14日(水) 19:00-21:45・サイトhttps://www.street-academy.com/myclass/155817?conversion_name=direct_message&tracking_code=e10c966a34d5458a2955d11bcfadf054 ■【易占実践会】まずはゲーム感覚で♪楽しみながら占っていきましょう!・日時: 2023年6月25日(日) 19:00-20:00・サイト:https://www.street-academy.com/myclass/144938?conversion_name=direct_message&tracking_code=86a422ce7910f29cfbc27ead3c1f0ec6 -------------------------- 【占例紹介】歴史上の有名な占例をご紹介します。ちょっと長いけど、興味のある方読んでください! ■穆姜(ぼくきょう)の東宮幽閉占 (本田濟「易」47頁、176頁。岩波文庫「春秋左氏伝(中)」175頁。襄公9年 ) 古代中国に魯という国がありました。その国の君主 成公の母親に穆姜という女性がいました。彼女は家臣の叔孫僑如(しゅくそんきょうじょ)と姦通して、叔孫僑如のライバルである季孫氏や孟孫氏を排斥することを謀りましたが失敗しました。結果、叔孫僑如は国外へ追放され、穆姜は東宮に幽閉されることとなりました。そのときの占いです。 「艮が随に之く卦」が出ました(原文は「艮が八に之く卦」)これを見た太史(占いの官僚)がいいます。「『随』は『人に随っていく』という意味があり「出る」に通じます。あなた様はすぐに東宮から出られるべきです」。 得卦が、艮ならば動かないと判断してもよさそうなものですが、太史は、忖度したのかもしれません。 しかし、穆姜は首を振ります。 「易によれば『随』は『元亨利貞。咎なし』と解釈されます。私に、元亨利貞の徳があれば災難はないでしょう。けれども私は、婦人でありながら乱に加わりました。私には元亨利貞の徳は一つもありません。ですから、『随』の卦は当てはまりません。必ずやここで咎を受けるでしょう。私はここで死ぬはずです。出ていく必要はありません」 BC564年5月、穆姜は東宮で死にました。 「元亨利貞」は四徳といい、沢雷随だけでなく、乾為天、そのほかの卦の卦辞にもあります。卦辞に四徳がある卦が出た場合は、自分に元亨利貞の徳があるかを振り返り、足りないこところを補うにはどのような行動を取ればいいか考えてみましょう。事態打開のヒントが得られます。 現在、水雷屯の講座の準備をしています。この卦の卦辞にも「元亨利貞」があります。その意味と使い方を学びます。こちらも講座開催の準備ができましたらご案内します。
2023年06月01日

こんにちは。本日は、山口ついで としてのご連絡です。11月はストリートアカデミーのオンラインにて下記の講座を開催します。 【占いながら易経を学んでいく講座 ④ 「いろんな卦の見方 Ⅲ」】 11月12日(土曜日)10:00〜12:30https://www.street-academy.com/myclass/144226?conversion_name=direct_message&tracking_code=477f26d175c7e65c53d1ecf2164f28ba&sessiondetailid=7095167<こんなことを学びます>・裏卦、綜卦、包卦、互卦・十二消息卦、交易生卦 【占い師が実際にやっている「筮竹のつかい方」講座】 11月27日(日曜日) 19:00~19:30https://www.street-academy.com/myclass/143071?conversion_name=direct_message&tracking_code=cf1c2a5e42087baa59babcba3a63622f<こんなことを学びます>1.筮竹を使用し卦爻を求める。2.筮竹を3回さばく(三変筮法[さんぺんぜいほう]といいます)により卦爻を求める。 参加された皆様が筮竹をさばいて卦爻が求められるようになることに講座の目的を絞ります。ですので、八卦、64卦の内容といった基本知識、中筮法、三変筮法、略筮法との違いなど理屈は割愛し、「どうやって筮竹を使うのか」に焦点を絞り、私の筮竹のさばき方をご説明します。 ※ 筮竹のさばき方について。メインの方法として、筮竹を扇形に広げる方法があります。しかし、私の占い方は扇形には広げません。ご了承ください。是非、ふるってご参加ください!
2022年11月05日

こんにちは。本日は、山口ついで としてのご連絡です。 10月26日(水曜日)はストリートアカデミーのオンラインにて下記の講座を開催します。 占いながら易経を学んでいく講座 ③ 「いろんな卦の見方 Ⅱ」・19:00〜21:00https://www.street-academy.com/myclass/137906?conversion_name=direct_message&tracking_code=cd2600e85cf62b39b5752bd1c95e9d52&sessiondetailid=6758474 <こんなことを学びます>・卦名から連想する方法をお伝えします。・大成卦から連想する方法をお伝えします。 是非、ふるってご参加ください!
2022年10月23日

ご無沙汰しております。本日は、占い師 山口 序としての、ご連絡となります。現在実施しているストアカオンライン講座についてのご案内です。占いながら易経を学んでいく講座 ④ 「いろんな卦の見方 Ⅲ」++++++++++++++++++++++++++++++++++++++https://www.street-academy.com/myclass/144226?conversion_name=direct_message&tracking_code=477f26d175c7e65c53d1ecf2164f28ba++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 是非ふるってご参加ください! 9月25日(日) 19:00~21:30 前前回(「占いながら易経を学んでいく講座 ② 「いろんな卦の見方Ⅰ編」)、前回(「占いながら易経を学んでいく講座 ③ 「いろんな卦の見方Ⅱ編」)に引き続き、易占いをするためのさまざまな卦の見方の基本をお伝えします大成卦を解釈する視点を10に整理してみました。これは大きく①得卦をじっくり見る方法(6つ)と、②得卦得爻をいろいろな角度から見る方法(4つ)に分かれます。前回、前前回は、①得卦をじっくり見る方法をお伝えしました。今回は、②得卦をいろいろな角度から見る方法(2つ)をお伝えします。 ~~~~~<こんなことを学びます>・裏卦、綜卦、包卦、互卦・十二消息卦、交易生卦<こんなことができるようになります>・得卦自体にどんな意味が隠されているか見る方法を理解できるようになります・得卦はどの卦から生まれ、どの卦にいくのかの観点から見る方法を理解できるようになります※事前配付資料として「ルーズリーフ」を送付します。※講義資料は、講義終了後にお送りします。<持ち物>・コイン(10円玉5個、100円玉1個)・本田済「易」・算木 (お持ちの方のみ。必須ではありません)※下記の添付資料を印刷ください・ルーズリーフ←前回配布したものと同じものです・64卦構成表(フリガナ付)←前回配布したものと同じものです・八卦リストサマリー ←前回配布したものと同じものです<所要時間>150分程度人数 : 定員6名価格 : 2000円 ~~~~~ ゼロから易経・易占を学びたい方へ! ストアカ講座のアーカイブを セミナー動画販売サイト 「まなつく」にて販売しております。 セミナー動画の販売/動画を活用したオンラインサロン まなつく (manatuku.com) 占いながら易経を学んでいく動画講座 ① 「どうやって占うの?編」 120分 2500円 2022年1月11日実施アーカイブ ゼロからの初心者大歓迎! 易経を使って占うための最低限必要な情報を学びます。 ② 「いろんな卦の見方 Ⅰ」 100分 1500円 2022年3月27日実施アーカイブ 八卦から連想する方法について学びます。 ③ 「いろんな卦の見方 Ⅱ 」 140分 2500円 2022年6月26実施アーカイブ 卦名の見方、大成卦の見方を学びます。 ※自由な時間にジックリ学んでいきたい方、一気に基本知識を身に着けて易占いをマスターしたい方に、おススメです! ******************************************************
2022年09月14日

ご無沙汰しております。本日は、占い師 山口 序としての、ご連絡となります。現在実施しているストアカオンライン講座についてのご案内です。占いながら易経を学んでいく講座 ③ 「いろんな卦の見方 Ⅱ」++++++++++++++++++++++++++++++++++++++https://www.street-academy.com/myclass/137906?conversion_name=direct_message&tracking_code=cd2600e85cf62b39b5752bd1c95e9d52&sessiondetailid=5598422++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 是非ふるってご参加ください! 6月26日(日) 19:00~21:00 前回講座の続きとなり、易占いをするためのさまざまな卦の見方の基本をお伝えします。 下記の方を対象とします。・「占いながら易経を学んでいく講座 ② 「いろんな卦の見方Ⅰ編」を受講された方・(得卦得爻を出せる方で)易占をするための卦の見方の基本を学びたい方形式 : ストリートアカデミーにてオンライン 人数 : 定員6名 価格 : 2000円 ~~~~~ 前回(「占いながら易経を学んでいく講座 ② 「いろんな卦の見方Ⅰ編」)に引き続き、易占いをするためのさまざまな卦の見方の基本をお伝えします大成卦を解釈する視点を10に整理してみました。これは大きく①得卦をじっくり見る方法(6つ)と、②得卦得爻をいろいろな角度から見る方法(4つ)に分かれます。前回は、①得卦をじっくり見る方法のうち、特に、八卦から連想する方法についてお伝えしました。今回は、前回お伝えしなかった、八卦から連想する方法以外の①得卦をじっくり見る方法をお伝えします。<こんなことを学びます>・卦名から連想する方法をお伝えします。・大成卦から連想する方法をお伝えします。<こんなことができるようになります>・卦名、大成卦から連想して占えるようになります・卦名、大成卦の連想という観点から本田済「易」を読むことができるようになります。※事前配付資料として「ルーズリーフ」「64卦構成表(フリガナ付)」、「八卦リスト サマリー」を送付します。※講義資料は、講義終了後にお送りします。<持ち物>・コイン(10円玉5個、100円玉1個)・本田済「易」・(用意できる方のみ)漢字の成り立ちが解説されている漢和辞典 講座では、ご自分の占った卦名について、漢字の字源を確認するワークがあります。 漢和辞典をもっていない方は、ネットで「卦名」+「字源」で検索し、ウィクショナリーで見てくだきます。 下記のサイトにアクセスできるようにしておいてください。◆ウィクショナリーメインページhttps://ja.wiktionary.org/wiki/Wiktionary:%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8◆ウィクショナリー 巽の説明ページhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%BD※下記の添付資料を印刷ください・ルーズリーフ←前回配布したものと同じものです・64卦構成表(フリガナ付) ←前回配布したものと同じものです・「八卦リスト サマリー」←前回配布したものと同じものです<所要時間>120分程度 ******************************************************
2022年06月17日

ご無沙汰しております。本日は、占い師 山口 序としての、ご連絡となります。現在実施しているストアカオンライン講座についてのご案内です。6月8日(水) 19:00~21:003月20日、5月8日に実施したモノと同内容の講座です。----------------------------------<所要時間>120分程度 占いながら易経を学んでいく講座 ② 「いろんな卦の見方 Ⅰ」https://www.street-academy.com/myclass/107510?conversion_name=direct_message&tracking_code=06ed28104458d9f08812da892ceea865~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~受講生の方のご感想をご紹介します。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~女性 60代この講座は「実践力が身に付く講座」でした憶えなくてもいいということを謳い文句にする講座は多いですが、山口先生の講座はまさにそれ。八卦で連想されるもの、連想のヒントが非常にわかりやすく、無理に憶えなくても自然と頭に入ってきます。それゆえに実践力が高まる講座と感じました。次回もよろしくお願いいたします。男性この講座は「あたまが柔らかくなる講座」でした意味で捉えるだけではなく、別の視点から発想する方法が分かりました。基本をしっかり教えていたただけるので、受講後もいろいろ試していけそうです。内容がとても濃くて楽しく、時間があっという間に感じられました。次回講座も楽しみにしています。女性 40代この講座は「楽しく新たな見かたが学べる講座」でした易の新たな見かたを学ぶことが出来て、大変為になりました。イメージ力も膨らみます!講座内で出題される問題も楽しく考える事が出来ました。また次回の講座も受講したいです。~~~~~~~~そのほか、たくさんの方からありがたいレビューを頂いております。ありがとうございます。皆様のレビューが励みとなります。これからも、今まで身につけた易経・易占の知識を面白さとともにお伝えしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
2022年05月29日

ご無沙汰しております。本日は、占い師 山口 序としての、ご連絡となります。現在実施しているストアカオンライン講座についてのご案内です。3月20日(日) 19:00~20:30----------------------------------前回(「占いながら易経を学んでいく講座 ① 「どうやって占うの?編」)、易経を用いた占い方を中心にご説明しました。講座後の受講生の方のご感想に、易経のコトバが難しい、漢字が難しいというご感想をコメントやその後のフォローで伺いました。そこで、今度は、易経のコトバ(辞)ではなく、卦の象(カタチ)から占う方法を説明する講座「いろんな卦の見方 編」として、今回を含め3回にわけてお伝えします。<「いろんな卦の見方 編」ⅠⅡⅢの特徴 >大成卦を解釈する視点を10に整理してみました。これは大きく①得卦をじっくり見る方法(6つ)と、②得卦得爻をいろいろな角度から見る方法(4つ)に分かれます。・「いろんな卦の見方 Ⅰ」編(今回): ①得卦をじっくり見る方法のうち、特に、八卦から連想する方法についてお伝えします。・「いろんな卦の見方 Ⅱ」編(次回): Ⅰ編でお伝えしなかった、それ以外の①得卦をじっくり見る方法をお伝えします。・「いろんな卦の見方 Ⅲ」編(次次回): ②得卦得爻をいろいろな角度から見る方法をお伝えします。<「いろんな卦の見方 編」Ⅰ ではこんなことを学びます >・大成卦を解釈する視点を10に整理してみました。・八卦の連想の広げ方、学び方をご説明します<こんなことができるようになります>・八卦の連想して占えるようになります・八卦の連想力の高め方、学び方をご説明します※事前配付資料として「八卦リスト」と「八卦リスト サマリー」を送付します。※講義資料は、講義終了後にお送りします。<持ち物>・コイン(10円玉5個、100円玉1個)・ルーズリーフ※下記の添付資料を印刷ください・64卦構成表(フリガナ付) ←前回配布したものと同じものです・八卦リスト サマリー・八卦リスト<所要時間>90分程度 詳細は、下記サイトで説明されています。占いながら易経を学んでいく講座 ② 「いろんな卦の見方 Ⅰ」++++++++++++++++++++++++++++++++++++++https://www.street-academy.com/myclass/107510?conversion_name=direct_message&tracking_code=06ed28104458d9f08812da892ceea865++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
2022年03月06日
本日は、占い師 山口 序としての、ご連絡となります。ストアカで開催した易経講座の動画を『まなつく』で販売はじめました。ストアカ講座の日程にどうしても合わない方、動画で学習を進めていきたい方にオススメです。アドレスは こちら ↓https://manatuku.com/trainers/759販売形式:単品販売商品種別:動画、レポート再生時間:120分価格 : 2000円【注意】1.本講座は2022年1月11日実施のストリートアカデミーの同名講座のアーカイブです。2.動画編集上、講師のご挨拶の部分が収録されておりません。自己紹介から始まります。ご了承ください。------<講座の特徴>占いが初めての方でも占えるように ☑ 易経を使って占うための最低限必要な情報を学びます。 ☑ 独学で易経を学び、占いの技術を高めるためのコツをお伝えします。具体的には次の2つの特徴があります。1.占いをしながら易経を学んでいきます。 わたしの占い例をご紹介しながら易経の内容を説明します。 易経はもともと占いの本ですから、普通に読んでも内容を理解することは難しいです。 ところが自分のことを占いながら、易経を読むとコトバがすっと頭に入っていくこと があります。あたかも神様が易経を通じて自分自身に語りかけてくるような感じをいだ くことさえあります。(「ことばが立ち上がってくる」などと呼ばれます)。 その感覚を受講生の方に味わっていただくこと目標に頑張っていきたいと思います。2.受講生の方々にも占う機会を設けます。 自分の悩み事を占った方がよりリアルに、易経のコトバが「立ち上がります」。 講座では、占い方を説明した後に、受講生が自分で占う時間を設け、自分で考える時間も設けます。 各受講生の方に占ってもらうために、授業では一冊の本に基づいて占例を解説し、 その使用方法をご説明します。 ●本田済著『易』朝日新聞社 ●ISBN-13 : 978-4022590107 ●著作権の関係で、本を購入した方のみの受講となります
2022年02月23日

本日は、占い師 山口 序としての、ご連絡となります。以前の日記でご紹介した講座を 12月12日(日)開催しました。 3名の受講生の方に参加いただきました。ありがとうございました。 1月10日(月)成人の日 19:00~21:00、 内容としては同じ物となりますが、ストアカにて易経入門講座を開催します。 価格2000円です。本田済「易」(朝日新聞社)を別途購入して参加いただくことが前提となります。皆様ふるってご参加ください! 日時 : 1月10日(月)成人の日 19:00~21:00 形式 : ストリートアカデミーにてオンライン 人数 : 定員4名 価格 : 2000円 ※ 下記を各自お買い求めください。 ・易―中国古典選〈10〉 (朝日選書) 。アマゾンにて2,563円で販売されております。 持ち物: 講座ではワークとして占いをする機会を設けます。 占うことを一つご用意ください。 そのほか ・筆記用具とルーズリーフ ・10円玉5枚と100円玉1枚 ・本田済著「易」(朝日出版社) ・ポストイット(本田済「易」の関連箇所に貼るため) 占いながら易経を学んでいく講座 ① 「どうやって占うの?編」++++++++++++++++++++++++++++++++++++++https://www.street-academy.com/myclass/107740?conversion_name=direct_message&tracking_code=5963067445110dfafaeaa798aefdebd7++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
2021年12月25日

ご無沙汰しております。本日は、占い師 山口 序としての、ご連絡となります。2020年4月から対面鑑定をお休みいただいて、ネットを中心に活動をしています。ストリートアカデミーで、易占のオンラインの入門講座を開催します。講座名は占いながら易経を学んでいく講座 ① 「どうやって占うの?編」 初めての方歓迎!本田済著『易』をご用意ください。悩みを見える化し神様に相談する方法、易経を独学で学び続ける方法を会社員・占い師がお伝えします 日時 : 12月12日(日) 19:00~21:00形式 : ストリートアカデミーにてオンライン人数 : 定員4名価格 : 2000円 <含まれるもの> 講義のほか ・講義資料(講義終了後にお送りします) ・受講生の占い結果に対する論評 ※講義終了後、メールで送付いただいた受講生の方には、2週間以内にご回答を致します。 <含まれないモノ> 各自お買い求めください。 ・易―中国古典選〈10〉 (朝日選書) 。アマゾンにて2,563円で販売されております。 持ち物: 講座ではワークとして占いをする機会を設けます。下記をご用意ください。 ・占うことを一つ ・筆記用具とルーズリーフ ・10円玉5枚と100円玉1枚 ・本田済著「易」(朝日出版社) ・ポストイット(本田済「易」の関連箇所に貼るため) 詳細は、下記サイトで説明されています。占いながら易経を学んでいく講座 ① 「どうやって占うの?編」・12月12日(日) 19:00〜++++++++++++++++++++++++++++++++++++++https://www.street-academy.com/myclass/107740?conversion_name=direct_message&tracking_code=5963067445110dfafaeaa798aefdebd7&sessiondetailid=3437966++++++++++++++++++++++++++++++++++++++以下、転載します。こんなことを学びます<講座の特徴>占いが初めての方でも占えるように ☑ 易経を使って占うための最低限必要な情報を学びます。 ☑ 独学で易経を学び、占いの技術を高めるためのコツをお伝えします。具体的には次の2つの特徴があります。1.占いをしながら易経を学んでいきます。 わたしの占い例をご紹介しながら易経の内容を説明します。 易経はもともと占いの本ですから、普通に読んでも内容を理解することは難しいです。 ところが自分のことを占いながら、易経を読むとコトバがすっと頭に入っていくこと があります。あたかも神様が易経を通じて自分自身に語りかけてくるような感じをいだ くことさえあります。(「ことばが立ち上がってくる」などと呼ばれます)。 その感覚を受講生の方に味わっていただくこと目標に頑張っていきたいと思います。2.受講生の方々にも占う機会を設けます。 自分の悩み事を占った方がよりリアルに、易経のコトバが「立ち上がります」。 講座では、占い方を説明した後に、受講生が自分で占う時間を設け、自分で考える時間も設けます。 各受講生の方に占ってもらうために、授業では一冊の本に基づいて占例を解説し、 その使用方法をご説明します。 ●本田済著『易』朝日新聞社 ●ISBN-13 : 978-4022590107 ●著作権の関係で、本を購入した方のみの受講となります <こんなことを学びます> Introduction 易占いとは? ~科学的な知識・方法を知らない古代へタイムスリップしましょう CHPTER 1 占機の知り方、占的の立て方 ~ 相談をされる神様の立場にたって考えてみましょう CHPTER 2 占う方法 ~ 易の基本知識 (陰陽思想、卦、爻)、コインを使った占い方 CHPTER 3 占い結果の解釈の仕方 ~ 本田済「易」(朝日選書)の使い方 CHPTER 4 ヒラメキをとらえ、決断する ~ ヒラメキのとらえ方、内容が明確にわかった場合に行なうこと 判断がつかない場合の対応策、 易占いの力を着実につけていくために大切なこと※ 講義資料は、講義終了後にお送りします。<本田済「易」(朝日選書)の該当頁>・4~8頁 易の特徴、易の3つの意味・9頁 卦について・10~11頁 八卦.。八卦から64卦へ。・28頁 64卦構成表・83~84頁 蒙卦、占いの心構え・203~206頁 噬嗑卦、初爻 ※本田済「易」(朝日選書)の該当箇所をあらかじめ読んでおくと深く理解できます。読まなくても構いません。<講義で触れる易経の本文 本田済「易」(朝日選書)の該当頁>・83~84頁 蒙卦、 「蒙は、亨る。我童蒙を求むるにあらず。童蒙来たりて我に求む。初筮は告ぐ。再三すれば瀆る。瀆るれば則ち告げず。貞しきに利あり。」 「彖に曰く。蒙は、山下に險有り。險にして止まるは、蒙なり。蒙は亨るとは、亨るべきを以て時中を行えばなり。」・203~206頁 噬嗑卦、「噬嗑は、亨る。獄を用うるに利あり。」 初爻、「初九は、校を屨いて趾を滅る。咎无し。」・560頁 繋辞上伝十一章 「易に太極有り。是れ兩儀を生ず。兩儀四象を生じ、四象八卦を生ず。」・584頁 繋辞下伝四章 「陽卦は陰多く、陰卦は陽多し。」 ・597頁 繋辞下伝七章 「易を作る物はそれ憂患あるか。」 ※易経のコトバを紹介はしますが、理解しなくても占うことはできます。易経が好きになると、原文に当たりたくなり、漢字を味わいたくなりますので、初級の段階から易経のコトバはできる限り紹介します。<こんなことが出来るようになります>・占いが初めての方でも易経の本をベースに一人で占えるようになる。・困ったとき、迷ったとき、易占いをすることで、立ち止まらず前に進めるようになる・易経を占いながら学び続け易経を深く理解するコツをつかめるようになる
2021年11月29日
01. 乾為天 5爻 日清戦争占話考 10 甲申事変4 清国との談判交渉 「新型コロナウィルス巣ごもり企画」の続きです。 さて、前回の続きであり、甲申事変の後始末についての占例となります。 【背景】前回ご紹介したとおり、甲申事変の後始末のための交渉の日本側の大使には伊藤博文が任命されました。清国側の全権大使は全北洋通商大臣の李鴻章です。 日本と清国とのこの交渉がどのようになるかは、当時の国内世論の超注目ニュースでした。そして、前回ご説明のとおり、日本国内では「清国討つべし」の強硬で主戦的な国民世論が沸騰していました。しかし、当時の日本が清国と戦をするということは国力の差から見て、到底考えられることではありませんでした。 高島嘉右衛門の親友、伊藤博文も清国との戦争は極力避けるべきという考えであることを高島は知っていました。 しかし、かといって、もし伊藤博文が清国に妥協した交渉をすれば、日本国内からすさまじい非難を浴びることは容易に予想されることでした。 そこで、彼は密かに一人この談判の成否を占いました。結果が悪ければ、自分の心の内にとどめる予定だったのでしょう。 【結果】乾為天(けんいてん) 5爻 ―――――― 〇―――――――――――― これ以上ありえない良い結果です。 【高島の判断】 まず、前提知識を説明します。 ■前提知識の説明 乾為天と陰陽について この卦を乾為天(けんいてん)と呼びますすべて爻が陽(―――)で構成されています。その中には一つの陰(― ―)もありません(純陽の卦)。[i]。 古代では、世界は、二つの要素、陽(プラス)と陰(マイナス)で成り立つものと考えます(陰陽二元論)。陽の究極のもの、すべてが陽のものを天と捉えました。逆に、陰の究極のもの、すべてが陰のものを地と捉えました[ii]。また、世界の始まりもこの陰陽二元論から考えました。すなわち、世界は混沌(カオス)からはじまり、それが純陽である「天」と純陰である「地」に分かれ、動き出したと。そして、歴史はまず神々の歴史から始まるのでした[iii][iv] 天も地も究極のもの、理想であり、現実のものではありません。現実世界は常に不純物が含まれます。あたかも100%の善人、100%の悪人がいないように。 乾為天が出たら、この存在する、理念的「天」のメッセージを、読み取る必要があります。天の意志、天の理念です。天の意志に従った生き方には二つのパターンがあります。一つは、天の意志を実現するように主体的に努力をする生き方。もう一つは、すべてを天にゆだね成り行き任せとする生き方[v]。 乾為天における天の意志に従った生き方とは、この前者の天の意志を実現するように主体的に努力をする生き方を言います。[vi]。 以上を前提に高島嘉右衛門の判断を説明します ■卦の判断高島嘉右衛門は、この乾為天から、易の神様が、伊藤博文に天の意志を実現するように精一杯に努力しなければならないとのメッセージを与えたと判断しました。象伝には「天行は健なり。君子以て自ら彊めて息まず。」とあります。これは、太陽が運行して少しの間の休むことがないのと同じように、君子は休み事無く努力しなければならない、という意味です。 ここから高島は、交渉は先手必勝、先に進む方が勝つと判断しました。今回、大使を日本から清国へ派遣する。これは、日本が先手を打っているということである。このように日本から進んで談判を開くのは乾の精神、「天の意志を実現するように主体的に努力をする生き方」を実行するものであるから、勝算は日本にある。勇敢に進んで談判すれば万事良いことが得られると高島は判断しました。 ■爻の判断爻は、5爻でした。 (1)爻辞易経には「飛龍天にあり。大人を見るに利あり」とあります。飛龍、つまり龍が時と処を得て思うがままに力を発揮し飛んでいます。大人、つまり徳も位も立派な人と会えばいい結果となるよ、が訳です。 時と処を得て思うがまま力を発揮するのは伊藤博文です。その伊藤博文が、大人(李鴻章)と会うのがいいよ、というのが爻辞の当てはめとなります。 (2)応爻による分析一般に易の卦は6つの棒(爻)により構成されます。この六つの棒には、お互いにパートナーが居りまして、下から一番目と四番目の棒(爻)、二番目と五番目、三番目と六番目はお互いに相応関係があり、その関係によって事の良しあしを判断します。 易の世界では陰と陽が結びつくことがよしとされ(「応」といいます)、陽同士、陰同士はいまいちとされます(不応)ただし、これには例外があって、乾(全部陽)の二爻と5爻はお互いに陽であるが、応じる(よい)とされています[vii]。 5爻のパートナーは2爻。5爻は伊藤博文で2爻は李鴻章。これはお互いに応じうる関係です。高島は、それを次のように説明します。 5爻(伊藤博文)と2爻(李鴻章)は、共に陽爻である。本来は陽と陽ではなく、陰と陽が応じるものであるが、今回は、乾為天の陽爻同志だから、応じると判断される。これは、いずれも国家を思う情は同じであって応じないということはないという易のメッセージである。我が国の大人伊藤博文と清国の大人李鴻章とが会見して談判を開くのであるから、きっと遠い将来を配慮し目先の小事などを顧みることないであろうと判断しました。 (3)坤為地からの分析そして、遠い将来を配慮し目先の小事などを顧みることない、ということを坤為地の5爻をヒントに、さらに敷衍します[viii]。 つまり、乾の裏卦(陰陽をすべてひっくり返した卦)の5爻は「黄装元吉」とあります。直訳すると、「黄色いはかま。大いに吉」となりますが、この黄色いはかまを、黄色人種とかけて解釈しました。つまり、伊藤博文、李鴻章ともに、各国を代表して交渉に臨むが、それは目先に小事である。内心にはともに黄色人種としてアジアの未来を考え、欧米に対する危機感を共有するので、お互いに助け合いアジアの独立の観点から交渉は上手くいくと。 【その後の展開】1.高島嘉右衛門、鑑定書を伊藤博文に渡す「これはいい占い結果がでた!」、高島嘉右衛門は小躍りして喜びます。「さっそく伊藤博文に知らせ励ましてやらなければならない!」明治18年(1885年)2月28日、伊藤博文は横浜港から清国へ向かうということは新聞にも書かれており高島嘉右衛門も知っていました。そこで、彼は、占い結果を鑑定書にしたため、伊藤博文に渡そうと、横浜港まで見送りに行きましたが、見送り人は数百人も居て、結局渡すことができませんでした。 がっくりして帰宅し数日過ごしたところ、高島嘉右衛門の知り合いの横浜弁天通りの商人 立川磯兵衛が、天津に渡航する予定があると聞きました。そこで、彼に伊藤博文に自分の書いた鑑定書を渡してくれと依頼したところ、立川磯兵衛は、「まったく、この時期に物好きな」と思いつつも、高島の熱意に押され、渋々、渡すことを引き受けてくれました。立川は、渡航後、天津にて、伊藤博文に随行していた書記官、伊東巳代治[ix]に頼みました。伊東巳代治も「まったく」と思いつつも、伊藤博文がときどき高島嘉右衛門の占いを頼っていることは知っていたので、渋々引き受け、伊藤博文に、高島の鑑定書を渡したのでありました。 2.伊藤博文の発奮伊藤博文が、高島嘉右衛門の鑑定書を受け取ったとき、李鴻章との交渉は、まさに暗礁に乗り上げた時でした。「もうダメだ。」と伊藤博文は荷物をまとめて帰国しようとしていました。 この交渉について、ここまでの清国 李鴻章と伊藤博文との交渉経緯を遡りながらご紹介します。 (1)清国と日本との交渉の目的(前提知識)この交渉の目的は甲申事変の後始末にありました。具体的には、甲申政変の事後処理と、この事変により生じた日清両国の緊張状態の解消でした。甲申事変の事後処理は、朝鮮国との間では漢城条約により合意されていましたが、日本国と清国は武力衝突をしているため、清国との交渉も必要でした。しかし、日清の交渉が、武力衝突が清国軍隊の勝利で終わっていたため、日本は交渉上非常に不利な立場でした。 交渉の課題は、なおも朝鮮半島で睨み合う日清両軍隊を撤兵させることと、甲申政変中に在留日本人が清国軍によって加害されたこと(日本商民殺傷事件)の責任の追及でした。特に、この日本商民殺傷事件については、国内マスコミも注目しており、交渉担当者である伊藤博文には安易な妥協は許されませんでした。 しかし、日本は武力衝突で負けた立場です。そのような中で、清国に日本商民殺傷事件の責任を認めさせ、さらに日清両国軍の同時撤兵を主張するのは難しい問題であり、交渉決裂の可能性がかなり高いのではないかと、交渉前から日本政府首脳間では予測されていました。 (2)日本と清国との交渉(高島嘉右衛門の鑑定書を受け取るまで) 横浜を発った伊藤博文一行政府交渉団は、約1か月後の3月21日に北京入りししました。清国側は交渉の席を天津に設け、交渉が日本国と清国との交渉が開始されました。 まず、日本側は、朝鮮国王要請によって王宮内に詰めていた竹添進一郎公使と日本公使館護衛隊が袁世凱率いる清国軍隊の攻撃に晒されたことはまったくの遺憾であると主張し、さらに漢城市街で清国軍人によって在留日本人が多数殺害・略奪されたとして清国を厳しく非難しました。そのうえで、朝鮮からの日清両国の即時撤兵と、日本商民殺傷事件に関係する清国軍指揮官の処罰を求めました。 これに対して清国側は、まず日本は朝鮮国のクーデタに協力した疑いがあるとして、軍を出動させた竹添公使の行動を強く非難しました。そのうえで、漢城における日本商民殺傷事件は、暴徒化した朝鮮の軍民によって引き起こされたものであり、清国軍の関知しないところであると関与を否定しました。 それをスタート地点に両国の交渉が始まりますが、両国の朝鮮半島の撤兵問題に関しては、アジアの平和の早期回復の観点から、早い時期に合意を得ることができました。しかし、撤兵後、どのような場合に半島への両国の軍隊を派遣するかについてが食い違いが生じ、議論が平行線をたどったままでありました。 これ以上続けても妥結の見込みない、と伊藤博文は交渉継続を諦め、まさに荷物をまとめ始めたときに、高島嘉右衛門の鑑定書が届いたのでありました。 (2)伊藤博文の発奮鑑定書を受け取った伊藤博文はこれを読み大いに発奮します。鑑定書の隅から隅まで舐めるように読み、易経の言葉を思い出し、これまでの交渉を振り返ります。たしかに、ここで日清両国の交渉が決裂し、アジアで日清朝鮮がいがみ合っていたら、もっとも得をするのは北方の国ロシアのはずでした。そして、このロシアの脅威は、1881年にロシアと国境紛争をおこなった清国も重々承知しているはずです。(→「25.无妄(むもう) 2爻 日清戦争占話考 2 東トルキスタン イリ地方をめぐる国境紛争」参照)清国も日本もお互いに喧嘩している場合ではなく、目先の小事に引きずられずに、アジアの平和のためにともに協力し合うことべきであり、これが天意と、伊藤博文も感じました。 たしかに、この交渉は武力衝突に負けた日本には分がない。しかも、国内では、日本がクーデターに関与していたことを国内では隠しているため、国内世論も強行であり、交渉はますます進めづらい。 しかし、だからといって、「本当に一身を擲って、天下国家のために交渉力を尽くしたと言えるだろうか?」と伊藤博文は、この交渉を振り返り自問自答したのでした。 もっともっと苦しい外交交渉が明治期の日本にはありました。1871年 台湾に漂流した宮古島54名殺害事件の後始末に関する清国と日本との交渉です。そのとき、政府責任者 大久保利通は、大国清国を相手に一歩も引かず交渉を治めました。 「今こそ踏ん張るべきだ。」伊藤博文は気持ちを持ち直し、李鴻章に、交渉の再開を打診します。 (3)交渉の再開腹をくくった伊藤博文は、再度、両国の朝鮮半島の撤兵問題を議論します。伊藤と李鴻章のあいだの交渉は6回におよびました。伊藤は第三国の侵攻など特別な場合を除いて、日清ともに出兵するべきではないと主張したのに対し、李は朝鮮が軍の派遣を要請すれば清国は宗主国として軍を派遣しないわけにはいかないと反論し、壬午軍乱や甲申政変といった内乱であっても出兵はありえると主張しました。しかし、伊藤も一歩も譲らず、結局、両国の永久撤兵案は退けられたものの、出兵に関する相互通知を取り決めることで合意に達しました。また、同時に、日本商民殺傷事件に関する関係者処罰も取り交わすことに合意に達します。結果1885年4月、なんとか日本側の面目もたもつ形の条約(天津条約)が締結されるに至りました[x]。この条約により、日清両国は朝鮮半島から完全に撤兵することとなるとともに、以後出兵する時は相互に通知すること(「行文知照」)が義務付けられることとなりました。 なお、この通知(「行文知照」)の意味のとらえ方は、日清両国で違いがあり、これが日清戦争の直前に顕在化します。 ※なお、このブログに出てくる高島嘉右衛門は、易占の名人であり横浜の実業家でありますが、彼の著書である「高島易断」と、似たような名前の団体とは関係がありません。甥にあたる高島徳右衛門氏が証明しております。「周易学占(三)」老園卓昌より 【参考文献】訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房朝日選書「易」(本田済)易学大講座1~8 紀元書房 加藤大岳日清戦争 大谷正著 中公文書いっきに学びなおす日本史(下) 東洋経済 安達達郎詳説世界史研究 木下康彦他 山川出版社易経 明治書院 今井宇三郎他易占の要諦 武隈天命周易学占(三)老園卓昌古事記 角川ソフィア文庫 中村啓信聖書 日本聖書教会 [i] これに対して、すべてが陰の卦(純陽の卦)を坤為地(こんいち)と呼びます。[ii]易経の解説書 「繋辞伝 上」は、次のようにはじまりす。「天は尊く地は卑くして、乾坤定まる。」(天は高くあって上に在って万物を多い、地は低くして下にあって万物を乗せている。この天地の定理に従って、純陽の卦である乾と純陰の卦である坤との二卦が定立された)[iii]古代日本の易の大家である太安万侶が書いた古事記の序文は次のように始まります「それ混元既に凝りしかども、氣象いまだ敦《あつ》からざりしとき、名も無く爲《わざ》も無く、誰かその形を知らむ。然《しか》ありて乾と坤と初めて分れて、參神造化の首《はじめ》と作《な》り、陰と陽とここに開けて、二靈群品の祖となりたまひき」(宇宙のはじまりの混沌がやっと固まってきた。気も形のくまどりも現れず、名もなく、作用もなく、したがって、誰もその形を知らない。しかし、混沌は、二つに初めて分かれて天と地になった。その天に三人の神が天神の初めとなり、陰と陽も初めて分かれその地に男女二神が万物の祖先とおなりとなった)[iv] 西洋の古典、旧約聖書 創世記は次のように始まります。「初めに、神は天地を創造された」[v] すべてを天にゆだね成り行き任せとする卦は、以前、ご紹介しました天雷むもうです。[vi] そこから、君主たる道という意味も「乾為天」が指し示すと言われます。[vii] 本田済 「易」乾2爻の解説。程氏。[viii] 一般に、乾為天が出たときは、坤為地を加味して解釈すると判りやすいといわれます(「易占の要諦」武隈天命)[ix]伊藤巳代治は、伊藤博文の側近。英語に堪能で伊藤博文が工部卿の時から仕えていた。明治17年(1884年)3月からは、憲法起草のため、宮中に極秘に設けられた制度取調所に出仕し、議長である伊藤博文の下で、井上毅、金子堅太郎とともに、憲法の起草にあたっていた。[x]清国が譲歩した背景には、フランスとの清仏戦争がなおも続いていたことや、交渉が長引くことによって日本がフランスに接近することを防ぎたいイギリス側からの働きかけがあったといわれます。
2020年05月31日
「新型コロナウィルス巣ごもり企画」の続きです。さて、本日は、前回からの続きの甲申事変の後始末についての占例です。 日本政府は甲申事変の後始末として、朝鮮国へ井上馨外務卿を特派全権大使として派遣し、1885年(明治18年)1月、漢城条約において、朝鮮政府に日本公使館が焼失したことと日本人が殺害されたことを謝罪させました(前回ご紹介のとおり)。 さて次の問題は、清国との交渉をどのように進めるかです。当時の新聞マスコミも清国との談判について様々な議論がなされます。大きな論点は、誰を清国との談判の使節に任命すべきかということでした。 この議論が世論を賑わせていた1885年1月、高島嘉右衛門は例年通り避寒のため熱海温泉の温泉におりました。 囲碁仲間からまた所望されたのでしょうか。世論をにぎわすこの問題につきミーハー根性丸出しで占ったのであります。 【結果】高島の占筮の結果は師の5爻でした。 ― ―― ― 〇― ― ― ――――― ― 師とは、軍隊、戦争を意味します。現在でも、師団という言葉は陸軍部隊の一つの単位として使用されています。 【高島嘉右衛門の占断】高島は、爻辞を素直に解釈して結論を出しています。そこで、まず地水師5爻の爻辞をご紹介します。 ■爻辞の紹介 「六五、田有禽。利執言。无咎。長子帥師。弟子輿尸。貞凶。」(六五は、田に禽[とり]有り。執言に利あり。咎无し。長子は師を帥ゆ。弟子は尸を輿す。貞凶なり) 訳すと、前半。田んぼに実る穀物を荒らしに鳥がやってきた。相手の非を鳴らして討っても咎はない。後半。長男の場合は、軍隊を統率する。次男以降は死人を車で運ぶので凶。もう少し説明します。 ■前半部分六五、田有禽。利執言。无咎。(六五は、田に禽[とり]有り。執言に利あり。咎无し。) (1)田有禽(田に禽有り。)田というのは穀物を作るあの田んぼ。朝鮮国のことなのかもしれません。日本にとり、清国は、朝鮮という田んぼを荒らしにやってきた害鳥なのかもしれません。 (2)利執言。无咎。(執言に利あり。咎无し。)「執」は、もとは取る、捕まえる。「執言」は、鳥を捕まえるのですが、直接手で捕まえるのではなく、「言葉(言)」で捕まえる。転じて、言い分を立てに取り、相手の非を鳴らして討つ。 この相手の非とは、高島は、清国の軍隊がやってきて日本人を殺したことと捉えました。だから、清国の日本人殺害について、出かけて行って詰問する。十分理に適っていることであり、清国としても反論できない。 ■後半部分長子帥師。弟子輿尸。貞凶。(長子は師を帥ゆ。弟子は尸を輿す。貞凶なり) 長子は長男、弟子は次男以降を指します。 高島は、誰が談判交渉にあたるべきかをこの後半部分から読み取ります。 (1)日本政府内の権力闘争(背景知識)前提として当時の政府内の権力闘争を整理します。 当時は藩閥政府と言われていたことからもわかるとおり、伊藤博文を領袖とする長州閥と黒田清隆を領袖とする薩摩閥が政府を牛耳っていました。そして、伊藤博文をリーダーとする長州閥は、朝鮮問題については平和路線を主張し、清国との戦争をなるべく避けるべきと主張していました。対して、薩摩閥は、朝鮮問題についての見解が一致していませんでした。薩摩閥の中堅官僚(高島鞘之助、樺山資紀、仁礼景範、野津道貫)は、対清開戦を恐れずに強硬策を突べきと積極策を取っていましたが、リーダーの黒田清隆は明確な態度を取っていませんでした。また、緊縮財政を進めていた大蔵卿(現在の財務大臣)松方正義は主戦論に反対していました。このように薩摩閥は、朝鮮問題について意思統一が図れなかったため、政治力で長州閥に後れを取っていました。 その結果、外交問題については長州閥である伊藤博文、井上馨が主導権を握り進めていました。しかし、政府内において、甲申事変の原因が次第に明らかになり、長州出身の竹添公使の稚拙な内政干渉が原因であったことが明らかになると、長州閥の外交上の失敗に対する批判が高まり、薩摩閥の発言力が次第に増してきました。さらに景気のいいことが大好きなマスコミの好戦的なムードが薩摩派・主戦派の背中を後押しします。 それまででしたら重要な外交交渉は文句なく伊藤博文が進めることで落ち着いたでしょう。しかし、薩摩派閥の発言力の増大と好戦的世論の煽りによって、日本政府内で議論されている交渉方針はかなり強硬なものへとエスカレートしていきす。 その交渉方針を談判するに適切な者はだれかが問題となったわけです。好戦的な交渉路線に反対する伊藤博文か。好戦的な薩摩閥の誰かを交渉担当とすべきか。 (2)長子。。。弟子。。。高島は、長子を、当時の日本政界の老練な政治家で、長州出身である伊藤博文であると判断しました。 これに対し、弟子が誰を指すかについては、高島易断には明示されていません。 しかし、おそらく当時の次官レベルの人物、薩摩閥の高島鞘之助、樺山資紀、仁礼景範、野津道貫のいずれかを指していたのではないかと推察します。 (3)長子帥師。(長子は師を帥ゆ。)交渉とはいえ、日本政府内の基本方針は、かなり強硬なものへとエスカレートしております。事実上、戦争、まさに「師」と言えましょう。この基本方針を背負って談判するのだから「長子は師を帥ゆ」。 爻辞を説明する象伝は、「長子帥師」の説明として、「以中行也」(中行なるを以てなり)といいます。伊藤博文は、強硬論の政府方針、世論を背負いながら中庸の立場を進み、緩急宜しくを得て平和的解決を図ると判断しました。 (4)弟子輿尸。貞凶。(弟子は尸を輿す。貞凶なり) 爻辞を説明する象伝は、「弟子輿尸」の説明として、「使不當也。」(使うこと当たるざる也)といいます。 清国との談判は、日本の国益の立場から、自国の国力と国際情勢、日本の将来を視野に入れ冷静に考え柔軟に対応しなければならないが、次官レベルの人間は、世論や政府内の体面に引き面れ硬直的な対応しか取れずに談判が決裂してしまいかねない(貞凶なり)。このような難しい談判をこなす器ではない(使うこと当たるざる也)。 弟子、つまり当時の次官レベルの人物(薩摩閥の高島鞘之助、樺山資紀、仁礼景範、野津道貫のいずれか)はいずれも今回の難しい談判をこなす器ではないと判断したのでしょう。[i] そこまで明確に、高島易断には言い切っていません。次官といえでも政府高官であり、悪口を言うに憚れたのでしょう。 高島易断には「詳しく説明することはできないが、爻辞を推察すればさらによく吉凶を知ることができる」とのみ記載します。 【その後の展開】その後まもなく伊藤博文が全権大使に任命されました。 次回は、この伊藤博文の清国との談判の行方に関する占例をご紹介します。 ※ なお、このブログに出てくる高島嘉右衛門は、易占の名人であり横浜の実業家でありますが、「高島易断総本部」や「高島易断総本家」が発行する書籍とはまったく関係がありません。【参考文献】朝日選書「易」(本田済)易学大講座1~8 紀元書房 加藤大岳日清戦争 大谷正著 中公文書訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房 [i] ここで思い浮かぶのは太平洋戦争勃発時の政府首脳です。冷静に判断すればだれもが無謀な戦争とわかっていたのにかかわらず、政府中枢の人間は、自らの体面や政府内の地位にこだわり引きずられて芯の持った柔軟な対応ができませんでした。まさに「貞凶なり」、「使うこと当たるざる」で戦争指導をできる器の人間がだれもいなかったといえましょう。結果として「弟子は尸を輿す」とたくさんの犠牲者を出す結果となったわけであります。
2020年04月26日
本日は、占い愛好家 風鈴としての投稿です。新型コロナウイルス感染拡大をうけての政府の自粛要請で家にいる時間が増えています。ずっと中断していた日清戦争占話考をすこしずつ更新して参ります。 前回は、かなり遡りまして2019年1月6日の日記「28. 沢風大過 5爻 日清戦争占話考7 甲申事変の勃発」からの続きとなります。【背景】甲申事変の後始末として、日本政府は、井上馨外務卿を特派全権大使に任命しました。その交渉のため、1884年12月24日井上馨を横浜から出港し朝鮮へ向かわせました。 この交渉は難航が予想さました。 というのも、甲申事変で日本人居留民の殺害がありましたが、そもそもこのクーデターに日本の竹添公使や軍隊も関与していたからです。この事実を日本政府は伏せていました。もしこれを公開すると日本政府の失策により日本国民の殺害を招いたことが公となり、マスコミによる責任追及がなされますし、朝鮮政府との交渉でも不利となるためです。しかしその結果、国内では無垢の国民が朝鮮政府に殺害されたという形で理解され、「戦争か謝罪を要求すべき」との強硬な主張が世論を覆っていました。 朝鮮政府も日本政府のクーデター関与を疑っています。さらに、たとえ日本政府がクーデターに関与していなかったとしても、クーデター後の、金玉均らも求めに応じ朝鮮政府への通達なく兵を率いて王宮に入ったことを強く非難しました。 もしこの交渉が決裂すると清国の介入を招き、日本と清国の戦争に発展する恐れもあります。当時の日本の軍事力・経済力では、清国との全面対決は回避すべきと、政府内では考えていました。 そこで伊藤博文は、12月25日、井上馨の横浜から出港の日の翌日に、高島嘉右衛門を訪ね、この甲申事変の事後処理に関する交渉はうまくいくのか、占うように依頼をしました。 【結果】履 4爻―――――― ――― 〇― ――――――― 【判断】甲申事変は、日本政府がクーデターに関与していましたが、これは国家の張重要機密事項であり、高島嘉右衛門も知りません。高島易断では、それをベースに判断が書かれているため、周辺部分についてはピントはずれの内容となっています。つまり、高島易断では、4爻の一つ手前の3爻から背景説明が延々と描かれていますが、ピントが外れていますので省略し、4爻について、本田済先生のえ易(朝日選書)も参考にしつつ、噛み砕いて説明したいとおもいます。 ■4爻の解説 4爻は「九四、履虎尾。愬愬終吉(虎の尾を履む。愬愬[さくさく]ついに吉なり。)」とあります。そして、象伝では、それを解説して「象曰、愬愬終吉。志行也(象に曰く、愬愬[さくさく]終には吉なるは、志行われる也)」と説明します。 「虎の尾を履[ふ]む。」諺にもありますね。危険が差し迫っています。普通ならば当然噛まれてしまいます。でも、結論としては噛まれません。 4爻は陽―――であり、これが4番目の位置、ここは陰の位置におります。 強い力を持ちながら従順な態度を保持する。このように噛まれないように恐れて(「愬愬」とは、おそれるさまを言います)慎重に進めるならば、目標を達することができ、吉をえる。 これが爻辞の解釈となります。 そこで高島は、交渉は平和のうちに決着すると判断しました。 なお、高島嘉右衛門は追加説明として、履の4爻―――――― ――― 〇― ――――――― を変じると中孚 ―――――― ― ― ― ――――――― となる。 中孚は、平和、当方は喜び、先方も従うとなると補足しました。 高島嘉右衛門は、この占断を12月25日、伊藤博文に伝えました 【その後の展開】1.高島嘉右衛門、マスコミに占いを説明。 この甲申事変については、日本政府の関与にかかわる事実は伏せられていました。その結果、不十分な情報のまま、国民が他国の野蛮な軍隊により殺害されたとクローズアップされ、和戦いずれかの議論がマスコミで沸騰していました。 12月27日、交詢社という実業家の社交クラブから、高島嘉右衛門に、井上馨の朝鮮政府との交渉成り行きについて、説明してほしいと依頼がありました。依頼主は福沢諭吉。交詢社というのは慶應義塾大学出身の実業家を中心に結成された社交クラブだったため、福沢諭吉が創立者でした。 高島嘉右衛門は、この交詢社で、履4爻の解説を行い、和平は決裂せず、平和のうちに決着する。よって、戦争には発展しない旨を説明しました。それを聞いた、福沢諭吉をはじめとする聴講者は、「野蛮な軍隊が、勝手に日本国民を殺害し、軍隊の伴わない話し合い交渉で解決するということがありうるのか?」と疑っている表情だったとのことでした。 ジャーナリストの福地源一郎が、高島嘉右衛門に、交詢社でも講演を新聞に寄稿してくれと依頼しましたので、翌年1985年1月1日付の東京日日新聞に掲載されました。この記事を読んだ、時事新報の記者は「そんなことありうるか。」と馬鹿にし、「文明開化の時代に易占などというあやしげな迷信じみたものはあてにならない、近代の時代、力による武力討伐でなければ抑えきれない」と嘲笑したのでありました。 2.井上馨による朝鮮政府との交渉と漢城条約の締結 1月2日より、日本政府と朝鮮政府による交渉がはじまりました。日本側が井上全権大使、随員の井上毅、朝鮮側が左議政(副首相相当)全権大臣金弘集等でした。 まず、日本政府と朝鮮政府との間では甲申事変の事実認識について、食い違いがありました。 朝鮮政府は日本政府のクーデター関与を疑っています。また、日本軍が、クーデター後に、金玉均らの求めに応じ朝鮮政府へ通達なく兵を率いて王宮に入ったことを非難していました。日本政府は、日本軍が王宮に入ったのは、朝鮮国王による依頼があったからだと、国王の親書と玉璽の押された詔書を示し自らの正当性を主張します。これにより日本軍の王宮に入った事への朝鮮政府の追求は後退しますが、両政府お互いに自身の正当性を主張して譲らず、平行線をたどる状態は変わりありませんでした。 井上馨は、まず、今回の課題は日朝両国関係の速やかな修復であることを強調します。確定できない過去の出来事について議論をしても埒はあかないのであり、双方の主張の食い違いを全て棚上げにし、明白は事実を対象に交渉をまとめ上げましょうと提案します。 そのうえで日本政府のクーデタへの関与を否定します。これは竹添公使と日本軍が関わっているにもかかわらず嘘、詭弁にも近い行為であり、非常に危険な交渉態度と思われます。嘘ということになれば朝鮮政府との交渉が決裂するのみならず、清国との関係も悪化し、国際社会での信頼すら失われてしまいます。 易経「虎の尾を履む。」というのは、まさにここを言っているのではないかと思います。 しかし、慎重に丁寧に議論を進めた結果、最終的には朝鮮政府側の金弘集全権は井上の提案に同意します。 まさに「愬愬[さくさく]ついに吉なり。」「愬愬[さくさく]終には吉なるは、志行われる也」であり、従順な態度を保持し、虎に噛まれないように恐れて慎重に進むことで、目標を達することができたのでした。 1月9日漢城条約が締結されました。その条約には、朝鮮国王の謝罪、日本人死傷者への補償金、日本公使館再建費用の負担などを定めました。 3.高島嘉右衛門のドヤ記述マスコミは、「戦争だ戦争だ」と騒ぎ、高島嘉右衛門の「交渉は平和のうちに決着する」との判断を馬鹿にしました。 でも、結論は高島の言うとおりになりました。自分の事を馬鹿にしていた福沢諭吉をはじめ、様々なジャーナリストや新聞記者の顔が浮かんだのでしょう。 高島易断には、「どうだ!思い知ったか!」とでも言わんばかりの記述が記載されています。 「しかるに天理の定数はすこしも過たず、ついに私の易占の言葉は一つも違わなかったことは、まことに絶妙であるので記してその証拠とするものである」 ※ なお、このブログに出てくる高島嘉右衛門は、易占の名人であり横浜の実業家でありますが、「高島易断総本部」や「高島易断総本家」が発行する書籍とはまったく関係がありません。 【参考文献】朝日選書「易」(本田済)易学大講座1~8 紀元書房 加藤大岳日清戦争 大谷正著 中公文書訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房いっきに学びなおす日本史(上下) 東洋経済 安達達郎詳説世界史研究 木下康彦他 山川出版社
2020年04月18日
こんにちは。本日は、占い師 山口 序としての、ご連絡となります。ニュースでも報道されていますとおり、現在、新型コロナウイルスの感染が広がり、都道府県各知事からの週末外出・上京の自粛要請がなされております。要請が続いている間、「占い処 たまる 様」「ありがたcafe 様」での対面鑑定は行わないこととし、ココナラでの電話鑑定のみとすることといたしました。 急なご連絡となり、お客様にはご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません。 この機会に、今までの活動を振り返り、よりよい鑑定ができるように修練をしておきたいと思います。 収束後のパワーアップした山口序に乞うご期待くださいませ。 ************************************************************* 【ココナラ電話鑑定について】 詳細は、山口序のHP → こちら ココナラのダイレクトメッセージにて、予約をお願いします。 ■ 筮竹による易占い(鑑定書付) ダイレクトメッセージによる鑑定結果付 1分 160円 ■ サイコロによる易占い 1分 100円 【サービスを利用するまで】 1.サービスを見つける ココナラトップページにアクセスして下さい。 → こちら 2.トップページの検索欄に「山口序」と入力下さい。 サービスを見つけることができます。 3.ココナラに登録する。 ココナラの山口序のページに行って下 さい → こちら ココナラトップページ右端「会員登録」ボタンをクリ ックして下さい メールアドレスで登録できます。 登録したメールアドレスは公開されま せん。 登録は無料です。
2020年04月01日

こんにちは。 本日は占い師 山口 序(やまぐち ついで)としてのお知らせです。 さて、今月の出演予定は下記のとおりです。 【スケジュール】 3月7日 土曜 14:00~19:30 ありがたCafé * デビュー特別価格(30分500円)最終回となります。 場所は、両国シティコア 住宅棟2階 の和室となります。3月14日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる@浅草【占い処 たまる(浅草)】ホームページ → こちらhttps://asakusa-navi.jp/shop/10021■サービス標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円 ■場所南部そば「十和田」様の店先です ☆メトロ銀座線・東武伊勢崎線「浅草」駅より徒歩3分、都営浅草線・つくばエクスプレス「浅草」駅より徒歩5分 ☆雷門からの行き方 雷門から浅草寺のほうを向かって一本右手に「観音通り」があります。 その観音通りを入って、アーケードが終わると「メトロ通り」になります。 その通り、右手に「南部そば 十和田」様のお店があります。 【占い処 たまる(日暮里)】■サービス標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円カップル/2人連 サービス 10分 500円 ■場所アクセス → こちらhttps://uranai-tamaru.tokatorch.com/access/ 東京都台東区谷中3-11-15 甘味処「たまる」前 JR山手線、JR山手線常磐線、京成電鉄、日暮里舎人ライナー 日暮里駅西口より徒歩5分 谷中銀座商店街に通じる「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段を下った左側4軒目です。 公式ホームページ → こちらhttps://uranai-tamaru.tokatorch.com/ 【ありがたCafé】■サービスじっくり鑑定コースを通常価格30分1000円のところ、先着64名様まで特別価格(30分500円)にて鑑定しております。 2019年12月22日現在、63名様鑑定させていただきました。 ■場所 ・アクセス → こちら 場所は、両国シティコア 住宅棟2階 コミューンX です。 最寄り駅 JR総武線「両国駅」下車徒歩3分 大江戸線「両国駅」下車徒歩9分 ☆初めてお越しになるお客様へ(JR両国駅を利用する場合) まずはJR総武線 両国駅西口で降りて下さい。 ※もし東口で降りた場合は西口まで歩いて下さい。 次に大通りに出て、回向院の入口を目指して下さい。 セブンイレブンの間にある住宅棟の2階になります。 公式ホームページ → こちらhttps://event-thanks-cafe.jimdo.com/ 【占い師 山口 序について】山口序のHP → こちらhttps://tsuide.jimdofree.com/山口序のブログ → こちらhttps://profile.ameba.jp/me山口序インタビュー記事掲載サイト →
2020年03月01日

こんにちは。 本日は占い師 山口 序(やまぐち ついで)としてのお知らせです。 昨日インドから帰国しました。さて、今月の出演予定は下記のとおりです。 【スケジュール】 2月22日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる@浅草2月29日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる@日暮里【占い処 たまる(浅草)】ホームページhttps://asakusa-navi.jp/shop/10021 ■サービス標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円 ■場所南部そば「十和田」様の店先です ☆メトロ銀座線・東武伊勢崎線「浅草」駅より徒歩3分、都営浅草線・つくばエクスプレス「浅草」駅より徒歩5分 ☆雷門からの行き方 雷門から浅草寺のほうを向かって一本右手に「観音通り」があります。 その観音通りを入って、アーケードが終わると「メトロ通り」になります。 その通り、右手に「南部そば 十和田」様のお店があります。 【占い処 たまる(日暮里)】■サービス標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円カップル/2人連 サービス 10分 500円 ■場所アクセス 東京都台東区谷中3-11-15 甘味処「たまる」前 JR山手線、JR山手線常磐線、京成電鉄、日暮里舎人ライナー 日暮里駅西口より徒歩5分 谷中銀座商店街に通じる「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段を下った左側4軒目です。 公式ホームページ https://uranai-tamaru.tokatorch.com/ 【占い師 山口 序について】山口序のHP → https://tsuide.jimdofree.com/ 山口序のブログ → https://ameblo.jp/yamatsuide/山口序インタビュー記事掲載サイト → https://cocospi.jp/yamaguchi-tsuide/
2020年02月02日

こんにちは。本日は占い師 山口 序(やまぐち ついで)としてのお知らせです。 さて、今月21日までの出演予定は下記のとおりです。22日以降は、追加してご案内します。 【スケジュール】 12月7日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる@浅草12月14日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる@浅草12月21日 土曜 14:00~19:30 ありがたCafé 12月28日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる@浅草【占い処 たまる(浅草)】ホームページhttps://asakusa-navi.jp/shop/10021■サービス標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円 ■場所南部そば「十和田」様の店先です ☆メトロ銀座線・東武伊勢崎線「浅草」駅より徒歩3分、都営浅草線・つくばエクスプレス「浅草」駅より徒歩5分 ☆雷門からの行き方 雷門から浅草寺のほうを向かって一本右手に「観音通り」があります。 その観音通りを入って、アーケードが終わると「メトロ通り」になります。 その通り、右手に「南部そば 十和田」様のお店があります。 【ありがたCafé】■サービスじっくり鑑定コースを通常価格30分1000円のところ、先着64名様まで特別価格(30分500円)にて鑑定しております。 2019年11月17日現在、59名様鑑定させていただきました。 ■場所 ・アクセス 場所は、両国シティコア 住宅棟2階 コミューンX です。 最寄り駅 JR総武線「両国駅」下車徒歩3分 大江戸線「両国駅」下車徒歩9分 ☆初めてお越しになるお客様へ(JR両国駅を利用する場合) まずはJR総武線 両国駅西口で降りて下さい。 ※もし東口で降りた場合は西口まで歩いて下さい。 次に大通りに出て、回向院の入口を目指して下さい。 セブンイレブンの間にある住宅棟の2階になります。 公式ホームページ https://event-thanks-cafe.jimdo.com/ 【占い師 山口 序について】山口序のHP → https://tsuide.jimdofree.com/山口序のブログ → https://profile.ameba.jp/me山口序インタビュー記事掲載サイト → https://cocospi.jp/yamaguchi-tsuide/
2019年11月21日

こんにちは。 本日は占い師 山口 序(やまぐち ついで)としてのお知らせです。 さて、今月の出演予定は下記のとおりです。 【スケジュール】 11月2日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる@浅草11月9日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる@日暮里11月16日 土曜 14:00~19:30 ありがたCafé 【占い処 たまる(浅草)】ホームページhttps://asakusa-navi.jp/shop/10021■サービス標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円 ■場所南部そば「十和田」様の店先です ☆メトロ銀座線・東武伊勢崎線「浅草」駅より徒歩3分、都営浅草線・つくばエクスプレス「浅草」駅より徒歩5分 ☆雷門からの行き方 雷門から浅草寺のほうを向かって一本右手に「観音通り」があります。 その観音通りを入って、アーケードが終わると「メトロ通り」になります。 その通り、右手に「南部そば 十和田」様のお店があります。 【占い処 たまる(日暮里)】■サービス標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円カップル/2人連 サービス 10分 500円 ■場所アクセス https://uranai-tamaru.tokatorch.com/#main__top04 東京都台東区谷中3-11-15 甘味処「たまる」前 JR山手線、JR山手線常磐線、京成電鉄、日暮里舎人ライナー 日暮里駅西口より徒歩5分 谷中銀座商店街に通じる「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段を下った左側4軒目です。 公式ホームページ https://uranai-tamaru.tokatorch.com/ 【ありがたCafé】■サービスじっくり鑑定コースを通常価格30分1000円のところ、先着64名様まで特別価格(30分500円)にて鑑定しております。 2019年10月27日現在、52名様鑑定させていただきました。 ■場所 ・アクセス https://www.ryogoku-city.co.jp/access/ 場所は、両国シティコア 住宅棟2階 コミューンX です。 最寄り駅 JR総武線「両国駅」下車徒歩3分 大江戸線「両国駅」下車徒歩9分 ☆初めてお越しになるお客様へ(JR両国駅を利用する場合) まずはJR総武線 両国駅西口で降りて下さい。 ※もし東口で降りた場合は西口まで歩いて下さい。 次に大通りに出て、回向院の入口を目指して下さい。 セブンイレブンの間にある住宅棟の2階になります。 公式ホームページ https://event-thanks-cafe.jimdo.com/【占い師 山口 序について】山口序のHP → https://tsuide.jimdofree.com/ 山口序のブログ → https://profile.ameba.jp/me 山口序インタビュー記事掲載サイト → https://cocospi.jp/yamaguchi-tsuide/
2019年10月28日

こんにちは。 本日は占い師 山口 序(やまぐち ついで)としてのお知らせです。 さて、今月の出演予定は下記のとおりです。今月から浅草にデビューします。日暮里の谷中銀座にあるたまる様が、10月10日から浅草でも出店することとなりました。今後、出店の表記の際には、占い処たまる@日暮里と、占い処たまる@浅草と表記を使い分けします。 【スケジュール】 10月12日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる@日暮里 → 台風の為、中止します。 2019/10/11 記入10月19日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる@浅草10月26日 土曜 14:00~19:30 ありがたCafé 【占い処 たまる(浅草)】ホームページhttps://asakusa-navi.jp/shop/10021■サービス標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円 ■場所南部そば「十和田」様の店先。です ☆メトロ銀座線・東武伊勢崎線「浅草」駅より徒歩3分、都営浅草線・つくばエクスプレス「浅草」駅より徒歩5分 ☆雷門からの行き方 雷門から浅草寺のほうを向かって一本右手に「観音通り」があります。 その観音通りを入って、アーケードが終わると「メトロ通り」になります。 その通り、右手に「南部そば 十和田」様のお店があります。 【占い処 たまる(日暮里)】■サービス標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円カップル/2人連 サービス 10分 500円 ■場所アクセス https://uranai-tamaru.tokatorch.com/#main__top04 東京都台東区谷中3-11-15 甘味処「たまる」前 JR山手線、JR山手線常磐線、京成電鉄、日暮里舎人ライナー 日暮里駅西口より徒歩5分 谷中銀座商店街に通じる「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段を下った左側4軒目です。 公式ホームページ https://uranai-tamaru.tokatorch.com/ 【ありがたCafé】■サービスじっくり鑑定コースを通常価格30分1000円のところ、先着64名様まで特別価格(30分500円)にて鑑定しております。 2019年9月22日現在、49名様鑑定させていただきました。 ■場所 ・アクセス https://www.ryogoku-city.co.jp/access/ 場所は、両国シティコア 住宅棟2階 コミューンX です。 最寄り駅 JR総武線「両国駅」下車徒歩3分 大江戸線「両国駅」下車徒歩9分 ☆初めてお越しになるお客様へ(JR両国駅を利用する場合) まずはJR総武線 両国駅西口で降りて下さい。 ※もし東口で降りた場合は西口まで歩いて下さい。 次に大通りに出て、回向院の入口を目指して下さい。 セブンイレブンの間にある住宅棟の2階になります。 公式ホームページ https://event-thanks-cafe.jimdo.com/ 【占い師 山口 序について】 山口序のHP → https://tsuide.jimdofree.com/ 山口序のブログ → https://profile.ameba.jp/me 山口序インタビュー記事掲載サイト → https://cocospi.jp/yamaguchi-tsuide/
2019年10月05日

こんにちは。本日は占い師 山口 序(やまぐち ついで)としてのお知らせです。さて、今月の出演予定は下記のとおりです。【スケジュール】 9月14日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる9月21日 土曜 14:00~19:30 ありがたCafé9月28日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる【鑑定場所のご案内】■占い処 たまるアクセス https://uranai-tamaru.tokatorch.com/#main__top04 東京都台東区谷中3-11-15 甘味処「たまる」前JR山手線、JR山手線常磐線、京成電鉄、日暮里舎人ライナー 日暮里駅西口より徒歩5分 谷中銀座商店街に通じる「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段を下った左側4軒目です。 公式ホームページ https://uranai-tamaru.tokatorch.com/ 【サービス】標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円カップル/2人連 サービス 10分 500円 ■ありがたCafé ・アクセス https://www.ryogoku-city.co.jp/access/ 場所は、両国シティコア 住宅棟2階 コミューンX です。 最寄り駅 JR総武線「両国駅」下車徒歩3分 大江戸線「両国駅」下車徒歩9分 ☆初めてお越しになるお客様へ(JR両国駅を利用する場合) まずはJR総武線 両国駅西口で降りて下さい。 ※もし東口で降りた場合は西口まで歩いて下さい。 次に大通りに出て、回向院の入口を目指して下さい。 セブンイレブンの間にある住宅棟の2階になります。 じっくり鑑定コースを通常価格30分1000円のところ、先着64名様まで特別価格(30分500円)にて鑑定しております。 2019年7月28日現在、46名様鑑定させていただきました。 公式ホームページ https://event-thanks-cafe.jimdo.com/ 【占い師 山口 序について】山口序のHP → https://tsuide.jimdofree.com/山口序のブログ → https://profile.ameba.jp/me山口序インタビュー記事掲載サイト → https://cocospi.jp/yamaguchi-tsuide/
2019年08月28日

こんにちは。本日は占い師 山口 序(やまぐち ついで)としてのお知らせです。さて、今月の出演予定は下記のとおりです。ありがたcafeはお休みです。【スケジュール】 8月3日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる8月17日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる8月24日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる【鑑定場所のご案内】■占い処 たまるアクセス https://uranai-tamaru.tokatorch.com/#main__top04 東京都台東区谷中3-11-15 甘味処「たまる」前JR山手線、JR山手線常磐線、京成電鉄、日暮里舎人ライナー 日暮里駅西口より徒歩5分 谷中銀座商店街に通じる「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段を下った左側4軒目です。 【サービス】標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円カップル/2人連 サービス 10分 500円【占い師 山口 序について】山口序のHP → https://tsuide.jimdofree.com/山口序のブログ → https://profile.ameba.jp/me山口序インタビュー記事掲載サイト → https://cocospi.jp/yamaguchi-tsuide/
2019年07月17日

こんにちは。本日は占い師 山口 序(やまぐち ついで)としてのお知らせです。さて、今月の出演予定は下記のとおりです。【スケジュール】 7月7日 日曜 11:00~18:00 占い処 たまる7月14日 日曜 11:00~18:00 占い処 たまる7月27日 土曜 14:00~19:30 ありがたCafé【鑑定場所のご案内】■占い処 たまるアクセス https://uranai-tamaru.tokatorch.com/#main__top04 東京都台東区谷中3-11-15 甘味処「たまる」前JR山手線、JR山手線常磐線、京成電鉄、日暮里舎人ライナー 日暮里駅西口より徒歩5分 公式ホームページ https://uranai-tamaru.tokatorch.com/ 谷中銀座商店街に通じる「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段を下った左側4軒目です。 【サービス】標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円カップル/2人連 サービス 10分 500円 ■ありがたCafé 場所は、両国シティコア 住宅棟2階 コミューンX です。 最寄り駅 JR総武線「両国駅」下車徒歩3分 大江戸線「両国駅」下車徒歩9分 ☆初めてお越しになるお客様へ(JR両国駅を利用する場合) まずはJR総武線 両国駅西口で降りて下さい。 ※もし東口で降りた場合は西口まで歩いて下さい。 次に大通りに出て、回向院の入口を目指して下さい。 セブンイレブンの間にある住宅棟の2階になります。 じっくり鑑定コースを通常価格30分1000円のところ、先着64名様まで特別価格(30分500円)にて鑑定しております。 2019年6月19日現在、43名様鑑定させていただきました。 公式ホームページ https://event-thanks-cafe.jimdo.com/ 【占い師 山口 序について】山口序のHP → https://tsuide.jimdofree.com/山口序のブログ → https://profile.ameba.jp/me山口序インタビュー記事掲載サイト → https://cocospi.jp/yamaguchi-tsuide/
2019年07月01日

現在、山口序(やまぐち ついで)名で占い師として活動をしておりますが、占いサイト・ココスピに【山口序インタビュー記事】「具体的な解決策を示すこと」を大切に。が掲載されました。 下記バーナーをクリックするとご覧になります。ココスピ|日本最大級の占い情報サイト
2019年06月29日

こんばんは。 いきなり暑くなりましたね。 さて、今月の出演予定は下記のとおりです。 【スケジュール】 6月8日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる6月15日 土曜 14:00~19:30 ありがたCafé6月29日 土曜 11:00~18:00 占い処 たまる 【鑑定場所のご案内】 ■占い処 たまる アクセス https://uranai-tamaru.tokatorch.com/#main__top04 東京都台東区谷中3-11-15 甘味処「たまる」前 JR山手線、JR山手線常磐線、京成電鉄、日暮里舎人ライナー 日暮里駅西口より徒歩5分 公式ホームページ https://uranai-tamaru.tokatorch.com/ 谷中銀座商店街に通じる「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段を下った左側4軒目です。 【サービス】標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円カップル/2人連 サービス 10分 500円 ■ありがたCafé ・アクセス https://www.ryogoku-city.co.jp/access/ 場所は、両国シティコア 住宅棟2階 コミューンX です。 最寄り駅 JR総武線「両国駅」下車徒歩3分 大江戸線「両国駅」下車徒歩9分 ☆初めてお越しになるお客様へ(JR両国駅を利用する場合) まずはJR総武線 両国駅西口で降りて下さい。 ※もし東口で降りた場合は西口まで歩いて下さい。 次に大通りに出て、回向院の入口を目指して下さい。 セブンイレブンの間にある住宅棟の2階になります。 対面鑑定1(じっくり鑑定コース)を通常価格30分3000円のところ、先着64名様まで特別価格(30分500円)にて鑑定しております。 2019年6月3日現在、38名様鑑定させていただきました。 公式ホームページ https://event-thanks-cafe.jimdo.com/
2019年06月03日

おはようございます。本日から新しい時代 令和の幕開けですね。昨日は、日暮里で鑑定していました。これからもよろしくお願いいたします。 さて、今月の出演予定は下記のとおりです。【5月18日(土)14:00~19:30】■場所:ありがたCafé ・アクセス https://www.ryogoku-city.co.jp/access/ 場所は、両国シティコア 住宅棟2階 コミューンX です。 最寄り駅 JR総武線「両国駅」下車徒歩3分 大江戸線「両国駅」下車徒歩9分 ☆初めてお越しになるお客様へ(JR両国駅を利用する場合) まずはJR総武線 両国駅西口で降りて下さい。 ※もし東口で降りた場合は西口まで歩いて下さい。 次に大通りに出て、回向院の入口を目指して下さい。 セブンイレブンの間にある住宅棟の2階になります。 対面鑑定1(じっくり鑑定コース)を通常価格30分3000円のところ、先着64名様まで特別価格(30分500円)にて鑑定しております。 2019年4月7日現在、36名様鑑定させていただきました。 公式ホームページ https://event-thanks-cafe.jimdo.com/ 【5月25日(土)11:00~18:00】■場所占い処 たまる アクセス https://uranai-tamaru.tokatorch.com/#main__top04 東京都台東区谷中3-11-15 甘味処「たまる」前JR山手線、JR山手線常磐線、京成電鉄、日暮里舎人ライナー 日暮里駅西口より徒歩5分 公式ホームページ https://uranai-tamaru.tokatorch.com/ 谷中銀座商店街に通じる「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段を下った左側4軒目です。 【サービス】標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円カップル/2人連 サービス 10分 500円
2019年05月01日

ご無沙汰して申し訳ありません。最近、出張鑑定に頑張っております。 山口序(やまぐち ついで)名にて出演しておりますので、近くにお立ち寄りの際は是非お越し下さいませ。 今月の出演予定は下記のとおりです。【日時】・4月14日(日)11:00~18:00 ・4月21日(日)11:00~18:00 ・4月30日(火)11:00~18:00 【場所(上記いずれも)】・占い処 たまる アクセス https://uranai-tamaru.tokatorch.com/#main__top04 東京都台東区谷中3-11-15 甘味処「たまる」前 JR山手線、JR山手線常磐線、京成電鉄、日暮里舎人ライナー 日暮里駅西口より徒歩5分 公式ホームページ https://uranai-tamaru.tokatorch.com/ 「たまる」は、東京都日暮里から歩いて5分のところにある、谷中銀座の甘味処。 「店の前の緋毛氈で占い処を出したら、きっと楽しい!」そんなアイデアから2017年11月にスタートした占い処です。 毎日日替わりで占い師さんが出演します。占術も鑑定料も日替わりです。 谷中銀座商店街に通じる「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段を下った左側4軒目です。 【サービス】標準コース(鑑定書付) 10分 1000円 お急ぎコース 5分 500円カップル/2人連 サービス 10分 500円 【そのほか】■占い師としての活動は、山口序のHPにアップしていますので、こちらにも是非遊びに来て下さい。 https://tsuide.jimdofree.com/ ■日清戦争占話考は、GW中にアップする予定です。
2019年04月13日
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 連載も滞りがちとなってしまい申し訳ありません。 本年中の連載終了を目標にこれから日清戦争に突入し、さらに下関講和条約までと、頑張っていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。 本日は、1884年12月に起こりました甲申事変についての占例をご紹介します。まだ、日清戦争勃発(1894年)の10年前のお話ですがどうかお付き合いくださいませ。 【背景】1880年代当時、朝鮮政府内において、朝鮮の近代化の進め方について二つの勢力がありました。 一つは日本の明治維新を見習って急進的に近代改革を進めようとする金玉均、朴泳考らの急進開化派。もう一つは、清との宗属関係を維持しながらゆっくりと改革を進めようとする金弘集ら穏健開化派です。 壬午政変後、清国の宗主権が強化されました。金玉均、朴泳考らの急進開化派は、この清国の宗主権の行使に反対し、清の影響力を排除しようとする動きに出ます。 1883年、ベトナムをめぐって清国とフランスとが対立を深めたことは前回の日記でご紹介したとおりですが、これにより、84 年4月、清国は、朝鮮に駐屯した軍隊の半数を引き揚げます。そうすると朝鮮では、今までいた清国の軍隊がごっそり減り、不安な空気が漂い始めます。動揺した朝鮮国王 高宗は日本に接近するようになりました。 当時、日本はフランスからも清国に対抗するための同盟の誘いかけがありましたが、それを断り中立的な立場をとります。[i]しかし、清仏戦争が進行し、清国の劣勢が伝わると、日本外務当局の一部には、朝鮮半島での清国の影響力排除を意図する勢力が現れます。 84年10月30日に漢城に帰任した竹添進一郎公使もその一派でした。彼は漢城帰任すると対朝鮮積極政策を行い、急進開化派に接近するとともに、対清戦争を公言するなど朝鮮政府内の親清派を刺激するようになります。これが金玉均、朴泳考らの急進開化派の前のめりな気持ちを刺激します。 【甲申事変の勃発】1884年12月4日、金玉均、朴泳考らの急進開花派は、郵征局(中央郵便局)の開局記念祝賀会を機としてクーデターを起こします。 彼らは、祝賀会に出席していた閔氏の最有力者である閔泳翊(みんよんいく)を襲い、国王を昌徳宮から景佑宮(きょんうぐん)に移します。そして急を聞いて景佑宮(きょんうぐん)にやってきた閔氏政権の有力者を殺害し、翌5日には国王高宗を擁して新政権を樹立、6日には政治綱領を公布しました また、彼らは竹添公使に日本公使館警備兵の出兵を求め、王宮の護衛を求めます。これに対して、清国側も反撃に転じます。朝鮮在住清国軍の責任者である袁世凱は朝鮮政府に進軍緒出兵を要請させ、軍隊を王城に迫り、日本軍に発砲するとともに、兵隊に命じて日本の商人を殺させました。 甲申事変の失敗が明らかになると、竹添公使は、事変の首謀者である金玉均や朴泳考の日本への亡命とともに日本に逃げ帰ってきました。 日本国民が清国軍隊に殺害されたという事実は当時の新聞によりセンセーショナルに報じられました。日本政府は、この甲申事変のクーデターに日本が関与していたという事実を国内では伏せていました。もしこれを公開すると日本政府の失策により日本国民の殺害を招いたことが公となり、マスコミによる責任追及がなされるためです。しかしその結果、国内では無垢の国民が朝鮮政府に殺害されたという形で理解され、「戦争か謝罪を要求すべき」との強硬な主張が世論を覆っていました。不十分な情報をもとに無垢な国民が殺されたということだけがクローズアップして、マスコミの議論は沸騰します。突発的な事件だった、原因は清国と日本軍のいざこざ、発砲の責任者は誰か議論されました。「発砲したのは清国軍からだった。」「いや日本国民が殺害されたのは、日本軍が先に清国に発砲したからだ。」などといった記事が新聞を賑わせます。「悪いのは清国であり、迅速に日本軍を派遣すべき」と日本の新聞の大勢ですが、仮に日本軍を半島に派遣すれば清国との戦争のおそれもあります。 そこで、高島嘉右衛門は、この甲申事変の結果はどのようになるか占いました。 もちろん高島嘉右衛門も、日本政府がクーデターに関与していたという事実は知らされていません。【結果】大過 5爻― ―――― 〇―――――――――― ― 【高島の判断】■まず高島は、当時新聞の議論の中心であった清国軍、日本軍のどちらが発砲したかの議論について、卦の判断から読み解こうとします。 1.上卦と下卦からの分析 大過の上卦 兌と― ―――― ――― 下の卦 巽が――――――― ― 見てわかりますように― ―が一番下と一番上に在り、あたかもお互い口をそれぞれ外に向けているように見えます。二人が背中合わせで互いに納得しない象です。 どちらが悪いかについては容易に回答は得られないと判断しました。 2.似卦の観点から さらに― ―――― ―――――――――― ―の卦は、 坎(水)― ――――― ―の卦に似ています。 そこから、清国と日本は水掛け論をしているが、そこからも結論は容易に得られないと判断しました。 ■談判の行方次に談判の行方について変爻(五爻)を中心に読み解きました。 ― ―――― 〇―――――――――― ― 1.日本側から見た談判の行方五爻を変じると― ―― ――――――――――― ―となります。 これは恒久の「恒」の卦です。そこで談判は長引くと判断しました。 2.清国側から見た談判の行方さらに恒の卦を上下をひっくり返すと、咸― ――――――――――― ―― ―の卦となります。 この卦は、本来は、男女がお付き合いを開始する前の卦です。下卦 若い男―――― ―― ―が、下に遜っている。しかし、気持ちのみでありなかなかアプローチできず身が止まっている(艮)。上にいる(上卦)若い女、― ―――――――には、想いは伝わっており、喜び待っている(兌)。 本来はそういう意味の卦です。 この若い男を清国と見て、清国は降参して和を求めていると見ました。 3.大過5爻陽爻が陰爻に変わることについてさらに、高島は5爻の陽爻が陰爻に変わることに着目し、さらなる背景を読み解きます。5爻の陽が陰に変わるところをもって、清国は本来は戦いたくないと考えていました。 しかし、5爻が陽→陰と変わっても、その下の4爻は陽のままです。この4爻をもって、朝鮮における日本公使館公使 竹添公使が動かず虚勢をはって降参しない象とみました。 そして、この竹添公使の虚勢について危機感を抱いています。 4.談判についての日本側の取るべき方針その上で、日本としては平和に処理をすることを基本方針として、戦争につながることのメリットデメリットをよくよく考えるべきであると警告しました。 ■日本と清国が戦争に発展する場合のメリットデメリットについて易経の辞から読み解きました。 1.彖辞からの分析彖辞はつぎのようにいいます。「大過、大者過也。棟橈、本末弱也。剛過而中、・・・」 (大過は、大なる者の過ぎたるなり。棟橈むとは、本末の弱きなり。剛過ぎたれども中し、・・・) 以下、分けて説明します。 (1)「大過、大者過也」(大過は、大なる者の過ぎたるなり)。今日本が清国と戦争することは、大過、つまり大きな過ちであるといっております。 (2)「棟橈、本末弱也」(棟橈むとは、本末の弱きなり)なぜならば、今の日本には遠く海外へ出兵し、長期の戦争の耐える実力を持ってはいない。軍備は完全ではなく、勝利することを確実ではない。したがって、清国と戦争することは、あたかも材木の根元と上端が弱く撓んでいるようなものだというのです。 とはいえ、この大過をひっくりかえしても大過なので「本末の弱きなり。」の状態は清国にとても同様であると判断しました。 (3)「剛過而中」(剛過ぎたれども中し)過激に走らず、中正で万全の策をとるべきであると警告します。 大過の象は下記のとおりです。― ―――――――――――――― ― これは上と下は陰(― ―)であり穏やかであるが、間が陽(―――)で剛に過ぎています。ここを警告します。 当時、日本政府内でも日清両国関係に関する対立路線がありました。対清開戦を恐れずに強硬方針を取るべきという積極派と、対朝鮮、対清開戦は極力避け、平和的解決を図りながら外交政策を図るべきであるという消極派の対立です。 外交政策を主導している政府首脳(井上馨、伊藤博文宮内卿)は消極策を取っていました。 これに対して、政府の実務を担う次官以下の中堅層(陸海軍内の薩摩派閥である高島鞘之助(たかしまとものすけ)、樺山資紀、仁礼景範(これかげのり)、野津道貫(のづみちつら))は、積極策を取っていました。積極策の立場の人は、台湾出兵以来、清の対日感情は悪化し、早晩回線は避けられない、そして軍事力は時とともに清側に有利となる。したがって、いまが開戦のチャンスであり、交渉は無意味であるとの立場でした。 民間知識人も、強硬論を唱えていますが、さらに下層の平民は日々の生活でいっぱいいっぱいです。 この状態、つまり政府首脳と下層平民は戦争に消極的だが、その間の層である政府中堅層と士族が積極策を取っている状態が、「上と下は陰(― ―)であり穏やかであるが、間が陽(―――)で剛に過ぎている」大過の象と同じというのです。 そして、これと同じ状態は、15年前の征韓論と西南戦争に到る日本の状態と同じだというのでした。そのことを想起し、過激に走らず、中正で万全の策をとるべきであると警告しました。 2.象辞からの分析象辞はつぎのようにいいます。「澤滅木、大過。君子以獨立不懼。遯世无悶。」(澤の木を滅[つ]くすは、大過なり。君子以て獨立して懼れず。世を遯[のが]れて悶うること无し。) 過激に走らず、中正で万全の策をとるべきということは、象辞からも読み取れます。 象辞「獨立不懼。遯世无悶。(獨立して懼れず。世を遯[のが]れて悶うること无し。)」 中間層(政府中堅と士族)が形成する強硬論に対して、政府首脳としては孤立を恐れず世論から受け入れなくとも気にすることなく、政治の大道を歩むべしと諭します。 当時、大政奉還後の改革(廃刀令、秩禄処分)により、旧武士たちのアイデンティティーは傷つき、失業問題が深刻化していました。西南戦争によって西郷が破れ武力による反乱は亡くなりましたが政府への不満は言論による攻撃に変わります。ジャーナリズム形成の萌芽ともいえ望ましいことですが、そのために国家百計を誤ってはなりません。世論に評価されなくとも、政府首脳は君子の道を堂々と歩むべしと伝えたのでした。 3.序卦伝からまた、談判が不首尾に終わり戦争になった場合について、卦の順番に基づいて、日本も清国も救いのない象となると警告します。 卦の順番を説明する序卦伝によると、大過の次は坎為水となります。坎為水は大艱難の卦で、もし不幸にして戦争となれば両国とも大艱難に陥るとしました。 4.得爻(5爻)の爻辞から5爻の爻辞は下記のとおりです。「九五、枯楊生華。老婦得其士夫。无咎无譽(九五は、枯楊華を生ず。老婦其の士夫を得。咎も无く譽れも无し。)象伝は「枯楊生華、何可久也。老婦士夫、亦可醜也。(枯楊華を生ずとは、何ぞ久しかる可けんや。老婦士夫とは、亦醜ず可きなり。)」といいます。 楊とは、柳のこと。爻辞の大意は下記のとおり。 枯れた柳(枯楊)に花が咲くが、花は一刻のあだ花、久しからず枯れる(何可久也)。老女が若い男を見つけるが、子供はできず恥ずかしい結合である。たとえ一時の愛を得ても、遂にその子を生じるという利を得ない。 以上の大意を踏まえ、高島は、一旦、戦争となれば華々しいこともあろうが災難ともなって、その後に親和しようとしても、日本には頼みとする利益はない。 5.以上要するに、戦争につながることについてはデメリットしかないと高島は読み解きました。 ■談判の際の心構えそれでは戦争を避ける方針で談判するとして、留意点は何か。 当時の朝鮮国の行使は、対朝鮮積極政策を主張し推進している竹添公使でした。甲申事変の失敗により、彼は日本に逃げ帰ってきましたが、今も、朝鮮外交の責任者はです。 1.上爻から談判は、1884年12月の翌年(あるいは翌月)となりますので、高島は、得爻の一つ上の爻、上爻で判断しました。 上爻の爻辞は下記のとおりです。「上六、過渉滅頂。凶。无咎。(上六は、渉るに過ぎて頂を滅す。凶なり。咎无し。)」それを解説する象伝は下記のとおりです。「過渉之凶、不可咎也。(渉るに過ぐの凶は、咎む可からざるなり。)」 上六というのは大過の一番上の爻、身の程が過ぎるの極致と言えます。爻辞の大意は下記のとおり。身の程過ぎる人間が、天下など救えることはないのに飛び込めば、頭までずっぽりと沈み込むようなもので凶。ただし、国家のために行う以上、義としてはとがめだてできない。 もし竹添公使が再度朝鮮に行って万が一異変が起きれば、いよいよ国力を尽くして征討しなければならなくなり、大艱難に陥る。 もちろん、竹添公使も危機を承知で乗り込むのであり自らの栄達や一身のためではなく、日本国および自分の仕事のために行う以上、咎めだてはできないが、、、というのが易経の答えになります。 2.その他高島易断には、「日本国と朝鮮、清国の談判には、先方が必ず自らの非[ii]をごまかそうとする動きがあるから、そこを指摘したうえで我が国の政府が開戦と決心すれば、易の上では一つの良策といえる。しかしこのことは機密に属し多聞を憚るので、担当者以外にはこれは陳述できない。」との記載があります。 一体これが、どの根拠に基づいた判断なのか判然とはしませんが、ひょっとしたら高島は、自らの秘策を友人である伊藤博文あたりには知らせているかもしれません。 【その後の展開】日本政府は、事の重大さから、竹添公使ではなく、井上馨外務卿を特派全権大使として朝鮮との交渉に派遣することにしました。※ なお、このブログに出てくる高島嘉右衛門は、易占の名人であり横浜の実業家でありますが、「高島易断総本部」や「高島易断総本家」が発行する書籍とはまったく関係がありません。【参考文献】「世界史リーフレット 人 袁世凱」 山川出版 田中比呂志朝日選書「易」(本田済)易学大講座1~8 紀元書房 加藤大岳日清戦争 大谷正著 中公文書訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房いっきに学びなおす日本史(上下) 東洋経済 安達達郎詳説世界史研究 木下康彦他 山川出版社[i] フランスと同盟することは、朝鮮半島での日本の支配権を強化することに有利です。しかし、日本がフランスの影響下におかれる危険があり、新たな火種が生じる恐れがあります。それが日本が、フランスの同盟の誘いかけには応じず中立方針を取り続けた理由です。目先の戦いに勝つことに引きずられず大局観を失わないこの当時の日本人の感覚は、本格的な戦争をせずに(戊辰戦争等の小さな内乱はありましたが)大政奉還をして国家の改革を最優先としたことにも現われますが、見習うべきものがあります。[ii] ここで「自らの非」について思い当たるものがあります。当時、清国の朝鮮防衛責任者は袁世凱でした。甲申事変勃発直後、閔妃ら事大党は密使を清国へ送り軍の出動を要請します。当初清朝は清仏戦争など内外ともに多事であったこと、また中朝間にはまだ電信線が開通していなかったこともあり、意思決定をするに多くの時間を必要としていました。ところが袁は下命を待たずして直ちに軍を差し向けてクーデターを鎮圧し宗主国としての体面を保つことに成功します。上司の李鴻章は袁のこの活躍を大いに賞賛します。しかし、袁のこの行動が日清間の風波を起こしたことも間違いなく、袁世凱は継母の病気を口実に一時的に朝鮮を離れて帰国していました。したがって、交渉の際に日本側が、清国軍の迅速な対応を指摘し、あるいは「朝鮮進出の野心があったのではないか、甲申事変を予想していたのではないか」詰めれば、袁世凱、李鴻章を攻める口実となり清国内の政治抗争をつなげれば、日本は有利に交渉を進められる可能性がありました。に
2019年01月06日
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2018年09月08日
1883年(明治16年)5月に高島嘉右衛門が、清国がフランスに戦争をしかけるかについて占った占例です。 予め結論だけ申し上げますと、高島は、清国から戦争は起こさないと判断しています。しかし、1884年清仏戦争が勃発してしまいました。 清仏戦争発生までの経緯は複雑ですが、高島のこの占いは外れたと考えていいかと思います(違った考えの方がある場合はコメント願います)。 高島易断は、正直に自分が外れた占いは、外れたと紹介しています(地水師四爻 軍艦「畝傍」の安否)これに対して、この占例については外れたとは明示していません。しかし、あたった(はたして占いのとおりの結果となった等)との記述もありません。※ちなみにここで「高島易断」とは、本の名前であって、占い師の集団である高島易断とは無関係です。私も、高島易断とは無関係ですので念のため。 しかし、判断そのものについては水風井の理解にも役立ちますし日清戦争前のアジア外交の事情理解にも役立ちますのでご紹介させていただきます。 【背景】 当時のベトナム王朝の阮(げん)王朝は、1802年に成立した王朝ですが、成立時は、清国よりもフランスと親密な関係を築いていました。阮王朝の成立の際はフランスの支援を得ていたためです[i]。 しかし、王朝成立後、ベトナム政府のキリスト教への排外政策が激しくなる中で、フランスとベトナムの関係は微妙になります[ii]。 ベトナムは、フランスとの関係が微妙になると、今度は清国へ軍事支援を求めるようになります。歴史的にベトナムは永い間中国の強い影響下にありましたので[iii]、清国は、これ幸いと、ベトナムへ軍隊を派遣します。そうしますとフランスも、これに軍隊に対抗するために追加軍隊をベトナムへ派遣します。そうしてますます、清国、フランス、ベトナムは緊張は高まっていきました。 そうした中1882年4月、フランス派遣軍の隊長アンリ・リビェール海軍大佐は、突如、ハノイ城を攻撃します。突然の事だったため、ハノイ城はすぐに陥落しそこを守っていた阮王朝の総督ホアン・リュは自殺します。阮王朝は、このフランスの行動に激高し、清国にさらなる援軍を求めます。清国は、その要請にこたえ、軍を派遣し、ベトナム内の重要拠点(バクニン、ソンタイなど)を占領します。フランスは、清国のこの行動を受け、対抗措置として増援軍750人を派遣し1883年3月ナンディンを占領します。ところが、このナンディン占領後、フランス軍隊長リビェール海軍大佐は、ハノイへ帰る途中の同年5月、太平天国の乱の軍の残党 黒旗軍と交戦し戦死します。黒旗軍は清国軍ではありませんが、この黒旗軍もベトナム政府が、フランスと対応するために招聘していた軍隊でした。 リビェール大佐の戦死の報を受け、フランス国内の世論も沸騰。今まで、アジア辺境地域の出来事として、何の興味も持っていたかったフランス国内の世論も、ベトナム討つべしとと盛り上がります。 フランス、清国、ベトナムの対立と、フランス世論の強硬な盛り上がりは、日本の新聞でも報道されます。「すわっ、戦争か!」、日本の世論も沸き立ちます。 この世論の沸き立つ1885年5月、高島嘉右衛門は、清国がフランスに戦争を起こすかについて占ったのでありました。 【結果】水風井の4爻でした。 ― ――――― ― ○――――――― ― 【高島の易断】高島は結論として、清国はフランスと戦争に起こさないと判断しました。 1.卦卦辞は次のように言います。井、改邑不改井。无喪无得。往來井井。汔至亦未繘井。羸其瓶。凶。 (井は、邑を改むるも井を改めず。喪うこと无く得ること无し。往くも來るも井を井とす。汔[ほとん]ど至らんとして、亦未だ井に繘[つりいと]せず。其の瓶[つるべ]を羸[やぶ]る。凶なり。) 井とは、井戸のこと。 井戸は、そこから汲み上げる水によって、人とモノを養うものであり、これは清国そのものを意味すると考えました。 以下、卦辞を分けて説明します。 ○井、改邑不改井。无喪无得。往來井井。(井は、邑を改むるも井を改めず。喪うこと无く得ること无し。往くも來るも井を井とす。) 現在のように水道設備が整っていなかった時代、日本においても中国においても、井戸は人間生活の基本でした。人々はそこから水を汲み、その水で咽喉を潤し、作物を育てていました。今の時代でいえば、井戸の卦は水道と捉えればイメージが近いでしょう。 井戸を中心に田んぼが作られ、人家が並び、それがひいては村になっていきました。井戸は生活インフラです。ですから王朝が変わり、行政単位が変わっても、井戸が変わることはありませんでした(「改邑不改井」)。 井戸から汲み上げられる水は汲んでも汲んでもいつまでも尽きることなく、逆に井戸に汲みに行く人がいなくとも水があふれることもありません(「无喪无得」)。人が来るときも、井戸から帰るときも、井戸はその姿を変えることなく静かに佇んでいます(「往來井井」)。 このような井戸を高島は清国の象徴ととりました。清国は大国で物産が豊富であり、他国はみなこの国と貿易をし、その恩恵を受けています。水を汲むものが去ればまだ汲んでいないものが来るように、貿易の品が尽きないことは丁度井戸水が枯れることがないのと同じであると捉えたのでした。 ○汔至亦未繘井。羸其瓶。(汔[ほとん]ど至らんとして、亦未だ井に繘[つりいと]せず。) 井戸はこのように生活の基盤、多くの恵みをもたらす豊かさを持ちますが、水を汲むための釣瓶や縄がなければ役には立たないという欠点があります。この井戸の欠点という性格の象徴についても、清国の現状から見てとっています。 つまり、清国は航海術がまだ巧みではなく、船舶も堅牢ではないから、自国の船舶を持って自国の物産を輸出することができません。いつも他国の船舶が来て搬出するのを待っており、そこが丁度井戸水が自分から外に出て用を足すことができず、人に汲みだされて後に物を潤すことができるのと同じととらえました。そして、このような航海術、船舶の弱さから、フランス国と戦争を起こそうとしても戦うことができないと判断しました。 ○羸其瓶。凶。(其の瓶[つるべ]を羸[やぶ]る。凶なり。) 易経の卦辞では、その水を汲む釣瓶が切れたといっています。ここから、もし清国が自国の国力を量らずに戦端を開くことがあれば、その開港地も動揺して貿易上の障害になると判断しました。そのため、フランスとの戦争を清国が起こすことはないと、念押し判断しています。 2.爻 4爻の爻辞は下記のとおりいっております。六四、井甃。无咎(六四は、井甃[いしだたみ]す。咎无し。) 井戸は、生活インフラとして人々に飲み水を提供するものですから、濁っていない清らかな水を提供できることが重要です。井戸が壊れ、井戸水が土で濁るようなときは、井戸を修理しなければなりません。しかし修理すれば、井戸は、また清らかな水を提供できるようになります(「井甃。无咎」) 高島は、清国がフランスと戦争を起こした場合を、井戸が壊れ、井戸水が汚れるイメージととりました。 清国がフランスと戦争を起こせば、船舶の交通が阻害され局外中立の各国政府は貿易上の障害がおこることを心配することとなる。また、仮に、フランスが清国を侵略して領土を広げた場合、列国平等の均衡を失い、あたかも井戸水をフランス国に専用されうことを心配し、仲裁に入って和睦させられることになる。 このことから清国はフランスに対して自ら戦端を開くことはなく、フランスと戦争をしてトナムを救済するゆとりもない。フランスもまた各国に妨げられて十分な力を伸ばすことはない。 よって、フランスと清国との間に戦争は起こらないと判断したのでした。 ○沢火革との関係さらに易経の卦の配列でいうと水風井の次は沢火革となります。ここは高島嘉右衛門の特殊性がでた占法です。水風井4爻から沢火革4爻までは7つの段階をとおります。 この沢火革4爻は九四、悔亡。有孚改命、吉。(九四は、悔亡ぶ。孚有りて命を改むれば、吉なり) とあります。悔いが亡ぶ時期であり。信念を持って革命を起こせばいい結果が生まれるという意味です。 そこから、今から7年後、つまり1890年には、清国は革命の象があると判断しました。清国としては戦争をしてはならず、もし、今清国がこの事件に対処する策を誤り戦争を起こすときは、必ず変革を免れない状態に追い詰められるだろうと判断しました。 【その後の経緯】その後の経緯は次のとおりです。 1.条約締結とベトナムの植民地化 リビェール大佐の戦死をきっかけにフランス国内世論の高まりを受け、フランスは2000人の増員軍隊をベトナムのトンキンに派遣します。増員軍がトンキン到着後、フランスはすぐさま首都に向けて砲撃を開始、8月20日、首都フエを占領しました。 おりしもベトナムは、皇帝のトゥドゥック帝が7月に死去した直後、窮地に追い込まれます。その結果、8月25日、急ぎ暫定的な仮条約をフランスはベトナムと締結し、ベトナムがフランスの保護国であることを承認させることに成功します。 仮条約締結後、ベトナム国内では反フランス勢力があちこちで反抗の態度を示しますが、1884年6月 本条約(パトノゥトル条約)が締結されます。 この条約では、ベトナムはフランスの保護国となる事、ベトナムの対外関係はフランスが一切ベトナムを代表することなどが定められ、これによって、ベトナムはフランスの完全な植民地となりました。 この1884年6月までは、清国は、フランスに対して戦争を仕掛けていません。この時点までは高島嘉右衛門の1883年5月時点の占いは当たったとえななくはありません。しかし、占いから1年3か月後の1884年8月、清仏戦争が勃発してしまいます。 2.パトノゥトル条約後~清仏戦争~天津条約締結まで ベトナムも、清国もフランツとベトナムで結ばれる条約を守るつもりはありませんでした フランスはベトナムとのパトノゥトル条約締結作業と並行して、清こくとの間で、ベトナムの支配権に関する法律関係を整理するための条約交渉を行います。交渉の結果、1884年5月(つまりパトノゥトル条約締結より前)フランスと清国との間で条約が締結されます(フル二エ条約)。ここにおいて・フランスは清国国境を尊重すること・清国は、ベトナムから撤兵し、フランスとベトナムとの条約(パトノゥトル条約)を尊重することを定められます。 条約交渉は清国側は李鴻章が行ったのですが、条約締結後、西太后が、李鴻章に、フランスに譲歩してはならないと訓命を発します。その結果、条約に定め(「清国は、ベトナムから撤兵すること」)に反し、清国はベトナムのトンキン地方からの撤兵を拒否します。 これをきっかけにフランスと清国との間で戦争が始まってしまいます。フランス政府が清国に宣戦布告をし戦闘が開始されました。そして、この戦争は清国の惨敗に終わります。海上では、清国艦隊は撃破され、陸上も清国国境に接する地域(ランソン、テュエンクヮン)をフランスは奪います。 その結果、1885年6月、清国とフランスとの間で天津条約が結ばれました。天津条約では、ベトナムと中国との関係は絶たれ、ベトナムはフランスの完全な植民地となりました。 【評価】さて、高島嘉右衛門のこの占いについてですが、冒頭にも書きました通り、外れたとみていいと思います。 ●1883年5月の占いで、1884年6月までは戦争は発生していないのでその限りでは、外れてはいないと強弁できないこともないかもしれませんが、占いの際に、「今後1年の間はどうか」といった問いがないのであれば、外れたといえると考えま。 ●また「清国からは戦争を起こさない」との占断に対して、戦争はフランスから起こしているので外れてはいないと強弁する理屈もありうるかもしれません。実際、易経は幸運のための行動の指針を示すもので、当てるものではありません。とはいえ、戦争は起きました。ここは潔く当たらなかったと考えるべきでしょう。 ●さらに、「清国は戦争を起こしてはいけない」と判断したのに、西太后が馬鹿だから、戦争が起きてしまったのだという強弁も考えられます。 もしもこの結果を高島嘉右衛門の友の伊藤博文が聞いたならば、戦争回避に全力を尽くしたでしょう。しかし、それでも当たったとはいえないですよね。 ●ちなみに、1890年には、清国は革命の象がありとの判断について。1889年に清国は、徳宗(光緒帝)の親政が始まります。光緒帝は後に本格的な改革運動として戊戌の変法を行いますが、それは日清政争敗北後の1898年からとさらに先のことです。しかも、この戊戌の変法は、保守派の反撃にあい、3か月で失敗に終わるものでした。 もしも1890年から改革を行って、それが成功していれば、日清戦争だってどうなっていたかわかりません。 しかし、清王朝による改革そのものが失敗に終わり、王朝そのものが消滅することは歴史が示した通りなわけです。 結局、この占いについては高島嘉右衛門は外れていると判断せざるを得ません。 ただ、だからといって高島の易経の意義をおとしめる者ではありません。易占いで重要なことは、「当てること」ではなく「幸運に導くこと、そのための指針をあたえること。」にあるためです。また、清国とフランス戦争は、日本にとって、そして、高島嘉右衛門にとっても所詮は他人事でした。易では、他人事、真剣みのない占いは当たらないというのが一つの教えとしてあります(「我童蒙求むに非ず。童蒙我を求む」)。これもそんな一例ということで(当たるも八卦、当たらぬも八卦。。。)。 ちなみにもし私だったら、4爻 爻辞を中心に見ます。 すると六四、井甃。无咎(六四は、井甃[いしだたみ]す。咎无し。)からみると、戦争はないと判断すると思います。 ではなぜここで紹介したかということですが。 当時のアジア諸国の外交は、欧米列強の植民地化を回避するということで、どの国も必死だったということです。この必死さが、清国、朝鮮、日本の国内各改革の原動力になるとともに、外交においても様々な火花を散らすことになるわけであります。 この火花の蓄積が日清戦争という沸点まで盛り上がっていくわけでありまして、さて、次回は、その火花の一つ甲申事変に関する占例をご紹介します。 【参考文献】朝日選書「易」(本田済)易学大講座1~8 紀元書房 加藤大岳物語 ヴェトナムの歴史 小倉貞男 中公新書詳説世界史研究 木下康彦他 山川出版社 [i] 阮(げん)王朝が前の政権であるタイソン(西山)王朝と戦った際に、フランス人宣教師 ニョー・ド・ベーヌの援助を受けたためです。ちなみに江戸幕府もフランスの軍事的支援を受けていましたので、もし明治維新が起っていなかったら、日本もベトナムのようにフランスの植民地になっていたかもしれません。[ii]阮(げん)王朝が、キリスト教の迫害を始めると、フランスはスペインと協力し出兵し、1862年に第一次サイゴン条約を結びキリスト教の布教の自由のほか領土の割譲を阮王朝に認めさせます。さらにその後もフランスは侵略を進め1874年に第二次サイゴン条約を締結しソンコイ川の航行権などの貿易上の諸権利を持ちます。そこで、阮王朝は、清国や黒旗軍(太平天国の乱の残党)と手を結びフランスに反抗しました。[iii] 中国のベトナムへ支配は紀元前111年の漢帝国の支配に始まります。その後ベトナムの各王朝は中華帝国との対立、交渉を繰り返します。清国にとっては、ベトナムは朝貢国の一つであり、中華帝国の辺境の一部という意識がつねにあったわけです。
2018年08月17日
こんにちは。 宣伝です。 2018年7月21日(土) 下記イベントに占い出店をします。 時間:11:00~16:00 場所:両国シティコア コミューンX洋室 ↓アクセス https://www.ryogoku-city.co.jp/access/
2018年07月15日
前回の続き。 高島嘉右衛門は、壬午事変後の交渉について「厳しい交渉ではなく、辛抱して朝鮮が受け入れられる談判に留めるべき」とアドバイスしました。 これに対して、伊藤博文がいうには。。「今、厳しい交渉するのは、今後の清国との関係を慮ってのものなのです。 もしも、朝鮮半島をめぐる清国との勢力争いが激化して、戦争ということにでもなれば、それを見越して厳しい談判をせざるを得ないのです。 高島さん、日本と中国との関係を占ってください」と頼んだのでした。 伊藤博文のこの願いを聞き高島は日清両国の関係(戦争に発展するか)を占いました。 【背景の補足】どうして両国はそんなに対立するようになったのでしょうか。背景を補足説明します。 (読むのが面倒くさい人はここは飛ばしても構いませんよ) まず、日本側から。明治政府は江戸幕府と異なり、朝鮮半島への影響力拡大のための積極的な態度を取っていました。大きな理由は、朝鮮政府も独自に近代化を進め軍事力を高めロシアの進出に備えてほしいということにあります。 しかし、それだけではありません。そもそも日本は歴史的に朝鮮半島侵略の傾向を持っていたのです。[i] むしろ鎖国政策を取り、朝鮮とも友好関係を保った江戸幕府が例外であったといえましょう。朝鮮出兵に失敗し国力を疲弊させた豊臣政権の反省[ii]を踏まえて徳川幕府は、朝鮮侵略に消極的な政策を取りましたが、歴史的にはそちらが例外的な日本の外交戦略でした。幕府を倒した明治維新により、もとの海外への積極進出的傾向に戻っていったのです。 1879年、まず、日本は琉球藩を廃止するとともに沖縄県を設置します(琉球処分)。それまで沖縄(琉球国)は、日本(薩摩藩)と中国(清国)の両国へ朝貢を行っていたのですが、この琉球処分により、沖縄の清国への朝貢はなくなります[iii]。 清国は、このような日本の半島進出の傾向に危機感を抱きます。アヘン戦争での敗北によりアジア各国の清国離れが加速していました。そのような中、朝鮮は、この動揺しつつある伝統的なアジア外交秩序(清国との朝貢・冊封関係)における最後の優等生でした。その朝鮮だけは手放せないという想いが清国にあったのかもしれません。「朝鮮との朝貢関係だけはなくしてはならない!」 清国にとって、朝鮮は首都 北京の近くの国です。朝貢国たる朝鮮国の独立は、意気盛んな日本の独立と相まって、国家の威信の著しい低下を意味するものでした。 清国は朝鮮政府に対し外交アドバイスを行い、何とか朝鮮政府が清国への朝貢関係を解消しないように努めます。[iv] 今までの清国の朝貢国への態度は、宗主国としては無責任で放任的な態度でしたが[v]、壬午事変に対しては思い切った態度を取ります。 清国は、壬午事変につき駐日公使からの電報により8月1日に初めて知ります。朝鮮政府からは、その後、壬午軍乱鎮圧ため派兵を求められます。今までの清国でしたら、「そんな面倒くさい」とのらりくらりとした官僚的先延ばしをしたでしょう。しかし、今回は違いました。 清国は即座に、北洋大臣代理の張樹声が馬建忠と軍艦三隻を派遣します。つづいて馬建忠から事件の首謀者の大院君を捕えて軍乱を鎮圧すべきであるとの意見が届くと、呉長慶の率いる准軍を派遣します。そして、日本に対してすぐさま、「朝鮮は清国の属国であり今回の事件に関して清は朝鮮を査問して事件の処理にあたる」と通告します。 「あれっ?台湾の時と違う」と明治政府は思ったかどうか。 もし、このまま清国と日本の軍隊が朝鮮半島に集結すると、何かの間違いで戦争に発展するかもしれない。お互いに軍隊を背景にしている以上交渉も厳しいものであることが予想されます。交渉決裂をきっかけに戦争勃発ということもありうる。陸軍大臣山県有朋は、清国との戦争になった時に備え、福岡で混成旅団を編成します。 伊藤博文はこの流れに危機感を抱きます。高島嘉右衛門への占断の依頼には、そのような背景があったのでした。 【結果】高島の占筮の結果は艮為山でした(変爻は不明) ―――― ―― ― ―――― ―― ― 【高島の易断】 艮は二つの山が相対する卦。 ―――― ―― ― は、山を意味し、山が二つ並んでいると見るのです。 この二つの山は清国と日本でしょう。 この二つの山はどっしりと留まり、近づくこともなければ、お互いに応じあうこともない。 だから戦争はない、と判断しました。 卦辞は、「艮其背、不獲其身。行其庭、不見其人。无咎。」(其の背に艮[とど]まりて、其の身を獲ず。其の庭に行きて、其の人を見ず。咎无し。)とあります。 以下分けて説明します。 ・「艮其背、不獲其身。」(其の背にとどまりて、其の身を獲ず。)人体は動くものだが、もっとも動かない部分は背中。「其の背にとどまり」とは、止まるべきところに止まるという意味。 高島は、朝鮮海において清国の海軍と背中を向けあうと解釈しました。 「其の身を獲ず」とは、このように止まるべきところに止まっているのが本質であるので、動くことが本質である人体が、あってもないと同じであるという意味。 日本と清国の軍隊があったとしても、ないに等しい。 ・「行其庭、不見其人。无咎。」(其の庭に行きて、其の人を見ず。咎无し。)直訳すると人のいる庭に行っても、その人が目に入らないのであれば、咎はない。 朝鮮半島には清国人が増え、清国の軍隊も増えるでしょう。」でも、清国人を見ても、畑にかぼちゃを見るように思い、軍人と見なければ戦争にまでは発展しませんよ。 だから心配なさるなと、[vi]高島は伊藤博文に伝えたのでありました。 【その後の展開】高島の占い結果に安心したのかどうか。 日本政府は、清国が日本との対決を考えていないと判断しました。そのように考えた理由として、高島の占いの結果以外にも、清国の日本に対する態度が紳士的であったことがあげられます。 清国は日本に対して、軍隊の派遣は開戦の意図はなく、反乱鎮圧が目的であることを懇切丁寧に説明し、[vii]さらに、前々回占例でご紹介のとおり、壬午軍団の実質的責任者として大院君を拘束しました。 その結果、日本も、清国への対決姿勢を変え、交渉は柔軟な交渉路線へと転換したのです。高島嘉右衛門の占いでいうと「厳しい交渉ではなく、辛抱して朝鮮が受け入れられる談判に留めるべき」とのアドバイスにしたがった交渉(恒初爻)を行ったこととなります。 そして30日、日本と朝鮮との間に済物浦(チョムルポ)条約と日朝修好条規続約が締結されました。 済物浦条約では、今回の責任追及を第一にしています。つまり軍乱首謀者の処刑、日本被害者の葬儀挙行、日本人被害者遺族と負傷者への補償金5万円支払い、賠償金50万円支払い、公使館保護のための日本軍の漢城駐屯、謝罪氏の日本派遣です。 そして、日朝修好条規続約では、朝鮮半島での権益拡大は最小限にとどめました。つまり開港場(釜山、元山、仁川)の遊歩区域拡大、漢城南方の揚花鎮の開市、日本外交官の内地旅行権を朝鮮に認めさせたにとどめています。 そのおかげでかどうかわかりませんが、日本と清国の間には高島の占いのとおり壬午事変後10年間は戦争は起きませんでした。 日本にとってはありがたいことでした。しかし、清国にとってもありがたいことでした。 当時清国は日本と戦争をするゆとりはありませんでした。 というのも、当時の清国はベトナムの支配を巡ってフランスと戦争の危機になったためです(つくづく当時の清国政府の高官は大変だったろうなと思いますが・・・)。 次回は、このベトナムの支配を巡る清国とフランスとの争いに関する占例をご紹介します。 【参考文献】日清戦争 大谷正著 中公文書訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房いっきに学びなおす日本史(上下) 東洋経済 安達達郎詳説世界史研究 山川出版社 [i]古代、大和朝廷が西日本を統一した直後の四世紀半ごろから、日本の朝鮮進出の動きはありました。朝鮮半島南部は鉄が産出されるため、それをめぐり韓人と倭人が争ったという記述が「魏志」にあります。369年には、百済の要請に応じ半島に出兵し、新羅を攻めるとともに弁韓という地域を平定、任那と呼んで支配をはじめます。この任那を中心とした半島経営が古代日本の外交政策の主要テーマとなるわけです。これが聖徳太子の政治や大化の改新にも少なからず影響を与えます。[ii] 豊臣秀吉の死後の大きなテーマは文禄の役の事後処理でした。[iii]我々日本本土の人間は沖縄県は、たとえば千葉県や埼玉県と同じ日本の一つの県という捉え方をしています。しかし、沖縄県の方にとっては必ずしも同じ認識ではないのかもしれません。たとえば、千葉県は、日本政府とは別に独自に清国と朝貢関係を維持していませんでした。そんな歴史の話なんか今は関係ないじゃないかと我々は思うでしょう。しかし、現在だって沖縄県とそれ以外の県は、日本の政府から同じ扱いを受けているとはいえない。なぜアメリカ軍の基地が沖縄県に集中しているのか、日本政府は俺らの国を勝手に占領して、日本が過去に朝鮮国に行ってきたような圧政を敷いていると思っているのかもしれません。[iv]清国の考え方は、在日清公使館の役人である黄遵憲要の著書「朝鮮策略」によく示されています。その本には、「ロシアの進出を防ぐため、中国と親しみ、日本と結び、アメリカと連なり、自強を図るべき事」が解かれていました。朝鮮政府も、この本に基づき外交政策は定めます。[v]清国の宗主国として朝貢国への姿勢は、体面を重んじるものの朝貢国の面倒なことには干渉せず「よきにはからえ」という態度でした。このことが清国と日本との外交トラブルの一因でした。たとえば、1874年、日本人が台湾で現地人に殺されます。日本は宗主国である清国に責任を果たせ、と抗議しますが、清国は取り合いません。それがきっかけとなり日本の台湾出兵が起ります。[vi]さらに、彖辞には「上下敵應、不相與也。」(上下敵應して、相與せず)とあります。高島は、この彖辞からも、彼我相対しても事が起らない、戦争は起こらないと判断しています。[vii] 清国の軍隊の責任者 馬建忠は、朝鮮政府に、日本側の要求を呑む形で交渉するようにと指示をしました。
2018年07月03日
こんにちは。 表題の件、近づきましてので再度、宣伝です。 2018年6月24日(日) 下記イベントに占い出店をします。 時間:11:00~16:00 場所:両国シティコア コミューンX洋室 ↓アクセス https://www.ryogoku-city.co.jp/access/ ※ありがたCafeというイベントの中で出店します。 https://event-thanks-cafe.jimdo.com/ ありがたCafeは、毎月1回開催されるヒーリングイベントです。 私も3月から定期的に出店しています。 ヒーリングを通して癒やしを目的とした「ホッとするサービス」を提供するコンセプトで、さまざまな占いの先生やセラピストの先生が、お得価格でさまざまなサービスを出店されています。 ゆっくりとした時間の流れの中で、「こんな占いがあったんだ!こんなサービスがあったんだ!」とちょっとした新鮮な体験を味わうことができます。 入場料は無料。 鑑定は30分500円でさせていただき手います。 ご都合のつく方は是非、覗いてくださいませ。
2018年06月21日
さて、本日は前回の続き。 1882年(明治15年)7月、壬午事変が勃発。日本は、8月に陸海軍を派遣し、花房公使に命じて朝鮮に行かせ、賠償の談判を行わせました。高島嘉右衛門は、日本の談判の行方を占いました。 【結果】高島の占筮の結果は恒の初爻でした。 ― ―― ―――― ――――――― ― ○ 【解説】初爻の爻辞は次のとおり。「浚恆。貞凶。无攸利。」読みは、恆を浚[ふか]くする。貞しけれども凶なり。利ろしき攸无し。 爻辞の解説である彖辞は、次のように言います。「浚恆之凶、始求深也。」読みは恆を浚くするの凶とは、始めに深きを求むればなり。 以下、分けて説明します。 1.「浚恆。」(恆を浚[ふか]くする。) 恆とは、恒。恒久、長い、不変という意味。 浚は、ふかくと読みます。しかし、「深く」とは意味がすこし違う。「深」はありのままの深さで、「浚[ふか]く」は、堀や川をさらって深くするという意味です。浚は、さらうとも読みます。 つまり、「恆を浚くする」とは、恒久なること望んで、その事のみを深く追い求めるという意味。正義の押し売りと本田済先生はいいます。 これを今回にあてはめると日本が追い求めている恒久、正義とは朝鮮の文明開化でしょう。 朝鮮が近代化を推し進め、清国の助けがなくとも独立する力を持つ、そのことが朝鮮のためにもなるし、ロシア進出の防波堤となるという意味で日本のためにもなる。これが日本の考えでした。 そして文明開化は世の中の流れであり必然であると日本政府は考えていた。だからこそ江戸幕府を倒し、明治維新を断行した。この世の中の流れを、朝鮮も理解すべきである、というのが[i]当時の日本政府の立場でした。 その世の中の流れ(情理)を強く望み深く追い求める、これが、「恆を浚くする」です。 2「貞凶。无攸利。」(貞(ただ)しけれども凶なり。利ろしき攸无し) この世の中の流れ(情理)を深く追い求めることは、正しいのだけども凶。 なんの利益もない(「无攸利。」)のだそうです。 3.「浚恆之凶、始求深也。」恆を浚くするの凶とは、始めに深きを求むればなり。 なぜならば、朝鮮としてもまだ近代化に向けて進み始めたばかりだからというわけです。 世の中の流れは順を追ってゆっくりと慣れていかなければならないというのが易の教えでありました。 したがって、朝鮮の近代化のためにと厳しい談判をやりたくなるかもしれないが、辛抱して朝鮮が受け入れられる談判に留めるべきであるというのが結論です。 高島嘉右衛門は、その旨を伊藤博文に、頼みもされていないのに、伝えたのでした。 【その後の展開】このように高島嘉右衛門としては、「厳しい交渉ではなく、辛抱して朝鮮が受け入れられる談判に留めるべき」とアドバイスしました。 これに対して、伊藤博文は、「朝鮮の事は心配するに足らないが、清国との関係は心配です。どうか日本と中国との関係を占ってください」と頼んだのでした。 「朝鮮に対する近代化を強引に進めるつもりはありません。しかし、厳しい交渉するのは、今後の清国との関係を慮ってのものなのです。 もしも、朝鮮半島をめぐる清国との勢力争いが激化して、戦争ということにでもなれば、それを見越して厳しい談判をせざるを得ないのです。」 伊藤博文のこの願いを聞き高島は日清両国の関係(戦争に発展するか)を占ったのでした。 次回、この占例をご紹介します。 【参考文献】日清戦争 大谷正著 中公文書訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房いっきに学びなおす日本史(上下) 東洋経済 安達達郎詳説世界史研究 山川出版社 [i] この考えは明治維新成立以来一貫しています。いわゆる征韓論が発生した原因も、日本の開国和親方針に対して、当時朝鮮政府の実権を握っていた太院君が、侮蔑の態度を取ったことが原因でした。明治政府は再三にわたり朝鮮との条約交渉を行っていましたが太院君は排外的な鎖国政策を変えず、明治政府を侮辱したのです。明治政府の高官も、もともと攘夷を主張しているわけで、大院君の気持ちはよくわかる。でも、清国さえアヘン戦争で負けている情勢で、現実を直視するならば開国を行い近代化を進め、欧米列強に対抗できる軍事力を持つことこそが、正しい道なのだと考えているわけです。この石頭の大院君をなんとかして朝鮮も教導しなければならない、これが日本政府の高官の考えでした。
2018年06月21日
本日は、1882年(明治15年)7月に発生した壬午事変についての占例をご紹介します。 当時、朝鮮国内では国王高宗の妃であった閔氏が勢力を握り[i]、日本の明治維新に倣い日本に接近して国内改革を進めていました。これに対して保守派の大院君がクーデターを起こしたものです。 直接の原因は、13か月も滞っていた兵士への米の支給をめぐるトラブルでした。 1882年7月19日、兵士たちが待ちに待っていた米がようやく支給されます。しかしその米は、倉庫を管理する役人の不正のために屑米や砂の混じる劣悪なものでした。「ふざけるな!」これをきっかけに兵士たちの不満が爆発しました。もともと閔氏の近代化政策のなかで在来軍隊の待遇は悪くなる一方でしたので[ii]、積もり積もっていた下級兵士の不満の爆発です。 「閔氏を殺せー!」7月23日、兵士たちの反発の行動が始まると、そこに零細商人、手工業者などの都市下層民も加わります。 日本の明治維新を見習い、改革を進めていた閔氏政権に対して、零細商人等の都市下層民も不満に感じておりました。1876年の日朝修好条約以降、日本と朝鮮との貿易は拡大しておりましたが、これにより米穀が不足し[iii]米価が高騰しておりました。その結果、漢城に居住する下級兵士、都市下層民の生活が苦しくなっていたためです。 彼らは、閔氏政権の高官の屋敷を破壊し、別技軍教官の堀本礼造少尉を殺害して、さらに奪った武器で武装し、西大門外の日本公使館を襲撃します。日本公使館は焼打ちにされ、公使館を脱出した花房義質公使らや死傷者を出しながら翌24日仁川に逃亡し、最終的にはイギリスの測量船に助けられて長崎に逃げ帰りました。 「閔氏はどこだ!」24日、兵士たちは王宮に向かい閔氏政権の高官を殺害します。しかし、彼らは、最大の攻撃目標であった閔氏を発見できませんでした。彼女は女官に化け王宮を脱出し実家のある、驪州(よじゅ)に身を隠していたのです。 国王の高宗は事態収拾の術を失います。そして、閔氏に引退させられていた大院君[iv]に政治を大権をゆだねることとなります。 復活した大院君政権は閔氏政権が進めていた開化政策を白紙に戻し、反乱に参加した兵士たちへの給料支払いを約束して事態の収拾を図りました。そして、行方不明の閔氏は死亡したとして葬儀を行ったのです。 日本政府は、7月30日、この事変を、逃げ帰った花房公使からの電報で知らされました。 翌31日に急遽、閣議決定を行い、井上馨外務卿は花房公使に、朝鮮政府に対する公式謝罪、賠償金支払いなどの要求を内容とする訓令を与え、軍艦三隻とともに仁川に向かわせます。この記事が新聞に載ると国民も大騒ぎとなります。 その中で某高官が、高島嘉右衛門に占筮を求めに来たのでした。 【結果】高島の占筮の結果は鼎の4爻でした。 ―――― ―――― ○――――――― ― 鼎(かなえ)とは、古代の中国で使われた調理するための器です。 写真で見るとこんな感じ ↓鼎の写真 下の、卦の形が、鼎を横から見た形に似ているからつけられました。 ―――― ― 鼎の耳――― ――――――― ― 鼎の足 【高島嘉右衛門の占断】鼎というのは、見た目もどっしりとして安定感を持っていますが、古代は、神様を祭るための器でした。複雑な文様が記されていますが、それが悪霊を鎮めるものとされています。 そこで、高島は、この鼎を朝鮮政府に見て取りました。政治とは神様を祭る、政(まつりごと)とされていたためです。 この四爻と出ています。四爻の辞は、次のとおり。 九四、鼎折足、覆公餗。其形渥。凶。(九四は、鼎足を折り、公の餗[あつもの]を覆す。其の形渥[あく]たり。凶なり。) 鼎の足は3つありますが、その一つが折れる(鼎折足)。その結果、鼎が倒れて、中にあった食べ物(餗)がこぼれてしまう(覆公餗)。この食べ物(餗)は、個人のため煮るのではなく、神様を祭るため煮るものだから「公餗」としています。 それをこぼしてしまったのだから罰せられる(其形渥)。形とは刑のことであり、渥とは部屋の中。つまり、「形渥」とは室内で重刑に処せられることです。 では、誰が罰せられるのか。これを高島は、今回の政変で実力を掌握した大院君と見ました。 この四爻は、易経の解説である繋辞伝にて、次のように説明されています。 子曰、德薄而位尊、知小而謀大、力小而任重、鮮不及矣。易曰、鼎折足、覆公餗、其形渥、凶、言不勝其任也。(子曰く、德薄くして位尊く、知小にして謀大に、力小にして任重ければ、及ばざること鮮し。易に曰く、鼎足を折り、公の餗[そく]を覆す、其の形渥たり、凶なりとは、其の任に勝えざるを言うなり。) 現在の大院君は、徳は薄いくせに位が高くなってしまい、智慧は少ない癖にはかりごとが多い。力が足らず重責を担いきれない。結果、身を誤り国を誤り、重罰に処せられる、というのが高島嘉衛門の占断でした。 なお、彼は、この壬午事変を、大院君の謀略によるものだと考えていたようです。根拠としては、繋辞伝に「謀大に」とあることまた、4爻が応じる初爻[v]の辞の解釈を踏まえてのことでした。 初爻の辞は、次のとおりです。 初六、鼎顚趾。利出否。(初六は、鼎[かなえ]趾[あし]を顚[さかしま]にす。否を出だすに利ろし。) 鼎の足を逆さにする(鼎顚趾)、そうすると、中のものが外に出て(出否)きれいさっぱりとする。その後に、食べ物の材料を煮てグツグツと煮ることができるのでよろし(利)というのが一般的な理解ですが。 高島は、鼎の足、尖って下に向いている鼎の足を逆にして上に向かうのを以て、兵隊が矛を逆さに向ける象ととらえます。そして、「利出否」を叛乱を計るものがある象と捉えます。まさに、不満を爆発させ閔氏政権に反乱を起こす兵士たちをあらわした象と見るとともに、これは大院君と、相応じて乱を起こしたと捉らえたのでした。 大院君に、当初からこのような謀略があったかどうかは不明ですが、少なくとも兵士たちの反乱を利用して、政権を獲得したことは事実かもしれません。 【その後の展開】日本では、井上馨外務卿の訓命を受け花房公使は8月10日下関を出発し12日に仁川に到着、8月16日に軍団を引きつれて入京し、20日に国王や大院君と会見、日本側の要求を示して3日以内の回答を要求します。 しかし、清国の対応も迅速でした。8月20日、呉長慶軍が仁川に到着し漢城へ向かいます。馬建忠は花房と会見し、清は日本と開戦の意図はないことを強調し、軍乱の平定と国王による執政に戻すことが目的であると述べ、さらに26日には一連の事件の実質的責任者とみなした大院君を拘束し天津に連行したのです。そして、清国の介入で再び大院君から高宗に権限が戻され、閔氏政権が復活し、死んだはずの閔氏も王宮に帰ることになりました 結果、室内で重刑に処せられるという高島の占いは当たったこととなりました。 清国の馬建忠は朝鮮政府に対して、日本側の要求を呑む形で花房公使と交渉するように指示をします。次いで呉長慶の配下の袁世凱と協議して軍乱を平定し、8月28日、日朝交渉が再開されます。 次回は、この日朝交渉の行方に関する占例をご紹介します。 【参考文献】日清戦争 大谷正著 中公文書訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房いっきに学びなおす日本史(上下) 東洋経済 安達達郎詳説世界史研究 山川出版社 [i]李朝では国王の信任を受けた王妃や皇太后の一族が政権を握る世道(セド)政治の伝統がありました。[ii] あたかも明治維新により軍隊の近代化の埒外におかれた武士たちのようなものです。[iii]当時の日朝貿易は、日本を介してイギリス製綿製品を輸入し、日本へは金地金と米・大豆などの米穀が輸出される構造でした。そのため米穀の供給が不足がちでした。[iv] この時期の朝鮮国王は第26代高宗(李戴晃 イジェファン)は、1864年、前国王の死とともに国王に選ばれました。選ばれた当初は12歳、そこでその後、10年間、幼い高宗に変わって実父の大院君が政務を握り、政治改革と鎖国・攘夷政策を行いました。しかし、高宗が成長して、1873年親政を開始すると大院君は引退させられ、王妃閔妃の影響力が高まります。このように当時の朝鮮政界のキーパーソンは国王高宗、大院君、閔妃であり、彼らが国内の勢力と協力・対立関係を繰り返すことで朝鮮の政治を複雑なものとしていました。[v] 易経には「応」という概念があります。易の卦は、二つの卦の組み合わせでなりたちますが(たとえば、鼎でしたら上卦が火、下卦が風)、この上の卦の第一爻、第二爻、第三爻は、下の卦の第一爻(初爻と普通は言います)、第二爻、第三爻と各々対応するとされます。そして、ただ、対応するのではなくお互いに陰と陽の場合に、「応じる」と呼ぶわけです。今回の鼎の四爻は陽爻であり、鼎の第一爻は陰爻であるため「応じ」ます。するとお互いに意味ある関係となるわけです。
2018年06月04日
本日ご紹介する高島嘉右衛門の占例は、日清戦争がはじまる1894年の13年前中央アジアのイリ地方で、ロシアと清国との間で発生した国境紛争に関する占いとなります。一見、日清戦争とは無関係の占いと思えるかもしれません。そう、無関係です。。。。しかし、この紛争の背後には中華思想(伝統的アジアの国際秩序)の動揺というものがあります。当時のアジアは次々に欧米列強の植民地にされており、その中でどのように自国の独立を維持するか必死に悩んでいた。 この悩みが日清戦争の隠れた要因ですので、この連載でご紹介する占いとしてあげました。 【背景】 現在も中国の東トルキスタン(新疆(しんきょう)自治区)でウイグル人による民族紛争が頻発しています。中国はテロと主張し、国際社会は中国政府のウイグル人への政治的抑圧や民族差別を問題としています。 さらに、ウイグル人の立場からは、そもそもの紛争の遠因は、中国が歴史的に内陸アジアの一部を無理やりに併合して自国領とした結果である、との議論も出てきています[i]。漢民族は、勝手に匈奴もチベットもモンゴルもウイグルも「我が国の古代の少数民族」だいうが、彼ら民族からすると、それはかなり歪曲されている歴史観だというわけです。勝手に蛮族扱いされて、国の一部にされて、挙句の果てに差別したうえで、弾圧して、テロと主張する。冗談じゃないというわけでありまして。。。 実際、東トルキスタンの中国政府の正式呼称は新疆自治区ですが、この新疆とは「新しい土地」という意味です。清帝国の最盛期の乾隆帝の時代の外征の結果、初めて手に入れた土地であり、それまでは中国王朝による体系的な支配はされていませんでした。要するに中国固有の領土ではないのです。 清国の支配下となった後もウイグル民族による抵抗運動はずっとありました。今回の占いは、このウイグル民族の中国(当時は清国)への抵抗運動に関連するものとなります。 日清戦争がはじまる1894年のさらに30年ほど前、1864年にさかのぼります。清国の支配下にあった新疆でイスラム教徒[ii]の反乱がおこります。彼らはウイグル人であり、清国に対する民族抵抗運動がおきたのでありました。 清国はすぐに対応し、左宗棠を、非常事態に任命される欽差大臣に任命、彼の奮闘により反乱は12年度の1878年に鎮圧されました。 しかし、話はそこで終わりにはなりませんでした。 実は、反乱勃発後の1871年、ロシアは居留民の保護を名目としてイリ地方に軍隊を駐留させていたのです(イリ事件)。欽差大臣左宗棠は、1878年、再度東トルキスタンを征服します。ロシアは丁度、露土戦争さなかで十分な対応ができず、清国の再征服はなるわけですが、その後も撤兵をしようとしませんでした。 そもそも反乱鎮圧された以上、ロシアが兵隊の駐留を継続させる理由はありません。しかし、ロシアは、居留民の安全はまだ確保されてないと主張し続け、清国の撤兵要求をのらりくらりと引き伸ばします。ロシアと清国の代表が国境に出張し交渉を続けるが、そもそも国境線をどこだったのかといった議論へ拡散し、収拾がつかなくなります。 そうこうするうちに、清国とロシアの兵隊たちの間で小競り合い始まってしまいます。ロシアと清国の戦争が起こるのではないか国際世論が注目する1881年1月の占いとなります。 舞台は、日本の熱海に移します。 高島嘉右衛門は熱海の温泉にいました。1月の寒い時期は、彼は熱海で正月を過ごすのです。当時、熱海は、暖かく景色がいいため正月には、高島のような避寒の客が東京横浜からたくさん来ていました。 高島が、温泉宿で、友人である島津忠義公爵(島津久光の子で島津家当主)と囲碁をしていたところ、大隈重信、伊藤博文、井上馨という政府の高官、成瀬柳北(当時の朝日新聞社長)や神奈川県令の野村某が合流し、皆でわいわいがやがやと、高島と島津の囲碁を観戦していました。 囲碁が一息つき、皆で雑談をしていたところ大隈重信が高島に占いを所望したのです。 「高島さん、最近、ご存じのとおり、中央アジアのイリ地方で清国とロシアの両国が国境争いをしています。戦争になるかもしれないという噂もありますが、ひとつ占っていただけないでしょうか。」 高島は、「そうですね、それでは」とおもむろに筮竹を取りだし(持ち歩いているのかいという突っ込みはさておき)、占いをしたのでありました。 【結果】高島は筮竹をさばいた後、算木を、次のように並べました。 ―――――――――― ―― ― ○――― 无妄(むもう) 2爻 【高島嘉右衛門の占断】算木をじっと見った高島は、自らの判断を伝えます。 大隈をはじめ座に居合わせた者は息をのんで彼のいうことに耳を澄ませました。 「ご存じのとおり[iii]、「无妄」とは、自然のなりゆきに任せることを意味します。また、災い[iv]という意味もあります。 「无妄」の下卦、― ―― ― ―――は、雷を意味するとともに「動く」とか、「木」を意味します。木が動くいわば木槌のようなものです。 上卦は天―――――――――で、天を意味し、金を意味します。 以上を今回の清国とロシアの関係に見立てると、下卦は、日本から近くにある国、清国と見ることができ、上卦は、日本から遠くにある国、ロシアと見ることができます。 木槌で鐘を叩くと木槌は壊れてしまう。 清国にとっては、ロシアの占領は災いであり、ここで積極的に清国から動いても、木槌が壊れるだけでろくなことはない。自然の成り行きに任せるという卦の意味からも、戦争は行なわないと思います。」 そう説明しました。 「事態はそれで収まるのですか」と1年後外務大臣になる井上馨の質問に、高島は答えます。 「成り行きに任せるという卦の意味からして、事態を治めるために清国はロシアの言われるがまま、土地を譲渡するなり、何らかの利益を与えることになるのではないでしょうか。」 「そんなバカな!悪いのはロシアではないですか。納得がいきません!」同席した成瀬柳北(当時の朝日新聞社長)は憤慨します。 そこで、高島は説明します。「この卦の2爻の辞には、「耕やさずして穫、菑[し]せずして畬[よ]」とあります。 「耕やさずして穫」とは、耕さないのに自然の収穫があるという意味です。 「菑」とは、開墾後1年の荒れた畠を意味し、ここでは開墾すること。「畬」とは、開墾後3年の畠を意味しここでは地味が熟すること。つまり、「菑[し]せずして畬[よ]する」とは、開墾せずに地味が熟することを意味します。 本来は、耕やすことで収穫があり、開拓をすることで地味が熟するわけですが、世の中には理屈にあわないことがたくさんあります。耕やさないのに収穫があり、開拓をしないのにで地味が熟するそんなあべこべな状態です。この爻辞(爻のことば)は、そのような理屈に合わないことを、表現しているのです。 ちなみにこの爻辞「不耕穫、不菑畬」は、別の読み方として「耕やしてして穫ず、菑[し]して畬[よ]せず」と読むこともあります。この場合は耕やしたのに収穫がなく、開拓をしたのに地味が熟しないという意味となります。 いずれにしても、理屈に合わない、条理に合わない状態です。 この理屈に合わない災いというものが世の中にはたくさんあって、そのようなことが起るというのは時の勢いなのです。 この卦は、清国が現在、理屈には合わない災いに置かれており、そのような時は、無理に意図した行動を起こすとますますおかしくなるので、成り行きに任せることを教えています。清国も、あえて戦いを起こすことはないでしょう。」 「う~ん。。。」沈痛な面持ちで伊藤博文が話します。彼は若いころ長州藩士としてイギリスに滞在したこともあり、欧州遣欧使節団の一員として、ヨーロッパ各国をとまわり日本との国力の差を皮膚感覚で感じています。 「たしかに、やつらとの戦争だけはいかん」彼はいいます。伊藤の脳裏には、長州藩士としてイギリスに滞在していた時のことが思い浮かびます。 イギリスの宿泊先で新聞を広げたとき、目に飛んできたのが、「イギリス、アメリカ、オランダ、フランスの四か国連合艦隊の下関砲撃」の記事でした。[v]長州藩と欧米列強が戦争を始めるかもしれない、止めさせなければと急ぎ帰国をした伊藤を待っていたのは、無残に連合艦隊に敗北した長州藩の姿でした。 「勢いだけで戦争してもろくなことにはならない。」これが伊藤の基本的な考えです。 「しかし、、、」と伊藤は言葉をつなげます。 「そこまで清国はロシアに譲歩しなければいかんだろうか。1840年のアヘン戦争での無残な敗北の後、清国も軍事組織を立て直す努力を進めてきている。特に1870年代からは、各地の有力者に命じて臨時に軍隊を徴募(郷勇)し、李鴻章に海軍を組織させるなど近代化改革はかなり進んでいると話に聞いている。だから、欧米列強も清国を「眠れる獅子」と恐れているわけだ。そもそもアヘン戦争だって、清国のアヘンの密輸への規制をきっかけとした理不尽な理由から始まったものじゃないか。イギリスに無残な敗北をして、屈辱的な条約を結ばされて、だからこそ軍隊の改革を進めて、成果も収めてきたのに。それでも、まだ屈辱的な態度を取り続けなければならないとは。。。。」 「アジア民族を馬鹿にしているんだ。理屈が通じない相手だから、不条理な態度が許されるとでも思っているんだ」成瀬柳北(当時の朝日新聞社長)は憤慨します。 大隈重信が慰めるように言います。「ただ、成り行きに任せるのが賢明な対応かもしれません。ロシアだってピョートル大帝の侵略主義[vi]によって長いこと財政困難であり、国民への重税でなんとか財政窮乏へ対応しようとしているわけですから。今むやみに戦争を起こしたくはないはずです。今回は、ロシアの言い分を聞くというのも一つの選択肢ではないでしょうか。その間に軍隊の改革も進め欧米から侮られない力をつければいいと思うのですが。。。」 神奈川県令の野村某は「あっ」と間に入ります。「そういえば、上卦の天は龍も意味しますよね。そして龍は想像上の動物であることから、金も金欠と判断することがあると聞きましたが、ロシアの金欠とは、うまくあらわしたものですね。」 「そうですね。そういうところに易の玄妙さがありますね。」高島は微笑み返します。 1年後外務大臣になり欧化政策を進めることになる井上馨は言います。「とにかく、欧米列強から理屈の通じない野蛮人と思われている認識を改めさせなければならない。条約での治外法権や関税自主権がないことも、根本は野蛮人と思われていることにあるのだから」 伊藤博文が加えます。「清国ですら欧米列強の理不尽になすがままなのだから[vii]、日本はさらに危険な状態だ。幸いにも現在は列強に日本に目を付けていないからいいようなものだが。ロシアの膨張主義は清国、朝鮮ののち日本に来ることは時間の問題なのだから日本も軍備は増強しなければならない。」 こうして彼らは明治国家建設の意を強くしながら東京へ戻っていったのでした。 【補足】清国とロシアの国境紛争のその後の展開は、高島のいうとおりとなりました。翌月2月、清国とロシアとの間でイリ条約が締結されます。 清国がザイサン湖周辺地方をロシアに割譲し、賠償金900万ルーブルを支払うこととなります。その代りイリ地方の東側は清国に返還されました。 イリ返還を受けて、清国はイリ地方に新疆省を設置し、中国本土並みの行政が敷かれるようになります。これは中国史上初の事態であり、自治を取り上げられたウイグル人は清国の植民地となりました。 同時に東アジア地域の国境がはじめて確定したこととなります。 実は、伝統的なアジアの国際秩序観では、「国境」という概念があいまいでした。その代り周辺民族は蛮族として、中華からは放っておかれ、朝貢の形式の外交で連絡をとりあっていたにすぎませんでした。 それが国境線を引かれ、政治関係も白黒明確なシステムとなったわけです。 これはウイグル人にとっても不条理な話と言えましょう。 再度、2爻の爻辞を確認します。六二、不耕穫、不菑畬、則利有攸往。六二は、耕やさずして穫、菑[し]せずして畬[よ]するときは、則ち往く攸有るに利ろし。 ウイグル人からすると、まさに耕す努力をせずに収穫を持っていかれ、開拓の努力をせずに土地の豊かさを収奪される、理不尽この上もない話なわけです。 ウイグル人の土地を、清国とロシアが、俺のものだ俺のものだと言っている。 清国にとって、ロシアの出兵は理不尽ですが、清国だって理不尽なことをやっている。 易の卦はそのことを示しているような気がします。さらに、高島易断には引用されていませんでしたが、則利有攸往(則ち往く攸有るに利ろし。)これは新疆自治区設置を示しているのかなとも思いました。 西洋的な国際秩序観で国境を設定し、内政の責任を取る。これは従来の清国の発想にはなかったことで、この曖昧さが明治初期の日本と清国の外交紛争に根底にありました(琉球帰属問題、台湾出兵等)。 曖昧なところが白黒はっきりした国際秩序になっていく、その意味では大きな条理に従ってことであり、時の流れである。 則利有攸往(則ち往く攸有るに利ろし。)とはそのような意味に感じてなりません。 そして実は、朝鮮の宗主権に対するあいまいな態度(宗主国として内政外交ともに責任を持ち、ロシアの脅威から間守る態度をしますかどうか)が、日清戦争の隠れた要因の一つだったわけであります。 次回は、その翌年1882年におこった清国、日本を巻き込んだ朝鮮の政争、壬午事変に関する占いをご紹介します。 【参考文献】「中国」という神話 文春新書 楊海英訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房詳説世界史研究 山川出版社[i] 「中国」という神話 文春新書 楊海英[ii] ウイグル人は昔も今もイスラム教を信仰しています。イスラム教徒は1日5回の礼拝をおこないますが、現在の中国では至る所に「礼拝禁止」の張り紙が張り出されているとのことです。[iii] 当時は易経は、武士たちの教養の一つでした。彼らは皆、易経の卦は理解しています。[iv]雑卦伝に「无妄は災いなり」とあります。[v] 1864年8月の出来事です。きっかけは1863年、将軍家茂が公武合体の考えで前例を土生って上京した際に、朝廷側の攘夷の決行要求に抗しきれず、1864年5月に攘夷決行すると約束をさせられたことがきっかけでした。長州藩ではこれを受け5月10日を期して下関海峡を通る外国船に砲撃を開始したのです。イギリス公使オールコックは初めは自重していましたが、幕府が貿易統制を強化し横浜港の閉鎖も考え始めたため、米仏蘭とともに連合艦隊を組織し、攘夷の不可能を知らしめるために行いました。[vi] ロシアは元々海外植民地を持っておりませんでした。しかし、16世紀後半から当方のシベリア地域の開発に積極的に取り組み、植民を行い始めました。17世紀前半にはオホーツク海に達し、1643年には黒竜江(アムール川)に達します。そこから、ロシアと清国の衝突が頻繁に起こるようになっていました。[vii] 清国(中国)から見ると、中国を中心としたアジアの伝統的国際秩序観は、力を背景にした列強の理不尽な要求により、西洋基準の国際秩序観に変更させられたという意識はあるのかもしれません。それはロジカルで合理的なところもないとは言えないが、普遍的なものでも正当なものでもない。だとすれば、力を中国が持つにいたったらそれに従う理由はない、習近平をはじめとする中国首脳が思っても不思議はないとは感じます。
2018年05月20日
こんにちは。 宣伝です。 2018年6月24日(日) 下記イベントに占い出店をします。 時間:11:00~16:00 場所:両国シティコア コミューンX洋室 ↓アクセス https://www.ryogoku-city.co.jp/access/ ※ありがたCafeというイベントの中で出店します。 https://event-thanks-cafe.jimdo.com/ ありがたCafeは、毎月1回開催されるヒーリングイベントです。 私も3月から定期的に出店しています。 ヒーリングを通して癒やしを目的とした「ホッとするサービス」を提供するコンセプトで、さまざまな占いの先生やセラピストの先生が、お得価格でさまざまなサービスを出店されています。 ゆっくりとした時間の流れの中で、「こんな占いがあったんだ!こんなサービスがあったんだ!」とちょっとした新鮮な体験を味わうことができます。 入場料は無料。 鑑定は30分500円でさせていただき手います。 ご都合のつく方は是非、覗いてくださいませ。 是非、お立ち寄りください。 日清戦争占話考は、 現在、原稿作成中です。
2018年05月19日
本日は、日清戦争に関する基本的知識をご説明します。政治的、歴史的な理解をベースに占いを見る方が深い理解ができるためです。 明治維新成立の原動力は、日本が欧米列強の植民地となることを避けなければならないという危機感[1]にありました。国内では富国強兵、殖産興業のスローガンのもと国力の充実が図られましたが、仮に日本が独立を維持しえても、対外的に、朝鮮の欧米列強(ロシア)の植民地からの回避をしなければ不十分でした。なぜならば、たとえば、仮に朝鮮をロシアに保有された場合、匕首のように突き出た朝鮮半島が日本進出の前線基地となり、日本列島全領域が国防上重大な脅威にさらされるからです。[2] この危機感を、日本政府としては朝鮮政府にも持ってもらいたかった。しかし、この考え方自体、当時のアジアにおける外交秩序の常識からは外れたものでした。当時のアジア外交の一般的な考え方は、親分である清国に守ってもらえば大丈夫という前提に立っていたためです。そのため当時の朝鮮政府の理解は中々得られませんでした[3]。 清国の国力が全盛であればこの考え方で問題なかったでしょう。しかし、19世紀、清国の国力が衰退をはじめ、欧米諸国が東南アジアを植民地化し、北方でのロシアの進出が始まると、その考えには危険が伴うことになります。 ことに1840年から42年まで続いたアヘン戦争により清が、イギリスに惨敗すると、日本での危機感は沸騰しました。清国自身も朝貢・冊封による従来の儀礼に基づく関係と、条約に基づく西欧基準の外交関係の二つの原理により対外関係を築くようになります。そうすると日本としては、清国のみに頼る朝鮮の姿勢に危なっかしさを感じるようになります。朝鮮も、日本を見習って、独立国として近代化を推し進め、ロシアからの進出に対抗できるようになってほしい、そうでないと危なっかしくってしょうがないと考えるようになるわけです。 とはいえ、小さな国である、日本、朝鮮が、清国から独立して欧米列強と対抗するということは、当時、ある意味夢物語のような印象もありました。アヘン戦争で敗れたとはいえ、清国はアジアの「眠れる獅子」であり、大国であることに変わりないためです。清国すら対抗できない欧米列強を、小国である日本、朝鮮が対抗できるのか?清国も、アヘン戦争敗北後、急速に軍隊の近代化を推し進めていきます。日清戦争発生時のアジアの海軍力を見ても、清国は82、日本は28であり、イギリス18、フランス5、ロシア10、アメリカ4、ドイツ2、イタリア2と清国の海軍力がずば抜けているのです。だとすれば、清国に従うという今までのアジア外交路線も決して不合理な者とはいえないとも思われます。悩みどころではあるのです。 朝鮮国内政府においても議論はなされました。清国の傘の中で安全保障を守ってもらうという従来の伝統的な立場を守る大院君の保守派と、日本を見習い近代化を推し進め独自に欧米列強に対抗できる国力を充実させる金玉均、朴泳考らの親日派の争いが起こります。そして、その背後には、清国を宗主国とする伝統的立場に利害関係を有する清国と、親日派に利害関係を有する日本が援助を行います。高島嘉右衛門は、この親日派の金玉均らを世話しました。彼らは日本では高島宅に起居し高島の門人として易経を教えてもらっております。朝鮮政界の情報は彼らからも入り、彼らからも悩みを聞いていたでしょうから、自然、高島の占断はどんどんシャープでリアルなものとなっていくわけです。 それでも日本は、清国をあてにはせず、日本独自で近代化を推し進め、独立を目指す方針を基本的には取ります。 外交問題は日本の国内問題にも関連します。軍事力を高めるためには金がかかるためです。江戸時代は石高制で米中心の税制体系でしたので、米の物価リスクを政府が負っておりました。米が安くなると政府の実入りが少なくなり赤字が続く。江戸時代の中期以降、商品経済が浸透していく中で顕在化している問題であり、そのための明治政府は税制改革を実施します(地租改正)。結果として、物価リスクを農家が負うこととなり、政府に対する様々な不満が生じます。今までは米による禄を貰っていた武士の貧困も問題化します。特に、商品経済の発展した東京などの都市部にすむ武士(士族)の貧困はかなり深刻で社会不安が増大します。 したがって、対外戦争を行うというのは、国内の士族の失業対策とセットで論じられました。征韓論などはまさにその議論です。しかし、対外戦争の目的は、あくまで日本の安全保障であって士族の失業対策は本末転倒です。戦争で日本経済が疲弊し、結果として欧米の植民地となるのでは本も子もありません。とはいえ、失業対策を背景にしたプレッシャーの中で、目的を失わない議論をするために政府高官は悩みます。 明治の外交問題のもう一つの大目的に不平等条約撤廃がありました。日本は、伝統的なアジアの外交秩序(中華帝国を中心とした)から西欧型近代型の主権国家同士による条約締結をベースとする外交秩序への移行を選択した以上、国内の法治国家化は必須項目となります。憲法制定、国会設置等の近代化への道のりが必須であることは明治高官も認識していますが、拙速に進めることの危険性も考えておりました。西南戦争後、武士の不満は自由民権運動に結びつき政府への不満へと繋がっていました。これをうまく受け止めつつ、日本の独立を守るために国論を統一し、近代化も漸進させる。このような悩みを抱えながら明治高官は日々の課題に直面しておりました。 その解決策を検討する際の一つのヒントに高島嘉右衛門の易占に相談していたのです。 以上を前提に、次回は日清戦争(1894年~)の13年前1881年(明治14年)の占断からご紹介します。中央アジアのイリ地方で、ロシアと清国との間で発生した国境紛争に関する占いとなります。 【参考文献】易 本田済 朝日選書易学大講座 加藤大岳 紀元書房日清戦争 大谷正著 中公文書 「中国」という神話 文春新書 楊海英 いっきに学びなおす日本史(上下) 東洋経済 安達達郎 日本史A 高村直助ほか 山川出版 詳説世界史研究 山川出版社[1] 中国や北朝鮮、韓国の対日感情と同様、侵略者への危機感が近代国家形成の基礎なのかもしれません。[2] この問題意識は、江戸時代18世紀、ロシアの南下が始まったときから萌芽が芽生えてます(1786年海国兵談を記した林子平等)。明治維新においてロシアは仮想敵国となり、日露戦争で頂点に達します。日露戦争後も、陸軍の仮想敵国はロシア/ソ連であり、ノモンハン事件へと結びついています。[3] アジアの外交秩序は中華帝国(19世紀は清国)を中心とした周辺諸国との朝貢・冊封等の儀礼に基づく関係により成り立っていました。つまり、周辺国の君主が中国皇帝に使節を派遣して臣下となる意志を示すと(朝貢)、これに対して皇帝が官位・爵位を与えて君臣関係を結び(冊封)、中国は宗主国で周辺国は属国となるという関係ですあたかも日米安保条約でアメリカに守ってもらえると日本が考えるようなものですね。
2018年05月05日
ご無沙汰しております。更新が1年ぶりとなり申し訳ありませんでした。 今、占いとして非常にいい経験をさせていただいています。(いつかご紹介させていただきます) さて本日ですが新企画のお知らせです。 不定期ですが、これから明治の占い名人 高島嘉右衛門の日清戦争に関する占いをご紹介していきたいと思います。 高島嘉右衛門は、明治の占いの名人であるとともに、実業家でもありました。(現在の横浜を作り上げた貢献者の一人とされています)http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/hamaN/hamaN18.html#toku http://www.city.yokohama.lg.jp/kanagawa/kusei/profile/rekishi/takasima.html 易経の名人であり、伊藤博文はじめ明治の高官が彼の占いを参考したほどの腕前であり、明治の易聖と言われています。国会図書館にそれに関する資料がアップされています。http://www.ndl.go.jp/modern/column/04.html 政治家、あるいは実業家が占いに頼っているというと、「そんなことあってたまるか」と思われる方もいらっしゃるでしょう。 しかし、国家を真剣に慮る人間が、あらんかぎりの知力・努力をし、それでも不安な時のあくまでも参考とするならば、決して責められるべきものではないだろうと思います。 現に伊藤博文は、あくまで参考にしただけで、政治はそんな単純なものではないと言っております。 政府の高官等立場の高い人に決定が求められるとき、既にたくさんの人による下ごしらえが済んでおり一定の方向性を変えることが難しい場合がままあります。しかし、それでも方向性がおかしいと思うときは、勇気を持って「違うんだ!」と別の方向を舵を切るジャッジをする必要がある。勇気のない、判断できない政治家の政治は、状況に流される結果国民がひどい目に合ってしまう。そのジャッジは、十分な論拠なくスピーディーに行う必要がある。あてずっぽうの動物的直観で行うのか、それともそこに占いの結果を加味し、よく考え行うのかで、どっちがいいかわからないともいえます。 判断のできない惰性の政治が、日本を責任者不在の太平洋戦争へ突入させていしまいました。 判断できない惰性の政治しかできない幕府を倒し、新たな政治を目指したのが明治維新です。占う方も占われる方も真剣だった、そんな息吹のようなものを感じていただければと存じます。 明治時代、多くの占い師が日清戦争について占ったかもしれない。しかし、高島嘉右衛門ほど特別な立場にいた人はいませんでした。 なんせ、当時の首相の伊藤博文と仲がよく(娘を彼の養子に嫁がせている)、時の外務大臣陸奥宗光とも昵懇だったためです。そんな彼らから情報を貰い、時には頼まれて占ったものが高島易断に記載されています。しかもそのいくつかは当時の新聞に公開している。今だったら下手すれば機密情報漏えいで問題になりはしないかとも思うのですが。。。。 通常は占いを一つずつ「リストラ戦記」のように紹介していきます。しかし、次回は、彼の易を理解する前提として、歴史的な背景をご説明します。 その後は一つ一つ易断をご紹介する予定です。乞うご期待! 【参考文献】日清戦争 大谷正著 中公文書訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録 (岩波文庫) 陸奥宗光蹇蹇録の世界 みすず書房 中塚明いっきに学びなおす日本史(上下) 東洋経済 安達達郎日本史A 高村直助ほか 山川出版詳説世界史研究 山川出版社
2018年04月28日
1年ぶりの更新です。見てくれていた方すいません。久しぶりに覗くと、アクセス数が伸びているんでびっくりしました。ありがとうございます。実は、易占自体は、私生活でやっています。でも「アップすべき時期にアップすべき占例」を挙げるポリシーでやっており、なかなか気が乗らなくって、アップまで時間が過ぎてしましました。このサイトを大切に育てていきたいと思います。大切に書き重ねることで自分のインスピレーションの塊が蓄積されていきます。サイトにアップするとき、文書を書きながら、頭を整理する。象を見直し、卦辞を見て、爻辞を見直して。占例を振り返り、背景、その後の経緯を、改めて文章にして。すると新らしい発見があります。判断に大きな変更はないにしても、ああ~、この卦はこういう趣旨だったんだーと、もやもやっとしたことが輪郭を持ってくる。そしてアップし終えた後、卦の理解がより明確になるのです。クリスチャンのいう「時がみちた時」、易経のいう「時が中(あた)るとき」にアップしたい。その時が日記に書くことを通じて、易の神様が易を教えてくれている気がするから。この蓄積が「自分の易」を形作る糧となるのです。誰かどこかで知らない人、易に興味持っている人が見てくれている。そう思いながら緊張感をもって書き重ねていくことで、自分の易が輪郭を帯びていく。ですから来てくださる皆様は私の易を作る手助けをしてくれている方々です。今後とも本サイト、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。いつか退職したら、カルチャーセンターとかで易経の講座をやります。それが夢です。自分のインスピレーションの塊である自分の易、その宝物を、わかりやすく説明する講座。カリキュラムのイメージはすでにあります。初回で、占いの簡単なやり方を教える。そしていきなり授業の最後の方で参加者に占筮を立ててもらうのです。占的は参加する人誰かに事前に用意してもらう。そして、出た卦は次回の授業で説明する。それを繰り返し64卦、できれば384爻をすべて網羅する。そうすれば、「自分の易」は「その教室の仲間みんなの易」へと発展する。そうだ、教室の名前は「易友の会」がいいな。などと妄想はとめどなく広がってます。そのときはこのサイトで宣伝しますので興味ある人はぜひ参加ください。初回授業は、「占いのやり方」と「山水蒙」の説明を予定しています。なんってね。どれだけ先の話なのか。。。あくまで妄想ですが。。。でも今は、現実の世界に全力を尽くします。この現実の世界に「今の自分が」やるべきことはたくさんあるから。それらをやりきることで、「自分の易」が出来上がる。前置きが長くなりましたが、昨年お約束した清原選手のその後の占例をご紹介します。占ったのは昨年2016年2月となりますが。。。。[背景・占的] 清原選手の今後。 2016年2月、清原選手は覚醒剤所持の現行犯逮捕されマスコミをにぎわせました。 易友との飲み会/勉強会で、どうなるのだろうかと占いました。 なお、この時は、勉強の関心が「得卦」「之卦」「綜卦」「互卦」「錯卦」の使い方にありましたので、その問題意識で判断しています。[結果]1.得卦 沢天初爻― ― ――― ―――――― ―――――― *2.之卦 沢風大過3.綜卦 天山遯(とん) 4.裏卦 山地剝(はく)5.互卦 乾為天(けんいてん)[判断]1.沢天夬 初爻(1)卦について「夬」とは、おしきる、決断の意味。 沢が、天の上にある。 沢に流れている水位がどんどん上昇して、いつか堤が決壊して下にあふれ注ぐことは目に見えている状態。 清原選手の不摂生・無軌道な生活が、蓄積しあたまも水位が上昇したダムが決壊しようとしている状態を示しています。(2)卦辞「夬は、王庭に揚ぐ。孚あって号ぶ、あやうきことあり。告ぐること邑よりす。戎に即くに利あらず。往くところあるに利あり」ア)王庭(王庭)に揚(あ)ぐ王庭とは、王の朝廷。ここでは裁判でしょうか。揚ぐとは、宣揚(盛んなさまを世の中にはっきりと示し表すこと 広辞苑より)。逮捕、マスコミを通じて無軌道ぶりが明らかになったことを指します。 この卦は、陽(―――)が5つあり、勢いが盛んで、陰(― ―)を切るときです。君子がわずかに残る小人を切るときです。まあ、「年貢の納め時」ってやつですかね(補足1)。イ)孚(まこと)あって号(さけ)ぶ心の底から思うことを叫ぶ。これは「俺は悪くない」という言い訳でしょうか、それとも「悪かった」っという後悔の念でしょうか。(3)爻辞 「初九は、趾(あし)を前(すす)むるに壮(さか)んなり。往いて勝たざるを咎となす」 足を前に進めることにさかん、つまり勇み進もうとする。 しかし、力が足りず生きばかり盛んで勝てない恐れがある。 必ず勝てるという策を立ててからでないと前へ進んではならない。勝てないと判っていく場合は咎がある。清原選手自体は、意気盛んに復活をしようとする。しかも、勝算あるなしにかかわらず復帰しようとする。しかし、勝算なしにやる場合は、ドツボに嵌っていく。2.之卦 沢天夬の初爻を陽爻から陰爻に変える。伏卦ともいい、内在している状態です。 沢風大過― ―――― ―――――― ―――― ― 大過とは、大きな過度の意。中央に陽が4爻あり、それを上下の陰が支えている。陽が過ぎるので大過といいます。この卦全体を一本の材木で見ると、両端がいかにも弱い。卦辞に「棟たわめり」とあります。棟とは、屋根のみねを走る横木。両端が弱い材木で屋根の棟としたため、屋根は重さに耐えかねて中だるみをしている。人間でいうと、高い地位に上ったものの重荷に耐えかねている人を象徴します。このことから、スター選手としての活躍、世評の重圧に苦しめられることが内在している状態にあります。重圧に苦しみながら意気盛んに前に進もうとする。これが清原選手の今後です。今もそうかもしれません。3.綜卦 天山遯(とん)得卦の上下をひっくり返します。世間、周囲から見た清原選手です。隠遁の遯(トン)です。世間的には終わった人ということでしょうか。4.裏卦 山地剝(はく)得卦の陰陽をひっくり返します。剥落、剥がれるということです。化けの皮が剥がれてしまった。5.互卦 乾為天現実への対処策です。すべてが陽。正しい心で、自分から目標をもって準備し行動すること。陰が、この卦にはありません。つまり心の中に弱い心を入れないことです。厳しいスポーツの世界で結果を残してきた清原選手ならばできるはずです。初めの1年は「潜竜、用うるなかれ」で世に用いられることは絶対にありえないでしょう。次の1年は、「大人を見るに利あり」で、導いてくれる人の意見を聞くこと。そうすれば、世に出るきっかけをつかめるでしょう。ただし、この卦は短気、自信過剰なときは不運に変わります。再起を期待していモノです。―――――――――――――――――――――――――――――――――――(補足1)彖辞「王庭に揚ぐるは、柔五剛に乗ればなり」
2017年05月05日
更新が遅れました。いまさらですが、2月にベッキーの今後を占った卦につき、ご紹介します。卦を出した時と今では持っている情報が当たり前ですが違う。当たったと言い切るつもりもありませんし、こじつけ感があるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。あくまでこれは、私自身の読卦力を高めるためものということで。。。[背景・占的] ベッキーの今後。[結果]1.得卦 地山謙5爻― ―― ― *― ―――― ― ―― ― 2.之卦水山蹇3.綜卦 雷地豫4.裏卦天沢履5.互卦雷水解[判断]1.地山謙5爻謙虚の「謙」。卦としてはすごくいい卦です。但し、ベッキーには申し訳ありませんが、この卦を見たときまず思い浮かんだのは、「男子裸身の卦」といわれ、色難の卦とされることでした。(1)色難の卦地山謙の象は下記のとおりです。― ― 首、頭― ― 胸― ― 腹――― 股― ― 脛― ― 足首六つの爻は、体を表していると見ることができます。この卦は、陽爻が三番目にある以外は、すべて陰爻です。そして三番目は人体の股を指します。よって男子裸身を表しているとされるのです。したがって、この卦は、色難とか、男性の場合ですとよからぬ場所へ通っている暗示とされ性病注意と判断します。また、一つの陽爻を多くの陰爻が囲っていますので、一人の男性を多くの女性が取り囲んでいる卦とも言われます。男女のもつれであることは占わなくともわかることであり、地山謙にはこのような意味もあることをご紹介して、本題に入ります。(2)謙卦について「謙」とは、謙虚の意味。地の下に山がある。本来、山は高いところにあるべきなのにそれが地にある。「実るほど頭をたるる稲穂かな」。亡くなられた住友商事社長の加藤進氏の座右の銘だったと、「致知」という雑誌で目にした記憶があります。非常に深い教えを含んだ卦です。ベッキーについていえば、「徳」ではないにしても、人気・影響力があったわけですが、地中の下に潜っているそんなイメージ。卦辞は、「謙は亨る。君子は終わりあり。」初めは運はよくないが、最後には運は開ける。(3)爻辞「六5は富まず。その隣とともにす。もって侵伐するに利あり。利あらざるなし」5爻は、君主の位。つまり君主の位にありながら下の人にへりくだっている人を意味します。そのような人には天下がなついてくる。あたかも富はもたないのに、徳があることによって隣人からなつかれる人のように。このようなときは武力で征伐するがよい、というのが直訳。武力で誰を征伐するのか?これは言うことを聞かない人に対してです(象辞「服せざるを征するなり」)いうことを聞かない人とは、文句をいうマスコミ?あるいは不倫相手の配偶者?ここでいう「謙」とは、戦いで勝利を収めるために、まず一歩退く、そのための「謙」です。孫子「始め処女の如くなれば、敵人戸を開く。後に脱兎の如くなれば、敵防ぐに及ばず」にいう、初めの段階です。ほとぼり済んだ後に芸能界復帰する、さらには略奪婚もありうることを暗示します。2.之卦 地山謙の5爻を陰爻から陽爻に変える。 水山蹇― ―――― ― ―――― ― ―― ― 蹇とは、寒さに凍える足、足萎え。動きが取れず進みにくいとき。おかれている状態として寒さに凍え足がかじかんで進むことができない。芸能界復帰も略奪婚も、なかなか進めることはできません。3.綜卦 相手側の事情 地山謙の上下をひっくり返します。 雷地豫― ―― ― ―――― ― ― ―― ― 不倫相手「ゲスの極み乙女」ボーカルの立場から。豫とは、よろこび、楽しみの時。備えのできた砦を暗示します。ベッキーと結婚する準備だったのでしょう。4.裏卦 地山謙の陽陰をひっくり返しますと、裏の事情が出てきます。天沢履―――――――――― ―――――――履とは足で踏む。虎の尾を踏む危険な状態。卦辞に「虎の尾を踏む、人を喰らわず」とあります。危険な状態。だがやりきるつもりなのでしょう。5.互卦 現実との接点、解決策地山謙の3、4、5爻で上卦、2、3、4爻を下卦とします。雷水解― ―― ――――― ――――― ―解とは解ける。力で牛の角をさくということ。別れた方がいいのでしょうね(仮に相手の男が奥さんと離婚したとしても)次回は清原についての卦を、ちょっと古くなりましたがご紹介します。
2016年07月10日
[背景・占的] 占い友達が占ったSMAPの今後。[結果]1.得卦 地沢臨初爻― ―― ―― ―― ― ―――――― *2.之卦地水師3.綜卦 風地観4.裏卦地山謙5.互卦地雷復[判断]1.得卦 地沢臨初爻について占友曰く「SMAPの方が、メリーさんより運勢は強いんではないか?ちまた言われるように、ジャニーズ事務所がどうこうしてSMAPの立場が追い込まれるようには思えないけど。。。」とのことでした。正直他人の出した卦の判断は難しい。ただ、後学のため、各卦の意味を整理します。(1)臨臨とは、もともと上から下を見下ろす意味。それだけでなく対象の方へ進んで行って、威圧的に迫る意味を有する。卦としては強い。しかし、臨は、「臨機応変」という言葉のごとく、頭の切り替えが必要なときでもある。(2)卦辞「臨。元(おおい)に亨(とお)る。貞(ただ)しきに利あり。八月に至りて凶あり。」大いに亨り、しかも正道に沿う。つまり天道に合致している。但し、8月に至って凶がある。― ―― ―― ―― ― ―――――― 上の卦の形に見えるように、今でこそ陽が成長して陰を圧迫しているが、いつまでも陽が栄えてはいない。遠からずして陽の消える時が来るから。頭の切り替えが重要。下の者のいうことをよく聞き、観察して、新しい政策を打ち出す。うっかりすると時代遅れとなりバスに乗り遅れるぞ!と警戒しなければならない。(3)初爻「初九は、咸じて臨む。貞にして吉なり。」感動させることによって相手に臨む。正道を行っており吉。今は強い運勢。8月になると凶であり臨機応変さが要求されるが、正道をもって臨んでおり運勢はいい2.之卦地水師地沢臨の初爻を陽爻から陰爻に変える。― ―― ―― ―― ――――― ―軍隊、戦争。師とは師団、軍隊の意味。リーダーを作ってその人の統率の下で動くことを意味する。暗示するものとして、指導者の苦しみなどです。リーダーは中居かキムタクか、どちらでしょうね。3.綜卦 :風地観 相手方から見た場合。本卦のすべての爻の陽陰をひっくり返します。――――――― ―― ―― ―― ―観とは、見るとか示す。恭しく仰ぎ見られること。地面の上を風が吹いている。物事すべてが空しく、気持ちの上でも落ち着かず動揺しやすい。精神的な卦と言われ、物質面では期待できない。4.裏卦:地山謙 隠れた事情 ― ―― ―― ――――― ―― ―謙遜の徳。地中の下に山がある。低い姿勢の中に高い徳を隠している状態。実った稲穂。今、SMAPが置かれている状態の本当の意味は。自分の充実した実りを人々に分け与える時期にいたっているということ。今、本人に立ちにとってみれば思わしくない状態にあるでしょうが、「今まで自分たちが身に着けた有り余るものを、どのようにした他の人に分け与えるか」を基軸に、初心に戻って身の振り方を考える。苦しい時かもしれないけど、そういう時期なのだよ、と易の神様は言っている気がします。5.互卦:地雷復(ちらいふく) 現実を解決する手がかり。― ―― ―― ―― ―― ――――元に戻る意味。初心に戻って出直しか。SMAPが売れなかった当時の気持ちに戻って、やり直すこと。ただし、そうは言っても人生は取り戻せないし、今まで築いてきた貴重な地位・信頼がある。将来の見通しを十分に立てて、次の段階を近いところから通りところまで十分に立てて発展的な再出発をする必要がある。そうでないと、それもうまくいかず再再出発ということでSMAP再結成、再活動なんてことになり鳴かず飛ばずになりかねない。十分に計画を立てて、初心に戻って再出発だ!そして、その際は、今よりもビッグになることを考えるのではなく、新しい観点を軸に計画を立てる。「今まで自分たちが身に着けた有り余るものを、どのようにした他の人に分け与えるか」・これを基軸に、初心に戻って身の振り方を考える。そして、その際は、直近の予定から中長期的な予定まで綿密に考える、そういう時期に今至っていますよというのが、占友の出した卦からの私の解釈でございます。
2016年02月28日
【はじめに】易経の歴史をまとめます。歴史をまとめる際の態度ですが、本田済先生の「易」の考え方と同様、実証的に整理するのではなく、易が古来の人々にとって何であったのか、どのようなものであったのかという観点から整理します。易経及びそれを解説した十翼、春秋左氏伝、国語、その他著名な占例をメインとし、易学そのものの歴史は必要な範囲にとどめます。目次1. 神話時代:易経の中の繋辞伝、説卦伝を参照。包犠、神農。2. 五帝時代:夏王朝までの時代。史記五帝本紀による。黄帝、尭、舜など。【神話時代】 ■包犠(ほうぎ)の時代1.包犠について 。・包犠あるいは伏羲(ふっき)とは中国古代神話の帝王。姿については、頭は人間であるが体は蛇であったとか(「古代中国」講談社学術文庫 貝塚茂樹著)、頭は人間で体は丑だったとか言われる。封神演義にも登場する。・包犠は、易の八卦のほかに、文字や結婚の制度を定めた。2.包犠、人の性、天の命を貫く理屈を追求しようとして、神様に助けられてメドキを用いて卦を立てる方法を作る(設卦伝)。具体的には(1)まず八卦(乾、兌、離、震、巽、坎、艮、坤)を作る(易経繫辞(けいじ)下伝) ・上を向いては天の日月の象徴を見て ・下を向いては地の山沢などに手本を見て ・鳥獣の羽毛の文様とそれぞれの土地に宜しい草木金石を観察して ・近いところでは身体の眼や口から祖型をとり ・遠いところでは雷や風などのものから祖型をとった (2)上記の八卦につき、相当する神の徳(健、説、麗、動、入、陥、止、順)とつなげ合わせる(3)以上を以て万物の実情を類型を以て示した。3.八卦を重ねて64卦(以下「大成卦」という。)を作る。 ∵八卦だけでは複雑な変化の世界を表現しえないため4.64の大成卦の「離為火」から「縄を結び付けて網を作り出す知恵」を編み出し、民に教える。これにより獣を狩で仕留め、魚を採る方法を教えた。離為火は下記の卦。―――― ―――――――― ――――つまり―――― ――――が二つ並んでいる。これは目の形に似ている。つまり目が二つ並んでおり、網の目が連続する形に等しい。さらに離為火は、徳として「麗く(つく)」特性を有する。これは獲物が網にかかる意味を暗示する。■神農の時代1.神農について・神農(しんのう)とは中国古代神話の帝王。姿については、頭は牛で体は人間であったと伝えられる(「古代中国」講談社学術文庫 貝塚茂樹著)。・神農は、農耕のほか、医薬、商業を伝えた。2.さらに、64の大成卦から様々な知恵(鋤の使用、市場の発明)を民に教える。(1)神農は「風雷益」から、木から鋤を作る方法を教え、鋤で草を切り耕す便利を民に教えた。この頃には鉄はなく、木を鋭く削って鋤の頭とし、木の棒を撓めて鋤の柄とした。風雷益は、下記の卦。――――――― ―― ―― ――――上の2つの陽爻は柄の取っ手に、中間の3つの陰爻は柄の曲がった部分に、下の1陽は鋤の頭に相当する。風雷益の上卦「風」は入るの徳をもち、下卦「雷」は動くの徳を持つ。つまり、桑が動いて土に入るの象を持つ。(率直に言って強引な解釈と感じますが、繋辞伝にはそのように書いてあります)。(2) 神農は「火雷噬嗑(ぜいごう)」から、太陽が日中にあるときに市場を開いて天下の民を招きよせて、天下の財貨を集め、交易した後に退散させ、各人が欲しいものを得られるようにした。火雷噬嗑(ぜいごう)は下記の卦。―――― ――――― ―― ――――火(日)、―――― ――――すなわち太陽が上にある。― ―― ――――すなわち雷は、動き回る意味を持つ。日中に人々が動き回るので市場の象がある。【五帝の時代】 歴史というよりも、伝説の時代ですが、史記本紀はここから始まります。【日本史】〇日本への伝来513年(継体天皇7年)百済から五経博士 段楊爾が来日。五経には易経も含まれる。516年 五経博士 段楊爾が五経博士 高安茂と交代。日本に易経を講義。天武天皇、陰陽寮(中国の占術、呪術関係の官職をすべてまとめたもの)の設置。奈良時代の養老律令によると、陰陽寮では陰陽博士が易経の教習を受け持った。平安時代においても易経の研究が行われた。〇宿曜師 仁海(藤原道長の時代)・1032年日照りが続く。6月6日宿曜師 仁海が易筮で占うと、龍が地底に伏しているため雨が降らないと出た。仁海が祈祷を行い龍が天に上がったので雨降るだろうと、源経頼に予言する。はたしてその予言通り7日、8日に雨が降った。・三条天皇の眼病の原因を易筮で占った。仁海、物の怪のたたりではなく、薬を用いれば治るといったが、藤原道長は受け入れず、三条天皇を病気を理由に退位を迫り、自分の外孫の後一条天皇を立てた〇藤原頼長頼長は関白 藤原忠実の次男。学才あり天才肌の人間で、24歳の時に易経に出合い嵌りこむ。易経を学びしきりと筮竹で占いを立てたが、当たるときもあれば外れる時もあった。頼長はその後、藤原氏の氏の長者となる。保元の乱で敗死。〇源頼朝・1180年平家全盛の時、以仁王の命令で源頼朝は挙兵したとき平兼隆を討つ出陣を易占で行った。具体的には頼朝母方の伯父 藤原邦通と、筑前国住吉社の神官に生まれた佐伯昌長に命じたところ、二人とも8月17日の寅の刻(午前4時)を吉とした。頼朝はその薦めに従い挙兵し勝利した。〇後醍醐天皇・1321年、元の国から俊明極という禅僧が来朝。彼は後醍醐天皇とあった後「帝のご運勢には「亢龍の悔いあり」という卦が表れている。また二度帝につく相が出ている」といった。「亢龍の悔いあり」とは、乾為天 6爻で「あまり高く上りつめた龍は降下のおそれがある」という意味の卦。この占い通り、後醍醐天皇は二度帝位についたのち、足利尊氏の離反によりその地位を失った。・元弘の変により後醍醐天皇は鎌倉幕府から隠岐に流された。その後、楠正成等の活躍で次第に鎌倉幕府は劣勢になり、後醍醐天皇は沖から伯耆の船上山に移った。その状況を見た足利尊氏は、鎌倉幕府の六波羅探題を攻め落とし、後醍醐天皇を京都に迎えようとした。しかし、鎌倉幕府はまだ健在であったので京都に入ると幕府軍の逆襲に合う恐れがあった。そこで後醍醐天皇自ら筮竹を取り占い「地水師」がでた。これは「正義を貫くための戦いはやむを得ないのだから、迷わず万事強気に進め」というもの。そこで天皇はすぐさま凶へ向かった。占い通りに、それから間もなく鎌倉幕府は攻め落とされた。〇足利学校〇武田信玄・武田家家臣の長坂長閑が武田信玄に徳厳なる占者を推挙。武田信玄は「占いは足利学校にて伝授か」と問うと、徳厳はそうではなく、ある文殊堂に籠り夢相で八卦を会得したとこたえた。信玄は、目に見えない夢で易学がわかるかといいぷいっと横を向いた。(「甲陽軍艦」)〇徳川綱吉1693年~8年間自ら易経の講義を行う240講に及び易経の全般に及ぶものだった。儒教を好み湯島聖堂を立てる。〇江戸時代以降、朱子学教育が幕府により力がそそがれたため、筮竹を用いた占いが盛んとなった。〇真勢中洲・ある武士が友達に借りた脇差をなくしたため、中洲をたずねた。葬礼に出るため脇差を借りたが、脇差を返して20日も経ってから、友達が「これは私の脇差ではないから元の脇差を取り戻してくれ」と言ってきたとのこと。 中洲が占ったところ、「水雷屯」とでて「地雷復」とでた。中洲の判断。屯は衆に通じる。「衆」はあつまる意味だから、葬礼で人が集まるときに脇差を取り違えたのだろう。そういって方角を見ると「葬式の家より西方で借りた脇差が、葬礼の家の北方にある」と出た。それを聞いた武士が葬礼の参列者を調べて訪ね回ったところ、なくした脇差が出てきた。■参考文献呪術が動かした日本史 武光誠 NESCO
2016年02月14日
[背景] 占い友達との易経勉強会で占ったもの。 SMAPの長年のマネージャーの独立騒ぎと相まって一時期は解散話まで発展しネットは大騒ぎでした。 その後、メンバー全員の謝罪会見がありました。 「どうなるんだろうね~」と野次馬根性丸出しでお互いに出してみました。そのうちの私の卦です。[占的] SMAPの今後。[結果]1.得卦 雷火豊3爻― ―― ――――――― *― ―――― 2.之卦震之雷3.裏卦風水渙4.綜卦 火山旅5.互卦沢風大過[判断]1.得卦(本卦) 雷火豊について(1)豊盛大のときの意味。下の卦が火(太陽)で上の卦が動く、明るさをもって動くので盛大のイメージ。あたかも天空を燦爛たる太陽が回るがごとく。普通の人には派手すぎる卦だが、芸能人にはいい卦です。しかし、これは言外に今がピークで今後は衰微することを暗示する。盛んなるものが行き詰まり哀愁をたたえることを暗示する卦です。卦辞を読めばより明らかとなります。(2)卦辞「豊は亨る。王これにいたる。憂うるなかれ、日中に宜し。」a)「豊は亨る。王これにいたる。」天下で最も豊かで大きい状態は王者だけが到達できる(卦辞「王これにいたる」)。王者は、天空に燦爛と輝く太陽のように盛大で、巨大な富と無数の人民を抱える。SMAPはメンバー全員がそれぞれの持ち味を生かし、芸能界の各所で活躍し、解散騒ぎが出たときは、「SMAPはみんなのものなんだ」と世間(少なくとも芸能界)全体が存続を問題にした、ある意味アイドルグループの王者の風格を持っております。b) 「憂うるなかれ、日中に宜し。」しかし、このような輝きは、中天にかかる太陽のように世界の隅々まで照らしうる徳があって初めて憂うことなく対処し得るものです。しかし、日はいつかは傾き、月はいつかは欠けま。ましてや、それより小さな存在である人が時とともに盛衰するのは当然のことである(彖辞「日中すればかたむき、月みつれば、欠く。天地のえい虚、時と消息す。しかるを況や人においておや」。)このように、この卦はピークから徐々に勢いを失っていく過程を示す卦です。では、具体的に今回の占的は、どの段階か。 (3)3爻(九三)爻辞「九三は、その沛(はい 補足1)を豊(おおい)にす。日中にマイ(補足2)を見る。その右の肘を折る。咎なし。」a) 「九三は、その沛を豊にす。日中にマイを見る。」日中を過ぎて日の傾いて暗くなったとき。どれだけ暗いかというと、垂れ幕を大きくして、縦横天井を覆って、中にいる時の暗さ。生活に支障はないだろうけど、うす暗い感じ。本は辛うじて読めるかあるいは日中に名もなき星が見える暗さです。b) 「その右の肘を折る。咎なし。」右肘は自分の力を存分に発揮するに不可欠な体の部位。その右肘を折るわけだから、力を奪うべき機会を得ない。なぜ、力が発揮できないのか。九三(3爻)は、上爻と関係を持つ(補足3)。この上爻は陰爻(― ―)で弱い。さらに上爻というのは、5爻(君主の位)の上にあるが、引退した位置にあり無力(補足4)。この上爻と関係を持つため力を奮うことができず、あたかも右肘を折ったような状態になる。しかし、3爻は陽爻(―――)で、陽位に陽爻ということで正しい。よって、徳で以て無位無官の上爻に仕えようとしたため咎はない(補足5)。以上の爻からすると、退社するマネージャーへの恩、義理を通そうとしたために、活躍の機会は奪われる。目に見えるバッシングはないだろうが、次第にフェードアウトしていくと判断されます。しかし、今回の出来事がなくてもSMAPの勢いもいつかは衰微していくわけで、その来るべき状態に備えることが大切であることを教える卦です。そして、SMAPも、解散はしないまでも活動休止をし、もう一度世間を驚かすのではないかと思われます。之卦、互卦を見るとそのような判断に至るわけです。2.之卦 震為雷(しんいらい)変爻の3爻の陽爻を陰爻に変えます。― ―― ――――― ―― ――――雷がふたつある。つまり雷が二度続きます。雷というのは、ゴロゴロゴロ!と人を脅かしますが実害は小さい。今回でいえば、「解散か!」ということで世間が大騒ぎをしました。同じような騒ぎがもう一度起こるのではないかと思われます。3.裏卦 風水渙では、このような騒ぎの背景に何があるか。雷火豊の全部の陽陰爻をひっくり返します。そうすると風水渙となります。――――――― ―― ――――― ―「渙」とは、氷が解けて割れるという意味。風が水の上を吹き渡ると、表面の水がさざ波となり一気に散ります。この「割れる」「散る」イメージをより具体的に言いますと、内部にたまっているうっ血状態が外へ発散させるという感じとなります。新しい未来に向かって勢いよく船出するイメージです。戦前、旧憲法下では天皇陛下のご命令「勅命」が法的効力を持っておりましたが、勅令が発行されることを「勅命渙発せらる」などと言われました。この「割れる」「散る」ということから連想されるのは、SMAPのメンバー一人一人が、独自を道を歩むため再出発するということです。あたかも「Beatles」が解散ののち、各メンバーが独自の道を歩み始めたように。。。各メンバーがそれぞれ独自の道を歩み始めたい、そういう思いを持つにいたります。4.綜卦 火山旅相手方はどんなか。雷火豊の上下の卦をひっくり返しますと、火山旅となります。―――― ―――――――― ―― ―易経が書かれた時代の「旅」とは現在のようなお気楽な旅ではありません。さびしさと不安と苦労がともなう長い長い旅路です。「メリーさん、死んじゃうんじゃないか!?」口の悪い「占友(うらとも)」はいいました。過労が蓄積しています。初めは軽いと思っていた不調が悪化する可能性があり要注意です。5.互卦雷火豊の互卦は、沢風大過。互卦は、対策のヒントです。― ―――――――――――――― ―初爻と上爻の陰が4つの陽を支えている。その重みに耐えかねている象です。大過とは責任加重、重荷に押しつぶされそうな状態です。SMAP自体は長年芸能界でトップを走り続けてきた。その重荷が各メンバーにずっしりと覆いかぶさっている。そのことを認識したうえでの解決策です。この大過が出たときは、すべてまず一歩退いて重荷を軽くすること。過労をさけるようにすることが大切です。重荷を避けるためにも、解散をするか、それが難しいならば長期停止をする。そして一人一人が、今の持ち味を生かしつつ、今後の目指す方向へ向かって歩みだす。これだけ大きなグループですから、こっそり歩みだすにしても、けじめみたいなものが必要でしょう。今回の解散騒ぎみたいな、騒ぎののちSMAPは一つの伝説的なアイドルグループとして人々の記憶に残りながら地平線の彼方へ沈んでいく、これが私の出した卦でした。次週は占友T氏の卦をご紹介します。―――――――――――――――――――――――――――――――――――(補足1)沛(はい)とは、旆(はい)の意味。旆とは、幔幕のこと(本田済「易」)。幔幕とは、式場、会場などで張り巡らされる幕のこと。(補足2)「まい」とは小さな星のこと。(補足3)易経では内卦(下半分)と外卦(上半分)のそれぞれの第1爻、第2爻、第3爻どうしに相応関係があると考えられている(これを「応」という)。もっとも、それぞれが組み合わせが陽爻と陽爻、陰爻と陰爻では応じない。しかし、雷火豊の内卦の3爻と外卦の3爻(6爻)は、前者が陽で後者が陰であるため応じる。そのため、応じた結果の解釈がされる。(補足4)易経では奇数爻(初、3、5爻は陽)、偶数爻(2、4、上爻は陰)が正しい位です。火雷豊では3爻は陽が正しく、上爻は陰が正しいです。(補足5)卦は6つの陰陽で構成され、6つの爻がある。この爻には場所により身分があるとされる。ずに示すと下記のとおり― ― 上爻(賢人:君主以上のもの、在野の賢人)― ― 5爻(君主)――― 4爻(公卿)― ― 3爻(士大夫:幹部役人)――― 2爻(士:下級役人)― ― 初爻(庶民)
2016年02月07日
【背景】私が易経の勉強を始め、自分の卦の出し方を模索していた時に出したものです。2009年8月。女優の酒井法子さんに覚醒剤吸引疑惑のニュースがテレビで流れました。酒井法子さんは失踪。湖の底から酒井法子さんの携帯電話が見つかり、「自殺をしたのか」「海外に逃亡したのか」などセンセーショナルな話題でワイドショーは持ちきりでした。丁度私は易経の勉強にかなり情熱を傾けていた時であり、自分なりの卦の出し方をあれこれと研究している最中でした。そこで、ためしに酒井法子さんの現在とこれからを占ってみました。【占的】酒井法子さんの現在とこれから(補足1)。【結果】1. 現在置かれている状況本卦:天水訟(てんすいしょう)――― ×――― ――― ― ― ×―――― ― ×2. これからの成り行き 之卦(しか):沢天夬。3.現実を解決する手がかり。 互卦:沢火革(たくかかく)4.隠れた事情。 錯卦(裏卦):地火明夷5.相手方から見た場合。 綜卦:水天需【判断】各卦ごとに説明します。1.本卦:天水訟(てんすいしょう) 現在置かれている状況――― ×――― ――― ×― ― ×―――― ―(1)「訟」争論とか訴訟の意味。訟とは、言偏に公というつくりからなり、「公」に言う。つまり、争う。(2)上卦は、乾。剛である。―――――――――下卦は、坎。水である。水は困難をもっている。― ――――― ―つまり、外見は剛健で構えるが、内面的な事情は困難をもっている象であり、苦しい事情がある。(3)卦辞「訟は孚(まこと)ありて窒(ふさ)がる。懼れて中すれば吉。終えんとすれば凶。大人を見るに利あり。大川を渡るに利あらず。」「孚(まこと)ありて窒(ふさ)がる。」本人は自分にも言い分があると思っていますが、思い通りにはいかずにパニックに陥っている。「私は悪くない、私は悪くない」と涙を流しながら叫んでいるようであり、まだ生きていると判断しました。「懼れて中すれば吉。終えんとすれば凶。」心の内で反省して恐懼して中道を得た行動をとれば吉。強引に押し切ろうとすれば凶。自分のしたことを反省して自首すれば吉。逃げ切ろうとすれば凶。「大人を見るに利あり。大川を渡るに利あらず。」大人、智慧のある人に相談するのが良い。大川をかちわたるような大きな冒険、特に海外渡航を試みても失敗する。2. 之卦(しか):沢天夬。 成り行きの含み天水訟から初爻、第3爻、上爻を変じます。― ― ――― ――― ――― ――――――(1)「夬」押し切るとか決断の意味。以下、井田先生「現代易入門」(明治書院)も参考にしています。情勢が煮詰まり、ここで決断する、または決断せざるを得ないときとなる。上の象を見ればわかるように、初爻から5爻まで陽(―――)が積み重なっていって、上爻の陰(― ―)を残すばかりとなっている。あたかも雨が降り続け、堤防の水位が上がっていき、まさに決壊する、その瞬間(補足2)。またこの卦は、6つの爻のうち、陰が一つ。孤独の姿を現す。人生には決断に迫られるときがある。最後の決断は自らにあるので、他人が加わることはできない。酒井法子さんも、逃げ回っていますが、決断をせざるを得ない状態に陥る。その時は一人で決するほかない。では、何を決断するか。(2)卦辞「夬は、王庭に揚ぐ。」王庭とは王の朝廷。揚ぐとは宣揚する。ここから自首の暗示と見ます。さらに「孚(まこと)あって号(さけ)ぶ」とありますので、それは意にそわない決断でしょう。しかし、決断することで、今までのこともはっきりし、さらに新しい状況が生まれるわけです(補足3)3.現実を解決する手がかり。 互卦:沢火革(たくかかく) 現実を解決する手がかり。(1)互卦について(「現代易入門」井田成明 明治書院 から)本卦の2爻、3爻、4爻で内卦をつくり(互卦という)、本卦の3爻、4爻、5爻で外卦をつくり(約象という)、それを合わせて大成卦を作ります(これも互卦といいます)。本卦の内卦を当方、本卦の外卦を先方とすると、この互卦は先方と当方との接点/現状となるため、現実を解決するための一つの手がかりのヒントと見る。天水訟の2爻、3爻、4爻で内卦をつくると離(火)となる。――― ― ― ―――さらに3爻、4爻、5爻で外卦をつくると兌(沢)となる。――― ――― ― ―これを合わせると沢火革となるわけです。――― ――― ― ―――― ― ― ―――(2) 「革」革命、変革の意。革の字は、もともと皮革を意味する。皮革とはレザー、つまり動物のなま皮を薬品で処理した革類の総称(「広辞苑」)。獣の皮をなめす操作、腐る部分を除いてぴかぴかにする操作が、古きを去って新しきにつくを象徴する。なめされた革は、もとの獣皮と面目を一新するが内なる実質は変わらない。酒井法子さんの件でいえば、古きを去るとは何を意味するか。これはいうまでもありますまい。覚醒剤吸引の習慣であり、その習慣の根本原因ということになりましょう。(3)卦辞「革は、己日(きじつ)にしてすなわち孚あり。元亨利貞(おおいにとおる。ただしきにりあり)。悔い亡ぶ。」己日の解釈については説が分かれますが、朱子の説に従います。古い書物では、己、已、巳の区別なく記載されていた(「易」本田済 朝日選書)。そこで、己日を已日と読み、「天命已(すでに)至るの日」と解する。まさに今こそ変わるべき時であり、そのように変わることで初めて人も信じてくれる(「すなわち孚あり」)。そのことで再度新たなサイクル(元亨利貞)が始まり、悔いが亡ぶのだ。では、何を変えていくべきなのでしょうか。4.錯卦(裏卦):地火明夷 隠れた事情。(1) 錯卦(裏卦)とは本卦のすべての爻の陽陰をひっくり返して得られる卦を錯卦(裏卦)といいます。錯卦(裏卦)は、隠れた事情とか逆にいったらどうなるか、裏目に出たらどうなるかを示す卦とされています(「易とは何か 上」安岡正篤、 「現代易入門」井田成明)本卦の天水訟の錯卦は、地火明夷です。これを隠れた事情と見ました。― ―― ―― ――――― ――――(2)明夷傷ついた太陽、韜晦すべき時(暗君、暴君に仕えるときの心構え)、傷心これは太陽(火)が地中(地)の中にある。そのため太陽の明るさが傷つけられるという意味で明夷といいます。その人の良さ、明るさが発揮できないことを表します。ここからの判断ですが、覚醒剤吸引はもちろん酒井さんも悪いし、隙があった。しかし、彼女の周りを取り巻く環境が悪かったのではないかと推察します。もちろん吸引を薦めた旦那さんも悪いし、交友関係、その他仕事関係、家族関係その他もともろ直接とは言わないですが遠因となることがあったのではないかと思います。以上、ここまでをまとめますと、彼女にも言い分はあったと思っていますが、そのために意地をはって逃げ回っている。しかし、我を通すと失敗をする。その際は、知恵ある人、信頼できる人に相談をし、深く反省し自首する方がいい。そうすれば、大変かもしれないがやり直しはできる。もちろん自首をするには勇気がいる。しかし、そのような決断をせざるを得ない状態が刻々と近づくはずで、その時は一人で決めるほかない。それによって新しい展開が待っている。問題の解決としては、吸引の原因となったものを根本から変える必要がある。人間関係、周囲の環境等原因となったものの古きを捨て新しきにつく。その際も知恵ある人、信頼できる人のアドバイスに従うこと、といったことになります。実際その後勇気をもって(夬)自首しその後刑に服し、そこで離婚ののち介護学校に入り直し、彼女なりに古きをすてて新しくについたように見受けられます(「革」)。最後に、相手方から見た場合について。5.綜卦:水天需 相手方から見た場合。― ――――― ――――――――――(1)需期待、躊躇の意味。彖辞に「需は須なり」とある。須とは、待つという意味。時間的に必ず来るものを待つという意味が強い。(2)上卦は坎、水である。坎は険(障害)を暗示する。― ――――― ―下卦は乾、天である。―――――――――乾は、本来は「健」本来進んでやまぬ者。しかし、前方に障害があるので待つ。(3)卦辞はいう。「需は孚あればおおいに亨る。貞なれば吉なり。大川を渡るに利あり」希望を以て時を待つこと。そうすれば必ずおおいにとおる。「貞」つまり動かないことが吉の条件。待って時機到来した後、川を渡ればよろしい。相手方は警察でしょう。必ず自首するので無暗に動いて消耗しないこと。そうすれば自首してくるので、その後必要な捜査取り調べを行い、背後関係や情報を入手すべき、というのが易から判断されることでした。---------------------------------------------------------------------------------------------(補足1)現在は、筮竹を用いた略筮法を用いています。しかし、この時はコインを用いた擲銭法(てきせんほう)を用いました。この方法は本田先生の本に紹介されているものです。特徴としては、略筮法は変爻が一つですが、この擲銭法では爻が0のときから6つの時までありえます。そして、変爻が2つ以上の場合は爻辞は見ないで卦辞のみで判断します。そのため卦の考察をいろいろしなければならないのです。具体的には、本卦(ほんけ)、之卦(しか)、互卦(ごけ)、綜卦(そうけ)、錯卦(さくけ)は見る必要があります。もっとも、安岡正篤先生は、略筮法でも最低5つの卦(本卦、之卦、互卦、綜卦、錯卦)は見なければほんとの易にならんと、「易とは何か」(株式会社ディーシーエス出版会)で述べられています。(補足2)序卦伝は次のように言う「益(ま)してやまざれば、必ず決す。故にこれに受くるに夬を以てす。」(補足3)卦辞に「往くところあるに利あり」とあります。象でも、初爻から5爻まで陽(―――)が積み重なっていって、上爻の陰(― ―)を残すばかりとなっていますが、この陰が陽に変われば、乾となり、新たな生化育成のサイクル(元亨利貞)が始まるわけです。
2016年01月17日
【背景】ゲーム会社の就職話乗っかるのはあまりよろしくないと卦にはでました。でも、私は、転職を決めてしまった。悪い卦のままいくのは気持ち悪いので、悪いことが起こった時の心構えを占いました。【占的】このゲーム会社で、もし悪いことが起こった場合、どのような心構えでいればいいでしょうか。【結果】巽為風(そんいふう)初爻――――――― ――――――― ― ― ×【判断】1. 卦について(1) 巽とは、「入る」とか「謙虚」という意味を持ちます。―――――― ― ― 一つの陰爻が二つの陽爻の下にあります。おとなしく伏している、従うから「入る」とか「謙虚」の意味となりました。また、巽には風の象があります。風はどこからでも入り込むことからです。(2) 卦辞「巽は、小し(すこし)亨る(とおる)。往くところあるに利あり。大人を見るに利あり。」直訳すると、ちょっとだけうまくいく。人に従って往くによろしい。偉大な人に会って従うがいい。となる。(3)分析卦自体はそう悪くはない。でも、私の占的は、「もし悪いことが起こった場合、どのような心構えでいればいいでしょうか。」にあります。その教えとなります。そうすると、謙虚であれ、従順であれということになります。次に爻について分析します。次に爻について分析します。2.爻(初爻)について(1)爻辞にいう。「初六は、進み退く。武人の貞に利あり」。 これを解説する象辞はいう。「進み退くは志疑うなり。武人の貞に利あるは、志治まるなり」(2)「初六は、進み退く」。進んだり退いたりする。その理由は志が定まらないから(補足1)。そもそも巽(風)というのはあっちふらふら、こっちふらふらな性質を持つ。その性質の初爻での現われは、志がないため進んだり退いたり、進退に迷うことを暗示している。今は条件面で惹かれて移るかもしれないが、軸がないためどう進めばいいかわからないことが出てくることを暗示している。そんなときどうすればいいか?(3)「 武人の貞に利あり」武人とは軍人のこと。貞とは貞節という言葉がありますが、「正しくて固い」こと(補足2)。 では、「武人の貞」とは何か?本田先生は、「武人のように果断な態度を取り続ける」としますが、ちょっとイメージが湧きません。当時は、「男気を示すようなことをしろということか」と思ったりしていました。これがピンと来たのは、帝国陸軍軍人辻政信の伝記(「蒋介石の密使 辻政信」(祥伝社新書))を読んだ時でした。この辻政信というのはかなり顰蹙な人物なのですが(補足3)、この伝記に彼の行動原理を評するこんな内容の記述がありました。「考えがはっきりと固まるまでは、行動を起こさない。しかし、一旦考えが固まったら、どんなことがあっても自説を曲げずとことんまでこだわり抜く。」ここまで読んだとき「武人の貞」という言葉がピーンと私の脳に響いたのです。軍人の判断ミスは死に直結します。だから決断は慎重でなければならない。しかし、一旦決断して動くと軍隊あるいは戦況はどんどん勢いを増して進むため、その後にふらふらするのはコントロール不能な混乱を招きそれも死に帰結する。したがって、決断までは慎重に考え、いったん決断したのちは頑固なほどに自説を貫くことが、自滅を避ける。辻政信が、果たして「武人の貞」を具備した人間だったかはわかりません。しかし、「武人の貞」を理解するイマジネーションをこの伝記は与えてくれました。ここでポイントは「武人の貞」は、必ずしも志を持ってその志を維持するために貫くのではないということです。生きるため、死なないために、貫く。しかも、一旦決断したら、たとえ後でよりいい選択肢が出てきたとしても、「ふらふらすること自体が死を招く」と肝に銘じ貫き続ける。大変かもしれないが、この経験を通じて、自分の志が定まっていく(「武人の貞に利あるは、志治まるなり」)。これを一つの教えと胆に銘じました。今思えば、リストラ戦記でかなり嫌な思いをしても、転職活動を止まったのも、「生き残るためにはそれが得策」と思ったからです。結果として、新しい職場を見つけ、その時の卦でも地火明夷3爻「南にゆきて狩し、その大首を得。」象辞「南にこれを狩る、志しすなわち大いに得るなり」となるわけで(2013年11月17日日記)、そこに易の神妙さを感じるわけであります。志を今、得たかといいますと、、、ですが。。。----------------------------------------------------------------------------------------(補足1)初爻は、巽(風)の卦の一番下の陰爻。――――――― ― ×陽爻ではなく、陰爻で、しかも巽(謙虚)の一番下の卦。 過度に自己を卑下する性質を持つ。(補足2)易経では、四つの徳があります。「元亨利貞」です。この四徳は物事の生化育成の流れを構成します。植物でいうと、元は植物の芽生え、始まり。亨は、種から芽生えた植物がすくすくと育っていくありさま。利は、すくすくと育っていった植物が納まるところに治まって実になろうとするとき。貞は、その実が結実するとき。そんな感じです。貞の段階は、物事が納まるべきところに治まって、どこでがっちりと留まる状態をいいます。(補足3)辻政信は、今は悪評の方が多い人物です。私も評価はしていません。彼は太平洋戦争時の作戦参謀。まず、ノモンハン事件で関東軍参謀として、戦車等の近代兵器を具備し火力に勝るソ連軍への無謀な攻撃を主導し日本軍に甚大な被害を被害をもたらします。その責任で、一旦左遷されるが、その後、参謀本部に栄転。マレー作戦を直接指示します。シンガポール攻略の際は多数の華僑の処刑にかかわります(シンガポール初代首相リークワンユーも危うく難を逃れた一人で、彼の回顧録にも辻参謀と名指しで記載されています)。その後、石油確保のための南進政策を推し進め日本と米国との対立を招きます。ガダルカナル戦などの無謀な戦争も推し進め多数の餓死者を出します。終戦時はタイにおり、戦争犯罪人に起訴されるのを防ぐため僧侶に化けて逃亡生活をします。日本独立後、その時の経験を「潜行三千里」という本で発表し大ベストセラーとなります。その後参議院議員に当選、議員として東南アジアに視察中に失踪し行方不明となります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%94%BF%E4%BF%A1
2015年12月06日
【背景】本日は、リストラ戦記の舞台、ゲーム会社に就職が決まった時の卦をご紹介します。ゲーム会社に就職する前は、某田舎にある繊維メーカーで経営管理として働いていました。経営管理とはいっても、従業員100人足らずの小さなメーカーで、要は、社長の管理分野での何でも屋です私は、あるプロジェクトの遂行要員として入社しました。その会社の主力商品は「ふきん」だったのですが、この「ふきん」は非常に性能が良く、油汚れなど洗剤がごく少量で落ちる優れもので、誰もが知る某アメリカの巨大メーカーの台所用品部門の商品選定委員会で選ばれ、もし取引が始まれば、売り上げが現在の10倍になることが見込まれました。社長は、70歳を超えていましたが、若いころから環境問題に関心を持ち、洗剤で汚れている川の水をなんとか綺麗にしたいという思いから苦心のすえこの「ふきん」を開発したのです。「エコ」の視点にようやく時代が追いつき、米国の企業からの打診があった。社長の「想い」が実現するチャンスであり、米国企業との交渉準備資料等の作成業務などかなり充実した仕事をさせていただきました。しかし、大企業ゆえの社内の派閥闘争でしょうか。なぞの韓国人エージェントやら、交通事故やら火事やら、キーパーソンの入院などきな臭い話が次から次と出て、私なぞは「本当に取引できるの?社長、エージェントに騙されてないか?」などと不謹慎にも疑ったくらいでした。とはいえ、全くの嘘でもなさそうなのです。当該米国企業の韓国支社の本物のMarketing managerが来て、私はイトーヨーカドーで下手くそな英語で、日本の台所用品事情の通訳をしたりしました。しかし、社長は、このMarketing manager経由では、取引まで行くのが時間かかると危惧をして、韓国人エージェントに不信感を抱きます。「社長はやっぱり本気なんだ」と改めて思いつつ、「でも、なんか胡散臭いんだよな」と悩みながら悶々とした日々を過ごしていました。そんななかで縁あってこのゲーム会社の法務に就職できそうになりました。その会社は上場企業であり、条件も今より上がります。いいことづくめで断る理由はありません。でも直感的に何か引っかかるものがあった。ちょっと、話が良すぎるからです。そこで占いました。【占的】このゲーム会社の就職話乗っかるのがいいか。【結果】雷沢帰妹(らいたくきまい)3爻― ―― ― ―――― ― ×――― ―――【判断】1. 卦(帰妹)について(1)悪い卦です。帰妹とは、結婚の意味。しかしながら、卦辞は「往けば凶。利するところなし。」とあります。結婚というのは目出度い話です。就職する、会社に勤めることだって目出度いことです。なのになぜ「往けば凶」なのか。(2)彖辞は、まず次のようにいいます。「帰妹は天地の大義なり。天地交わらざれば万物おこらず。帰妹は人の終始なり」結婚とは陽と陰の交わりであり、天地の常理である。天地が交わらなければ万物は怒らず、結婚がなければ人は生まれない。その意味で結婚は、人の終わり(若い男女によって区切り)であり、人の始まりである。ここでは結婚の一般的意義を述べています。就職も結婚と一緒だといわれることもあります。その会社に自分の人生、生活をゆだねるのだから。 (3)その次にこのように彖辞はいいます。「説(よろこ)んで以て動く、嫁ぐところは妹なり」帰妹は、雷と沢から成り立ちます。沢は悦ぶという意味を持ちます。雷は動くという意味を持ちます。つまり沢雷帰妹とは、女性から喜んで動くという意味を指します。古来中国の結婚は、かなり複雑な段取りがあり、女性から積極的に動いて結婚するというのは、よろしくない(順序を踏み誤った)結婚とされていました。したがって、この結婚は「愛人の結婚」を暗示します。一般に愛人になるにはいい卦とされ、お金儲けのアルバイトならばいいとされます。あるいは水商売をするにはいい卦ともされますが、男子一生の仕事を決めるのであればよろしくない卦とされるのです。(4)そこで、彖辞はさらに次のように解説します。「往けば凶とは位当たらざればなり。」卦としても悪いから「往けば凶」と考えることもできる。さらに彖辞は「位当たらざる」といいます。これは雷沢帰妹の2~5爻が、正しくないという意味です。つまり、易経では奇数爻(初、3、5爻は陽)、偶数爻(2、4、上爻は陰)が正しい位です。しかし、雷沢帰妹では2~5爻が、正しくないのです。― ― 6爻(本来、陰爻が正しい。そして陰爻だから、正しい)― ― 5爻(本来、陽爻が正しい。しかし陰爻だから、正しくない)――― 4爻(本来、陰爻が正しい。しかし陽爻だから、正しくない)― ― 3爻(本来、陽爻が正しい。しかし陰爻だから、正しくない)――― 2爻(本来、陰爻が正しい。しかし陽爻だから、正しくない)――― 1爻(本来、陽爻が正しい。そして陽爻だから、正しい)だからこそ、順番を踏み誤っているから「往けば凶」というのです。(5) 彖辞はさらに次のように解説します。「利するところなしは、柔剛に乗ればなり。」これは、3爻と5爻が陽爻である2爻、4爻の上に乗っかっています。妻が夫を尻に敷いていることが、夫唱婦随の儒学的な価値観から外れるということです。まあ、こんなことを書くと女性の方からは怒られそうですが、これは朱子の「周易本義」に書いてある解説です。少なくとも易では、陰が陽に乗っかることをよろしくないことと考えています。陰は小人であり、陽は大人の意味もある。小人が大人(君子)を圧迫しているわけです。(6)私自身のことでいえば、なぜその時転職をするかというと、新しい志が生まれたからではなく、経済的理由が大きかった。100人足らずの町工場で、売り上げが伸びないのだとすると、自分の今後の待遇もたかが知れている。実際に、銀行からはかなりの借入があったのですが、リーマンショック後、米国企業と取引交渉が完全に暗礁に乗り上げ、銀行の返済要求が強くなりつつあった。もし、米国企業との取引が開始できなければ、給料どころかつぶれる可能性すらある(実際、私の退職の1年後に倒産しました)。もちろん社長の志を実現させたいという気持ちはありました。志に基づいた経営なんてみんながみんなやっているわけではない。しかし、自分の年齢から言って、青臭いことばかりも言っていられない。いくら占いが、「志の伴わない金目的の転職はよろしくないぞ」と出たからと言って、上場企業で安定して(とその時は思われた)、給料も上がるわけであり、動かない理由はなかったわけです。さらに爻を検討します。(1)「六三は、帰妹須(しゅ)を以てす。反り(かえり)帰りて娣(てい)を以てす」(2) 「六三は、帰妹須(しゅ)を以てす。」a)訳須は、女の賤なる者(補足1)。六三は、陰爻。しかも、三爻は奇数爻ゆえ、本来は陽爻が正しい爻とされており、そこに陰爻があるのは不正(陰爻陽位)。さらに、三爻は二爻を過ぎているので、下卦の「中」を過ぎている。これらから帰妹の三爻は強固な貞操を欠く者と評価される。また、三爻は、下卦の沢― ― *――――――の三爻で、主爻。沢は悦ぶの意味があり、喜んで動くを暗示する。女が悦んで動いて嫁ぐのは儒教的にはよろしくなく、淫乱で誰も正妻としては娶らないので、妾として嫁ぐしかない。b)分析 ゲーム会社に移っても、メインではなく亜流ということか。 たしかに、条件面に心揺られて動くわけであり、強固な貞操を欠く者と評価されても致し方ない。しかし、仕事である以上、やっぱり条件は大切だ。仮に亜流だったとしても悪い話ではないと思った。(3)「反り(かえり)帰りて娣(てい)を以てす」」一旦実家に戻って、介婦として出直せば、嫁ぎどころがある(補足2)。実はここは、卦を出した時は分からなかった。しかし、思い起こしてみれば、ゲーム会社が買収された直後、私はいつリストラされてもいいように、実家に戻りました。さらに、ゲーム会社はリストラされて、縁あった会社は某メーカーの経営管理部に就職した。その後の私の運命を暗示していたのかもしれません。「介婦として出直す」というのが、ちょっと気になりますがいずれにせよ、移るのはよくないと卦は示している。しかし、現実的な判断としては移る以外ありえない。占いを信じて移りませんというのは、平安時代の貴族じゃあるまいし、あまりに間抜けすぎる。そこで、仮に移った場合にどのような心構えを持つべきかを占いました。(以下、次週)-------------------------------------------------------------------------------------------------------(補足1)上記のように「須は、女の賤なる者。」と解釈するのは朱子「周易本義」に紹介されている説。実は「周易本義」には別の説も紹介されている。その説は、「帰妹は以て須(ま)つ」と読み、須を待つの意味ととらえる。この場合も、三爻が強固な貞操を欠く者と評価されるのは同じであるが、だから誰も娶ろうとせず、嫁ぐためには長く待たなければならないと解釈される。「待つ」、見合わせるが妥当ということか、その時は思った。結果として、ゲーム会社はリストラにあって、メーカーの経営管理に移ったのだから、この期間は待つ期間だったのかもしれない。(補足 2)「娣」を介婦を訳した。これが一般だから。 中国で一番最初の辞書、「説文解字」によると、元々「娣」とは、夫を同じくする妹の意味のこと。 春秋時代の中国で諸侯がめとる場合、正夫人の妹を介婦として同時にめとる風習があった。 この場合、同じ娶るとはいえ、正夫人の姉とは異なり、身分が卑しく、君主の命令に従い身の回りの世話をするにとどまるものであった。
2015年11月15日
【背景】【占的】29.坎為水(かんいすい)2爻 日本が海外派兵したら1 参照。T氏の出した卦。【結果】坎為水(かんいすい)5爻― ―――― ×― ―― ―――― ― ―【判断】1.卦について坎為水。私と同じ卦。しかも、悪い卦。。。一緒に占って同じ坎為水がでたときは、びっくりしました。やっぱり海外派兵をすると内憂外患なのですね。。。行くも地獄、いかざるも地獄の状態になってしまうわけです。坎為水は本当にシャレにならないくらい悪い卦なのです。ただし、爻は違う。私は2爻でしたが、T氏は5爻でした。2.爻辞「坎盈(み)たず。すでに平らかなるに祗(いた)る。咎なし。」a)坎盈(み)たず。水が穴(坎)に留まりながら、まだ溢れるところまでいかない。穴に落ち込んで、そこから抜け出せるところまではいけません。b)すでに平らかなるに祗(いた)る。咎なし。このように困難、苦難からは抜け出せないのですが、穴(坎)に留まった水が穴の縁と同じ平面まで盛り上がった状態まで来て抜け出せるときは近い。だから咎はない。3.私の九二との比較。私の出した九二とT氏の出した九五はすごく似ています。a)中を得ている。 私は内卦(下卦)の真ん中であり、T氏は外卦(上卦)の真ん中です。両方とも、中を得ています。b)両方とも陽爻 また、両方とも陽爻です。しかも、両方とも陰爻で囲まれた陽爻です。 ですから、坎卦の中で、両方ともまだましな爻と言えます。 とはいえ、坎為水は、かなり厳しい卦であることには変わりありません。c)位について私は二爻で、T氏は五爻。これは五爻の方が断然いい。一般に悪い卦では初めの方の爻の方が悪く、後の方の爻の方がよい。五爻の方が二爻よりも、困難な状態から抜け出る日が近いわけです。二爻は「求めて小しく得」ですが、五爻は「すでに平らかなるに祗(いた)る。咎なし。」なのですから(補足1)。とはいえ、坎を抜け出すことはできない。行くも地獄、行かずも地獄の状態からは抜け出すことはできない。国としても政府としても絶体絶命のピンチに立つが絶命しない(咎なし)。d)伏卦(補足2)の比較爻が変じた結果を比較します。私の場合(2爻)、坎為水→水地比になります。「比」とは、人と親しむ、親愛を暗示します。そこから私は日米同盟から考察しました。T氏の場合(5爻)、坎為水→地水師となります。「師」とは、軍隊、戦争を暗示します。どことの戦争を暗示するものなのでしょうか?シーレーンを守るために自衛隊を中東に派遣する。その観点から「坎盈(み)たず。すでに平らかなるに祗(いた)る。咎なし。」を読み込むといいのかもしれませんが、私が出したわけでなくピンと来ないので、ここまでとします。------------------------------------------------------------------------------------(補足1)加藤大岳「易学大講座5」では、五爻は「往きて功ある剛中の徳を有している」とし、二爻は坎中の坎におかれており、その中徳は「求め小しく得」に留まるに対し、五爻は、既に下の坎を脱し、しかも四爻の補佐を得て(四爻は陰であり比)、民の苦難を除去して安らかな世を招く力を有しているとしています。(補足2)私もT氏も略筮で求めていますので爻が変じた後の卦は之卦ではなく伏卦と呼びます。これは得卦(坎為水)の中に含んでいる、潜んでいる卦として読みます。
2015年09月06日
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