2003年07月24日
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おちちとお腹に受けた火傷は、おちちはもう赤みだけ。

が赤く皮が剥けてしまった。
家ではゆったりした服で傷口に触れることもないのだが
仕事に行くと店内が大型冷蔵庫にいるように寒いので
しっかりパンストもはいて制服を着用しているため
すれてなかなか傷口が癒えない。
今は大分良くなったように思うがまだしっかり皮がついてない。

さて火傷とは因縁深いもので。

ある寒い冬の日によちよち歩きの私が
ストーブに掛けてあった煮えたぎったヤカンの取っ手を
どうしたわけか掴んで引き倒してしまった。
母が半狂乱になり、
私を抱えてとっさに病院を求めて家から走り出た。
当時綿入れの半纏を身に着けていた私だったので、
当然母が当てなく病院を駆けずり回っている間
綿入れの半纏に染み込んだ熱湯が容赦なく私の全身にしみる。
全身火傷であったそうな。
ようやく見つけた当時の上野の外科病院はたまさか
火傷では権威の病院で、しかし保険は利かない自家製の

父と母は全身の大半を火傷してしまった私が
もう助からないとまで思ったそうだ。

しかしそこは奇跡的に?あるいは
余程そこのお医者の膏薬が効いたせいか、
からくも私は一命を取りとめることが出来た。

全身包帯姿であったことは今ではお笑い種だ。

件の医師が母にはまるで神様に思えたそうな。

それほどの火傷を負いながら、私の身体で火傷の痕が残るのは
首の付け根のみ。
これは本当に奇跡と言ってもよいのだろう。

母は以来火傷に異常に(本当に恐怖する)敏感になってしまった。
私に傷つけてしまった後悔の念も強く。
私が小さい頃はまるで目にしたくないとでも言うように
与える衣服は全て首周りが隠れるような服ばかりだった。

そんな母が気の毒で、私は自分で衣服を選ぶようになってから
あえて首周りの開いたものを着るようになる。
『私は気にしてないよ、だから気にしないで』
そういうメッセージをこめて。

見せびらかしているわけじゃないから、
年頃まではよく見ると皮膚の引きつった首もとの辺りを
人からよく「そこどうしたの?」と聞かれ
「火傷の痕」と言えるまでに数秒の深呼吸が必要だった。
夏は日焼けをすると、他の皮膚よりもそこから先に赤くなる。

けれどそんなことは歳月の間に私の中で
なんともないことになってしまったし、
初めは顔をしかめていた母にとっても
今ではなんともないことになってくれた。

火傷を負った当時の話は、小学校になり聞かされたものだが
当てなどないのに小さな私を抱えて半狂乱で走り回った
母を今でも有り難いと感謝の気持ちでいっぱいになる。

そんな私でも今でも火傷が怖い。
ショックを受けることが、多分並でない(笑)

余談だが、彼の病院入院中に小さなミイラがしゃべりまくって
年寄り先生が舌を巻いたという話がある。
年寄り先生の娘さんが学者で
「幼児の障害による急激な知能の発達」というような
テーマで私を学会に連れて行ったことがあるそうな。
ようするに本人もショックで急激に脳が刺激されて発育を
促すことがあるらしいというものらしいが
勿論私がそのあとも急激な知能の発達を継続していたら
今の私であるはずもないが・・・ははは~(*^_^*)





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最終更新日  2003年07月25日 09時28分58秒
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