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2005年03月01日
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『禅関策進』に記されている話。
慈明禅師の号で親しまれる石霜楚円(せきそうそえん 987-1040)が仲間と共に修行に励んだ時、この言葉をいつも思い浮かべて励ましとしたという。

道場のあった河東の地の寒さはハンパじゃなかったが、厳寒の夜を徹して坐禅した。時折睡魔に襲われると楚円は自分の腿に錐を刺して眠気と戦ったという。「慈明自錐(じみょうじすい)」として禅寺ではよく語られる。

こういう古事は余程心して受け止めねばなるまい。
つまり自分の心に誓って行う行為なら素晴らしいのだけれど、強制力として作用してしまうと途端に輝きを失ってしまうのである。
徹夜の坐禅は、本来修行者自らの止むに止まれぬ求道心から始まったものだった。
しかし、今の日本の道場では形式化し、参加しないと制裁が待っていたりする。
自主トレの強制という笑えない事態が起きるのである。

それで得られる結果など、たかが知れている。少なくとも「光明盛大」とはならないだろう。「光明」は比類ない輝かしい成果と訳される事が多いようだが、気をつけねばならないのは自分の内側から発する光かどうかだ。自己本来の輝かしいはたらきが光となってこそ修行の目的は遂げられるのだ。



「古人」の語に楚円は彼の先輩たちの姿を思い浮かべていたことだろう。今日の我々は楚円その人を思い浮かべても良い。
しかし、何も昔の人である必要はどこにもない。共に励んでいる仲間の中に光明の兆しが見出せるなら、これ以上の幸せはない。

心友が何かをつかみかけているらしい。今日は彼にとっても大事な門出の日、まばゆいばかりの光が彼の中から輝きでようとしている。彼に心からの声援を送ると共に、僕も自分の中の光を曇らせぬよういっそう努力しよう。





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最終更新日  2005年03月01日 06時29分38秒
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