広汎性発達障害と診断された息子との新たな出発

広汎性発達障害と診断された息子との新たな出発

息子の障害と周囲との関係



1歳代からの介入の成果かたまごおうじには目に見えるかんしゃくパニックこだわり常同行動はほとんど見受けられません。帽子などもかぶれるようになったし感覚過敏もほとんど見受けられなくなりました。

お店などでも促すと「ばいばい」をするし、「ありがとうは?」というと「あ」といいますし、「こんにちは、は」?というとお辞儀もします。

まだ2歳台ということもあるし、上記のような状態なので多分傍目には「ちょっと言葉が遅い子」くらいの雰囲気なんだと思います。

それは、親しいと思っていた人にも同じようにしか見えなかったようです。

たまごおうじが伸びているので親としても周囲が見えないほどうれしくて、夜の10時ごろ、ABAでほめまくったり、寝込んでしまってキレーションで起きるための目覚ましがしばらくなりっぱなしになっていたり、というようなことがありました。

そういった音が近所に聞こえたこと自体、もちろんこちらの全面的な過失なので謝ったんですが、事情説明のつもりでキレーションとか療育で・・・とかいったのが言い訳に聞こえたらしく、気に障ったのでしょう。「障害障害言うな。障害があったら何をしてもいいのか。おしゃべりできないころの子育ては普通の子供の子育てだって大変なんだ。夜は静かにさせるのが親の勤めだ。」みたいなことを「文書」でわたされました。おしゃべりできないころ・・・って・・たまごおうじは一生おしゃべりできないかもしれないのに・・。何もやる意欲がなかった、たまごおうじがようやく人並みに玩具に興味を示すようになってそれをほめて・・・主人が帰宅するのが9時で、主人が大好きなたまごおうじは少しでも主人と遊んでもらいたいという気持ちを出すようになってくれたので10時になってしまって。散々謝っているのに一般的な子育て論にまで持ち込まれたのは本当につらかったです。

今まで親しいと思っていただけにショックでした。でも考えてみれば診断が降りてから、何かうちの子供がやらかしてからじゃ遅いと思い、素直に障害があると話したときも「そんなふうにみえないけどね~」とおっしゃってました。ご自身が健常のお子さんをきちんと2人も育てているので、逆に「母親の教育が悪いからなんじゃないの?」「子育てできない言い訳なんじゃないの?」という気持ちがあるのだと思います。障害というのも素直にカミングアウトすればいいってものでもないらしいということを学びました。

この方に限らず、健常児の教育を「きちんとした」という自負がある人であればあるほど、障害児への理解をしていただけないような気が、個人的にはしています。

3人のお子さんを立派に育て上げ、ご自身も長年教壇に立って(もちろん健常の生徒)現在は健常の孫も何人かいるという方も、あくまで今まで自分がしてきた子育て・教育論にもとづいて「子供はこういうものだ」とか「~だからこうなのよ」などとすべて断定調で当てはめるので、障害があるので・・いったら今度はいろいろな専門家の名前を出して「~さんの本ではこういっているからこうなんだ」とステレオタイプに当てはめようとします。でも自閉症って本当にその子によってぜんぜん違うので、うちの子に対してはすべてピントがずれているように私には思えました。

・・・そのせいか、その方と接する時間が長くなればなるほどたまごおうじは統制が取れないわがまま状態になっていきました。

こんな身近なところからですが、もしかしたら健常児への教育の成功体験をそのまま障害児に当てはめてしまい、そのことが障害児への教育・理解の邪魔をすることって多いのかもしれない、と感じています。だから、統合教育って難しいといわれているのかもしれないです。

ところが、養護学校の高等部の教員は、普通学校からくるらしいです。本当に驚きました。もちろん普通学校の教員がみな障害に理解がないとは思いませんが上記のようなことがある以上、障害というものを、今までの経験とは別にまっさらな気持ちから理解して下さる先生じゃないと厳しいんではないかと個人的には思っています。

ある意味、息子が学校などにはいる前にこういった健常児の親御さんや普通学校の先生の視点もあるということを知っておけたということはよかったと思います。こういう子供を育てていく以上、これからこういった方々に交渉をしたり理解を求めていくことの連続でしょうから・・・。

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