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2005年03月05日
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今日は東京の表千家の幹部の方たちを中心に、月江正印の墨蹟と臨済録の中から「随処に主となる」という語の出てくる部分を話してきました。
月江の墨蹟は、修行途中で自分の下を去っていく若い僧侶に対して、これからの心構えを諄々と説いたもので、現在は根津美術館に収められているものです。中に「鉄樹花開く春二月」という言葉があって、この季節にふさわしい掛軸です。七十七歳の筆ですが、けっして力は弱くありません。むしろ衰えないところに禅僧の本領が発揮されているというべきでしょうか。

「随処に主となる」という言葉は、万言を費やすより、実例を示した方が判りやすいだろうと思って、現代の話をしました。
一つはシベリア抑留者の話です。今から60年近く前になりますが、太平洋戦争の最末期に、シベリアに連れて行かれた日本兵がありました。僕のよく存じ上げているかたなのですが、シベリアの想い出を伺う機会があったものですからご披露しました。彼は寒さと飢えに苦しみながらも、次第にレンガ積みの作業に集中していると、飢えも寒さも忘れて、楽しくなっていったと話してくださるとき、普段の好々爺の笑顔がこの世のものとも思えぬ輝きに満ちていましたので、どうしても彼の話をしたかったのです。

もう一つは「こころのチキンスープ」から「子犬と男の子」の話です。
ペットショップを訪れた男の子は、足の悪い子犬を見つけます。店のオーナーは、あれは売り物にならない駄目な犬だ、欲しければただであげると言うのですが、男の子はその犬を只でなんかいらない、他の子犬と同額で買うと主張して譲りません。男の子はその足の悪い犬だって他の犬には劣らないと言い張ります。最後に男の子は自分のズボンのすそをまくります。男の子の片足はギプスだったのです。
そして男の子は言います。僕だったらその子犬の気持ちが判ってあげられると。

そう、男の子は自分のつらさをその子犬にわかってもらおうとしているのではないのです。自分の辛い経験から、他者を思いやる気持ちを獲得していたのです。

これこそ随処に主となる、という境地を楽々と身につけた生き方の例ではないでしょうか?






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最終更新日  2005年03月06日 00時22分33秒
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