このようなちゃんとした話とはまったく比べ物にならないレベルの低い下世話な思い出話ですが、私にとってはこの2月25日という日は忘れられない悪夢の日になりました。この日が「追悼会」でなければ、こういう事件は起こらなかったので、ある意味歴史の区切りの日として思い出すたびにこのことを昨日のように思い出す次第です。 あまり読んでも面白い話ではないかもしれませんが、すべて事実に基づくノンフィクションです。一言で言ってしまえば、 強烈な「ぼったくり」 に遭ったという話です。このブログを始めてから、実はこの日の来るのを待っておりました 。
1997年2月25日は火曜日でした。私のいた駐在事務所はいつものように日本から来るたくさんの出張者のアポのアレンジやら打合せへの出席やらで忙しくしていました。この日も東京から頻繁に出張で来るS部長とT係長が某地方都市から朝に北京入りしていて、昼間は確か中国側と半日くらいの打合せをしていたと思います。すでに「追悼会」が北京で開催されることは数日前に決まっており、街中も華美なものをやめ、追悼する雰囲気が漂っていたかと思います。テレビではその「追悼会」の模様が流されていました。 いつもの日より静かな一日だったことを記憶しています 。
通常、日本から出張者が来ると、中国側との宴会などイベントがなければ、出張者と日本風居酒屋で一杯やるということが多かったですが、その日は「追悼会」ということもあり、中国側との宴会はなし、内輪でいつも行く居酒屋でS部長、T係長とうちの事務所のH所長、M課長、T課長、K係長と私というメンバーで飲んで盛り上がっていました。
その後、内輪の飲み会は終わり、年配のH所長とM課長は帰宅しましたが、S部長は日本側の総責任者の部長ということもあり、せっかくなので「もう1軒お連れしようか」ということで、よく常連で使っていたカラオケ屋に行こうということになりました。 この日は事前に「追悼会」で各種自粛ムードであることはわかっていましたが、とりあえず1軒目の店に行ったところ、その自粛日ということで営業しておらず、そのほかに行きつけのあと2軒くらい回ってみましたが、それも自粛中で休業 。
さすがに「追悼会」の日なのでしょうがないかと思って、K係長が「じゃあ自分の家で少しやりますか」と言ったのでそうしようかと、最後に回った店があったHMLホテルの前でそのようにS部長にまさに話をしようとしたところ、うちの事務所のC運転手が 別のタクシーの運転手らしき若い男から「○○という店が開いている。大丈夫。」という話を聞いて、タクシー運転手について、そこへ行こうということになりました。
私や他の駐在員始め、夜のこういう世界は仕事柄結構いろいろな経験をしているので、安易に行ったこともない店に行くことはありませんでした 。C運転手は彼自身も政府関係でも働いたことのあるベテラン運転手だったのですが、「自分の友達の運転手が言っているから大丈夫」ということでみんな信用してしまいました。 自粛日でしょうがないからとりあえず行ってみるかという安易な気持ちが魔がさすことにつながったんだろうと思います。
前置きが長くなりすぎましたが、カラオケ屋での悲劇は明日に続く・・・
案内役のタクシーのあとについて、我々5人は会社の乗用車に無理やり乗り込み(後ろの席に4人乗ったかもしれません)、カラオケ屋に向かいました。その店の外観はあまり記憶にありませんが、あまり高くない雑居ビルのようなところの地下に入ったところだったかと思います。店に入る前に、値段を確認、確か個 室を使うと5人で1時間1000元くらいで飲み放題という感じだったかと 思います。この程度の価格は当時の北京のカラオケ屋では平均的な値段だったので、大丈夫そうだということで事務所のL運転手を待たせて店に入りました。値段の話はL運転手も一緒に横で確認していました。
中は普通によくある、結構広い店で、大広間のような部屋と、周りに10人前後入れるような部屋がいくつかあったと思います。他の個室では歌っている声や騒いでいる声も聞こえたので、「自粛日だけあって逆にこのように開いている店が混んでいるんだな」と思ったりしました。個室に通されると小姐たち5人もやがて席に着き(別にやましいことは何もないので事実そのまま書いています)、とりあえずビールを何本かたのみ、簡単なナッツ系かフルーツがつまみとして出てきました(大体こういうのが定番です)。1時間くらい何を話したのかまったく記憶にありませんが、通常行っているカラオケ屋と何ら大きな違いはなくそのビールを飲みながら普通に過ごしました。 ただ、小姐たちが勝手に別の何かをグラスで飲んでいるような気がしましたが、我々は誰も特に気にも留めませんでした 。
さて、1時間くらい経過したところで、何となく自粛日ということもあってそれほど盛り上がらなかったので、そろそろ帰ろうと思って小姐の一人に「マイタン!(お勘定)」を頼みました。すると、 一気に5人いた小姐が全部あっという間に出ていってしまいました 。普通こういう場合はその他の小姐は残って、最後まで客の見送りをするのが常ですが、我々5人を残してあっという間に全員がいなくなったのです。すると、間髪を置かずにいかつい感じの男が何人か部屋に入ってきました。そして金額の書いた紙を我々に見せます。
「2万元」(=約30万円)!
我々は当然冗談だと思って「2万元って何?間違いでしょ。」と軽く交わしましたが、急にその男の表情が一変、「2万元だ!払え!」という高圧的な態度に変わります。こちらも 「何を言っているんだ!ビールしか飲んでないぞ!」 と当然反論しますが、そうすると 向こうは厚紙で作られたメニューを持ってきて、「ここに『XXという酒、1オンス3000元』って書いてあるだろう!」と言ってきます 。確かにそのメニュー表にはそのように書いてあります。これを見てわかりましたが、最初からぼったくるつもりでこの高い酒(ブランデーだったと思います)を小姐に無理やり飲ませたのではないかと思います。後で思えば小姐たちが一生懸命飲んでいたようにも思えます。 そもそも一般メニューとは別にぼったくり用のメニューが用意されていたわけです 。
その後、当然のことながら双方で激しい口論になりました。向こうはさらに体格のでかい男が数名増えて圧力をかけてきます。こちらは 「そんな高い酒は我々は注文してない。勝手に小姐が飲んだだけだ」 と主張、向こうは 「メニューにちゃんと書いてある値段のとおりだ」 と主張して一向に譲りません。こちら側は中国語が一応話せるのは私と、正義感の強いK係長が少々というだけで、多勢に無勢になってきます。こちらは表で待たせているL運転手もいる場で値段を確認してから店に入ったので、店の男に 「うちの運転手を呼んで来い!」 といって食い下がりました。何とか表にいたL運転手も店に入れさせましたが、結局埒が開かず、最後には向こうの男たちは 「今持っているカネを全部出せ!」「払うまで部屋から一歩も出さないぞ!」「ひとりずつ別室に連れて行って荷物を開けさせるぞ」「言うことを聞かないとてめえらの手足をへし折ってやるぜ」「それまでこの部屋にいろ!」 と罵詈雑言を浴びせられ、そう言い残すと男たちはうちの運転手も連れて部屋の外に出て行きました。このあと、この部屋に2~3時間監禁されることになります。
ああ、やっぱり「自粛日」にこんなところに来るんじゃなかったと思っても後の祭り・・・(続く)
さて、監禁された部屋の中で、どうしたらいいかと我々5人は部屋で対策を練りました。とりあえず持っている 現金を確認してみることとしました 。ここで無理やり喧嘩して対抗するのは本当に命の危険があると感じたからです。5 人の持っている人民元を集めると確か4000元くらいありましたが 、2万元には遠く及びません。でもとりあえずこれで試してみようということにしました。一方、私はその日銀行の個人口座から日本円の現金をちょうど下ろしていたので、このほかに15万円くらい持っていました。これをカバンに入れておくと、見つかってしまうと思ったので、 私はその15万円の現金をパンツの中に隠しました 。
やがて、男がまた数名部屋に入ってきます。先に手持ちの約4000元を男たちに見せましたが、そいつらは「全然足りない!まだ隠しているだろう!」と怒り出し、「これから一人ずつ別室に連れて行くから荷物を持って来い」と言われ、順番は忘れましたがS部長、T係長、M課長の3名がそれぞれ別室に行きました。彼らはすでに持っている現金を全部出していたことや、中国語が一応みんなそれなりにはわかりますが流暢ではなくおとなしくしていたので、意外と早くもとの部屋に戻ってきました。最後から2番目は正義感の強いK係長。彼も持ち金は底をついていたのですが、男どもから見て反抗的な態度だったので、私は危ないと思って「無理したらだめだ」と注意しました。そんなことで彼も何もされずとりあえず戻ってきました。
最後は私の順番。男たちからは「お前が一番態度が悪い。手足を本当にへし折るぞ!」と脅され、さらに「俺のじいさんは日本軍に殺された。お前も痛い目に合わせてやる!」などと言われ、こちらも「そんなことは俺に関係ないだろ!」と言ってはむかっていました。このときは本当に命の危険を感じました。口論しながら男と別室に向かっていると、 あれあれ、私のズボンのすそから万札の束がこぼれ落ちました。 パンツの中に入れていたはずの約15万円の札束がいつの間にかズボンを通り抜けて足元から床にこぼれ落ちてしまったわけです。
それを見た男は「何だ、金持ってるじゃん。おとなしく出せばいいんだよ」と、態度が急変しました 。私も言い訳できないので「持ってけ泥棒!」という感じでその金を全部男に渡しました。私がその後もとの部屋に戻されてしばらくすると、男がまた何人か来て「おい、もう帰っていいぞ!」と言われ、やっとこの店から出ることができました。出るときに大部屋を通過して行きましたが、他の中国人客は普通に飲んでいるように見えました。何でこんなことになったのか全く理解できませんでした。この店をやっと出たのは夜中の2時ごろ、4時間くらい監禁されていたわけです。
結局、 私がたまたま持っていた日本円がたくさんあったので、結果的にそれが奏功してぼったくり店から脱出できたわけですが 、 合わせて20万円は払わされたわけです 。勉強というには授業料が高すぎましたが、あそこで私のズボンのすそから万札がこぼれ落ちなければ、その後もまだ監禁されていたかもしれませんし、生きて帰って来れなかった可能性さえあります。 生還できたのは、実は私がブリーフではなく、トランクスを履いていたことが最大の理由です 。ブリーフだったら万札はパンツの中にとどまったまま、ズボンを通り抜けて足元から落ちることはありえません。 そんなことで、ぼったくりされそうなカラオケ屋に行くときには、是非トランクスを履いていきましょう。それが最大の教訓でございます。
10年前のトウ小平追悼会の日の悪夢の思い出でした・・・