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2005年03月20日
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私は花が好きだ。
しかし、「花が好きだ」とだけ言ったとき、どんな花を思い浮かべるかは人により、状況により、また季節によってもさまざまだろう。

「花」とだけ言って、多くの人が思い浮かべるのは、日本では桜である。
日本びいきのジェームス・スキナー氏が、先日ひょんな弾みで古歌を口にした。

 世の中に 絶えて桜の 無かりせば 春の心は のどけからまし

この新古今集の歌は、千年来の日本人の心情をよく詠い上げている。

世の中に、花は嫌いだと言う人は、そう多くないと思う。
もっとも、花見は嫌いだ、という人は何人か知っている。桜の花などそっちのけで騒ぎ立てる人の中には、随分と迷惑な連中もいる。
あの喧騒は、こちらの体や心の状態によっては耐えがたいものがあり、たまたま悪い条件が重なれば、私も花は嫌いだ、というかも知れない。



タイトルの語は『碧巌録』第五則の頌(じゅ)の中にある。
第五則の主題は、相対世界から絶対世界へ眼を転ずる事を教えるが、その締めくくりに付けられた頌は次のようである。

牛頭(ごづ)没し 馬頭(めづ)回える
曹渓鏡裏(そうけいきょうり) 塵埃(じんあい)を絶す
鼓を打って看来るも 君見ず
百花 春至って 誰が為にか開く

修行の途中には、はたしてこの道をこのまま突き進んで良いのか、という疑念がしばしば襲ってくる。牛頭も馬頭も地獄の鬼で、餓鬼道におちた人を容赦なく責め立てるそうだが、ちょうど牛頭や馬頭に追い立てられたかのように、心のバランスを失う事がある。
達磨から六番目の曹渓慧能の、あの澄み切った鏡にも似た君の心には、本来、塵一つ無い。
しかし、君がなかなかその開眼の作業ができないから、鼓を打って人々を集めて手伝おうとするけれど、それでも君は悟ることができない。
百花らんまんの この春の風光が 君のためにこそ用意されているのに、君には見えないか?

そう言われたって、見えない時は見えないのだ。

うまくいかないときは、違うことをやってみるものだ。何でも良いから。
君はいま青春の真っ只中。ちょっと眼を転ずれば、そこかしこに春の光があふれているよ。

私は花が好きだ。
しかし、どんな花も君の笑顔にはかなわない。

君が憂いに沈むとき、私にも百花は色あせる。


私は花が好きだ。そして君の笑顔は何にも増して好きだ。
花の下に君の笑顔が見られたら、人生の至福だ。

百花 春至って 君がために開く







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最終更新日  2005年03月21日 05時59分41秒
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